第八章64 『帝国の親子』
――ロウアン・セグムントという人物は、父親には全く不向きの男だった。
いわゆる一般的な感性なんてものは花形役者には不要と考えているセシルス・セグムントをして、ロウアンが当たり前の家族像からかけ離れた父親なのはわかる。
理想的な父親というものは、子どもが自分の望んだ通りに『育たなさそう』という理由で我が子を斬り捨てたりはしないものだ。
およそ父性愛とは無縁の一本気の通った異常性、それがロウアンがセシルスの兄たちを赤子のうちに殺した理由の全てである。
『天剣』へ至るという目的のためなら、何を踏み躙っても構わないという真正の凶気を宿した剣客――ロウアン・セグムントは、それ以上でも以下でもない。
おそらく、世界中を見渡しても有数の父親落第者だと思われるロウアン。その尊敬も家族愛も抱けない父親の息子に生まれ、セシルスは自分が幸運だと心から思っていた。
――ロウアンの抱いている『天剣』への望みは、セシルスもまた抱いているものだ。
そのはるか遠くにある、目には見えない雲上を徒歩で目指すような試みは、余所見や寄り道をしていて叶えられるものでは到底ない。
もしも真っ当で歴史のある名家や、一食のための押し込み強盗を躊躇するような家族に清貧に育てられていたら、『天剣』へ至るというセシルスの願いに余計な不純物が混ざらなかった確証はなかった。
だから、ロウアン・セグムントなのだ。
邪魔なしがらみとなる血縁者さえも全て斬り捨て、不退転の覚悟で剣の道を究める障害を躊躇なく取り除き、息子の命なんて二の次の試練を次々用意する。
そういう、純粋で混じりけのない剣に懸ける凶気を、ロウアンは惜しみなくセシルスに注いでくれた。
故に、セシルスは思うのだ。
――ロウアンの息子として生まれた自分は、やはり持っている、と。
△▼△▼△▼△
夢の鞘より引き抜かれ、現の空を奔った『夢剣』の一閃――。
それは世界の崩壊さえも誘発させかねないと思わせた光の爆裂を真っ向から斬り払い、片目に青い炎を宿し、血涙を流す美しい少女へと切っ先を届かせた。
その超常の一刀を浴び、少女――アラキアの細身は命ごと両断される、とはならない。
何故なら、この世非ざる理で鍛えられた魔剣は、その斬撃の結果すらも常識に寄り添うことをしないからだ。
――『石塊』ムスペル。
四大に連なる一体であり、ヴォラキア帝国の大地を支える大精霊。
自らが『夢剣』マサユメで調伏したのが、アラキアであってアラキアではない、彼女の存在を塗り潰しかけていた超存在と感覚的にわかっていても、その正体まではセシルスには知りようがなかった。
もっとも、知っていたところでセシルスの覚悟も行動も変わりはしない。
たとえ、ムスペルを滅ぼすことで帝国の大地が大精霊諸共崩れ落ちるとわかっていても、セシルスが『夢剣』を振り抜くことは必然だった。
帝国の大地より、ヒロインの存在を優先するのは花形役者として当然の判断だ。
そもそも、セシルスが正しいと信じ抜いて実行したことが、悪いエンディングに結び付くなんてことは脚本的にありえない。
それ故に――、
「――――」
内に取り込んだ力を抑え切れず、はち切れる寸前になっていたアラキア。
その彼女を脅かした膨大な力を『夢剣』で調伏したセシルスの眼前、アラキアを取り巻いていた無数の光の帯――金剛石のそれが眩い粒子に変わり、赤い帝都に溶けていく。
そうして光の粒子が乱舞する中をゆっくり落ちてくるアラキアに、セシルスは自分の腰に夢のように降って湧いた鞘に『夢剣』を納めて手を伸ばす。
満身創痍の姿だ。全身に多くの裂傷を負い、血みどろのキモノは破れてほつれ、勝負衣装というには攻めすぎたデザインになってしまっている。
しかし、その痛々しい姿と裏腹に、アラキアを抱きとめるセシルスの双眸の光に一切の陰りはなかった。
「――――」
くったりと、意識のない彼女は両目を閉じて、死んだような寝顔を見せている。
実際に死んでいないのは手応えでわかっているので、慌てふためくようなことはない。ただ静かに、やれやれと肩をすくめるのみだ。
「本当に人騒がせなものですよ、アーニャ」
戦いの最中にぼんやりと蘇った記憶、その大半はビフォア・セシルスをアフター・セシルスの姿に縮めた友人との夕暮れの中の会話だった。しかし、それを除いた大半以外の部分の記憶に、一番多くの足跡を残していたのが彼女だ。
自他共に他人の面倒を見られないことに定評のあるセシルス。その自分にここまで大変なフォローをさせるのだから、手のかかることこの上ない。
もしかすると、帝国で一番手がかかる人間と言っても過言ではないのではないか。
「……片付いた、って思っていいんだよな?」
そのアラキアを抱いたセシルスの背に、やや緊張気味の声がかかった。
警戒心強めの足音を立てながらやってくるのは、セシルスに負けず劣らず、戦いの余波でボロボロの有様となっているアルだ。
頂上決戦の端を消し炭にならずに生き延びただけでなく、最後にセシルスの見せ場に武器を投げ渡した助演ぶりと、彼は見せ場というものをよくわかっている。
「なかなかいぶし銀な活躍ぶりでしたね、アルさん。あそこで僕の意図を汲んで武器を投げ込んでくれたところなんて実にポイント高いと思いましたよ」
「何のポイントだよ、お前の好感度? だとしたらマジでどうでもいいぜ」
うんざりとばかりに肩を落とし、「それより」とアルはアラキアを見やる。鉄兜越しの彼の視線は戦々恐々、おっかなびっくりといった雰囲気だが。
「アラキア嬢ちゃんは……」
「死んではないです。むしろ死なせて決着しないためにそれはもう限界を二枚も三枚も破るなんて無茶をさせてもらいましたからね。殺して止めるだなんてとんでもない! 期待には応えて無粋な予想は裏切るのがセシルス・セグムント流です」
「……殺さねぇでいいなら、オレもその決着にやいやい言わねぇよ」
ぐいっと胸を張り、そう答えたセシルスにアルは兜の金具を指でいじりながら嘆息。
アルの懸念はもちろんわかる。アラキアを生かした場合のリスクは、果たして殺した場合の安心感と引き換えにして見合うものなのか、という話だ。
しかし――、
「そういうややこしい上に胸の躍らない話し合いでしたら僕がいないところでしかめっ面の似合う賢い方とでもどうぞ。僕の答えはアルさんの見ている通りですので」
「……元からお前の説得とか論破とか無茶、無理、無謀の三拍子ってわかってたよ。その嬢ちゃんのこと、責任取れんだろうな」
「どうやら元々そのつもりだったみたいですよ。初めてアーニャを負かしたときから責任は背負ったつもりでいたみたいです」
我が事ながら他人事のようでもあるふわふわした感覚でそう答え、セシルスは腕の中のアラキアの寝顔に、今より幼い彼女の顔が重なるのを見て取る。
夕暮れの中で別れた友人と同じで、相応に長い付き合いであったろうから見える幻だ。もう少し本腰を入れて、引きの展開を気にしすぎる記憶を叩くべきかもしれない。
「でもそのエピソードを掘り下げる前に僕の別の責任を果たす必要があるみたいですね」
「あ?」
ふと呟いたセシルスに、アルが意表を突かれたような声を上げる。が、セシルスは言葉で答えず、ただ視線を別の方に向けるのを答えとした。
アラキアとの戦いの余波で、建物も街路も何もかもが溶けてしまった赤く染まる地獄のような帝都――その光景に、相応しい姿の凶気が立っている。
「――――」
メラメラと、その全身に消えぬ炎を纏わりつかせた青髪の男。
焼け焦げ、黒く炭化した肌は特徴の一つを隠しているが、爛々と光り輝く金瞳の存在感はその男が屍人であることを一目で万人に知らしめる。
そしてセシルスには、そこらの万人以上の一個の事実を知らしめていた。
「――おやおやおや、誰かが猛然と走ってくると思えば燃えて登場とは! これはこれはなんともド派手な演出じゃありませんか」
闇雲に走っていたわけではなく、ちゃんと目的があって走っていたのだろう。
生き急ぐような足取りがこの場で止まったのは、その目的がこの場所に――否、他ならぬセシルス・セグムントにあったからだ。
――『天剣』を目指し、あらゆる全てを蔑ろにしてきた剣客、ロウアン・セグムント。
ついには己の命さえも不要と捨てたのか、変わり果てた姿でこの場に辿り着いた父に、セシルスはうんうんと何度も頷き、笑った。
ロウアンも焔に呑まれながら嗤っている。セシルスも、血みどろの姿で笑った。
剣に生きて、死ぬしかない親子が笑い嗤い――、
「今、初めて父さんに思いました。――嫌いじゃないです、むしろ好き」
そう言って、皮肉にもアフター・セシルスは忘れてしまった、ビフォア・セシルスが交わした約束を果たす機会を言祝いだのだ。
△▼△▼△▼△
――ロウアン・セグムントは『天剣』を渇望する。
何故、どうして、何のために。
そんなつまらない問答は聞き飽きた。一切合切、ロウアンには関係のない戯れ言だ。
切っ掛けなど記憶の彼方、始まりなど忘却の水底。
ひとたび、剣の形をした鋼に触れたそのときから、ロウアン・セグムントにはそれを振るうことを究める道以外に残されていなかった。
『星詠み』として天命を授かり、『天剣』に至るだろう器として息子を儲けたあとも、ロウアンは他ならぬ自分が『天剣』へ至るための研鑽を重ね続けた。
自らが『天剣』へ至るための最大の敵、それを自らの手で生み出してしまった事実さえも礎にするべく、研鑽に研鑽と研鑽の研鑽を研鑽し――、
「嗚呼……晴れ舞台で、ござんす」
燃ゆる魂、灰になりかけの命、尽きる寸前の我が命運。
それら全部を焔にくべて、ロウアンは自我を幽世へ滲ませながら、生者にも屍人にも至れぬ領域――生と死の狭間、あるいは彼方というべき点に入り込む。
それは、命や魂というものの在り様を、本質をめくるということに等しい。
あと数秒、されど現実、ロウアン・セグムントの存在最後の意義が溢れる。
「――――」
屍人の体が砕かれるたび、共に蘇り続けた愛刀を構え、前を向く。
揺れる焔の彼方に見える小さな影、それが自分と全く同じ構えを取るのが見えて――、
「――いざ、尋常に」
「勝負――!!」
――『天剣』へ挑むロウアン・セグムントの、刹那の瞬きが閃いた。
△▼△▼△▼△
「アーニャをお願いします」
もはや道とは言えなくなった通りの残滓、そこに現れた燃え盛る姿のロウアンの求めに応じるべく、セシルスは腕の中のアラキアを強引にアルに押し付けた。
いきなりのことに「オイオイ!?」と戸惑うアルの声が聞こえたが、聞こえたそれを意識の淵から追い落として、セシルスは全神経をたった一人に集中する。
再び、セシルスの世界から色が、音が、臭いが消えて、鋼の鼓動だけが支配した。
『――いざ、尋常に』
腰の刀に手を添えて、構えるロウアンの唇がそう動いたのがわかった。
音としては聞こえなくとも、派手好き見栄っ張りの親子の情が魂に聞こえさせる。
故にセシルスも、威風堂々とそれに答えた。
「勝負――!!」
刹那、彼我の距離が一瞬で消失する。
それは『青き雷光』たるセシルスの戦いでは珍しくも何ともないことだが、この一瞬はセシルス一人で作ったものではなく、ロウアンが人域の境界線を跨いだ証だった。
「驚きました」
これは素直な感嘆だった。
数時間前、まだ生きているロウアンと別れたとき、セシルスの目から見て、父はこの領域には至れていなかった。しかし、屍人となって再び邂逅した今、ロウアンの剣力は飛躍的に伸び、剣才は死後の開花を迎えている。
それは速度でも技の練熟でもない、意識の変化が引き出した変革だ。
メンタルがパフォーマンスに与える影響は馬鹿にしたものではないが、かといって精神的な殻を破っても劇的に身体能力が向上したりはしない。なので、ロウアンに起こった変化はそうした極端な物理的変化ではなかった。
――ロウアンは、『一歩』深く踏み込めるようになったのだ。
物理的な一歩ではないそれは、フィーリング以上の説明が難しい。素人と玄人の間に大きな隔たりがあるように、玄人の中でも二流と一流の間にはまだ隔たりがある。
そして、一流と超一流、そのさらに上の超越者との間にも隔たりがあるのだ。
その目には見えない、言葉でも説明し切れないそれを、あえてセシルスはここでは『一歩』と表現し、ロウアンがその境界を跨いだことを認める。
生前は越えられなかった一歩の差を、死を経験して越えたとは。
それをなんと馬鹿なことをと、あまりにも皮肉だと人は言うだろう。だが、他ならぬセシルスだけは――、
「嫌いじゃないです、むしろ好き」
消えぬ焔に体を、命そのものを焼かれながら、死域に踏み込んだロウアンの剣撃が放たれ、音も色も掻き消えた世界で奔る剣閃にセシルスは惚れ惚れする。
たゆまぬ鍛錬、手を抜くことのない研鑽、それらが宿った剣光に目がチカチカした。
ロウアンは最低最悪の父親として評されるだろうし、セシルスもそれは否定しないが、自分の配役に全霊を注ぎ続ける精神性、そういうところは愛している。
「――――」
燃え尽きる寸前の命を燃料に、生前と死後、合わせて最高の剣撃を放ったロウアン。
研ぎ澄まされたその剣撃は、セシルスをして死を想起させる剣気を孕んでいた。――その一心不乱が生み出す悪夢のエンディングを、『夢剣』マサユメは許さない。
『邪剣』ムラサメはあらゆるものの芯という概念を断ち切る魔剣。
対して、夢を鞘とする『夢剣』マサユメの真価は――、
「――夢を喰らい、夢を叶える」
叶えたい願いのモチベーションと引き換えに、願いを叶える剣力を宿す魔剣。
故に『夢剣』は夢を現にする『正夢』の名を与えられ、所有者次第でナマクラにも、世界すら断つ魔剣にもなり得る一刀として謳われ続けてきた。
願いを果たした代償に、願いに焦がれた理由すら忘れた人々の手を渡り幾星霜、幾度も所有者を変えながら、今、『夢剣』はセシルスの手に収まっている。
それはセシルスにとっても、『夢剣』にとっても奇跡的な巡り合わせだった。
何故なら――、
「僕の夢やモチベが枯渇することなんてありえませんからね!」
それが、セシルス・セグムントが『夢剣』の主である理由。
抱いた夢への規格外の渇望が、『夢剣』マサユメのポテンシャルを最大限発揮する。
――刹那、放たれた一閃は夢現の境界さえ一緒くたに斬った。
「――――」
直前の、セシルスとアラキアの頂上決戦と比べれば、あまりにも静かな一戦だった。
帝都や帝国、世界に与えた影響も微々たるもので、放っておいても消えるはずの屍人との一騎打ちなど、些末事以外の何物でもない。
しかし、セシルス・セグムントとロウアン・セグムントの親子には、意味があった。
「……嗚呼、まったく、なんて親不孝者でござんしょう」
一合、切り結んだ刹那にすれ違い、親子は互いに背を向けていた。
もはや顔を見ることも叶わない屍人の父は、忌まわしげにそう長々と息を吐いて、
「こんなことなら産湯に浸けてるときに、サクッと斬っちまえばよかった」
「ははははは! ええ、ええ、そうですね! 父さんの勝機はそこだけでした!」
実に潔くない負け惜しみに、セシルスは呵々大笑と大笑い。
そのあけすけなセシルスの笑い声を聞きながら、ロウアンは空を仰いだ。形を失った刀が塵と化し、その燃ゆる指先から存在をほつれさせながら、金瞳が細められる。
そして――、
「次だ、次。――死んだぐらいで諦める某じゃござんせん」
最後の最後まで、父親らしい言葉なんて一個も残さずにその体が、魂が灰になる。
それが『天剣』を目指し続け、死してなおもその願いを手放すことのない、ロウアン・セグムントという凶気の剣客の、最期だった。
△▼△▼△▼△
嗚呼、嫌だ嫌だと、消えかけながらロウアンは思う。
生涯、歩みを止めずに歩み続けて、結局自分は『天剣』へ至れなかった。
焼かれ、燃えゆく魂の最後の眩さも、剣の頂への見えざる道を照らし出すことはついぞ叶わなかった。何とも、何とも歯痒い次第である。
この調子でいけば、『天剣』へ至るのはセシルスになるだろうか。
自分ではなく息子とは、実に底意地の悪い剣神の計らい。無念と失望、落胆と悲嘆、言い出し始めれば負の想念は尽きないし拭い去れない。
とはいえ――、
「まぁ、他の誰に至られるよりマシではござんすか」
最後の立ち合い、ロウアンがセシルスに勝れていれば『天剣』へ至れたのか。
勝れなかったのだ。究極、実現しなかったもしもを考えても意味がない。意味がないことをロウアンは考えない。ましてや、消える寸前だ。
しないことをすべきでないと、他のことを考えようとして、ふと気付く。
物心ついた頃より『天剣』を目指し、寝ても覚めても『天剣』へ辿り着くことばかりを夢想することで、自分という存在を今日まで続けてきた。
そのロウアンが『天剣』へ届かないと結論すると、考えることが何もなかった。
「ふむ」
『天剣』への渇望を抱いて以来、初めてそれを手放した。
その感覚はロウアンに解放感よりも喪失感と、ある種の居心地の悪さを感じさせた。魂がこそばゆいとすら感じる感覚の中に、ロウアンは生まれて初めて思う。
――自分が生涯を費やして至った魂の一閃は、息子の道行きを照らす蝋燭の火くらいにはなっただろうか、と。
△▼△▼△▼△
灰と塵だけを残し、ロウアン・セグムントの姿が消えてなくなる。
それが正しく、父の死を意味することをセシルス・セグムントは魂で理解した。
生者としてはすでに終わり、屍人に成り果ててでも『天剣』を目指したロウアンの、燃えて尽きる寸前の命を、この手で確かに断ち切ったのだと。
「アルさん、いきなりアーニャを預けてすみません。腕一本だと誰かを抱えるのも簡単じゃないでしょうしまた僕の方で引き取りますよ」
役目を果たしたマサユメを鞘に納め、振り向くセシルスがアルに声をかける。
しかし、その呼びかけにアルの返事はない。彼はその場に膝をつき、片手でアラキアの体を支えながら首を力なく横に振り、
「なんで……平気なんだ?」
「と言いますと?」
「わかるだろうが! 今のは、てめぇの親父さんじゃねぇか! 別れたときはちゃんと生きてて、なのに死んで敵に利用されて、それを!」
「待った待ったストップです、アルさん。ちょっと勘違いしてるのでそこだけは訂正させてください。父さんは確かに死人になってましたけど利用はされてないです。父さんが斬りかかってきたのは正気をなくしたからじゃありませんよ」
「な……」
「ああ、ちなみに普段通りって意味で正気と言ってますのでもしかしたら父さんは普段から正気とは程遠いかもしれません。そこはあしからず」
ひらひらと手を振り、セシルスはロウアンの精神性についてそう付け加える。
いずれにせよ、アルがロウアンが屍人にされ、その上で精神を捻じ曲げられて襲ってきたのをセシルスが返り討ちにした、なんて誤解するのは解きたい。
「子の親殺しなんて作劇としては『マグリッツァの断頭台』でもあったメジャーな展開ですよ。――もっとも、僕と父さんがこうなることはだいぶ前から運命に予約されていたことではありますが」
「運命の、予約……?」
「なので、その時がきたというだけです」
それはセシルスもロウアンも、お互いにいずれ来るとわかっていた決着だ。
だから生きて別れたロウアンが死者として戻ったことにも、セシルスは驚くほど驚きがなかった。ロウアンにとっては『天剣』へ至ること以外の全てが些事なのだから、必要なら自分の命さえ当たり前のように投げ出すことの納得があった。
誰にも、ロウアンを理解できない。――セシルス以外には。
反面教師としてこれ以上ないほど優秀だった父は、理解できない怪物ではないのだ。それは十分に、セグムント親子が一般的ではない健やかな親子関係にあった証。
「およそ大概の方々は僕と父さんの関係を否定されるでしょうが――」
ロウアンと違い、セシルスは世界のあらゆるものを些事とは思わない。ちゃんと歓声と雑音の区別を付ければ、見渡せば見渡すほど世界は祝福に満ちている。
日の光や涼やかな風、滴る雨粒に踏まれた草の芳香、そしてロウアン・セグムント――いずれも、セシルスに与えられた祝福だ。
「父さんは親不孝者なんて言っていましたが僕ほどの孝行息子はいないと思いますよ。なにせ僕の父親というだけで僕をこの世に生み出したという功績が大きすぎる」
無論、それは生涯追い求めた願いの叶わなかったロウアンの慰めにはなるまい。
そういう意味で親不孝者と言われれば、セシルスには言い訳の余地もない。元より、言い訳の必要な人生を送っているつもりも毛頭ないが。
「――――」
唖然と絶句するアルのすぐ傍に歩み寄り、セシルスは腕を組んで首を傾げる。
このあと、アラキアをどうしたものかという苦悩だ。どこか安全なところに運んでおこうにも、今の帝都のどこに安地があろうか。
それこそ、セシルスの傍以外に安地などないのではあるまいか。
「かといってアーニャをずっと抱えて駆け回るのもおかしな話……そろそろ戻らないとあの呪いの術者の足止めをしてくれてるグルービーさんに盛大に怒鳴り散らされかねませんし。そう言えば持ち帰るのが『邪剣』じゃなく『夢剣』でもグルービーさん的には大丈夫だったりしますかね?」
元々、アラキアとの遭遇から始まってしまった突発的な戦闘だ。
セシルスとアルがこの場にきたのは、呪いを斬れる『邪剣』ムラサメを探すためで、生憎とその目的は果たされていない。今頃、足止めに残ったグルービーは、厄介な『茨の呪い』の術者と戦っているはずである。
「ひとまずどうでしょう、アルさん。ここはアーニャは頑張ってアルさんに抱えてもらいつつ僕が道を斬り拓く形で協力するのは……」
「――いや、そいつは頷けねぇ」
「アルさん?」
そのセシルスの提案を、アルは首を横に振って拒んだ。片膝立ちだった彼はその場に立ち上がると、抱きかかえたアラキアをセシルスに押し付ける。
思わず、押し付けられたアラキアをセシルスが引き受けてしまうと、
「言ってあるだろ。オレはオレでやらなきゃならねぇことがある。アラキア嬢ちゃんはとんだ寄り道だったんだ。……グルービーには悪ぃがな」
そう声の調子を落とし、アルの鉄兜越しの視線がセシルスの腰の『夢剣』に向いた。
「その腰の刀がやべぇもんだってことはオレでもわかる。グルービーが欲しがってたやつとは違うかもしれねぇが、それで頑張ってきてくれ」
「それでアルさんは別行動と。僕が言うのもなんですけど武器もない状態で一人歩きしてアルさんが無事で済みますかね? 無駄死にされるのが関の山では?」
「――。無駄死にはしねぇ。それだけはしねぇよ」
「ええ、みたいですね。それは何となくわかりますとも」
確信めいたアルの物言いに、セシルスも顎を引いて肯定する。
ここまで行動を共にしていて、セシルスはアルがシュバルツと同じ類の『物見』のような特性を持っていると考えていた。やたらと先を見通すようなその『物見』があれば、確かにアルは無駄死にをしないのかもしれない。
「でもアルさんが僕から離れたがるのはそればかりが理由じゃないでしょう?」
「――――」
「どうやらよっぽど僕と父さんの決着がお気に召さないみたいですね。もしかしてアルさんも親子関係で色々と思うところがあるとか?」
「……関係ねぇだろ」
関係はなくても、的は外していないとわかる声音でアルから返され、セシルスは小さな肩をすくめ、アラキアを抱きかかえ直す。
セシルス個人としては、アルと別れて彼を一人にするのは気が進まない。
それはアラキアで手が塞がり続けるのがよくないという判断もあるが、それ以上にアルへの貸し借り――アラキアを死なせず決着するのに、力を借りたという事実だ。
早い話、セシルスはアルに借りを返さなくてはならない。
アルが助け出したい誰かがいるというなら、その救出に協力するのが筋だろう。
最悪、昏倒させたアルを担いでグルービーのところに戻り、『夢剣』で問題を一切合切薙ぎ払ったあと、全員でアルの『姫さん』とやらを迎えにいく形か。
そう考えたときだ。
「――彼女の命を奪おうとしないとは意外でした。要・再考です」
不意に、セシルスとアルの会話に第三者の声が割って入った。
それが聞こえた方に顔を向け、セシルスは双眸をわずかに細める。――声の主がいたのは空中、飛び降りる最中ではなく、そこに浮かんでいる状態だ。
一瞬、聞き覚えのある口癖に、セシルスは一度は殺した『魔女』の存在を想起したが、そこにいたのは件の『魔女』ではなく――、
「――いえ、同じ方ですね。見てくれは違っていますが中身は同じ……ううん? もしかして中身もちょっと違います? そんなことあるんですかね」
「魂の形質が変われば外身は変わる。逆もまた然りですが……一目でそれを見抜かれるのはどのような原理なのでしょうか。要・回答です」
「はははは、言われてみればなんでわかったんでしょうね」
おちょくったり挑発する意図はなく、本当にわからないのでセシルスは笑った。
ただ、何となく一目でそうではないかと確信が持てたのだ。頭上、空中で白髪をたなびかせながら浮かんでいる女性が、あの『魔女』と同じ存在だと。
「でもなんでここに? 一度僕に殺されたのに懲りずにリベンジですか? そういう負けん気の強い相手というのも魅力度的には好ましいですが……」
「端的に言えば、目的遂行のためです。ワタシは二つの大目的の一つを達成しました。あとはもう一つを達成すれば、本来の造物目的に専念できる想定です」
「ほうほうなるほどわからない!」
「簡潔に説明したと思いますが。要・説明です」
「ではこちらも簡単に珍しく短く僕にしては簡潔にお答えしましょう! ――目的を果たそうとして僕のところにやってきたならその目的は果たせないでしょうに」
単純明快、至極当然、これ以上ないほどわかりやすく明瞭な答えだろう。
その答えを聞いて、白髪の『魔女』は長い睫毛に縁取られた瞳を細め、頷いた。
そして――、
「ああ、そういうことですか。でしたら、回答は容易です。あなたではワタシを殺せない」
「――――」
「帝国でワタシを殺すことができるものは把握しました。そのいずれにも決して近付きません。ですから誰にも、ワタシを殺すことはできない」
淡々とした口調で『魔女』が告げ、その両手を空へ掲げる。
刹那、『魔女』の周囲の空間と、空が歪むような異様な感覚をセシルスは肌で感じた。そのセシルスの横を、一歩、アルが前に進み出る。
『魔女』の登場以来、一言も口を利かなかったアル。
彼はなおも異様な圧迫感を生み出し続ける『魔女』を見上げ、その隻腕をバッと真横に伸ばした。――次の瞬間、溶けた地面が盛り上がり、不格好な石の青龍刀が生み出され、アルの伸ばした手に握られる。
その石の青龍刀を振り上げ、アルは『魔女』へと喉を震わせ――、
「ワタシは『強欲の魔女』――」
「――エキドナぁぁぁぁ!!」
血を吐くような憤怒の声で、我を忘れたように斬りかかっていくのだった。