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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章18 『百倍厄介』



 ――語られたそれは、孤独な奮闘と拭えない悔悟の日々。


 丁重に、重大に、大切に扱わなくてはならないと、そう決め切った歴史の物語。

 それを吐き出し切ってなお、手放してはならないと前を向く姿勢が儚くて。


「対価、だよ」


 夢の世界から退去する代償に、そう述べる『魔女』が憎々しくてたまらない。

 赤い舌をちろりと見せて、どこか悪戯な雰囲気を漂わせる有害な存在は、その虚ろな美しさでこちらを翻弄し、意のままに導こうと画策して思えて。


「よし、決めたよ」


 一度目は忘却を命じ、二度目となる此度は何を定められるのか。

 思わず身を硬くするこちらを嘲笑うように、花の香りを漂わせる『魔女』がその指先で触れたのは、風にひらひらと揺れる白いハンカチだった。


 ――白い生地の縁を金であしらい、鼠色の猫の姿をした大精霊が刺繍された、それは。


「『聖域』の出発前に、ペトラがくれたハンカチ……?」


 やめてと、喉が張り裂けるほどに叫びたかった。

 やめてと、張り裂けるほどに叫ぶための喉がここにはなかった。


 やめてと、おぞましい『魔女』の前に身を挺して割り込みたかった。

 やめてと、おぞましい『魔女』の前に挺するための身がここにはなかった。


 だから、やめてやめてと心で叫んで、魂を挺そうと、止められない。


「茶会の対価、確かに徴収したよ。またのご参加を、心よりお待ち申し上げる」


 対価としての価値を示し、そこに広がった安堵と微かな幸福感。

 それをもたらしたのが自分であることの誇らしさより、それが『魔女』の目に留まったことの方がずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと、恐ろしい。

 自分がいったい、何に加担してしまったのか、それがわからなくて。


「エキドナは約束を守ったか。今度の茶会は、俺の記憶からも消えてねぇしな」


 白い光と共に夢の世界が終わり、幻想から回帰した暗く冷たい空間。

 舞い戻ったその場所で『魔女』との邂逅を反復し――異変に、気付く。


「……エミリア、どこだ?」


 いるはずの、彼女の不在に心が逸り、気持ちが焦燥に満たされる。

 溢れ返る不安と染み出すような違和感、それが幾度も『繰り返す』ことを余儀なくされたものにとって、あってはならない理からの逸脱。


 込み上げる嫌な予感に急き立てられ、急ぎ足にその場所を、墓所を出る。

 そうして墓所の外、月明かりの下に踏み出した途端、目の当たりにしたのは――、


「影……だ」


 漆黒に閉ざされる『聖域』と、それを為しただろう『魔女』以上に恐ろしい『魔女』の足跡だった。


 やめてと叫んでも、拒んでも、嘆いても、抗っても、終わらない。

 これは確かにあった、彼の消し去れない歩みの歴史なのだから。



 ――その中で、わたしは何に、加担したの?



                △▼△▼△▼△



 ――兜ヤローと、そう投げかけられた声は明確にアルデバランを認識していた。


 ヤエの察した待ち伏せの気配と、聞き覚えのある威勢のいい声。そう深く考えなくても、わざわざ主力を切り離した渾身の陽動が失敗に終わったとわかる。

 わかった上で、アルデバランを待ち受ける問題は――、


「おい! 今の声、あの金髪のガキだ! ラインハルトの主人だぞ! なんだってこんなところに……見つからないはずじゃなかったのか!?」


 泡を食った様子のハインケルが、この状況の混乱を丁寧に表現してくれた。

 その慌てふためきようはアルデバランの内心と同じものだったが、先に彼がみっともなく騒いでくれたおかげで、かえってこちらは取り乱さずに済んだ。

 とはいえ、事態は決して明るくない。


「……マトリクスは十五秒前に更新しちまった」


 奇襲や不意打ちに備えた定期的なマトリクスの更新、リスク回避のための慎重策のつもりだったが、それが裏目に出てしまった形だ。

 現時点から十五秒、そこまでの間しかアルデバランには再挑戦のチャンスがない。

 それはすでに、相手からの待ち伏せを避けられないことを意味する。――待ち伏せは、アルデバランにとって奇襲よりも具合の悪い戦術なのだ。

 それを眼力か山勘か、いずれにせよ的確に嫌なタイミングで打ってきた。


「『剣聖』の主人ということは、噂のフェルト様ですか~。……ここは早くも、ハインケル様の人身御供の出番でしょ~かね?」


「――っ、俺を人質に突破しようってんなら無駄だ! あいつらはラインハルトにアストレア家を継がせたがってる。今、お前らと一緒にいる俺の立場は悪い……大義名分があるんなら、容赦なく殺しにかかってくるはずだ!」


「え~と……でしたらなおさら、人身御供のお役目に適任なのでは?」


「冗談抜かしてる場合じゃねえって言ってんだよ!」


 おそらく、冗談でも何でもなかったのだろう。怒鳴り返してくるハインケルに呆れた目をしながら、ヤエが「どうします~?」とアルデバランに肩をすくめた。

 動揺する中年二人と違い、ヤエは目の前の事態を冷ややかに受け止めている。シノビとしての修業の賜物か、その鍛えられた精神力は感嘆ものだ。

 アルデバランなど、何百万回死んだところで至れそうもない境地――、


「ともあれ、親父さんを差し出しても無駄だろうよ」


 林の外で待ち受けるのがフェルトたちなら、ハインケルの悲しい認識通り、人質としての効力はないに等しいだろう。実際、これ幸いにと命を蹂躙され、『敬愛すべきハインケル・アストレア、ここに眠る』と墓碑に刻まれるオチが濃厚だ。

 と、悲観的な絵ばかりが浮かぶのも、楽観的な絵を描く材料が足りないからだ。


「ヤエ、親父さん、ここで待機だ。まず、オレが見てくる」


「な……正気か!? この女はシノビだろ? まずいくならこいつじゃないのか!? お前からもそう言ってやれ!」


「――。アル様、それが最善なんですね?」


「そうだ」


 短く答えて顎を引くと、ヤエが「承知で~す」とすんなり引き下がる。そこにまだ、顔を赤くしたハインケルが食い下がろうとしたが、


「くどいですって、ハインケル様。そう心配されなくても、アル様以外の誰に『神龍』ボルカニカを利用しようなんて思いついて、実行できます? 無策のはずないでしょ」


「そ、れは……そう、か……」


 そのヤエの援護射撃に、ハインケルが渋々と言葉を引っ込めた。

 さすが、『神龍』の威光は当人がボケていようと色んな意味で有効だ。この完全に一杯食わされた状況でも、アルデバランがただでは転ばないと無条件に信じさせる。

 生憎、そのはずがないとヤエが語った無策もいいところなのだが。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 どっちであっても気が重い、とそんな具合の悪い心中を兜の中に押し隠し、アルデバランは二人を置いて真っ直ぐ、林の外へと足を進ませる。

 欲しい判断材料としては、敵対する相手の確定と、その戦力といったところ――、


「――へえ? 堂々と出てきやがるとはサパッと覚悟してるじゃねーか」


 背の高い木々に遮られた視界が不意に晴れ、アルデバランの眼前に平野が広がる。

 その平野の向こう、白い八重歯を剥いた笑みで威風堂々と立つのは、金色の髪と赤い瞳が特徴的な少女、声の特徴と話の内容から想定した相手――フェルトだった。


「――――」


 ラインハルトとの遭遇戦を済ませたあとだ。そのこと自体に驚きはない。

 加えてアルデバランは、相手がフェルトだと推定した時点から、相手の戦力の試算をすでに始めていた。――現時点で、『剣聖』と『灰色』の二枚看板は排除済み。

 あとは水門都市プリステラを参考に、陣営の要はチンピラ上がり三人組と、まだ見ぬフラムの妹、それに王城に乗り込んできた老いた巨人か。そこにフェルト本人の力量が未確認ではあるが、まさかプリシラには遠く及ぶまい。


 たとえプリシラであろうと、単騎で戦えばアルデバランには敵わないのだ。

 万一、フェルトが秘めたる実力者だったとしても、いくらでも対処はできる。――それが、林の外に出るまでのアルデバランの思惑だった。

 しかし――、


「……おいおい、こりゃ何の冗談だ?」


 眼前に並んだ予想外の光景に、アルデバランは乾いた笑みを浮かべてしまう。

 なにせ、元の予想はせいぜい五、六人。それがざっくりと百倍――五百人以上の団体様で、アルデバランをお出迎えしてくれていたのだから。



                △▼△▼△▼△



 ――貧民街育ちのフェルトは、立場が変わったところで貧乏性が抜けない。


 今でこそ食事にも服にも寝床にも困らなくなったが、どれもフェルト自身の持ち物ではなく、ラインハルトのアストレア家にくっついているものだ。

 確かにラインハルトはフェルトの騎士だが、それで彼の持ち物まで自分のものになったと思うほど、フェルトは勘違いを極めるつもりはない。


 故に、食べるものはおいしく、着るものの質が格段に変わって、朝まで安心してぐっすり寝られようと、元からの自分の『手札』を腐らせる気はさらさらなかった。


 フェルトの『手札』、それは端的に言えば『強く生きる』ために培った能力の数々。

 貧民街時代に鍛えたカモを見分ける眼力と逃げ足、どんな状況にも物怖じしない胆力とヤバい事態へ陥ったときの直感――いずれも、ラインハルトと出くわす切っ掛けになった『腸狩り』との一件で、より研ぎ澄まさなければ通用しないと、王選に向けた高等教育の合間も磨き続けたものだった。


 実際、どの『手札』も以前より格段に使い出は増した。――もっとも、それでもまだラインハルトを一度も振り切れた試しがないのだが。


 ともあれ、昔からの『手札』を磨き続けたことで、視野の広がったフェルトは以前の自分には見えなかったものが見えるようになったと自負している。

 その自負が、微かな違和感への引っかかりをフェルトに見過ごさせなかった。


 ――プレアデス監視塔に残してきたフラムから、双子の妹のグラシスに『念話の加護』を通じた危機的状況の報せが王都に届いたときも、そうだ。



「――フェルト様、僕は急ぎ、アウグリア砂丘へ向かいます。場合によっては、『神龍』ボルカニカとの戦いになる。砂海の外では、被害が出すぎてしまいます」


「待てよ。……わざわざ、あの砂だらけの場所で始めたってのが引っかかる。あそこって確か、お前が世界で一番弱くなる場所って話してたとこだよな?」


「――。はい、事実です。僕は、あの場所の瘴気と相性が悪い。ですが、向かわないという選択肢はありません。あの塔にはフラムやエッゾ殿が。それに……」


 グラシスからの報せを受け、『剣聖』の使命感に駆られるラインハルトの様子に、フェルトは「わーってる」と頭を掻いて応じた。

 ここでその顔をするのが、フェルトのラインハルトの気に食わないところの一つなのだが、それをつついても今はしょうがない。それよりも、ラインハルトに次の提案を呑ませる必要があった。

 その提案とは――、


「ラインハルト、お前にいくなとは言わねーよ。けど、一人で突っ走んのはやめろ。――アタシらも、途中まで連れてけ」


「フェルト様、それは……!」


「お前、自分が無茶しよーってときにアタシにはそれをさせねーつもりか? 自惚れんのも大概にしろよ。お前以外の誰にでも、やれること全部やる資格はあるんだぜ」


「――――」


 押し黙り、なんと抗弁すべきか迷うラインハルト、その心中はまぁわかる。

 なにせ、相手はエッゾとフラムを完封した上に、『神龍』ボルカニカまで引き連れているというのだ。おおよそ、王国有数の危機とでもいうべき事態だろう。

 まさしく、『剣聖』が解決するに相応しい大仕事だ。


「解せねーな」


「解せない、というのは?」


「フラムの加護を知らねーにせよ、『神龍』なんて連れ出したらすぐにバレんだろ。バレたら、お前が飛んでくるのは目に見えてる。それでも、兜ヤローはやりやがった」


「……つまり、フェルト様はアル殿が、それを見越して動いていると?」


「くると警戒されてんのと、こねーとタカくくられてんの、どっちの方がある話だ?」


 片目をつむったフェルトの問いに、ラインハルトも真剣に可能性を検討し始めた。

 ラインハルトの対策は練られているはずだ。そもそも、『神龍』を味方に付けたことも、その一環である可能性がかなり高い。

 条件の悪いアウグリア砂丘と『神龍』の存在、ラインハルトにも届き得るか。


「だとしても、です。だとしても、僕がいかなければなりません。たとえ、相手がよほどの対策をしていたとしても、僕しかそれを乗り越えられないなら……」


「――ラインハルト、よけんな」


 跪き、自分と話すラインハルトにそう命じると、赤毛の騎士が「え」と目を丸くする。その指示通りに動かなかった彼の顔、その両頬をフェルトは手で挟み込んだ。

 凝然と目を見張ったラインハルト、巷できゃあきゃあ騒がれる美形が台無しになる。


「アホ、止めねーって言っただろーが。お前は相手の誘いに乗っかれ。その馬鹿力を全開にして暴れてこい。――その余りを、こっちで拾ってやるよ」


「――ぁ」


 顔を近付け、鼻と鼻が触れ合いそうな距離で言い放ってやり、青い双眸が驚きに染まるのを見届けたところで、ちょうど宿部屋の扉が乱暴に開かれる。

 そこに立っていたのは、息せき切った見慣れた顔ぶれで――、


「ちょうどいいとこに戻ってきたじゃねーか。首尾は?」


「はぁ、はぁ……む、無茶ばっかり言いやがって……」

「壊れても構わねえ頑丈な竜車って、自前のやつ使えばいいじゃねえかよ、お嬢!」

「馬鹿、あの地竜……ロミーを連れてけないって話なんだろ。いったい、何があったってんだ。グラシスも、詳しいこと何も教えちゃくれなくってよ」


「竜車の調達、完了」


 肩を並べ、窮屈に入口を潜った三人組と、眠たげな目のグラシスが後ろに続く。

 そのどやどやと現れた面々を見回し、ラインハルトはまたしても驚きに目を見張った。その年相応より、ちょっと幼く見える顔にフェルトは「はん」と鼻を鳴らし、


「お前、もうちょっと面に人生刻んどけよ」


「フェルト様、これは……」


「何でもテメーだけでできるなんて思い上がんなよ、ラインハルト。お前一人じゃ、こいつら三人といっぺんに手ぇ繋ぐぐれーのこともできねーだろーが」


 そう言って肩をすくめてやると、ラインハルトが見張った目をぱちくりとさせた。それから彼は大きく息を吸い、静かにその瞳の感情をゆっくりと落ち着かせると、


「――はい。僕は、彼ら三人と一度に手を繋ぐこともできない『剣聖』です」


 ようやく、ただの『剣聖』だけでなく、ラインハルトの顔を見せて頷いたのだった。



                △▼△▼△▼△



 その後のことは時間との勝負と、フェルトはラインハルトをこれでもかと酷使した。

 グラシスたちに探させた竜車を担がせ、王都からアウグリア砂丘へひとっ飛びするラインハルトに、途中のアストレア領まで送らせた。


「いってまいります、フェルト様!」


「派手にひゃっぺんぶちのめしてこい!」


 正直、ラインハルトの『風除けの加護』が働いていても、二度とは体験したくない緊急移動だったが、彼に寄り道させた甲斐は間違いなくあった。

 兜ヤローのラインハルト対策が、こちらの想像をはるかに上回る悪質さだったためだ。


 ――砂丘に『嫉妬の魔女』が現れ、ラインハルトがその足止めに踏みとどまったとわかったのは、彼を送り出して半時と経たないうちのことだったのだから。


「まさか、『嫉妬の魔女』とは……現役の頃の儂でも仕込まんような手口じゃぞ。その兜野郎とやら、儂は知らん男じゃが、そこまでイカれた男じゃったのか」


 大きな掌で自分のハゲ頭を撫でるロム爺が、その遠見からの報告に大きく嘆息する。

 領地の屋敷で合流したロム爺は、今はいないエッゾと合わせて陣営の二大頭脳だ。が、そのロム爺の見立てに、フェルトは「んや」と首を横に振った。


「アタシの見たとこ、兜ヤローはそこまでイカれちゃいなかった。見た目と話し方は変わってたけどよ、そりゃクルシュ姉ちゃんとこの猫耳と、エミリア姉ちゃんのとこの黒髪の兄ちゃんだって大差ねーし」


 この事態を引き起こし、敵に回ったアルに対し、しかしフェルトは特段いい印象も悪い印象も持っていなかった。――ただ、他の騎士たちと同様に、仕える主人への忠誠心だけは、軽薄な態度と裏腹にしっかり持ち合わせていたと思う。

 だから――、


「――あのお姫様が死んじまって、それで自棄にでもなったってのか?」


 ――ヴォラキア帝国の内紛に巻き込まれた、プリシラ・バーリエルの死。


 ルグニカ王城に届けられた信じ難い報せは、王都に居合わせたフェルトの耳にも当然のように飛び込んできた。

 正直言って、聞いてすぐには理解できなかったし、今も実感らしい実感はない。

 そのぐらい、プリシラという女は死から無縁の生命力に満ち満ちていたのだ。


「……死なねー人間なんていねー。外野のアタシらは、そうやって無理くり呑み込める。けど、あの兜ヤローはそうじゃなかった」


「しかし、だとして何を目論む? フラムからの報告じゃと、『神龍』を従えとるという話じゃが、自棄を起こして世界を巻き込んだ壮大な自殺か?」


「その線もないじゃねーと思うんだが……」


 自暴自棄を起こし、世界を道連れにしてプリシラの死を弔う。――なんて、そんな方向性の暴発ではないのではないかと、フェルトはそう考えていた。

 もしも、アルの目的がそんなわかりやすい破滅願望だったとしたら、そのための最大の障害は間違いなくラインハルトだった。


「なのに、兜野郎はラインハルトを『魔女』と……『嫉妬の魔女』と組んでぶっ殺さなかった。だから、ひとまず世界滅亡は狙いじゃねえってんだろ」


「お、なんだよ、ラチンス。センセイがいねーからって代わりにご意見番気取りか?」


「茶化してんじゃねえよ。あのな、オレからすりゃぁ、とっととケツまくって逃げてえってのが本音だ。『嫉妬の魔女』まで出てくる事態? 手に負えねえ負えねえ」


 長い舌をこれ見よがしにちらつかせ、ラチンスがフェルトにそう噛みつく。

 その傍らにはガストンとカンバリーの二人もいるが、彼らも「そうだそうだ」と口々にラチンスに焦り顔で賛同し、


「そ、そうだぜ、お嬢! ラインハルトが『嫉妬の魔女』を止めてようが、『神龍』の方は野放しだってんだろ? そんなのオイラたちの手に負えねえよ!」


「それぐらいはフェルトだってわかってんだろ。領地に戻ったのは、万一のために領民連中を避難させるためで……」


「そーだな。そっちの対処もしなきゃならねー」


「ほら見ろ。こう言って……いや、そっちのって言ったか?」


 そのフェルトの返答に、一瞬安堵しかけたガストンが目を瞬かせた。その大男の反応に「おお、言った言った」とフェルトは笑って頷き返すと、


「万一は考えなきゃならねーが、大々的にやって大騒ぎになっちゃ困る。なんせ、お前らですら『魔女』ってだけでビビりっ放しだかんな」


「そりゃトーゼンだろがよ! つか、お嬢もだろ!? 『魔女』だぜ、『魔女』!」


「お前の彼女だって、似たよーな呼ばれ方してんじゃねーか」


「トトが言われてんのは『邪毒婦』だし、オイラの前じゃカワイーからいいんだよ!」


「遊んでんな! 話が逸れてんぞ!」


 唾を飛ばし合うフェルトとカンバリーの間に割り込み、ラチンスがその四白眼を鋭くしながら、「いいか?」と卓上に広げられた地図にドンと手を置いた。


「方針を決めなきゃお話にならねえ。フェルト、どうすんだ」


「はん、多数決なら言うまでもなく逃げの一手だろーよ。けど……」


「――儂らは全員、お前さんのやり方に従うつもりでおる」


 低い声でそう告げたロム爺に、フェルトは軽く息を詰めた。

 見れば、呆れ顔のラチンスと渋面のガストン、生まれたての小鹿みたいに足の震えたカンバリーまでもが、それに言い返さないでフェルトの言葉を待っている。

 まったく、いつからこんなに頼もしい顔ぶれになったのやら、だ。


「昔っからだ。アタシはなんかヤバいことが起こったとき、頭抱えて誰かが何とかしてくれーって待ってんのがすげー嫌いだったんだよ」


「やれやれ、血の気の多い考えじゃな。いったい、誰に似たのやら」


「さてな。育ての親が胸に手ぇ当てて考えてみてくれや」


 ゆるゆると首を横に振った育ての親にそう言って、フェルトは小さく舌を出した。そのまま威勢よく振り返ると、自分の言葉を待つ面々を見渡す。

 そして、告げた。


「ヤロー共、尻を上げろ。――うちのラインハルトをコケにしてくれやがったヤツだ。遠慮はいらねーから、ぶっかましてやろーぜ」



                △▼△▼△▼△



 ――戦うと、そう決めてからのフェルトたちの動きは早かった。


 遠く彼方、東の果てではラインハルトと『嫉妬の魔女』との戦いが続いている。

 そしてそれを誘発させただろうアルは戦場を離れ、『神龍』を連れて砂海を出た――というところまでは正確に相手の動きを捕捉できた。

 問題は――、


「『神龍』が北上した、という目撃証言がある。素直に信じるなら、兜野郎も一緒に動いとるはずじゃ。……つまり、その目的地は北となるが」


「素直にってんなら、ひねくれた考え方もあるってことか?」


「ふむ。聞いた限り、兜野郎はラインハルト対策も含めて周到に計画しておった。なら、そもそも砂丘の出口の宿場町で、何のためにわざわざ目立った?」


「そりゃ、こっちにゃ『龍』がいるぜーって印象付けてーからだろ?」


「そう、印象付けたい。――じゃから、北上する『神龍』は人の肉眼で見つかる高さを飛んでおるのではないか?」


 ひねくれた、と前置きしただけあって、ロム爺の推測は確かに斜め上だ。

 ほとんどの物事にはわかりやすい見方とひん曲がった見方があって、大抵の場合はすんなりわかりやすい見方をする方が正解を引ける。

 ただ、ここでもささやかな引っかかりが、フェルトの気持ちを引き止めた。


「わざと『龍』が北にいくとこ見せたって、何のために?」


「それは無論、本当の狙いを隠すため、じゃろうよ。飛んでいる姿を見せつける『龍』は見せ札……本命は北と東以外、西か南にあると推測するぞい」


「――。お姫様は帝国で死んだ。『神龍』が帝国に一発ぶちかませば、ややこしい因縁だらけのあの国と、ガツンとぶつかり合いが始まる、か? ……いや、ねーな」


 仮に推測が正しければ、確かに王国と帝国との関係に大きな摩擦は生じる。

 しかしそれは、プリシラの死の報せと時を同じくして持ち帰られた、ヴォラキア帝国とルグニカ王国の今後の国交についての国書の内容と著しく反する。

 無論、王国を巻き込むつもりはなく、単純な帝国への報復行為の可能性もあるが。


「それについちゃ、世界巻き込んでの自爆と大差ねーって話になる。そうなると……」


「――どうなる?」


「――アタシの勘じゃ、西だ。真っ直ぐ西か、北西か南西かはわからねーけどな」


「『龍』が陽動なら、北西の線も外れてよかろう。これで、二点に絞れる。あとは――」


「おう、あとは――」




 ――自分たちの読みに全賭けして、フェルトは平野に陣営の全戦力を並べた。

 はっきり言って、アストレア領が保有する兵力というものは多くない。これも、ラインハルトが強すぎるが故の弊害だが、その数少ない兵たちは、相手の通り道になり得る領地からどかすため、避難誘導を任せてあった。

 それでいい。彼らの力は守るためのもの。今、必要なのはそれではなく――、


「――やはり、お前はどうかしているだろうな、娘」


「いやいや、どうかナ。ワタシとしては好ましい決断力だヨ。必要とあらば、暴力の徒であるワタシたちを巻き込むことも躊躇しなイ。支援者として鼻が高いサ」


「あなたの鼻ってどこにあるのかしら? その顔中の刺青の自己主張が激しすぎて、あたくしの目には顔の全体像がちっとも見えないのよね」


 そう口々に思い思いの言葉を述べるのは、集まった戦力のそれぞれの代表だ。

 一人はロム爺に匹敵する巨体と分厚い筋肉の鎧を纏った豚人の大男。

 一人は顔中に青い天秤の刺青が入った異様な風体の奇人。

 一人は状況に似つかわしくない煽情的な衣装で自らを艶っぽく飾った妙齢の美女。


 ――『黒銀貨』と『天秤』、それに『華獄園』。

 並び立ちながらも、一切の友好的な色をお互いに向けない間柄のものたちだが、全員に共通していること。――それは、フェルトの呼びかけに応じ、集まってくれたことだ。


 彼らはアストレア領から北東の都市、『地竜の都』フランダースの黒社会を統べる大物たちであり、フェルトとは以前の事件の折に知り合い、以来交流がある。

 いずれも脛に傷のある悪党たちだが、同時にフェルトの支援者でもある必要悪――それが都合五百人、フェルトの直感を信じ、この布陣に付き合ってくれていた。


「はっ! 壮観壮観! よくもまぁ、こんだけ集まってくれたもんだ」


 手で庇を作り、フェルトはずらりと勢揃いした五百人の悪党たちに声を高くする。

 実際、フランダースの彼らに力を借りようと考えたときは、この十分の一でも集まれば御の字ぐらいに見積もっていた。それが、思いがけずに十倍だ。


「相手はラインハルトを出し抜いたヤツだって言ってんのに……ったく、今それどころじゃねーだろーが、お前に見せてやりてーよ」


 この場にいないラインハルトに、叶うならば思い知らせてやりたいものだ。

 ラインハルトでも及ばない状況で、尻をまくって逃げるのではなく、尻を拭こうとドヤドヤ集まってくる人間がこれだけいることを。


「ま、カンバリーみてーに引っ込みがつかねーヤツもいるだろーけど」


 そうこぼし、首の骨をコキコキと鳴らして、フェルトは仲間を背負いながら振り返る。

 その視線の先、横に並んだ一団の正面にあるのは大きな林――そこに向かい、フェルトは小さな体で目一杯息を吸い、


「――オイ! 聞こえてんだろ? いるのはわかってんだぜ、兜ヤロー!」


 そう、開戦の切っ掛けとなる宣戦布告を放ったのだった。



                △▼△▼△▼△



 ――そんな思いもよらない動きがあったとは露知らず、アルデバランはただただ眼前に広がった予想外の光景に立ち尽くすしかなかった。


「おいおい……」


 思わず乾いた笑みが浮かんでしまうぐらい、アルデバランの計算を狂わせる事態だ。

 まさか、想定の百倍とは恐れ入る。本当に、恐れ入る、事態。

 ずらりと平野に並んだ、見た目の統一感に欠けた一団は、しかし何に敵対するという目標だけはガッチリと共有した、不揃いの鋼の兵団だった。


「――――」


 乾いた笑みを浮かべたまま、アルデバランは途方に暮れる。

 この通り、想定の外側の出来事に呆気なく心を乱すところが、先ほども感心させられたばかりのヤエと自分との違いだ。

 ヤエに一目置かれる所以も、権能という反則技でもぎ取った虚構に過ぎない。

 いずれにせよ――、


「大したもんだな、フェルト嬢ちゃん」


 その驚きの中心にいるフェルトこそが、アルデバランの想定外の立役者。

 そう確信させる佇まいは、またほんの三月ばかり見なかっただけで鋭さをより増している。さすがは、たったの一年でプリシラに自分の敵と認めさせた逸材だ。

 アルデバランとは、世界における重要度が根本から違っている。――さりとて、それを理由に引き下がれるほど、こちらの覚悟も安くはない。


「お出迎えありがとうよ。ただ、オレに構ってていいのかね? こうしてる間も、そちらさんのとこの『剣聖』さんは――」


「――わりーんだがよ」


「――――」


 ひとまずのところ、舌戦に持ち込んで少しでも情報を取ろうとするアルデバラン。だがその言葉を容赦なく遮り、フェルトが頭を掻きながら片目をつむった。

 そして――、


「まずテメーの口を塞げってのが、アタシとロム爺の共通見解ってヤツだ」


「――ッ」


 刹那、湧き立つ怖気にアルデバランが全身を緊張させた。が、遅い。

 その怖気に何らかの反応をするよりも早く、林の出口で身を潜めていた小柄な影が飛び出し、か細い足刀がアルデバランの首筋をしたたかに打っていた。


「か、く……っ」


 強烈な衝撃、脳を揺すられ、アルデバランの膝から力が抜ける。

 視界の端、その一撃をくれた相手がひらりと草原に着地し、その二つ括りの桃色の髪を揺らして、眠たげな眼がアルデバランを見た。

 見覚えのある顔――と、よく似た顔の少女、その正体は。


「フラムの敵討ち」


 短く、淡々とした言葉から、それがフラムの妹だとわかった。

 その少女の一撃で崩れ落ち、意識を手放しかけながら、アルデバランは呟く。


「死んで、ねぇよ……」


 そのまま、ゆっくりと闇の底に消えゆく意識――反射的に、毒を食む。

 奥歯の裏に仕込んだ猛毒の服毒は、アルデバランにとっては人生のあらゆる動作の中で最も回数を費やし、体どころか魂にまで染み込ませた妙技だ。

 こればかりは、たとえ『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアであろうと邪魔をさせない、アルデバランの唯一無二の特技。


 この世にアルデバランより、アルデバラン殺しがうまい人間は存在しないのだか――、



                ×  ×  ×



「――オイ! 聞こえてんだろ? いるのはわかってんだぜ、兜ヤロー!」


 猛毒に脳髄を焼き尽くされる感覚が途切れ、直後に意識の覚醒を促したのは、気持ちのいい敵意を孕んだ威勢のいい声だった。

 再定義されたマトリクス――フェルトからの宣戦布告のタイミングに、アルデバランは舞い戻り、頭の中で一回目のカウントを数える。


「おい! 今の声、あの金髪のガキだ! ラインハルトの主人だぞ! なんだってこんなところに……見つからないはずじゃなかったのか!?」


 慌てふためくハインケルと、それを煽るように宥めるヤエとのやり取りを横目に、アルデバランは直前に拾ってきた情報による、戦況の更新を頭の中で行った。

 事前に予想されたフェルト陣営の戦力の更新――それも、大幅な更新が必要だ。


 なにせ、元の予想はチンピラ三人組と老巨人、それにフラムの妹でせいぜい五人。それがざっくりと百倍――五百人以上の団体様で、待ち伏せされていたのだから。


「ずいぶんとまあ、厄介なブレーンがついてやがるな」


 それは、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアとの決戦、それとはまた異なる形でのアルデバランにとっての最悪――、


「……本気で、オレの一番嫌な戦法を突いてくれるぜ、フェルト嬢ちゃんよ」


 ――数で攻め立ててくる敵とアルデバランとの、避けられない戦いが始まった。


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― 新着の感想 ―
「わたしは何に、加担したの?」 加担って言ってるの、この後スバルが自殺したのを自分のせいだと思ってしまいそうでつらい。ペトラ強く生きて。
やばいいいいいいい 追いついちゃったあああああああああああ
不可能な偶然、狂ったような偶然、今回は何が起こるのか、何が展開するのか…これがReZeroのやり方で、最高のやり方だ。いつか、15年や20年前のあのすごい探偵小説の再現みたいなものが出てくるだろう。次…
2025/01/25 00:19 退会済み
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