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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章10 『リミットは三日』



 ――大図書館プレイアデス。


 それは、初めてここへスバルたちを招いたとき、シャウラが口にした塔の正式名称。

 そんな賢そうな単語を彼女が独自にひねり出せる印象はないから、おそらく、シャウラに塔の管理を命じた『お師様』から教わっていたものなのだろう。

 そうして教わった単語を、必要な説明を、シャウラは四百年間愚直に覚えていて、それをあのとき、ようやっと披露することができたのだ。

 そして今――、


「――大図書館プレイアデス、その『死者の書』の書庫である『タイゲタ』だ」


 そう言って、両手を広げたエッゾの後ろに、ずらりと並んでいる書架の列。書架は下の四層からの階段を中心に円状に並び、それが何列、何十列と並んだものだ。

 プレアデス監視塔の円周がかなり大きいことを計算に入れても、収まり切るはずのないスペースが使われたそこは、おそらく空間に何らかの拡張がかかっているのだろう。


「陰魔法ならできないことではないのよ。ただ、術者もなしに、何百年も解けない形で術式を組むのは人知を超えた手腕かしら」


 と、スバルの抱いた疑問に、ベアトリスが神妙な顔で答えてくれた。

 陰属性の大精霊であるベアトリスだ。塔にかけられた高度な魔法を感じ取り、落ち着かない気持ちになるのも自然かもしれない。

 ともあれ――、


「――――」


 初めて書庫を訪れた組、ガーフィールとペトラは声もなく目を見開いて、あまりの書架の数――否、収められた本、すなわち『死者の書』の多さに驚嘆していた。

 それはそうだろう。スバルも最初にこの『タイゲタ』にある本の正体を知ったとき、理屈の上では理解できても、膨大な数の死者の存在を感じ取って絶句したものだ。


「これが全部……死んじゃった人の本、なの?」


 ぽつりと、呆気に取られた声をこぼすペトラ。

 微かに目を泳がせ、呆然とした反応をしている彼女に、スバルはそれが自然と思う。このところ、だいぶ肝が据わったペトラは、どんな事態に直面しても大人顔負けの度量を発揮する場面が多かった。それこそ、アウグリア砂丘に挑戦した多くのものを苦しめた『砂時間』に遭遇しても、きびきびと砂風に対処していたくらいだ。


 そのペトラをして、平静ではいられない異質さが『タイゲタ』にはある。


「――ッ」


 それは、小さく喉を鳴らし、ぐるぐると書庫を見回しているガーフィールも同じだ。

 むしろ、陣営の中でもエミリアとツートップで物事を素直に受け止める彼は、『死者の書』の持つ異質な厳かさより、その蔵書数に圧倒されているのかもしれない。

 折しも、直前にヴォラキア帝国で屍人の軍勢――それこそ、大量の死者の復活と再びの死を見届けたことも、その感覚に拍車をかけているかもしれなかった。


 そんなペトラとガーフィールの反応も、スバルの気掛かりではある。だが、一番気掛かりだったのは、二人と同じくここを初めて訪れ、その目的があった人物――、


「――――」


 小さな吐息をこぼし、しげしげと書庫の中に首を巡らせるアル。

 その呆気に取られ具合はペトラより大人しく、書庫を見回している首の巡りはガーフィールより緩やかで、しかし、だからこそ緊張感があった。

 その姿はスバルも、声をかけようとする口の中が乾き、躊躇いが生まれるほどだ。

 ただ、そんな躊躇いの間に――、


「――読めねぇ」


 と、何気なく書架の一つに歩み寄ったアルが、自然な動きで本を一冊抜き、それを器用に肘を支えにしながらパラッと開いていた。

 その仕草があまりに躊躇いがなく、自然体だったものだから、スバルも「ばっ!」と反応するのが遅れてしまう。


「ま、待て待て待て! いきなりいくな! ビックリするだろ!」


「ん……ああ、悪ぃ。いざ目の前に出てきたもんだから、つい」


「未知のもんにいきなりいく方がおっかなくねぇか!?」


 そう言いながら、スバルは慌ててアルの手から本を取り上げる。

 その即断行動には大いに驚かされつつ、同時に改めてアルの危うさを痛感した。ここまでの旅路、態度にこそ強く出していないが、書を求める気持ちの強さ故だろう。

 それは理解を示したい。が、一方で無茶を咎めないわけにもいかない。


「ちゃんと話しただろ。ここの本は、こう、お前が想像してるよりもずっとぐわっとくるもんなんだよ。俺は危うくメィリィになりかけたくらいだ」


「どおいう冗談よお! 怖いこと言わないでよねえ!」


 名前を例に出されたメィリィが抗議の声を上げているが、これはスバルの冗談でも何でもなく、『死者の書』が持つ恐るべき実在感の弊害だ。

 以前の旅で、メィリィが命を落としてしまった周回――あのとき、スバルはメィリィの『死者の書』を読み、精神に大きな負荷をかけ、自分の中に、存在しないメィリィを宿すほど重たく彼女の人生に浸かることになったのだ。

 正直、彼女が戸惑うほどの親しみや親愛をスバルがメィリィに感じているのに、『死者の書』の影響がまるでないとは言えない。人が共感や理解によって相手への親しみを覚えるというなら、『死者の書』は究極の仲人だった。


 もっとも、本来の『死者の書』であれば、死した相手と生きた状態で再会するなんて機会は絶対に訪れないのだから、そんな展開はスバルにしか起こり得ないのだが。


「だから、扱いは慎重にだ。自分が自分じゃなくなりかねないぞ」


「自分が自分じゃ、か。……ある意味、望むところかもな」


「アル……」


「冗談だよ、冗談。笑えない、カスみてぇな冗談だ」


 どこか自暴自棄な言葉をこぼすアルの痛々しさに、スバルは頬を硬くする。

 立ち直る切っ掛けになればと、スバルはアルの頼みを聞き入れ、塔へ連れてきた。しかし、それが荒療治どころか、傷を深める結果になるのではと迷いが強くなる。


「今しがた、ナツキ殿が諭してくれた通りだ。アル殿の不用意な行いの叱責はすでに済まされたとして、ガーフィール殿やペトラ嬢も十分注意してほしい。迂闊に書の影響を受ければ、心に消えない傷が残りかねないからね」


 と、そのスバルとアルのやり取りの背後、エッゾが初訪問組にそう注意する。

 エッゾの言葉にはスバルと同じく、『死者の書』のフィードバックを味わった人間にしか込められないニュアンスが込められていた。

 紛れもなく、彼もスバルやユリウスと同じで、『死者の書』に触れた一人――、


「あまり重要視されていないが、心に負った傷というものは厄介だ。治癒魔法で回復の見込みがなく、外からは見えないが故に軽視されることも多い。そうでなくとも、この地は瘴気の影響が強く、気分が塞ぎがちだ。何かあれば、年長者の私にすぐ言うように」


「あ、ありがとうございます、エッゾさん……」


「最年長としてご立派な態度です、エッゾ様。さすが、最初に『死者の書』を読んでしまったとき、白目を剥いて泡を吹いて失禁していた含蓄があります」


「フラム嬢!? それは言わない約束だが!?」


「書庫でビクビク痙攣していて、私も白目を剥きました」


 ドン、と自分の胸を頼もしく叩いていたエッゾが、味方のはずのフラムに失態を暴露されて目を剥いていた。そのエッゾの体験談に、一度は尊敬の眼差しになっていたペトラの表情が「エッゾさん……?」と曇り始める。

 その少女の眼差しに、エッゾは慌てたように身振り手振りし、


「あ、いや、違うんだ! いや、違いもしないが、フラム嬢の話では脅しが利きすぎる! 確かに最初期は耐えられずに昏倒する体たらくだったが、一度、本を読むコツを覚えてからはそうした失態は晒していない!」


「本を読むコツだァ? そんなッもんがあんのかよォ」


「あるんだ! 端的に言えば、心を無にする。心を閉じる。そうした心境に自らを置きさえすれば、流れ込んでくる情報を情報とだけ認識することができるんだ」


「まるで簡単なことのように言われていますが、何度聞いてもわかりません」


 フラムにゆるゆると首を横に振られ、エッゾが同意を求めるように他のものを見る。が、ペトラやガーフィール、メィリィはもちろん、スバルもベアトリスもわからなかった。

 その色好い返事のなさに、エッゾは「馬鹿な……!」と愕然としている。


 エッゾの驚愕はともかく、もしも実際に彼が口にした通りの手法で心を守り、『死者の書』を読むのに成功しているなら驚異的なことだ。

 実際に、『死者の書』を読んだスバルだからそのとんでもなさがわかる。正直、今のコツを聞いても、同じことが自分にできるとスバルには思えなかった。


「わかっただろ。迂闊なことして取り返しがつかなくなることもありえるんだ。だから、その、目的の本以外に触るのは……」


「やめといた方がいい。――わかった。忠告は聞いとく。そうでなくても、トラブルなく塔にこられたのは兄弟たちのおかげだ。うだうだ言わねぇさ」


「……なら、いいんだけど」


 言いながら、スバルはアルから引き取った本を書架に戻す。背表紙に書かれているのは知らない人物の名前だが、墓石に触れるような感覚が丁寧に扱わせた。

 そう、『死者の書』は墓標や墓石、そうした感覚に近いものかもしれない。だから、ここでは騒ぐのも暴れるのも、奇妙な抵抗感が付きまとうのだろう。

 ともあれ――、


「これだけ膨大な数の中から、目的の本を探し出すのは骨だ。腰を据えてかかるのがいいだろう。――なにせこの書架には、今この瞬間にも本が増え続けているのかもしれないのだから」


 そうエッゾの付け加えた一言が、砂海を乗り越える旅とはまた趣の異なる、そして必勝策のない本の海の旅路の険しさを物語るのだった。



                △▼△▼△▼△



『――我、ボルカニカ。古の盟約により、頂へ至る者の志を問わん』


 大きく、厳かで、聞くものの魂を震わせるような、存在の一段違ったものの声。

 青々とした空を背に、高い高い塔のてっぺんを身の置き所とした雄々しい龍――『神龍』の威容を目前にして、ガーフィールは呆然と立ち尽くしていた。


 龍を、目の前にしたことは初めてではない。

 それどころか、直近のヴォラキア帝国の『大災』では、ガーフィールはスバルたちに託されて、『雲龍』メゾレイアと真っ向から対峙し、これと打ち合った。

 戦いの中身が中身だ。『雲龍』との戦いで、打ち勝ったとまでは思っていない。

 それでも決して打ち負けなかったという事実と自負は、ガーフィールに強くあった。


 龍とは、この世界における最強の生物の代名詞であり、人間も亜人も魔獣も精霊もあらゆる生き物を包括したランキングで、トップに君臨する存在だ。

 曲がりなりにも、そのトップの一角と殴り合いを演じたのだから、ガーフィールも自分が一枚の殻を破ったと、そんな自覚があったのだ。

 しかし――、


『――汝、塔の頂へ至りし者。一層を踏む、全能の請願者』


 悠然と、塔の頂で翼を休める青白く輝く『神龍』ボルカニカ。それが、『雲龍』メゾレイアとも明確に一段異なる次元にある龍であると、そう本能が理解する。

 外見からわかるものではないが、『龍』としての年季が、ボルカニカとメゾレイアとでは大人と子どもほども違うものなのだと。


「……前回はちょうどすれ違ったから話に聞いてただけだったけど、本気ですげぇな」


 同じように龍を見上げながら、ガーフィールの後ろでスバルがそう感嘆する。

 前回のプレアデス監視塔で、ボルカニカと出くわす暇もなく帝国へ飛ばされたというスバルだ。やはり帝国で『雲龍』を目にする機会はあっても、こうして『神龍』ボルカニカを前にした感動はガーフィールと同じであるらしい。

 このボルカニカと、エミリアは一戦交えたというのだから。


「エミリア様、無茶ッしすぎだろォが……」


「まったく、ベティーも生きた心地がしなかったのよ。あのときはエミリア以外にも、スバルもラムも、アナスタシアたちもみんな大変で……」


「あのときはあのときでベア子を死ぬほどやきもきさせたよな、ありがとな」


 当時のことを思い出し、神妙な顔のスバルにベアトリスが頭を撫でられているが、そんな微笑ましい絵面で語られる規模の決着でなかったのは聞いた通りだ。

 そのときも、スバルは記憶がなくなったり、メィリィが裏切ったり、『賢者』や『暴食』と揉めたりと、大騒ぎだったらしい。


「俺様がいりゃァ、大将が帝国ッまで飛ばされることもよ……」


「む、言ってくれるもんかしら。ガーフィールなら、ベティーやエミリアたちが対処できなかった問題に対処できるってことなのよ?」


「う、いや、そういうッ意味じゃァねェけどよォ」


「ベティーのプリティージョークかしら。ちゃんとわかってるのよ」


 不用意なことを言ったかと、慌てふためいたガーフィールにベアトリスが笑う。それにガーフィールが胸を撫で下ろすと、スバルが「それに」と続け、


「散々みんなに心配かけたんだ。飛ばされてよかったとは言わねぇけど、俺たちがいなかったら帝国滅んでたんじゃねぇかなって思うと、な」


「結果オーライ、とは言えないかしら。あの、アルの気持ちを思うと、なのよ」


「あの人ッだけじゃァねェよ。シュルトも、オッサンもそォだった」


 指で頬を掻くスバルの言葉に、ベアトリスとガーフィールがそう続ける。

 ガーフィールの脳裏、プリシラがいなくなったことで瓦解した陣営の姿が浮かぶ。

 いなくなったハインケルに、『死者の書』を求めるアル。一番前向きなシュルトも、懸命に心を立て直そうとしているだけでボロボロだ。ロズワールだけに任せるのはあまりにも心配というより酷だったので、フレデリカが付き添ってホッとしている。

 せめて一個ずつ、一人ずつ、前を向ける手伝いができればいいが――、


「付き合ってッもらって悪ぃな、大将。いっぺん、『神龍』を拝んでみたかったんだ」


「俺も気になってたし、別に謝られるほどのことじゃねぇよ。出先のホテルで、上の階に有名人がいるってわかったら気になるのがファン心理……いや、それで会いにいくのはマナー悪いな? ひょっとしてこれ、越権行為か?」


「誰に咎められる理由もないかしら。咎める権利があるとしたら龍本人なのよ。でも」


『――我、ボルカニカ。古の盟約により、頂へ至る者の志を問わん』


「この通りかしら」


 ボルカニカの返事、それを聞いたベアトリスがその曖昧ぶりに肩をすくめる。

 ガーフィールも半信半疑だったが、実際に会ってみると、ボルカニカが長い長い時間のせいで、世界が曖昧になっているというのは本当のことだった。それでも、尋常ならざる覇気を纏っているのが、規格外の『龍』たる所以ではある。

 ともあれ――、


「上ッにァ上がいるってのがまたわかった。勘違いしねェよォにしとかッねェとだ」


「……お前は強いよ、ガーフィール。俺の知ってる奴の中で、上から数えた方が早い」


「それを、一番上に持ってッくんのが俺様の役目ッだろォ?」


 自分の足場を確かめて、凹んでいるわけではないとスバルの胸を小突く。その拳の衝撃にスバルが「うぐ」と軽く呻き、それから涙目で頷いてくれた。

 と、そうして話していると――、


「――おお、やはり『神龍』のところにいたのか」


 そこへ、階段からやってきたエッゾが合流してくる。

 エッゾはガーフィールとスバルたち、その向こうにいるボルカニカを見やり、


「わかるとも。この塔の神秘も大いに探求心をくすぐるものがあるが、現在のルグニカ王国を築く上で外すことのできない存在、『神龍』ボルカニカもまた興味の対象だろう!」


「はは、エッゾさんの感覚とは違いそうだけど、俺もドラゴンには憧れるよ。ボルカニカだとでかすぎるけど、ドラゴンライダー的なのとか男の子のロマンだぜ」


「ドラゴンライダー……!? 大将、それあとで詳しくッ教えてくれや」


「おう。って言っても、帝国の『飛竜乗り』がそんな感じだったけども」


 うんうんと頷いたスバルの発した単語に、ガーフィールの直感が引っかかった。たぶんそれはすごく、うずうずする格好いいものだと直感する。

 そのガーフィールたちのやり取りに、エッゾは顎に触れながら首を傾げ、


「そうか。歴史や学識的な点から『神龍』の存在の意義について語り合えるかと思ったのだが、それはまたの機会に期待しよう。――さて、ナツキ殿、頼まれた通り、アル殿に書庫の説明は済まさせてもらった。今はフラム嬢に傍にいてもらっている」


「ありがとう、助かるよ。フラムちゃんとは、まだちゃんと話せてないけど大丈夫?」


「心配は不要だろう。彼女は嫌なら嫌だとはっきり言う性格だ。少々、言う場面が多いのが使用人としては気掛かりではあるが……」


「嫌なことを嫌だって言うメイドには慣れてるのよ」


「あァ、そォだな。確かに」


 ベアトリスの指摘に、ガーフィールとスバルが顔を見合わせ、頷く。

 尊大で自意識の強いガーフィールの想い人は、確かにメイドの立場を抜きに、自分の主張をちゃんと言える女だ。好きだ。

 そう考えるとフラムもそうだが、桃色の髪の女は強いのかもしれない。


「ちなみにフラム嬢にはグラシス嬢という双子の妹がいるんだが、見た目だけでなく、性格もよく似ているので困りものだ」


「フェルトのところも、ロム爺といいトンチンカンといい、色々バラエティに富んでるんだな……エッゾさんは、どういう経緯でフェルトのところに?」


「一度、フェルト嬢やラインハルト殿に恩を受けた。そのときの縁で目をかけてもらい、拾ってもらったというのが適切だろうな」


「だとしたら、いい拾い物だよ。うちのオットーみてぇだ」


 拾い物、という表現はたびたびオットー自身もしているものだが、オットーとエッゾの共通点は、緑っぽいことだろうか。オットーは服で、エッゾは髪の毛だが。

 緑色の拾い物は優秀で頼もしい。そう考え、思わずガーフィールは「くく」と笑ってしまった。


「何やら楽しげなようだね、ガーフィール殿」


「何でもねェ、くだらねェことだよ。それッより、そうやって殿って呼ばれんのァこそばゆいんだよなァ。殿~なんていかにも偉そうッだしよォ」


「そうかね? 私はそうは思わないが……ならば、ラチンスくんたちにしているように、ガーフィールくんと改めるが」


「おォ、初めて会ったッて間柄でもねェんだ。それで頼まァ」


 ひらひらとガーフィールが手を振ると、「承知した」とエッゾが頷く。

 そのガーフィールたちのやり取りに、「そう言えば」とスバルが二人を交互に見て、


「二人は顔見知り、なんだよな? どこで?」


「『プリステラ事変』……水門都市を、大罪司教率いる魔女教が襲った一件があっただろう。私は事件の後片付けにフェルト嬢に呼ばれ、都市に入っていたんだ。そこでガーフィールくんや、オットー殿とも知り合ってね」


「なるほど、あのときに……」


「おォ、そんときッも一悶着あったんだッけどよォ……まァ、話すと長ェんだわ」


 それこそ、スバルたちがここ、プレアデス監視塔へ旅立った間のことだ。

 怪我の療養をしなければならないオットーとプリステラに残り、ガーフィールは街の復興を手伝う中で、都市の地下に封じられていた『魔女の遺骨』の発掘に協力した。そのときの発掘隊の一人がエッゾ――ついでに残りのメンバーは、ガーフィールとリカード、そして何故かついてきたリリアナだった。


「聞くだに、すったもんだありそうな顔ぶれかしら……」


「大変ではあったが、非常に学びの多い時間だったよ。無論、ガーフィールくんにも幾度も助けられた。本人を前にして言うのもなんだが、素晴らしい若者だ」


「へへ、そんなそんな」

「それほどでもあるのよ」


 何の恥ずかしげもなく、堂々と褒めてくれるエッゾの言葉に、ガーフィール以上にスバルとベアトリスが嬉しそうにしているのがこそばゆい。

 実際、ガーフィールの方も、エッゾが頭でっかちではない、優秀で実戦的な魔法使いであることは身に染みていた。どうしても、身近にそれ以上に卓越した魔法使いがいるせいで、エッゾを過小評価してしまいかねないのがもどかしいのだが。


「――さて、そうして交友を深めるのも悪くないが、その前に本題を済ませてしまおう。フラム嬢に見てもらっている、アル殿のことだ」


「――。アルの、こと」


「そうだとも。一つだけ確認しておきたいのだが……アル殿の目的は、プリシラ・バーリエル様の蘇生にあるのではと疑っているのだが、どうだろうか?」


「な……!?」

「あァん?」


 自分の顎に触れながら、そう告げたエッゾにガーフィールとスバルの声が重なる。

 蘇生、という言葉の突然の登場に、少なくともガーフィールは理解が追いつかない。そのガーフィールの困惑の傍ら、ベアトリスが丸い瞳を細め、


「どういうことかしら。死者の蘇生……『不死王の秘蹟』の話なら、もう十分なのよ」


「ちらと聞かせてもらった帝国の件だな。『不死王の秘蹟』なる禁術にも非常に興味を惹かれるが、今、私が言いたいのはそういうことではない。折しも、先ほどナツキ殿が冗談めかして言っていた方法を懸念している」


「俺が、冗談で……?」


「――プリシラ・バーリエル様の『死者の書』を読むことにより、自分にその存在を上書きするという、疑似的な死者の蘇生だ」


「――――」


 声に抑揚なく、余計な感情を交えないエッゾの言葉が脳にしみ込んでくる。

 疑似的な死者の蘇生――エッゾの話した内容が、ガーフィールにはピンとこない。しかし、それが笑い飛ばせる荒唐無稽なものでないのは、驚愕を顔に貼り付け、額に汗を浮かべたスバルの反応を見ればわかる。

 言葉の出ないスバル。その様子を見ながら、エッゾが続ける。


「話した通り、私はすでに『死者の書』を十二冊ほど読んでいる。最初期の体たらくは、語るに忍びない失態だったというフラム嬢の発言通りだ。そして、あのときの感覚に従えば……精神の上書きは、可能だと論ぜられる」


「……危うく、『記憶』が混ざりかける話はスバルからも聞いたかしら。でも、それで完全に読んだ側の意識が消えることなんて考えにくいのよ」


「混ざり、撹拌されるという感覚ならそうだ。だが、もしも読んだ側にそれを受け入れる態勢が整っていればどうだろうか? 最初から、自分の方が消えるという心持ちでいるのであれば、書から読み込んだ精神が抵抗なく定着するのでは?」


「――――」


「無論、机上の空論だ。実際に試したわけではない。ただ、大事な人間を失った誰かがいて、その誰かの『死者の書』を求める動機を考えたとき、浮かんだ発想だ」


 つらつらと語るエッゾの推論に、ベアトリスの眉に似合わない深刻な皺が生まれる。

 それを傍らで聞きながら、ガーフィールは口を挟む余地がなかった。何とかついていこうと頭を働かせ、どうにか触りは理解できているとは思う。

 しかし、仮に『死者の書』で死んだ人の記憶とか思いとか、そういうものを丸々流し込まれたとしても――、


「そいつァ、生き返ったッてことになんねェだろ」


「ほう、何故だい?」


「だって……ッ、だって、あれだ。魂が! 魂が、違ェ。本の中身の、誰かじゃねェ」


 頭がごちゃごちゃになりながら、ガーフィールは犬歯を噛み鳴らし、そう答える。

 理屈とかちゃんとした説明ができるものじゃない。だが、人間というのが『記憶』とか『情報』とかだけでできているとは思えないから、そう答えた。

 そのガーフィールの答えに、エッゾは目を細めて、


「うむ、私もガーフィールくんと同じ意見だ」


「……うェ?」


「なんだね、その間の抜けた顔と声は。君の精悍さが台無しだ。しゃんとしたまえ」


 何とか答えを絞り出したガーフィール、その悩み苦しんだ顔を見て、エッゾが「いいかね」と指を立てながら続けた。


「まさしく、ガーフィールくんの指摘は正鵠を射ている。たとえ、『死者の書』に死者の全てが記されていようと、その記述に伴う経験や感情を実際のものと追体験できようと、仮に精神の上書きが為されようと、それは死者の蘇生ではない。死者の記憶と経験、想いを共有する別の存在の誕生だ」


「記憶と経験と、想いを共有する別の存在……」


「私は、それを真の意味で死者蘇生とは思わない。多くのものが感覚的にそうだと思うのではないだろうか。だから、確かめたい。――アル殿は、死者蘇生を望むだろうか? そのための方法に『死者の書』を選ぶなら、彼の願いは叶わない」


「――――」


「もっとも、彼が心の内にプリシラ様を囲いたいというなら、それも一計だ」


 ゆるゆると首を横に振り、エッゾは自分の考えをそう締めくくる。

 考えさせられる彼の話しぶりに、ガーフィールはカチカチと歯を鳴らし、それからスバルの様子を窺った。

 アルの心に寄り添い、何とかしたいと一番考えていたのはスバルのはずだ。そのスバルが今のエッゾの話を聞いて、どう思うのか。


「馬鹿か俺は。いや、馬鹿だ俺は」


「スバル……」


「言われるまで俺は、そんな可能性考えてもみなかった。……シンプルに、アルが知りたがってるのは、プリシラの最期の心境だとばっかり。それも、本を探してるうちに、整理がつくんじゃないかなんて期待まで……」


 自分の額に拳を押し当て、スバルが思い至らなかった自分を責める。その痛々しい自責の姿に、ガーフィールは「大将」とその額に拳を当てる腕を掴んだ。

 そうやって、自分を痛めつけても何もスッキリしない。そのことを、ガーフィールは自分の額の白い傷跡で知っていた。


「考えつかなかったことを責めようとは思わない。これは、実際に『死者の書』を読んだ経験があった上で、あれこれと物事を多角的に見たがる私の頭だから思いついたような使い道だ。アル殿がこれを発想しているかは疑問の余地がある。ただ――」


「わかってる。わかってるよ、エッゾさん。――万一、アルが自分が消えて、それでプリシラに戻ってほしいなんて思ってるなら、それはダメだ」


 強く奥歯を噛みしめて、エッゾの言葉に答えるスバルの目に力がこもる。それからスバルは、自分の手を掴んだガーフィールを見やり、


「悪い、心配かけたな」


「謝るこたねェよ。今回は、大将の心配ッすんのが俺様の仕事だ。オットー兄ィにもエミリア様にも散々ッ頼まれッてっからよォ」


「それはそれで、なんだよ」


 ガーフィールが手を放して肩をすくめると、スバルが苦笑して肩を落とす。と、そうしてからスバルは「よし」と小さく呟き、


「さすがに、直接今の話をアルにするのはやめよう。自分で思いついてなかったら、余計な背中を押すことにもなりかねない。ただ、アルを一人にするのはなしだ」


「一人のッときに目的の本を探ッされて、読まれちまったら止めようがねェかんなァ」


「おそらく、彼に先んじて本を見つけ出せるのが理想的だろう。その本を彼に見せるにせよ見せないにせよ、本があれば主導権を得られる」


「……主導権争いなんて、考えたくねぇのにな」


「大将……」


 アルが思い余ってしまう可能性を考え、話し合いの中でスバルが弱々しく呟く。

 元々、アルを連れてこうして塔にきたのは、そのアルを思い余らせないためだった。それなのに、ここにきたのがアルを思い余らせる理由になるなんて本末転倒だ。


「――――」


 じりと、ガーフィールは塔の床を足裏でにじり、プレアデス監視塔を恨む。

 何のために、塔は『死者の書』なんて形で死んだ人の記憶を所蔵し、それを求めるものたちの心を惑わせ、そしてスバルや自分たちを悩ませるのか。


「アルは今、書庫で目当ての本を探しているのかしら」


「うむ、そのはずだ」


「一緒に残してきた、フラムという娘は? どんな娘なのよ」


「彼女はフェルト様の従者……というより、アストレア家の使用人だ。代々アストレア家に仕える家の子で、年少者だが、侮れない実力者だよ。私も、魔法なしでは手も足も出ないだろう」


 そのエッゾの説明に、フラムの立ち姿を見ていたガーフィールは納得する。

 機敏に動くところを見たわけではないが、フラムの立ち姿は群を抜いて美しく――ラムに匹敵する軸の整い方をしていた。その実力もラム並みとは言わないが、アストレア家で働く以上、相当な実力者なのは期待していいだろう。


「おそらく、アル殿は寝食を惜しんで本を探すはずだ。我々も、手分けして手伝うことを提案するつもりだが……塔の、滞在期限は?」


「――三日の予定だ。アルも、そこは呑み込んでる」


 三日、それが元々切られていたプレアデス監視塔への滞在期間。

 その間にプリシラの『死者の書』が見つからなくても、三日後には塔を離れ、アルはバーリエル領に戻り、シュルトの傍についてもらうことになる。

 だからそれまでに、アルに立ち直る切っ掛けを作りたいというのがスバルの願いで、その点にはガーフィールも賛同している。


 この三日が、アルにとって前向きになるために使われる時間になればいい。

 そして、それ以外の時間にならせないことが――、


「――俺様が、ここッでやらなきゃならねェことだ」


 強く、骨が軋むほどに拳を握りしめ、ガーフィールは自分の役目を強く任じる。

 この場にいないエミリアに、フレデリカに、オットーに、ラムに、レムに、託されたことを果たすために。――一応、ロズワールからもだ。


『――汝、塔の頂へ至りし者。一層を踏む、全能の請願者』


 そう、不穏の可能性を塗り潰す決心をしたガーフィールたちを、どこを見つめているのかわからない『神龍』の眼が、変わらぬ曖昧さのままに見届けていた。



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― 新着の感想 ―
アルが「領域」でやり直しながら無理やりプリシラの書を見つけ、暴走。 それをスバルが死に戻りで先に書を捕獲することで阻止。 そしてそれをアルが「領域」で…… 的な権能合戦になりそうな予感も……
[気になる点] 魔女の遺骨なんて5章で触れられてましたっけ?
[気になる点] 「考えつかなかったことを責めようとは思わない。これは、実際に『死者の書』を読んだ経験があった上で、あれこれと物事を多角的に見たがる私の頭だから思いついたような使い道だ。アル殿がこれを『…
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