第八章37 『伏線のお時間』
片手に剣、小脇に荷物を抱えたまま、目の前の扉をゆっくりと開け放つ。
扉を蹴破ったり、斬り倒すような真似はしない。無闇に音を立てて、潜んでいる可能性のある屍人を刺激するのは避けなければならない。周りの注意を引くのもそうだ。
凡百の帝国兵が屍人化したものならまだしも、手練れの屍人と衝突する羽目になるのは御免被る。それが放り出せない荷物を抱えている状況ならなおさらだ。
「――――」
くん、と鼻を鳴らし、室内から漂ってくる鉄錆臭さに顔をしかめる。
血の臭いだ。嗅ぎ慣れると、大なり小なりその鮮度もわかる。これはまだ流れ出したばかりの、それも一人分のものではない血の香りだった。
案の定、奥の部屋を確かめると、折り重なる二つの死体がそこにあった。
大通りに面した一軒の民家、そこに残されていたのは老女と男の亡骸だ。
下手人は、直前に家の前で叩き斬った屍人だろう。奴の手にした剣が血に濡れていたのは、この死体を作り立てだったからに他ならない。
犠牲者はおそらく親子だろうか。生憎と、顔立ちを比べられるほど、最期の表情は穏やかなものとは言えなかった。老女の方は寝台の中で、被さるように倒れた男の傍には折れた剣が転がっていた。
「逃げ遅れた……いや、違うな」
逃げ遅れた二人ではなく、逃げられない母を守るために息子が残った構図か。
そう捉えるのが自然な光景は、弱者が踏み躙られるのを当然とするヴォラキア帝国、その中心たる帝都で起こるには皮肉が利きすぎたものだった。
もっとも、その皮肉を笑えはしない。あと数分、自分の到着が早ければ。
「――――」
抜剣した剣を鞘に納め、避け難い惨劇に見舞われた中、自分の命をどう使うか決めた男の亡骸を黙して見る。
もしも、自分が同じ状況に置かれたなら、愛する家族のいる寝台を背後に庇い、この男のように命が尽きるまで戦えるだろうか。
「くだらねえ。答えは見えてるだろうが」
忌々しさの消えない苦い唾を、苛立たしげに吐き捨てる。
そう、答えの見えている自問。どうせ自分は、尻尾を巻いて逃げるに決まっているのだから。――と、自嘲したときだ。
「おうい、赤毛の! どこでござんす!? 某の用は済んでござい!」
不意に、建物の外から馬鹿に大きな声が聞こえて、弾かれたように窓を見る。
別行動中の赤ら顔が瞼の裏に浮かんで、この屍人だらけの都市で大声を上げる向こう見ずさにサーッと酔いが引くのがわかった。
酒を飲んで酒を飲んで、酩酊で誤魔化そうとしてもし切れない現実の重みに頭を殴り付けられ、舌打ち交じりに歩み寄った窓の外を覗き込んだ。
すると眼下の通り、手を振りながらこちらを探す青い髪のワソーの男が一人――否、その横に似た格好の小さな影が並んでいて。
「どちらにいらっしゃいますか、父さんの連れ合い! このあたりだと落ち着いて話もできませんしもう少し話しやすい場所でいかがですか! 連れがいるという父さんの話が酔った幻か戯言の類でないのでしたらですが!」
「おおっと、言ってくれやがる。親を捕まえてその言いようたぁ、なんて親不孝に育っちまった。某の、某の育て方の何がいけなかったでござんしょう……!」
「いえいえ父さんは悪くありませんよ! なにせほぼ育てられてないですからね!」
やかましいのが二人並び、その騒がしさは倍どころの話ではない。
酔わせているのが酒か自分かの違いはあれど、等しく酔っ払いだとわかる声を聞いて、その二人に探される連れ合い――ハインケルは空いた方の手で頭を抱えた。
ズキズキと、二日酔いで痛む頭が酒気とは違う理由の痛みを訴える中、小脇に抱いた非常食の髭犬人が身じろぎするのを抱え直し、深々と酒臭い嘆息がこぼれた。
△▼△▼△▼△
大通りで人目も憚らずに騒ぎ続ける馬鹿二人。
そのまま放置して、押し寄せる屍人の群れに二人が呑まれても自業自得だが、その過程に自分も巻き込まれるのは御免だと、ハインケルは早々に二人を呼びつけた。
そうして民家に上げた二人には、意外なおまけが一緒についてきた。
「まさか、あんたも帝都に残ってるとは思わなかったぜ、ハインケルさんよ。とっくに逃げちまったか、そうでなけりゃ……」
「死んでるだろうって? そっくりおんなじ台詞を返すぞ、アルデバラン」
「アル、で頼まぁ」
思わぬ再会を果たした鉄兜の男、アルは兜の金具を指でいじりながらそう応じる。
帝都を取り囲んだ正規軍と叛徒との総力戦、叛徒側としてプリシラともアルとも違う戦場に配置されたハインケルは、あの戦いの決着も、プリシラたちの安否も知らずにいた。
知ろうにも知りようのない答え、それが思いがけずもたらされた形だ。
それも――、
「あのプリシラ嬢が捕まった、か。にわかには信じ難いな」
「まぁ、意外性のある展開に突き進むのが姫さんの困った魅力じゃあるが、さすがに今回はオレも放っちゃおけねぇと思ってる。で、帝都に残ったわけだが……」
「それで、あれと出くわしたのか」
そのハインケルの言葉に、アルが「おう」と首を縦に振る。
鉄兜に覆われ、表情も顔色もわからないアルだが、その疲れた声音と雰囲気から、彼が味わわされた苦労の程が窺える。
あの傍若無人と無軌道を絵に描いたようなプリシラとすら付き合えるアルだ。その彼がこの有様なのだから、相手の恐ろしさは推して知るべしだろう。
それにしても、そのアルを疲労困憊にした相手というのも奇縁だった。
「まさかまさかこんなところで父さんと再会するとは思いませんでしたよ。なんかしばらく見かけないなぁと思ってたんですけどもしかして僕を剣奴孤島に放り込んで孤島の伝説編的な活躍とか企んだのは父さんだったりしますか?」
ぺちゃくちゃと猛烈な早口を並べて、民家の保管庫から勝手に取り出した干し肉を齧っているのはワソーの少年――セシルスと名乗ったこの子どもは、驚くべきことにハインケルと同行していたロウアンの息子なのだという。
しかも何の冗談か、そのセシルスの家名まで含めた名前というのが――、
「――セシルス・セグムント。ヴォラキアの『青き雷光』」
ヴォラキア帝国最強の剣士であり、帝国『九神将』の不動の『壱』。
ハインケルも、腐ってもルグニカ王国の近衛騎士団の副団長だ。油断ならない隣国の有名人の名前ぐらいは知っている。とりわけ、『青き雷光』は有名すぎる。
血塗られた帝国史にすら類を見ない、この世界で最も人の命を奪った個人であり、王国の『剣聖』と肩を並べるほどの強者とされる存在だ。
「――――」
ざっくりと十一、二歳ぐらいに見えるセシルスに目を細め、ハインケルはその幼さを理由に彼の実力を侮ろうとする己を自嘲した。
本当の強者に、見た目や年齢の話なんて馬鹿馬鹿しくて惨めになるだけだ。
ハインケルが息子のラインハルトに初めて剣で負けたのは、まだラインハルトが六歳になる前のことだった。――世の中には、そういう存在もいる。
むしろ、ハインケルにとって稀有な相手と認めるべきはロウアンの方だ。
彼もまた、ハインケルと同じく、最強と呼ばれるものの父親であるなら、息子のセシルスの剣力や名声に思うところがあっても――。
「ははは、笑わせてくりゃさんす。剣奴孤島の殺し合いは所詮は見世物、あそこで誰を何人斬ろうとお前の剣にも技にも何の学びもねえでござんす。そんなところにお前を放り込むなんて、『天剣』へ至る寄り道にしかならぬでござんしょう」
と、ハインケルの中で首をもたげた考えを余所に、ロウアンは赤ら顔で肩をすくめ、酒を入れた瓢箪に口を付けて上機嫌な様子で息子と話している。
そのロウアンの答えに、セシルスも「でしたかぁ」と気負った風もなく、干し肉を噛み千切りながら首をひねった。
「まぁ、父さんがやるにしては方向性の見えないやり口だったので違うかなとは思ってたんです。でもそうなるとますますいったいなんでまた僕が島にいたのかがわからなくなって摩訶不思議ミステリーなんですよねえ」
「そりゃまた珍妙奇天烈けったいな言い回しもあったもんでござんすなぁ。ともあれ、某の手配によるものじゃ……んん?」
途中で台詞を中断し、ふとロウアンがセシルスを上から下までしげしげと眺める。
その父親の凝視に気付き、セシルスはひらひらとワソーの袖を揺らしながら、まとまっていない長い青髪を広げるようにくるりと回った。
「どうしました? 久々でも花形役者たる僕の冴えは忘れ難いと思いますが」
「そんなことより、待て待てぃ、息子! お前さん、ムラサメとマサユメはどこにやり申した? あれだけの業物、迂闊に腰から外すもんじゃぁござんせん」
「ワザモノってことは刀ですか? 何言ってるんです。相応しい刀が手に入るまでは刀は持たない持たせないというのが僕と父さんの暗黙の了解ですよ。生憎とまだこれだという名刀に巡り合えていないので腰は軽いままですよ。フリフリと」
「んんんんん?」
何も持たない腰を振っているセシルスに、ますますロウアンの瞳が疑念で濁った。が、やがて何か合点がいったというように、ロウアンが「あ」と目を見張る。
そして――、
「何やら妙だと目を凝らせば、セシルス、お前、背丈が縮んでるじゃござんせんか!」
「今気付いたのかよ!?」
驚き顔のロウアンに、それ以上の驚きを喰らったアルが声を上げる。
その傍ら、当のセシルスは「縮んでる?」と心当たりのない顔だ。もちろん、ハインケルにもさっぱり意味がわからない。
代わりに、心当たりのありそうなアルがずんずんとロウアンとの距離を縮め、
「はっきりさせてぇことがあるんだが、あんたがセシルスの親父さんで、あんたの知ってるセシルスはちゃんと大人だった。そこはいいんだよな?」
「待ってくださいよ、アルさん、それはどうでしょう。そもそも人とはいったいいつ如何なるタイミングで大人になったと言えるんでしょうね。例えば初めて人を斬ったときには一人前とみなしてあげないと斬られた相手は半人前に斬られたということになってこれは実に無体な話ではないかと……」
「今は黙ってろ! どうなんだ、親父さん」
「そうぐいぐいと詰め寄らんでもよござんしょう、兜の御仁。第一、親の目から見れば子どもなんてのは多少背が伸びたところで子どもって区分は変わらないもんでござんす。それにセシルスの奴ときたら言動がいつまで経っても子どものまんまでちぃとも成長しねえもんでござんしたから……」
「あんたら二人が親子だって証拠はもう耳にタコができるぐらいわかったよ……!」
詰め寄ったロウアンからも、傍らのセシルスからも雪崩のように回答され、アルが憤懣やる形無しと言わんばかりに地団太を踏む。
そのアルが不憫に思えて、ハインケルはガリガリと自分の赤毛を乱暴に掻くと、
「つまりだ、アルデバラン。お前はこう言いたいわけか? そこのセシルス・セグムントは、どういうわけか縮んで子どもの姿になってる」
「アルな。……まぁ、理由も戻し方も何もかもわかっちゃいるんだが、そうだ」
「戻し方もわかってんのか……」
人が一人縮んだと聞かされ、「そうなのか」と頷くのも馬鹿らしいが、あの帝都決戦で目にした阿鼻叫喚の絵面を思えば、大抵の事象は受け入れられる。
戻る当てがあるというなら、さほど引っ張るものでもないだろう。
「なら、とりあえず元に戻してから話せばいいんじゃないか?」
「そうしてぇのは山々なんだが、戻すにはとあるシノビの爺さんが必要なんだ。なんで現状はサイズ感このままでいくしかねぇ。……なんで、あんたは息子が縮んでるってのに最初の一発で気付かねぇんだよ」
ゆるゆると首を横に振ったあとで、アルがそう話の矛先をロウアンに向けた。
しかし、その問いにロウアンは無精髭の浮いた顎を自分の指でなぞりながら、
「そりゃ息子のでかい小さいは、某にとって些事でござんすからなぁ」
「おいおい、クソ親父決定戦か? 各国最強の父親ってみんなこんな感じなの?」
「――。お前はどうなんだ。縮んでる自覚は」
悪びれず、模範的な父親とは程遠いロウアンの回答に、アルが呆れた風にぼやく。そのぼやきに反応するのを躊躇い、ハインケルはセシルスの方に話を振った。
その内容に、三枚目の干し肉に突入するセシルスが「そうですねえ」と笑い、
「自覚の有無について言われればありませんね! 縮むも伸びるも僕は僕として舞台に上がった状態ですので!」
「そうかよ……」
「ただ! ただですよ! ボスとかグスタフさんとか島の皆さんとかその他諸々端役の方々が言っていた内容の辻褄は合うなと! これ伏線回収だなとは思いました!」
手近な机を叩いてセシルスは声を弾ませる。
本人は何かしら合点がいった顔だが、聞こえた会話をなぞっただけのハインケルにはチンプンカンプンだ。わかるのは、体が縮むなんて一大事を、父も子もどちらも大して深刻には受け止めていないということぐらいか。
「しかし、合点がいき申した。道理で、某と相対しても平然としたものと思っていたところでござんす。何しろ、別れ方が別れ方でござんしたから」
「ほほう? とんと記憶にありませんがいったい僕と父さんはどんな別れ方を――」
しみじみと顎を撫でながら、そうこぼしたロウアンにセシルスが首をひねる。
息子が忘れた父との別れ、ただしここまでのやり取りを鑑みるに、碌なものではなさそうだとハインケルは想像した。
そこへ――、
「――そこのクソは、閣下のクソ暗殺を企んでぶった斬られたクソ野郎だ」
尖った声が割り込んで、ハインケルたちの視線がそちらへ向いた。
すると、今の今まで爆睡していた小柄な髭犬人が、転がしておいた床の上で起き上がっている。胡坐を掻いた彼は、不機嫌そうな顔つきでロウアンを睨み、
「死んだはずのクソが生きてやがって、俺もクソほど驚いたぜ。セシルスのクソ馬鹿がしくじるなんて考えられねえってとこも合わせてな」
「おや、お目覚めですね、お犬さん。ワンワンとお元気そうで何よりです」
「てめえはてめえでクソ馬鹿してんな、クソが!」
声を荒げた髭犬人に、セシルスは唇を曲げて拗ねた顔をする。
その反応からして、髭犬人とセシルスは顔見知りらしい。もっとも、セシルスの方はそれを忘れているようだ。――否、ここまでの会話の流れからすると、縮む前のことを忘れているというのが正しいのかもしれない。
おかしな話だが、大人だった頃のことを忘れているから、ロウアンとも髭犬人とも会話が噛み合っていないのだろう。
「そういや、寝かされてたこちらさんは誰なんだ? ずいぶん元気だが……」
「おお、そちらの毛玉の御仁はグルービー一将でござんす。帝国の『九神将』のお一人であり申して、セシルスの同僚でござんすなぁ」
「グルービーって、グルービー・ガムレットか!」
張り込まれた意外な素性に、アルが思わず声を高くするが、ハインケルも同じような驚きを覚えさせられた。
なにせ道中、ロウアンからは大事な御仁と聞かされただけで、それ以上の情報を与えられずに手荷物として運んでいた相手だったのだ。
場合によっては、うっかり屍人の攻撃の盾にしかねない手荷物だった。
「ってことは、片方縮んじゃいるが、一将が二人もここに揃ってやがるのか。そりゃ思わぬ光明が見えてきたって言いたいとこだが……」
「――? なんでござんしょう」
「今、一将さんがとんでもねぇこと言ってなかったか? 皇帝暗殺を企んだ?」
そう話題を一手前にアルが戻すと、再び注目がロウアンへと集まる。
一瞬、髭犬人――グルービーの目覚めとセシルスとのやり取りに意識が持っていかれたが、確かに彼はそう言っていた。
その疑惑の眼差しに、ロウアンは「あちゃぁ」と額に手をやって、
「それに関しちゃ誤解がござんす。某は偉大なる皇帝閣下の暗殺なんて企んじゃぁござんせん。息子にそれをやらせようとしただけでござんして」
「……言い訳になってないだろ。じゃあ、お前たち親子は揃って皇帝暗殺未遂犯か?」
弁明の役目を果たさない弁明に、ハインケルは唖然としながら青髪の親子を見る。
皇帝が殺されたという話は聞かないから、あくまで未遂で片付いたという話なのだろうが、だとしてもとんでもない醜聞があったものだ。
しかし、そのハインケルの疑問にグルービーが「違ぇよ」と首を横に振った。
「このクソは、クソ親父がそんなこと企んでるって閣下に話したんだ。そのあと、てめえでクソ悪巧みにクソ親父ごと始末をつけたって話だ」
「でも、ついてねぇから生きてるんじゃねぇか?」
「それに関しちゃ俺もわからねえんだよ、クソが! おい、クソセシルス! てめえはどんなつもりでクソ親父を生かしやがった!?」
「さあ? たとえ僕のしたことと言われましても昨日の僕と今日の僕と明日の僕とではその瞬間に閃く名言や名演出の類も変わりますからね。ただ僕がやり損ねたとは考えにくいのであえてやらなかったというやつなのでは?」
ぴょんと立ち上がったグルービーがセシルスに詰め寄るも、似た背丈の少年は反省のない顔でひらひらと手を振り、答えは消えた上背の中と言わんばかりだ。
実際、理由を覚えていないであろうセシルスに聞いても水掛け論。そのわからない答えに固執するよりは――、
「青髪、なんでお前は皇帝の暗殺なんて企んだんだ? 国家転覆が目的か?」
「ははは、赤毛の、おかしなことを申すな申すな。目的は至極単純、皇帝閣下を手にかけたともあれば、帝国全土が息子の敵に回るでござんしょう」
「それは、そう、だろうな?」
「それが目的でござんす。帝国の兵共が喰うや寝るやを惜しまず襲ってくる状況……生と死の狭間で剣技を磨くのに、これ以上の環境はねえでござんしょう!」
「――――」
パンと、これ名案とばかりにロウアンが上機嫌に膝を叩く。
その彼の口にした理屈が全く理解できず、ハインケルは凝然と目を見張るしかない。一方、それを聞いたセシルスは「あーあーあー」と声を上げ、
「なるほどなるほど、それでですか! 僕に覚えはありませんが確かに父さんなら僕にそういうことさせますね。『天剣』へ至るためなら手段を選ばない!」
「お前の剣才は本物でござんす。……だのに、お前ときたら『天剣』目前で頭打ち。然らば多少、強引な手で殻を破らせんとそういう親心でござんした」
「はっはっは、親心なんてらしくもない! 父さんにそんな人間らしい感情が残ってるなら才能ある僕が生まれるまでに五人も六人も子殺ししないでしょうに」
「なんと! それは反論の余地がござんせん!」
大きな疑問が氷解したと、笑い合う親子の異様な笑声が響き渡る。
それをグルービーがしかめ面で、アルが首に手を当てながら聞いている中、ハインケルは目の前が揺れるような眩暈を覚えて壁に肩をぶつけた。
意味の、わからない親子関係だった。
いったい、何がそこまでさせるのか理解に苦しむ。途端に、一瞬前までの、ロウアンに抱いた微かな期待――最強とされる存在の父親という、自分と同じ立場の相手への共感めいたものが一気に薄れ、掻き消えた。
ヴォラキア皇帝の暗殺を企み、あまつさえ我が子に裏切られて目的に失敗し、死んだものとして扱われ、最悪の悪名を轟かせる立場。
それで何故、平然と笑えているのかハインケルには理解できなかった。
本国では、ハインケルも似たような立場だ。それでも息苦しくてたまらない。
王族の誘拐事件に関わったと、身に覚えのない罪を疑われているだけでも耐え難いほど息苦しいのに――。
「――お互い、ワケアリだってのは呑み込めた」
その眩暈を起こしたハインケルを余所に、アルが静かな声で切り出した。
彼も、その心中では直前の親子の会話やグルービーの立場など、色々と思うところはあるだろう。だが、それらの感情を丸ごと呑み込み、蓋をする。
それはアルがこの場において、目先の疑問より優先すべきものを決めているからだ。
「オレたちは全員、帝都に探し物なり目的なりがあるメンバーだ。別に誰の手を借りる必要もねぇ凄腕揃いかもしれねぇが、あえて協力者を拒否る理由もない。違うか?」
問いかけ、アルがぐるりと部屋の中の顔ぶれを見回す。
そのアルの問いかけに、グルービーが短い腕を組んで胸を張ると、
「俺ぁ目が覚めたばっかで、帝都がクソみてえに土臭ぇってことしかわかっちゃいねえ。おまけにクソ馬鹿とクソ馬鹿の親父と取り残されんのも御免だ。――クソ頭の回る閣下が何企んでるかもわからねえしな」
「さすがに、もう敵も味方もなしで死人を追っ払うのが第一目標……ってくらいは、オレたちと同じ意見でいてくれてるよな?」
「クソみてえな心配しなくても、そこはおんなじだろうよ」
鼻息荒く言い放って、グルービーはアルの意見に荒っぽい賛同を示す。次いで、その返事を受けたアルはセシルスの方を見て、
「お前と親父さんが特殊な親子関係ってのはわかった。その経緯があってなんで仲良く笑えてるのかわからねぇが、親の話でうぐぅってなるのはオレも同じだ。掘り下げねぇ。ただ、その代わりに――」
「そう不安げに言葉を選ばずとも心配いりませんよ、アルさん。先ほどの射手との戦いではアルさんの判断に救われた場面もありました。ので! 僕としてはひとまずアルさんと方針を違えてまで別へ向かう必要はないと思っています」
「そりゃ助かる。助かるついでに、気紛れにオレを殺そうとするのもなしにしてくれ。命がいくつあっても足りやしねぇ」
「ははは、命がいくつあっても! ナイスジョーク!」
「ジョークじゃねぇけども」
けらけらと楽しそうに笑い、親指を立てたセシルスにアルが嘆息。
それから、彼は最後にハインケルとロウアンの方をひとまとめに画角に収めると、
「親父さん、あんたは? どうする?」
「おおっと、兜の御仁! 息子と毛玉の御仁と比べて、某たちを誘う口調の重たいこと重たいこと……そりゃぁ、傷付くでござんしょう」
「今のとこ、あんたに対する印象わりと最悪だからね、オレ」
そう隻腕の肩をすくめ、アルは端的にロウアンへの印象を伝えると、そのままハインケルの方にも首を向けて、
「あの総力戦じゃいいとこなしだったかもだが、ここで姫さんを助ければ挽回できる。あんたの望みは姫さんなしじゃ叶わねぇ。だろ、ハインケルさんよ」
「俺は……」
アルからそう言われ、ハインケルは奥歯を噛みしめ、俯いた。
アルの言う通り、ハインケルがプリシラの陣営に加わっているのは欲しいものがあるからで、それは彼女が王選に勝ち抜くことで得られる褒美だ。
実質、ハインケル自身の貢献や実力なんて期待はされていない。あくまでハインケルに期待されているのは、他の候補者についているラインハルトへの牽制の役目。
そう考えれば、ハインケルがここでプリシラのためにいくら貢献したところで、本来の役割とは異なる成果を挙げただけの話だ。
それに――、
「――――」
一度、ハインケルは戦場で膝を屈し、抗うことを諦めてしまった。
この世のものとは思えない、天と地がひっくり返されたような光景を目の当たりにしたときに、心が折れてしまった。――ハインケルは、諦めようとしたのだ。
だから戦場を離れ、ロウアンに引きずられるままに酒に溺れ、全てに蓋をした。
なのに、思う。
「……ルアンナ」
みっともなくも、挽回の機会があると言われた心の内に未練が顔を出す。
逃げた場面も、諦めた心境もプリシラに見られていないなら、取り繕うことができるのなら、喉元を過ぎた恐怖に目をつむり、まだ手を伸ばしたいと。
「――。だが、何ができる? 雁首揃えてもたったの五人だ。この五人で、滅ぶか滅ばないかの帝国を救えるとでも言うってのか?」
「それは心外も心外な意見ですねえ。確かに頭数だけで見れば五人にしか見えないかもしれませんがその秘めたる力は僕一人で百人力どころではありませんから百万と四人と言い換えてもがもがもが」
「クソ黙ってろ」
自分の中で葛藤と戦いながら、ハインケルは勝算や先の展望を聞いた。
それに対するセシルスの益体のない軽口は、さすが一将のグルービーがその手で塞ぐ。塞ぎながら、「とはいえ」とグルービーもアルを見て、
「赤中年のクソ言う通りだ。いくら俺やらこのクソ馬鹿がいるっても、表のクソ共を皆殺しにするのは簡単じゃねえ」
「ちなみに僕はそれやらない方がいいと思ってまーす。理由は花形役者の勘!」
「クソ黙ってろ!」
今一度、口を塞ぐの塞がないので揉め始める二人はともかく、ハインケルの疑問は解消されないまま浮いた状態だ。
正直、ハインケルの心中はもはやある程度決まっている。諦めないで済むなら諦められない。あとはただ、理由が欲しいだけだ。
その理由を欲するハインケルに、アルは兜の金具を指で鳴らし、
「ハインケルさんの言う通り、オレたち五人で状況をひっくり返すってのはさすがに高望みしすぎだ。だから、オレたちがやるべきことは帝国を救うなんて偉業じゃねぇ。――道を付けとくことさ」
「道、でござんすか?」
瓢箪の中の酒を舐め、口を袖で拭ったロウアンの問いに「ああ」とアルが頷く。
彼はその首を巡らせ、閉じた窓――向こうに見える屍都と化した帝都を見据える。
そして――、
「帝国を救うのは英雄の仕事だ。オレたちは、そのための取っ掛かりを作っておくんだよ。できるだけ多く、手当たり次第に、何が役立つかわかりゃしねぇからな」
そのアルの、どこか確信めいたものを感じさせる言葉にハインケルは目を瞬かせた。
まるで、それをやってのける誰かに心当たりのある言いぶりだが、ハインケルにはもちろん心当たりはないし、ロウアンとグルービーも同じだろう。
ただし、埒外の存在はその一言にも目を輝かせ、
「――つまり、伏線ですね!!」
上機嫌に乗り気に、そう言い放つ幼い『青き雷光』はアルの方針を歓迎した。
この場の力関係的にも、それがここに会した五人の総意とされるのに、そう時間はかからなかった。




