第八章72 『太陽姫』
「――貴様には使い道がある。役立ってもらうぞ、私の望みを叶えるために」
それが、その男にかけられた最初の言葉で、最後の最後まで一度として変わることのなかった、自分と男との関係性の象徴だった。
男とは、数十年の時を共に過ごした。
その間、自由を与えられることはなく、繋がれた地下室で監禁されていたに等しい。
自分を死なせないための世話係はいたが、それは慎重な男が定期的に口封じして入れ替えていたため、数十年間の接点があったと言えたのは男だけだった。
――ライプ・バーリエル。
親竜王国ルグニカの貴族であり、有体に言って醜悪な野心に支配された人物だ。
『亜人戦争』の頃は子爵として徴用されていたバーリエル家だが、内戦の最中の敗北の責任を取らされる形で爵位を没収され、男爵へと地位を降格させられた。
その屈辱と怒りがライプの行動の原動力だったはずだが、だとしたら、人間の怒りや憎悪というものはいったいどれほど長く熱を保ち続けるものなのか。
ライプは常に、まるで昨日のことのように数十年前の屈辱を噛みしめていた。
「いずれ、必ず貴様には役立ってもらう。貴様はこの私に生かされているのだ。そのことを努々忘れるな」
知識の中の人間には情というものがある。
例えばそれは、決して好まざる性格や関係性の相手であろうと、十年二十年と共に過ごせば態度は軟化し、接する刺々しさは氷解していくという類の。
しかし、ライプにはそれがなかった。彼からは常に、新鮮な敵愾心を感じた。
温かい言葉など、一度もかけられたことはない。
ライプの身の上話や家族構成、そうしたバーリエル家の事情も一切知らない。
来る日も来る日も、囚われの身で長く静謐な無為の時間を過ごし、時折訪れるライプの口から今の王国の情勢と、変化のない埋伏の日々の話を聞かされるだけ。
ただ、一度だけ、ライプと違う話をしたことがあった。
「亜人共と結託し、貴様は内戦を主導した。いったい、何が目的だった?」
すでに『亜人戦争』から二十年以上が経過した、今さらすぎる話題だった。
共に戦ったバルガやリブレもすでに息絶え、当時の亜人連合の主要人物と言えたものたちも軒並みいなくなっただろう頃に、ライプはそんな問いを口にした。
何故、それを知ろうと思ったのかは尋ねなかった。
尋ね返せばライプの逆鱗に触れ、話題そのものが打ち切られる予感があった。だから、余計なことは言わず、さりとて目的を隠す必要も感じなかったため、素直に話した。
『亜人戦争』への協力は、自分の造物目的を果たすためだったと。
「――くだらんな」
数百年以上も追い求める造物目的、『亜人戦争』がそれを成し遂げるための試行錯誤の一端だったと聞いて、ライプはひどくあっさりとそう吐き捨てた。
そのライプの反応に、怒りや悲しみのようなものは覚えない。元より、自分はそういう存在であったし、ライプの反応は予想通りと言えば予想通りだった。
この醜悪な野心家からすれば、自分の望み以外の全ての願いはくだらないものだろう。
だが――、
「貴様は貴様として生まれておきながら、わざわざ別の誰かとやらになりたいのか。別の誰かの名前と生き方を装って、自らの名を死なせにゆこうと」
一言で切って捨てられ、終わると思った会話に続きがあった。
心底、唾棄すべき考えだと言わんばかりに、ライプはこれまで以上の苛立ちを込めて、その負の感情で濁った瞳をこちらへ向けていた。
「貴様の目的など何の価値もない。やはり、貴様は私に利用されろ。どうせ、叶えたところで一片の価値もない望みだ。無為にするなら私に寄越せ」
「あなたは――」
「造物目的なぞくだらん。誰かに指示されなければ生きられないなら、私の望みのために利用されるがいい」
一切、そう口にするライプの瞳には義憤や思いやりなんてものはなかった。
ライプの濁った双眸に宿っていたのは、薄れることのない屈辱をもたらしたものたちへの怒りと、自らの存在を認めようとしない時代や世界への憤懣と憎悪、そして必ずや己を相応しい立場へ押し上げるのだという黒い炎のような野心。
それはひどく乱暴に、まるで踏み躙るみたいに、汚泥を浴びせるような荒々しさで、確かに自分という存在に刃を突き立て、引き裂き、冷たい血を流させたのだ。
――造物主からもたらされた、造物目的を果たすこと。
それこそが自分の生きる意味であり、長く歩き続けた目的だった。
だが、一度としてその目的のために、強い熱を抱いたことがあっただろうか。ない。一度として情熱を抱いたことはない。与えられたものを、与えられたからやり遂げなければならないという熱のない惰性と妥協が、己を支配していた。
しかし、本来、願いとは、望みとは、こうなのではないのか。
何かを強く欲するということは、叶えたい願いを叶えようとするということは、こうなることが正しいのではないのか。
ライプ・バーリエルの在り方こそが、望みを叶える正しい方法なのではないのか。
「――――」
また、長い時間が流れた。その間も、ライプとの関係は変わらない。
多くの言葉を交わすことはなく、さりとて利用すると、役立てると言われた自分の出番が用意されるでもなく、刻々と時は流れていった。
そうして、やがて変化があった。
「ようやく、機会が巡ってきそうだ」
そう、爛々と狂気的に目を輝かせたライプは、衰えぬ野心と裏腹に、その顔つきも体つきも逆らえない老いに蝕まれ、痩せ細っていた。
それでも、時はきたと語る彼の姿には、目の前に垂れ下がる糸を必ずや掴むと、己に瞬きさえ禁じてきたことの見返りがようやくあった歓喜が満ちていた。
聞けば、ライプはこの数十年でルグニカ王家に取り入り、王国が『神龍』から賜った竜歴石という予言板の管理を任されていたらしい。
予言板に刻まれた、近くルグニカ王国を襲うことになる厄災――王族に蔓延する病の事実を握り潰したライプは、その後に訪れる次代の王位争奪戦へと意欲を燃やしていた。
「誰よりも先に候補者を見つけ出す。そのものを妻として迎え、王選へ送り出し……必ずや王位を手に入れる。貴様にも、役立ってもらうぞ」
骨と皮だけの拳を強く握りしめ、ライプは強くそう意気込んだ。
役立てと、常に言われ続けてきたそれに実現性が伴い、数十年も繋がれ続けた身としてもささやかながら沸き立つものがあった。――期待、した。
次にくるとき、ライプは見つけた候補者を伴い、その心を砕く術法の用意を命じた。そうして候補者を傀儡に仕立て、次代の王国を自らの手で支配するのだと。
そんな策謀を堂々と計画し、尋常ならざる執念で実現しようと企み、実際にその実現の手前までこぎつけたライプの野心、それがどこまでも、暗く眩しかった。
叶えてほしい。果たしてほしい。その情熱のままに。
誰もが目を背けたくなる醜悪な野心を叶え、王国を自分の欲望のままに利用し、『魔女』さえも己の望みのために踏み台にして、妄執を成し遂げてほしい。
自分に足りなかったのはそれなのだと、そうスピンクスに教えてほしかった。
だから、待った。待ち続けた。
ライプが王選へ参加する候補者を、利用するために娶った妻を連れ、差し出されたその女の心を砕くのを心待ちにした。
待って、待って、待ち続けて、ライプは現れなかった。
現れない理由を知るために、何十年も解かれなかった縛めを自ら解いて、外へ出た。
そして、ライプが現れなかった理由を知って、初めてわかった。
「――は」
――これが、何かを成し遂げたいと欲する『熱』なのだと。
△▼△▼△▼△
「要・対策――いいえ、防げるものなら防いでみろ」
そう言い放ったスピンクスの切り札が、奥の手が、秘めたる罠が、覆される。
揺らめく水鏡の鏡面に映し出されるのは、『魔女』の用意した策謀を次々と乗り越え、訪れるはずの帝国の滅亡を遠ざけるものたちの奮戦だ。
「――――」
紅の瞳を細め、鎖に繋がれるプリシラは鏡面と、スピンクスの白い顔を見やる。
焦がれ、溺れ、スピンクスは己の望みを叶えんと自身に最大の負荷を課した。その内容は世界にとって、帝国にとって、ヴィンセントにとって忌々しきものだろうが、プリシラにとっては大きく忌むべきものではなかった。
帝国や世界の滅びを、実兄であるヴィンセントの不断の努力の失墜を望むのではない。
ただ、願う事象のため、己の全てを費やして臨むものはいずれも美しい。
たとえそれが、自分に対して逆恨みに近い憎悪を向けるものであっても例外ではない。
あらゆるものには、分相応というものがある。
己の器の大きさを弁えず、それ以上を欲するものは多くの場合、破滅する。だが、プリシラは領分を弁えたと賢しげに語り、器に収まり切るものだけで自分を満たしたと、そう自らを慰められるものが好きではない。
己の器に見合わぬものを求め、破滅に至るかもしれない道を往き、太陽を目指して翼を焼かれる愚か者の生き方を、挑戦の成否を問わずに愛したい。
「愛いな」
命懸けで戦場に臨む全てのものたちが、プリシラの言葉に耳を疑うだろう。
だが、それは掛け値なしのプリシラの本音だった。そもそも、プリシラは他者を謀り、欺くような言動を好まない。そうする生き方を自分に望まない。
故に、それは本心からの称賛だった。
この戦場で武器を取り、他者に肩を貸し、血を流しながら魂を焦がす全てのものが、その生死に拘らず愛おしく思える。
叶うなら――、
「――妾らしくもない感傷じゃな」
美しい顔に珍しい苦笑を生んで、プリシラは片目をつむった。
幼い時分より、思案するときにそうする兄の真似だ。自分に課せられた責務の重さを理解しすぎるほどに理解するヴィンセントは、眠るときさえ両目を閉じない。
その姿勢は立派だが、やり過ぎだ。――時には、瞼の裏でしか会えない相手もいる。
「兄上も、共にいて両目を閉じられる相手を見出すがいい」
『陽剣』を手に、『大災』を率いる『魔女』の目論見を一度は焼いたヴィンセント、その在り方に敬意を表しながらも、プリシラはそう口にする。
それから、プリシラは水鏡の中で、ひと際目を引くものたちを見た。
――アルデバランとナツキ・スバル。
健気なプリシラの道化と、小憎たらしくも王選候補に名を連ねる半魔の騎士。
スピンクスが脅威と認識しているように、プリシラの目にも彼らの奮戦――それが、只事ではない何がしかの宿星を捻じ曲げたものだと理解していた。
「貴様たちは、『魔女』の……いや、天の何を欺いておる?」
『大災』を率いるスピンクス、彼女が敷いた数々の策謀は生半可なものではなかった。
『不死王の秘蹟』で作り出した屍人の軍勢も、それらを実現するために『石塊』ムスペルを利用したことも、『陽剣』の焔を一度は躱した『強欲の魔女』としての再臨も、帝国の大地と運命共同体となったアラキアへの殺意も、星光と魔晶砲も、その後の魔核の暴走と、魔晶石を利用するための魔法陣の展開と、『城塞都市』の窮地の演出――。
これだけの周到な計画を、ことごとく潰されるなど誰に予想できようか。
それは『賢帝』ヴィンセント・ヴォラキアにも、その右腕であった『白蜘蛛』チシャ・ゴールドにも、他でもないプリシラ・バーリエルにも不可能だったことだ。
ヴォラキア帝国の滅びは、免れないはずだった。
その運命の袋小路を、ありえざる力で突き破ったものたちがいなければ。
故に――、
「――あと一手」
鏡面に浮かんだ光景を見ながら、プリシラの唇がそう紡ぐ。
帝都の上空に生じた巨大な水鏡は、遠く離れた城塞都市の窮状を映し出し、帝都にいるものたちの戦意を折ろうとした。城塞都市へ星の光が降り、それが奮戦するものたちを嘲笑うかの如く滅ぼそうとする――それを、一度は虚空へ呑まれた破滅の火が掻き消す。
星光は帝都の誇る魔晶砲に打ち消され、水鏡は砕け散った。
いよいよ以て、『魔女』の用意した策の全てが打ち破られたかに見えた。
しかし――、
「まだだ」
城塞都市の星光すら掻き消され、それでも『魔女』の万策は尽きない。
『魔女』は自分の用意した大いなる災い、それが防がれるのを目の当たりにしながら、それが防がれたことを布石に、罠を仕掛けた。
――砕かれた天空の水鏡、それは雨滴となって帝都全体へ降り注いだ。
通り雨のようなそれが帝都を濡らし、雨垂れが生者と死者とを問わずに打つ。
そしてそれは、無害を装った有害の水の刃だ。
ゆっくりと、雨滴に打たれたものの肌の上を滑る雫が震え、刃となる。それは建物の中にいたか、本能的な直感で雨を避けた超越者以外の全員に等しく迫る危機。
それはもはや、防ぎようのない致命の一閃で。
「――――」
故に、プリシラは瞼を閉じた。
先ほど、ヴィンセントに思ったのと同じことをする。――シュルト、ハインケル、エミリア、クルシュ、フェルト、アナスタシア、セリーナ、アラキアと、瞼の裏の暗闇にプリシラはいくつもの顔、いくつもの魂を見た。
そこにはヴィンセントも、ラミアも、レムも、アルデバランの姿もある。
いずれも、あと一手の足らぬものたちだ。
「――世界は、妾にとって都合の良いようにできておる」
そうプリシラが呟いて、雨滴の刃を閃かせようとしたスピンクスの動きが止まる。
彼女は水鏡越しにプリシラを見て、その黒い瞳を見開いていた。
次の瞬間、プリシラを捕らえるために作られた異空間が崩壊する。――その内に囚われた『太陽姫』のもたらす赫炎に、耐え難いほどに焼き尽くされて。
△▼△▼△▼△
城塞都市の頭上に星の光が煌めいた瞬間、空を仰いだ誰もが言葉を失った。
「――――」
折しも、直前に襲来した邪龍の撃破に成功し、一丸となって強敵を退けた事実が籠城戦に挑む全ての兵たちの士気を最大限盛り上げた直後だった。
しかし、屍人の軍勢の最大戦力を滅ぼした事実が全員に伝わるより前に、その美しい滅びが頭上から迫り、多くのものは心の臓の鼓動を忘れた。
無論、その状況下にあっても自分の持てる力を尽くそうとしたものはいた。
極光を纏った精霊騎士や、闘争心を失うことを知らない女戦士たち、己の内に虫を宿した兵士と黄金で鎧う巨躯、自分たちの星の光に集った戦団もそうだ。
戦う力のない知恵者たちも、ほんのわずかな時の隙間に無数の思考を走らせ、絶体絶命の窮地を打ち砕かんと一秒を惜しまなかった。
しかしそれでも、蟻が集って巨人の足を止められないように、全ては踏み潰され、何もかもは薙ぎ倒されて終わるはずだった。
――彼方の空から飛来した破滅の火、それが星の光と衝突し、世界が白く瞬くまでは。
「――――」
何が起こったのか、とっさに誰にもわからなかった。
ただ、目を逸らすまいとしていたものたちの網膜が白く焼かれ、その視力が戻る前に訪れてもおかしくなかった滅亡が降り注がなかったことがわかる。
そして――、
「――っ」
星の白と火の赤、二つの光が混ざり合い、衝撃波が城塞都市の空を覆い尽くした。
一拍遅れて巻き起こった暴風が四方八方へと散らばり、それが頑健な都市の防壁さえ揺るがし、生者も死者も構わずに突風で吹き飛ばす。
加えて、強烈な風は都市が背負った大山にさえ亀裂を生み、崩落を起こした岩肌が剥離、落ちてくる大岩が大要塞の一角を轟音と共に呑み込んだ。
そしてその場所は運悪く、負傷者が運び込まれる救護所として宛がわれた地点で――。
「――レム! ちょっと、レム!」
懸命な声に呼びかけられ、レムは何度か目をぱちくりとさせた。
一瞬、思考が白い彼方に飛ばされていて、何が起こったのかの把握に時間がかかる。
だがすぐに、自分を必死に呼ぶのがカチュアの声で、救護所が落石による崩壊に巻き込まれたのだと思い出した。
壁と天井のひび割れを目にし、レムはとっさにカチュアを突き飛ばし、崩落に。
それなのに――、
「私、生きて……?」
「生きてるに決まってんでしょ! あんた、ホントやめてよね! あんたが私庇って死んだら、私今度こそ本当に心が死ぬ……」
瓦礫に埋もれ、自分の命を確かめたレムにカチュアの涙声がぶつけられる。その勢いのある悲嘆が、自分の体の上の瓦礫を押しのけたレムの姿に中断した。
驚いたのだろう。レムの上に乗っかっていた瓦礫はかなりの重量で、どうやら鬼族らしいレムの力をもってしても、簡単にどけられる重さではなかったから。
それでも、レムにそれができたのは。
「れ、レム、あんた……目が!」
レムの顔を指差し、カチュアが悲鳴のように裏返った声を出す。
そのカチュアが指差しているのが自分の左目で、そこに炎が灯っているのだろうとレムには察しがついた。何故なら、カチュアにも同じく炎が灯っているからだ。
――否、レムとカチュアだけではない。
救護所にいた、レムとカチュア以外の、崩落に巻き込まれたものたちが全員、かすり傷程度で深手を負わずに立ち上がる。
その全員の片目に、ゆらゆらと炎が灯っているのがわかった。
その炎が、湧き上がってくる力が、レムに力をもたらしていた。
そしてそれは――、
「――プリシラ様?」
自身の目に宿った、痛みのない炎の熱を感じながら、レムはそう呟いていた。
確信はない。理由もわからない。ただ、それが誰によってもたらされた炎なのか、レムは自分の心に従い、確信していた。
「カチュアさん」
「な、なに!? 水……水よね!? 早く、早く水で消さないと……!」
「いえ、これは消えてはいけない火だと思います。それに」
「それに?」
あたふたと混乱するカチュアに、立ち上がったレムはひっくり返った車椅子を見つけ出すと、かろうじて壊れていなかったそれにカチュアを抱き上げ、座らせる。
それから、立ち上がる救護所の中の人々と顔を見合わせ、頷いた。
「言われている気がするんです。――あと、もうひと踏ん張りであろうがって」
△▼△▼△▼△
――水鏡が割れ、飛沫の散る空から紅の女が落ちてくる。
誰もが、その圧倒的な存在感に意識を奪われ、夕日に焼かれる空を見上げていた。
そしてそれは当然、『魔女』も同じことだ。
「――プリシラ・バーリエル!」
この瞬間、発動していた不完全な魔法陣による魔晶石の解体、膨大なマナの一部を取り込むことで顕現していた『魔女』スピンクスは四十四体。
その全員が空へと掌を向けて、落ちてくるプリシラの周囲に光が生まれた。
だが――、
「余所見厳禁踊り子さんにはお触り禁止!」
「らしないねえ、そら悪手やわ」
その瞬間を見逃さない超越者の妨害が、四十四を三十六まで一挙に減らした。
それでも、一体で十分以上に脅威の光球が一挙にプリシラへと集められる。四方八方からの致死性の攻撃、それは囚われを脱した太陽を奪いにかかるが――、
「やらせんでありんす!!」
慈愛の色を強く込めた叫びに呼応し、蠢く帝都の街路が投槍のように射出される。
それが空中にあるプリシラへ届こうとする光の爆雷を阻み、次々と生まれる爆発と爆風が空を彩りながら彼女を守った。
「合わせたまえ、ベアトリス!」
「お前に言われなくても、かしら!」
光の爆風を突き抜け、なおも落ちてくるプリシラの周囲に紫紺の輝きが生まれる。それは円盤状の結晶で、精霊と魔法使いの超級の連携が迫る光球を受け流し、大盾となってプリシラを守り、守り、守り抜く。
しかし――、
「まだだ!」
『魔女』が感情的に、血を吐くように叫ぶ。
その直後、激しく打たれた円盤が軋み、やがてひび割れが拡大、一挙に砕かれる。
それをした白髪をなびかせる『魔女』は空に上がり、無防備に落ちてくるだけのプリシラへと、命を引き裂く光を浴びせようとした。
「うーあう!!」
「やらせません!!」
その、プリシラ以外が見えていない『魔女』の胴体へ、地上から転移した金髪の娘と、水晶宮を壊す勢いで蹴って跳んだ鹿人の少女が同時に一撃を叩き込む。
『魔女』がひしゃげ、放たれた熱線は狙いを外した。
「要・誘因です」
ひしゃげた『魔女』が土の破片に砕かれながらも、それさえ策の内と口にする。
刹那、地上にいる複数の『魔女』同士が手を重ね合い、それぞれが同じ存在であるからこそ可能な完全なシンクロで術式の構築を短縮し、大嵐が生まれる。
それは荒れ狂う水と風と光となり、空にあるプリシラを呑み込んでしまう。
次の瞬間には、ズタズタに引き裂かれたプリシラの無惨な姿が――、
「アイシクルライン――!」
破壊の嵐が内側から爆ぜて、次いで現れたのは引き裂かれたプリシラの姿ではなく、そのプリシラを守るように、あるいは彩るように天上に咲いた氷の花だ。
美しい大輪の花弁が光を閉じ込め、プリシラにそれを届かせない。
そして、迫りくる無数の死を、破壊を、終焉をことごとく寄せ付けなかったプリシラへと、猛然と地上から近付いていく影があった。
それは――、
「――姫さん!!」
その足下、帝都の地面を隆起させ、歪で不格好な石と土の柱として空に伸ばし、プリシラへと迫っていくアルデバランだった。
ぐんぐんぐんぐんと柱は伸び、落ちてくるプリシラと、昇っていくアルデバランとの距離が縮んでいく。縮んでいく。縮んで、縮んで、やがて――ゼロになる。
「――っ」
バランスの悪い柱の上で、伸ばした右腕が落ちてくるプリシラを強引に抱きとめる。そのまま一緒に落ちかねないところ、アルデバランは柱のてっぺんでがっちりと自分の両足を足場に固定し、命懸けでプリシラを転落から守った。
その、アルデバランの決死の行動にプリシラは切れ長の目を細め、
「大儀である」
そう短く述べるプリシラに、アルデバランは万感の思いを込めて俯く。それから顔を上げ、声を震わせながら、
「姫さん、姫さん、オレの姫さん……っ! ようやく、また……痛ぇッ!!」
「たわけ。誰が貴様のものか」
堪え切れない様子のアルデバランの頭を、プリシラが『陽剣』の柄でしたたかに小突いた。鉄兜が凹みかねない勢いに、アルデバランが思わずしゃがみ込む。が、片手でプリシラを支える彼は、殴られた箇所をさすることもできない。
そんな哀れなアルデバランに、プリシラは「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、
「じゃが、貴様にしてはよく励んだ。褒めて遣わす」
「そ、そりゃありがたく光栄で……姫さんは? 何ともねぇか? 怪我は? どっか痛めつけられたりとかは? つか、捕まってたわりには綺麗すぎねぇか?」
「たわけたことを重ねるでない。そもそも、妾の美貌が多少なり囚われの身であった程度で移ろうものか。口には気を付けよ、アル」
「――――」
腕の中、呆れた風なプリシラにそう言われ、アルデバラン――アルは息を詰めた。
それから改めて、目の前にいるプリシラの実在を確かめ、深々と頷く。そのアルの反応に、彼に抱えられたままのプリシラは周囲を眺め、
「そら、真打ちの登場じゃ。貴様らも盛大に沸かすがいい」
そう口にするプリシラの視界、石の柱の頂から眺める景色に映り込む複数の、この戦いにかけるものたちの姿があり、そのいずれの目にも焔が灯っている。
プリシラ・バーリエルの、愛せると思えるものたちの眼に、魂の炎が灯る。
それはもちろん――、
「姫さん?」
すぐ傍らのアル、彼が被った兜の面頬を指で持ち上げ、中を覗き込む。――その、プリシラ以外には見せない素顔の右目にも、同じく炎が灯っていた。
それを目にして、プリシラは上機嫌に笑み、言う。
「何のことはない。――やはり、この世界は妾にとって都合の良いようにできておる」