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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章17 『どうか、許さないで』



 ――青々と瑞々しい草原の小高い丘に、日除けの傘と白いテーブルが置かれていた。


 抜けるように青い空と、黒髪を揺らす弱い風。いつの間にか座らされた椅子、白いテーブルを挟んだ向かいに、白く、黒い少女がお茶を堪能している。

 温かな湯気が立ち上るティーカップ、しかし、香りを感じない。――まるで、お茶という要素の外側だけを真似し切ったような、ハリボテの作風。

 そんな、ズルい印象を覚える相手だった。


「俺は、どうなった?」


 問いかけ。

 それは、直前まできたしていた混乱の答えを求めるもの。


「それは自分でも、理解しているんじゃないかい?」


 答え。

 それは、直前まできたしていた混乱の答えとは言えないもの。


 はぐらかされたような感覚への苛立ちと、起きた出来事への不満を目の前の少女にぶつけそうになるのを理性的に抑える一心。

 そしてそこに一つまみ含有される、傍観者としての『自分』の視点。


「エキドナ! 今すぐここから俺を出せ!」


 焦りと衝動、それをあえて勇気と取り違えて突き動かし、会話を進展させる。

 緑の丘の上、自分は『魔女』を名乗る少女と対峙し、またしても不可解な感覚に襲われている。――そう、またしても、だ。


 何度も、何度も何度も何度も、そうだった。

 常に、いつも、どんな状況でも、あらゆる出来事は不可解と不条理の連続だった。その全部に対し、歯を食いしばり、懸命に顔を上げ、挑み続けてきた。


 ――挑み続けて、くれていたのだ。


「試して、みるといい」


 ――お願い、やめて。

 ――お願いだから、やめて。その先を、言わせないで。言わせないで。


「望みの結果を得るために、行動することは尊い。その考えは変わらない。そしてその行動に出るものにこそ、生きる価値があるとボクは思う」


 ――お願い、やめて。お願い、やめて。お願いだから、やめて。

 ――やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて。


 ――やめて。


「エキドナ。俺は『死に戻り』をして――いる」


 ――ああ、ああ、ああ、お願い。


 ――お願い、苦しまないで。

 ――お願い、泣かないで。

 ――お願い、傷付かないで。

 ――お願い、怖がらないで。

 ――お願い、笑わないで。

 ――お願い、許さないで。


「君の何故という問いかけを資格に、茶会の扉は開かれた。そして、魔女の差し出した茶を口にした君は立派な参加者だ。茶会の主として、ボクには君を歓待する義務がある。――さあ、言ってごらん」


 ――お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願いだから。

 ――お願いだから、やめて。



「答えを出すために頭を悩ませることも、またボクにとっては至福なんだから」


 ――お願いだから、あなたがこの人を救わないで。



                △▼△▼△▼△



 ――精神の消耗というものは、肉体の疲労と違って目に見えないのが厄介なところだ。


 もちろん、頭がうまく働かないだとか、神経が高ぶってしょうがないだとか、目の下に底なし沼よりもどす黒いクマが出ただとか、そういうわかりやすいものもある。

 しかし、そうしたわかりやすいものは肉体的な変調で、結局のところ、肉体の疲労と大きな違いはない、というのがアルデバランの結論だ。


 本当の意味での精神の消耗は、ほぐすために触れられもしなければ、癒すために魔法をかけることもできない、そういうものだ。

 そして、その摩耗した精神を立て直すのに必要なのは、言葉でも絆でもない。――身も蓋もない話だが、必要なのは時間だ。

 時間だけが、ギザギザに削れた精神を平らに均すだけの思いやりをくれる。

 だから――、


「――領域再展開、マトリクス再定義」


 ぼそりと呟いて、アルデバランはようやく落ち着いたとマトリクスを更新した。

 ざっくりと、六時間ぶりのマトリクスの更新――実時間の進行しない、自分の体感時間としての時間をいくらでも引き延ばせるのがアルデバランの権能の最大のメリットだ。

 設定した領域内であれば、毒を呷ることで何度でも決まった時間を繰り返し、精神を均す時間を捻出できる。ラインハルトとの戦いも、事前に用意したプランに引き込むための微調整にはこのメリットを最大限利用させてもらった。


「まぁ、ほぼ全部無効化されてんだが……」


 最終的に、切りたくなかった手札を切らされての決着だったので、アルデバランからすれば勝ったとは言い難く、よくて痛み分け。もっとはっきり言えば、両方負けだ。

 ともあれ、うまく働かない頭も、高ぶった神経も、多少はマシになった。

 生憎、目の下のクマはどうなったかわからないが、メイクで隠す時間も惜しいので、ボロボロの心身にピッタリの黒くてゴツゴツした兜でコーディネートは間に合わせ。


 実際、ボロボロの心身とは言ったものの、体の調子はすこぶるいい。

 最強の超生命体である『龍』の無尽蔵――は言いすぎだが、莫大なマナを使いたい放題使える状態なのだ。水魔法の癒しも陽魔法のバフもモリモリの、産声を上げて以来、最強のアルデバランがここにいる、と言って差し支えないだろう。


「とはいえ、蟻がパワー百倍みたいな話だから、どれだけバフ積みしても人間には勝てねぇんだよな……」


 ましてや、相手はその基準で比べるなら人間ではなく、象やライオンだ。

 悲しいかな、元々の容れ物のスペックで負けている以上、アルデバラン史上最強のアルデバランだろうと、真っ向勝負ではやられ役以外になりようがない。

 と、そんな悲しい自己評価はさておき――、


「――七日」


 片膝を立てて、汚れた木板の壁に寄りかかるアルデバランは期限を数える。

 休息地に選んだこの場所は、ヤエが見つけてくれた林中の狩猟小屋だ。幸い、季節違いか持ち主が不在だったので、勝手に上がって使わせてもらっている。

 ふかふかのベッドや露天風呂、なんて好待遇は望めないが、誰の人目にもつかないという点が、今のアルデバランにとってはスイートクラスも同然の好条件だった。

 ここからは可能な限り、避けられる戦いは避け、イベントを素通りしなくては。


 アウグリア砂丘の最寄り町、ミルーラでの振る舞いは例外だ。

 味方との合流地点かつ、本当にミルクが飲みたくてしょうがなかったというのもある。あるがそれ以上に、あの町の住民たちには起きている出来事の規格外さと、そこから救ってくれるものの不在を知らしめる必要があった。


 なにせ、十数キロしか離れていないところで、地上最強決戦が起きているのだ。

 アルデバランの策略が誘き出した『嫉妬の魔女』を、ラインハルトは死に物狂いで止めることだろう。だが、その余波が砂海の外まで及ばない確信はない。空がピカピカ光りっ放しの状況で落ち着けるはずもないが、避難は必須だ。

 そして、アルデバランの定めた七日の期限も、その戦いと無関係ではない。――というか、むしろ密接な関わりがある。


 アルデバランの知る限り、『剣聖』と『嫉妬の魔女』とは互角。その戦いは千日手で、繰り広げられる一進一退の攻防に決着はつかない。

 だが、それは『剣聖』と『嫉妬の魔女』との間に限った話だ。

 アルデバランの画策により、その両者の戦いが実現した今、それが本当に千日続くかと言えば、そんなことにはならない。

 何故なら――、


「あいつらの決着の前に世界の方が壊れちまう。そうなっちゃおしまいだ」


 その世界滅亡が起こる前に、あの戦いにも終止符を打つ必要がある。

 そういう意味では、自分でマッチメイクしておいてなんだが、あの頂上決戦も世界を終わらせる要因になり得るので、アルデバランが取り除くと宣言したものの一つだ。


「やることが……やることが多い……」


 兜越しに額に手をやりながら、アルデバランは長く重たい息を吐く。

 権能のおかげで精神の消耗は抑えられ、肉体的な疲労は水魔法と陽魔法で強制的に回復したものの、考え事と抱えているものの大きさでキャパオーバーしそうだ。

 無論、これを始めた時点で、泣き言なんて誰にも聞かせられたものではないが――、


「――な~んてつまらない意地張ってないで、誰かにぐで~っと寄りかかっちゃうのも一個の手なんじゃないです?」


「……ヤエか」


「はいはいはい、アル様の万能お役立ちシノビメイド、ヤエでございますよ~」


 気配も足音もなく、文字通り、影からぬっと生えてくるみたいな現れ方をした少女――ヤエが微笑みながらそんな軽口を叩いてくる。

 後ろ手に手を組んで歩み寄ってくる彼女に、アルデバランは肩をすくめ、


「万能とお役立ちはともかく、シノビメイドは属性の過積載だろ」


「そです? これでも、美少女とか可憐とか愛くるしいとか泣く泣く削ったんですけどね~。じゃあじゃあ、アル様なら私のこと、なんて評価してくださいます?」


「……猫系屈服シノビメイド?」


「う~わ、女子にモテなさそうな発想。しかも、シノビメイド入ってますし」


 わりと本気で蔑んだ目をされ、アルデバランは「うるせぇな」と舌打ちした。

 こっちは真剣に頭を悩ますべき課題と向き合っている真っ最中なのだ。それを、ご機嫌取りする必要のない味方の軽口で時間の浪費をしたくない。


「大体、お前には親父さんを見てるよう言っといただろ。あと、林の抜け道の確認と、小屋の周りの警戒と、飯の準備も」


「それ、自分で言ってて超ブラック~とか思いません? 働かせすぎをアル様語でそう言うんでしょ? 今、超ブラック~ですよ」


「万能お役立ちシノビメイドなんだろ。名前に恥じない働きをしろよ」


「ホ~ント、アル様ってば鬼と畜生合わせて鬼畜ですよね~」


 べ、と舌を出し、ヤエが不満を隠さない様子で言い返してくる。そのヤエをじろりと睨みつけてやると、彼女は「わかってますって」と指を立て、


「食事の用意できてます。シノビの糧食ですけど。小屋の周辺の警戒、完了です。こんな林でも魔獣っているもんですね~。その林については、足場の悪くない道を見つけておきました。もうちょっと足腰鍛えた方がいいですよ。それとハインケル様ですが……」


「ですが?」


「生かしておいてもお荷物なので、魔獣除けのための生餌に……も~、そんな顔しないでください、冗談ですってば」


「顔見えねぇだろ」


「気配が見えるんですよ。アル様はだいぶうるさめです」


 わかるようなわからないようなことを言って、ヤエがプイと顔を背ける。が、アルデバランは視線を逸らさず、彼女のその横顔を睨み続けた。

 やがて、彼女は根負けしたように深々とため息をつき、


「ハインケル様なら括ってあります。目が覚めたらちゃんと私がわかりますし、無理して逃げようとでもしたら、手足がバラバラですよ」


「バラバラ、ね。あの親父さんを、できるのか?」


「頑丈って言っても、鋼人じゃないんですから脆い部分はありますよ。私の技はそういう部分を突く技です。大体、できるって言ってもしたら怒るんですよね?」


「そりゃな」


「じゃあ、しませんよ~だ。アル様を怒らせても、私にメリットないですし?」


 逆らいませんと両手を上げて、無害をアピールするヤエに肩の力を抜く。

 口調は軽いし、悪ふざけもあるが、ヤエの言葉に嘘はないだろう。ここで何かを企めるほど、アルデバランがヤエにした仕打ちは生易しいものではない。

 できるだけ、徹底的に、容赦なく、彼女の反抗心――否、心をへし折った。

 今、ヤエ・テンゼンがアルデバランに協力するのも、それをした結果なのだから。


 ――ヤエ・テンゼンは、プリシラ・バーリエルの命を狙って送り込まれた暗殺者だ。


 王選への参加表明により、プリシラ・バーリエルの存在はヴォラキア帝国にも知られることとなり、彼女が帝国の皇位継承を巡る『選帝の儀』の決着を逃れ、他国で生き延びていたプリスカ・ベネディクトだと気付くものが現れるのも時間の問題だった。

 ヤエは、そんな王国で煙を立て始めたプリシラという火種に水を浴びせるべく、帝国の『九神将』チシャ・ゴールドが送り込んだ刺客だったのである。


 実際、シノビである彼女の潜伏は見事なもので、プリシラの侍従として採用された彼女はバーリエル領でも働き者のメイドとして活躍し、プリシラからも気に入られ、シュルトからも大いに慕われていた。アルデバランも、親しみやすい同僚だと思っていた。

 しかし、ヤエは当初の目的を忘れず、プリシラの命を狙った。

 だから――、


「あの日のアル様ったら怖かったですよ~。私、里の修練って名目で、この世のひどいこと大体この身で味わってきましたけど……あんな怖かったの、生まれて初めてです」


「……チクチク、オレの胸が痛くなる話だな」


「心の痛みぐらい味わってくださいよ。あの日以来、そんな怖いアル様の忠実な僕をやらされてる私の気持ちになったら耐えられるはずです。奥様からもシュルトちゃんからも遠ざけられて……アル様の言いなりになって、好き放題にこの体を……っ」


「指一本触れてねぇけど!?」


 自分の細い肩を抱いて、同情を買うような媚びたヤエの声音にそう反論する。

 人聞きが悪いにもほどがある発言、もちろん、他の耳がないところで言ってきたのは、アルデバランに対する嫌がらせか牽制なのだろう。

 だが、ヤエはそんな認識のアルデバランに流し目を送ってくると、


「……いよいよ、指一本と言わずに触れてみます? ずいぶんとお疲れのご様子ですし、そんな弱ったアル様をお慰めするのも、私、構いませんよ?」


「――――」


「あら? あららら~? だんまりということは、選択肢に浮かびました? でしたら私、気の変わらないうちに寝床のご用意を……」


「違う、なんて言って黙らせるか悩んでたんだよ。第一、お前……」


「なんです?」


「オレとそういう関係になっても意味ねぇって、自分でも言ってたよな?」


 艶やかな雰囲気を醸し出すヤエを指差し、アルデバランはその真意を問う。

 生憎と、ヤエがどれだけ艶っぽい誘い文句を口にしようと、アルデバランがそれに乗っかることはない。これでも、アルデバランは十年以上も治安最悪の剣奴孤島で剣奴として過ごしていたのだ。その手の営業トークは聞き飽きている。

 それに、ヤエがこんな風にアルデバランを誘うのもこれが初めてではない。故に、断るのも初めてではないのだが、ヤエが残念そうに自分の体を撫で付け、


「一応、これもシノビの武器なんで、すげなくされると傷付くんですけど」


「通じねぇ武器に固執すんなよ。手段と目的を履き違えると碌なことにならねぇぞ」


「それはまぁ、ごもっともな忠告ですね。――アル様の情をいただけば、私の明日もずっと安泰、な~んて希望は奥様が亡くなられて潰えましたから」


「――――」


「怖い顔、見えてますよ?」


 小首を傾げたヤエの言葉が、アルデバランの心を鋭い刃で傷付ける。

 悪気がないはずもない。ヤエはアルデバランを傷付ける気満々だし、アルデバランもその刃を甘んじて受け入れる。お互いに明言したわけではないが、アルデバランはプリシラの命を守るつもりだったし、ヤエも奥様――プリシラの命は守られると思っていた。

 その、暗黙の了解が破られた今、ヤエからの責め苦は当然の罰だった。


「話が違う、とは言いませんよ。口に出して確かめたわけじゃなかったですから。ただ、アル様は奥様を愛してらしたから、当然守り抜くものと思ってました」


 自分の唇に触れながら、ヤエの紡ぐ言葉がアルデバランをズタズタに切り裂く。

 黙って、その刃の切れ味を味わいながら、アルデバランは続く言葉を聞く。それが自分が受けるべき、明確な罰だと――、


「――勘違いしないでくださいね。私は、アル様が奥様を守れなかったことを責めてるとかじゃないですよ?」


「あ?」


「奥様のことは好きでした。命令なので殺そうとしましたけども。高貴で聡明でお美しくて、あれで案外お優しい。でも、死んでしまったなら仕方ありません。死んだものは戻りませんから。何やら、帝国では戻りかけてたらしいですけどね~」


 そこまで帝国の出来事の詳細を共有していないのに、どこで聞きつけたのか『大災』のことを話題に出してくるヤエ。だが、アルデバランの意識は情報の出所よりも、ヤエの真意の読めない話運びの方にあった。


 ヤエにアルデバランを責めるつもりがないなら、プリシラの死をあげつらい、こうしてアルデバランを口撃してくるのは、何のつもりなのか。


「私の言葉はただの言葉ですよ~。それでアル様が勝手に傷付かれてるだけです。私はただ、説明責任を果たしてるだけですってば」


「説明責任、だぁ?」


「ご自分で聞いてきたんじゃないですか。私がアル様をお慰めしようとする目的はなんだ……ま~、言い方はもうちょっと大雑把でしたかね?」


「――――」


「以前は、アル様の情をいただいて守っていただくためでした。でも、それも絶対じゃないとわかりましたので、そのときと同じ目的ではないないです」


 言いながら、ヤエはゆっくりとアルデバランの真ん前にやってきて、膝を畳む。そうして彼女は、汚れた床に座ったままのアルデバランと目線を合わせ、


「今のアル様をお慰めする提案は、誘惑じゃないです。言うなれば、保険ですよ」


「保険……」


「アル様、もう始めちゃったじゃないですか~。良くしてくれた方々も裏切って、『剣聖』の足止めに『嫉妬の魔女』まで解き放って……止まれませんし、止まってもらっても困りますし、失敗なんてされたらたまったもんじゃないんです。だから~」


 そこで言葉を切り、ヤエがそっと白い指を伸ばし、アルデバランの首に触れてくる。その、爪の短い指先で首筋をくすぐりながら、ヤエは囁くように耳元に唇を寄せ、


「どうか、アル様の目的を遂げてください。そのためなら、私の体でも能力でも技術でも何でも使ってください。気休めか八つ当たりのためのお慰めになります」


 吐息は熱っぽく、自分の存在全てを捧げると訴える声に偽りはなく、ヤエはその口元にちらりと覗く八重歯を見せて、続けた。

 それは――、


「――そうして、目的を遂げたらちゃんと死んでください。アル様が死んでくれないと、私、もう一生安心なんてできそうにないんです」


 それまでで一番、ゾッとする艶っぽい声色で言って、ヤエが微笑んだ。

 それが、ヤエ・テンゼンが世界を敵に回してでも、アルデバランに協力する理由。――そして、アルデバラン本人も納得済みの結末。


 最初からわかっている話だ。

 アルデバランが目的を成し遂げたとして、それでこれまでのアルデバランの行いが許されたり、放免されることはない。ましてや、認められることも理解されることもない。

 理解されたくもない。許されたくもない。どうか、どうか、許さないでほしい。

 全てが終わったあと、必ずやアルデバランは火炙りとなるのだ。


 その火炙りの結末が、ヤエ・テンゼンの望み――否、アルデバランの望みでもある。

 目的を果たしたあとなら、喜んで火炙りにされてやるとしよう。そうして、自らを焼いて祖国を救った彼女と同じように、アルデバランもまた灰になる。


 ――そのときようやく、アルデバランは領域を解き、マトリクスを破棄できるのだ。


「――――」


 互いに沈黙し、息のかかる距離でアルデバランとヤエが見つめ合う。

 そこに、男女の色気のようなものはなく、あるのは怪物に命の鎖を握られた哀れな娘と、張り切って怪物を演じる愚かな道化の乾き切った悲惨さだけ。

 そのまま、視線の交錯がしばらく続き――、


「――ぐああああ! な、なんだ!? どうなって……ぐあああ!?」


 不意に、アルデバランでもヤエでもない、第三者の声が二人の空間を無粋に割った。

 聞こえてきたのは、どうやら目を覚ましたらしいハインケルの絶叫だ。先ほどのヤエの報告が事実なら、下手をすればバラバラになる括られ方をしているそうだが。


「……親父さんがばらけちまう。その前に、ほどいてやりにいけよ」


「誤魔化すんですか? ハインケル様なんて、ばらけても別にいいでしょう」


「よくねぇよ、親父さんには約束してんだ。全部片付いたら、『龍の血』を用意する。オレは約束は守る。……約束は、大事だからな」


「約束……じゃあ、私ともしてくださいますか、約束」


「――――」


「約束してくれるなら、約束守ってくれるなら、いいですよ。どきます。ハインケル様もばらけさせません。ヤエは、あなたの忠実な僕です」


 ちろと赤い舌を覗かせ、細めた瞳の奥に殺意を隠しながら、ヤエが問うてくる。

 そんな彼女の言葉に、アルデバランは兜の中で目をつぶり、それからゆっくりと右手を持ち上げ、小指を立てた。

 それを見て、きょとんと年相応の少女のような顔をするヤエ。――前にプリシラも、こうして立てた小指を見せたとき、同じように虚を突かれていたのを思い出す。

 思い出しながら、


「お互いの小指を絡めて、指切りげんまんってやるのがオレの約束の儀式だ」


「小指を絡めて……や~らし~」


「やらしくねぇ。やらねぇならいいよ」


「やりますやります。ほらほら、ヤエちゃんの小指とアル様の小指が絡まりました」


 その言い方がいやらしいが、アルデバランはもはやそれには何も言わなかった。そのまま、お互いの小指の絡んだ手を上下に揺すって、


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。――指切った」


 そう、自分の終わりを約束する指切りを終わらせた。

 それをひどく喜ぶヤエの様子は、死を望まれるアルデバラン的には複雑だが、確かに省略した美少女も可憐も愛くるしいも似合う、シノビメイドだなと思った。


「だ、誰か、誰か何とかしろ! ぐ、が! ぐああああ!!」


 なおも放置されるハインケルの痛々しい苦鳴が、林の中に高々と響き渡っていた。



                △▼△▼△▼△



「クソったれ、覚えてろよ、メイド……っ」


「そんな汚い言葉を使われないでくださいよ~、ハインケル様。見ての通り、私たちは孤立無援で人手不足、ハインケル様の見張りになんて無駄な人員は割けませんって」


「だったら素直に寝かしておけばいいだろうが! 無駄に縛って吊るしやがって……」


「多少、血を見た方が落ち着かれるかも~って思ったんです~。か弱いヤエの、この陣営を壊さないための可愛い生存戦略じゃないですか」


「この……っ」


 首筋に入った赤いライン――血の滲んだそれをさすっていたハインケルが、口の減らないヤエの態度に憤慨し、思わず腰の剣に手を伸ばす。

 が、同時にヤエの目に剣呑な光が宿るのを見たアルデバランは、「待て」と二人のやり取りに口を挟まざるを得なかった。


「ヤエ、煽るな。親父さんも、ヤエがこんな奴ってことは……」


「知らねえよ! 俺がきたときには、もう屋敷にいなかった女だぞ」


「そうそう、私とハインケル様はお屋敷の入れ違い勢ですよ。この美人で有能なヤエちゃんの代わりがハインケル様だなんて、シュルトちゃんもショックだったでしょ~ね」


「……意外と、シュルトちゃんは親父さんと仲良くやってたぜ」


「へ~、ホントに意外です。ご自分の息子さんとは全然ダメなんでしょう?」


「この……ッ」


「ヤエ」


 またしても、わざとハインケルの神経を逆撫でするヤエに、アルデバランは厳しい目を向けるが、それに彼女は「申し訳~」と手礼するばかりだった。

 二人を対面させたのは、ハインケルに今回の話を持ちかけ、先に帝都を発たせてヤエと合流させたのが初めてだったが、思った以上に相性が悪い。ハインケルがヤエを気に入らないのはともかく、ヤエもハインケルを相当嫌っているようだ。

 正直、ヤエらしくないほど、わかりやすくハインケルには隔意がある。


「悪いな、親父さん。けど、あんたもヤエもこっから先に欠かせない役回りなんだ。仲良くしてくれとは言わねぇから、うまくやってくれ」


 なので、アルデバランはヤエの方に態度を改めさせるのを諦め、ハインケルの方に妥協をお願いすることにした。ハインケルには悪いが、『龍の血』を欲する以上、彼はアルデバランの方針にも意見にも逆らえない。大人しく、利用されてもらう。

 そんな、当然反発があるだろうというアルデバランの予想に反し、ハインケルは「わかってる」と短く告げたあと、


「それより、本当なんだろうな。あと七日で、ケリを付けるってのは」


「――。ああ、本当っていうか、本気ではある。本気で、七日で決着するつもりだ」


「そうしたら、俺にボルカニカの『龍の血』を寄越す。絶対に、その約束を違えるなよ。……それと、『嫉妬の魔女』は」


「そっちも、引っ込める方策は考えてあるさ。あんたの息子が『嫉妬の魔女』との戦いでどうにかなる前に、な。心配いらねぇよ」


「心配なんざ……!」


「――――」


「心配、なんざ……っ」


 表情を苦々しいもので曇らせたまま、ハインケルはそれ以上を絞り出せない。そんなハインケルを無言で眺めたあと、アルデバランは前に向き直った。

 先導するヤエに続いて、アルデバランたちは潜伏していた林の外へ向かっている。

 前述した通り、避けられなかった『剣聖』との衝突を乗り越えた今、アルデバランたちは可能な限りのトラブルを避け、目的地を目指さなければならない。


 そのためにも、ずっとずっと、ルグニカ王国を横断し、西進し続けなければ。


「でも~、邪魔者なしなんてそんなにうまくいきますかね? だって、アル様のやらかしって、もう『剣聖』様の関係者に知られてる可能性高いんですよね?」


「やらかしとか言うなよ。……まず間違いなく、オレの裏切りは知られてる。フラム嬢ちゃんが妹ちゃんに連絡したとき、『剣聖』が一人でいたとは思えねぇし、誰にも言わずに飛び出したって線もねぇはずだ。だから、それを逆手に取る」


「逆手っていうと、それが『神龍』様?」


「そうだ」


 ヤエの疑問に受け答えしながら、アルデバランが林の木々に遮られる空を指差す。

 こうして林中を進むアルデバランたちに、『アルデバラン』は同行していない。無論、あの図体がメチャメチャ目立つからというのもあるが、そのメチャメチャ目立つ図体と知名度を使って、やってもらいたいことがあったからだ。


「ひとまず、『神龍』にはオレたちと違う方角……北に飛んでもらった。そこで散々注目を集めてもらって、オレたちから意識を逸らす算段だ」


 フラムの『念話の加護』の正確性ははっきりわからないが、アルデバランの裏切りに加え、『神龍』ボルカニカの敵対まで情報として伝わっているなら、目撃されるボルカニカの存在は王国を挙げての脅威となり、注目の的となる。

 ラインハルトがいない以上、騎士団クラスの戦力を動員しなければ、そもそもボルカニカと交渉のテーブルに着くことさえできない、という見方になるはずだ。

 そして――、


「当たり前だが、最大戦力とオレが一緒にいるってのが相手の想定だろう」


 わざわざ、味方に付けた『神龍』から離れるという発想には誰も至れまい。

 だが、アルデバランの目的からすれば、必要以上に目立つことは無意味であり、必然的に目立つ『アルデバラン』は団体行動からハブるべき存在なのだ。


 アルデバランの『死者の書』を読み、目的も計画も思惑も共有している『アルデバラン』は、自分に課せられた役割をうまく果たしてくれるだろう。

 その間に、アルデバランたちは首尾よく、目的との物理的な距離を詰める。

 そのためにも、ヤエのシノビとしてのスキルは大いに役立って――、


「――アル様、問題発生です」


 ふと、足を止めたヤエにそう言われ、アルデバランは息を詰めた。

 最後尾を歩いていたハインケルも立ち止まり、「おい」とヤエに呼びかける。その呼びかけに彼女は応じず、視線を静かに林木の向こう――林の外へと向けながら、


「最もと悪いを合わせて最悪ですけど、待ち伏せされてます」


「――っ」


「はあ!? 待ち伏せだぁ? どうなってやがる。『龍』の目眩ましは!」


 思いがけない事態を報告され、頬を硬くするアルデバランと、声を荒げるハインケル。怒りよりも動転の大きいハインケルに、声を出さないまでもアルデバランも同じ意見だ。

 待ち伏せ、なんてされるはずがなかった。『神龍』ボルカニカの存在は無視できない。それこそ、『神龍』ボルカニカの強さ以外に着目できなければ――、


「――オイ! 聞こえてんだろ? いるのはわかってんだぜ、兜ヤロー!」


「――――」


 こちらが息を呑むタイミングを計っていたみたいに、ドンピシャで投げつけられた声。

 だが、違う。そうではない。タイミングを計っていたわけではない。持たざる者とは違い、持つ者とはこういう場面で決してタイミングを外さない。


『太陽姫』プリシラ・バーリエルがそうだった。

 だから、そのプリシラ・バーリエルと肩書きを同じくし、王国の頂という同じ座を競い合う間柄だった彼女にも、同じ奇跡が宿ったというだけの話。


 林の外で、アルデバランたちを待ち受ける『金獅子』の再来――、


「うちのポンコツ騎士が世話になったらしいじゃねーか。しょうがねーから拭いてやるよ。――他人に拭かれ慣れてねーだろー、アイツの尻を、アタシがよ」



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― 新着の感想 ―
なんかまじでスバルの下位互換、または出来損ないって感じ。悪役でも結構応援できるキャラ多いけど、アルは無理…好きになれない。スバル早く復活して〜
的外れっぽいけど、アルが異世界にきて19年で茶会の前にエキドナと面識があるってことはアルは400年前からタイムリープしているってことじゃないのかな
四年程前から考えてる「サテラ≒ペトラ」が現実になりそうで怖い
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