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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章16 『屍人災害』



 ――血の気の引いた青白い肌と、黒い眼の中に浮かび上がる金色の瞳。


 突如として現れた屍人の軍勢、それは帝都ルプガナを巡って攻防戦を繰り広げていた帝国軍と反乱軍、その両軍に文字通りの冷や水を浴びせた。

 帝国の覇権を競い合う生者同士の戦いは、いつしか生者と死者の生存競争へと在り方を変え、その過酷さの濃度を増しつつあった。


「うああああ――!!」


 大きく声を上げ、振りかぶった両手剣を正面の敵に叩き込む。

 どこで拾ったのか、ボロボロの剣を掲げて相手は受けようとしたが、なりふり構わない一撃はその脆くなった剣をへし折り、そのまま敵の頭蓋に突き刺さった。

 頭蓋の砕ける感触、しかし続くのは血と脳漿が噴き出す壮絶な光景ではなく、まるで陶器製の壺が割れるような、およそ人間の死に方とは思えない破片が散らばる光景だ。


 人非ざるモノたちは、その見てくれだけでなく、死に方さえも人の道を外れている。

 帝国に生きる一人として、その外見に突飛な特徴を持つような種族も目にする機会はあるが、腕や目の数が違う相手であろうと、その死に様は変わらない。

 命あるものは、命あるものとして命を終えるのが道理だ。

 だが、この屍人たちにはそれがない。だから、こうも強く嫌悪を覚えるのだろうか。


 戦いに明け暮れ、他国と比べて命が安いとさえ言われる帝国であっても、この屍人たちのように命そのものを踏み躙るような在り方はしないのだから。


「戦線を支えろ! 皇帝閣下と市民を逃がせ!」


「「おお――ッ!!」」


『将』の一人が号令をかければ、周りの兵たちが熱に浮かされたように叫ぶ。

 屍人の軍勢と『雲龍』の暴走、帝都の北部にある貯水池の止水壁が破壊されるに至り、皇帝閣下は帝都の放棄と、全軍の撤退を決断した。

 帝国軍は一丸となり、皇帝と帝都市民の避難支援に全力を傾けている。皮肉なことに、この第三陣営の登場により、反乱軍との戦いは有耶無耶になった。今は正規兵と叛徒の区別なく、生者と死者の括りで敵味方が分けられ、激戦が続いている。

 今しがた、屍人の一体を撃破した帝国兵も踏みとどまる一人で、彼や周囲の兵たちは一体でも多くの屍人を足止めし、死出の道連れにできるか全力で抗っていた。


「連中が何なのかは全くわからん。だが……」

「皇帝閣下であれば!」

「必ずや、貴様らを根切りにする策を見出してくださる!」


 たとえ敵がなんであろうと、帝国の頂であるヴィンセント・ヴォラキアへの信頼は揺るがない。それが、兵たちが恐れることなく踏みとどまれる最大の理由だ。

 ヴィンセントは成果を出し続けてきた。帝国兵は、ヴィンセントの敵に流させた血と、積み上げた屍の数を彼への信頼の根拠とする。

 その統治の絶対さを思えば、気軽に反乱を企てたものたちとは戦意の純度が違う。

 それはそのまま、帝国を揺るがす屍人に対する戦意も同様だった。


「――っ! 全員、奴を仕留めろ!」


 再びの『将』の叫びは、ひと際体格の大きい屍人の猛撃に対するものだ。

 禿頭に巨体の屍人がその両腕を振り回し、立ちはだかる帝国兵を紙切れのように吹き飛ばしている。そのまま巨体に好きにさせていては、戦線に穴を開けられ、せっかく構築した防衛陣地がそこから崩されかねない。

 それを止めるべく、『将』の号令に従った兵たちが一気に巨体に飛びかかる。


「う、おおああああ!!」


 先に飛びかかった兵が殴られ、頭を潰された死体が飛んでくるのを掻い潜り、帝国兵は低い姿勢のまま巨体の足に斬りかかった。

 斬撃が入り、相手の体勢が崩れる。が、小癪な真似をした帝国兵を見下ろす金色の瞳と目が合い、誰かから毟り取った剣の先端が鈍く閃いた。

 その切っ先に串刺しにされる寸前、帝国兵の目の前に人影が割って入る。


「や、れえええ……っ」


 胸を貫かれ、血泡と共に叫んだのは『将』だった。

 その『将』に庇われた帝国兵は息を呑み、すぐにその背中から飛び出し、渾身の力で剣を振るい、巨体の屍人の頭を叩き潰した。

 衝撃で剣が半ばで折れたが、巨体は反撃することなく、その全身を砕け散らせる。


 どう、と背中から『将』が地面に倒れ、巨体の屍人と相打ちになった。

 胸を貫かれた『将』は事切れていて、帝国兵はその勇敢さを称賛しながら、折れた剣の代わりを『将』の手から拝借する。

 そして、次の敵を探して戦場に首を巡らせようとして――、


「クソったれ……」


 そう呟いた帝国兵は、被った兜を指で引き下げながら頬を歪めさせる。

 死線を潜ったばかりの帝国兵、その視界に飛び込んできたのは次なる屍人――それは、今しがた自分を庇って死んだ『将』と、同じ装備と顔をしていた。


『将』の屍は傍らに倒れていて、自分はその『将』の剣を握っている。

 それなのに、目の前には青白い顔と金色の瞳の、同じ『将』そのものが立っていて。


「クソったれ」


 戦友さえも、死してすぐに屍人となって敵に回る戦場。

 呪いたくなる水浸しの死地で、帝国兵は剣を振り上げ、命の限り戦い続けた。



                △▼△▼△▼△



 ――帝都ルプガナから撤退し、城塞都市ガークラを目指す連環竜車。


 その車内で結ばれた、エミリア陣営とヴォラキア帝国首脳陣との歴史的な同盟は、思わぬ形で横槍を入れられる形になっていた。

 もっとも、その横槍の原因はと言えば――、


「なんやの、ウチたちもえらいナツキくんを心配してたのに。そないに招いてへんお客さんの登場やなんて顔されたら悲しいやないの」


「そんな顔してねぇよ! ちゃんと会えたの喜んでるって。アナスタシアさんはもちろん、ユリウスのすまし顔だろうとちゃんと」


「すまし顔、というほど涼しい心境でもないがね。他ならぬ、君の姿が原因で」


 と、縮んだスバルを上から下までしげしげと眺めたのは、突如として連環竜車に合流したユリウスとアナスタシアの二人だった。

 当然ながら、ここで二人と出くわしたのはスバルにとって青天の霹靂だ。

 その驚き具合は、城郭都市でいきなりプリシラが空から降ってきたときに匹敵する。

 しかも、その二人がどうしてヴォラキア帝国にいるのか、その理由を察せられないほどスバルも鈍感ではないつもりだ。


「って言っても、エミリアたんたちが俺たちを探してくれてるのはともかく、アナスタシアさんたちまでってのは……わざわざ、カララギ経由で俺を?」


「そそ。ぐるーっと三国渡っての大冒険やったよ? ヴォラキアとの国境越えも簡単にできることやないし、贅沢に経費のかかる旅してしもたわぁ」


「うぐっ」


「ケチ臭いこと言いたないけど、ウチらが折った骨の値段、忘れんでくれたら嬉しいわぁ」


 帝国に飛ばされたのはスバルの不可抗力だが、かけた心配の話をされると胸が苦しい。まんまとアナスタシアの視線と言葉に、スバルは莫大な恩を売られかけた。

 が、そのアナスタシアの首元で、「アナ」と彼女を呼ぶ声がして、


「無闇にナツキくんをイジメるべきじゃない。今の彼の見た目もあって、どこからどう見てもアナの方が子どもをイジメる悪者だよ」


「お……」


 その声にスバルが眉を上げると、相手もそれに応えるように白い尾を振った。

 それは、キモノ姿のアナスタシアが肩に羽織った狐の襟巻きだ。すなわち、アナスタシアが連れている人工精霊のエキドナである。

 同じ名前の魔女と違い、共にプレアデス監視塔の修羅場を掻い潜った仲間の認識があるエキドナの存在、その一声にスバルもホッと安堵した。

 これで、プレアデス監視塔ではぐれた仲間のうち、あとで外のパトラッシュに顔を見せてやれれば、まだスバルの無事な顔を見せていないのはメィリィだけだ。

 ともあれ――、


「アナスタシアさん! ユリウスも、無事にヴォラキアにこられたのね」


「エミリアさんらも無事で何よりやったわ。道中の苦労話は……エミリアさんらより、先にナツキくんを見つけてへんかったから格好つかんだけやねえ」


「ううん、その気持ちがすごーく嬉しいもの。ありがとう」


 そのアナスタシアの登場を、エミリアも頬を緩めて歓迎する。

 ただでさえヴォラキア帝国で、挙句に内乱があってからの屍人災害だ。うっかり、アナスタシアたちと帝都で行き違わなくて本当によかったというべきだろう。

 そして、そんな思いがけない再会の喜びがひと段落したところで――、


「旧交は十分に温め終えたか? 知っていようが、軍議の時間は限られている」


 そう水を差したのは、ふてぶてしく腕を組んだアベルだった。

 彼にしては奇跡的な寛容さで空気を読んでいたが、いよいよ黙っているのも限界を迎えたらしい。嫌味を言いつつ、アベルはちらとスバルを横目にすると、


「またしても貴様の知己か。まさか、カララギにまで首を伸ばしていようとはな」


「それについてはちょっと複雑で、アナスタシアさんたちはカララギ側であってカララギ側じゃないっていうか……そこんとこ、どうなの?」


 首をひねったスバルの疑問は、アナスタシアたちの傍らに立つハリベルの存在が理由だ。スバルの視線にくわえた煙管を上下させる狼人、カララギ都市国家最強という肩書きの彼の存在は、アナスタシアたちの如何なる立場を示すのかと。


「その説明は引き取ろう。直接、飛竜船にまで乗せてもらった経緯をね」


 そのスバルの疑問に、左目の下の傷を指で拭ってユリウスが答える。

 美丈夫の横顔に新たに加わった白い傷は、その見慣れないワソー姿と相まってユリウスの凛とした精悍さを際立てていて、スバルは不思議な感覚を覚えた。

 その感じ方に『幼児化』の影響がないとは言わないが、それはおそらく、ユリウス側の変化こそが原因だろう。


 何となく、以前のユリウスよりも今の彼には余裕があるような気がする。

 以前も、『最優の騎士』としての優雅さのようなものはあったが、それは余裕とは違うもので、むしろ対極に位置するものだったようにも思える。

 長く、纏っていた鎧を脱ぎ捨てたような彼の態度、それがプレアデス監視塔の経験を経てのものなのか、それ以外の理由があったからなのかは定かではなかったが。


「――ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下、まずはご無事で何よりです。こうして再び拝謁の栄誉を賜り、望外の光栄の至り」


 そのスバルの印象を余所に、一歩前に出るユリウスがお辞儀と共に流麗に述べる。

 大柄なゴズに庇われる位置で立つアベルは、そのユリウスの挨拶に形のいい眉を寄せた。スバルも、ユリウスの「再び」という部分に違和感を抱く。


「再びと言ったな。だが、都市国家の一剣士と謁見した覚えも、貴様の顔にも覚えはない。いったい、何を以て再びなどと述べた?」


「畏れながら、一瞥の機会をいただいたことがございます。もっとも、そのときは都市国家の剣士ではなく、王国の騎士としてでしたが」


「王国の――」


 ヴォラキア皇帝であるアベル相手にも怖じないユリウス、彼の受け答えにアベルは思案げに黒瞳を細めたが、その記憶に思い当たる節はないようだ。

 これだけ堂々とした態度のユリウスが、まさか嘘を言っているはずもないだろう。となると、二人は実際に面識があるのに、アベルがそれを忘れているのだ。

 つまり、周囲がユリウスを忘却した『暴食』の影響がまだ回復していない証――。


「謀っている、にしては貴様の態度は腑に落ちぬ。――ベルステツ」


「は。私奴も、かの御仁をお見かけした覚えはございません」


「謁見の場に、ベルステツが居合わせぬ機会の方が稀だ。つまり、俺と貴様の間の問題ではなく、より広範囲の問題だな」


 一言、ベルステツからユリウスの記憶の有無を聞き出しただけで、アベルはユリウスと自分の間にある認識の齟齬、そこに特別な事情が絡んでいるのだと看破した。

 そのアベルの言動に、スバルは「こいつマジかよ」と呟かずにはおれない。


「普通、あっさり受け入れられるか? こんな馬鹿な話……」


「屍人が蘇り、皇帝が帝都から追いやられる有事の最中だ。事の大小で言えば、貴様の体が縮んでいることもそう大差はない。要は、可能性に思い至るかどうかだ」


「俺も自分が縮んだことが日常の一幕とは言わねぇけども」


 この世のどんな摩訶不思議も、思いつくことなら受け入れられる的な理論で話されても、はいそうですかと納得できるものではない。

 そうスバルが眉間に皺を寄せると、手を繋いだベアトリスが、反対の手でそのスバルの眉間の皺をぐりぐりと揉んでくれた。


「あんまり考えすぎないことかしら。それに聞き入れる度量がある方が、分からず屋されるよりずっと都合がいいのよ」


「……それはそう。あと、それ気持ちいいからもうちょっと続けてて」


「ラジャったかしら」


 ぐりぐりと、スバルがベアトリスに眉間マッサージを続けてもらう傍ら、挨拶の一幕で生じた疑問を解消されたユリウスが改めて本題へ入る。

 それは――、


「まず、こちらにいらっしゃる御方はアナスタシア・ホーシン様……察するに、すでにエミリア様の素性とお立場は明かされているご様子ですが、アナスタシア様もエミリア様と同じ立場の御方です」


「ほほう、エミリア嬢と。つまり、王国の次代の王候補が異国で揃い踏みというわけか。それはそれは、ずいぶんと愉快で稀有な状況だ」


 楽しげに顔の傷を歪めたセリーナ、彼女の言葉にユリウスが無言で顎を引く。その首肯を受け、帝国陣営の視線がエミリアに向くと、その視線に彼女は唇を綻ばせた。


「ええ、ユリウスの話はホントよ。私とアナスタシアさんはどっちも王選候補者で、お友達なの」


「一応、友達って話は王選が終わったあとって契約やけどね。――ご紹介の通り、ウチはカララギのホーシン商会の代表で、ルグニカ王国の王選候補者の一人や」


「大層な肩書きに加えて、またしても王国の人間か」


「肩書きで驚かせてしもたなら恐縮なんやけど、実は今のウチの肩書きはそれだけやないんよ。それが、ウチがわざわざ飛竜船で乗り付けた理由でな?」


 先ほど、帝国のトップとしてエミリアとの友好的な同盟が結ばれたばかり。そこに別の王国の人間が関わる事実で難色を示しかけたアベルに、アナスタシアが待ったをかけた。

 その、まだ語られていない肩書きがあると言い置いたアナスタシアに、エミリアがきょとんとした顔で指を唇に当てる。


「でも、アナスタシアさんは商会の代表で、王選候補者で……他にもまだあるの? あ、もしかしてミミたちがいる傭兵団の雇い主?」


「『鉄の牙』は括りとしてはホーシン商会の預かりやから、商会の代表って肩書きにわざわざ加えてへんよ。それとはまた、別個のお話やね」


「別個……」


 アナスタシアに不正解と告げられ、エミリアが可愛らしく悩んだ声で呟く。

 と、そのエミリアの様子に苦笑したアナスタシアの横で、ユリウスが彼女を手で示し、


「このたび、アナスタシア様はカララギの都市同盟――その使者の任を任され、帝国へ赴いておいでなのです」


「――カララギ都市同盟ですって!?」


 そのユリウスの答えに、声をひっくり返らせたのはオットーだ。

 思わず静観を破ってしまい、バツの悪そうな顔になるオットー。そのオットーに、スバルはちょうどいいと「都市同盟って?」と尋ねた。


「カララギは都市国家って冠で、たくさんの街がくっついた国とは聞いてるけど」


「――。その認識で間違いありませんよ。カララギ都市国家はざっくりと、十個の大都市がまとまってできている国家です。都市にはそれぞれ都市の代表である都市長がいて、その方々が連なる議会が都市同盟というわけです」


「へえ……プリステラの十人会みたいなもんか」


「というより、プリステラの十人会が都市同盟にあやかったものだろう。『水の羽衣亭』も然り、国境沿いのプリステラにはカララギの文化の流入が多い」


「あー、言われてみれば……」


 アナスタシアたちの招待で泊まった『水の羽衣亭』は、その内外にワフー様式というものが広がっていて、それはカララギから伝わったものという話だった。

 さらに遡れば、カララギのワフー様式そのものが、スバルの世界から持ち込まれた知識だろうと思っているのだが、それはいったん置いておく。

 ともあれ――、


「王国の王選候補者というだけでなく、使者として都市同盟の意向で帝国へ入ったとなれば穏やかではないぞ」


「せやね。ルグニカほどやないけど、ヴォラキアはカララギとも仲良しこよしとはとても言えんもん。ってより、帝国は基本どこともバチバチやん」


「皇帝が尖ってるせいだろうね。今後はちょっと角が丸くなるかもよ」


「黙れ」


 ずけずけとした物言いが気持ちいアナスタシアにスバルが便乗すると、アベルが表情を変えずにスバルへと悪罵を飛ばした。

 それにスバルは舌を出したが、そのアベルとのやり取りにユリウスがぎょっとする。

 そのまま彼は驚きの眼差しをスバルに向けてきたが、説明すれば長くなるので、スバルはユリウスにも舌を出すだけでその場を誤魔化した。


「ヴォラキアのわやくちゃした状況は、カララギにいたウチらの耳にも入ってる。でも、それにつけ込もて話で顔を出したわけやないよ」


「殊勝なことだ。だが、その意がまるでないではあるまい」


「そら、したたかやないとやってけんし。無償で助けられる方が居心地悪ない?」


「――。道理だな」


 アナスタシアの悪戯っぽい目に、アベルの視線が一瞬エミリアに向かった。

 当のエミリアはその視線に不思議そうな顔だが、アベルやアナスタシアからすれば、エミリアの善意の方がよほど計算違いなのだろう。

 さすがのスバルも、無償でアベルたちを助けるべしとまでは言わないし、そんなことを言ったらオットーから地獄の千本説教があるだろう。


 と、そこで「よろしいですか」としゃがれた声が発言の機会を求めた。

 ベルステツは、アベルの無言の肯定を得ると、アナスタシアとユリウスへと糸のように細い目を向けながら、


「少々解せないのですが、都市国家が現状の帝国へと使者を送った理由をお聞きしても? よもや、帝国の諸問題が貴国に及び、その追及とでも?」


「『時間とお金は等価値』やなんて考えのカララギでも、さすがに大わらわの真っ最中にお金の話はしにこぉへんよ。内政干渉なんて、よっぽど準備せんと損するだけやし」


「迂遠だな。言ったはずだぞ。時間は限られていると」


「せっかちさんやねえ。わかったわかった。――ハリベル」


「ん? 僕が話してええの?」


 話を進めたがる帝国首脳陣に、アナスタシアが傍らのハリベルを呼んだ。

 竜車の壁に寄りかかり、煙管の煙で輪っかを作っていたハリベルは、周囲から集まる視線に自分の顎の毛並みを撫で上げた。

 実にふさふさとしていて、いい毛並みだとスバルの目には映るが。


「そしたら話させてもらうけども……実はここしばらく、カララギで妙なことが起こっててん。僕、それ解決せぇて都市同盟にせっつかれとってなぁ」


「妙なこと?」


「君らも思い当たる節あるやろ? ――ホトケさんが動いててん」


「ほとけ?」


 気安く、ほんの少しもったいぶったハリベルの言葉にスバルは息を呑んだ。しかし、エ聞き慣れない単語を聞いたと、エミリアやゴズは首を傾げている。

 その反応に、ハリベルが「すまんすまん」と苦笑いし、


「せやせや、この言い方はカララギ弁やから通じひんのやったわ。ホトケさん言うんは、カララギでご遺体のことやねん。つまり……」


「――都市国家にも、屍人の被害が出ていたと?」


「そゆことやね」


 平然と、そう頷いたハリベルに改めてスバルと同じ衝撃がエミリアたちに広がる。

 帝都攻防戦に横殴りを仕掛けてきた屍人の軍勢、あれと同じことがカララギでも起こっていたというなら、事は帝国にとどまらない大事変ということになる。


「じ、じゃあ、下手したら世界規模で起こってるってのか? カララギの、そのゾンビの騒ぎってのはどうなったんだ?」


「ゾンビ?」


「動く死人のこと! 名前があった方がわかりやすいから」


「ははぁ、なるほどなるほど。なんや、知らん言葉やのに口に馴染むわなぁ」


 スバルの答えにくわえた煙管を上下させ、ハリベルがどこか上機嫌に答える。が、そのハリベルの反応がもどかしく、スバルは「ハリベルさん!」と前のめりになった。

 刻一刻と、もしも屍人の災害が拡大し続けているのだとしたら――。


「一刻の猶予もないってことになる。帝国にきてる場合じゃ……」


「心配せんと、カララギで起こったゾンビの騒ぎは僕がちゃぁんと片付けたわ。せやからカララギのことはバタバタせんで大丈夫」


「あ……」


「優しい子ぉやね、飴ちゃんやろか。……あ、僕、飴ちゃん持ってへんかったわ」


 袖を探るような仕草すらせず、ハリベルが軽い口調でスバルを宥める。思わず、前のめりになった姿勢を窘められた気がして、スバルは唇を尖らせた。


「こちらのハリベル氏の調査によれば、問題の屍人……いえ、ゾンビの被害が発生した流れを辿ると、徐々にその被害は帝国へ向かっているようだったと。故に、都市同盟は国内で起こった変事の究明と、貴国への注意喚起のため――」


「事情に詳しいハリベルをウチが雇って、都市同盟の使者ってお役目を引き受けたんよ。それで国境を越えるんも手助けしてもらえたってわけやね」


 ちゃんちゃん、とアナスタシアが都市同盟の使者を引き受けた経緯をそうまとめる。

 深刻にならないように気遣ってくれたのかもしれないが、生憎と、どれだけ気遣ったところで重たくならないわけにいかない内容の話だった。

 特に、カララギで先に屍人災害が起こっていたという事実は――、


「帝国に先んじて都市国家で事が起こっていた。となれば、此度の屍人の厄災は貴様たちの国から帝国へ持ち込まれたものとも言えるが?」


「それもありやけど、ウチたちは別の意見も持っとるよ」


「ほう。責任逃れでなくば、聞かせてみるがいい」


「カララギが最初のホトケさん……ゾンビの被害が出たとこやってのはそう。――でも、本命はヴォラキアで、カララギはその前の練習台やったんちゃうかな」


 アベルの意地の悪い物言いに、アナスタシアが変わらぬ態度でそう答える。

 そのはんなりとした態度と裏腹に、彼女の立てた仮説はかなりどぎつい内容だ。カララギは練習台で、ヴォラキアが本番という見方はあまりにも辛い。


「どうして、アナスタシアさんはそう思ったの? カララギでのことは本気じゃなく、ヴォラキアが本当の目的だって」


「被害規模、やね」


 スバルが抱いた疑問そのままを口にしたエミリアに、アナスタシアがそう答える。彼女はエミリアの紫紺の瞳に、自分の浅葱色の瞳の視線をぶつけながら、


「情報は錯綜しとったけど、ガークラで帝都の被害の第一報は届いたわ。正確な話やないにしても、帝都がゾンビに奪われてしもたんは本当なんやろ?」


「ヴォラキア帝国の中枢、その帝都ルプガナが奪われ、帝都市民の一斉避難が行われるような事態は尋常のことではありません。故に、この事態を引き起こした『敵』の思惑が帝国にあったのは間違いないかと」


「筋は通っている」


 アナスタシアとユリウスの立てる推論に、アベルは短くそう応じた。

 しかし、静かな黒瞳の奥で深謀を巡らせる皇帝は、「時に」と前置きし、その視線をハリベルの方へと向けた。


「都市国家で貴様が鎮めたと話した被害だが、実際には何が起こった? 帝国の情勢の如何に拘らず、都市国家が屍人に滅ぼされたとは聞いていないが?」


「せやね。そうなる前に僕が止めた……言うても、相手の狙いはカララギをめちゃめちゃにすることとちごて、アナ坊が言うたみたいに慣らしやったんちゃうかな」


「それ、どういうことなんだ?」


「単純な話、僕が出くわしたゾンビらは、街の人間と丸々全部入れ替わって、そのまんま生きてる人らと変わらん生活しとったんよ。入れ替わったんがバレへんようにや」


「な……」


 ハリベルの明かした事実に、思わずスバルは絶句した。

 そうして驚いたのはスバルだけではない。知恵者たちは揃って思案げな表情を浮かべ、スバルと同じ驚き役側の面々は声も出ない状況だ。

 それはそうだろう。今のハリベルの話は、あまりにも想定と違いすぎる。


「あの、あの屍人たちは生者を装うことすらすると言うのか!? 確かにラミア閣下は生前と変わらずお話されていたが……! だとしても!」


「生者と見れば、手当たり次第に襲いかかってくる相手という認識が崩れるな。知恵の巡るものがいるだけでも厄介だが、そうなると敵としての扱いが変わりすぎる。あまりにも面白くなってくる」


「何が面白いか、ドラクロイ上級伯! 不謹慎にもほどがあろう!!」


 その想定違いに対する驚愕の体現に、ゴズとセリーナが意見を戦わせる。

 だが、二人のああした反応は自然なものだ。実際、スバルも全く同じ意見になる。ただ戦えばいい相手ではなく、搦め手まで使われるとなると事だ。

 ましてや――、


「ねえ、ハリベルさん、街の人が全員『ぞんび』にされちゃったって言ってたけど……その街には、どのぐらいの数の人が住んでたの?」


 誰かが聞かなければいけない話題だった。

 それを、自分ではなく、エミリアに振らせてしまったことをスバルは後悔する。その後悔は、ハリベルの答えを聞いてより深く大きくなった。

 何故なら――、


「――ざっくり、二千人くらいやね」


「そんなに……」


 ハリベルの答えで、その被害の規模が明確に数字化される。

 想像してしまう被害規模、それはエミリアの表情を厳しく曇らせ、スバルの胸にも冷たく鋭い棘を打ち込んでくるものだった。

 しかし、そのハリベルの答えに傷付くだけでなく、先を見るものもいる。


「その規模が生者を装ったなら厄介と言わざるを得ん。何が切っ掛けで露呈した」


「バレた理由は、街に納入される物資の出入り。ある程度は偽装しとったんやろけど、生きてる人間と死んでる人間とでは数が合わんもん。ホトケさんに食べ物も飲み水も必要ないから、そこがズレてくるんやろうね」


「生者と死者の境か。――ゆかぬな」


 感情で足を止めてしまうスバルと違い、アベルやアナスタシアは足を止めない。

 その違いに悔しいものを覚える一方、この悔しさを捨ててはいけないと、それが必要なんだとアベルに語ったことも忘れたくない。


「ベルステツ、帝国の西部に一軍を置いていたな」


 そう奥歯を噛むスバルを余所に、アベルがベルステツへと問いを投げる。

 ベルステツは皇帝の問いに「は」と短く頷くと、


「西部、カララギとの国境沿いに不穏な動きがあると報告を受けておりました。まだ内乱の兆しが拡大する以前でしたが、反乱軍との対策と二極化するのを恐れ、牽制するようにと維持を。――まさか」


「軍を預けられているのは、グルービー・ガムレットであったはずだな」


 細い糸目がわずかに開かれ、ベルステツが驚愕を露わにする。その宰相の気付きに同意するように、アベルが小さく吐息をこぼした。

 その吐息が口にしたのは、確か『九神将』の一人――いまだに、スバルが顔を見る機会がなかった一将であったはずの人物だ。

 その人物の名前を口にし、アベルが物憂げに目を細めた理由は――、


「閣下! よもや……よもや! グルービー一将は!」


「都市国家との国境で不穏の牽制……それを理由に帝都での大戦に参加せず、事ここに至っても合流の動きがなければ、最悪を想定する他にない」


「最悪の想定、か。さしもの私も、それを愉快とは言い難いだろうな」


 ゴズが顔を赤くし、セリーナもその唇の薄い微笑を消している。

 そう重鎮たちが反応するのに頷いて、アベルは告げた。


「――グルービー・ガムレットとその一軍は、すでに屍人の手に落ちている。今後、こちらに合流してこなければ、その想定を含めるべきであろう」


「――ッ」


 そのアベルの言葉に、ゴズが総身を震わせて奥歯を噛み砕いた。

 それは比喩ではなく、本当に奥歯を噛み砕いたのだ。あまりの憤慨が、ゴズ・ラルフォンという戦士の全身を貫き、戦友を失った可能性が彼を強く打っている。

 実物を知らないスバルたちにとっても、それは静かな痛手でもあった。


「閣下、その想定通りに屍人が生者を装えるとすれば……」


「もはや、各地よりの報せはそれ単体では信頼性を損なった。情報の確度を高めずして、帝都奪還の戦いに身を投じるのは至難の業だ」


 届けられた報告、そのどれが味方の生者で、敵の死者のものであるかわからない。

 そんな恐ろしい可能性を提示され、スバルは息を呑んだ。


「つまり、それが都市同盟がアナスタシアさんに使者を任せた理由……」


「危機感、共有してもらえたやろ? こないなこと、絶対に広げたらあかん。せやから、信頼できる小勢だけで先行させてもろたんよ」


 頷くアナスタシアの言葉に、ユリウスとハリベルがそれぞれ首肯する。

 対屍人戦を始める上で、信頼できる個人戦力として選抜された二人というわけだ。


「リカードとか、ミミたちは?」


「国境で都市同盟と共同戦線を構築中。基本的には帝国には乗り込んでこぉへんよ。帝国で止めれんかったら、カララギも備えなならんもん」


「縁起でもないことやけど、勘弁な。まぁ、アナ坊の口が悪いんは今さらやし」


「ハリベル」


 不在の『鉄の牙』の居場所を答えたアナスタシアが、微笑みながらハリベルを見る。はんなりとした仕草で、頬に手を当てた彼女はハリベルを見据えたまま、


「一回目は見過ごしたけど、そのアナ坊って呼び方はやめや? ウチ、もう子どもやないし、カララギの代表でもあるんよ?」


「子どもやない言うても、子どもの頃とそう見かけ変わらんやん。昔、リカードとやんちゃしてた頃と性根も変わっとらんし……」


「ハリベル」


「わかったわかった、僕が悪かったわ」


 ひらひらと手を振り、ハリベルがアナスタシアに白旗を上げた。

 その二人の、どうやら気心の知れた関係も気になるところではあるが、目の前の重大事に比べたら些末事と言わざるを得ない。

 そう、この未曾有の屍人災害を防がなければならない状況からすれば――。


「改めて、カララギの都市同盟の考えをお伝えします。この、屍人の被害……ゾンビの被害を食い止めるべく、都市国家は帝国に可能な限りの支援を行いたいと」


「――。支援に関しての返答は詳細を詰めるとして、だ。貴様たちは、この事態を止めるための術に心当たりがあるのか?」


「それやけど、まぁホトケさんが起きてくるなんて自然現象ってこともないやん? 間違いなく、誰かのどぎつい考えが入っとるはずや。つまり――」


「――黒幕、術者、首謀者、なんて呼んでもええけど、その討伐」


 世界全土を危機に陥らせかねない大問題、それを止めるための方策。

 この問題を引き起こした張本人、姿かたちの見えないその『敵』を止めることが、ルグニカ王国、ヴォラキア帝国、カララギ都市国家の把握する最優先事項――。


「――正体不明の『敵』」


 小さく、その実態のわからない『敵』のことを思い浮かべ、スバルは呟く。

 いったい、『敵』はどんな姿かたちをして、どんな思想の下で、こんな恐ろしい蛮行を働くまでの用意を整えたのか。


 その、まだ見ぬ『敵』を討つために、どれほどの苦難と障害が待ち受けているのか、考えるだけでも冷や汗が背を伝う。

 だが――、


「――これだけのメンバーが集まってるんだ」


 怖気づきそうになるスバルの心を、それでも奮い立たせるのが周囲の顔ぶれ。

 スバルたちを探して帝国まできてくれたエミリアたちに、この帝国を守るために一丸となる覚悟を固めた帝国の首脳陣、そしてカララギからの頼もしい援軍。


「たとえ『敵』が何を企んでても、絶対に負けられやしねぇ――!」


 それが、ナツキ・スバルの偽らざる『敵』への宣戦布告だった。



                △▼△▼△▼△



 ――そう、スバルが連環竜車の車内で意気込んだのと、時は前後して。


 猛然と、破壊された止水壁から貯水池の水が流れ出し、帝都は水に呑まれていく。

 濁流が建物を押し流し、人も木々も区別なく引き裂いていく光景を眼下にしながら、高所へと逃れた青い髪の少年は、手で庇を作ってそれを眺めていた。


「いやはやできるだけ時間は稼いだつもりですが皆さん逃げ切れましたかね。意外とボスたちも頭に血が上って撤退の判断を誤ってなきゃいいんですが」


 そう軽妙に呟くのは、キモノ姿にゾーリを履いたセシルスだ。

 この壮大な帝都攻防戦において、状況の一変にあらゆる意味で関わった最大の難物、それを持ち前の直感と物語脳で特定し、世界の花形役者は場へ馳せ参じた。


 実際、セシルスのその勝手な独断専行がなければ、帝都はもっと早く水に呑まれ、より大勢が逃げ遅れて多大な被害が出ただろう。

 そういう意味では、セシルスの行動は誰にとっても予想外で、同時に多くの人間にとって幸運な結果を呼び込んだと言える。

 だがしかし、当事者であるセシルスにとってはそうではなかった。


 突如として現れた屍人の軍勢、形勢の変わってしまった帝都攻防戦、無粋な横槍で勝利をもぎ取ろうとする第三の『敵』を驚かせんと、セシルスは躍った。

 まさしく、世界を魅せるための活躍だったと自画自賛できる具合に。

 それなのに――、


「それにしても完全に予想外でした」


 そう呟くセシルスは、濁流に呑まれる帝都の中、自分と同じように高所へ逃れ、なおも生者への執着を失わない屍人たちの姿に指で頬を掻く。

 あれらが常外の存在で、セシルスも知らない術式によって甦らされたものたちであることは疑いようもない。

 実際、彼らをそうしたモノへ仕立て上げた存在にも出くわした。

 そこまでセシルスの直感が走った通りに事が運んだにも拘らず――、


「――まさか、件の術者を討っても事態が収まらないとは!」


 そう声を高くしたセシルスの足下に、屍人たちを蘇らせ、率いた術者が倒れている。

 桃色の美しい髪と長い耳、セシルスとそう変わらない年代にも見える幼い少女――それは『青き雷光』たるセシルスと対峙し、すでに事切れた『魔女』であった。



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単騎で魔女殺せるってセッシーやべえな 流石はラインハルトと同格の男
セッシーは本当にダメな子だなぁ
[良い点] セシルス敵になってなさそうで良かった [気になる点] 魔女って聖域編の最後にリューズさんの体で出てきたのだよね。エキドナ? [一言] 生きてる人間を装えるゾンビとか怖すぎだろ
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