第八章62 『愛の力』
――その全身を燃え上がらせ、『魔女』が塵へ変わってゆく。
ついにヴェールを脱いだ『陽剣』の威力は凄まじく、掠めただけで魂まで焼き尽くす焔の壮絶さは、それを利用する策に乗ったスバルの想像さえ超えたものだった。
「これが、『陽剣』の本領発揮……」
斬られた『魔女』だけでなく、他の二体の『魔女』にも延焼した真紅の炎。それが引き起こした結果を目にし、スバルは息を呑むしかない。
これまでも、スバルは『陽剣』が振るわれる場面に何度か出くわしたが、そのときの『陽剣』の所有者は常にプリシラだった。ただし、それで『陽剣』の使い手としてアベルの方がプリシラより優れている、と短絡的な答えにはならないだろう。
プリシラが『陽剣』を振るってきた相手は常に強敵だった。今回の『魔女』――スピンクスも同じく強敵だが、これを倒すため、アベルは信じられない駆け引きをしたのだ。
今日に至るまでのあらゆる戦場、あらゆる局面、あらゆる大ピンチで、一度として『陽剣』を使わないことで、スピンクスから――否、全ての人間からその選択肢を消した。
それを結実させるのに、どれだけの胆力がいるのか想像もつかない。
「なんだ、貴様、その腑に落ちぬ面構えは」
「驚いてんだよ。ここまで一緒にやってきてなお、まだお前の人間性に文句を付ける部分がホイホイ出てくるから……!」
「何を言うかと思えば……まさか、手札を伏せていたことを言っているのか? だとしたら、貴様も同じ謀に知恵を巡らせていたであろうが」
「俺の方は性格の問題じゃなく、知恵と勇気とカンニングの結果だからいいんだよ! 思い返したら最初の『血命の儀』でも、グァラルでズィクルさんたちとやり合ったときも、そのあとでアラキアに乗り込まれたときも、カオスフレームでヨルナさんと揉めたときもオルバルトさんとの鬼ごっこも連環竜車も全部! 温存してやがったな!」
「そうだが?」
「そうだが!? あでででっ」
真紅の宝剣を手に、悪びれもせずに肯定するアベルにスバルは仰天、直後にスピンクスに見せしめに折られた右腕の痛みが一気にぶり返した。
その折られた腕を涙目で抱きかかえていると、「スバル」と傍らにやってきたベアトリスが手をかざし、治癒魔法を使ってくれる。
そうして、ベアトリスはスバルを優しく治療しながら、
「いくら言ってもその男には響かないのよ。たぶん、罪悪感を感じる機能が死んでるかしら。ロズワールと同じ手合いなのよ」
「ぐぬぬぬぬ……!」
「ほら、これでちょっとマシになるかしら」
自分的に最大限の罵倒でアベルを評し、ベアトリスがスバルの治療を切り上げる。
まだ痛みは残っているが、折れた骨は継いでもらえた感覚。無理な動かし方はできそうにないが、完全に治るには時間がかかるし、優先順位も違う。
「ジャマル・オーレリーは助かるのか?」
「息の根さえ止まってなければ何とかするのよ。それがスバルのパートナーであるベティーの役目かしら」
そう言い残し、ベアトリスがタタッと小走りにジャマルのところへ。
最初の一人目のスピンクスを倒したあとに現れた三体のスピンクス、それを一番挑発し、一番痛めつけられたのがジャマルだ。その挑発の仕方は聞くに堪えない罵声を浴びせ続けるなんて稚拙なものだったが、それも皇帝への忠義が為せる業。
「うあう」
「おお、スピカ、よく頑張ってくれたな。体は? ヤバいとこないか?」
「あう!」
大きく頷いて、こちらに心配かけまいと笑うスピカ。その土埃で汚れた頬を手で拭ってやり、そのまま頭を撫でて彼女の奮闘ぶりをねぎらってやる。
まさしく、紛れもなく、この場の全員が自分の役目を果たして勝ち取った勝利だ。
そこに、アベルの切り札がこれ以上なく貢献したことは認めざるを得ないが――、
「それでも、俺はこのことを一生根に持つからな」
「貴様にそこまで言わせたとあれば、これを献策したあれも満足していようよ」
どれだけ恨めし気に睨んでも、涼しい顔で聞き流される。
その塩対応は腹立たしいが、『陽剣』を隠しておく策を講じたことと、それを信じてやり通したこと自体は称賛の言葉しか出てこない。
――アベルが『陽剣』を使えるのに使わずにいたことは、スバルもスピンクスとの戦いが始まってしまったあとのループ内で知ったことだった。
はっきり言って、戦犯ものの秘密主義だ。
元々、ヴォラキア帝国を滅ぼしかねない『大災』を止める切り札は、スバルと力を合わせる必要があるスピカの『星食』しかない見込みだった。
だが、アベルの『陽剣』が屍人の根幹に関わる魂に届くなら話は別だ。
『陽剣』と『星食』の二枚看板、これを屍人攻略の、ひいては『大災』撃退の切り札として運用していくことができるのだから。
「お前さては、先にそれに気付いてて、だから俺たちと一緒のグループに入ったな?」
「うー?」
「あのな、スピカ、この陰険皇帝は『陽剣』が使えて、しかもそれがゾンビをやっつけるキーアイテムだってわかってたんだ。で、それはスピカも同じだろ? むしろ、俺たちは積極的に『星食』でゾンビを削らなきゃいけなかった。そうするとどうなる?」
「あー、あーあう?」
「そうだ。俺たちを止めに敵の主力がくるよな。俺たちはその主力に何とかスピカの『星食』を使おうとする。だって他に勝ち目があるとか知らないから。で、そのままスピカの手が届けばそれでよし。もし届かなかったらそのときは……」
「あうああ!」
スバルの説明の最後、目を見開いたスピカがアベルの『陽剣』を指差した。そのスピカの理解に「その通り!」とスバルは彼女の頭を撫でる。
そしてスピカと並びながら、アベルに人間のゴミを見るような目を向けた。
「いいか、スピカ。あれが性格の捻じ曲がった人間の目だ。あれぐらい真っ黒じゃないとヴォラキアの皇帝にはなれねぇんだ。……やっぱり、帝国滅んだ方がよくない?」
「敵の首魁が燃え尽きた直後に鞍替えか? 裏切るにしても時機を見誤りすぎていよう」
「お前、頼むから俺たちで帝国救ってすぐに謀反でクビになるとかするなよ……」
必要に迫られてとはいえ、帝国はスピカの情操教育に悪すぎる。アベルはその代表格みたいなものなので、こんな状況でなければ傍に置いておきたくない筆頭だ。
もっとスピカには善良で清涼な相手――それこそ、エミリアやレム、ベアトリスやタンザといった見習うべき子たちと接させるべきだろう。
「そうなると、オットーとロズワールも遠ざけないとダメだな。姉様は……好きだけど、二人以上になると辛いな。ガーフィールも好影響そうだけど……」
「スバル! こっちの治療もひと段落なのよ!」
「お。わかった!」
ベアトリスの声に従い、スバルたちは揃ってジャマルの下へ。
しかし、やってくるスバルたちを迎えるジャマルの声はなく、彼は地べたにぐったりと手足を投げ出したままだ。
「ひとまず、命の危険は脱したかしら。でも、これ以上の治療は時間をかける必要があるのと、ベティーの余力にも関わってくるのよ」
「ベア子の余力……それって、マナの残り的な?」
「そうかしら。……ちょっとしたイレギュラーでいつもより大盤振る舞いできてるけど、あまりそれにホイホイと頼りたくないのよ」
「イレギュラー……」
ベアトリスの答えを聞いて、スバルはじっと自分の手を見下ろす。
彼女が言うところのイレギュラーは、スバルの体内のマナ残量――スバルの契約精霊であり、スバルの持っているマナがそのままMP残量になるベアトリスからすれば、現状、融通されるマナの量はまさしくイレギュラーなのだろう。
その理由についてはスバルも色々考えている。
可能性としては、『プレアデス戦団』のみんなとの繋がりがスバルにもポジティブな影響を与えているパターンと、縮んだスバルの体がゲートの異変を起こしているパターン。
ただ、後者の場合はベアトリスにも原因がわからないなんてことにはならない気がするので、可能性は前者の方がありそうとは思っている。
「みんなとの繋がりが力になってくれてる方が、個人的に嬉しいし熱いしな」
「スバル……」
「心配すんな、ベア子。とはいえ、無制限に魔法が使いまくれるなんて都合のいい状況じゃないだろうから、できるだけ温存するのは賛成だ。でも、困ったな」
ベアトリスの判断を尊重しつつ、スバルは倒れているジャマルをじっと眺める。
当たり前だが、勝利の功労者でもある彼を放り捨ててはいけない。ただ、ジャマルの意識が戻らないなら、必然的に誰かが彼を担いでいく必要がある。
「言っておくが、俺は運ばぬぞ」
「お前、先んじて……その剣持ってからやたらと調子いいみたいじゃねぇか。俺とどっこいどっこいのキャットファイトしてたくせにビュンビュン飛んで跳ねて……ジャマルを担いでやるくらい、わけないんじゃねぇのか」
「できたとて、やらぬ。ジャマル・オーレリーが倒れた今、この中で最も俊敏に動けるのが俺であろう。警戒すべき立場で、荷物は持てん」
「荷物とか言うな! ええい、わかったよ! 俺が……」
「うーあう」
正論を述べる聞き分けのない皇帝に腹を立て、スバルがジャマルを担ごうとする。が、その横をスッと抜けたスピカが、率先してジャマルの体を抱き上げた。
小柄な少女が成人男性を軽々と持ち上げる絵面は、スピカ自身が大して無理はしていないとはいえ痛々しい。
「まぁ、お前以外の誰がやっても絵面はそうなるんだけどな。どう思う」
「大儀である。そのまま努めよ」
「ベア子の言う通り、こいつ罪悪感ってもんがねぇ!」
「だから言ったかしら。……スピカも、無理するんじゃないのよ」
アベルの傍若無人さに嘆息したベアトリス、彼女の気遣いにスピカが「う!」と笑顔で答える。実際、ジャマルを重いとは感じていなさそうなのが救いだ。
ともあれ、強敵だったスピンクスを倒せた実感は徐々に湧いてきつつも、それを手放しに喜んでいるわけにはいかない。
何故なら――、
「――どうやら、さっそく俺の手を空けておいた意味がありそうだな」
そう言ったアベルが顎をしゃくると、先ほどまでのスピンクスたちとの戦いを聞きつけたのか、スバルたちのいる通りへ続々とやってくる影――屍人の姿が見えた。
それの意味するところと、アベルの言葉の悔しい正しさにスバルは歯噛みする。
こうして、この場に屍人が現れてくるということは、だ。
「……スピンクスを倒しても、『不死王の秘蹟』が途切れてないかしら」
「クソ、術者を倒せば魔法も消えるって一番手堅い線は外れか。ベア子、これって……」
「腐っても『強欲の魔女』を目指して造られた存在なのよ。たぶん、自分が不在でも『不死王の秘蹟』が機能するように術式を組んだかしら。そのシステム自体を潰さないと、相変わらず『石塊』の限界がこの国の限界なのよ」
「それがありそうなのってやっぱり……」
ベアトリスの話を呑み込み、スバルの視線が帝都の最北――水晶宮へ向く。
スピンクスたちが根城にしていた場所であり、シンボリックなものが置かれるならば最も相応しい場所と言えるだろう。もちろん、そうしたロマンやドラマを解さないスピンクスが別のところに仕組みを置いている可能性もあるが。
「――いや、水晶宮で間違いあるまい。『魔女』めの思惑がどうあれ、『石塊』との繋がりを必要とするなら、水晶宮の核……モグロ・ハガネとの接触は必要だ」
「モグロって『九神将』の一人じゃなかったか……?」
「そうだ。今は水晶宮で眠らせてある。正確には水晶宮を眠らせてある、だがな」
「絶対! あとで! ちゃんと説明しろよな!」
『陽剣』だけでなく、他にもまだまだ隠し事がありそうなアベルにそう言い、スバルは水晶宮で間違いない、という方針が固まったことは歓迎する。
「――――」
本音を言えば、『大災』の核になる何かが水晶宮にあるとわかっていても、他の戦場へ送った仲間の安否を確認したい。特に、エミリアとタンザの二人の安否だ。
彼女たちの配置だけ、スバルが確かめ切れていなかった部分になる。
そのスバルの不安と焦燥を――、
「――なんや、君らみんなボロボロやんか。皇帝さんまで額に汗して泥だらけなんて、意外と頑張り屋なんやねえ」
ふっと舞い降りた黒い影が、呑気にさえ聞こえる口調で強引にねじ伏せる。
その人物はスバルたちと、やってくる屍人たちとの間に降り立つと、何の気ない調子でこちらへ歩み寄り、スバルとベアトリスの前にしゃがんだ。
そして、金色の煙管をくわえたまま笑い、重ねた両手を差し出してくる。
「頑張り屋さんらには……ほら、お土産や」
そう言って、合わせていた両手が開かれると、大きな掌にはコインほどの大きさの奇妙な結晶がいくつも載せられていた。
それが何なのかスバルはわからなかったが、手を握るベアトリスは気付く。
「それ、核虫……!」
「そそ。あの人らの」
平然と頷いて、その人物は再び掌を合わせ、それをゴシゴシと擦り合わせた。
次の瞬間、通りの向こうの屍人たちが苦鳴を上げ、一気に塵に変わる。――屍人を再現している核を潰され、体を維持できなくなったからだ。
それをこの一瞬で、平然とやってのけたのは長身の黒い狼人――、
「ハリベルさん!」
「おお、おお、大歓迎やねえ。大きい声が出せる元気な子、僕は好きやなぁ」
スバルの驚いた声に頷いたのは、別行動中だったハリベルだ。
彼にはこの帝都決戦の中で、最重要とも言える相手――全員がベストのパフォーマンスを発揮するため、取り除かなくてはならない敵の排除を頼んでいた。
その彼が、こうしてここにいるということは。
「ちゃあんと仕事は片付けてきたから安心し。アナ坊の顔は潰せんからねえ」
「――! 助かる! ありがとう! 立て続けに頼んでいい!?」
「んん、遠慮せん子や。ええよええよ、言うてみて」
「一緒に城の方にいってほしい! ただ、途中で別の子たちの援護を任せたいんだ。こっちはアベルを死ぬほど働かせるから!」
「不敬な……」
スバルの提案にアベルが何か不機嫌に言っているが、それは意識的に無視。
とにかく、ハリベルが仕事を果たしてくれたなら僥倖だ。不安要素の大きいエミリアたちのところだが、ハリベルがいってくれれば鬼に金棒、エミリアに花のエフェクトだ。
「城にはオルバルトさんもいるはずだ。だからエミリアとタンザを……」
「待て、ナツキ・スバル。それは戦略的な判断によるものか? 違うならば――」
「お前が納得するならそう言ってやる! 俺のパフォーマンスに関わることだしな!」
口を挟んでくるアベルに言い返し、スバルが彼と睨み合う。
そのスバルの味方だとばかりに手を強く握ってくれるベアトリスが頼もしい。と、そんな険しい視線の応酬に、「ちょいちょい」とハリベルが割って入る。
彼はスバルとアベルの間、睨み合いの糸を切るみたいに手刀を入れると、
「そないケンカ腰にならんと。それと、城の方の戦いやけど、僕はいらんと思うよ?」
「え?」
自分の顎下の毛を撫でながらのハリベルの発言に、スバルが目を丸くする。
その発言の根拠を求める視線に、『礼賛者』は糸のように細い目を彼方に向けて、
「愛の力は偉大、って話なんかなぁ、これは」
と、呆れと感心を等分に混ぜた顔で笑った。
△▼△▼△▼△
――ありえない光景が、展開されていた。
それを、自分がヨルナ・ミシグレなのか、アイリスなのかを定義できなくなってしまった彼女は、涙で視界が歪みそうになるのを堪えながら見ているしかない。
「――タンザ」
震える唇が紡いだ名前、それが意味する鹿人の少女が片目に炎を宿し、一緒に選んだキモノの裾を翻しながら、猛然と押し寄せる屍人の剣士に対抗している。
それは自分が知るタンザよりもずっとずっと機敏で力強い、自信に満ちた戦いだった。
タンザは、自信のない娘だった。
あの幼さでとても賢く優秀で、それなのに全然足りないと自分の評価が低すぎる子。本当の意味で自分がタンザと同じ年代だった頃、とても彼女のようにはできなかった。
両親や故郷の村の人たちが負担にならないように任せてくれた仕事、それを果たすのが自分の役目だなんて調子に乗って、周りの思いやりに気付けない馬鹿な子ども。
そんな自分と比べてずっと立派なタンザと、死に別れてしまったと思ったタンザと、こうして自分の足場も不確かになった今になって再会してしまった。
プリスカのことと、帝国のことと、魔都のことと、タンザのことと――ユーガルドのことと、自分の頭の中は十回以上の人生の中で最大級の混乱状態にある。
こんなの、初めて自分が呪いで転生したと知ったときと、プリスカが生きていたことを知ったときと、ユーガルドと再会してしまったときと、生きていたタンザが自分の言うことを全然聞いてくれなかったときぐらいしか思い当たらない。
「直近に、多すぎでありんす……っ」
衝撃が連なりすぎている今生を嘆くには、しかし今はあまりに慌ただしすぎる。
そうした様々な精神的な負荷が続いて、戦う気力を取り戻せない自分を守るため、『魂婚術』の効果と、それ以外の何かを堂々と利用するタンザの背中が大きく見える。
いったい、魔都で離れ離れになってから、どれほどのことがあったのだろうか。
姉のゾーイと共にカオスフレームへ訪れ、以来、自分はタンザの成長を一番近くで見守ってきたつもりだった。だが、自分の傍にいて、今のタンザはあっただろうか。
自分ではない誰かが、タンザに寄り添い、背中を押して、強くしてくれた。
それを、タンザの力強い眼差しに、足取りに、剣士の顔面に叩き付ける拳に感じる。
「タンザちゃん!」
「はい、エミリア様、畳みかけましょう」
銀鈴の声音を響かせながら、銀髪の少女――エミリアがタンザと連携する。
長い髪を躍らせ、氷で作られた武器を振り回して屍人の剣士を打ち払い、攻防を援護してくれる彼女とタンザは見事に息を合わせていた。
タンザとエミリアが関係を築けた時間は、そう多くはないはずなのに。
そのタンザとエミリアの思わぬ実力に、青い髪の剣士――『屍剣豪』たちは次々と砕かれ、周囲に破片を散らばらせていく。
しかし――、
「ああ、ああ、ああ、悲しいかな、生者の限界にござんすなぁ。ずいぶんと景気よく力を振るいなさるが、いつまで力がもつ目算で?」
「もう! ズルしてるくせにえばらないで!」
屍人特有の金瞳を輝かせ、挑発的に笑う『屍剣豪』の挑発にエミリアが乗った。
彼女が振り上げた両手で強く地面を叩くと、次の瞬間、エミリアとタンザを避けるように街路から氷が枝葉を伸ばすように広がり、剣士たちの手を足を、胴を搦め捕った。
――それが、まるで茨の蔦のように見えて。
「――ぅ」
「ヨルナ様!」
一瞬、疼きを覚えた胸を押さえて蹲ってしまった。
その自分の軽率な行動を目の端に捉え、タンザが悲鳴のように名前を叫ぶ。それは刹那でも、タンザの意識が戦場から離れたことを意味し、
「勝利には貪欲に、でござんす」
「――っ」
強烈な前蹴りが放たれ、それがタンザの小さな体を後ろに吹き飛ばした。
跳ねて飛んだタンザの体、それが弾んでいく先には蹲る自分の姿がある。とっさに顔を上げて、タンザの名前を呼ぼうとするが、呼んでどうなる。
また、タンザの意識を無意味に引っ張るだけで。
「――タンザ!」
「はい、ヨルナ様」
それでも堪えられなかった叫びに応じ、弾むタンザが空中で体勢を整える。あわや、こちらとぶつかる寸前で踏みとどまったタンザ、その小さくて大きな背中が目の前に。
そこへ、『屍剣豪』の容赦のない剣撃が二人をまとめて断ち切りに迫り――、
「――エミリア様!」
「ええ!」
呼びかけに瞬時の躊躇いもなくエミリアが反応し、タンザが足を振り上げた。
その振り上げた足――履き替えた氷の下駄が、『屍剣豪』の刀を真っ向から受け止める。
それは、『極彩色』ヨルナ・ミシグレが履きこなすのとそっくりの、厚底の下駄。
「や、ああああ――!!」
上げた足の下駄裏で刀を食い止めたタンザが、その上げた足を起点に飛び跳ね、空中で縦回転――反対の氷の下駄が動きの止まった『屍剣豪』の頭を地面へ叩き落とす。
そのまま、地面に落とされた屍人の頭を中心に、街路が五メートル近い円状に陥没、強烈な一撃を浴びた相手を塵に変え、タンザがキモノの裾を翻す。
「――――」
その颯爽としたタンザの姿に、声もなく見入ってしまった。そうしている自分の視線に気付いて、振り返ったタンザがわずかに目尻を下げ、微笑む。
その唇が、「ヨルナ」と自分を呼ぼうとした。
「――っ、ダメ!」
刹那、離れた位置にいたエミリアが両手を突き出し、凍て付く空気の悲鳴と、自分の背後で氷に貫かれ、氷像となる二人の『屍剣豪』の気配。
だが、彼女への感謝の言葉は告げられない。
それよりも、振り向いたタンザの背後に現れた、また別の『屍剣豪』の蛮行を止めなくては――否、間に合わない。それから、タンザを守らなくては。
「わっちは……!」
たくさんのものを見落として、たくさんのことを取りこぼして、たくさんの人をガッカリさせて、たくさんの命の上にここにいるのだ。
そのたくさんに何一つ報いることのできてこなかった自分でも、タンザだけは。
「――――」
伸ばした手でタンザを抱きしめ、半身を傾けて刃から守り抜くと決める。
よくぞ動いた。この瞬間だけは、震えて動けない自分でなくてよかった。
あとは、せめて自分の、かつてよりも背も手足も伸びた体が、この小さな愛し子を、あの人が大切に守った帝国の愛し子を、守れるように――。
「――余をこうまで驚かせるのは、やはりそなただけであろうな」
その柔らかな声は、耳元で囁かれるように甘やかに、剣風が吹き荒れる戦場とは思えないほど穏やかに、今しがた死を覚悟していた心を嘘のように溶かし、響いた。
「――――」
『屍剣豪』の刀の一撃が届く前、差し込まれた真紅の宝剣によって止められている。
そして、それを為した存在を目の当たりにし、彼女は息を呑むしかなかった。
予想外で、不本意な再会だった。
喜べばいいのか、悲しめばいいのかわからず、あの瞬間から心はひび割れたようで。
結局、その答えが出せないまま、このときを迎えてしまったけれど。
今、この瞬間だけは、はっきりと言える。
「張り詰めた顔も可憐だな、我が星」
「閣下……っ」
そう述べて、敵の攻撃を受け止めたのと反対の手で自分の頬を撫でる男――ユーガルド・ヴォラキアの、生前と変わらぬ血の通った肌と、心を宿した瞳を前に、万感の愛おしさを堪えることなど、ヨルナにもアイリスにも、できなかったから。