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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章51 『テンノーザン』



 ――ナツキ・スバルの立案した策により、帝都の各所へ散った『ヴォラキア帝国を滅亡から救い隊』。

 それぞれがそれぞれの役割を果たすことで、互いに『干渉し合わない』連携の実現を目論んだ作戦だが、その要は実は帝都で戦う面子のいずれでもなかった。

 この作戦の要となるのは、ズバリ、城塞都市ガークラへ残った帝国の総力だ。


 大規模な兵力を展開し、ヴォラキアの脳や心臓に当たる人材を抱え込んだ大都市。

 ここを落とすために押し寄せる屍人の軍勢をどれだけ押しとどめられるか。それこそがヴォラキア帝国の存亡をかけた最終決戦における時間制限であり、ひいては帝国のみならず、世界全土の命運を占う重大な争点だった。

 城塞都市に屍人の戦力が集まれば集まるほど、帝都の『滅亡から救い隊』は動きやすくなる。同時に、城塞都市が落とされれば、仮に帝都側の作戦が成功したとしても、その後の帝国の立て直しは不可能となるだろう。

 すなわち――、



「――まさしく、ここが勝負を分ける『テンノーザン』だ」


 騎士剣を振るい、耳に馴染みの薄い言葉を口にしながら、ユリウス・ユークリウスの長身が城塞都市の城壁を駆け抜け、颯爽と宙を舞う。

 優麗なる騎士の剣先が向かうのは、城壁に取りついて都市内への侵入を試みる屍人たちの群れだ。手にした武器を壁に突き刺し、即席の足場を作りながら登ってくる敵へと、回転しながら舞い降りるユリウスの剣撃が容赦なく閃く。


「やらせはしない!」


 取りつく屍人の背を腕を、斬撃を浴びせて地上へ斬り落とす。

 そうして彼らが足場とした一本の刀剣に自らも飛び乗ったユリウスは、壁に突き立てられた無数の武器に目を向けると、


「アロ! 君の風を借りたい!」


 呼びかけた直後、巻き起こる緑の風が絡みつくように、壁に刺さった武器をそこから引き抜き、屍人の積み上げた足場作りの苦労を一挙に無に帰す。

 最後に、足場にした剣を踏み折って跳躍し、ユリウスは城壁の上に舞い戻った。

 契約する精霊の緑の光を指先でくすぐりながら、ユリウスは微かに息をつく。


 この場の壁に取りついた敵の阻止には成功したが、油断はできない。

 たとえ、都市の一番外側の城壁を突破されようと、都市内には第二、第三の防壁と、さらには堅牢な要塞があるとはいえ――、


「ここまで迫られるのガ、想定よりも早いでス」


「――タリッタ女史」


 城壁の上に立ち、一息つくユリウスに声をかけたのは、黒髪の一部を青く染めた褐色肌の女性――『シュドラクの民』を率いる女戦士、タリッタだった。

 部族の全員が弓を使い、遠方から屍人へ攻撃できるシュドラクの戦士たちは、この城塞都市の籠城戦の主力集団だ。特に、弓術に優れるシュドラクの中でも突出した弓の腕前を持つタリッタは、現時点の防衛戦力の要の一人だった。


 事実、今も城壁に刺さった武器を落としたユリウスと同じことを、城壁の上にいながら矢を射ることで実現し、屍人の壁越えを妨害している。

 その腕前、実に頼もしいと感服するが、彼女の言葉も無視できない厳しい現実だ。


「――この短期間で、それだけ前線が押し込まれてしまっている」


 そう口にして、城壁の外に目を向けたユリウスが左目の下の傷を指で撫でる。

 ユリウスの精悍な視線の先、地平線が揺らめいて見えるのは、それがこちらへ押し寄せてくる屍人の軍勢の頭で、規格外の大軍勢が迫っていると視覚的にもわかる。

 元々、城壁の外に敷かれていた防衛線も突破され、外で戦っている帝国兵も戦線を下げて縮小せざるを得なくなっている。無論、敵の膨大な数を思えば、いずれはそうなると見越されていたのは間違いないが。


「時折紛れていル、手強い屍人が難物ですネ」


「同意見だ。見つけ次第、近い位置の腕利きで対処せざるを得ないが……」


 そう、ユリウスが言葉を発した矢先だった。


「――ッ!!」


 眼下の戦場で、一塊になって戦っていた一団がまとめて吹き飛ばされる。

 見れば、太い悲鳴を上げながら飛んでいくのは、帝都に援軍として駆け付けたスバルが連れてきた、『プレアデス戦団』の面々だった。

 どんな奇策によるものか、一人一人が異様な強さを誇る戦団、それらの面々を散り散りに吹き飛ばしたのは、その両腕に大剣を手にした――否、その両腕を大剣と一体化した、恐ろしく凶悪な風体をした女性の屍人だった。


「クソ……やってくれたな……ッ」

「待て待て待て待て! 無策で突っ込むんじゃねえ! 兄弟に負担がいく!」

「下がれ! 全員で取り囲んで討ち取るんだ!」


 その凶悪な屍人を前に、やられたはずの一団が頑丈にも立ち上がる。

 死者も出さず、戦意も折れていないのは称賛に値するが、ユリウスの目から見ても、その女戦士の実力は紛れもなく一級品だ。

 すぐにその場へ駆け付けなくてはと、ユリウスは城壁をタリッタに任せ、そこから眼下へ飛び降りようとし――、


「――いや、『獅子騎士』くんがいったよ」


 そのユリウスの鼓膜を打ったのは、戦場に不釣り合いな朗らかな声だ。その声がもたらした情報は、事実として眼下の戦場に変化をもたらす。

 大剣二刀流の戦士の下へ、黄金の鎚矛を持ったゴズが突っ込んだのだ。


「相見える機会はなかったが見紛うはずもない! 蘇ったか、『剣奴女帝』!!」


 吠えるゴズの鎚矛と、女戦士の大剣がぶつかり合い、衝撃波が戦場を吹き荒れる。

 両者共に、常人には持ち上げられない超重量級の武器を打ち合わせ、発生する暴威が周囲の帝国兵を、屍人を、暴風で弄ぶようにして蹴散らしていく。

 一歩も引かぬ攻防、だが前進は止まった。あの場はゴズに預けるのが最善だ。


「止めていただき感謝します、フロップ殿」


「はっはっは、構わないよ! 『最優』くんやタリッタさんには目の前の戦いに集中してもらわないといけないからね! 非力な僕が役立てるのはこれくらいのものさ!」


 そう気負うことなく笑ったのは、戦場でも変わらない陽気さのフロップだった。

 非戦闘員であり、皇妃候補の兄でもある彼は、要塞の中で待機を命じられた立場だったはずだ。その彼が最前線とも言える城壁に顔を出したので、タリッタが仰天する。


「フロップ!? どうしてあなたがここニ……」


「なに、事態は総力戦の様相を呈しているからね。戦えないものも、負傷者の救護や装具の補修などやるべきことは山ほどある。当然、僕もその一人だよ」


 自身の痩せた胸を叩いて、フロップがタリッタに矢筒を差し出した。

 思わず受け取ったタリッタ、彼女も矢筒を背負っているが、残りの矢の数は心許なく、フロップの補給は的確の一言だ。

 そうして、城壁の他のシュドラクにも矢筒を配って歩いてきたのだろう。

 非戦闘員も含め、全員戦闘。その言葉を体現する姿勢だ。


「戦況はどうだい?」


「――。皆、奮戦していまス。防戦に徹すれバ、しばらくは壁を守れるでしょウ。ただそれモ……」


「相手に、『飛竜乗り』が出てくれば話は別だ」


 フロップの問いかけにタリッタが応じ、言い淀んだ彼女に代わってユリウスが結論を引き取った。その答えに、フロップも表情を真剣に引き締める。

 常に朗らかな笑みを湛えた印象の青年だけに、そうするだけで不思議な迫力があった。だが、彼が表情を厳しくするのも当然のことだ。

 ヴォラキア帝国の人間であれば、『飛竜乗り』のすごさは十分以上に知っている。


「――――」


 開戦直後、ユリウスと『シュドラクの民』の一斉攻撃により、第一波として押し寄せた死した飛竜――屍飛竜の群れは退けられた。その後も散発的に飛来する空の脅威には、屍飛竜狩りの役目を与えられたシュドラクが確実に対処している。

 しかしそれも、相手に屍人の『飛竜乗り』がいないから可能な対処だ。


 繰り手を持たない単身の飛竜と、『飛竜乗り』と組んだ飛竜の実力は比べ物にならない。

 それこそ、一組の『飛竜乗り』だけで、百の飛竜の群れとぶつけても圧倒するだろう。それほどまでに、戦術的に空を利用する『飛竜乗り』は別格なのだ。


 ――かつて一度、ユリウスも『飛竜乗り』と剣を交えたことがある。


 あのときは、同行していたフェリスの助力があったおかげで奇跡的に勝利を拾ったが、ユリウス単身であれば勝者と敗者は入れ替わっていたはずだ。

 あれほどの『飛竜乗り』は帝国に二人といないだろうが、この屍人との戦線に屍飛竜だけでなく、それに跨る屍人の『飛竜乗り』が現れれば状況が一変する。


「もちろん、『飛竜乗り』とその愛竜が揃って死者として蘇る……その事例がとても稀だからこそ、いまだに都市の空は奪われていないと考えられるけれどね」


 そのフロップの見解は、現時点の籠城戦の状況的に見ても正しいだろう。

『飛竜乗り』は脅威だが、乗り手と飛竜とは長い時間をかけて信頼を作り、まさしく人竜一体とならなくてはその真価を発揮できない。

 その決まり事は、たとえ常外の理で蘇った死者であろうと無視できない。

 あくまで、生前から屍人の乗り手と一緒だった屍飛竜でなくては、『屍飛竜乗り』とでも言うべき存在は実現できないのだ。

 それが現時点で、『屍飛竜乗り』を城塞都市の空に見ていない理由だろう。


「……ただ、その稀有な一例が最も手強い『飛竜乗り』だったのは皮肉な話だ」


 そのか細い安堵を否定するのが、ユリウスがその目で確かめた『屍飛竜乗り』の存在。

 連環竜車の攻防の最中に登場した屍人――バルロイ・テメグリフは、生前から一緒だった死したる愛竜に跨り、その圧倒的な機動力で敵中を突破した。

 彼がこの戦場に投入されれば、たったの一騎で城塞都市の戦線を崩壊させかねない。

 あるいは、今この瞬間にも現れないとも限らないのだ。


「――その心配はいらないと思う」


「フロップ殿?」


「他の『飛竜乗り』が蘇った場合は別だが、バルロイが出てくる心配はいらないよ」


 やけに確信めいた口調と表情で、フロップがユリウスの警戒を否定する。

 その発言にユリウスが眉を顰め、城壁に取りつく屍人に矢を放ったタリッタも、相手の膝に的中したのを確かめながら、


「何故、そう言い切れるのですカ?」


「バルロイは僕やミディアムが連環竜車に乗っていたのを知っていたからね。当然、僕たちがこの城塞都市にいるものと考えている。ここにはきづらいだろう?」


「それハ……」


 片目をつむったフロップ、その答えにタリッタが言葉に詰まる。

 そのタリッタの反応にユリウスも同意見だ。フロップの言い分に説得力があるとは言えない。もし、彼が屍人となったバルロイの情や慈悲に期待しているのなら――、


「残念だが、そうした生前の人間性に期待はできないだろう。ゾンビ……屍人の思考は曲げられている。そうでなければ、自国の滅亡にこれほど多くの死者が協力するはずがない」


 実際、地平線まで埋め尽くすほどの膨大な数の屍人が動員されているのだ。

 この全ての屍人が、生前からヴォラキア帝国に恨み骨髄で、蘇った端から本懐を遂げようと武器を取ったとは考えにくい。

 蘇らせた術者が、屍人をいいように操っていると考えるのが自然だ。

 そのユリウスの指摘に、フロップは「そうだね」と頬を指で掻きながら頷いた。


「僕も『最優』くんと同じ意見だよ。そもそも、死者諸君は考えを変えられている。それでも、変わっていない部分があると僕は見ているんだ」


「では、バルロイ殿に限っては情や慈悲を残していると?」


「それならとても感情を揺さぶられるね! でも、そうではないよ、『最優』くん。これは僕よりも、君やタリッタさんの方が気付きやすいことだと思うんだけど」


「私たちの方ガ、ですカ?」


 思い当たる節がなく、ユリウスとタリッタは顔を見合わせた。

 生前のバルロイと関係性のあったフロップではなく、矛を交えたユリウスと、顔を合わせたことさえないタリッタの方が気付けることとは、それは――、


「――戦い方だよ」


「――――」


「生前と考えは変えられても、その戦い方まで奪ってしまっては、その当人を蘇らせた意味がない。だから、死者諸君の戦い方は生前のものだ。違うかな?」


「……確実なことは言えないが、その可能性は高いだろう」


 実際に戦った屍人たち、その生前の姿を深く知るわけではないが、フロップの推測は的を射ているはずだ。

 そのユリウスとタリッタの肯定的な反応に、フロップは微笑んだ。

 どこか郷愁と哀切を帯びた、ひどく物悲しげな微笑で。


「もしもバルロイがここにくるなら、他の誰より最初にここへきて、この都市の急所を撃ち抜いていったはずさ。『魔弾の射手』バルロイ・テメグリフが先陣を切らなかった。それが、僕がバルロイがこの戦場にいないと考える根拠さ」



                △▼△▼△▼△



 ――バルロイ・テメグリフは、やたらと部下を無駄死にさせるのを嫌う主義だった。


 ただし、それは彼がヴォラキアの奉じる『鉄血の掟』を嫌い、帝国主義に反した博愛主義者だったという話ではない。

 強者が尊ばれ、弱者が虐げられる帝国流の考え方は、粗末な平民の家に生まれたバルロイにとって都合のいいものだった。その社会の仕組みを利用して成り上がっておいて、いざ地位を得たら掌を返すというのは筋が通らないだろう。

 もっとも、バルロイ自身はそこまで深く考えて帝国主義と付き合っていたわけではない。すでにあったものが、自分の性質や才能と相性がよくてついていたくらいのものだ。


 故に、バルロイが兵の無駄死にを嫌ったのと、帝国主義とは究極的には関係ない。

 これはバルロイが後天的に、他人からの教えで授かった考え方だった。


 ――バルロイの人格形成に、大きな影響を与えたものは主に二人。


 一人はその才能を見込んで拾い上げ、教育と愛竜との出会いの機会を与えてくれた恩人であるセリーナ・ドラクロイ。

 もう一人は、まだ少年時代の分別の付かないバルロイを利用し、盗みを働いた自分への追っ手をまんまと始末させた、悪たれそのものの出会いをした兄貴分のマイルズ。


 帝国らしさと、帝国らしくなさを複雑に併せ持った二人との出会いと日々が、バルロイ・テメグリフという人間の性質を作り上げた。


 そうして作り上げられたバルロイの人間性が、部下の無駄死にを大いに嫌った。

 部下は、自分の手の届く範囲の存在であり、身内だ。――身内の犠牲は嫌いだった。

 だから、事前に勝算を摘まれ、皇帝の都合のいいように仕組まれた反乱へと与したときも、バルロイは部下を引き連れず、一人で反乱に加わった。

 挙句、それで命を失ったのだから、バルロイの判断は間違って正しかったわけだ。


 ――戦えば、敵も味方も死ぬことは避けられない。

 自分も他者の命を奪うのだ。身内にだけ、その規則を適用しないでほしいとは言えない。それでもその道理を通そうとするなら、他力ではなく自力で叶えるしかない。


 それ故に、バルロイ・テメグリフが至った結論が、最速での狙撃だった。


 愛竜の翼で空を駆り、絶好の瞬間を自ら作り出し、相手方の急所であり、心臓部である存在を瞬きの間に撃ち抜く――それが、自分の望みを叶える最善手。


 バルロイは帝国の男だ。敵が何人死のうと、胸など欠片も傷まない。

 でも、身内が死ぬのは嫌だった。だから、バルロイの狙撃は最速の決着を望む。それが敵味方ではなく、身内に被害を出さない最善の方法だと確信していた。

 故に――、



「――わかってやすよ、カリヨン」


 死した愛竜からの呼びかけに応じ、バルロイは寝台の傍から立ち上がった。

 目の前の寝台には、意識のないマデリンが静かに寝かされている。――彼女の意識は今、竜殻であるメゾレイアの内へ舞い戻っていた。


 言うまでもなく、『龍』の暴威など帝都で振るうには危険すぎる過剰戦力だ。

 だが、相対する敵を考えれば、それを過剰と言い切れないのが恐ろしい。


「仕えてた一人じゃありやすが、どうかしてやすぜ、帝国の方々」


 この世で最も強靭な生物であるはずの『龍』、それと拮抗するどころか凌駕するような怪物の心当たりがあるというのも異常な話だ。

 肩書きこそ、自分もそこに並べられてはいたが、バルロイ自身はそうした頭抜けたモノたちと自分の技量が並び立つとは思わない。

 ただ、強いことと勝ち負けとは、絶対的な相関関係にあるわけではないだけ。


 マデリンの額にかかる空色の髪を指で掻き分け、バルロイは愛竜の待っているバルコニーへと足を向けた。途中、立てかけた槍を掴んでいくと、両翼を畳んだカリヨンが白い露台でこちらに背を向けて佇んでいる。

 その翼の根元を撫でると、愛竜は長い首をバルロイの肩へ擦り付けてきた。

 それこそ、卵から孵化したときからの付き合いだ。まだまだ小さく弱かった、赤ん坊の飛竜だった頃からカリヨンの癖は変わらない。


「癖や好みは死んでも変わらない。……あっしも、人のこた言えやせんがね」


 自嘲気味にこぼして、撫でていた手で弾くように背を叩く。その合図に姿勢を低くするカリヨンの背に、バルロイは颯爽と飛び乗り、正面を向いた。

 水晶宮のバルコニーから外、広大な帝都を一望すれば、美しく整然としていた街並みのあちこちが荒らされ、壊され、戦場の空気を蔓延させている。


 この戦場の空気は帝都だけでなく、帝国全土――とりわけ、屍人の軍勢が差し向けられた城塞都市ガークラでは強く、大きく立ち込めているはずだ。

 城塞都市は避難した帝都の避難民や帝国兵を呑み込んで、激しい戦いが繰り広げられている。本来なら、バルロイも都市攻略に打って出るべきだった。

 しかし――、


『――気後れする、という感覚を私も理解しつつあります。あなたが本来の性能を発揮できない恐れがある以上、適切とは言えません。要・采配です』


 バルロイを蘇らせた術者――スピンクスと名乗った『魔女』は、そう言ってバルロイを帝都へ留め置くと決めた。それはバルロイへの気遣いというよりも、自分の中に芽生えた初めての感覚、知らない味を確かめたいというそれにも感じられた。

 無論、バルロイにはこちらへ寝返ったマデリンを制御し、『雲龍』メゾレイアを味方に付けておくという役割が期待されていたのも疑いはない。

 その期待された役目に思うところはあるが、それを抜きにしても、自分が帝都へ残されたことはバルロイにとって好都合だった。


 城塞都市へ乗り込み、そこにいるだろう顔見知りの兄妹と会わなくて済むから――ではない。

 これもまたスピンクスの見立てであり、バルロイ自身も直感していることだが、


「閣下でしたら、きなさるでしょう?」


 バルロイの知るヴィンセント・ヴォラキアは、冷徹にして苛烈な皇帝だ。

 平時においては居城を決して動かなくとも、最終的な決着の場には必ず自らの足で立とうとする。それはヴィンセントに限らず、ヴォラキア皇帝の慣習だ。

 これもまた、帝国流とされる『鉄血の掟』の影響と言える。


 そして、誰よりもヴォラキア帝国を嫌いながら、ヴォラキア皇帝としての役割を忠実に果たそうとするヴィンセントだから、必ず帝都へやってくる。

 この『大災』の首魁であるスピンクスを滅ぼすため、『陽剣』を携えて。


「――チシャには、一杯食わされましたんでね」


『大災』の起こり、屍人の存在も自分の存在も把握されていない状況、あれ以上の絶好の機会はなかったにも拘らず、バルロイの奇襲はヴィンセントに届かなかった。

 チシャの挺身がヴィンセントを救い、『大災』の最速勝利は遠ざけられたのだ。

 しかし――、


「次は、閣下の盾になれる誰かはいやせんぜ」


 次なる機会は決して逃さない。

 ヴィンセントが自ら帝都へ乗り込んでくるのなら、その心の臓を確実に射抜く。そうすることで、ヴォラキア帝国の希望を断ち切るのだ。

 そしてそのまま、『大災』の脅威は北上し、ルグニカ王国さえも――。


「――ッッ」


 刹那、愛竜の嘶きがバルロイの意識を『それ』へと引き付けた。


「――――」


 自分のうなじをくすぐる感覚に顔を上げ、バルロイは自らの目を疑った。

 カリヨンの背に乗り、戦場と化す帝都を俯瞰しながら、標的となるヴィンセントの姿を探したバルロイは、戦場の変化を見逃すまいとつぶさに目を凝らしていた。

 そのバルロイの警戒の外側から、それは堂々と水晶宮を狙ってきたのだ。


 ――世界で最も美しき城の直上から、燃え盛る炎弾が次々と降り注いでくる。


「カリヨン!」


 鋭い呼びかけ、即座に反応した愛竜が翼を広げ、羽ばたきが生んだ揚力が巨体を帝都の空へと舞い上がらせる。羽ばたきを一度、二度と強く打つたびにその速度と高度は一気に上昇し、しがみつくバルロイを乗せて屍飛竜が空へ上がった。

 その上がるバルロイたちの空路を塞ぐように、人間ほども大きさのある炎弾が容赦なく落ちてくる。――そこへ、槍を向けた。


「ダメですぜ」


 バルロイの手の中、空へ向けられた槍の穂先が淡い光を宿し、瞬間、放たれる不可視の光弾が落ちてくる炎と衝突、中空で爆発が起こり、空が赤く染まる。

 一発ではない。二発、三発、立て続けに十三発まで光弾で炎弾を撃ち落とし、轟音が帝都の空を包み込み、膨れ上がる爆炎の中をバルロイたちは突き抜けた。


「なんて真似しやがんですかい、雲の上を通しなさるとは」


 降り注いだ炎の雨を打ち払い、バルロイはしかし相手の手並みに舌を巻く。

 炎弾が真っ直ぐに城へ向かってくるか、あるいは矢や投石のように放物線を描いて飛んでくるなら、水晶宮から容易にそれを把握できたはずだ。バルロイの目をしてそれができなかった理由は明白、炎弾がはるか遠くから、帝都の空にかかった分厚い雲の上を飛んできて、水晶宮の真上に到達したところから直下してきたからだ。


 言葉にすれば、しでかしたことは単純明快。だが、実際にやるのとでは天と地ほども差のある所業――数キロ単位離れた場所に、雲の上まで投げた石を的中させる神業、それを手を使わないでやるより難易度が高い恐ろしい行いだった。

 ただ、バルロイも帝国では少ないながら、一芸特化でも魔法を使える立場だ。


「お返しをせにゃなりやせんぜ」


 雲を突き抜けて落ちた炎弾を処理し終え、カリヨンが天空で身を翻す。その背にしかと掴まりながら、バルロイの意識は帝都のはるか南へ向いた。

 水晶宮の真南、帝都へ出入りする門の周辺はメゾレイアが守護している。放たれた炎弾の距離と角度から、やや西へズレた位置に件の敵がいると判断――バルロイの、黒い眼に金色の瞳が浮かんだ屍人の左目、その周辺が柔らかく揺らぐ。


 それはバルロイの顔に生じた変化ではなく、左目付近の空気に生じた変化だ。

 魔法で光の屈折を起こし、バルロイははるか遠くを眺めるための天眼鏡を作り出す。左目でそれを覗き込み、槍の穂先を堂々とそちらへ向けた。


 飛竜の速度で射撃距離と角度を確保し、超長距離狙撃を実現するための光弾を放つという一芸に特化、標的を外さないための光の天眼鏡を揃え、バルロイは戦う。

 仮に障害物のない平野であれば、バルロイは数キロ先の動く的にも光弾を当てられる。


「――――」


 今回も、そうするつもりでバルロイは右目を閉じ、左目に意識を集中した。

 光の屈折が作り出した存在しない天眼鏡が、帝都の街並みを大きく飛び越して、その先のその先の、水晶宮へ炎弾を放り込んだ敵の姿を捉え――、


「――ミディ」


 掠れた息をこぼし、バルロイ・テメグリフの天眼鏡はその姿をはっきり映した。

 日差しのように煌めく金色の髪を躍らせ、長衣の男の腕に抱かれて空に上がりながら、彼女は青い瞳で真っ直ぐ、見えるはずのないバルロイに顔を向けている。

 そしてその唇が、聞こえない言葉をはっきりとバルロイの心に響かせた。


「もう、どこにも勝手にいかせないよ。ちゃんと、あたしと話をしてよ、バル兄ぃ」



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― 新着の感想 ―
ユリウス…スバルの咄嗟の指示にすぐさま動いてエミリアたんと共闘したり、ルイを巡る話し合いでは主君を差し置いてスバルに味方したり、ついにスバル語録を使いこなして…これもう身内だろwwwスバルのこと好きす…
WEB版なんだから脇道も書けるだけ書けばいいだろ、それがWEB小説のメリットの一つなんだし 面白くないわけじゃなくてちゃんと面白いんだし
[一言] 無駄に長いと感じる理由がわかった、私はスバルの活躍が見たいんだ、バルロイとか微塵も興味無いや
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