第八章17 『魔法的アプローチ』
必要とされればされるほどに、これが未曾有の事態であるという確信が深まる。
かつてルグニカで起こった出来事を記した歴史書に、この異常事態とよく似た事例が記されてはいたが、一連の出来事の中でその事例の扱いは大きくはなかった。
――『亜人戦争』。
過去にルグニカで起こった大規模な内戦であり、そして現状と同じく、死者が敵として猛威を振るった事例を記した唯一の歴史だ。
ただし、史書の本命は人間族と亜人族との間の軋轢の方であり、内戦の一部で実行された非常識な攻撃の詳細は記されていなかった。
それが口惜しい。もしも、そのときの詳細がもっと深く記されていれば――、
「こんなッ連中に後れなんざ取らねェってのによォ!!」
咆哮と共に拳が振るわれ、青白い肌をした帝国兵の一団がまとめて吹き飛ぶ。
殴るというよりも薙ぎ払うに近い一撃は、踏みしめる大地からぐんぐん引き上げた活力を乗せて、力任せに放り込むように放たれたものだった。
そのまま立て続けに二度、三度と攻撃を繰り返し、そのたびに敵の陣形を弾き飛ばす。――否、陣形なんて大層なものではなかった。
一応は横並びに押し寄せてくる敵影だが、そこには統率や連携といった戦術めいたものはない。となれば、それは単なる個の塊だ。
個の塊同士であれば、ガーフィールも後れを取るような真似は晒さない。
ただし――、
「ぜあ! ずあ!」
鋭い踏み込みに合わせ、二連の斬撃がガーフィールの首筋を掠める。
産毛の逆立つ感覚に相手を睨めば、砕かれた屍人の破片を蹴破って飛び出したのは、他の屍人と纏う空気の異なった一体だった。
「ちッ」
舌打ちしながら肩を上げ、わずかに剣先の掠った首を確かめる。
一太刀目と二太刀目で、斬撃の射程が指先ほど違った。あえて躱しやすい一撃を見せ、二撃目で相手の首を落とそうとする達人の技だ。
陣形なしの個の塊に過ぎないが、時折、個の中にこうした業前の持ち主が混ざる。
これが案外厄介で、割合としては二十人に一人は腕利きがいるような想定だ。そのせいで迂闊に、連携があれば大丈夫と味方を後押しすることもできない。
見極め一つで、百人の陣形を一人の腕利きに崩壊させられかねないからだ。
「ぜあ! ずあ――!」
鼻面に皺を寄せるガーフィール、そこへ屍人が再び同じ二連の剣を放つ。
一度見せた技だけに、より大胆にその射程は変化した。先ほどは指先一つ分、今度は拳一個分の差だ。拳一つ深く斬り込まれれば、どんな浅手も致命傷になる。
しかし、技を放った屍人は目を見開き、勝利の確信とは対照的な顔をした。
理由は簡単――相手の、剣を持つ右腕が手首のところで砕かれたからだ。
「どんだッけ小細工かまそォが、伸びる剣の握りの位置ァ変わらねェ。『三つ首バルグレンも胴体は一個』ってェやつだ……ぜ!」
手首を砕いた左手を翻らせ、そのまま驚愕する相手の顔面に拳が吸い込まれる。
打撃、その衝撃が後頭部へ抜けた途端、果物が爆ぜるように屍人の頭が吹き飛んだ。そのまま頭の崩壊に合わせ、亀裂は胴体や脚部に向かい、全身が砕け散る。
「気に入らねェ」
打ち倒した敵の残骸を見下ろし、ガーフィールはそう吐き捨てる。
ガーフィールの苛立ちを誘ったのは、屍人のこのやられ方、滅び方だ。死したモノたちであるから、死に方というのは適切ではないだろうし、何よりもこの砕けて終わるというやられ方自体が、命あるモノと戦っている実感をガーフィールから奪う。
自分がいったい、何と戦っているのかといううすら寒い感覚だけが残るのだ。
「――――」
顎を伝う汗を腕で拭うガーフィール、その視線を巡らせれば、戦場となった夜の平野にはひっきりなしに屍人の兵の姿がある。
それを迎撃するべく、ガーフィールを含めた遅滞戦術部隊が奮戦中だ。
最初、ガーフィールが割り当てられたのは治癒魔法を活かした治療班だったが、負傷者の治療よりも負傷者を出さない方針の方がガーフィールの性に合った。
『ガーフさん、もじもじしてるの気になるっ! そんなに落ち着かないなら、直接戦ってる人たちの手助けしてきてっ』
とは、ガーフィールと同じ治療班で奮闘していたペトラの発言だ。
その言いなりというわけではないが、ガーフィールは外へ飛び出してきた。実際、志願したなりの成果は挙げられているとは思う。
しかし、自分がベストな働きをしているとまでは自惚れられない。
何故なら――、
「やレ――!!」
鋭い掛け声が夜闇に響き、直後、しなった弓の弦が弾かれる音が連鎖する。
それは『シュドラクの民』の族長であるタリッタの一声に従い、凄まじい密度で放たれる矢の雨あられだ。
一本一本の点ではなく、ひと塊の面となって落ちてくる矢を躱す術はなく、回避手段は受けるか弾くかしかないだろう。事実、矢を浴びる以外の選択肢が取れる屍人は、それぞれの得物や盾を用いてそれをやろうとした。
だが――、
「見えてんだヨ!」
「やったるノー!」
頭上に集中した屍人が、威勢のいい声が放った強弓で撥ねられる。
文字通り、射抜かれるなんて表現では生ぬるい、全速力の竜車に撥ねられるようなとんでもない衝撃が、防御姿勢を取った屍人を、その背後の一団をまとめて吹き飛ばす。
「俺様も負けちゃァいねェはずだが、ありゃとんでもねェぜ」
矢の雨による面制圧で弱い屍人を一掃し、その攻撃に生き残る強い屍人を強弓で狙撃する。狩猟民族の息の合った狩りのリズムは、ガーフィールを大いに感嘆させた。
ガーフィールであっても、矢で針鼠にされて動きを封じられ、そこにあの強弓を放り込まれたら大ダメージは避けられない。味方でよかったと思う戦術だ。
「まァ、あっちはあっちで意味わかんねェんだが……」
シュドラクの力量の高さと裏腹に、ガーフィールの感嘆を別の意味で勝ち取る集団――それは帝国で孤軍奮闘だったはずのスバルが引き連れていた、荒くれ揃いといった風体のものたちで、『プレアデス戦団』を自称している。
「やるぜやるぜやるぜやるぜ――!」
「最強! 無敵! 上等! 上等!!」
「うおおおお――!!」
と、夜戦の最中にもやかましさが尋常でない彼らは、ガーフィールの目から見ても突出して武芸に秀でているものが見当たらない。もちろん、一般的な帝国兵レベルには技を修めているものが多数なようだが、それにしてもだ。
その大半は洗練されたとは言い難い、本能に任せた暴れ方を良しとしている。
なのに、強い。もはや、大人と子どもみたいな身体能力の差なのだ。
「圧巻だナ。あれらの強さはいっそ清々しいゾ」
プレアデス戦団の戦いぶり、それを見やるガーフィールに声がかかる。振り向く前に隣に並んだのは、褐色の肌に髪を赤く染めた女性――ミゼルダだった。
その片足を木製の義足としたミゼルダが、戦団の暴れぶりに血の色の笑みを浮かべる。
「意味がわからねェが、大将絡みの連中だッかんな。何してんだァとは思っても、やべェことなんじゃねェかって心配はねェ」
「大将……スバルだナ。エミリアたち共々、ずいぶん信頼していル」
「ハッ! 信頼だァ? そんな言葉じゃァ足りねェよ。大将って男ァな、俺様のしてる期待と信頼の百倍で返してッくる男だぜ!」
誇張でも虚勢でもなく、ガーフィールは心から疑いゼロでそう称賛できる。そのガーフィールの答えに、ミゼルダの笑みの質が変わった。
好戦的なものから、理解を宿したどことなく穏やかなものへ。
「お前の気持ちもわかル。スバルは『血命の儀』でモ、その後の戦いでも私たちに証明し続けタ。戦士の魂ヲ。顔のよくない男だガ、タリッタの婿にしてもいイ」
「顔の話ァやめッてやれや! 目つきのこたァ大将も気にしてんだよ! それに……」
「それに?」
「どんなに大将に惚れ込まれッても、大将が惚れてる相手は決まってッかんなァ」
「――なるほド。そうだナ」
指で鼻を擦ったガーフィールに、ミゼルダも深く頷いた。
彼女の言葉がどこまで冗談で、どこまで純粋な称賛だったかわからないが、スバルがこの帝国でも評価されている事実はガーフィールにも誇らしい。
どこにいたって、スバルは周りの人間を巻き込んで大きな成果をもたらす。
だが、どこにいたってやっていけるだろうスバルに、それでも自分たちといてほしいと思うのがガーフィールの願いで、陣営全員の総意なのだ。
だからこうして帝国くんだりまで、危ない橋を渡ってみんなで駆け付けた。
「だってのに、俺様たちが大将とじゃれつく邪魔ァしやがって……ッ」
ガーフィールは武官であり、強さを競い合うのが大好きだ。が、誰彼構わず、時も場所も選ばないで戦いたいバトルジャンキーではない。
大事な相手との再会、それを喜び合う時間の邪魔をするようにひっきりなしに敵が湧き続ける状況なんて、嬉しさどころか憎たらしさしか込み上げてこなかった。
「しッかし、わッけのわからねェ連中だぜ」
「死したモノが蘇るという不自然ダ。お前の言うこともわかるガ……」
「あァ、いやそうじゃァねェんだよ」
「――?」
噛みしめた犬歯を軋らせ、呟いたガーフィールにミゼルダが片眉を上げる。
その疑念に応えるべく、ガーフィールは顎をしゃくり、今もなおシュドラクの矢に晒され続ける屍人の一団に視線を向けると、
「じっと見てるとわかんだが……こいつらのやられッ方も一辺倒じゃァねェ。矢の一本で壊れる奴もいりゃァ、矢が五本刺さっても壊れねェのもいやがる」
「獣にもしぶといものはいル。人もそうダ。同じことじゃないのカ?」
「強ェ弱ェの差があんのはわかる。けど、そォいうもんじゃなくて……」
うまく説明できないが、ガーフィールの目から見ても同じぐらいの強さの屍人でも、そのしぶとさの限度に差があるように感じる。
矢の当たった位置の急所か否か、そうでないかはあまり関係なく見える。目に突き立っていても大丈夫なものもいれば、肩に刺さって砕けるものもいるのだ。
単純な、生命力の強弱だけでは測り切れないような気が――。
「クソッ! 考えてッと頭がむしゃつく! 『今一歩のギルティラウ』だ。全部ぶっ潰せば、どのみちやれんだから……」
「――その考えこそ、『今一歩のギルティラウ』というものだーぁね」
瞬間、その声が頭上から降ってきたことにガーフィールの肩が強く跳ねる。
慌てて空を仰げば、厚い雲のかかった夜空からゆっくりと近付いてくる影があった。それはぐんぐんと、ガーフィールの視界で気に入らない男の形に肥大化する。
そして――、
「奮闘しているところ、邪魔させてもらうよーぉ」
「てめェ、ダドリー……ッ」
「おっと。やっと偽名が馴染んできたところで悪いんだけど、先ほどの会議で名前を隠す理由はなくなってねーぇ。これまで通り……」
「クソロズワール……ッ!」
「余計な冠はついているが、そちらで呼んでもらって構わないとーぉも」
そう、地上に降り立ったロズワールが笑い、ガーフィールの苛立ちを触発する。
ヴォラキアへの密入国以来、彼の顔の化粧と奇抜な衣装は鳴りを潜めたままだが、同じく封印されていたはずの独特な喋り方が復活していた。
偽名も解禁されたと聞けば、おそらくは竜車での話し合いがまとまったのだろう。
前もってオットーやフレデリカたちが話していた、帝国との関係の落とし所――スバルやエミリアの、その気持ちを曲げないままに。
それ自体は、ガーフィールにとっても喜ばしいことだが。
「話し合いが終わったッてんなら、どォなったのか聞かせてもらいてェとこだが……ベアトリス! 宗旨替えッか? この野郎と一緒ッなんざ珍しいじゃァねェか」
「必要に迫られて、なのよ。ベティーだって、できれば一秒もスバルの傍を離れたくなんてなかったかしら。でも、頼られたからには仕方ないのよ」
そう言って、ロズワールの腕からぴょんと離れたのはベアトリスだった。
このひと月ばかり、スバル不在の状況でも活動していたベアトリスは記憶に新しいが、何とかスバルとの合流が果たせた今、ベアトリスは今後二度とスバルの傍から離れない覚悟を決めているものとガーフィールは思っていた。
実際、連環竜車で目覚めたスバルをみんなでもみくちゃにする寸前は、完全に据わった目でブツブツとそんなことを言っていた彼女だ。
その彼女がスバルの傍を離れ、ロズワールとこうして戦場へ現れたのは――、
「ガーフィール、お前も感じた違和感の正体を突き止めにきたかしら」
「違和感の、正体?」
「敵を知らずに戦いに臨めば、得られる戦果は期待の半分にも満たない。補うためには敵を知ることだ。ましてや、この敵はあまりにも謎が多いからねーぇ」
抱えていたベアトリスに離れられ、心なしか寂しげに腕を振るロズワール。その二人の言葉に、ガーフィールは会議の前向きな決着と戦意の高揚を覚える。
たとえそれが、嫌いなロズワールが使者としてもたらしたものでも。
「ダドリーではなク、ロズワール……それがお前の名前というわけカ」
「ええ、ミゼルダ嬢。訳あって、名を偽っていたことをお詫びするよ。私だけでなく、エミリーことエミリア様もそうだからねーぇ」
「顔のいい男のしたことダ。許そウ」
「とんでもない判断基準なのよ……」
偽名問題について、ミゼルダが独特な価値観で消化する。
その傍ら、ガーフィールはロズワールとベアトリスの二人を眺めると、
「つまり、帝国ッでの戦いは続行で、てめェら二人がきてんのは……」
「理の外の出来事、その特定には理に干渉する術を持つ魔法の徒こそが適任かしら」
「ルグニカとヴォラキアの歴史的な共闘だ。王国が彼らに差し出せるもので一番価値があるのが、原因究明のための魔法的なアプローチというわーぁけだよ」
際限なく湧き続ける屍人、その原因の特定に魔法使いとしての知識が役立つなら、確かにエミリア陣営でロズワールとベアトリスより適任はいない。
エミリアは精霊術師で、ラムは感覚派、ペトラもまだまだ勉強中の身であるのだ。
「実際に長く戦ってみてどうだい? 何か掴めたことは?」
「――。倒しやすい奴と倒しづれェ奴の違いがわからねェ。強ェ弱ェとは別個のところに理由があんだと思うが……」
「ふむ。個体ごとの生存力、生命力の違いか」
細長い指を顎に当てて、考え込むロズワールにガーフィールは内心で舌打ち。
ロズワールの一挙一動が気に入らないのはそうだが、今の舌打ちは彼に対する苛立ちが理由ではなくて、その思考と知識に期待した事実に対してだ。
この状況において、ロズワールは頼もしいと素直に思ってしまったから。
「ロズワール、ぼんやり眺めてても答えには結び付かんのよ」
「同感だ。さて、そうなると……ベアトリス、マナの残量は?」
「スバルと会えて、絶好調かしら」
「いいだろう。でーぇは――」
ふっと笑ったロズワール、その左右色違いの瞳が細められると、直後、彼の周囲に色の異なる四色の光、マナが浮かび上がった。
ロズワールが指を鳴らすと、四色の光が矢のような速度で夜闇を走り、遠方にいる屍人の集団へと突き刺さり、それぞれの威力を発揮する。
屍人の一体が燃え上がり、また別の一体が氷漬けに。一体は風の刃で四肢を断たれ、一体は地面から突き出した岩塊に股下から貫かれる。
いずれも致命傷、一秒後にはひび割れる音を立てて粉々に砕ける破壊力。その結果にガーフィールも、ミゼルダさえもわずかに眉を上げて驚きを露わにした。
「報告にあった通り、一番効き目があるのは火属性だーぁね。風は通りが悪いし、土は打撃と扱いが変わらない。氷漬けは燃費が悪そうだ」
しかし、その実行者であるロズワールは屍人を倒した事実ではなく、倒された屍人たちへの攻撃の通りで、その強度の当たりを付けている。
そして、ベアトリスもまたロズワールとは違う形で同じ検証を始めていた。
「――ヴィータ」
夜空に手をかざしたベアトリス、彼女の詠唱する魔法が干渉したのは、その空を切り裂きながら飛んでいく、『シュドラクの民』が放った矢の雨だ。
屍人のたちへと面制圧を仕掛ける無数の矢が、ベアトリスの陰魔法の効果――その、対象の重さを変える魔法により、重量を数倍して敵へ降り注ぐ。
その威力の増大は、屍人ごと地面を穿つ壮絶な音からも想像がついた。
「ガーフィールの言う通り、矢の重さを変えて威力が違うのに、倒れるゾンビと倒れないゾンビがいるのは説明がつかないのよ」
「全ッ部の矢を重くッしちまったら区別つかねェんじゃァねェのか?」
「ベティーを馬鹿にするんじゃないかしら。矢の全部をおんなじ重さにしたんじゃなく、一本ずつ重さは変えて試したのよ」
童女のように頬を膨らませて怒るベアトリスだが、馬鹿にするなと答えた彼女の発言の方がよほど馬鹿げていた。
ガーフィールも、治癒魔法特化ではあるが魔法を使える立場として、ベアトリスのやっている魔法の操作の精密さはわかるつもりだ。
彼女が今魔法でやったことは、手を使わないでたくさんの針に糸を通すのを一発でやってのけたと等しい難易度だとわかる。
しかも、ベアトリスとロズワールの二人は――、
「崩れる原因は四肢の喪失じゃーぁない。急所を抉られても無事なものもいる。外見こそ人型ではあるが、生き物として考えるのはやめた方がよさそうだーぁね」
「笑って怒って喋る奴までいるのに生き物じゃない扱いは、お前以外には簡単にできるもんじゃないかしら。――一定のダメージの蓄積が条件かもしれんのよ」
「ずいぶんと心外な評価だ。これでも、君たちと過ごしてかなり人間性を取り戻しているつもりなんだがねーぇ。片足が吹き飛ぶだけで倒せるものもいる。ダメージの蓄積という条件だとすると腑に落ちないかーぁな」
「単純な耐久力の個体差で片付けるのは暴論かしら」
「それ以外の理由があるだろう。マナの流れは均等だ」
「確かに均等……待つのよ。均等すぎるかしら」
合間に茶々を入れ合いながらも、ロズワールとベアトリスの敵の考察が進む。
驚くべきことに、二人はそうしてかけ合いながら、それぞれの得意分野の魔法を駆使して、飛びかかってくる屍人たちの性質をチェックしているのだ。
炎が、風が、紫矢が荒れ狂い、屍人たちは背中合わせに戦う二人に近付けない。
もちろん、二人に近付かせないためにガーフィールとミゼルダも、屍人への攻撃は行っているが、それがなくてもロズワールたちはびくともしないだろう。
これは、ベアトリスが絶対に嫌がるだろうから口には出さないが――、
「これ以上なく息の合った二人だナ」
「絶対ッに聞かせッられねェ」
ガーフィールの考えたことと、全く同じ評価を下すミゼルダ。
そう評せざるを得ない連携を見せながら、そう思われているとは知らないベアトリスが眉尻を下げ、「ロズワール!」と彼のことを呼びながら、
「一回、触ってくるのよ」
「――無茶を言う」
言い残したベアトリスが、その足で地面を軽く蹴り、前へ跳んだ。
ひらりとドレスの裾を翻らせ、ベアトリスの小さな体が軽やかに舞い上がる。これも陰魔法を用い、自分の重量を消した不自然な跳躍だ。
そのままベアトリスが向かったのは、彼女に背を向ける一体の屍人――それは、ベアトリス接近の気配を察し、彼女へと振り向く。
「ジワルド」
刹那、ベアトリスへ剣を振るおうとした屍人の、剣を持つ右手が蒸発した。
屍人を指差すロズワール、その指先から放たれた白い光が相手の腕を焼いたのだ。驚愕に硬直する屍人、その額にベアトリスの手が当てられる。
そうして、ベアトリスの特徴的な紋様の浮かぶ瞳が見開かれ、
「やっぱりかしら」
そうこぼしたベアトリスの体が、細い腰に腕を回して引き下げられる。
ベアトリスの体を抱き寄せ、前後を入れ替えたロズワールは、彼女を抱くのと反対の腕で鋭い拳打を放ち、それで硬直が解ける前の屍人の頭部を打ち砕いた。
「やれやれ、スバルくんに怒られるのは私なんだが?」
「そして、スバルから称賛されるのがベティーなのよ。――復元魔法かしら」
「――そういうことか」
ベアトリスの無謀に苦言を呈したロズワールが、謝罪の代わりに告げられた言葉にその黄色い方の眼をつむった。
今の屍人との接触で、ベアトリスは何らかの確信を得た。それが少ない言葉でロズワールには伝わったようだが、生憎とガーフィールにはチンプンカンプンだ。
「オイ、ちっともッわからねェぞ! エミリア様にもわかるよォに説明しろや!」
「大体、エミリアとガーフィールの理解度はおんなじくらいなのよ。――ゾンビたちの体の構造、そのメカニズムがわかったかしら」
「だァから、それがなんだって聞いてんだよォ」
歯軋りしながら疑問を呈するガーフィール。
ガーフィールも、復元魔法というものの存在は知っている。破損した物を修復するための魔法であり、一流の使い手は燃えた本を灰から元通りにすらできると聞く。
ただし、使い手は少なく、絶妙な魔力の精度が必要なのと、修復品には質の劣化が起こりやすいなどのデメリットも目立つそうだ。
そして何よりも、命の復元なんてできない。――それは復元や修復ではなく、それこそたびたび話題に挙がった『不死王の秘蹟』のような禁術の領域だ。
「先生は容れ物にマナを選び、私は容れ物に血を選んだ。――だが、この『敵』は容れ物に土を選んで、中身がこぼれるのは厭わないのか」
ベアトリスの与えた天啓に、口元を押さえたロズワールがそうこぼす。
なおも、ガーフィールの理解は二人に及んでいないが、それがひどく物騒で、ガーフィールにとっても不愉快な答えに結び付く道なのは直感できた。
そして、そのガーフィールを余所に、ロズワールは険しい表情でベアトリスを見る。
「ベアトリス、これは『不死王の秘蹟』ではないね?」
「……原点は同じで、アプローチの仕方が違うのよ。『不死王の秘蹟』は容れ物が先、魂があとかしら。でも、このゾンビたちは」
「魂が先で、容れ物があと。――肉体は、魂に合わせて形を変える」
そのロズワールの一言に、ベアトリスが深々と頷いた。
相変わらず、二人のやり取りの肝心な部分がわからない。そう苦い思いを堪えるガーフィールは、そこで思わず自分の目を疑った。
「――――」
ガーフィール以上に、苦々しいものを噛みしめる表情のロズワールがそこにいた。
彼がこうも表情を歪ませるなんて、想像もしなかった顔だ。――否、いつか土手っ腹にパンチをぶち込んで、苦悶の表情を浮かばせてやりたいとは思っていたが、そうしたガーフィールの願望と無関係に、ロズワールは苦悩していた。
その苦悩を瞳に滲ませたまま、ロズワールは口を開く。
「――『敵』の正体に、心当たりがあるかもしれない」
「――ッ、本当ッかよ! だったら……」
「だが、待ってくれ。そんなはずがないんだ。だって、奴はこの手で……」
直前までの余裕が消えて、ロズワールの声には躊躇いと疑念が満ちていた。
明言を避ける彼の態度にガーフィールは目を瞬かせ、すぐに歯を剥く。これがガーフィール自身なら、思いつきも頓珍漢なものが飛び出す可能性はあるだろう。
しかし、その思いつきをしたのはガーフィールではなく、ロズワールなのだ。
「てめェ、そんな弱いこと言ってる場合じゃァねェだろォが」
「――――」
「ロズワール、一個聞かせるのよ」
胸倉を掴みにいこうかと前のめりになるガーフィール。だが、その手が乱暴に伸びるより早く、ベアトリスの声が押し黙ったロズワールを打った。
ベアトリスはロズワールを見つめ、彼が自分を見るのを待ってから、
「お前の躊躇いの原因は、お母様絡みだからかしら?」
「……そんなに私はわかりやすいかい?」
「お前がそんなに動揺するなんて、お母様絡みぐらいしかないのよ。あとは、最近だとラムのことかしら」
「君に何かあっても一喜一憂する自信が私にはあるんだがね」
そう、苦笑と共に答えたロズワールは、強く目をつむり、頬を引き締めた。そして瞳を開いた彼は、直前の躊躇いと弱さを押しのけて、頷く。
「ベアトリスの見立てが正しい。ゾンビたちが元の死体なしでも蘇る仕組みは、復元魔法が応用されたものだ。その前提として魂を下ろす必要があるが、これには『不死王の秘蹟』が応用されているはず」
「復元魔法も『不死王の秘蹟』も、術理がわかればすぐ使えるものじゃないのよ。そもそも、原理が違いすぎる魔法の組み合わせなんてそんな荒業、できるのは一握りの天才なんて話じゃ利かないかしら。それができるのは……」
「――先生の系譜だ。だが、先生ではありえない。つまり」
ロズワールの口にする『先生』と、ベアトリスの口にする『お母様』は同一人物で、ガーフィールにとっても全く無縁の相手とは言えない人物だ。
同じ名前を冠するものが複数いるせいでややこしいが、その『魔女』の名前が関わっていると聞くと、途端にガーフィールにも納得が芽生える。
ベアトリスの一言で苦悩を断ち切り、認めたくないことを認めようとするロズワールの姿勢も、ガーフィールの納得に一役買ったかもしれない。
しかし――、
「――無粋な眼差しダ」
不意に、そう低い声でミゼルダが呟く。
魔法への近しさが理由で、ガーフィール以上にロズワールとベアトリスの会話についていけていないだろうミゼルダは、ロズワールの苦悩の原因についての理解を放棄し、ひたすらに屍人への攻撃に集中していた。
その彼女が足を止めて頭上を仰ぎ、凛々しい眼を攻撃的に細めている。
狩人の眼差しが鋭く射抜く相手、そちらへガーフィールも目をやり、喉が鳴った。そしてそれはガーフィールだけでなく、ベアトリスとロズワールも同じだ。
もっとも、ガーフィールたち三人の反応の理由は少しずつ違うだろう。
ガーフィールにとっては、そこにいるはずのない親しい人影を見たから。
ベアトリスとロズワールにとっては、もっとネガティブな感覚が理由のようだった。
――夜空に、桃色の長い髪をなびかせる黒衣の少女の姿がある。
それはガーフィールの、物心ついた頃から慕っている存在と同じ顔で、しかしガーフィールに向けたことのない冷たい眼でこちらを見下ろしていて。
「望ましくはありませんでしたが、実践に成功……どうやら、この世界は私を一つの命として認めたようです」
見知った顔は見知った声でそう呟いて、自分の顔に走ったひび割れをそっと手でなぞりながら、金色の瞳でガーフィールたちをねめつけた。
それを受け、ごくりと唾を呑み込む音がして、ロズワールが口を開く。
「生きていたのか……スピンクス」
「いいえ、死んでいます。――要・観察です」
まるで、おちょくるような淡々とした声で、その少女――ガーフィールの祖母であるリューズと瓜二つの姿をした『魔女』、スピンクスは屍人の顔でそう言った。