第八章44 『信頼の応え方』
全身の筋肉が躍動し、湧き上がる闘志が犬歯を鋭く尖らせる。
戦いの余波にひび割れ、めくれ上がった街路にどっかりと乗せた足裏から伝わってくる活力を魂にみなぎらせ、正面、上空、翼を広げる威容を真っ向から睨んだ。
流れる血の巡る音が早く、拍動は大きく高く、存在を鼓舞する太鼓のようだ。
すなわち――、
「――絶ッ好ッ調だ!!」
牙を噛み鳴らし、吠えるガーフィールが踏み込みで街路を砕き、前進する。
それを迎え撃つ空の威容――白き『雲龍』の眼光に己を映しながら、ガーフィールの血も肉も魂も、喝采を堪えられなかった。
反乱軍の一矢として、帝都決戦で次々と強者と拳を交えた。
『九神将』に迫る男と、『九神将』の一角と、紛うことなき強者たちとの戦いは、ガーフィールが陣営の一員として自らに課した役割、それを実感させた。
かのヴォラキア帝国の『将』たちと衝突したことは、武人として本当の誉れだ。
だが、しかし、それを貴重な経験と認めた上で、これを待っていた。
「龍と、やり合う機会ッがくるたァよォッ!」
親竜王国ルグニカの民ならば、この世界を生きる命の一つであるならば、『龍』という存在がどれほど強大で、人智の及ばぬ存在であるかはようと知れる。
無論、ガーフィールもそうだ。『龍』が人の世の理で測れる存在でないと知っていた。
しかし、プレアデス監視塔と帝都決戦と、エミリアは二度も『龍』と激突する機会を得て、そのどちらでも見事に生還を果たした。
『龍? そうね、ボルカニカもメゾレイアもすごーく強かったわ。体も大きいし、息も危なくて……私、ビックリしっ放しだったもの!』
とは、『龍』の脅威についてエミリアが語ってくれたときの発言だ。
身振り手振りを交えて、いかに『龍』が途轍もない存在だったかエミリアは話してくれたが、彼女の表現力の問題とは別に、やはりそれは伝わり切らなかった。
その、エミリアの語り尽くせなかった言葉との差異を、ここで体感する――。
『――ッ!』
地面を爆ぜさせ、猛然と迫るガーフィールに向けて『雲龍』が口を開く。
直前に帝都を焼いた息吹、あれと同じものが放たれるかと身構えるガーフィールへと目掛けて、メゾレイアは前兆通りの息吹を放った。
ただし――、
「ごあッ!?」
灼熱とも極寒とも異なる、奇妙な熱と衝撃に打たれ、ガーフィールが苦鳴を漏らす。
放たれたメゾレイアの息吹を躱すべく、射線を逃れるように横へ飛んだ直後だ。その真横へ逃れたガーフィールへと、二射目の息吹が襲いかかった。
何事か、と目を眩ませるまでもなく、相手のしたことは明白だ。
一息で帝都の区画を丸々薙ぎ払える息吹をいっぺんに吐くのではなく、短く刻んで放っただけのこと。長く息を吐くのではなく、短く二度吐いたのだ。
――否、二度ではない。一息を割れば、三度四度と同じことができる。
「ちィッ!」
息吹を浴びた左腕を焦げ付かせながら、ガーフィールは横っ跳びの勢いのままに街路脇の民家へと壁を破って飛び込み、『雲龍』の視界から隠れる。
だが、『雲龍』の息吹の前では、石造りの建物であろうと耐えられない。以前、スバルから聞かせてもらった、狼の息吹で飛ばない豚の家とは違う。
立て続けの細かい息吹の衝撃に打たれ、民家は呆気なく壁を剥がされ、家財道具を壊されながら、内へ飛び込んだガーフィールに被害を及ばせる――はずだった。
「おおおぉォォォらァァッ!!」
そうして、息吹を浴びた民家がバラバラに解体されるより前に、吠えるガーフィールの両腕が民家を地べたごと引っぺがし、豪快に空へと投げ放つ。
猛然と、街路をばら撒きながら回転して飛んでいく家砲弾――奇しくも、ナツキ・スバルが帝都からの撤退戦の折に行ったのと同じ戦法を駆使したガーフィール。その手から投じられた質量弾が自らに迫るのを前に、メゾレイアがひと際大きく息を吐いた。
『邪魔っちゃぁ!』
その巨大な威容と裏腹に可愛い口調で吠え、『雲龍』に届く前に民家が吹き飛ぶ。
しかし、その結果にメゾレイアが一息つこうというなら、甘い。
「おらおらおらおらおらおらおらおらァッ!」
一発目の家砲弾を防がれたならと、ガーフィールは整然と並べられた帝都の街並みを次々と掴み取り、空の『雲龍』へ向けて豪快に投げ込んでいく。
ガーフィールの膂力と、度重なる衝撃で帝都の地盤が緩んだことの合わせ技だが、常軌を逸した質量弾の連発にメゾレイアが黄金の目を見開いた。
『めぇええざああわぁぁありぃぃぃだっちゃぁぁぁ!!』
飛び込んでくる家砲弾を、翼をはためかせるメゾレイアが迎え撃つ。
鋭い爪を備えた両腕が空を荒れ狂い、一軒、二軒と民家を吹き飛ばし、真下から真上に振るわれる尾が強烈な一撃でまとめて三つの建物を破壊する。
そして――、
『――いい加減に死ねっちゃ』
「――ッ」
投げ込み、破壊された家々の残骸を足場に、宙へ駆け上がったガーフィールを真正面に捉えて、奇襲を看破したメゾレイアが左右から竜爪を叩き付ける。
胸の前で手を打つような軌道に挟まれ、空中のガーフィールは盾を装備した腕をそれを打ち返すように発射し、龍の右腕を左腕で、龍の左腕を右腕で、それぞれ受ける。
凄まじい衝撃がガーフィールの全身を貫き、噛みしめた歯がひび割れ、鼻血が噴く。
だが、ガーフィール以外の人間であれば、一秒ももたずに一瞬で肉塊だ。メゾレイアもその結果に髭を震わせ、潰されない人間の存在に驚きを露わにする。
そのメゾレイアの驚きに、ガーフィールは頬を歪めて笑みを向け、
「どォ――」
だ、と気迫を見せるより前に、両腕に挟まれた体を真上から落ちてくる尾が直撃――ガーフィールの体が音を置き去りにする勢いで吹っ飛び、街並みを衝撃で作り変えながら幾度も幾度も幾度も転がり、帝都の防壁に内から激突して止まる。
「お、おい!? おい、ガキ!?」
濛々と噴煙が立ち込める中、街路についた、ガーフィールが地面を跳ね、削り、砕いた痕跡を目の当たりにした男――ハインケルが声を裏返らせる。
呆然と、ガーフィールと『雲龍』の激突を見ているしかできなかった男は、常人なら百人単位で挽き肉に変えそうな威力を直撃されたガーフィールの下へ駆け寄った。
「死んだ……死んだか? 死んだに決まってる! あんなの……」
「……勝手に、殺すんじゃァ、ねェよ」
瓦礫の山の前で、儚く散った命を想像するハインケルに声が届く。ハッとしたハインケルの視界、瓦礫の山が崩れ、そこに両足を投げ出したガーフィールの姿があった。
ガーフィールは背中を防壁に預け、ぐったりと顔を見せずに俯いている。そのまま、口をもごもごとさせ、へし折れた牙を血と一緒に吐き出した。
そうして――、
「あァ、クソ……やっぱとんでもッねェなァ、龍ってのァ。エミリア様がふわふわ言ってたッのがよォやくわかるぜ」
頭を振りながら、ゆっくりとその場に立ち上がる。
口の中、舌で触れば、半ばで折れた歯が中途半端に生え変わろうとしていて、それを突っ込んだ指で無理やり根っこから引き抜く。すぐに、抜けた歯の下から新しい歯の先端が顔を出すのがわかり、ひねった首の骨を大きく鳴らした。
「お前、何ともないのか……?」
「何ともッねェわけねェだろ。龍の一発……んや、二発も三発もぶっ込まれッてんだぜ。『生きた奇跡のマンフロイ』ってェもんだろォが」
「――――」
「ッけど、俺様ァまだやれる。――やれる俺様で、よかったぜ」
全身が鈍くも鋭くも痛みを訴えて軋むが、ガーフィールは両の拳を握りしめて、震える息を吐きながらもそう自負する。
ここで、人智を超えた龍の攻撃を真っ向から浴びながらも、それでも立ち上がれる。
そうできる自分で、本当によかった。
「……どうか、どうかしてやがる!」
そのガーフィールの呟きに、思わず叫んだのはハインケルだ。
男は見開いた青い瞳にガーフィールを映しながら、空いている方の手で乱暴に乱雑に自分の頭を掻き毟って、
「なんで戻った? 意味がわからねえ! 龍だ……龍だぞ!? 勝てるわけがねえ。ここにきたのは馬鹿のすることだ! なのに!」
「そりゃァお互い様ッだろォがよ、オッサン」
「あ……?」
「ここにッいるのも、龍相手に構えてんのも馬鹿のすることだってんなら、オッサンも同じじゃァねェかって言ってんだよ」
その言葉に絶句し、ハインケルが髪を掻き毟る手を止めて瞠目する。
自分を一緒にするなと言わんばかりの態度だが、そうしてほしいなら致命的だ。何故ならハインケルの、頭を掻いていたのと反対の手には、
「まだ剣握ってんじゃァねェか」
「――――」
それが投げ捨てていない、ハインケルの一抹の願いの証だとガーフィールは信じる。
恐怖で指が開かなくなっただけかもしれない。――違う。噛み砕く。
我を忘れて、ただ持っていただけかもしれない。――違う。噛み砕く。
この瞬間に鞘に納めて逃げ出そうとしていたかもしれない。――違う。噛み砕く。
弱い考えを、挫ける意思を、怖気づく理由を、全部噛み砕く。
全部全部、そうして噛み砕いた先に、歯を食いしばって願いに立ち向かう男の顔が出来上がるのだと、そう信じているから噛み砕く。
「大将も、オットー兄ィもそォだ。俺様も、そォありてェ」
「お、俺は……」
わなわなと、剣を握ったまま震える己の手を見下ろして、ハインケルが動揺する。そのハインケルを横目に、ガーフィールはドンと背中で防壁を打って姿勢を正した。
そして、立ち直れていないハインケルに告げる。
「なんで、俺様が戻ってきたッのか聞いたよな」
「――ぁ?」
と、ガーフィールの静かな声音にハインケルが目を見張った。
その、言葉の先を待つハインケルに、ガーフィールが渡したのは言葉の続きではなく、伸ばした手でその胸を突き飛ばすことだった。
ハインケルが突き飛ばされ、街路へと大げさにひっくり返る。
次の瞬間、都市の中央の空から放たれた『雲龍』の息吹が、防壁を背にするガーフィールへと迫り――それを、ガーフィールは真上へ跳躍して避けた。
「お、おおお……ッ」
壁を背に真上へ飛んだガーフィール、それを追いかけるように白い熱線のように見える息吹が射線を上へ傾ける。街並みが焼かれ、防壁を塵へと変えながら、上空へ逃れたガーフィールを追って息吹が上へ、上へ、上へ。
それが、ガーフィールの爪先に追い縋り、全身を焼く前に――、
「大将が、言ったんだよ」
世界を焼き焦がさんとする龍の息吹が足先を掠める最中、その声には一切の焦燥は感じられなかった。あったのは、信頼とそれに応えたがる自負。
くるりと空中で身を丸めて、ガーフィールの足裏がまだ原形を残した壁につく。――直後、その壁を放射状にひび割れさせる脚力で蹴り飛ばし、前へ飛ぶ。
前へ、前へ、前へ、帝都の空を飛翔する『雲龍』へ、生え変わったばかりの鋭い牙に、大口を開けて風を浴びせながら迫り――、
「――俺様に! 空飛んでブイブイ言わせッてる龍を落としてこいってなァ!!」
『――ッッ!?』
息吹の真上を飛んで『雲龍』へ迫ったガーフィールが、引き絞った両腕を同時に正面へ発射し、砲弾もかくやという破壊力がメゾレイアの鼻面を捉える。
魔石を詰め込んだ倉庫が爆発を起こしたような大音が空に響き渡り、真っ向から一発を浴びた『雲龍』がのけ反り、次の瞬間、真っ赤な血を噴いた。
砕かれた鼻面から龍が鼻血をこぼし、自分の拳の反動で地上に叩き付けられたガーフィールがそれを盛大に浴びる。浴びながら、ガーフィールは笑った。
「だっはっはっは! 龍に鼻血ッ出させてッやったぜ!」
『お、前ぇぇぇ!!』
ありえない屈辱にメゾレイアが激怒し、その様子にさらにガーフィールが笑う。
それを遠目に、突き飛ばされて息吹から救われたハインケルは、地べたに尻餅をついたまま唖然と、呆然と眺め、
「……正気じゃねえ」
そうハインケルが弱々しく呟くのと、龍と向き合うガーフィールが作り出した戦場――それと同等の、空気の変化が帝都の各所で生じたのはほとんど同時だった。
それを、まるで意に介さない龍虎の相打つ光景を前に、ハインケルは動けない。
逃げることも、立ち上がることもできずに、動けない。
――ただ、その右手は剣を、握り続けたままでいた。
△▼△▼△▼△
――時は、龍虎相打つ戦場の完成よりわずかに遡る。
「――――」
冷たい水が頬を、額を打つ感触、それがスバルの意識をはっきり覚醒させる。
眠気があるわけでも、体の重さを感じているわけでもない。それでも、カチッと自分の中で何かが切り替わった感覚があり、深々と息を吐いた。
目の前、水桶の中で波打っている水に、揺れて歪んだ自分の顔が見える。幼さを残したというか、幼いとしか言いようのない目つきの悪い顔だ。
すでにすっかり見慣れてしまっているが、このままでいいかなどと思ってはならない自分の顔。それを、指でぐにぐにとやっていると――、
「スバル、大丈夫? もしかして、どこか調子が悪いの?」
ふと、横合いからそう声をかけられ、スバルは水桶から顔を上げた。その上げた顔の正面、宝石のように綺麗な紫紺の瞳でこちらを覗き込むエミリアがいた。
思いの外、顔の距離が近いエミリアにスバルはドキドキしながらも、
「だ、だいじょうブイだよ、エミリアたん。ちょっと頬肉をほぐしてただけ。ほら、いつだってエミリアたんには俺の一番の笑顔を見せたいから」
「私は別に、無理してるときの笑顔じゃなかったら、スバルがどんな風に笑った顔をしてくれてても嬉しいけど……」
「おおう、トキメキがすごい……とと」
唇に指を当てて、何のてらいもないエミリアの言葉にスバルは動揺。熱くなる頬を誤魔化すように、濡れた顔を袖で拭おうとすると、そこへ横から手拭いが差し出された。――二つの手拭いが左右から、ベアトリスとタンザだ。
二人は行動が被ったことに元々丸い目をもっと丸くして驚きつつ、すぐにお互いを認識して目を細めると、
「鹿娘、スバルはベティーのタオルをご所望なのよ。それは引っ込めるかしら」
「シュバルツ様は何も仰っていませんよ。ご自分の考えをあたかもシュバルツ様の意見のように口にされるのは、出過ぎた真似では?」
「なななな、なんて腹の立つ娘なのよ!」
「待て待て待て待て、なんでケンカすんの! ほら、二つとも使うよ! 二人の手拭いで顔の右側と左側拭いちゃう!」
何故か勃発したいがみ合いに割って入り、スバルは二人の手拭いを両方とも使って場を収めようとする。が、その対応に二人はため息をついた。場を収められなかった。
そうして肩を落とすスバルの様子に、「もう」とエミリアが腰に手を当てて、
「ベアトリスもタンザちゃんも、スバルを困らせてあげないの。ただでさえ、ずっと大変続きでスバルも参ってるのに……」
「おお、エミリアたんの思いやりが身に染みる……って言っても、別に二人が俺を思いやってくれてないって言ってるわけじゃないぞ? 本当、二人にはいつも助けられて……言えば言うほど言い訳臭くなってる気がするな!?」
「やれやれかしら」
「シュバルツ様のすることですから」
頭を抱えたスバル、その反応に仕方なくベアトリスとタンザが態度を軟化させた。
意図せず悪者になるしかなかったスバルは首を傾げずおれないが、そのスバルの頭をポンポンと優しくエミリアが撫でてくれたので良しとしておく。
ともあれ――、
「でも、本当に強がりじゃなく元気なんだよ、エミリアたん。ちゃんと出発まで砦で休ませてもらったし……なんせ、俺がうっかり寝不足で倒れようもんなら、プレアデス戦団のみんながガタガタになるからね」
強い絆で結ばれたプレアデス戦団、その強味と弱味ははっきりしている。
一丸となった戦団は向かうところ敵なしのイケイケ集団だが、それをまとめているのがスバルの存在――自慢ではなく、スバルの『コル・レオニス』だ。
その効果も、スバルが寝たり気絶したりするとぷっつり途切れてしまうので、ここから先は迂闊に居眠りも許されない。
「それがわかってるから大丈夫。信じて、エミリアたん」
「そう? それならいいんだけど、本当に無茶しないって約束できる?」
「ちっともエミリアたんの信用がない……」
「なんでそうなのかは、ちゃんと自分の胸と相談してみて」
信用とは、これまでの行動の積み重ね。そうエミリアにも暗に言われ、スバルはぐうの音も出なくなった。
ただ、スバルの心身が自分でも驚くぐらい調子がいいのは本当の話だ。おそらく、過度な緊張感が精神を昂らせているのが理由だと思われるので、今回の戦いが全部片付いたあと、その負債が一気に噴き出してひっくり返ることだろう。
が、元気の前借りで乗り切れるなら、その後の負債は甘んじて受ける覚悟だ。
――現在、城塞都市ガークラを出立し、帝都ルプガナを目指している『ヴォラキア帝国を滅亡から救い隊』は、目的地への到着を見据えた竜車の交換中だ。
ガークラからルプガナまでの道中、点在している陣の一つに立ち寄り、アベルたち識者が戦況を確認しつつ、地竜も万全なものと取り換え、決戦へ備える流れである。
「もちろん、パトラッシュはずっと俺たちと一緒だけどな」
手を伸ばし、スバルは竜車と繋がれた漆黒の愛竜――パトラッシュの首を撫でる。
無事に帝国で合流できたパトラッシュは、スバルが縮んでいようと一切対応を変えることなく、心配をかけた報復に尾の強烈な一撃をお見舞いしてくれた。
派手に壁に激突する羽目になった一発は、剣奴孤島の『スパルカ』でギルティラウとやり合ったときのダメージを彷彿とさせるものだったが、一発で済むなら御の字だ。
その後、スバルの平謝りを受け入れ、こうして全力で付き合ってくれている。
「――へえ、この地竜の子、君らのとこの子ぉやったんやねえ」
と、そうしてパトラッシュとスバルが戯れるところにやってきたのはハリベルだ。
背の高い狼人のシノビは、その大きな口にくわえた煙管を唇で上下に揺すり、
「僕が龍のゾンビとやり合ぅてるとき、立派に頑張ってて偉い偉いと思うてたんよ」
「おお! ハリベルさんもわかってくれるか、うちのパトラッシュの優秀さが!」
「せやね。君は果報者や。――アナ坊やらこの子らやら、みんなに心配されて」
都市国家最強と名高いハリベル、彼のお墨付きに手放しに喜びかけたスバルは、続いたその言葉に目を丸くして、それから真剣に頷いた。
言われずともだが、言われて改めて思う。――自分は、恵まれている。
エミリアたちが、ユリウスとアナスタシアが、色々な悪条件を突破して帝国入りしてくれただけでなく、スバルのワガママに最後まで付き合ってくれている。
それがどれだけ頼もしくて心強くて、申し訳ないか。
「だからこそ、俺もやれること全部やらなきゃいけねぇよ」
「スバル? さっきの私との約束、覚えてる?」
「覚えてる覚えてる無茶はダメ! だけど、どうしても必要なら……?」
「ほら、またそうやってすぐに破る」
唇を尖らせ、エミリアにそう拗ねられてスバルは自分の頬を掻いた。
その様子にくつくつと喉を鳴らし、ハリベルは何とも楽しげだ。待ち受けているのが帝国の――もしかしたら、世界の存亡をかけた戦いかもしれないのに、剛毅である。
「ハリベル殿も、そーぉれはスバルくんに言われたくないんじゃーぁないかね」
「出たのよ」
「そりゃ、一緒にいるんだから出もするでしょーぉよ。いい加減、帝国では私が全面的な味方であると認めてほしいものなんだーぁけどね」
やれやれと肩をすくめ、ベアトリスの態度に苦笑するロズワール。
竜車を停めた陣の端っこに顔を出した彼に、エミリアが「いいの?」と首を傾げた。
一応、ロズワールは現状のエミリア陣営の知恵役として、陣の責任者たちと話しているアベルに同行していたはずだが。
「私はロズワールをちゃんと味方だと思ってるけど、アベルたちはそう思ってくれなかったってことかしら……」
「だとしたら、王国にも帝国にも身の置き所がなくて困ったものでーぇすよ。――心配せずとも、あちらはあちらでヴィンセント閣下が兵たちに声をかけ、彼らの士気を高めるフェーズへ入りました。むしろ、私は邪魔というわーぁけです」
「そう。それならよかった。それと、ロズワールの居場所はちゃんと私たちとおんなじところにあるから安心して。ロズワールが悪巧みしなければいいだけだから」
そう唇を綻ばせ、ロズワールの自虐にエミリアが天使の回答をする。
もっとも、ロズワールはその言葉にも苦笑するだけで、悪巧みの有無に関しては何も言わなかったので罰当たり極まりないが。
「しかし、アベルの凱旋にちゃんと効果がありそうなのが腹立つな」
そう言いながら、ちらとスバルが視線を陣の中央へ向けると、そちらの方から聞こえてくるのは大勢の帝国兵たちの歓声だ。
戦いへ臨むために士気を高める雄叫びではなく、感極まったその歓声は、彼らが自分たちの仕える皇帝から直接声をかけられることを喜ぶものだった。
当たり前ではあるが、スバルが見慣れたどころか見飽きたアベルの仏頂面も、ほとんどの帝国民にとっては近くで見ることの許されない代物なのだ。
「俺が一国民で、エミリアたんの顔と名前しか知らない立場だったらって考えると、気持ちがわかる……あ、いや、そう考えたら泣きそう」
「どうしたの、スバル、あなたは私の騎士様じゃない。しっかりして!」
「だよね! 夢じゃないよね! あー、アベルのせいで危なかった」
アベルが耳に入れれば、しかめっ面になりそうな閑話を挟みつつ、スバルは皇帝らしい発想が目論見通りの効果を発揮していること自体は歓迎する。
もっとも、帝国兵たちの気持ちを盛り上げるため、終戦後に迎える后として見世物にされているミディアムの気持ちを考えると、手放しに称賛もできないが。
「べったり一緒にいさせてるスピカが、ちょっとでもミディアムさんの気を紛らわしてくれてるといいけど……あの野郎、結婚をなんだと思ってやがんだ」
「そうよね。アベルはすごーく頭がいいと思うけど、そういうところはちょっとよくないって私も思う」
「こういうことばっかやってるから玉座から蹴り落とされてんだよな」
うんうんと、スバルとエミリアが頷き合い、アベルのダメなところで意見が一致。その二人の様子に、ハリベルがまたもくつくつと笑い、
「ヴォラキア皇帝相手に、恐れを知らん子ぉらやねえ」
「相手が誰だろうと、ベティーが一緒ならスバルが怖がる理由なんてないかしら」
「ヨルナ様を拒まれている時点で、皇帝閣下が心無いのは周知の事実です」
「さすがに、この会話は帝国の人たちに聞かせたくないねーぇ」
皇帝の凱旋で盛り上がっている陣で、皇帝の悪口なんて言おうものなら刃傷沙汰は避けられないと、アベルに辛辣な意見の中でロズワールが苦笑する。苦笑して、それからふとロズワールは「それで」と片目をつむり、
「これだけ話していて姿を見せないとなると、ガーフィールはよほど集中しているようだ。――スバルくんの大抜擢に、気合い十分みたいだーぁね」
「――だな」
閉じなかった黄色い方の目を向けてくるロズワール、その言葉にスバルが頷く。
この場のスバルたちの話に混ざってこないガーフィールは、今はパトラッシュと繋がれた竜車の中で、静かに瞑想しながら集中力を高めている。
全力で、スバルの期待に応えようとしてくれている証だ。――『雲龍』メゾレイアとマッチアップしてほしいと、そう頼んだスバルの期待に。
「機動力があって、破壊力が高すぎるメゾレイアは何とか動きを封じ込めたい。現状、その役目を一番任せられるのはガーフィールだ」
「それ、理由聞いてもええの? 一応、アナ坊からは君らの指示になるたけ従うように言われとるんやけど……僕の方が、あの虎の子ぉより強いよ?」
そのスバルの判断に、ハリベルが煙を吹かしながら首を傾げる。
それが自分の実力を過小評価されていると、そう怒りを覚えているなら言い訳も必要だろうが、あくまでハリベルの物言いはフラットだ。
純粋な、戦力的な疑問を口にしたという彼に、スバルも自然と顎を引いて、
「ハリベルさんが、今いるメンバーで最強なのは疑ってないよ。ただ、適材適所っていうか……ハリベルさんには、他に止めてもらいたい相手がいる」
「なんや、怖い話やねえ。龍は後回しにして他のとこて……龍より厄介なんがおるいう話になるよ?」
「ある意味、そうだ」
うだうだと取り繕っても仕方ないと、スバルははっきりそう肯定した。
そのスバルの断言に、ハリベルも一瞬口を閉じる。が、すぐに彼は狼人特有の大きな口を笑みに歪ませて、
「そかそか。そしたら、僕も張り切らんといかんねえ」
と、スバルの指示を受け入れ、従ってくれる姿勢を見せた。
「ガーフィールとハリベルさん……それに、私たちにもいってほしい場所と、やってほしいことがあるのよね」
スバルとハリベルのやり取りが一段落すると、真剣な顔のエミリアがスバルを見る。彼女は胸元の魔晶石に指で触れながら、紫紺の瞳でこちらを射抜いた。
エミリアだけではない。ベアトリスとタンザも、ロズワールもこちらを見ている。
「そうだ。ここにいる全員……向こうのアベルたちも含めて、総力戦だ」
「――。幸い、大まかな敵の居場所はスバルがわかっているのよ」
「ええ。あの、プレアデス監視塔でもやってた、権能っていう特別な力よね」
「うん。あれのおかげだ」
エミリアとベアトリス、二人の言葉にスバルは自分の胸を拳で叩く。
プレアデス監視塔で発揮された『コル・レオニス』の功績――離れた場所にいる相手の居所を掴み、塔内の問題に対処させたそれが、エミリアたちにスバルを信じさせる。
帝都ルプガナで待ち受ける敵――その強敵に対抗するため、どこに誰を向かわせるのがベストな選択か知り得たというスバルの『嘘』を。
「――俺は、俺のできることをする」
エミリアを、ベアトリスを、スピカを、タンザを、ガーフィールを、ロズワールを、ハリベルを、アベルを、ミディアムを、ジャマルを、オルバルトを、振り分ける。
持てる手札の全てを用いて、帝都の戦いを勝ち抜くために――。
「もちろん、お前も頼りにしてるぜ、パトラッシュ」
手を伸ばし、改めて首を撫でられるパトラッシュがスバルに応じるように嘶く。
そのパトラッシュの一声に、皆が意気を高める中――、
「――スバルくん、これが最善なんだね?」
じっと、スバルの顔から視線を外さないロズワール。
そのロズワールの問いかけに、スバルは深々と頷いて、答える。
「ああ、これが最善のはずだ。――ちゃんと確かめた」
これは、ナツキ・スバルができることをしただけ。
だからエミリアとの、『無茶をしない』という約束破りにはならないはずだ、と。