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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章23 『役者は揃った』



 ――ロム爺が目を覚ましたときには、すでに林の包囲戦から撤退し、数時間が経過してしまったあとだった。


「結局、フェルトだけ連中の手元に残って、オレたちは放っとかれた。……自分たちから仕掛けてこの様だ。ダセぇったらねえぜ」


 とは、寝起きのロム爺に陣営の被害報告を終えたラチンスが付け加えた一言だ。

 忸怩たる思いを隠せずにいるラチンス、その胸中に渦巻く敗北感は容易に想像できる。無論、同じ敗北感はロム爺の分厚い胸板の奥にもあった。

 ただ、ロム爺とラチンスとでは、踏んできた負け戦の数が違う。


「黒星の数など、情けなくて誇れたものでは到底ないがの」


 ロム爺の生涯において、勝ち戦や白星なんてものは両手の指で数えられるだろうか。

 局所的な勝利を収めることができても、最終的な戦果で負け越すのが無駄に歳だけ食った老巨人の勝敗表の記録だ。そのいずれの負け戦でも、自分の命だけはかろうじて拾ってきたことが、誇るべきことか否かは自分では判断がつかない。


 生き延び、生き恥を晒してきたおかげで、ロム爺はかけがえのないものと出会えてきたとも言える。――ただし、今はそのかけがえのないものを奪われているわけで。


「フェルトの様子は? 確かめる術は……」


「はん、生憎とマンフレッドの『遠見の加護』は潰されたぜ。兜野郎もだが、あのお付きのメイドの抜け目がなかった。目ん玉抉られただけで済んだのは御の字だろうよ」


「さすがに残さんか。虫のいい期待じゃったな」


 話題に上がった『遠見の加護』は、遠方から対象の位置を特定、監視することが可能な戦略的にも戦術的にも非常に有用な種類の加護だ。

 それを使っていたのは、フェルトたちに協力したフランダースの黒社会連盟、その中の『天秤』を仕切るマンフレッド・マディソン――ただし、『遠見の加護』自体は彼が授かったものではなく、他者の授かり物を盗用していた結果である。


『黒銀貨』と『華獄園』も、フランダースに根深く蔓延る組織だが、『天秤』はそれらと違い、都市の外にも存在する曰く付きの歴史の長い集団だ。

 特筆すべきは、『天秤』が有する加護を盗む技術――おそらく、加護者を生かしたまま、加護の起点となる部位を代理のものが利用しているのだとロム爺は推測する。

 早い話、目に働きかける『遠見の加護』の加護者、その眼球を摘出して移植すれば、その加護の効果を自由に継承できる。――無論、ただ眼球を取り出して入れ替えれば加護が使い放題、という話ではない。そこに『天秤』のみが有する秘密の技術があり、それは決して外部のものに明かされることのない秘蹟だ。

 その手法はどうあれ、『遠見の加護』に必要だった眼球が潰されたなら、マンフレッドを頼りにフェルトの動向を追い続ける方策は断念せざるを得ない。


「それでも、マンフレッドの片目然り、儂らの散々な有様然り……全員、命があるのは奇跡じゃったな」


「奇跡、ね。オレはとても、そんな風に割り切れねえよ」


 顎をさすったロム爺の呟きに、ラチンスの不満げな舌打ちが大きく響く。

 命懸けを辞さない覚悟で挑んで、生き残った。さすがに、死ねなかったことを悔やむほど帝国民みたいなことは言い出さないだろうが、わざわざ不必要な縛りを付けた相手に負けた以上、力の差を見せつけられた気分になる彼の気持ちはわかる。

 だが、全力を出し切った上で悔しいと思えるなら、ラチンスにはまだまだ未来がある。それはきっと、ガストンやカンバリーも同じだ。


「――ロム様、お目覚め?」


「む、グラシスか」


 と、話がひと段落したところへ、ひょいと姿を見せたグラシスがやってくる。

 戦いの最後、ヤエと呼ばれた糸使いに縛られる姿を見たのが最後だった彼女だが、見たところラチンスよりもよほどピンピンしていた。

 その幼い見た目に反し、生まれたときからアストレア家で鍛え上げられた彼女と姉のフラムは、ロム爺の知る多くの戦士たちの中でも上澄みに位置する。優れた『流法』は傷や体力の回復にも大きく貢献するため、すでにほぼ完調の様子だった。


「とはいえ、無茶は禁物じゃぞ。……時に、加護はどうじゃ?」


「次弾装填まであと少し。……フラムが死んでなければ」


「縁起でもねえこと言ってんじゃねえ! ……とも、言い切れねえんだよな。兜野郎が手ぇ出してなくても、砂丘の向こうじゃラインハルトと『魔女』が……」


「ラチンス様、元気出しな?」


「なんで慰められるのがオレだよ! テメエが凹むとこだろうが!」


 丸めた背をポンと叩いたグラシスに、長い舌を伸ばしてラチンスがそう怒鳴る。

 その怒声にグラシスは「わ」と全然驚いていない顔で言うと、そそくさとロム爺の後ろに回り込み、芝居がかったじと目で大人げない青年を睨んだ。

 いつも通りの悪ふざけ。だが、ロム爺はその少女の頭より大きな掌で彼女を撫でて、


「塔のものたちを案じる気持ちは儂らも同じじゃ。加護が使えるようになったら、すぐにでも報せてもらえんか」


「……合点承知の助」


「誰だよ!!」


 言葉少なに頷き、ロム爺の掌を受け入れたグラシスにラチンスが過剰反応する。

 そんな風に打てば響くからこそ、悪ふざけ好きな姉妹に振り回されているラチンス。だが、普段通りにしていることが、グラシスの精神的に今はありがたいだろう。

 ラチンスも、堂々巡りの敗北感に頭をぐるぐるさせていないで済むはずだ。


「若いもんは反骨心を燃やせばいい。反省会は、儂の担当じゃからな」


 五百人もの戦力を集め、できるだけ有利な戦場を作ったにも拘らず、ロム爺たちは兜野郎との戦いに敗れ、フェルトの身柄を人質に取られた。

 これほどの大敗、それこそ『亜人戦争』以来の大失態と言えるだろう。

 ただ、同じ大敗でも、あのときのロム爺の心境と違うものがあるとすれば、この敗北に決して得るものがなかったわけでも、予期していなかったものでもないことだ。


 ――使いたくない手段ではあったが、兜野郎が窮地に『神龍』を呼び戻す可能性が危ぶまれた以上、フェルトの存在がその枷になる事実は常に念頭に入れられていた。


 そして、『神龍』ボルカニカが兜野郎の主力であることは事前にわかっていたこと。

 故に、フェルトたちはこの戦いで兜野郎に勝てなくとも、その主力に枷をかけるのを最低目標として見込んではいた。もちろん、ここで兜野郎に勝てるのが最善だったのは事実だが、最低目標を達し、さらに兜野郎の権能の正体にも当たりを付けたと自負する。

 勝利が最上の成果なら、現状は上から二番目――否、フェルトが人質にされているので、三番目くらいの戦果と言えるだろう。


「もっとも、一度身を以て体験された以上、同じやり方で権能を破るのは通用せんじゃろう。フェルトも相手の手の内……仕掛け方に、工夫がいる」


 当たり前だが、ロム爺はこれで諦めるつもりなど毛頭ない。

 兜野郎は自分の都合でこちらの命を奪わなかった。その結果、こちらには戦力の大半が残り、再度工夫してぶつかる余地が生まれた。

 その機会を最大限利用することを卑怯とも、卑劣だとも誰にも言わせまい。


「どういうわけか、兜野郎は足を止める時間も惜しいと見えた。あの調子なら、小休止は挟んでもどこぞでしっかり体を休めるとはいかんじゃろう。精神力の摩耗は権能の欠点を浮き彫りにする。フェルトが『神龍』の枷となっておるなら、付け入る隙は大きい。それと存外、兜野郎と仲間たちも単純な一枚岩というわけでは――」


 ブツブツと、あの戦いで得られた情報を人並みより大きな頭の中で精査する。

 負けたばかりで現金なと言われれば返す言葉もないが、ロム爺の中では先ほどの敗戦の反省はすでに片付き、次なる戦いに向けた方策が次々と練られ始めていた。

 それを薄情と罵るものもいるかもしれない。孫娘同然のフェルトを連れ去られ、その安否も確実でない中、心配や不安よりも次の戦いに思考を割くのかと。

 しかし――、


「――クソったれ。ますます、自分が惨めになってくるぜ」


 そう思惟する薄情な老巨人の横顔に、ラチンスが向けるのは嫌悪ではなく、ひたすらに消えない歯痒さ以外の何物でもなかった。


「ラチンス様、がんば」


「うるせえ! なんで他人事だ、テメエは!」



                △▼△▼△▼△



「――領域展開、マトリクス再定義」


 口の中で囁くようにそうこぼし、アルデバランは新たなリスタート地点を設定。

 二万九千二百二十一回の試行錯誤を乗り越えて窮地を脱し、チェックポイントを通過したと考え、小休止を挟んだ。

 深く長く、吸った息を肺の中が空っぽになるまで吐いて、アルデバランは兜の位置を直しながら、


「……悪ぃな、落ち着いた」


「いえいえ~、全然お気になさらないでください。むしろ、そんなちょびっと休むだけでいいんです? よければ、ヤエちゃんの太もも貸し出し中です」


「いや、借りなくて大丈夫」


「ふわふわ~のやわやわ~ですよ?」


「大丈夫」


 ひらひらと手を振り、アルデバランはヤエの誘惑的な気遣いをすげなく断る。

 そうされて、「ちぇ~」と唇を尖らせるヤエだが、その反応ほど気にも留めていないだろう。彼女の癖みたいな誘い文句も、アルデバランがそれを断るのもいつものことだ。

 それでも、離れずいてくれるヤエの存在には助けられる。負担的な意味で。


「多少、頭が痛ぇのも和らいだか……」


 そうこぼしながら、アルデバランはメンタルからくる頭痛の軽減に安堵する。

 ギリギリで負けかけたことも含め、フェルト軍団との戦いでは精神を消耗しすぎた。その削られ具合を軽視した結果が、たまたま勝利を拾えたほぼ負け試合だ。


「さすがに、戦ってる最中にメンタルリセットはできねぇからな……」


 この場合のメンタルリセットとは、アルデバランの権能を用い、頭を使わずにボーッとした時間をできるだけ過ごしたあと、毒を呷ってマトリクスを再開。それを繰り返して、昂った神経やささくれた精神、袋小路のメンタルの回復を図る荒業だ。

 落ち着ける環境とやり直す手段さえあれば、いくらでも心の平穏を買える方法だが、心は整えられても、シンプルな肉体や脳の疲労は抜けない欠点もある。

 実際、極度の睡眠不足と疲労の蓄積は、アルデバランに深刻なダメージを残している。


「今は冗談でも、ヤエの膝なんか借りたら一瞬で落ちちまう」


「ヤエちゃんに首ったけ、ってことですか?」


「いや、意識の話。そうやって軽口叩かせてくれてると、多少気が紛れるわ」


 ゆるゆると首を横に振り、アルデバランは圧し掛かる体の重みを何とか押し返す。

 現在、アルデバランたちは激闘のあった平野から人目を避けて西へ移動し、いったん、徹底した安全確認をした上で、アルデバランの休息に時間を費やしていた。

 もっとも、時間を費やすと言っても、実時間はそう大した時間は過ぎていないが。


「ちなみに参考までに聞きたいんだけど、ぶっ倒れそうになったら『龍の血』でドーピングってありな選択肢? それともなし?」


 と、兜の金具を指で弄りながら、アルデバランが『アルデバラン』に水を向ける。

 ヤエと合わせ、周囲の警戒要員でもあった『アルデバラン』は、そのアルデバランの問いかけに『そうさなぁ』と前足で器用に鼻を掻いたあと、


『あー、この『龍』の体と貧弱すぎるオレのオリジナルボディとだと確実な比較ってのが難しいんだが、希釈しねぇで『龍の血』なんて入れたらバーンじゃねぇかな』


「バーン……プリステラの、公爵さんとも違う結果か」


『この体になってわかったが、呪いで中身グチャグチャのナツキ・スバルはともかく、公爵さんがあの調子で耐えてんのは奇跡だぜ。王家に近いってだけはある』


「……希釈って言っても、水で薄めればいいって話じゃなさそうだしな。ちなみに、シノビって毒だけじゃなく、薬にも詳しい偏見があるんだが、『龍の血』は?」


「貴重な機会なので興味はありますけど、アル様がより恐ろしい化け物になったらヤエちゃんの心臓がもたないのでや~です」


 気分的な問題を前に押し出しつつも、実際、専門家でもない限り、『龍の血』の希釈なんて行為を確実に行うのは望み薄だろう。

 気軽にラストエリクサーを大量生産とはいかないわけだ。世の中、楽じゃない。


『せめて、治癒魔法だけかけとくわ。そら、辻ヒール』


「同じパーティーなんだから、辻ヒールじゃなくて、正式なヒールだろ」


 そう突っ込みを入れるアルデバランに、『神龍』の力で過剰な治癒魔法が放たれる。

 生憎と、外傷らしい外傷はあまりなかったのと、さすがにそれでアルデバランの失われた左腕が生えてきたりはしないが、重傷を負っても復活できる気休めは得られた。

 まぁ、重傷を負ったら回復を待つより毒を呷るので、文字通りの気休めだが。


「ところで、ボル様、お聞きしてもいいです~?」


『……あ! ボル様ってオレ? 全然ピンとこなかったわ。なになに?』


「フェルト様へのお気持ちって、ちょっとは落ち着いたりされました?」


 何気ない風を装ったヤエの問いかけ、その真意は微かにピリついた空気に問うまでもなく明らかで、アルデバランは兜の奥で目を細める。

 そしてそれは、同じものを感じ取った『アルデバラン』もそうで。


『落ち着くってのが目減りするって意味なら、むしろ逆。愛おしさが溢れてヤバい。会えない距離が想いを育てるぜ』


「会えない距離ってほど離れてねぇし、その愛情は応援できねぇな」


 自分的な語彙で茶化してくる『アルデバラン』だが、そうした言葉を発するときの心情がアルデバランと共通のものである以上、かなりの部分で本音だろう。

 それはヤエにも意図として伝わったようで、彼女は「そですか~」と頷くと、


「やっぱり邪魔ですよね~、フェルト様。うまく取り除けませんかね?」


『ヤエ、言っとくが……』


「あ~、早合点です。ボル様がそういう反応するってわかってますから、物騒な方法じゃなくて相談ですよ~。――最悪、フェルト様が逃げようとしてくださったら、私もアル様もボル様もみんなハッピーなんですけどね。ボル様はハッピーじゃないか」


「オレだって別にハッピーじゃねぇよ」


「悩みの種が消えるのにですか?」


「――。お前も、地味にオレの悩みの種ではあるぞ」


「あちゃ、藪蛇」


 ぺん、と自分の額を叩いて、ヤエがおどけた調子でそんな風に返す。

 彼女が期待したハッピーな方法とは、フェルトが人質になったときの条件――逃げようとしたら殺してくれていい、という話に抵触するパターンのことだ。そのときは、自分が死んでも恨みっこなしと、そう『アルデバラン』に彼女は約束した。

 しかし、それはフェルトと『アルデバラン』――否、『神龍』との間には筋の通った約束であっても、アルデバランの望んだ結末とは言えない。


 こんなやり方と関係性になっておいてなんだが、アルデバランはフェルトには健やかに王選へ復帰してもらい、最後まで気持ちよく王座を争い合ってほしい。

 無論、『アルデバラン』の反応を見るに、最初にルグニカ王城で話題に上がったフェルトに関するあの疑惑は、ほとんど裏付けられたと言ってもいい状況だが。


「なにせ、他人の空似って笑うにはドラゴンが芯からメロメロになりすぎてら。実際のとこ、どのぐらいオリジナル人格が顔出しそうなんだ?」


『これは容れ物、竜殻ってとこは揺るがねぇ。オリジナルの人格がひょっこりこんにちはって心配はいらねぇよ。ちょいと残留思念が主張強めなのと、その主張の強さにも波があるってイメージかね』


「……ちなみにその残留思念、どこまで覚えてる?」


『ファルセイルが好き。レイドが嫌い。その他もやもやって感じ』


「初代『剣聖』か。気軽に伝説出すなよ、ビビるから」


『魔女』からたびたび名前を聞いた存在ではあるが、知っている誰に話を聞いても最悪の評判しか出てこない初代『剣聖』だ。ここにきて新たに『神龍』の残留思念の証言も得られたので、ろくでなしというのは本当のことなのだろう。

 他のもやもやも、気にならないと言えば嘘になるが――、


「って、そういや、オレのところにヤエも『龍』のオレもいるけど、フェルト嬢ちゃんと親父さんは?」


「お二人とも、あちらで待機中です。ハインケル様が責任を持って、しっかりフェルト様を見張ってくださってますよ」


「その二人の組み合わせ、最悪じゃねぇか!」


「――。あ~、いっけな~い、ヤエちゃん、うっかりしました」


「――――」


 わざとらしいヤエの返事に、アルデバランは深々とため息をつき、立ち上がる。

 ヤエに与えている待遇が待遇だけに、こうしてチクチクとされる嫌がらせは甘んじて受け入れておくところだ。


『お、ファルセイル……じゃなく、フェルト嬢ちゃんとこいく? オレも……』


「その言い間違いが矯正できないうちは、会わねぇ方が好感度的に大事。あと、これ以上あっち側に天秤が傾くのも避けてぇ」


 そう言い聞かせ、ついてこようとする『アルデバラン』をお座りさせ、お預けの躾をヤエに託し、「共同作業ですね~」と茶化す彼女を無視したアルデバランは、フェルトとハインケルがいるという方角へ足を進めた。

 そして、木陰の作戦会議が聞こえない位置、大木を回り込んだ向こうで待たされていたフェルトとハインケルだが――、


「――オッサン、言っとっけど、アタシに言い訳する必要ねーぞ」


 アルデバランが覗き込んだ途端、それなりにきつめの発言が耳に飛び込んできた。

 見れば、大木に背を預けて座り込んだフェルトと、その対面に立った状態で彼女を見下ろしているハインケルの姿があった。

 映像作りの観点からすれば、視線の高い位置から相手を見下ろしているハインケルの方が、フェルトと比べて心理的に優位と切り取れる場面だが。


「――ッ、い、言い訳だと? なんだって、俺がそんなことする必要があるんだ? ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ、ガキが!」


「だったら、おっかなびっくりアタシの方見んのやめろ。目線がうるせーんだよ」


「誰が……!」


 そう喉の奥で怒りを爆発させ、次の言葉がつっかえるハインケルの姿に、そうした映像的な観点の判断はさして役に立たない様子だ。

 年齢差も身長差もある二人だが、どちらの役者が上なのかは数値化されなくても明らかで、よくない場面に居合わせたとアルデバランはハインケルを哀れに思う。

 いっそ、そのまま息を潜めて離れようかとも思ったが、


「ん」

「アルデバラン……」


 と、ほぼ同時に二人に気付かれ、アルデバランは仕方なくそちらへ歩み寄る。

 そして、「あー」と言葉を選びながら、


「親父さん、フェルト嬢ちゃんに絡むのはやめとけ。何言っても分が悪ぃよ」


「な……お前まで、俺がこのガキに言い負かされるっていうのか?」


「口ゲンカの勝ち負けがどうとかって話じゃなく、そもそもの前提が悪いって話だ。オレと組んでる親父さんは、フェルト嬢ちゃんから見りゃ立派な裏切り者……ってか、基本的に誰から見ても、ルグニカ王国の大敵なんだぜ?」


「――っ、わか、ってる。それでも俺は……」


 苦い顔をしたハインケルが目を伏せ、手を握ったり閉じたりしながらそう呟く。

 しんどい表情でしんどい立場に置かれたハインケルは、自分がどんな蜘蛛の糸に手を伸ばしたのか、それでもちゃんと理解はしている。

 これが、王国に名高い『剣聖』の家名を貶め、取り返しのつかない瑕疵を作ることになる行いであることも、ちゃんと。

 ただ、そんな向こう数百年も消えないだろう悪名を被ったとしても――、


「『龍の血』ってもんが欲しい。オッサンの嫁……ラインハルトの母親を起こすのに、どうしてもそれがいるんだろ?」


「ガキ、なんでそれを……」


「アタシが最初、テメーの息子にどこに監禁されてたと思ってんだよ。あのバカの家の事情はとっくに知ってる。キャロル婆ちゃんたちからも聞いてっかんな」


「なら! わかるだろうが! 必要なんだよ、俺には『龍の血』が! そして、アルデバランはそいつを俺に約束したんだ! だから、俺はこいつの計画に――」


「だから、アタシに言い訳すんなっつーの」


 必死の訴えにそう言い返され、ハインケルが「ぐ」と言葉に詰まった。

 取り付く島もないフェルトの反応は、下手に詰られるよりもよっぽど鋭くハインケルのちっぽけな良心をズタズタにめった刺す。

 ただ、フェルトも狙ってハインケルを一番傷付ける方法を選んだわけではないらしい。その証拠に、彼女はガリガリと自分の頭を掻いて、


「アタシだって、ラインハルトの母ちゃんが起きるんならそれがいいと思ってるぜ。そのために手段を選ばねーって考えがあるのもわかる。だから、オッサンを否定しねーよ」


「――――」


「ただ、アタシらのやり方とはちげーって話だ。いいも悪いもねーよ」


 片目をつむったフェルトの言葉に、ハインケルが打ちのめされたのが一目でわかる。明確な器の違いをひけらかされ、フォローのつもりが死体蹴りになった。

 これ以上二人が話しても、ハインケルの傷が広がるだけだろう。まんまとヤエの嫌がらせが実を結んだようで悪いと思いながら、アルデバランは「親父さん、もういい」とその肩を叩いて、フェルトの見張りからハインケルを解任した。

 そうして、肩を落としたハインケルがこの場を離れると、


「容赦ねぇな、フェルト嬢ちゃん。そうは見えねぇけど、もしかして怒ってる?」


「たりめーだろ、アホ。今だって、テメーらの尻を蹴飛ばしてやりてーのを我慢してやってんだよ。首のこいつがあるかんな」


 そう言って、フェルトが自分の首にかけられた極細の鋼糸――ヤエたちとの話題にも上がったそれに触れ、八重歯が見えるように唇を曲げた。

 ふてぶてしさMAXだが、一応、命を握られている自覚はあるらしい。

 もちろん、彼女の仲間の命を誰一人奪わなかった時点で、その首の鋼糸にどれだけの脅し効果があるのかと、そう高を括られている可能性はあるが――、


「――もう、同じ轍は踏まねぇよ」


「――――」


 それは宣言というよりも、アルデバランが己に込めた誓約だった。

 目の前の少女は、貧民街でたくましく育った、消えた王族疑惑のある王選候補者というだけではなく、あのバルガ・クロムウェルの薫陶を受けて成長した怪物予備軍だ。

 あるいはすでに怪物として羽化し、アルデバランの想像を超えて危険な存在となっている可能性だって十分ある。


 だが、しかし、そうであったとしても、もうアルデバランは負けない。


「たとえ、これがオレの最後の役目でも、成長する意味はある」


 主力のはずの『アルデバラン』は取り回しが悪くなり、不遜かつ悪戯なヤエの態度は目に余り、ハインケルはこちらの意図と無関係に勝手にへこたれて、協力的ではない重石であるフェルトを連れ歩かなければ立ち行かない、そんなアルデバランの旅路。――はっきり言って、当初のトラベルプランからはかけ離れたものになってしまった。

 だが、予定外の激戦と実質的な敗北は、その心身の消耗と引き換えに、アルデバランから慢心を取り去り、確かな教訓をもたらしてくれた。


「こっからは、限界ギリギリまで領域を引っ張る」


 短期的なマトリクスの更新により、逼迫した事態に即座に対応する方が、試行回数よりも遡行時間を減らせるものと考え、その方が長期的に有利になると踏んでいた。

 だが、極端なマトリクスの更新は、今回のような多数の敵を相手にした場合、詰まされる可能性が跳ね上がる。これまで通りの運用では、バルガのような智謀の持ち主が相手でなくとも、単なる不運によって道が閉ざされかねない。


「間隔を長く空けすぎると、脳ミソが焼き切れるか、心がすり減るかのチキンレースになりそうだが……魂がぶっ壊れても、しくじるよりずっとマシだ」


 元より、アルデバランにはこの計画をやり遂げた先の展望なんてものはない。

 カララギ都市国家、かの地にあるモゴレード大噴口に辿り着き、そこで目的を遂げたあとは、そのために利用したものの尻拭いを済ませ、全部終わらせる。

 それ以上のことは望まない。代わりに、そこまでのことは全部、叶えさせてもらう。


「――――」


 そう決意を新たにするアルデバランを、瞳を細めたフェルトが黙って見ている。

 その視線を意識的に無視するアルデバランは、その性格も顔立ちも、体つきだって何一つ似通っていないフェルトが、唯一、その双眸の色だけはプリシラと同じである事実に、ひどくひどい居心地の悪さを味わわされていた。


「できれば、その目でオレを見ねぇでくれねぇか」


「無茶言ってんなよ。わりーけど、生まれたときから二つ嵌まってるアタシの目ん玉だ。アタシも、悪目立ちすっから気に入っちゃいねー……んや、気に入ってなかった、だ」


「――――」


「今は、案外悪くねーと思ってる。なんで、目は閉じねーよ」


 大樹に背を預け、地べたに胡坐を掻いて腕を組んだフェルト、その眼差しと志の強さに惹かれ、眩しさに彼女を仰ぐものが大勢いる気持ちもわかる。

 今や、その眩さはアルデバランにとっては、奥歯に仕込んだ毒と同じだ。ただ、その眩さはアルデバランの命を奪わず、苦しめるだけというだけで。


「で? 腹減ったんだけど、飯は?」


「しれっと図々しすぎるだろ。……悪ぃんだが、今は食事休憩入れてる余裕がねぇ。それよりも移動が優先だ」


「人質の待遇がわりーな。――話してた、カララギの何とかって穴か?」


「モゴレード大噴口。そこが最終目的地で違いねぇよ。ただ、ちょっと寄り道する」


 そのアルデバランの一言に、フェルトが「寄り道?」と形のいい眉を顰める。

 そんな彼女に、「そう、寄り道」と顎を引いて応じながら、アルデバランは振り返り、彼方の景色の中にまだ捉えることのできない、そんな場所を思い描き、言った。

 それは――、


「――今が一番、手薄になってるはずなんでな。計画の必需品を拾いにいく」



                △▼△▼△▼△



 幸い、目的地の途上にあった寄り道は、滞りなくうまくいった。

 生憎と、手薄というには手厚すぎる警備が敷かれていたものの、その向こう側に封ぜられていたものがものなので、危機管理の徹底ぶりに安心するぐらいだ。

 もっとも――、


「警備が手厚いぐらいじゃ、オレの歩みは止められねぇ」


 本気でアルデバランを止めるなら、それこそフェルトたちがそうしたように、数百人単位でこちらを囲い潰すのが最善手だ。そのためには、たとえ最大の要地である王都であろうとも、騎士団の一個くらいは投入しなければならない。

 そして、それができないように、アルデバランは事前に手を打っていた。


「すぐに引き戻す羽目になったから、陽動の効果が期待できるか半々だったけど」


 乱心したアルデバランと、それに協力する『神龍』ボルカニカ。

 それらを止めに向かった『剣聖』ラインハルトが『嫉妬の魔女』に足止めされ、アルデバランたちがフリーの状態で砂丘を抜けた情報が舞い込んだとき、それを知れる立場にあったものたちがどれほどパニックになったか、想像に難くない。


 それこそ、四百年前の『嫉妬の魔女』の暴威以来の、国家存亡の危機と思っただろう。

 だからこそ、見え見えの高度を飛んで人目を引いた『アルデバラン』には、王国の総力を挙げてでも対抗する姿勢を見せなければならなかった。

 そのために、王都にすら最低限の兵力しか残せなかったとしても。

 そして――、


「――あった」


 ――四百七回。

 その試行錯誤を経て、アルデバランは目的の場所に、目当てのモノを見つける。それは入口の扉から室内の多層の術式まで、一切の干渉を許すまいと厳重に封ぜられている。

 実際、何の補助もないアルデバランでは、たとえこの場所に辿り着けたとしても、目の前の術式に何も手出しできず、すごすごと退散する羽目になっていただろう。

 しかし、今のアルデバランには――、


「――『神龍』の牙なんて、聖金貨何枚分の価値があんだかな」


 頭の中でソロバンを弾くだけで、知っている商人の顔ぶれが揃って目ん玉をドルマークにしそうな稀少品、それを触媒にアルデバランは強固な術式を強引に破壊する。

 聞いたことはないが、鉄筋を力ずくで引き千切るような常軌を逸した破砕音がして、そこに確かにあった不可視の壁が消失、アルデバランが室内に足を踏み入れる。


 さほど広くないその一室は、バーリエル邸のトイレよりも狭い。

 入口の扉以外、窓すらない部屋は息苦しく、まるで独房のよう――否、まるでではなく、正しく独房というべき場所だ。

 なにせ、そこに封ぜられているのは紛れもない罪人、咎人、許し難い邪悪。


「ここまででも、百回死刑になるだけやらかしてるが……」


 まだ、罪に罪を重ねる余地がある。

 それを証明するように、アルデバランは目の前の、黒々としたそれに手を伸ばす。それも常外の理が働いたものだが、今度は『神龍』の補助はいらない。

 そこにあるのは質は違えど、アルデバランが吐いた血反吐で溺れるほどのしごきの果てに習得した、『魔女』の教えの結集と同じモノ――、


「――――」


 かざした指先から意思が伝わり、次の瞬間、ひび割れが全体に走り、砕け散る。

 バラバラと、陶器が割れるように砕かれたそれは、しかし床に破片を散らばらせる音を立てずに、構成をほどかれ、大気に溶けて消えていく。

 それを見届けたアルデバランの眼前、消えたその黒い塊の代わりに、一つの人影が床に這いつくばるようにへたり込んでいて。


「大人しく、オレについてこい。――そうすりゃ、ここで殺さないでおいてやる」


「は――」


 静かなアルデバランの宣告に、息を抜くようにして人影は笑った。――否、嗤った。

 嗤い、嗤い、嗤い、その鋭い牙の生えた口で舌なめずりして――、


「――いいね、いいさ、いいとも、いいかも、いいだろう、いいともさ、いいだろうとも、いいだろうからこそ、いいって胸が震えるからこそッ! 暴飲ッ! 暴食ッ!」


 そう、闇色の独房の中で、自らを封じ込める漆黒の棺から解放された存在――『暴食』の大罪司教、ロイ・アルファルドが解放感と飢餓感に、喝采した。



                △▼△▼△▼△



 ――それは、天と地が定まらなくなり、陽日と冥日に区別がなくなり、生と死の境が曖昧になり、自己と他者との違いが不要となる、そんな世界の終わりだった。


「若様! 若様ぁ!」


 と、そう必死に、高らかに声を上げるのは、これまでそうして感情を昂らせる姿に想像のつかなかったフラムであり、彼女の視線は砂嵐の向こう――プレアデス監視塔を境界線として、彼方から此方へ押し寄せる黒影の大波、それをたった一人で食い止め、抗い、跳ね返そうと足掻く赤毛の英雄、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアへと向けられていた。


「若様――っ!!」


 その強さを誰よりも信じる一方で、英雄として以外の顔をよく知っている少女は、唐突に彼の身に降りかかった不条理な現実を、声を裏返らせて否定しようと泣き叫ぶ。

 そんなフラムの悲鳴のような声は、黒々とした終焉に挑むラインハルトにもきっと届いている。聞き漏らすはずがない。何故なら、ラインハルト・ヴァン・アストレアとはそういう存在でなければならないと、他ならぬ彼自身が決めているから。

 にも拘らず、フラムの悲痛な声に返事がないのは、地上最強の『剣聖』をして、刹那の意識の乱れが命取りになるほど、苛烈な脅威に晒されているから。


「――――」


 文字通り、波濤の如く押し寄せる無数の黒い腕が、視界の端から端までを埋め尽くすように大きく広がり、逃げ場のない破壊となって標的を押し潰そうとする。

 それをラインハルトは千切れかけの両腕で『龍剣』を担い、抜き放てぬ伝説の剣を腕の代わりに振るって、東西南北に逃げ場のない黒影の檻を突き破り、打ち砕く。

 それを絶えず、一秒間に十度二十度と繰り返し、繰り返し、浮かんだ汗が、流れる血が蒸気となって体を離れるほど、ラインハルトは己の本分に没頭した。


 ――それこそが、『剣聖』と『嫉妬の魔女』との、伝説を生きるものたちの頂上決戦。


「もお! 信じられないわあ!」


 飛び込んだ御者台で手綱を握りしめ、慣れない役割を必死でこなしているのは、ほつれた三つ編みの乱れもそのままに歯を食い縛るメィリィだ。

 手綱の先にいるパトラッシュは賢く、メィリィの手綱捌きはお飾りの域を出ない。それでもメィリィがそこに立つのは、自分の果たすべき意志を示すため。


 意識のないガーフィールやエッゾ、ラインハルトから意識を剥がせないフラム、そして『死者の書』から戻ってこないペトラと、ここで平常なのはメィリィだけ。

 ラインハルトの戦いは大前提として、その先にある一行全員の生死は、メィリィの細腕にかかっていると言っても過言ではないのだ。


「過言だわあ、っていうより、重たすぎるわよお……っ」


 これまでにも、メィリィが誰かの命を左右する場面に立ち会ったことは何度もある。

 だが、その機会の多くはメィリィが命を奪う側で、生殺与奪の権利を握っている立場のことが大半だった。

 命を奪うのではなく、守るために力を振るったのは以前の監視塔での『試験』がせいぜいで、それ以外の局面でのメィリィの力なんて素人に毛が生えた程度だろう。

 それっぽっちの経験値で、『嫉妬の魔女』なんてぶつかっていい相手ではない。


「お願いよお、パトラッシュちゃん……魔獣ちゃんと違って、何言ってるのかは全然わかんないけどお……みんなが危ないのよお……!」


「――ッッ」


 手綱越しに伝わるメィリィの訴えに、パトラッシュの勇ましい返事がある。

 猛然と疾走する漆黒の地竜は、最悪の環境である砂の足場もものともせず、全員を乗せた竜車を引いて颯爽と走る、走る、走る走る走る、走り抜ける――。


「このまま――」


 一息に砂海を駆け抜ける、そう思った瞬間だった。


「――ぁ」


 一瞬、大地が伸び縮みするみたいにたわんで、信じられない衝撃にパトラッシュの足が空転し、竜車が客車ごと空中に舞い上がった。


「――――」


 マズい、とメィリィの脳裏がピンチの一言に埋め尽くされる。

 ピンチ、そうピンチだ。危ない状況に陥ったときにスバルが口にしていたピンチ、確かに言いやすいし、一度口に馴染むと頭の中にもそればっかり浮かんでくる。浮かんだはいいものの、ピンチピンチと唱えても解決の糸口はどこにもない。


 ただはっきりと、パトラッシュが一度砂地に転んでしまえば、自分たちが無事に砂丘を離れるための『風除けの加護』が失われるという確信だけがあった。

 それがなくなったら、もはや天地の境もわからなくなったこの空間から、メィリィたちが生きて抜け出すことなんて叶わない。


 ――何を、今、どうすれば、わたしが、みんな、お願い、お兄さん、助けて。


「みんなを助けてえ……っ」


 そう、何の役にも立たない涙声が、逆さになりかけた視界で紡がれたときだった。


「――任せて、メィリィ」


 そんな、可愛らしくも頼もしい声が聞こえた直後、メィリィはひっくり返った御者台から、誰かが座席を足場に大きく宙に踏み出し、空中で大きく体勢を崩しているパトラッシュに飛びついていくのを目にする。

 それは大きなリボンに、明るい茶髪が目に鮮やかな、一人の少女――、


「ペトラちゃあん!」


 叫んだメィリィの眼前、飛び出したペトラが空中のパトラッシュの首に抱き着き、そのまま強引に地竜の鞍に尻を乗せ、噛みつくようにしがみつく。

 小さな、その体を目一杯に使ってひしと全力で抱き着いたまま、訴える。


「パトラッシュ! 落ち着いて、声を聞いて!」


「――ッッ」


「そう、いい子……今!!」


 しがみつくペトラの声に従い、パトラッシュが長い尾を大きく振り、空中にあった姿勢を無理やり制御、勢いを付けて足先を突き刺すみたいに砂地に降り立ち、地面に叩き付けられるように落ちる竜車の勢いを見事制動、そのまま、加護を途切れさせずに走る。


 致命的な一瞬、その刹那を、ものの見事に乗り切った。

 パトラッシュの信じられない対応力と、それを引き出した少女の手腕の賜物で。


「メィリィ! ちゃん! 無事っ!?」


「わ、わたしは平気よお! ペトラちゃんの方こそ、あの本を読んで――」


「――わたしは大丈夫。それよりも」


 言葉を切ったペトラが、その丸い瞳を鋭くし、背後を睨みつける。

 その視線の先、プレアデス監視塔と、それを死守すべき一線として守り続けるラインハルトが、その一線を越えようとしてくる『嫉妬の魔女』を押し留める一戦がある。

『嫉妬の魔女』と、そう考えるだけで心の奥底から震えの込み上げてくる現実に、メィリィさえも消えない恐怖心を抱かせる。

 だが、そんなメィリィにペトラはパトラッシュの背に跨ったまま、


「大丈夫だから、任せて」


「ペトラちゃん……?」


「今はとにかく、アウグリア砂丘を出なくちゃ。いこうっ!」


 砂海を疾走する地竜の上で声高らかに宣言するペトラに、メィリィは不可思議な頼もしさを覚えながら、何度も何度も首を縦に振って応えた。

 そのメィリィの反応に微笑んでから、ペトラは正面へと向き直り、頬を引き締める。

 しっかりとパトラッシュの首にしがみついたまま、背後に迫りつつある終わりの顕現をラインハルトに任せ、真っ直ぐに砂海の外を目指し、走れ、走れ、走れ。


 そうして、浴びぬ風を浴びる錯覚を味わいながら、ペトラは小さく呟く。


「わたしたちが、何とかしなくちゃ。――だよね、スバル」


『――ああ、やってやろうぜ。俺たちの、持ってる力の全部でな!!』


 触れることのできない、大切で大好きな人の声と存在を間近に感じ、強く強く胸を熱くしながら、ペトラ・レイテは懸命に懸命に駆け抜ける。


 ――この砂の海の外に、届けなければならない願いを届けるために、一生懸命に。



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― 新着の感想 ―
ペトラがメィリィを呼び捨てに仕掛けたシーン 絶対スバルの意識だよなー 他作品になるけど、とある名探偵が呼び捨てで呼びかけてから姉ちゃんって追加するの思い出した
「役者は揃った」って第一章でも同じタイトルがあったんやな
暴食ぅ、こっからどうにかしてこいつ使ってレムの記憶でも戻すんかなぁ、オリジナルスバル(死者の本じゃない方)が死者の本スバル見るとどう思うんだろ
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