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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第二章 『激動の一週間』
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第二章44 『絶望の利用法』


「――ずいぶんと格好いい啖呵を切っていたけど」


 魔獣の森を目前に宣戦布告を行って十五分、隣に並ぶスバルを横目にラムがそう前置きして、


「落ち着いて考えると、別にバルスが最前線で戦うみたいな条件じゃないわよね」


「おいおい、待てよ。確かにそれは事実だが、俺のこの溢れるやる気を見ろ。村の青年団から譲り受けた由緒正しい片手剣、俺は今まさにファンタジーしてる!」


「その剣だって丸腰で行こうとするバルスをベアトリス様が止めなかったら、入手できないままだったでしょう。徒手空拳でそれこそ、お荷物まっしぐらだわ」


「それは正直否定できません」


 手に馴染まない柄の感触を握り直しながら、スバルは肩を落として息をつく。

 黒い鞘に銅色の柄、刀身はおおよそスバルの腕の長さ程の片手剣。思いのほか軽い感触に戸惑いを隠せないそれは、無手で魔獣の森に挑もうとするスバルを慌てて止めたベアトリスの助言に従って手に入れた武装だった。


 事態の深刻さは時間経過とともに深まる。そんな焦燥感があったからこそ、即座の突入を選択しかけたが、冷静に振り返れば自殺行為だったなと素直に思える。

 取りつく島もないような態度に見せかけて、なんだかんだでいい仕事をするのがあの縦ロールの少女の気難しいところだった。


「ちなみにバルスは剣は使えるの?」


「どうだろ、微妙。一応、中学剣道で二段は持ってるが、実際の剣術と学校剣道じゃ同じ扱いはできねぇと思うしなぁ」


 腰に差した剣をぷらぷらと揺らし、重みを感じながらスバルはそう応じる。

 中学校の三年間と、その後は暇を見ては理由もない素振り。まったく触れたことのない素人に比べれば多少は使えるつもりだが、それも少し齧ったのレベルから先へいっているとは思えない。


 不釣り合いなその片手剣は、村の青年団の若者に譲り受けた一刀だ。

 『魔獣の森にこれから入るから』と馬鹿正直に伝えるわけにもいかず、かなり苦しい言い訳の末に引き渡してもらった経緯があるが、どれほど役に立ってくれるかは今のところ未知数。

 そして、村で託されたものはそれだけではない。


「ポケットの中に……菓子と、綺麗な石と、うおおおう! 虫入ってやがった!」


 色々と詰め込まれたポッケの中を探りながら、嫌な感触にスバルが悲鳴を上げる。窮屈な場所に閉じ込められていた羽虫はスバルの手を離れ、森の奥へとそのまま消えていった。それを見送り、スバルは額を拭うアクションを入れて、


「どさくさまぎれでとんでもねぇガキ共だ。あとで説教しちゃる」


「慕われている証拠でしょ。……どこがいいのかしら、こんな男」


「子どもの純真な瞳には、俺という男の本質がきらめいて見えるんだよ」


 白けた目で今にも鼻を鳴らしそうなラムに、スバルは「そ・れ・に」と首を左右に揺らしながら指を突きつけ、


「今回は俺だけじゃなく、レムへのお礼もまじってる。っつか、俺はむしろレムへのそれの配達人。わかったろ、見てて」


「……そうね」


 納得を躊躇うようなラムの声に、スバルは満足げな顔で何度も頷く。

 村を出る前のやり取りは、それなりにスバルの琴線にも触れるものがあった。同じくそれを見ていたラムにとっても、そうあればいいなと思っている。


 ――村を出て、魔獣の森に入る。

 村人に隠して森に入ろうとしたスバルたちを察知したのは、いまだマナを搾り取られた影響の消えていない子どもたちだった。

 スバルとレムに直接礼を言おうとしていた彼らはスバルたちに気付くと、お礼と称して様々なものをスバルのポケットにブチ込んだ。


 お菓子も、綺麗な石も、あの羽虫ですら、彼らにとっては感謝の気持ちを形にあらわしたそのものだ。無碍に扱うことなどできるはずもない。羽虫は逃げたけど。


 そうしてわりと不要な感謝の形を押しつけられて動揺するスバルに、子どもたちは笑顔を浮かべて言ったのだ。


「レムりんにもお礼が言いたいから、あとで連れてきてね……か」


 彼女が今どれほど危険な場所で、なんのために命を賭けて戦っているのか。

 子どもたちはそれを知らない。そして、知る必要もない。

 なぜなら――、


「安心しろって、クソガキ共。夜中に暗い森の中に入るような悪ガキ共は、相談もしないで早まった真似するお姉ちゃんと一緒に説教してやっからな」


 ついでにそこに無鉄砲に森の中に入り、犬に全身噛みつかれて多大な迷惑を周囲に振りまくバカな男子を付け加えてもいい。

 一晩正座で、ムラオサの説教を受けるというのも痛快ではないか。


 自然、思い描いた未来予想図に口元がゆるむ。

 と、そうして微妙に頬をにやつかせるスバルに対して、


「それにしても、足が遅いわよ、バルス」


 はるか先からスバルを振り返り、呆れたようにこちらを見るラムがそう言った。

 ずんずんと、足場の悪いはずの森の中を楽々と踏破していくラム。その格好は普段と変わらぬメイド服にも関わらず、足取りは屋敷の庭を横切るのと変わらない。

 一方でスバルの方は、


「ち、ちったぁ手加減しろよ。こちとら血とか、あとガッツが足りない。そういえばエミリアたんにいってらっしゃいって言ってもらいそびれた!」


「まだただいまって言っていないから、昨晩のいってらっしゃいが有効よ」


「そ、そういうもんかな……?」


 ふらつく体と揺れる頭に苦心しながら、片手剣を杖のようにしてよたよた進む。

 行軍はお世辞にも早いとは言えず、先を行くラムの気持ちに焦りを与えるばかりな現状だ。


 昨晩と違い、日の高い時間になってからの森の捜索。日没後に比べれば視界ははるかにクリアだが、それでも覆い茂る枝葉の深さに見通しは悪い。

 昨夜と同じような場所を歩いているつもりだが、まったく見当違いの方向に進んでいる可能性も否めない。森の深さは入り込んだ人間の方向感覚すら狂わせるのか、自分ひとりならば出口すらわからず路頭に迷ったかもしれないとわりと本気で思う。


「バルス、また少し待って。――千里眼、開眼」


 こちらを手で制し、呟きを口にしたラムの右目が真っ赤に染まる。

 森に入って以降、定期的にラムは千里眼を使用し、森にいるはずのレムの姿を探し求めている。だが、残念ながらいまだに成果は上がっていない。

 ラムの眼の範囲に入っていないのか、あるいは――、


「悪い想像すんなっつの。運命様が大喜びで実現しにくるぜ……」


 自分の頭を小突いて、浮かんだ最悪の展開を葬り去る。

 レムが姉や村人を欺き、森に入り込んでからはすでに三、四時間が過ぎている。遅れて彼女を追う形のこちらに比べて、どれだけ森の深部に入り込んでいるのかは想像も追いつかない。ただ、彼女の目的の途方もなさを考えれば、森の隅から隅まで走り回ったとて足りないのだ。


 改めてレムの求めるところと、スバル自身の生存の難易度の高さが思いやられる。

それを理解してなお、なかなか踏ん切りがつかない自分の我が身可愛さにもほとほと呆れが出る思いだが。


「ああ、情けねぇ。集中、集中しろ、俺。千里眼使用中の無防備なラムの護衛に徹して、余計なことは考えんなよ」


 片手剣を鞘から抜き、軽く空気を切りながら感触を確かめる。

 大気を切る音は静かで、重みは木刀と比較してもやや軽い。刀身の長さの分だけこちらの方が扱いやすく、あとは純粋に真剣を扱う覚悟の有無だけだろう。


「実戦じゃ、まず真剣は刃筋を立てるのもしんどいって言うしな」


 素人が扱う刃は刀身が揺れ、そもそも真っ直ぐ物を切断することができない。

 正面、細い木の枝を目掛けて刃を振り上げ、真下からの切り上げで一閃――スバルの手首程の太さの枝が難なく切断され、回転して地に落ちた。

 思わず自分で「おお」とその手際を絶賛。想像以上の『手ごたえのなさ』に感嘆の息を漏らし、スバルはさらに剣舞を続ける。


 一刀、二刀、振られるたびに枝が、葉が飛び散り、斬撃の苛烈さを増してゆく。

 意外と中学校の三年間と、その後の素振り生活が生きていた事実を再確認しながら、調子に乗って大きく刃を横に薙ぎ、


「あ」


 かつん、と高い音を立てて、太い樹木の幹へと刃が半ばほど埋まる。

 侵入は容易く、脱出は難し。埋まった刃は滅多なことではびくともせず、スバルは内心で大量の冷や汗を掻きつつラムを振り返り、彼女がまだ千里眼での視界共有をしているのを確認してから、思い切り幹に足をかけて剣を抜こうと奮闘する。


「ヤバいヤバいヤバい、マジ格好悪い! これで剣なくしてるとかクソダサい! 取れろ、抜けろ、最悪半分になってもいいから抜け……」


「――バルス、なにかがこっちを見てるわ」


 刺さった剣を抜こうと奮闘するスバルの背後、千里眼で直近の視界を失っているラムが叫んだ。

 ――なにかがこちらを見ている、という彼女の警告にスバルは戦慄。他者の視界を共有できる彼女がそう告げるということは、その存在は、


「俺らを目視できる距離に……ッ!」


 抜けない柄から手を離し、スバルは慌てて周囲を見回す。と、スバルの左方――木々の枝を跳び渡り、こちらへ向かってすさまじい速度で迫る影。

 それがすでに見飽きた四足獣であるのを見取り、即座にスバルは剣を引き抜く作業を放棄。屈むと手頃な石をいくつか拾い、


「聖剣抜いてる暇がねぇから、これでも喰らえ!!」


 宙を跳躍する影目掛け、拳大の石を全力投球。回転する塊は直撃すれば即行動不能レベルの威力を備えているが、いかんせん素人の投球だ。ましてや相手が動く的ともなれば、当たるか否かは奇跡の領域。

 連続投球もむなしく、投げる石はことごとくが森の彼方へ消えていく。そのスバルの拙い反抗を嘲笑うかのように、枝をたわませ魔獣が一際鋭い滑空――地面に着地し、スバルまでの距離をあと数歩というところで身を低くする。が、


「はい、いらっさーーいっ!!」


 その行動を読んでいた、とばかりにアッパー気味のフルスイングが放たれる。

 着地した魔獣の顔面を狙う一発は、中身を失った鉄拵えの鞘を獲物に選んでいた。石での牽制が外れれば、こう出るだろうと予測したドンピシャのタイミング。鞘の太い柄側で、魔獣の鼻面を叩き潰す――予定だった。


「はぁん!?」


 すさまじい空振りの音が響き、枯れ草を踏んだスバルの足下が盛大に滑る。

 インパクトの瞬間、さらに身を低くした魔獣の突進により、交差の地点がわずかにそらされ、鞘は魔獣の背中の毛をわずかに巻き添えにする戦果しか上がらない。逆に大振りの中の大振りを放ったスバルのがら空きの背中が、身をひねる魔獣の牙にこれでもかとばかりに広げられる結果に。


 真後ろ、地を削って振り返る魔獣が牙をむき出す気配。うなじに怖気を感じながら首だけ傾け、その鋭い犬歯がスバルのふくらはぎを噛み千切る――直前、


「肝心なときに、なにを遊んでいるの」


 暴風が跳躍する魔獣を捉え、中空に浮く動きを大きく乱して狙いを外させる。

 想定外の介入に受け身を取り損ねる魔獣。地べたを転がり、即座に立ち上がろうと試みるが、四肢を大きく震わせる魔獣はその場に這いつくばり、身動きができない。

 そうして呼吸を荒げて動かない魔獣を、鞘を握り直したスバルは動揺しつつ見据える。いつでも打ち下ろせるよう鞘を振り上げ、横移動でラムの下へ。


 蹲る魔獣に掌を向けるラムは、隣に並ぶスバルを見るや「ハッ」と鼻を鳴らし、


「ほんの少しの間にずいぶんと武装が貧相になっているわね」


「がっつり攻撃力落ちたのも落ち度も認めるよ。で、あれどういう状態?」


 動かない魔獣を指差し、それをやっているだろうラムへの問いかけ。魔獣はすでにその瞳を閉じ、まるで眠ってしまったかのようにぴくりともしない。

 それを見届けると、ラムは魔獣へ向けていた掌をそっと下ろし、


「終わったわ」


「は?」


「息の根を止めた、と言ったのよ」


 あっさりとそう告げるラムに驚き、スバルは半信半疑で魔獣の側へ。眠っているようにしか見えない体を鞘の先端で突き、反応のなさに思い切って引っ繰り返す。だらりと四肢を広げ、口から舌をこぼす姿に生気はない。確かに、死んでいた。


「なにを、したらこうなるんだ?」


「言ったでしょう、風の魔法が少し使えると。風の刃で四肢の腱を切って、喉を塞いで絶息させただけよ。――長く苦しませるつもりはないもの」


 なんてことないようにラムは語る。見れば、確かに魔獣の死骸の四肢の先からはかすかに血が滴り、無呼吸に喘いだような苦悶が表情に見てとれる。

 それらを確認して、スバルは色々とラムに対して疑問がわくのを抑えられない。これのどこが『少し魔法が使える』だとか、魔法にしては爽快感が足りないだとか、これじゃ暗殺者と変わらないですけどー等だ。


 しかし、相方に突っ込みを入れたいのはスバルだけではないらしい。

 スバルが浮かび上がったいくつもの候補を選別するより先に、ラムはいまだに幹の中ほどに残ったままの片手剣を眺めて、


「役立たず」


「うぐぅ」


 端的な、それ以上を必要としない表現が一番突き刺さる。

 胸を押さえて膝を着くスバルに、ラムは小さく肩をすくめると剣の刺さる幹へ。そして掌を木に向けると、これまた風の刃で幹の表面を抉り、難なく剣の解放に成功する。憮然となるスバルだが、ラムが拾った片手剣を放るのを慌てて受け止めにいき、


「サンキュだけど、抜き身の剣を縦回転で放るのはやめようぜ!?」


 キャッチを諦めて地面に刺さった剣を回収する。土を拭い、鞘に納めてまさしく元鞘、などとスバルが内心で寒いことを考えていると、ふとラムが首を傾け、


「それにしても、今のウルガルムも無防備なラムでなくバルスの方へ行ったわ。昨晩もそうだけど、ずいぶんと奴らに人気があるらしいわね」


「あー、そうね。かなりフェロがモンモンしてるからね」


 魔獣の死骸に軽く手を合わせて、それからスバルは首を掻きながらラムの意見を曖昧に肯定。

 魔獣の優先目的にされている感は、やはり昨晩から続いている。そうした結果が積み重なるにつれ、スバルの予想は確信へと近づいていくのだった。

 ともあれ、


「で、さっきの千里眼でレムは見っかったか?」


「いいえ、残念だけど。ひょっとしたら、もっと森の奥かもしれないわ。急いだ方がいいわね。……加速度的にバルスの襲われる可能性も上がるけど」


 スバルを横目に、ラムはなにかしら考え込むように白い頬に触れる。

 彼女の視線はスバルと魔獣をいったりきたり、それからなんとなくではあるが結論を得たのか頷き、


「やっぱり、弱そうだから」


「悩んで出た結論がそれか、失敬な」


「じゃあ、ちょろそうだから」


「根本的な部分が変わってねぇよ、お姉様」


「話してばかりいても好転しないわ。レムを探しましょう」


「……そ、そうッスね」


 あくまでマイペースを崩さない相手が相方だと、スバルもいくらかやり難い。彼女はそんなこちらの胸中は知らん顔で森の奥へ。

 その背中を追いかけながらふと、スバルは気になっていたことを口にする。


「ツノナシってなにか聞いてもいいか?」


 森に入る前、ラムが自ら口にしていた単語だ。

 なんとなしではあるが想像のつく単語、それに対してラムは足を止めず、そして振り返らないまま、


「聞いたまま、鬼のくせに角を失くした愚物に与えられる蔑称よ」


 鬼、という単語の出現に、スバルの脳裏を昨夜の光景がよみがえる。

 森の中、返り血を浴びて哄笑を上げるレムの姿。その額から鋭く伸びた、白い角は忘れられない。まさしく、お伽噺で知る鬼の姿そのものだった。

 ただ、双子であるはずのラムの額にはその角の兆候は見当たりもしない。もちろん、メイドの装いに欠かせないホワイトプリムの下にはそれがあるのかもしれないが、その可能性は今さっき本人の口から否定されてしまった。

 無言の内に納得のいかないスバルの気持ちを酌んだのか、ラムは自分の桃色の髪に手を差し込んで、


「ちょっとしたいざこざで、一本しかなかった角を失くしたのよ。以来、何事もレムを頼ることにしているわ」


「……あ、ひょっとして悪いこと聞いた?」


「なぜ?」


 前を行くラムが振り返り、本当に不思議そうに首を傾ける。それに対してスバルは頬を掻くアクションで応じながら、


「いや、鬼って種族にとって角がどんだけのもんだか知らないけど、予想じゃかなり大きい問題だろ。それにけっこう不躾に触ったかなぁと思って」


「だとしたら掘り起こしておいて今さらな話だわ。――まあ、安心なさい」


 気持ち声を低くしてスバルを脅したあと、ラムはわずかに相好を崩し、


「当時はともかく、今は落ち着いているわ。角を失くしたことで、得たものも拾えた命もある。そのあたりのことは天命のひとつだわ」


 器の大きいことだ、とスバルは内心で応じる。

 が、そう告げたあとでラムは「でも」と前置きしながら表情に影を落とし、


「レムは、そうは思っていないでしょうね。――だからこそ、早く見つけてあげないといけないのだけど」


 前を向き直し、ラムがこちらに手振りで制止の合図。

 千里眼が入るタイミングだ。今度こそ抜かりなく、彼女の周囲を警戒する。


 右目が真っ赤に染まり、彼女の視界はここから彼方へと移動する。跳躍した視界の先で、また別の視界に乗り移り、目的の存在を探し出す。

 波長の合う相手の視界を借りる、というその行為が世界をどういう風に見せ、そしてどれだけの負担を術者にかけるのかスバルは知らないし聞かない。

 千里眼を使うたびに、血の涙がラムの白い頬を伝い、まるで丸一日歩いたかのように両の足が小刻みに震え、意地を張って前を行く体は何度も目眩を起こしたように揺れる。それでも、ラムは森を進むことをやめようとしない。


 辛いとも苦しいとも、口にしないラムに任せていてはいけないとスバルは思う。

 本質的な部分で、けっきょくのところ彼女とレムの双子は似た者同士だ。無理をするのが自分の方であるならば、それを躊躇せずにやる性質。

 エミリアも含めて、あの屋敷の女性陣は少しばかり他人優先が過ぎる。


「もっと俺みたいに足下ばっか見てわたわたしろよ。――自分がかっちょ悪すぎて嫌になるじゃねぇか」


 足下の草を蹴りつける。と、散らばる草が口に、跳ねた土が目に入って大誤算。慌てて「ぺっぺ」とやりながら、自分の決まらなさにすこぶるばつが悪い。

 だが、そんな間抜けが自分にはお似合いだと、スバルはどこか固くなっていた気持ちが少しだけ楽になったような錯覚を得た。

 だから、


「ラム、レムが大事で心配か?」


 千里眼を使用中、彼女の意識を乱すのは良くないとわかっていながらの質問。

 目を血走らせ、視界をここに置いていないラムは一拍遅れて、


「当たり前でしょう。確かにあの子の方がラムより強い。でも、それは心配しない理由にはならない」


「……うん」


「なにをやらせてもあの子の方がずっと上でも、ラムはあの子の姉様だもの。その立場だけは、絶対に揺るがない」


 確固とした決意の下、彼女の姉という立場は行使されていた。

 こうして改めてそれを知るまで、スバルは彼女がただ偉ぶるためだけにその立場を使っているなどと、大きく彼女を見くびっていた事実を認める。

 そして、それを認めてしまったからには、スバルもまた覚悟を決めるしかない。


「本当はレムと合流してからってのが理想だったんだがなぁ」


 頭を掻き、そう言って屈伸運動を始める。

 スバルの態度に腑に落ちないものでも感じたのか、成果を得られなかったラムが千里眼を終了して視界を取り戻す。

 血の溜まる右目を懐から出した布巾で拭き、彼女は怪訝そうに眉を寄せ、


「バルス、なにをする気なの?」


「現状だと足引っ張るためだけについてきたみたいなもんだろ、俺。森に入る前に言ったはずだぜ、俺。レムを助けるのに、ちゃんと役立つってな」


 半信半疑の可能性ではあったものの、現状では勝算は七対三ほどまで持ち直している。もちろん、残りの三を引いてしまうリアルラックの不安はあるが、


「七三なんて、勝率高い側に回るのが珍しい。捨てるわけにいくかよ。――ラム、ちっとばかし危ない橋を渡る気はあるか?」


「飢えた野獣に若い男と森の中――これより危ない状況は、乙女としてそうないでしょうね」


「言いやがるぜ、この姉」


 笑い、それからスバルは大きく息を吸い、目を見開いた。

 スバルの考えが正しければ、これで状況は変わるはずだ。それが必要なことだとわかっていても、心が怖気つくのを止められない。


 ――ビビるのは今さらやめられない。小心小人はわかり切った話だ。ビビって芋引いていようが、実行に移せるのならば文句はないだろうが。


 弱いのか強いのかわからない叱咤を己に打ち、スバルはそれを口にする。

 スバルが正しければ、それはやってくるはずだ。


「ラム、俺は実は――」


 ――『死に戻っている』と口にしかけた。


 告げることを禁じられたそれを告げようと、禁忌を破ろうとスバルは振舞う。スバルがなにを口にしようとしているのか、身構えていたラムの表情が凍った。


 否――時間が制止したのだ。


 世界が色を失い、音が消滅し、時間の概念が根こそぎ吹っ飛ぶ。

 そして、その全てに等しく停滞が科せられる世界で、ゆいいつその制約を逃れる存在がスバルの眼前に突如として出現した。


「――きたか」


 呟きは実際には音になっていない。

 だが、目前のそれに届けと願いとあらん限りの毒は込めてやった。少しは気持ちが通じてくれれば、溜飲が下がって非常によろしい。


 ――時間が制止した世界で、ただひとつその影響を受けない黒い靄。


 どこからともなく現れたそれは、虚勢を張るスバルの前で腕の輪郭を作り始める。手指が生まれ、手首が生じ、肘が生えて二の腕が派生――そこまでは前回までも見届けた靄の変異だ。だが、三度目たる今回はさらに変化があった。


「肩まで……」


 二の腕を越えて肩と思しき形が象られる。

 手指の先から肩までを作り出したそれは、もはや立派な『一本の腕』と呼ぶにふさわしい。

 初見の時点から徐々にはっきりとした像を結び始めるそれ。回数を増すたびに靄による浸食が進むのを恐怖する一方、それを子細に噛みしめる時間はスバルには与えられない。


 黒い靄の成長を不気味に思うスバルの胸に、指は躊躇いなく滑り込む。

 胸の薄い肉を越え、肋骨を撫でて、その胸骨の内側に守られる心の臓へとまっしぐらだ。


 くるとわかっていても、痛みというものはある領域を越えれば耐えられるものではない。

 心臓を直接握られるその痛みは、絶叫と狂ったようにのた打ち回ることをなくして語ることなどできない領域にあった。


 長く苦しい、堪え難い苦痛の時間が続く。

 心臓のリズムが狂い、血流がメチャクチャに押し出されて全身が悲鳴を上げる。痛みに血涙が噴き出し、噛みしめた奥歯が思わず割れ砕ける。


 それほどのことが起こってもおかしくない痛みを受けながら、制止しているスバルは外への反応でそれを発散することもできず、受け止め続けるしかない。


 やがて苦痛の時間は遠くなり、視界が真っ白に染まり――、


「――バルス?」


 呼びかけられて、スバルは自分が膝を屈していたことに気付く。

 俯いた口元からは涎が伝っており、慌ててそれを袖で拭って立ち上がりながら、


「危ね危ね、白昼夢」


「病み上がりなのはバルスも同じよ。無理なことはしないで、ラムに任せなさい。それで、どうすればレムを……」


 言いかけて、ラムはハッと表情を変えると周囲を見回す。

 静寂の落ちた森の中、風に木の枝が揺れ、葉の擦れ合うかすかなざわめきだけが響いている。それらに耳を澄ませるラムはスバルを見て、


「なにをしたの、バルス」


「……ちょいとばかり、痛みを伴う賭けに出てみた」


 あれだけの苦痛、その名残も今は体のどこにも残っていない。

 徹底的に精神にだけ傷を残すそのやり口を醜悪に思いながらも、身動きを取れる体力を残しておいてくれていることにだけは一抹の感謝を。

 なにせ――、


「風が乱れて……獣臭が近づいてくる。それも、すごい数」


 ざわざわと静けさを失い始める深緑の中、ラムの顔がふいに右の方向へ固定。つられてそちらへ視線を送ると、複数の赤い光点が遠間から接近してくるのが見えた。

 まずは五匹。あと十数秒でエンカウントするだろうそれに向き直るラム。隣で片手剣を鞘から抜き、スバルもまた避けられない戦いへ備える。


「レムはまだ見つからないのに……!」


「まぁ、安心しろよ。たぶん、そう遠くない内に合流できっから」


「どうしてそう言い切れるの」


 鋭い視線で恫喝してくるラムに肩をすくめて、


「レムの目的は森の中の魔獣を狩り尽くすことだぞ。――俺がいる限り、奴らは俺って獲物目掛けて食いついてくる。だからその内、レムもここにこざるを得ない」


 ずっと考えていた。ずっと疑問に思っていたのだ。

 魔獣が、スバルを標的に選ぶその理由を。


 この繰り返しのループの中で、スバルは魔獣とエンカウントするたびに必ず呪いを受けていた。それは避けられない運命であるというより、魔獣と遭遇した際には必ずスバルが標的に選ばれるという、ある種の強制力が働いていたが故だ。

 魔獣はスバルの存在に過剰に反応する。その理由の答えは、同じように過剰反応していた人物の発言から割り出せた。ずばり、


「魔女の残り香、だ」


 魔獣とは、魔女が生み出したとされる人類の外敵。

 そして、奴らは魔女の臭いを漂わせるスバルに対して常に過剰反応を見せていた。森に入り、ことごとくスバルが襲われてきたのも同じ理由だろう。


 かすかに漂うそれに誘われて魔獣が姿を見せるなら、いっそ豪快に臭わせてやろう。


 森中の魔獣が、スバルの身に呪いをかけた全ての魔獣が集まり、それを追ったレムすらも合流してくれるぐらい、豪快に。


 それがスバルの考えた、レムと合流した上で自分も助かる上策。

 ――名付けて、『ナツキ・スバル囮大作戦』だ。


 相変わらず、自分のポジションを最前線に置かない戦い方ではあるが、目論見はうまく運んだ。

 以前に一度、死に戻りをエミリアに告げようとした際に靄が現れたとき、ぽつりとベアトリスがこぼしていた言葉が引っかかっていたのが助けとなった。

 靄の出現とともに、スバルを取り巻く魔女の残り香は濃くなる。


 ――おそらく、あの靄は魔女となにかの関係があるのだ。


 だからあの靄が出現するたびにスバルから漂う魔女の気配は濃くなり、結果的に魔獣を呼び寄せる生き餌としての効果を発揮するようになる。


 誰にも伝えられない苦悶と、誰にも訴えることのできない激痛。

 それらを用意した運命を、逆手にとってやった爽快感に、スバルは眼前に迫る脅威すら置き去りにして口の端を歪める。


 ――ああ、俺はやっと、このループを仕組んだ運命に一矢報いてやった!


 心中で喝采し、片手剣を握り直すと、迫る魔獣に対して身構える。

 そして隣に並ぶラムに対して声高に告げた。


「じゃあ、戦いに関しては超お前頼りなんで、よろしく!」


「あとで客観的に、自分がなにを言ってるのか振り返ってみなさい」


 ため息まじりのラムの声に遅れて、風の刃が正面から迫る群れにぶち当たる。

 ――魔獣との戦端が再び、キャストを変えて開かれようとしていた。



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[気になる点] ロズっちさん・・・ レムもラムどころか、もう屋敷には誰もいません(笑)
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