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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章58 『存在の証明』



 ――警戒する見張りの背後に回り、その体の中心線に沿った点穴を打つ。


「――――」


 途端、相手は声も上げられずに崩れ落ちる。その倒れる体を支えてやったのは思いやりからではなく、具足が床を打つ音を響かせられては困るからだ。


「やれやれ、片手で大の男を抱えるのは年寄りにはしんどいんじゃぜ。――中身空っぽのくせに、しっかり重てえってんだから困ったもんじゃぜよぅ」


 そうこぼし、白髪に白眉の老人――オルバルトは倒した敵を左手一本で抱え、傍らの城壁を爪先で軽く叩く。すると、石塀は叩かれた壁面を水面のように波打たせ、ぐいと押し込んだ敵の体を呑み込み、そのまま埋め立ててしまった。


 幸い、屍人は呼吸しなくても死なないらしく、壁に埋めても殺さずに済む。

 心臓も動いていないので血も流れていない。殺しても砕けた破片を箒で掃けばいいだけなので、始末する分には片付けが楽でよいことだ。


「ただ、それ以外がちぃともよくねえ。殺しても、死んですぐに起きてきやがるのもいるとあっちゃ、迂闊に殺すのも面倒が増えっちまいかねねえんじゃぜ」


 相手する屍人の特性、その中でオルバルトが最も危険視するのが倒した敵の復活だ。

 倒しても倒しても蘇られては、闘争心溢れる帝国兵でも心が折れる――という理由ではなく、殺されて蘇る屍人が、殺される前の記憶を引き継ぐのが問題だった。

 それをされると、相手は代替可能な命と引き換えにあらゆる情報を即共有できる。


 シノビの頭領であるオルバルトは、戦における情報の鮮度と確度の重要性を十二分に知っている。オルバルトの生涯で一番殺した敵は、斥候か伝令かで競るほどだ。

 本来なら情報の伝達を防ぐために殺すのに、殺しても情報が伝達される恐れがあるのは不条理としか言えない。


「まぁ、シノビの技にも死んだら自爆して、その爆発の煙の色で情報を伝えるってのがあるからお互い様っちゃお互い様じゃがよぅ」


 嫌がらせこそシノビの本領だというのに、これでは商売上がったりだ。

 帝都から城塞都市への撤退、その遅滞戦闘の最中に行われた検証によると、屍人の中には急所となる『核虫』とやらがいて、それが蘇りの元らしい。首が飛んでも復元する屍人もいるが、それは核虫を殺せていないのが原因というわけだ。

 挙句、核虫の力の源は大精霊である『石塊』とのことで、核虫ごと屍人を殺し過ぎても、力を失ったムスペルが帝国の大地を支え切れなくなるとか。


 故に、オルバルトは屍人相手の『殺さず』を苦心しながら徹底している。

 先ほど壁に埋め込んだ屍人も、点穴という人体の急所を正確に打つことで体の自由を奪い、無力化した形だ。そんな調子で、オルバルトが壁に埋めた屍人は五十体ほど――体の作りも中身もハリボテでも、点穴が急所として機能してくれてホッとしている。

 もっとも、それも屍人の膨大な総数からすればささやかな抵抗でしかないが。


「殺し殺されが得意科目の帝国人に、死ぬな殺すなってのは酷じゃろうによぉ」


 それは帝国を救うための協力関係にある、王国と都市国家からの友軍が聞けば顔をしかめる意見だが、比較的多くの帝国人が共感するだろう意見だ。

 結果的に、『大災』を率いる敵はヴォラキア帝国が最も苦手とする、不殺を前提としなければならない防衛戦を仕掛けてきている。――否、結果的に、ではあるまい。


「いつでも最悪の想像をすんのが年寄りの悪癖ってもんじゃろうよぅ。これまで帝国が土に染み込ませてきた血ぃを利用してきやがる相手……徹底的に弱味狙いじゃぜ」


 古強者が次々と蘇る戦場も、闘争の絶えないヴォラキアだから成立した環境だ。

 同じ条件でも、他国ならここまでの惨事にならなかっただろうことを思えば、敵はヴォラキアを攻略するため、最も適切な手を打ってきている。

 だからこそ、こちらも手を読み違えられない盤面だと理解しなくてはならない。


「――――」


 そう白眉に覆われた瞳を細め、オルバルトは単独で潜入中の水晶宮で息を潜める。

 可能な限り存在を殺した隠形は、シノビの頭領の面目躍如――見張りを気付かせずに減らしていることも含めて、存在を捕捉されてはならない。

 存在を捕捉され、『茨の呪い』の対象に含まれれば、オルバルトとて無力化される。痛みには弱い。心の臓に茨の棘など、想像しただけで寝返りたくなる。

 そうならないためにも、オルバルトの動きは慎重を期していた。


 ――少数精鋭で帝都へ攻め込み、素早く敵の首魁を討つ。

 これが『大災』との戦の最終局面で採用された策であり、ヴィンセントはもちろん、オルバルトも異論のない最善手と言える手立てだった。

 屍人の数は帝国兵の総数を上回り、持久戦を仕掛けても『石塊』の命が削られ、帝国の寿命が縮んでいくだけという徹底した搦め手具合だ。

 決着を急がなくてはならないのは、誰の目にも明らかなことだった。


「当然、相手もそれは予想しとるんじゃろうぜ」


 しかし、たとえ相手に知られていても、他に打つ手がないならその手を打つしかない。あとはどれだけ、打ち筋のバレている手に相手の予想を裏切れる要素を詰め込めるか。

 それ故に、少数精鋭をさらに分け、敵の目を引く派手な囮を複数用意した。

 その囮が機能している間に、オルバルトは課せられた役目を果たすのみだ。


 ――オルバルトの役割は水晶宮に潜り込み、不透明な城内の情報を持ち帰ることにある。


 とりわけ重要度が高いのは、『大災』の首魁であるスピンクスなる輩の居場所と、城内で身動きを封じられているだろう『鋼人』モグロ・ハガネの解放。あとは余裕があれば、セシルスの愛刀である『夢剣』と『邪剣』の回収だ。


「まぁ、たぶんセシの刀は見つからねえんじゃけどな。『邪剣』は逃げっし、『夢剣』なんてどこに仕舞ってんだかもわかりゃしねえんじゃぜ」


 何でもペラペラと喋りたがるセシルスだが、自分の愛刀の凄さは語っても、その特性までペラペラと喋るほど馬鹿ではない。あるいは聞けば答えるのかもしれないが、相手の手の内を聞くということは、そうする理由があると勘繰られるということだ。

 不用意にセシルスを刺激するほど、オルバルトも馬鹿にはなれなかった。


 ともあれ、可能性の低さを理由にオルバルトは刀の奪取は後回しにする。

 理想はスピンクスの所在を掴み、その身柄を確保することだ。それができれば、あの縮んでいるのに戻りたがらない奇特な少年――シュバルツと連れの少女の力で、屍人を魂ごと滅ぼすこともできる。

 それが実現できるのが、この『大災』との戦いにおける最も望ましい決着だ。

 ただし、それも容易いことではない。


「――ったく、ここも行き止まりにされてやがんじゃぜ」


 早期の決着を望む気持ちと裏腹に、オルバルトの足がたびたび止められる。

 地図を見れば完璧に情景を把握でき、一度訪れた場所であれば決して忘れないのがシノビの基本技能であり、オルバルトにとって水晶宮は通い慣れた職場だ。

 にも拘らず、オルバルトの捜索が順調に進まないのは、見慣れているはずの水晶宮の中身が、オルバルトの知るものからそっくり作り変えられているためだった。


「こういう惑わしも、本当ならワシらの専売特許じゃってのによぅ」


 オルバルトはそこに価値を感じないが、水晶宮は世界有数の美しき城として知られた建物だ。帝都決戦の影響もあり、一部の壁の崩落の痕跡などはあるが、それでも遠目に見たときの外観の印象に大きな変化はない。

 しかしこれが、城内に入ってみれば大違いとなっていた。

 廊下の作りや部屋の位置、扉の大小など様々な要素が作り変えられ、水晶宮はここで暮らしていたヴィンセントですら迷わせる、全く別の城に様変わりしていた。


 外観に変化がないだけに、無策で入り込めば惑わされること請け合いだ。

 この情報を持ち帰るだけでも、オルバルトが先行した意味は十二分にあるだろう。あるいは参謀役を務めたシュバルツは、この状況まで想定していたのだろうか。

 だとしたら、その眼力は頼もしいと同時に未来の脅威だ。


 今は協力関係にある王国と都市国家も、屍人の『大災』を水際で食い止めたあと、帝国にどのような態度で接してくるか知れたものではない。

 そうなったとき、ヴィンセントの横にはもうチシャはいないのだから。


「――しかし、やってくれたもんじゃぜ、チェシ」


 戦火と血風、生者にも死者にも香り続ける『死』の空気。

 それらを理由に心の中で弔う暇もなかったが、オルバルトは自分の技を『能』で盗み、さらにはヴィンセントへの成り代わりを気付かせなかったチシャをそう評する。


 オルバルトは人の技を盗むのは好むが、盗まれるのは好まない。

 なにせ、成長とは若者の特権だ。彼らには盗まずとも、自分の手で新しいものを生み出せる可能性がいくらでもある。翻って、老人にはその伸び代はない。だから、オルバルトは自分から盗まれるのを好まない。

 もし、若者が生み出すのではなく、盗み取ることに味を占めたらどうなる。

 この世に新しいものが生まれなくなり、オルバルトの盗むものがなくなるではないか。


「それをチェシの野郎、横着な真似しやがるんじゃぜ。――気持ちはわからねえでもねえんじゃがよぅ」


 限られた時間内で、チシャは最良の結果を求めた。

 つまるところ、チシャとオルバルトの選択は同じだ。オルバルトはお迎えの近い年寄りで、チシャはお迎えの機会を近々に定めた死兵であった。

 だから、手持ちの札を増やすため、手段を選ばなかったという話だ。


 その選べる手の少ない中で勝負に出て、チシャはこの状況を勝ち取った。

 ――ヴィンセントを生かし、オルバルトを味方に付ける現状を。


「――――」


 ――オルバルト・ダンクルケンには野心があった。

 それは帝国史に、他に並ぶもののいない形で名を遺すという人生最後の目標であり、自分という存在が一個の命として確かにあったことを刻み、証明することだった。


 シノビとしてもらわれ、シノビとして育ち、シノビとして生きたオルバルト。

 多くのものが命を使い捨てられ、長生きできないのが当然の役割で、オルバルトは御年百歳を目前にするまで生きてきた。だが、帝国人としてもシノビとしても長く生きた人生の中、オルバルトの日々の大部分は他者の目的を叶えるために費やされた。


 それがシノビという生き方の定めと言えばそれまでだが、オルバルトはシノビの中でも例外的に長生きした。――なら、その最後もシノビらしくなくてもいい。

 静かに名を遺さず、歴史の闇に無音のままに消えるのがシノビらしさなら、あえてオルバルトはその真逆の形を目指してもいいではないか。


 それ故に、オルバルトは虎視眈々とその機会を待ち続けていた。

 人生の最後にひと花咲かせるため、最もやり甲斐があるのは『賢帝』ヴィンセント・ヴォラキアの首を取ることとも考えてはいたが――、


「相手が滅びとあっちゃ、裏切っても意味がねえのよな」


 相手が『大災』――屍人の軍勢であり、その目的がヴォラキア帝国の滅亡とあっては、オルバルトの目論見は儚く脆く崩れ去る他になかった。


 オルバルトは帝国史に名を遺したいのだ。

 その帝国が滅ぼされては、オルバルトの望みはどうあっても叶わない。だから、こうなるまでオルバルトを早まらせなかったチシャの演技に脱帽なのである。


「このどんちゃん騒ぎが片付いたあと、ワシがなんかやらかす余地が残ってっといいんじゃがよぅ。ワシの寿命が尽きちまうぜ、下手すっと」


 戦後、消耗した帝国の立て直しの最中、王国や都市国家が動く前に皇帝を弑逆奉る――というのも考えないではないが、『大災』に便乗している感が否めなくて気が進まない。

 如何せん、絶好の機会を見出せないでいるオルバルトは、これさえ『大災』を退けないうちは皮算用と野心を潜め、前を向く。――そのオルバルトの視線の先に、元の城なら謁見の間だった場所へ通じる大扉がある。


「――――」


 黙したオルバルトの胸中、湧き上がるのは相反する二つの感覚だった。

 この扉の向こうへいくべきではないという感覚と、この扉の向こうにいくべきだという感覚――前者は本能に根差し、後者はシノビとしての長年の勘を根拠とする。

 普段なら、オルバルトの判断は前者一択から動かない。しかし、オルバルトの勘は言っている。この扉の向こうにこそ、オルバルトが潜入した意味がある。


 それがスピンクスとモグロと刀と、いずれであるのか、あるいはいずれでもないのかはわからなかったが――、


「……長引かせて、老い先短ぇ年寄りが国家転覆する機会を逸しちゃ死んでも死に切れねえんじゃぜ、ったくよぅ」


 しゃがれた声でそうこぼし、オルバルトは進退のどちらを選ぶか決める。

 謁見の間の位置であれば、扉を通らずとも壁に空いた穴から様子を検めることも可能なはずと、オルバルトは廊下の窓から壁伝いに目的の部屋へ到達。

 扉を開けずに、部屋の中を覗き込み――、


「――おいおい、ワシでもやらんのじゃぜ、ここまでのことはよぅ」


 その、変わり果てた広間にあった『魔女』の成果物に、『悪辣翁』と呼ばれたシノビの頭領は不快感を隠さず、そう呟いていた。



                △▼△▼△▼△



 ――そのモノの魂は、もはや元の在り様を見失い、引き裂かれていた。


 外法により地上に呼び戻され、自らが属したはずの帝国を滅ぼすための軍門に下った哀れな魂の虜囚、それが屍人たちが置かれた状況だ。

 多かれ少なかれ、屍人たちはその精神構造に生前と異なる手を加えられている。そうでなくては、蘇った死者の全てが帝国の滅亡に加担する形にはならないだろう。


 手の加え方は軽度から重度と様々だが、元々の形質に大きな負荷をかけるほど命令に忠実になる反面、本来の実力を発揮できなくなる恐れがある。

 それ故に、生前強者だったモノほど軽度の負荷で済ませたくなるのが術者の常だ。

 実際、『荊棘帝』や『魔弾の射手』といった腕利きは精神の負荷による実力の減退が著しく、多少の自由意思を許してでも実力を維持する方へ『魔女』は舵を切った。

 これらの強者たちも、言いなりの人形に仕立てていたなら、その実力の半分も発揮できずに醜態を晒すこととなっていただろう。


 ともあれ、そうした一部の例外的強者や、率先して『魔女』へ協力する姿勢を見せたラミア・ゴドウィンのようなモノを除けば、屍人の魂は無惨に弄ばれている。

 生前にどんな願いを抱いていようと、どれほど高潔な戦士だったであろうと、何を大切にしていたのだとしても、その全てを踏み躙るように利用される。

 そして、帝国を滅ぼすための災いの尖兵として動くことを強要されるのだ。


 そのモノも、例外にはなれなかった。

 自由意思を奪われ、戦うための道具として使い潰される存在となり、度重なる『死』を味わおうとも再び魂を招聘され、土の器を新たな依り代に蘇る。

 悲しいかな、そのモノは『魔女』が設定した屍人化の条件と程よく合致した。

 ほどほどに技量が高く、それなり以上に戦いに執着し、言いなりの人形とされても実力的に不便がなく、強い後悔と憎悪が最期の瞬間として焼き付いている――。


 それが理由で、猛然と、とめどない激情のままに暴れ回る。

 引き裂かれ、元の形を失いつつある魂に引っ張られる形で、その肉体はもはや人型であることを忘れ、見るもおぞましき異形と化していた。

 長く大きな腕、増えすぎた足、骨と皮だけのペラペラの胴体と、そんな姿に変わり果てても、『魔女』に利用される状況から逃れられない。


 幾度殺されても、魂を引き延ばしてまた別の怪物となって蘇る。

 それを終わらせるためには、『魔女』の望みを叶える他にない。『魔女』の望みを叶え、『大災』の先触れとなって帝国を焼き尽くすしかない。

 ありえざる姿になったモノの、今やそれが願いだった。それだけが願いだった。


 それだけが、それだけ、それだ、それ、願いは、それだけ――。


「――『巨眼』のイズメイル」


 ――。――――。――――――――。

 ふと、おどろおどろしい咆哮と、激しい戦いの音に紛れてそれが聞こえた。

 もう耳の形をしていない耳に、他にも色々な音が飛び込んできているはずなのに、その一声だけがやけにはっきりと、妙にしっかりと、不思議とちゃんと、聞こえた。

 それが、どんな意味を持っているのか、そのモノはわからない。

 わから――、


「イズメイル!」

「いああいあう」


 疑問が思考に停滞を生んで、たくさんある殺すための腕が足が全部止まっていた。その隙を縫うように伸ばされた手が、薄く平らな胴体を撫で、何か掠め取っていく。

 するりと、何か抜け落ちたような感覚があった。

 大事なものなのか、大きなものなのか、それすらも判然としない。ただ、それが抜け落ちた瞬間に、全身に満ちていた暴力的な衝動が一気に遠ざかる。


 スカスカ、スカスカだ。自分の中身が、スカスカになった。

 たくさんの、無理くり、外から詰め込まれていた暴れる理由が流れ出していって、スカスカになっていく自分の奥に、最初からあったものだけが残る。


 それは、戦う理由だ。功名心とか野心とか、そういう言い方もできる。

 馳せ参じた理由は、戦うためだった。戦ったのは、歴史に名を刻むためだった。そこに、自分は、一族が誇った『自分』が確かにあったのだと証明するためだった。


 自分という存在が、『巨眼』イズメイルが、そこに――。


「ああ、叶っていたのか……」


 大きな、黒い単眼に浮かんだ金色の瞳が、その男の顔をはっきり映し出す。

 黒髪に切れ長の瞳をしたその美丈夫は、自らの命に差し迫った刃にさえ小揺るぎもせず、堂々とこちらを見据え、変わり果てた姿のイズメイルを呼んだ。


 ヴォラキア帝国の頂点は、イズメイルを認識していた。

 それが――、


「――剣狼の誉れだ、皇帝閣下」



                △▼△▼△▼△



 戦斧と一体化した腕の一撃をジャマルが食い止め、増えた足の機動力を活かして縦横無尽に街路を飛び回った動きをスバルとベアトリスが魔法で牽制する。

 その間、致命的な威力の攻撃が幾度も放たれるも、それは飛んだり跳ねたりするスピカが強引に打ち落とし、仲間たちへの被害をかろうじて防いだ。

 そして――、


「――『巨眼』のイズメイル」


 眼光鋭く、その異形化した屍人を見据えたアベルが名前を呼んだ。

 一瞬、まさかと思ったスバルだったが、この帝都でアベルが屍人の名を呼ぶなら、それは丸っと信じると最初から決めている。実際、これまでアベルは一度も、屍人の名前を呼び間違えることがなかった。

 とはいえ――、


「イズメイル!」

「いああいあう」


 繋いだ手の先、振り回すようにして突っ込ませたスピカが、そのイズメイルと呼んだ異形の存在の胸らしき部位へと掌を叩き付ける。

 打ち抜くでも叩くでもない『星食』が発動し、スバルたちは息を呑んだ。

 条件を満たしたなら、たとえその姿かたちが人から逸脱したものだろうと、他の屍人たちと同じ決着を迎えるはずと。

 はたして、固唾を呑んで見守るスバルたちの前で、イズメイルは巨体をゆっくりと震わせ、その大きな丸い単眼の金瞳で、アベルを見据えた。

 そして――、


「――ぁ」


 声にならない声で何かを言い残し、その異形の巨体が一気に塵へと崩れ去った。


「ああ、クソ! 信じられねえ! なんだったんだ、今の化け物は!」


「単眼族の勇士、『巨眼』と呼ばれたイズメイルだ。最後に呼びつけた通りであろう」


「単眼族って、目玉が一個ってだけじゃなくて、あんな化け物なのかよ……なんですね」


 強力な屍人との戦いを終えて、顎を伝う血と汗を拭いながらジャマルがぼやく。

 相手がアベルであることを忘れて乱暴な言葉遣いになったのを反省する彼だが、その指摘は的外れだろう。

 イズメイルという人物は、最初からあんな姿だったわけではない。


「ベア子」


「わかってるのよ。あれは、『不死王の秘蹟』の被害者かしら。何度も何度も蘇らされたせいで、とても真っ当な状態ではなかったのよ」


「うー、あう……」


 ベアトリスが顎を引くと、スピカが沈んだ顔で自分の掌を見下ろしている。そのスピカの頭をポンと置いた手で撫でてやりながら、スバルは深く息をつく。

 イズメイルとは、帝都決戦の際、レムやフロップたちを連れて逃げるときにも遭遇したが、その姿の変質は目も当てられないほど凄惨なものだった。

 粉塵爆発で吹き飛ばされても死ねなかったのか、あるいは死んだあとにもまた復活させられたのか、異形化はますます進行していた。

 しかし、その終わりのない地獄も、スピカの『星食』で終えられたはずだ。


「でも、お前はよくあんな姿になってたのに相手が誰なのかわかったな」


「屍人として蘇った時点で、人相にある程度の影響は出ている。ならば、そのものの特徴で見分けるのが肝要だ。あれはわかりやすい部類であった」


「わかりやすいって……」


 人型であった部分は名残ぐらいしかなく、一度、人型を逸して異形化した姿を見ていたスバルだから、撤退の最中の敵と一致したが、アベルはそうではない。

 にも拘らず、しっかり言い当ててくるのは怪物級の記憶力というより、反則技の類を疑った方が適切にすら思えてくる。


「国内の有力な兵の存在は把握しておくものだ。敵になるにせよ味方になるにせよ、判断材料が多いに越したことはない」


 だが、その後に続いたアベルの言葉は、単純な身体的特徴で相手を見抜くのではなく、それ以外の部分も評価していたが故のものだった。


「――――」


 それを聞いて、スバルは塵になる寸前のイズメイルの最期を思い返す。

 言葉にならず、意味を聞き取れなかった一声は、しかし恨みや怨嗟の声というより、もっと厳かな感情が込められていたようにも思えた。

 それはもしかすると、自分の名を言い当てた皇帝への畏敬の念だったのかもしれない。

 いずれにせよ――、


「――っ、正念場だな」


 ズズンと、ひっきりなしに轟音の聞こえてくる空を見上げ、スバルは呟く。

 そのスバルの視界、雲に覆われた空を破り、水晶宮の方へ落ちていく氷山――ロズワールが戦術に利用すると、エミリアにこさえさせたものが見えた。

 さらに遠くの空では渦巻く雲が禍々しい凶器となり、また別の方角では地上からの雷鳴がうるさく鳴り響いていて、澄んだ剣撃に切り刻まれ、倒壊する街並みも見える。


 各頂点、スバルが指示した条件を守り、各々が激戦を繰り広げている証だ。


「ロズワールの奴、ずいぶんと派手にやってるかしら。張り切りすぎなのよ」


「あれ見ると、あいつがちゃんとヤバい奴だってことを思い出させられるよ。城にオルバルトさんが忍び込んでるのに、潰さねぇだろうな、あいつ」


「潰す必要があるなら潰すかしら。そういう男なのよ」


 空が割れるような音を立てて、砕かれた氷山が無数の煌めきを天空へ散らせる。

 ロズワールはミディアムと共に、『飛竜乗り』の敵と相対中――この敵の対応は最難関の一つであるため、ロズワールの勝利を信じて任せる他にない。

 無論、『茨の呪い』や『雲龍』の存在も、どうしようもない脅威には違いないが。


「あとは、エミリアたんとタンザがうまくやってくれるかどうか……」


 激戦、という言葉では足りない状況となっていく帝都の中、スバルは各地に送り込んだ仲間たちの中、結果の見えないエミリアたちのことを案じる。

 現状、戦力の最善の振り分けができていると考えているが、エミリアの配置だけがはっきりと決まらず、あやふやな形になっている。ただ、彼女に任せてある役割のことを考えると、今はタンザと行動を共にしてもらうのが正解のはずだ。


「正直、イズメイルが出てきたときはヤバいと思ったけど……」


 エミリアを外した現戦力で、あの異形化したイズメイルを押しとどめられたのは、紛れもなく全員の一丸となった奮闘のおかげだ。

 とりわけ、ジャマルの貢献度は高く、見る間に彼は動きがよくなっていく。もしかすると、死地に立たされてすごい勢いでレベリングしているのかもしれない。

 それ自体は歓迎すべきことだ。ジャマルがめちゃめちゃ頼りになるという、精神的な抵抗感を除けばの話。


「ジャマル・オーレリー、まだやれるな?」


「は! 閣下の仰せなら、百体も二百体でもやれますぜ!」


「だそうだ。貴様たちも大いに励め」


「クソ、他の奴にできない仕事してるからって堂々としやがって」


 戦いに参加せず、一人だけ涼しい顔をしたアベルに悪態をついて、それからスバルはベアトリスとスピカの様子を窺う。

 綱渡りの連続だが、屍人との戦いは常に今いる戦力の総力戦だ。慎重に事を進めたい思惑がある以上、誰かが穴になった状態で進めるのは得策ではない。


「ベティーはノープロかしら」


「あーう!」


 そのスバルの確認の目配せに、二人は気丈な様子で頷き返す。この分だと、体力的に一番不安があるのはスバルということになりかねない。

 もっとも、スバルも『プレアデス戦団』との繋がりは継続中なので、体力的な意味で一番不安なのはアベルということで全会一致だろうか。

 ともあれ――、


「ぼちぼち戦況が動くはずだ。ハリベルさんがやってくれてれば、水晶宮に近付く道もできてるはず。そこから――」


 他の戦域の情報を獲得し、この周回と先々の展開を考慮する材料が欲しい。

 そう仲間たちに呼びかけようとしたときだった。


「――なるほど。これは奇妙な現象ですね。要・観察です」


 不意に、全員の意識の外から聞こえた声に弾かれたように振り返る。

 目を見張ったスバルの視界、そこに今までいなかった第三者の姿――背丈の低い、青白い肌をした屍人がしゃがみ込み、地面に積もった塵を指で確かめている。

『星食』によって滅んだイズメイルの塵を弄ぶ、桃色の髪の見知った屍人――、


「――ッ、お前」


「見たところ、核たる虫に直接干渉したわけではありませんね。虫は寄生する先をなくして死んでいる……魂の喪失? 奪取、強奪、回収……興味深いです」


 そうこぼし、指先を汚した塵を舌で舐めて確かめるのは、スバルたちの身内と瓜二つの姿をし、一方で似ても似つかぬ温もりのなさを瞳に宿した存在――スピンクスだ。

『大災』の首魁であり、この最終決戦における作戦目標そのものがこの場に現れていた。


「――――」


 そのあまりに堂々とした登場に、スバルの意識が一瞬空白に呑まれる。

『茨の呪い』や『魔弾の射手』の存在があり、切り札であるスピカを連れたスバルたちが水晶宮にいるはずのスピンクスと相見えるのは困難が伴った。そのため、隠形の得意なオルバルトを偵察に送り、スバルたちは道が開けるまでの間、屍人狩りを続けて相手の戦力を削り、来たるべき決戦を有利に進めたいと考えていた。

 だが、その前提が、こうもあっさり崩されるとは――、


「――いや」


 チャンスだ、とスバルは動揺を押し隠し、ベアトリスの手を強く握った。ちらとベアトリスと視線を交わし、スバルは驚いているスピカとも手を繋ぐ。


 目の前のスピンクスは、この『大災』を率いている元凶なのだ。

 そして、他の屍人たちと同じく、『不死王の秘蹟』の力で蘇っている彼女には、スピカの『星食』が効果を発揮するはず。屍人となることで『死に逃げ』の優位性を得たが、代わりにスピカという避け難い弱点をも負うことになった。

 その、復活の目を奪えば戦いは終わる。

 相手の思惑や狙いがわからずとも、戦いを終わらせることができるのだ。

 だから――、


「スピン……」


「必要なのは対象の『名前』と『魂』の一致。『暴食』の権能まで利用するとは驚かされました。要・対策です」


「――っ」


 先んじて仕掛ける動きを、スピンクスの静かな分析に潰された。

 とっさに、『暴食』の権能と口にされ、スピカの『星食』の正体まで一目で看破された事実にスバルは息を呑む。呑んでしまった。

 たとえ狙いを見抜かれようと、当たりさえすれば逃れられない権能の強味を忘れて。

 だから、そのツケを払う羽目になった。


「――馬鹿が」


 そう、口汚く罵る声が、突き飛ばされたスバルたちとスピンクスの間に割って入る。

 スピンクスは細い指を一本立てて、その指先をスバルたちへと向けていた。その指先から放たれた白い熱線がスバルとスピカの頭を貫く前に、男が飛び込む。


 ジャマルの構えた剣が熱線の形に丸く抉られ、防げなかったそれが、荒武者のような男の胴を貫いて、血の焦げる生臭い香りが強く強く、鼻腔を打っていた。



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― 新着の感想 ―
無駄な文が多いなー 桜井光みたい
[一言] あ。こりゃまたスバルのデスマラソンルートかな?
[良い点] おいどうするんだ! ジャマル死んじまうど! 啖呵切ったのに! [一言] 敵の首級も現れている中でそれでも一番ひっそりとしていると感じるスバル担当の戦局。 やっぱスバルだもんな。派手さとは無…
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