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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章54 『ソーマトウ』


 ――気付けば、ガーフィール・ティンゼルは暗い場所で座り込んでいた。


「あ?」


 目つきの鋭い目を丸くして、ガーフィールはきょろきょろと辺りを見回す。

 心当たりのない場所だった。薄暗い空間、ガーフィールはどっかりと椅子に座り、膝に肘を置いて頬杖をついた状態でそこにいる。

 いったい、何がどうしてこんなところにいるのだろうか。


「なんだァ、ここァ……」


 鼻面に皺を寄せて訝しみながら、ガーフィールは鼻を鳴らした。

 ガーフィールの優れた嗅覚は、犬人ほどでないにしても状況把握に役立つ。これで周辺情報を拾うのは、もはや本能的な行動だが――その嗅覚が、うまく働かない。

 何も匂いを感じないわけではないのだが、捉えどころのない感じだ。

 捉えどころがないと言えば、それは匂いだけでなく。周囲の状況もそうだった。


 前述の通り、薄暗い空間だ。天井は高く、ガーフィールが腰を下ろしている椅子は一つだけでなく、左右にずらりと列を作っている。しかも、その椅子の列はガーフィールの前にも後ろにも何列もあるようで、自分がいるのは空間の真ん中あたりの席だ。

 と、そこまで考えたところで、ガーフィールはその光景に近いものを思い出した。


「これ、演劇とかやってッやがる劇場みてェだな」


 劇場と、一度口にしてイメージが固まると、はっきりそうとしか思えなくなる。

 そうだ。ガーフィールがいるのは劇場で、観客席の真ん中あたりに座っている。薄暗いのも天井が高いのも、全ては観劇のために必要な要素だ。

 そのガーフィールの理解が現状を把握すると、それを待っていたかのように高く、大きな鈴の音が劇場に鳴り響いた。――開演の合図だ。


「――――」


 目を見張るガーフィールが硬直すると、こちらの心中を置き去りに、観客席の正面で変化――緞帳が上がり、隠されていた舞台がゆっくりと露わになった。

 そして、その舞台の上で、観客の視線を浴びるのは――、


「……猫?」


 顔をしかめたガーフィールの呟き、それは舞台の上の光景を端的に言い表したものだ。

 事実、幕の上がった舞台の上で開演を待っていたのは小さな猫だった。灰色の毛並みの小さな猫が、二本の足で立って両手を広げている。

 その小ささは、ガーフィールの知るミミのような子猫人のそれよりもっと小さい、本当に掌サイズの大きさだった。


 そんな小さな猫が一匹、二匹、三匹と、舞台の上で開演を迎えた。

 猫はどれも同じ猫に見える。と、状況に流されるままのガーフィールの前で、三匹の仔猫が動いた。――それぞれ、異なる小道具を身につけたのだ。


 一匹は金色のカツラを、もう一匹は赤いカツラを、最後の一匹は白い綿毛を頭に被る。

 そして、目を瞬かせるガーフィールの前で、三匹の猫は舞台のそれぞれの立ち位置へ移動すると、そこから目を見張るような動きを見せ始めた。


 金髪の猫と綿毛の猫がぶつかり合い、それを赤毛の猫が立ち尽くして見る。

 そんな、文字通りのじゃれ合いが発生したのだ。


「なんなんだこりゃァ……」


 唖然となりながら、ガーフィールは舞台でもつれ合う猫たちの様子を見ている。

 これがなかなか舞台の大道具は凝ったもので、石造りの街並みを再現した背景と、家や壁の書割が猫同士の戦いに合わせて壊れたり、崩れたり、投げられたりする。

 何とも派手で、手の込んだお遊びだと微笑ましくも思えてくるが。


「――? あの猫、そォいやどっかで」


 ふと、演者の小猫たちに注目し、ガーフィールは記憶に引っかかりを覚える。その閉じかけの蓋をカリカリと引っ掻くと、徐々にその蓋が開き、理解が飛び出す。

 あの小猫たちは、よくエミリアやベアトリスがスバルにせがんで描かせていた、エミリアの契約している大精霊の絵とそっくりなのだ。


「いや、だァからなんだってんだよォ!」


 思い当たったものの、それが意味するところはわからないとガーフィールは憤慨。思わず声を大にしたせいで、舞台の小猫たちが驚きに動きを止める。

 ちらと、三匹の小猫にこちらを窺われ、ガーフィールはいたたまれなくなった。

 謝る理由はない、と言い張りたい気持ちがないではないが――、


「――馬鹿ね。座りなさい、ガーフ」


「ォ……」


「静かに観賞するのが観劇の作法でしょう。舞台の邪魔をする気?」


 唐突にそう言われ、横を向いたガーフィールは目を剥いた。

 直前まで誰もいなかったはずの左隣に、桃色の髪の少女――ラムの姿があった。彼女は思わず立ち上がっていたガーフィールの腰帯を引いて座らせると、くりくり眼でこちらを見ている小猫たちに、「続けなさい」と偉そうに言った。

 そのラムの指示に従い、小猫たちが舞台上のじゃれ合いを再開する。しかし、ガーフィールは舞台の演目より、ラムの方が重大だ。


「ラム、てめェ、こんなッとこで何してんだ? こいつァなんなんだよ?」


「ガーフ」


「いや、言ってるッ場合じゃァねェ。とにかく、こっから出るぞ! ここがどこかなんてのァ、てめェの無事を確保してッからだ」


「ガーフ」


「そォだ、ラムの考えも聞かせッてくれ。正直、俺様だけで考えるッよりラムも考えてくれた方が正解に――」


「――ガーフ、気付かないの?」


 焦燥感に駆られ、徐々に語気を強めていくガーフィールが、ラムの言葉に息を詰める。

 目をぱちくりとさせるガーフィールの前、ラムはいつもながらの涼しげな横顔のまま、その眼差しを舞台の上にずっと向け続けている。

 想い人がこちらを向いてくれない姿勢にもどかしさを覚えつつ、彼女が何を見ているのかとガーフィールも舞台を見やり、小猫たちの変わらぬじゃれ合いを見る。

 しかし、その変わらぬじゃれ合いに、意味が潜まされていると気付いた。


 金髪の小猫と赤毛の小猫、綿毛を被った小猫が向き合い、街並みの背景を壊しながら暴れ回っていて――ついに、綿毛の小猫に突き飛ばされ、金髪の小猫が転がっていく。

 その倒れ込んだ金髪の小猫が、倒れてきた書割の下敷きになってしまった。

 それが、何の演目なのか――、


「ガーフ」


 またしても、ラムの静かな声に呼ばれ、ガーフィールは振り向く。と、舞台を見ていた薄紅の瞳がこちらを向いて、二人の視線が正面からぶつかった。

 その、間近で向き合っていると胸が高鳴るラムの顔を見ながら、しかし、このとき、ガーフィールの内で高鳴ったのは恋心ではなく、本能の警鐘だった。

 それを自覚したガーフィールに、ラムは小さく吐息をつくと、


「あなた、死にかけてるわよ」


 と、これがガーフィールの見ている泡沫の夢の劇場だと宣言した。



                △▼△▼△▼△



 ――舞台上に転がった金色のカツラの小猫、あれが自分の姿だ。


 そう理解してみると、何ともふざけた演目ではないか。

 綿毛の小猫が向き合っている敵で、後ろの赤毛の小猫が守られている人物。そう考えたところで、ちょっとずつ記憶が鮮明になってきた。


「そォだ、俺様ァ今、大将に頼まれッて『龍』とやり合ってる最中……ってこたァ、あの綿毛が龍か!? 赤毛がオッサン!?」


「ずいぶん可愛らしくなったものね」


「どれにかかってんだか聞きたくねェ感想だが、それッどころじゃァねェ! すぐにッ戻らねェと……!」


「待ちなさい」


「ぐォええッ!」


 状況を理解し、すぐさま飛び出そうとしたガーフィールが、首飾りの紐を引っ張られて苦鳴を上げる。力ずくでガーフィールを止めたラム、彼女の方に大急ぎで振り向き、ガーフィールは牙を剥き出しに怒鳴ろうとしたが、


「待て待て、ガーフィール。ここは姉様の言う通りだ。いったん、タンマしよう」


 と、そのガーフィールを、ラムの向こうに座っていたナツキ・スバルが止めた。

 そのスバルの姿は、久方ぶりに見る手足の長い――長いと言っても、現状と比べたら長いというだけで、実際にはそこまで長くないが、その姿のスバルだった。


「おい、今、めちゃくちゃ傷付くこと考えてなかったか?」


「んなこと気にッすんなよ、大将。いつも自分で足が短ェだの胴が長ェだのって言ってるじゃァねェか」


「自分で言うのと人に言われるのとはダメージが違うの! そういうのあるだろ! あるよな、ベア子? エミリアたんは?」


「スバル、今、にーちゃの演劇がいいところだから邪魔するんじゃないのよ」


「ごめんね、スバル。あとでちゃんとお話は聞いてあげるから……」


 その久しぶりのサイズのスバルが、膝の上に乗せているベアトリスと、さらに自分の隣のエミリアに揃って袖にされた。彼女たちは舞台上の小猫の一挙一動に夢中で、スバルに構ってあげている暇がないらしい。

 そのがっくりと肩を落としたスバルたちのやり取りを聞いて、ガーフィールも、あの実物を知らない小猫の名前がパックであることを思い出した。

 さらに言えば、このスバルとエミリアたちの似たやり取りを以前も見たような。


「それこそ、この空間の元になった劇場の思い出ですよ。ほら、みんなで白鯨討伐を題材にした舞台を観劇したとき、招待された劇場にそっくりです」


「ガーフさんってば、すっかり演劇がお気に入りだったもんね。わたしも、とっても楽しかったから気持ちはわかるけど」


「オットー兄ィ、ペトラ……」


 今度は後ろから聞こえた声に振り返ると、ひらひらと手を振るペトラと、その向こうで肩をすくめるオットーと視線がぶつかった。

 さらに、そのオットーの向こうには長い金髪の女性の姿も見えて――、


「がお……」


「なんて情けない顔をしますの、ガーフ。それに、今回は珍しくラムの言うことが正論ですわよ。座って、落ち着きなさいな」


「お、落ち着けって言われッてもよォ……」


「これこれ。これだけ周りに言われても耳を貸せんのか? まったく、しばらく見ない間に成長するかと思えば、まだまだ甘えたじゃのう、ガー坊」


「げェ! 婆ちゃ……ババア!?」


「……どうして悪い方に言い直すのかのう」


 仰天したガーフィールの目に、姉と並んだ祖母のリューズの姿が映り込む。

 そのとんでもない並びに、ガーフィールが口をパクパクとさせると、改めてすぐ傍らのラムに腰帯を引かれ、座らされることに。


「どう? 少しは落ち着いた?」


「『ダグラハムの包囲網』って具合で落ち着けるわけねェだろ……! 膝に力が入らねェから座ったッだけだ。……どォしろってんだよ」


「ひとまず、ラムの言葉に耳を傾ける気になったようね。それでいいわ」


「さすがです、姉様」


「うォ!?」


 平時の冷たい表情のままラムが頷くと、急に前の席の観客が振り向いて口を挟んだ。それが薄青の髪をしたラムの妹のレムだと気付き、ガーフィールは目を瞬かせる。

 肝心のレムは、そんなガーフィールを無視してまた前に向き直ったが。


「な、なんだァ……?」


「これはあれだ。ガーフィールの中で、まだあんまりレムのイメージがないからふわふわした反応しかしないんだろ。俺のモノマネの範疇だな」


「そんなレベルの再現度だと、この観客席にどんッだけくる羽目になんだよォ」


 無味乾燥なレムの様子に、膝の上のベアトリスの髪を弄んでいるスバルが答える。

 ぼんやりと納得のいく話だが、ちゃんと本人を再現できないなら、そもそもこの劇場に置いておくのがどうなのか、という印象だ。


「それは違いますわよ、ガーフ。確かにあなたはまだレムのことをよく知りませんが、あなたが気に留めていないわけではありませんもの。だから、ここにおりますのよ」


「そうだね。気に留めた相手は心に強く残り続ける。当人との親しさはそこまで重要ではない、というのがこの場合は大事なことなんだろうと思うよ」


「心臓に悪ィなァ」


 何となく、この劇場のルールは理解でき始めてきたが、その説明をフレデリカと、何故か後ろの席に座っていたラインハルトにされるのは現実感がない。

 現実ではないのだから、現実感がなくて正解なのだろう。たぶん、フレデリカとラインハルトが同じ場所で、こうして言葉を交わしたことなんてないだろうし。

 しかし――、


「最初の焦りッみてェなもんは落ち着いたぜ。このッまま、ラムの言ってたみてェに大人しくしてりゃァいいのか? なんか眠くなってきやがったし……」


「ハッ! 馬鹿言うのはやめなさい。寝たら死ぬわよ」


「やっぱすげェ危ねェとこじゃァねェか!」


「「しー」」


 声を荒げた途端、唇に指を当てたベアトリスとエミリア、ペトラに注意される。その指摘にわなわなと唇を震わせ、ガーフィールは牙を鳴らして黙り込んだ。

 慌てて戻るなと言われ、かといって落ち着きすぎると死ぬと言われ、いったい、ガーフィールにどうしろというのか。


「手土産なしに戻っても、という話だーぁよ。難しく考えすぎることはないさ」


「ちッ、俺様の頭の中にッまでいやがんのか……」


「おやおや、嫌がられたものだねーぇ。とはいえ、私を責めるのは筋違いというものだから、申し訳ないと謝るのも変な話だ」


 後ろの列に座るロズワールが、長い足を組みながらそう煽ってくる。苛立ちと共にそちらへ目をやり、文句を言おうとしてガーフィールは言葉に詰まった。

 ロズワールの隣に、先ほども声をかけてきたラインハルトがいるのはわかる。が、その隣に並んでいる人物が問題だ。

 その黒い女はガーフィールの視線に気付くと、「あら」と嫣然と微笑み、


「ずいぶんと熱のこもった目を向けてくれるのね。こんな場所だけれど、私とまた心行くまで斬り合ってくれるのかしら?」


「……やっても面白かねェ。メィリィにも悪ィしな。やらねェよ」


「そう、残念ね。あなたの中に私の居場所があるのは悪い気がしないのだけれど」


「エルザったら、性格悪いんだからあ」


 血の色をした笑みを浮かべるエルザ、彼女の言葉を引き継いだメィリィは、ガーフィールのいる列を挟んで前の座席、レムの隣の位置にいる。

 何となく、座席の並びの意味もわかってきた。そうなると、自然とエルザの隣には、八本の腕を持つ青い肌の巨漢が現れることになる。


「――――」


 巨漢は巌のような形相のまま、ちらとガーフィールを見て、何も言わない。

 その無言のプレッシャーに晒され、ガーフィールは小さく息を呑むと、自分の拳をぎゅっと強く強く握りしめた。と、その握りしめたガーフィールの拳が、前の席から身を乗り出してきた小さな影の手に包まれる。


「ガーフ、ヘーキそう? ちゃんとやれるか、すごー心配」


「ミミ……」


「そうね。ガーフは根が臆病者だから」


 くりくり眼のミミに右手を取られ、左手を隣のラムに取られる。

 ガーフィールは顔を上げ、二人の顔を見回したあとで、長く長く息を吐いた。


 これは現実の光景ではなく、ガーフィール自身は死にかけている。

 にも拘らず、すぐに戻るのをこうして頭の中の仲間たちに止められ、代わる代わる声をかけられるのは、かつてスバルから聞いた『ソーマトウ』のようだ。


「けどな、ガーフィール。走馬灯ってのは普通は、生まれてから今この瞬間までの思い出をバーッと振り返るもんであって、劇場に呼び出されるもんじゃねぇんだ」


「……だったら、こいつァなんだってんだ、大将」


「そりゃお前、その答えは自分で見つけるんだよ」


「さすがスバルくんです。私は感服しました」


「――自分で」


 一瞬、合間に余計な合いの手が入ったが、ガーフィールは深く考え込んだ。

 これが走馬灯ではなく、答えは自分で見つけ出すものであるなら、やはり、死にかけのガーフィールが立ち上がるまでの刹那の猶予なのではないか。

 すぐに立ち上がらなければ、任された役目を果たせなくなるのでは――。


「うう、どっちのにーちゃも頑張ってほしいかしら……!」


「そうね。私たちはどんな結果になっても、ちゃんと見届けましょう……!」


 その焦るガーフィールを余所に、観劇するベアトリスとエミリアの気持ちもクライマックスへ向かって高まっている様子だ。

 ハラハラと、舞台の状況に一喜一憂する二人は手を取り合い、パックとパックがぶつかり合っている不思議な絵面に激しく感情を揺さぶられている。


 舞台では金髪のパックが倒れ、そこへ向かう綿毛のパックを赤毛のパックが引き止めていて、まさしく絶体絶命の状況――、


「――赤毛の」


 赤毛のパックが、金髪のパックを守って、綿毛のパックと向かい合っている。

 ガーフィールの見ていない間に状況の変わった舞台、それが現実を反映したものならと、血相を変えてガーフィールは牙を噛み鳴らした。

 やはり、すぐに戻らなくては――、


「――馬鹿ね」


 それは聞き慣れた罵倒だが、どこか優しさを孕んだいつものそれと違い、もっとはっきりとした叱責を交えた一声だった。

 そのラムの言葉にガーフィールが目を見張れば、彼女はガーフィールの手に重ねた手と反対の手で舞台を指差す。つられて舞台の方を見れば、状況が動いていた。


 倒れた金髪のパックが起き上がり、赤毛のパックを押しのける。そのまま綿毛のパックに向かっていって――綿毛パックの一撃で、金髪パックが光になった。


「ワンナウト。だけど、命にスリーアウトはないぜ。ワンナウトでおしまいだ」


 金髪のパックが光に変わり、背中を向けて逃げようとした赤毛のパックも後追いで綿毛のパックに光に変えられた。舞台には綿毛のパックだけが残り、終幕。

 まばらな拍手がある中で緞帳が下りて、綿毛のパックが深々とお辞儀する中、舞台は終演と相成り――、


「ええー! ゼンゼンおもしろくないヤツ! ミミ、納得いかんでー!」


 と、ラムと同じでガーフィールの手を握っているミミが、その尻尾をピンと伸ばして行儀悪く騒ぎ立てた。

 だが、すでに結果は出てしまった劇に、そう言っても仕方ない――とはならなかった。


 次の瞬間、劇場に開幕のベルが鳴り、下りた緞帳がまた上がる。

 そして緞帳の向こうでは、消えたはずの金髪のパックと赤毛のパック、消したはずの綿毛のパックが向かい合い、倒れた金髪を庇い、赤毛が綿毛と向き合っているクライマックスの場面が再演されていた。


「こいつァ……」


 いったい、何が展開されているのかわからなくて、ガーフィールの喉が震える。

 そうして、思考が白くなるガーフィールに、


「闇雲に立ち上がるだけじゃ通用しなかったわね。なら、どうする?」


 そう、片目をつむったラムが静かに問いかけてくる。

 そのラムの問いに、ガーフィールは息を呑み、改めて舞台の上を見た。


「姉様は素敵です」


 本当にそうだと、ガーフィールはまだよく知らない想い人の妹に、心から同意した。



                △▼△▼△▼△



 舞台の上で、金髪のパックは何度も何度も光になった。

 この演劇はかなりのアドリブが許されているようで、こうしてはどうか、という客席の意見に内容をずいぶんと左右される。

 もっとも――、


「本気の蹴りで、帝都をそっくりひっくり返してみるのはどうだろう?」

「一度、あえて体が半分になるぐらいの怪我をしてみせて、相手が死んだと思ったところを狙い撃ちにするのはどうかしら」

「『龍』と言えど、何らかの執着先はあるようだ。例えば、帝都にいるかもしれない『龍』の知人を盾にするというのはどーぉかな?」


「やろォと思ってもできねェことと、やろォとも思えねェ卑怯な策しか浮かばねェ奴は黙ってろ!」


 舞台に採用する気にもならない意見が立て続けに提出され、猛然と吠え返したガーフィールに後ろの席のものたちが一斉に口を噤む。

 あくまで、ガーフィールの認識した彼らの言動なので、まるで自分に怒っているような気がして不毛な気分にならなくもないが。


「最低限、地形を利用するのは必要ですね。体の大小の違いは致命的とも言えますが、裏を返せば小さいことで突ける隙もあるはずです」

「うん、だよね。ガーフさんの方が、あの『龍』よりも体は小さくて、力比べでも押し負けちゃうかもしれないけど……だから勝てる、ってお話にすればいいの」

「理屈だとそうだけど、実際、どうすりゃいいんだ? ガーフィールはともかく、もしも俺だったら『龍』と戦うなんて、相手が逆立ちしてても勝てねぇぞ」

「ナツキさんに『龍』退治なんて、ガーフィール以外は期待してませんよ」


 一方で、建設的な話をしてくれている横並びの仲間たちは、ガーフィールの認識した彼らだというのに、ガーフィール以上に賢い発言をして感じる。

 もちろん、本物の彼らがしそうな会話、ということではあるのだが――。


「エミリアたんは、何かガーフィールにアドバイスある?」


「私? そうね……あんな風にやられちゃう前の、こう、メゾレイアの尻尾を受け止め切れなかったところ、あそこがよくなかったと思うの。体勢は難しかったかもしれないけど、あそこは受け止めようとか流すんじゃなくて、よけなくちゃダメだったかなって」


「思った以上にちゃんとした返事がきた!」


「エミリアさんはさすがです」


 舞台上でじゃれ合うパックたちを見ながら、的確な指摘をするエミリアに、スバルとレムがそれぞれ反応する。レムの反応はこれで正しいのかわからないが、もしかすると、彼女の発言はガーフィールの感情を直接的に反映しているかもしれない。


 いずれにせよ、徐々に見えてくるものがある、気がする。

 ただ、これを積み上げて積み上げて、積み上げたものを現実に持ち帰ったところで、それが実際に役立つ可能性はどのぐらいあるのだろうか。


「不安かえ、ガー坊?」


「……不安ってより、正直、情けねェって気持ちの方が強ェよ。あの『龍』の相手ァ、俺様がl大将に任された役目だってのに」


 リューズに顔を覗き込まれ、ガーフィールは苦々しい気持ちを吐露する。

 意気揚々と飛び込んで、激戦の最中に死にかけて、それだけに飽き足らず、ガーフィールは自分の頭の中に作った劇場で、大勢の仲間たち――仲間でないものもいるのだが、とにかくそうしたものたちに慰められて。


「それの、何が情けないんですの?」


「――――」


 そう問われ、眉間に皺を寄せていたガーフィールが顔を上げる。リューズと並んで、フレデリカがガーフィールをじっと見つめていた。

 彼女はガーフィールと同じ翠の瞳を細めて、


「何が情けないんですの、ガーフ」


 と、そう同じ問いを重ねてきた。


「情け、ねェだろ。だって、みんな一人でッ戦ってるってのに俺様だけこんな……ッ」


「一人で戦わなければ情けない。そう仰いますの?」


「そォだよ! いや、違ェ。協力して戦うってのが情けねェって言ってんじゃァねェ。こうやって、頭の中わらわらと身内で固めて――」


「――もう、無理ですわよ、ガーフ」


 自分一人でボロボロに追い込まれ、その状況で心の中の仲間たちに縋る。

 その姿勢を強く振り切ろうとしたガーフィールに、フレデリカがはっきり言った。

 緑翠の瞳を細めたまま、フレデリカは硬直するガーフィールにため息をついて、


「お馬鹿さんですわね、ガーフ。周りを見てご覧なさいな」


「周り……」


 言われ、ガーフィールが劇場の中を見回す。

 隣席に並んでいる仲間たち、後ろの席に座っている敵たち、前の席に座っているのは味方と言い切れるか躊躇いがあるものたち、そして――いつの間にか、劇場の中に空席はなく、その全部がガーフィールの知るいずれかの顔で埋まっていた。


「――――」


 ラムやスバルたちがいるのはもちろん、ロズワールやラインハルトたちがいて、ミミやレムたちがいて、その他にも大勢がいる。

 メイザース領の人々もいれば、この帝国での旅路で知り合ったものたちもいる。

 好ましい相手もいれば、親しくなれないと思える相手もいて、そのいずれの相手もガーフィールの人生と接点を持ち、自分の座席を確保していた。


「なんじゃ、劇場もパンパンじゃのう。すぐにここじゃ収まり切らなくなるわい」


 ガーフィールと同じものを見て、リューズがそう上機嫌に笑った。

 祖母の言う通り、満席となった劇場には立ち見の客も出ている始末。みんなで舞台の上のパックたちを眺め、ガーフィール役のパックの負けっぷりを見ていた。

 その事実に、カーッと顔が熱くなる。情けなく、みっともない負けっぷりだ。

 さぞやみんなにも呆れられたと――、


「――馬鹿ね」


「あのね、ガーフ。ここ、ガーフの頭の中な? でも、ガーフあんまし頭よくない。ミミと一緒! だから、みんなが言うこともそーな?」


 左右、両方から立て続けに言われ、ガーフィールは目を瞬かせた。

 それから改めて見れば、今度は舞台を見ていた全員の視線がガーフィールの方を向いている。その顔を一個一個見て、どんな人たちだったかを思い返す。

 みんな、言いたい放題好き放題に、やられるガーフィール役のパックに文句を付けてくれたものだが――、


「誰も、俺様に都合のいいことも、言わなそォなことも言わねェんだな」


 ラムの言い方は端的で、ミミの言い方はあやふやで、だけど同じことを言っている。

 ここがガーフィールの頭の中の劇場で、やられて死にかけのガーフィールを慰めるために、自分の中の家族や仲間、知人や敵まで集めていたのなら情けなさすぎる。

 だが、ガーフィールは頭がよくない。

 その人が言わなそうなことまで考えて言わせたり、都合のいい言葉を並べさせて人形遊びのように心を慰めたり、そういう複雑なことはできなかった。


「お前も考えた通り、ここで話し合ったことがそのまま外で活かせるわけじゃねぇよ。こんなのは気休めだ、気休め。でも、気だけでも休めて悪いことはねぇ」


「頼むから『龍』を止めてくれって、スバルが頼んだのにずいぶんな言いようなのよ」


「俺はガーフィールの頭の中の俺だから……!」


「それって、そういうすごーく大変なこと言い出しそうって、ガーフィールに思われてるってこと? そうなの?」


 きょとんとした顔のエミリアに聞かれ、ガーフィールは「あー」と唸った。

 頭上を見上げ、しばらく考えたあとで視線を下ろし、


「大将にゃいくらでも無茶ッぶりされて構わねェって思ってッから、そォいうこと言い出す大将が俺様の頭ん中にいんのかもなァ」


「仮にそうなっても、周りがちゃんと苦言を呈すとわかってるんでしょうね。まったく、そういう悪知恵は誰から学んだのやら……」


「……それをオットー様が仰いますのね」


 フレデリカがそう苦笑すると、オットーが自分を指差して心外そうにする。と、それを見たペトラが「あは」と口に手を当てて笑い、その笑いが周囲に伝搬した。

 気付けばガーフィールも、こんな状況なのに笑ってしまっていて。


「……なんつーか、頭が固くッなってたかもしれねェわ」


「ほう、ガー坊が」


「大将の頼みってのもあるし、帝国の全部が懸かってるってェのもある。相手が『龍』ってのもそォだし、負けられねェのはいつもそォだが、なんだ」


 左右から重ねられていた手、それをゆっくりほどいて持ち上げ、ガーフィールは自由になった両手を胸の前で力強く合わせ、音を鳴らした。

 その姿勢のまま、牙を噛み鳴らして戦意を高揚させ、


「こいつァ、俺様が任された役目だが、俺様が一人でやってる戦いじゃァねェんだ」


「――見事」


 ガーフィールの昂る決意に、低く重々しい称賛が被さった。

 それが後ろの席に座る、四対の腕を組んだ巨漢の一言だとガーフィールは確かめない。今、確かめたいことは一個だ。


「言ったよなァ、大将! 空飛んでブイブイ言わせッてる龍落としてこいってよォ!」


「――ああ! 言った! やってきてくれ!」


「おォよォ!」


 威勢よく返事して、ガーフィールがその場に力強く立ち上がった。

 と、それまでは立ち上がるたびに引き戻してきたラムが、今度はそうしなかった。ガーフィールがちらと見ると、彼女は己の肘を抱いた姿勢で舞台を見ていて、


「なに?」


「ハッ! 何でもねェよ。俺様の頭の中だろォと、ゆるくねェ女だ」


「わざわざ言うまでもないことを言わないだけよ。それがガーフの役目だもの」


 細い肩をすくめて、こちらに目線も向けないラムにガーフィールは苦笑。代わりにぴょんと飛び上がったミミが座席の上に立ち、


「んじゃ、ミミは言う! ガーフ、ここで勝ったらカッコいいぞーっ!」


 そう言って笑いながら、ミミの手が思い切りガーフィールの背中を叩いた。

 すると一拍遅れて、ミミと同じようにスバルが、ベアトリスが、エミリアが、ペトラが、フレデリカが、リューズが、ガーフィールの背中を叩く。

 押し出されるように、ガーフィールは背を叩かれて劇場の出口へ向かう。


「オットー兄ィ! アドバイスくれ!」


「そうですね……命懸けなんて危ない真似、僕以外の人には許しませんよ」


「オットー兄ィにだけァ言われッたくねェ!」


 冗談めかした兄貴分に背中を叩かれ、ガーフィールが劇場の出口へ。

 その扉を押し開けてくれるのは、座席に見当たらないと思った幼い弟妹、そして二人の肩を抱いた母に微笑まれ、ガーフィールは親指を立てた。


 劇場一杯に埋め尽くすほどの出会い、いいソーマトウだった。

 だから最後に、ビシッと舞台の上のパックたちを指差して、


「――俺様は猫じゃねェ! ゴージャス・タイガーだ!!」



                △▼△▼△▼△



「――――」


 天災や天変地異の類に例えられることもあるのが『龍』の存在だが、その扱われ方に何ら異論の余地がない暴れっぷりを発揮する『雲龍』メゾレイア。

 数分前までの帝都とまるで違った景色に作り変える破壊の化身の猛攻は、この世のものとは思えぬ情景を目の当たりに、膝の震えが止まらないハインケルの心を砕いた。


 ほんの刹那、ハインケルの命運を変えかけたものもあった。

 しかし、それは『龍』との打ち合いに大敗し、大地を割らんばかりの咆哮をまともに浴びて吹き飛んだ。瓦礫も降り注ぎ、その下敷きだ。

 だから無駄だと、そう言ったのに。


 無意味に、無慈悲に、その命を散らした金髪の少年。

 ハインケルはそれを、ただ黙って見ているしかできなくて――、


「――ゴージャス・タイガーだ!!」


 次の瞬間、瓦礫の山が中から爆発を起こし、怒鳴り声が木霊した。

 あまりにもいきなりなことに、驚愕に喉を詰まらせたハインケルは、突き上げた拳で瓦礫の山を吹き飛ばした人物――ガーフィールに愕然とする。


「あァ、クソ……俺様、どのぐらいッ寝てた……?」


 ふらふらと頭を振って、ボロボロの上着を破り捨てるガーフィールがそう尋ねてくる。その問いかけにハインケルは目をぱちくりとさせて、


「……瓦礫の下敷きになって、五秒くらいだ」


「――五秒か。十回殺されるッとこだったぜ、危ねェ危ねェ」


 長々と深い息を吐いて、ガーフィールが首の骨を鳴らす。

 その、絶対に死んだと思った攻撃を浴びた直後とは思えない姿にハインケルは絶句。だが、ハインケル以上の驚愕を隠せないものもいた。


『な、ぁ……ッ』


 ちょこまかと飛び回り、体格差を物ともしない信じられない強打を叩き込んでくるガーフィールを、ようやく撃ち落とせたはずだった。

 確実に殺した。その確信がわずか五秒で砕かれ、ハインケルも同情する。――同情したとて何だというのか。あの、超生物である『雲龍』を相手に。


『お前、なんで……なんで、死なないっちゃ……?』


「あァ? 馬鹿言え、死んでたッだろォが。オッサンが五秒作ってくれなきゃよォ」


「お、俺は何も……」


 驚愕する『龍』の言葉にガーフィールが歯を剥くが、ハインケルは首を横に振る。

 ガーフィールが吹き飛ばされ、瓦礫に埋もれた直後、ハインケルが剣を手にしたままメゾレイアと見合ったのは事実だ。だが、それはガーフィールが倒れたなら、次の獲物となるのが自分だとわかっていたから、ただ目線を合わせたに過ぎない。


『――ッ! 死ねええええッッ!!』


 そのハインケルの自覚を余所に、メゾレイアの根気が限界を迎えた。

『雲龍』は棒立ちのガーフィールへと猛然と迫ると、その太く長い尾を振り上げ、真上から稲妻の如く打ち下ろす。

 ハインケルなど、その接近するために羽ばたいた翼の起こした風だけで飛ばされそうになる。その『龍』の規格外の一撃、それが真っ向からガーフィールを狙い――、


「――ぁ?」


 刹那、『雲龍』の体が空中でブレ、その全身が帝都の防壁に叩き付けられていた。


『――ッッ!?』


 逆さになり、背中から防壁に激突したメゾレイアが、何が起こったのかわからない様子で呼気を乱し、その様子にハインケルも開いた口が塞がらない。

 どうやったのかはわからない。だが、誰が何をしたのかはわかった。


 ――ガーフィールが、メゾレイアの尾の一撃を受け流し、『龍』を投げたのだ。


「あァ、クソ……できちまった」


 自分の両手を見下ろし、ガーフィールが何故か不満げにそうこぼす。

 まるで、自分の嫌な思い出を掘り起こしたような顔つきで、彼は『龍』を投げ飛ばした両手の開閉を繰り返し、振り向いた。

 その緑翠の瞳が、逆さになった『雲龍』の双眸と真正面からぶつかる。

 そして――、


「まァいい。やろォぜ、第二ラウンドだ。――俺様ばっかり、山ほど応援がいて悪ィんだがよォ!」


 そう、理解できない理屈を薪に戦意を燃やし、ガーフィールと『雲龍』との衝突が、刹那の中断を挟んで再開――神話の一節が、決着へ向かうのだった。



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― 新着の感想 ―
こんだけ引っ張ってハインケルなんの見せ場も無かったら流石にアレだがどうなるやら
パック達がワチャワチャしてるのかわいいだろうなー やっちゃえゴージャスタイガー!!
ガーフによるレムの他メンツに対する呼び方が雰囲気のイメージなせいで間違ってるの細かくて好き
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