第八章67 『持てる手札』
――『石塊』ムスペルを取り込み、その生死をヴォラキア帝国の存亡と同じ天秤に乗せることとなったアラキア。
プリシラの言う通り、『魂婚術』と『夢剣』マサユメの取り合わせは、スピンクスの計画を大きく狂わせかねない事態を引き起こした。
スピンクスが『大災』の担い手となり、ヴォラキア帝国を死者で埋め尽くした二つの目的――その片方の、『強欲の魔女』の魂の再現には成功した。あとはこの魂と器が馴染み切って、スピンクス自身の存在を造物主が塗り潰すよう働きかけるまでだ。
そして、それを果たしてスピンクスが消えてなくなる前に、残された目的――あえて、復讐と言い切ろう。プリシラ・バーリエルへの復讐を完遂する。
そのために、切れる手札の最善手を切ったつもりだ。
しかし――、
「――魔晶砲を止めますか」
立て続けに起こる計算違いを目の当たりにしながら、スピンクスは静かに呟く。
浮かべた水鏡の鏡面が映し出しているのは、帝都ルプガナの各所で動いている、ヴォラキア帝国の滅亡を遅らせる要因となり得るものたちだった。
とりわけ、『強欲の魔女』と瓜二つの容姿となったスピンクスの黒瞳を注目させたのは、水晶宮の切り札でもある魔晶砲の一撃を食い止めた少年と精霊だ。
あの少女の姿をした精霊は、スピンクスが『大災』として死者を率い、帝国に本格的な攻勢を仕掛ける前にも同じ方法で魔晶砲を防いでいる。が、スピンクスの見立てでは、あれは精霊自身の消滅をかけた挺身のはずだった。
それを、ほんの二、三日で同じことをしでかして無事に済むなど道理に合わない。
その道理を違えた原因が、抱き合った精霊と契約関係にあるだろう少年だ。
「またあなたですか」
『強欲の魔女』を再現する前の、不完全な『魔女』スピンクスの策を、ヴォラキア皇帝と組みながら幾度も阻止した不可解な少年。
実際、魂の再現に至る最後の一欠片を土壇場で掴めなければ、スピンクスの三百年以上の奮励の日々は彼らによって終わらせられていた。
そしてその脅威は、『強欲の魔女』へと至れた今も継続している。
「――『陽剣』ヴォラキアと、『暴食』の権能」
悲願だった『強欲の魔女』の再現に成功しても、依然死者であるスピンクスにとって、その二つが致命的な弱点であることは変わらない。
それ故に、魂を同じくする同一の存在を複数発生させながら、スピンクスは『陽剣』の所有者と、あの精霊術師の少年には自分を近付けないよう留意する。
その上で――、
「ワタシは、ワタシの持てる手札の全てで勝利してみせる」
「――――」
スピンクスの呟きに、水鏡越しに見えるプリシラの表情が変わる。
彼女は、わずかに微笑んでいた。――その微笑みを、不愉快さや不快感ではない、哀切の一片でも交えたものに歪めさせるため、スピンクスは持てる全てをなげうつのだ。
△▼△▼△▼△
彼方に空に生じた穴が、ヴォラキア帝国の破滅の火を呑み込んでいく。
発射された魔晶砲の途上に割り込み、ナツキ・スバルはその目的を達した。『礼賛者』ハリベルとスピカ、ベアトリスも各々の役目を果たしたということだ。
「大儀である。――だが」
その功績を認める一方で、皇帝であるヴィンセントは頭の端で危惧する。
帝国の決戦兵器である魔晶砲の無力化、それがああもたびたびされるのは問題だ。
――国家には常に、他国の侵略を躊躇わせる抑止力が求められる。
隣国が並び立たない強兵の軍、誰も比肩し得ない突出した強者、どのような苦境をも覆し得る強力な兵器――いずれが欠けても、今日の帝国の栄華は成立しない。
その確かな歴史の重みが、内乱に端を発した『大災』で見る影もなくなる。
「そういう意味では、貴様たちは鉄血の掟に守られた帝国の秩序をすでに殺している」
忸怩たる思いを噛んだ奥歯に込めて、ヴィンセントは『陽剣』を振りかざす。
そうするヴィンセントの眼前、横一線に引かれた宝剣の焔を乗り越えて、これまでと毛色の違う屍人たちが飛びかかってくるのを見る。
いったい、奴らの何が違うのか。簡単だ。――ヴィンセントに見覚えがない。
「忌々しき『魔女』めが、滅びる前に学びを得たか」
戦場となった水晶宮前の庭園、その戦線を斬り支えるヴィンセントの前に続々と現れたのは、いずれもヴォラキア帝国の歴史に名を刻んだだろう古の屍人たちだ。
現代の、全ての帝国兵の顔と名前が一致するヴィンセントだが、直接の面識のない過去から蘇らされた屍人の素性までは特定できない。
ここまでの肌感だが、『大災』に呼び起こされる死者の比率は現代に近いものが圧倒的に高い。極端なことを言えば、屍人との戦いの最中に死んだものが即座に屍人として蘇らされているほどだ。――あくまで推測だが、魂にも鮮度があるのかもしれない。
あるいは単純に、年代を遡れば遡るほど死者の蘇りは困難か、対価を多く必要とする。
それ故に、蘇る屍人は現代に近いものが多く、それ故にヴィンセントの記憶と掛け合わせたスバルたちの『星食』の効果は大きかったわけだが――、
「それが通用せぬものたちか」
大なり小なり、蘇らせるのに別の条件が課せられようと、ヴィンセントの記憶に該当しない屍人を用意するのが『星食』を封じる最善手。
それを、魂を焔に焼かれる前に『魔女』は理解していったらしい。
すなわち、立ちはだかる見知らぬ古強者たちを倒す手立ては、ヴィンセントの『陽剣』以外にない。――否、『陽剣』だけなら、ヴィンセントの一振り以外にもあった。
「――プリシラ」
そう、いまだ撤退戦のあとの行方が知れない妹の名を紡いで、ヴィンセントは襲いかかってくる屍人たちとの交戦を再開した。
プリスカ・ベネディクトであり、現在はプリシラ・バーリエルを名乗る不肖の妹。
帝国を去り、名を変えた彼女がルグニカ王国の王選候補者の一人となったとき、事実関係を確かめたヴィンセントは卒倒しかけたものだ。堪えたが。
その彼女が故国の窮地に駆け付けたのは、帝国やヴィンセントを想ってなんて可愛げのある理由ではない。自らに差し向けられた刺客、その刃の持ち主を黙らせるためだ。
もっとも、推定されるその命知らずはすでに命を落としている。
「チシャめ」
ヴィンセントすら欺き、『大災』という世界の宿命に抗うことを決めていたチシャは、プリスカがプリシラとなって生き延びていたことを知る数少ない一人だ。
チシャならばプリスカ時代から知る苛烈な気性を利用し、『大災』を退けなければならないヴィンセントに並ぶ一人として、彼女を呼び寄せる過激な手も打つだろう。
あの白い能面で、戦後の帝位の処理をどうすべきかまで考えていたか知れないが――、
『そこまでお膳立てが必要とは、当方の閣下への評価を改めざるを得なくなる次第』
そんな、皇帝に対する不敬と不忠の塊のようなチシャの残響に舌打ちする。
あまりに彼らしすぎる自分の空想への苛立ちを先送りに、ヴィンセントはチシャの置き土産――プリシラの処遇についての結論は自分の責だと留め置く。
今、プリシラの命の保証は、スピンクスがヴィンセントを彼女の下へ連れていこうとしていたことからも確かめられた。まずはそれでいい。
足りない『陽剣』の数合わせなど、ヴィンセントが剣狼の国の頂としてより順応すれば果たされる。――そう思った瞬間だ。
「――奮戦、見事である。余も先達として誇らしい」
低く、朗々とした声が剣戟の中のヴィンセントの鼓膜を打った。
それと同時に視界を斜めに両断したのは、多くの戦士の剣技を見てきたヴィンセントをして卓越したと言わせる超越的な剣閃だ。
その一閃は、畏れ多くもヴィンセントの玉体に傷を負わせる古強者たちを薙ぎ払い、躱し切れなかったものたちの体を――否、魂を発火させる。
すなわち、『陽剣』の一撃だった。
「――――」
今しがた、その真紅の宝剣の援軍は望めないと見込んだばかりだった。
それ故に、ありえざる助力の登場にヴィンセントは微かに目を見張り、自分と背中合わせに立った相手の横顔を盗み見て、息を詰めた。
知っている顔だ。――その姿かたちを、古い絵画の中で見たことがある。
「――『荊棘帝』か?」
「すでに皇帝の冠は次代に継がれ、今はそなたのものであろう。余が『荊棘帝』などと名乗るのは道理に合わぬ。――ユーガルド・ヴォラキアだ」
「――――」
「ふむ。利発そうで整った容貌だ。思い返してみれば、余は自分の子や子孫の顔を近くで目にしたことがなかった。できるなら多く言葉を交わし、長く顔を見たいが」
そう続ける相手――ユーガルド・ヴォラキアを名乗った屍人にヴィンセントは黙する。
彼が纏った清涼な雰囲気、理性と生気の宿った瞳と肌の色は、これまで目にした数多の屍人と一線を画する。何故、彼には屍人の全員が兼ね揃えた生者への敵愾心や、自由意思を奪われた様子が見られないのか。
「我が星への愛だ」
「なに?」
「余がこうしていることの答えを欲していると思ったが、違えていたか?」
一瞬、ヴィンセントはその言葉の真意を探ろうとし、すぐに放棄した。
考え直したのだ。ユーガルド・ヴォラキアが、古より語られる『アイリスと茨の王』の物語通りの人物なら、その戯言を疑うのも馬鹿らしいと。
故に――、
「今代のヴォラキア皇帝、ヴィンセント・ヴォラキア」
「承知した。では、征くとしよう。――我が子の子らよ」
名乗るヴィンセントにユーガルドが応じ、二人の皇帝が並び立つ。
それはヴォラキア帝国の鉄血の掟、死と共に帝位を引き継ぐ『選帝の儀』の形式上、ありえない剣狼同士の共闘だった。
△▼△▼△▼△
――世界の行く末を決める激闘が続く帝都ルプガナ。
各頂点を巡る超越者たちの戦いが次々と決着し、生者と死者の陣営はいずれも己の最善を最大限に尽くしながら、あるものは倒れ、あるものは前へ突き進む。
そうした各人の奮戦を嘲笑うかの如く、全てをご破算にしようとした二つの災い――天墜する星光は夢を手放さぬ剣客に斬られ、無数の精霊の命を束ねて作られた破滅の火は運命に抗う少年とそれを支える仲間たちに阻止された。
どちらの災いの阻止も、各々が持てる力を尽くした最大の結果と言えるだろう。
しかし、星光が断たれ、破滅の火が掻き消されたこの状況下で、最も生者たちの戦況に貢献したのは前述されたいずれのものでもなかった。
それは誰もが気付き得ず、気付いたとしても届き得なかった『大災』の次なる一手の阻止に単身で辿り着いた人物――、
「――ったく、老い先短ぇ年寄りを働かせすぎなんじゃぜ」
そう愚痴っぽくこぼしながら、『悪辣翁』オルバルト・ダンクルケンの矮躯が跳ねる。
シノビの頭領たる怪老の低い跳躍、地を這うような奇怪な動きが目指す先は、通路の奥に描かれた赤い血の魔法陣を守護する屍人の術士だ。
オルバルトに掌を向ける術士、その周囲の壁や床から溢れる黒い汚濁が鎖となり、迫ってくる怪老の手足を縛ろうと唸りを上げるが――、
「ワシ、この道九十年とかじゃぜ?」
鎖が届くより早く、オルバルトが右腕――肘から先のない腕を強く振り、その何もないはずの袖の内からクナイを投じた。
それは接近を警戒した術士の眉間に超速で突き刺さり、弾かれた相手を壁の魔法陣へと叩き付ける。直後、オルバルトの左の掌底が術士ごと、魔法陣をぶち抜いた。
物心ついた頃から磨かれた武芸の極致が、術士と魔法陣を粉々に粉砕する。
必要以上に屍人を殺すなと厳命されているが、魂をいじくられた異形の介錯と、今しがたの術士のような相手はその括りの例外だ。
城の空間を狂わせる魔法陣を守護する術士、これで十人ほど始末したが――、
「――。ようやっと解けよったかよ」
カサカサに乾いた老人の肌で空気の変化を感じ取り、オルバルトが呟く。
豊かな眉に隠された双眸で睥睨する水晶宮の城内、そこに蔓延していた異様な空気――見知った城の構造を、見知らぬ魔宮へ作り変えた異変がほどけたのがわかった。
繋がるべき扉が繋がらず、乗り込んだ窓から望みの場所に届かせないそれは、幻を見せる術技か空間そのものを捻じ曲げた魔法か、いずれであれ――、
「ひとまずこれで仕事が……って、オイオイ、ヤバくね?」
一難去ってまた一難と、立て続けの異変にオルバルトが声を渋くする。
空間のねじれが直ったかと思えば、次なる水晶宮の異変はわかりやすい。――城全体が強烈に帯び始めるマナの波動、魔晶砲が起動したのだ。
「ちいっ、モグロの奴、もうちびっと踏ん張ってくれねえとじゃろうに」
起動する魔晶砲の振動に、オルバルトは水晶宮の中核であるモグロ・ハガネ――『鋼人』と称される、水晶宮という『ミーティア』そのものへの不平をこぼす。
これまで、健気なモグロはヴィンセントからの指示を守り、魔晶砲を『大災』側に利用されないように耐えしのいでいたのだろうが、それも突破されたらしい。
魔晶砲が相手の兵器として解禁されるのは、非常にヤバい。
「ガークラでも狙われちゃシャレにならんのじゃぜ」
死者の大軍を引き付け、帝国の存亡をかけた籠城戦をしているはずの『城塞都市』は、その強固な防壁が戦いの要になっているはずだ。それを魔晶砲が吹き飛ばすようなことがあれば、形勢は一気に傾き、都市は壊滅するだろう。
そしてそれは、ヴォラキア帝国が再起不能の損害を被ることと同じだ。
仮にオルバルトたちが『大災』の首魁を滅ぼせても、今城塞都市にいる人員を失えば帝国の建て直しは不可能になる。――それは、ヴォラキア帝国の終焉を意味するのだ。
――オルバルト・ダンクルケンには野心があった。
歴史の陰で暗躍することを求められるシノビ、その頭領である自分が派手に盛大に帝国史に名を刻み、自身が一生を捧げたシノビの在り方の根底をぶち壊すこと。
そのためにも、手っ取り早い皇帝への謀反や、その暗殺といった派手な暴挙の魅力にたびたび駆られた。それが『大災』の登場でご破算になり、どうにも裏切るには時機を逃した感が否めないでいたが、ここでそれがきた。
もしも、魔晶砲が『大災』の勝利を決定付けるような使われ方をしたなら、そのときはオルバルトは帝国の『将』ではなく、ただ一人のシノビとして野心を叶える。
『大災』が何を目論んでいようと、颯爽とヴィンセントの下へ駆け付けて、その勝利を横からかっさらい、個人的な大望を果たさせてもらうのだと。
故に――、
「――これがワシの最後の裏切り時じゃったのによぉ」
空間のねじれを解消した城内を一気に駆け上がり、オルバルトは魔晶砲の砲台へ到達。そこで僅差で発射されてしまった魔晶砲の余波に白い眉毛をなびかせながら、放たれた破滅の火が空に開いた大きな穴に呑まれるのを見届ける。
魔晶砲が帝国の滅びを決定付けていたら、オルバルトは未練なく帝国を裏切れた。
だが、そうはならなかった。
「かかかっか! あのチビ、魔都だけじゃなくてここでもやらかすかよ! 本気で敬老精神の欠片もねえんじゃぜ、最近の若ぇ奴らはよぅ!」
彼方の空に見えた黒髪の少年と精霊の小娘、二人の姿にオルバルトは呵々大笑。
これで、オルバルトが少年に思惑を外されるのはカオスフレームと合わせて二度目だ。だが、それをされたことに対する怒りや憎しみというものはない。
歳を取ると、色んなことに諦めがつきやすくなる――なんて理由ではない。オルバルトは諦めが悪い方だ。だから、諦めではなく、負けを認めただけ。
「相手がワシより上回ったんならしゃーねーじゃろ、それ」
百年近く生きてきて、オルバルトが叶えられなかった夢は数え切れない。無論、力ずくで叶えてきたものもたくさんある。それが物の道理というものだ。
それ故に、オルバルトはやけっぱちで皇帝を暗殺して歴史に名を遺すという、帝国的には『アイリスと茨の王』でアイリスを殺した狼人ばりの暴挙の悲願を手放せた。
そうして、悲願を手放して空っぽになった左手を手刀に構え――、
「――そしたらワシの次の、救国の英雄って夢に付き合ってくんね?」
「――――」
そう低く笑うオルバルトの眼前、砲台のすぐ傍に白髪の女が立っている。
水晶宮の最上層、破滅の火を発射し終えたばかりの魔晶砲の砲台には、むせ返るようなマナの奔流が吹き荒れ、五感をやりたい放題に掻き回してくれている。
その中心、大小様々な魔晶石の使われた水晶宮の要、魔晶砲の心臓部である魔核の嵌め込まれた台座に、白い女は手を置いたまま微笑みかけてくる。
そして――、
「あなたがここにいるのは望ましくありません。――要・排除です」
「いけない、オルバルト。相手、『魔女』」
微笑む女――『魔女』の周囲で黒い風が渦を巻き始め、それに対する警戒を促すように魔核そのものがモグロの声で喋った。
その『鋼人』からのわかり切った警告に、オルバルトは苦笑して、
「言われなくてもわかってるっつの。――この歳でもボケちゃいねえんじゃぜ」
床を蹴る『悪辣翁』は自らの夢を終わらせ――そして、この瞬間にあったはずの帝国の滅びを遅らせることとなった。
△▼△▼△▼△
「やらせると思うな! ――運命様、上等だ!!」
抱き合ったベアトリスのアル・シャマクが、魔晶砲の放った一発を彼方へ飛ばした。
ぎゅんぎゅんと、そのための力が自分から引き出されるのを感じながら、しかし、スバルにはベアトリスのした無茶を支え切れるという根拠のない確信があった。
――いや、成功した今、それは根拠のある確信だったと言い直せる。
「たぶん、絆の力だ!」
負担を引き受け、分散したりもするスバルの『コル・レオニス』は、離れに離れた場所にいる『プレアデス戦団』のみんなと今も繋がりっ放しでいる。
それは一丸となった全員の力を引き上げるのと同時に、置いていかれそうになる誰かに肩を貸し、背中を押して一緒に走るための活力をも分配する。
まさに『一人はみんなのために、みんなは一人のために』を実現する力だ。
おそらく、たぶん、かなりの確率でこの瞬間、『城塞都市』で戦ってくれているみんなにいきなりでかい負担がかかってしまったと思うが、きっと大丈夫と信じたい。
いずれであれ――、
「あれを防いだのがでっかいかしら!」
「ああ! てっきり、ガークラを狙うもんだと思ったけど……」
空の穴が閉じるのを見届け、声を大きくしたベアトリスにスバルはそう応じる。
魔晶砲を止めなければならない一心で、無我夢中でその射線上に割り込んだスバルたちだったが、その砲門が向くのはてっきり城塞都市だと思っていた。
帝都の一ヶ所を吹き飛ばすよりも、今、世紀の攻防戦が繰り広げられている城塞都市に取り返しのつかない一発を入れられる方が一番怖い。
だが、実際に阻止してみれば、魔晶砲が狙っていたのは帝都の南側だ。
「無意味な攻撃なんてするはずねぇ。絶対に意図がある」
「――。南にいる厄介な誰か、ガーフィールを狙ったのよ?」
「確かにうちのガーフィールはどこにお出ししても恥ずかしくない弟分だけど……」
帝都の最南である第一頂点には、最も広範囲を守護する役割として『雲龍』メゾレイアが配置されており、ガーフィールにはその単独撃破を任せてある。
正直、無茶振りどころか無茶無理無謀振りぐらいの大役だが、ガーフィール以外には任せられない役回りだった。その重要さを考えれば、相手がガーフィールを狙ったというのはありえない可能性ではないが。
「そもそも、誰が撃った? スピンクスをやっつけた今、次は誰が仕切ってる?」
「……生き返ったヴォラキア皇帝とか怪しいかしら」
「この期に及んで帝国を助けたくなくなる理由を増やさないでほしい……!」
『大災』を率いるスピンクスを倒したかと思えば、歴代のヴォラキア皇帝が現代の帝国の不甲斐なさを儚んでラスボスに繰り上がる、なんてやめてほしい。
第一、そのパターンを許したら、何人の皇帝を倒せばいいのかわからなくなる。
「でも、今の攻撃の組み立てにははっきりした狙いを感じたのよ。だから……」
「――ベア子!」
自由落下の風にドリルツインテールを任せるベアトリス、その柔らかいほっぺを両手で挟んで、「んにゃっ」と悲鳴を上げる彼女を強引に振り向かせる。
そのスバルとベアトリスの視界、猛然と空を切り裂いて迫る威容――連環竜車で遭遇し、一度はハリベルに落とされたはずの『三つ首』の邪龍が映り込んでいた。
三つある邪龍の頭部、六対の金瞳がスバルたちを捉え、咆哮する。
「「「――――ッッ」」」
「ヤバいマズい身動きできねぇ!」
「――! くるのよ!」
明確な敵意を向けられ、スバルとベアトリスは身構える。
自由に空を切り裂く邪龍に対し、抱き合うスバルたちは空中、自由落下中、スピカやハリベルとついでにアベルとは離れ離れで五里霧中――。
「――っ」
思考が白熱し、世界がゆっくりになる中でスバルは必死に頭の中の手札をめくる。
できることはあまりに少ない。『死に戻り』の次のリスタート地点の設定が未確認。呼び寄せられる仲間は皆無。魔法か権能か、できて一手だけ。
一瞬の思いつき、ベアトリスを抱き寄せ、それを口にしようとして――、
「――私と違って君たちは自由に飛べないだろう? ハラハラさせないでほしいねーぇ」
瞬間、呆れを孕んだ笑みがスバルとベアトリスをかっさらった。
そのきっかり一秒後、邪龍の放った息吹が空を薙ぎ払ったが、まさにスバルたちは間一髪の神回避、それをもたらした相手の細い腕の感触にスバルは目を輝かせた。
「――ナイスタイミング、ロズワール!」
「屈辱かしら! こんな抱え方、ベティーは許さんのよ!」
「おーぉやおや、左右で両極端な反応だ」
そう、左右の小脇に抱えたスバルとベアトリスの反応に苦笑したのはロズワールだ。
ガーフィールやハリベルと同じく、帝都の頂点攻略の役目を任せてあった彼は、その魔法で自由自在に空を飛び、『三つ首』バルグレンをおちょくるように撹乱する。
その文字通りの空中戦を行いながら、ロズワールはスバルたちを見やり、
「よくぞ魔晶砲を止めてくれたねーぇ。状況は?」
「スピンクス撃破! ゾンビの原因がある城の攻略開始! 魔晶砲の狙いは不明!」
「端的でわかりやすい。……そうか、スピンクスを倒してくれたのか。それはそれはありがたいのと申し訳ないのとがあるが……」
「――? 何か気掛かりか文句があるのかしら?」
スバルからの報告を受け、ロズワールが表情を曇らせ、言葉を濁した。
いちいちロズワールの言動に厳しいベアトリスだが、今回の彼女のじと目は穿ったものではない。スバルも、彼の思案顔には気掛かりを覚えた。
そんなスバルたちの視線に、ロズワールは「いや」と言葉を継ぐと、
「あれは過去にも一度滅んでいる。認めたくはないが、目的を果たすための執念とそのための周到さは私にも引けを取らないだろう。――まだ、確信が持てなくてね」
「――。自分の名前を出して、ベティーたちを嫌な気持ちにさせる男なのよ……」
「無論、倒せていないとまでは言わないさ。ただ、自分が死んだぐらいで失敗に終わる計画を立てる敵なら、あれは三百年以上も世界の敵でありえなかっただろう」
そのロズワールの推測を、悲観的と捨て置くことはスバルにはできなかった。
彼の言う通り、『魔女』スピンクスがなんてことのない敵だったなら、ヴォラキア帝国がこうまで滅びに近付くことなんてなかったはずなのだから。
事実、スバルたちが阻止した魔晶砲も、発射されたのはスピンクスが滅んだあと。
まだ、『魔女』は帝国を滅ぼすための手を打っている恐れがある。
「だったら、その全部を潰すだけだ。差し当たっては……」
「あの、大きくて普通の龍より三倍うるさい龍をちゃちゃっと退場させるかしら! キリキリ飛ぶのよ、ロズワール!」
そうベアトリスに囃されるロズワールが苦笑し――邪龍との空中戦が始まった。
△▼△▼△▼△
――ヴィンセントとユーガルド、本来なら背を預け合うことなどありえない二人のヴォラキア皇帝が剣舞を舞い、炎を伴う紅の剣閃が嵐の如く荒れ狂っていた。
「すごい……」
その、眼を焼かれる錯覚を覚えるような光景に、タンザは呆然とそう呟いた。
水晶宮の方角から戦いの気配を感じ取ったユーガルドは先行、ヨルナと手を繋いだタンザが追いついたときには、すでに二人の皇帝の共闘は始まっていた。
閃く『陽剣』の輝きに照らされ、その魂を燃やされていく屍人たちはいずれも手練れであり、あのロウアンという屍人と大きく実力差があるようには思わない。
しかし、吹き荒れる赤い剣風は彼らを寄せ付けず、ユーガルドたちの言葉も視線も交わさない連携により、圧倒されていく。
「……閣下が、ああして誰かと剣を振るう姿なんて、初めてでありんす」
ふと、タンザと同じ光景を見つめるヨルナがそうこぼした。
そこに込められた感情の複雑さはタンザには計り知れない。――揺れる瞳も震える声も、その全てがタンザには寄り添う以上のことができない年月が作ったもので。
はっきりと、詳しい事情はわからない。
ただ、ヨルナは古い時代から蘇ったユーガルドと恋仲で、そこには単純な長生き以上の理由があるのだと、そうわかっているだけ。
その、タンザの知らない絆の積み重ねが、自分とユーガルドとの優劣に思えて。
「タンザも閣下も、愛しておりんす。どちらもわっちの大切な存在で、わっちの胸の中、愛し方が違うだけでありんす」
「あ……」
タンザの胸に滑り込んだ不安、それをヨルナに見つけられ、顔を伏せたくなる。
が、タンザは握る手の感触を頼りに、そして自分がここに立っている理由を胸に、これ以上、自分を憐れむのも惨めにするのもやめた。
顔は、上げていないといけない。
それがタンザが、これまですごいと思った人たち全員に共通していたことだ。
「――っ」
きゅっと強く歯を噛んで、タンザは自分の神経を鋭敏に尖らせた。
あの恐ろしいロウアンとの戦いで心に傷を負ったのか、本調子でないヨルナを守る役目を自分は任されている。戦っているユーガルドはもちろん、ここにくる途中で別行動になったエミリアにも、頼ることはできない。
だから、ユーガルドたちの戦いに迂闊に混ざれない以上、タンザにできることはいち早く周りの異変があれば、それに気付くこと――。
「――ヨルナ様! あれを!」
その警戒心が功を奏した。
丸い目を見開いたタンザは、ヨルナと繋いでいない方の手で水晶宮の最上層を指差す。そのタンザと同じものを見上げ、ヨルナも切れ長の瞳を見張った。
二人の視線が射抜いたのは、水晶宮のてっぺんに程近い半球状の塔――タンザは知らないが、それは水晶宮の切り札である魔晶砲の砲台がある塔だ。
その塔が内側から光り、次の瞬間、激しい爆音と共に壁が吹き飛ばされる。盛大に城の破片をばら撒きながら破壊された塔、それにタンザは目を瞬かせた。
そして、濛々と立ち込める噴煙の中から、小さな影が姿を見せ――、
「オルバルト翁?」
どこか呆気に取られたヨルナの声は、それだけ見えたものへの驚きがあった証拠だ。
ゆっくりと、壊れた壁から姿を見せたオルバルトは、超然として飄々としたいつもの怪老らしい様子ではなく、ボロボロの装束を血に染めていて。
そのまま、オルバルトは眼下、タンザたち生者の姿に気付くと――、
「閣下! このままだとやべえ! まだ『魔女』の仕掛けが終わってねえんじゃぜ!」
そう、らしくない印象を後押しするように、決死の声で叫んだのだった。
△▼△▼△▼△
そうして、血染めの装束でオルバルトが叫んだのと同刻――直感を理由に、予定にない行動に走ったことをとても反省しながら、エミリアはそこに立った。
一生懸命、どうするのが一番いいのか考え抜いてくれたスバルやアベル、その考えに背いて、タンザやヨルナたちと別行動を選んだのは大きな決断だった。
「もしも、気になったのがただの私の勘違いなら、大急ぎでタンザちゃんたちのところに戻らなくちゃって思ってたけど……」
わずかな引っかかりと空気の変化、錯覚と流してしまいそうなそれを追いかけて、エミリアは水晶宮ではなく、そのさらに北の方角へと駆け抜けた。
そしてそこで、いるはずのない相手を見つけたのだ。
ただそこにいるだけなら、誰が相手でもいきなり悪さをしてるなんて決めつけてはいけない。でも、この相手はちょっと例外だった。
だって――、
「すごーくビックリしたわ。――どうして、エキドナがここにいるの?」
そのエミリアの呼びかけに、白髪の『魔女』が振り返る。
彼女はその整った容貌に、ほんのわずかな驚きを交え、言った。
「その驚きはワタシの方が適切かと思います。――『嫉妬の魔女』」と。