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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第八章 『ヴィンセント・ヴォラキア』
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第八章14 『王国と帝国』



 ――プリシラとヨルナの未帰還。


 エミリアの口からもたらされた驚愕の情報、それが聞き間違いでないことは、室内の他の面々から異議が上がらないことからも明らかだった。

 帝都ルプガナを巡る攻防戦、帝国の正規兵と反乱を起こした叛徒との戦いの最中、プリシラとヨルナが果たした役割の大きさは想像がつく。

 それと同時に、スバルは一つの気付きに拳を強く固めた。


「タンザが暗い顔してたのは、それが理由か……」


 連環竜車のベッドでスバルが目覚め、見舞いに足を運んでくれた戦団のメンバー。その中でタンザがずっと浮かない顔でいたのは気になっていた。

 この先の方針をエミリアたちやアベルたちと話し合い、それが落ち着いてから改めてタンザの話を聞こうとは思っていたのだ。しかし、スバルがそれを実際に行動に移す前に、タンザの憂慮の理由はわかってしまった。


「じゃあ、二人が戻ってきてないってのに、帝都から離れてるのか!?」


「――。あの戦いに参戦し、未帰還のものを挙げればキリがない。無論、あれとヨルナ・ミシグレの存在は相応に大きかろうが、特別扱いはできぬ」


「けど、ヨルナさんは……それに! お前も、プリシラとは何か因縁があるはずだ」


 走る竜車の窓、流れる外の景色に目をやり、遠ざかる帝都を思いながらスバルはアベルにそう訴える。

 詳しい事情は聞いていない。ただ、城郭都市での窮地に駆け付けたプリシラは、おそらくはアベルを守るために文字通り飛んできたはずだ。

 その後のやり取りも、刃を向け合うような鋭さはありつつも、気心の知れた同士のある種の気安さのようなものはあったように思える。


 そのプリシラが置き去りなどと、アベルも心中穏やかではないはずだ。

 あるいは、先ほどスバルの部屋で彼が取り乱していたのも、死したチシャという人物のことだけが理由ではなかったのかもしれなかった。


「貴公、閣下になんという無礼な口を利く!」


 しかし、そのスバルの態度に異を唱えたのは、アベル本人ではなく傍らの大男だ。

 黄金の鎧を纏った傷顔の男、ゴズ・ラルフォンは火山の爆発みたいな音量で声を発しながら、忠誠を誓う皇帝へと詰め寄った少年を見下ろしてくる。


「帝都の状況の仔細を見れば、閣下が都を放棄されるのは当然のこと! 残った将兵や民草も、閣下の御判断の正しさはわかっていよう!」


「正しいとか正しくねぇって話はしてないんだよ。俺が言いたいのは……」


「貴公――!」


「やめよ、ゴズ・ラルフォン。それは、黙っていられぬ性の持ち主だ」


 なおも食い下がるスバルにゴズが顔を赤くしたが、それをアベルが手で制した。

 そのアベルの落ち着いた声音に、ゴズは開きかけた口を閉じ、恭しく頭を垂れる。一方でスバルは、バツの悪い顔でアベルを見やり、


「騒いで悪い。でも、おんなじことは言うぞ」


「ゴズめの言の通りだ。現状、帝都に残ることは命を捨てるに等しい。そのような判断はできん。無論、プリシラとヨルナ・ミシグレの安否は危ぶまれるが……」


「あのね、スバル、悪い話ばっかりじゃないの。……ううん、悪い話の中にも、ちゃんと希望もあるって話なんだけど」


 前に出かけたスバルの肩に手を置いたのは、眉尻を下げたエミリアだった。

 彼女も、スバルと同じでプリシラたちの安否を強く案じている側だ。その彼女が、希望があるというなら、それはスバルにとってもだった。


「希望って、どんな?」


「プリシラとヨルナさんって、どっちもすごーく強いんだけど、それだけじゃなくて、周りの子にも影響を与える力があるの」


「周りに……それは、うん。プリシラの方は知らないけど」


 魔都カオスフレームを支配するヨルナは、街の住人全員と自分の魂のパスを繋ぐ『魂婚術』という能力で、都市全体の力を底上げしていた。

 その原理はタンザにも適用されていて、見た目はただの愛らしい鹿娘でしかない彼女が比類ない力を発揮するのは、プレアデス戦団の全体強化とはまた別のものだ。

 それはかなり強力な支援効果であるらしく、カオスフレームからはるか離れた剣奴孤島でも効果が持続し、帝都の攻防戦でも――。


「……もしかして、タンザの強化がまだ切れてない?」


「それだけじゃなく、魔都から合流した連中の効果も継続中かしら」


「必然、その秘術の使い手であるヨルナ一将の命は無事ということよ。それが、心配性のエミリーがバタバタしないでいられる理由ね」


「そう、それでバタバタしてないのよ。それで、プリシラも同じなの」


「プリシラも、同じ?」


 スバルの推測を、ベアトリスとラムが裏付けてくれる。そこに続いたエミリアの一言、ヨルナとプリシラが同じという発言にスバルは眉を寄せた。

 それは単純に受け取れば、プリシラもヨルナと同じ技能の使い手ということだ。


「でも、プリシラらしいなんて思えない能力だし、第一、『魂婚術』を使うのはめちゃくちゃ難しいってアベルが言ってたはず。騙したのか?」


「たわけ。騙して俺に何の得がある。今さら貴様が俺をどう思うかなど気にも留めぬが、ここで無闇に反感を買う理由があるものか。頭を使え」


「それで俺の反感を買わないつもりなら、お前、皇帝向いてないぞ」


 今回のことがなくても、近い将来、必ずクーデターを起こされただろう振る舞い。

 それを指摘したスバルに、ゴズが再び怒りの形相になるも、それは隣に立っているベルステツが取り成して大ごとにならずに済んだ。


「ともあれ、ナツキさんのプリシラ様への印象はわからないではないですが、あの方はその『魂婚術』とやらの使い手ですよ。僕もこの目で見ました」


「オットーくんの言う通り、私も確認したよ。もっとも、ヨルナ一将の規格外な使い方とは違って、彼女の場合はお気に入りの従者くんぐらいの限定したものだけどね」


「お気に入りの、シュルトか。……そう言えば、アルは?」


 プリシラの未帰還と合わせ、話題が彼女らの陣営に向かったところで、スバルはこの場にも、連環竜車の中でも見かけていない鉄兜の男のことを問うた。

 主従揃って認めていないが、アルの立場はプリシラの騎士的なポジションだ。

 彼も飄々軽薄としているが、プリシラに対する忠誠心は確かにあった。当然、プリシラの未帰還に際し、アルが一番責任を感じるはずだ。


「……あの男なら、竜車に乗らずに帝都に残ったのよ。スバルの考えた通り、プリシラを探すために動いているかしら」


「あいつ……! まさか、一人で?」


「一人の方が小回りが利く、という意見だったわね。そこはラムも同感よ。あの状態の帝都に大勢残せばいいという話でもないもの」


「クソ、だからって……っ」


 不在のアルについての回答を得たが、それはスバルの眉間に皺を刻む事実だった。

 あれで、アルはかなり目端が利くし、実力以上に生き残るのに特化した人材だ。それでも、地力が実力者と比べて一歩劣るのは間違いない。

 そんな自覚があるくせに、アルはスバルに親身に協力してくれた。魔都でも、彼がいなければ命を落としていた局面が何度あったことか。


「プリシラ様の陣営については、トップであるプリシラ様。その従者であるアル殿と、同行していたハインケル殿が行方知れず。シュルトくんは部屋で安静にしている」


「ハインケルって……なんか、すげぇ嫌な覚えのある名前だけど……」


「呑んだくれよ」


「その説明だと伝わらんのよ。……ラインハルトの父親かしら」


「――! あのクソ親父! なんであんな奴が帝国に!?」


 目を剥いて、スバルは記憶の奥底から嫌な味のする思い出を引き上げた。

 水門都市プリステラで、団欒しかけた空気をぶち壊しにした男がハインケルだ。そう言えば彼はプリシラたちと一緒にいたようだが、帝国にもいたとは驚かされる。

 自分本位で身勝手、ヴォラキア帝国なんて絶対にきたがらないとも思えたが。


「でも、そのハインケルさんも行方不明で」


「プリシラたちと同じ未帰還者……クソ、どう思っていいのかわからねぇ」


 もちろん、死んでほしいとは思わないし、死ぬべきではないとも思う。

 一方で、好ましく思える相手ではないのだから、ラインハルトやヴィルヘルムを悲しませたくない以上の、生きていてほしいと願える理由のない相手だ。

 ただ、あの戦いに参加した結果というのは、思うところがあった。


「――――」


 ルグニカ王国の人間であり、『剣聖』ラインハルトの父親であるハインケル。

 そんな彼がヴォラキア帝国の戦いに巻き込まれ、挙句、命を落としたかもしれない状況というのは、彼と親しくない間柄のスバルでも苦いものを覚えた。

 何としても、スバルは大切な仲間たちと全員で、王国へ戻らなくてはならないとも。


 と、そうスバルが決意を強くしたところだ。


「プリシラ様とヨルナさんの事情はお伝えした通りです。その上で、今後の方針会議を始める前に、僕からしっかり明言しておきたいんですが」


 重たい沈黙が占めた室内、そう切り出したのはオットーだった。

 その場に立ち上がり、人差し指を一本だけ立てた彼は周囲の注目を集めると、


「ご承知のことと思いますが、僕たちは王国の人間です。国境を越えてはならない時期に境を跨いだ咎は認めた上で、言わせてもらいます」


「――述べるがいい」


「はい。――僕たちの目的は達しました。城塞都市ガークラへ入るなら、僕たちはそこから北上してカララギ都市国家を経由、ルグニカ王国へ帰国します」


 この、未曽有の危難に襲われる最中のヴォラキア帝国で、亡国の危機に見舞われるヴォラキア皇帝を前に、そうはっきりとオットーは断言した。



                △▼△▼△▼△



「――ナツキさんとエミリーは黙っていてください」


 と、スバルとエミリアが何かを言う前に言われ、出鼻を挫かれる。

 こちらに目線を向けないオットー、その直前の発言に目を丸くし、猛然と抗議しようとしたスバルとエミリアは、まんまと彼に先手を取られた形だ。


 だが、スバルとエミリアの反応は当然だろう。

 帝都があれほどの惨状に見舞われ、挙句にプリシラやヨルナの安否もわからない状況で帰国の算段を立てるなんて、そんなのはあまりにも。


「心がないとでも言いたげだけど、ラムもオットーの方針に賛成よ。レムと、ついでに手足の短いバルスも回収した。成果は十分だわ」


「ラム……っ」


「そんな物欲しそうな目をしてもダメよ、エミリー。あなたもわかるでしょう。ラムたちはたまたま失わずに済んだだけ。これ以上は危険すぎると」


 沈黙を命じられたスバルたちに代わり、口を開いたラムの意見はオットーへの賛意だ。

 縋るエミリアの眼差しにも冷淡な答えを返したラムは、椅子に座ったまま己の肘を抱くいつものポーズで目を細める。

 たまたま、失わずにこれただけ。――そう表現するラムの見立ては正しい。

 事実として、この場にプリシラやヨルナを連れ帰れなかった。それが、陣営の誰かにならない保証はどこにだってないのだ。


「ダドリー、お前も奥方と同じ意見か?」


「奥方ではないが、概ね、二人と同意見ではあるよ」


 そのやり取りの傍ら、そうロズワールに話題を振ったのは顔の白い傷が目立つ美女、セリーナと紹介された彼女だった。

 セリーナが奥方と呼んだのはラムのことだろうか。その疑惑に関しては否定しつつ、しかしロズワールもオットーたちと同意見の姿勢を示した。


「実際、私たちの目的だけ見れば完璧な達成と言える。少々彼の手足が短くなり、眠っていたはずの子がお転婆になっているが、上々の結果だ。ここで王国に撤退するのが、私にとって最も損する恐れのない判断だろうね」


「歯の生え揃っていないバルスなら、損失は最低限と言えるわね」


「歯ぐらい生え揃ってるっての……!」


 反論しないのをいいことに、スバルのサイズ感をラムがぼろくそに言う。が、マズい流れだとスバルは視線を彷徨わせた。

 オットーとラム、それにロズワールの三人はエミリア陣営の中でも現実的に知恵が回るため、方針決定会議でも強い発言力を持つ面子だ。

 エミリア陣営なんて冠にも拘らず、エミリアやその騎士であるスバルの意見が通らないことも普通にある。むしろ多めだ。


「こっちの味方はベア子だけか……」


「……スバルには悪いけど、ベティーもどっちかって言えばあっち寄りなのよ。スバルが縮んだことも含めて、帝国とこれ以上付き合うのは危なすぎるかしら」


「嘘だろ、お前まで!」


 思いがけない相棒の裏切りに、スバルは目を剥いて驚きを露わにする。

 だが、申し訳なさそうにしつつも、ベアトリスが「嘘なのよ」と言い出す気配はない。彼女は本気でスバルを案じるが故に、こうしたことを言っている。

 つまり――、


「スバル……」


「……俺と、エミリアたんだけ」


 きゅっと自分の白い手を握り、エミリアが紫紺の瞳を揺らめかせる。そんな彼女の呼びかけに喉を鳴らし、スバルはあまりの戦力不足に冷や汗を掻いた。

 せめて、この場にいない他の面子がいれば話も違ったはず――。


「言っておきますが、ペトラちゃんも僕たちと同じ意見ですよ。フレデリカさんも消極的ですが帰国寄り……ガーフィールだけお連れください」


「エミリアたんとガーフィールと俺だと!? 冗談も休み休み言え!」


「うう……なんだかすごーく頼りない……」


 希望的観測を現実的に砕かれ、スバルとエミリアの意見の頼りなさが強化された。

 これが殴り合いで決める会議なら、エミリアとガーフィールの存在で圧倒的有利だが、それ以外の会議ではひたすらに相性が悪い。


「ええい! いったい何の茶番だ! とても見ておられん!」


 と、そんなスバルたちのやり取りに、鼻息を荒くするのはゴズだ。

 先ほども、スバルのアベルに対する態度に物申していた彼にしてみれば、こちらの陣営の言動の全部が皇帝への不敬に感じられるのだろう。

 大股で進み出たゴズが、スバルの襟首を摘まんで持ち上げる。本当に、彼の太い指二本で摘ままれて、「うわ!」とスバルは仰天してしまった。


「これは帝国の問題だ! 貴公らが帝国民ではなく王国民であるというなら、立てた方針通りに早々に国境を渡るがいい! 貴公らの力など必要ない!」


「ま、待ってくれ! まだ、こっちの話がまとまってないから……」


「くどい――!!」


 ぶらぶらと足を浮かせたまま、ものすごい声量で殴られてスバルの目が回る。

 両手で耳を塞いでも、その防御を貫通するゴズの声はもはや兵器だ。ただ、彼の言い分は帝国の軍人としての矜持であって、スバルが従う道理はない。

 そしてそれは、スバル以外の余所者も同じだ。


「そこまでよ、ゴズさん。まずはスバルを下ろしてあげて、ちゃんと話しましょう」


 ぐっと、前に踏み出したのは自分の腰に手を当てたエミリアだった。

 彼女はスバルを摘まんでいるゴズを見上げ、気丈な意思を相手に伝える。その姿勢にゴズは太い眉を顰め、傷だらけの顔でエミリアを見下ろした。


「貴公も、この少年と同じ意見と見受ける! だが! 帝国の剣狼は施しなど受けん! 貴公らの助力は不要だ! 仲間と共に速やかに……」


「それ! 私、すごーく異論があるわ!」


「なに!?」


「私たちの力がいらないって! でも! 私そうは思わないから!」


「つられて声が大きくなってるのよ」


 ゴズの勢いに負けじと、エミリアの銀鈴の声音がどんどん大きくなる。

 美しさはそのままに、鈴というより鐘の音のようになったエミリアの声、それが真っ向から自分に異議を唱え、ゴズが表情を歪めた。

 その表情を歪めたゴズへと指を突き付け、エミリアは続ける。


「だって! 帝都での戦いでも、私やプリシラたちがいなかったらもっとみんなすごーく苦戦してたはずだもの!」


「――っ!」


「私たち! 手強かったでしょう、ベルステツさん!」


 大きい声で言いながら、エミリアがその話題の矛先をベルステツへ向けた。

 糸のように細い目をした老人はその突然の指名に動じることなく、「そうですな」と口元の髭を指でいじりながら、


「私奴からしても、ああも一将の方々が攻め切れないのは予想外でした。そこに彼女らの貢献があったのだとしたら……」


「こちらの立場で物を語るのも妙な気分だが、城から放たれたあの白い光……打ち消したのは、そこにいるドレスの娘だぞ」


「――それはそれは」


 顎をしゃくり、ベアトリスの功績をセリーナが口外する。それを聞かされ、あの光とどう関係があったのか、ベルステツの表情がわずかに引き締められた。

 スバルたちが戦場に到着する直前、危うく戦いを決めかねなかった一発――あれを打ち消したベアトリスの功績が語られるのは、相棒としても鼻が高い。


「どうだ、ゴズさん、前提が違ってきたんじゃないか? あんたは俺たちの力なんて必要ないっていうけど、いなかったらもっと状況は悪かったぜ」


「ええ! 具体的にはわからないけど、もっとひどくなってたと思うわ!」


「エミリー、そろそろボリュームを下げるかしら」


 スバルとエミリアの波状攻撃、それにセリーナと、結果的にベルステツも援護射撃した形になって、ゴズがわなわなと唇を震わせる。

 スバルたちが言い張るだけならまだしも、この状況でトップ会談に参加するセリーナたちが認めるのは、叩き上げの軍人感が強いゴズには効き目が高いようだ。

 しかし――、


「……確かに貴公らの貢献は認めよう。だが! そもそも、貴公らの中でも肝心の話がまとまっておらぬではないか!」


「それは……!」


「それはそう……」


 もっともな反論をされ、スバルとエミリアが意気消沈した。

 ここでゴズを言い負かしても、それは倒しやすい相手を倒したというだけで、スバルたちの考えが素通りするわけではないのだ。

 むしろ、必須なのはゴズよりもよほど手強い面子の説得なのである。


「薄情を承知で言わせてもらいますが」


 スバルが敵を再認識した途端、その敵が見計らったようにそう言い出した。

 嫌な予感しかしない切り出し方をしたオットーは、摘ままれたスバルと、それを摘まんでいるゴズを交互に見やり、


「ゴズ一将の仰る通り、これは帝国の問題です。必要に迫られた状況と違い、ここから積極的に関わるのは他国への内政干渉……国際問題になりかねません」


「ぐ……っ」


「第一、そうまでしてナツキさんが介入したがる理由は? どうせ、この帝国で今日まで知り合った人たちへの恩義とか情とか、そのあたりでしょう?」


「わかってますわかってますみたいな言い方すんな! それが悪いのかよ!」


「悪くありませんが、こういう説得もありますよ。――その、ナツキさんが見捨てられない方々を全員、帝国の外へお連れすると」


 理詰めで問題の解決を図るオットー、その主義の最大の威力が発揮され、スバルは彼が言い出したとんでもない提案に目を白黒させた。同じぐらい驚いたのか、ゴズも摘まんでいた指を滑らせ、スバルを床に落としたくらいである。

 当然、それにはエミリアも驚かされた。彼女は床に尻餅をついたスバルに手を貸しながら、「オットーくん?」と彼の方を見やり、


「それって、どういうこと? まさか、本当に……」


「ひねった意味なく、これは普通にそういう提案ですよ。この状況ですし、募った希望者を連れ出すくらいの無茶はしましょう。幸い、決定権はある」


 ちらと、オットーの視線がロズワールの方を向いた。

 帝国では身分を隠しているらしいロズワールだが、彼がエミリア陣営で一番の権力者であるのは事実。仮にオットーの意見が通った場合、亡命することになるものたちを受け入れる保証をするのはロズワールということになる。

 そして、そのオットーの挑戦的な物言いに、ロズワールは黄色い目を残してつむり、


「少なくとも、私の雇い主は拒まないだろうね。それで冒さなくていい危険を冒さず済むのなら、それぐらいは必要経費だと」


「考えの幼いバルスのことだから、引っかかっている相手の大半は戦う力のない人たちのはず。帝国にとっても、手放しても惜しくない相手でしょう」


 凄まじいレベルの交渉をしながら、スバルたちを余所に勝手に話が詰められる。

 ロズワールの規模の大きすぎる保身も、ラムのスバルの性格を見抜いた上での推測も、口を挟む余地が見出せず、まごつく間に話が進んでしまう。


「どうでしょう、皇帝閣下。自国の犠牲者を少しでも減らせるのなら、こちらの提案も悪いものではないのでは?」


「――。よくよく考えられた提案だ。易々と却下し難い類のな」


「恐縮です」


 アベルの口からも、隙のない提案であると肯定され、オットーが社交辞令的に一礼。もっとも、オットー的には内心で舌を出していてもおかしくない。

 帝国主義とオットーの相性は悪い。能力でなく、性格的にだ。


 スバルもそうだが、オットーも帝国が嫌いだろう。

 それは同意見だ。オットーはその上で、大事さをちゃんと選り分けられるだけ。


「ぐ……」


 まるで、乗るべき船の穴を勝手に補修され、違う船に作り変えられる気分だ。

 その船はスバルの望みと違う方向に帆を広げ、しかし、スバルの大切なものたちの命を守るために流れ流れ、向こう岸を目指していく。

 それが、スバルたちのために考え抜かれたものだとわかっているのだ。

 わかっていて、それでも。


「いかがです、ナツキさん。これが僕のできる最大限の譲歩と配慮です」


 頭ごなしにスバルの意見をはねつけるのではなく、できるだけスバルの意見を拾い、その上で安全も確保しようとするオットー。

 頼もしい男だと思っていたが、本気で意見が対立すると厄介すぎる男だった。この話し合いの前に酒を飲ませて、泥酔状態にしておくべきだった男。

 そのオットーの強すぎる理論武装に、ヒノキの棒しかないスバルがなんて――。


「――ねえ、アベル、聞かせてほしいことがあるの」


「エミリアたん?」


 不意に、スバルと同じ意見を持ちながらも、スバルと同じようにやり込められて悔しい思いをしているはずのエミリアが、そうアベルに声をかけた。

 その横顔を見て、スバルは目を見開く。

 やり込められ、どうにか打開策を探ろうと悔しい表情をしているスバルと違い、エミリアの瞳も横顔も、劣勢に陥っていなかった。

 その凛々しく勇敢なエミリアの呼びかけに、アベルの黒瞳が彼女を見る。

 無言で促され、エミリアの薄い唇が動いて、


「ヴォラキア帝国って、全部でどのぐらいの人がいるの?」


「――。このひと月の内乱でかなり数字を減らしただろうが、それ以前の状態でおおよそ五千万といったところだ」


「そう」


 眉を顰め、エミリアの質問にアベルがそう答える。その答えを聞いたエミリアは短く吐息をこぼすと、それから自分の唇に指を立てて、スバルを見た。

 そして――、


「ですって、スバル」


「――――」


 そう、エミリアがスバルに言った。

 一瞬、彼女から渡された言葉の意味を受け取り損ね、それからすぐにスバルは目を見開いて、頬を強張らせた。

 そうして、頬を硬くしたそれをどうすべきか刹那躊躇い、


「スバル、ベティーの意見は言ったのよ。でも」


「ベアトリス……」


「ベティーは、いつでもスバルの味方かしら」


 その躊躇うスバルの手を握って、ベアトリスの体が隣に寄り添ってくれる。

 ほとんどスバルと背丈の変わらないベアトリス、いつも以上に近くにある彼女の瞳に見据えられ、スバルは大きく息を吸って、吐いた。

 そのまま、エミリアの期待の眼差しを受けたまま、スバルはオットーを見た。

 彼を見上げて、言った。


「五千万だ」


「……なんです?」


 言い放った発言に、オットーが形のいい眉を寄せて聞き返した。

 その問い返された言葉に、スバルは胸を張り、頬を歪めて笑い、重ねて告げる。


「お前、さっき言っただろ。俺の見捨てられない人間全員、王国に連れてくって。だったら! 俺が見捨てられないのは五千万人だ!」


「――っ、ナツキさん!」


「わかってる! お前の方が正しい! 俺の方が無茶言ってる! みんなが俺とレムを助けにきてくれて、何言ってんだってのはわかってる! だけど!」


 眉を立てたオットーに手を突き出し、スバルは自嘲しながら自重しない。

 理詰めで追い込まれて、オットーとラムとロズワールに勝てるわけがなかった。だったらスバルは、エミリアとガーフィールが味方の状態でやれることをする。

 それはつまり、理詰めに正面から駄々をこねる感情論だった。


「とんでもなくヤバい状況なんだよ! 俺たちが抜けて、それで帝国がめちゃめちゃになったらどうする。考えただけでも、俺は飯が喉を通らねぇ!」


「僕たちが負う危険はどうなります。見ず知らずの五千万を救って、代わりに僕たちの誰かが死んだり、癒えない傷を負えばもっと苦しみますよ」


「俺たちの中の誰も死なせねぇし、そんな負債も負わせねぇ。それは絶対だ! それは絶対ってした上で、その上でなんだよ」


 低く、静かに追い詰めるオットーにスバルは言い返し、それからオットーではなく、その脇で片目をつむっているロズワールの方を見た。


「ロズワール! お前はわかってるはずだ。俺の絶対は、絶対だと」


「……私はダドリーだよ、スバルくん。とはいえ、君の絶対に期待をかける私がその問いに頷かないのは、いささか不誠実が過ぎるだろうね」


 迂遠な物言いだが、ロズワールはスバルの意見に両手を上げた。

『死に戻り』とは知らずとも、スバルの権能を知っているロズワールは、その権能に期待する分だけ、スバルの機嫌を損ねられない。

 そもそも、ここでロズワールの口車に乗れば、『聖域』の誓いはどうなる。


「ラム、お願い……」


「……エミリー、せめてラムを説得する材料はないの?」


「うんと頑張って、みんなの力になりたいって気持ちしかなくて……だから、お願い」


 反対ではエミリアが、ラムに対してとんでもなく力押しの頼み事をしている。

 スバルが同じことをすれば、容赦なく言葉のビンタで引っ叩くだろうラムも、そのエミリアの押し方には効果的な返答ができずにいた。

 そのまま、ラムは小さく吐息をこぼし、


「ラムは、レムが連れ帰れればそれでいいのよ。ただ、今のレムの様子を見ると、帝国の人間とずいぶん親しくなって……それを捨て置く真似をすれば、ようやく実感したばかりの姉の威厳に傷が付くわね」


「ラム……!」


「やめなさい、鬱陶しい」


 目をつむり、妥協の理由を自分から見つけてくれたラムにエミリアが抱き着く。その思い余ったエミリアの抱擁に、ラムが苦々しい顔でそう応じた。

 そうして、力技でしかない方法でロズワールとラムが陥落する。

 しかし――、


「オットー、頼む……!」


「エミリーと同じ泣き落としですか? 生憎、僕はラムさんとは違いますよ。支払う代償のわからない契約書にサインする馬鹿な真似はしません」


「ベア子からも頼むから……!」


「べ、ベティーも頼むのよ」


「二人がかりだろうと三人がかりだろうとダメです」


 スバルがベアトリスを促すと、ラムを抱きしめたエミリアが加わろうとするのをオットーがまたしても先んじて制した。

 情では動かないと完全に決めた顔つきのオットー、その頑なさはまるで狂気的な執着に取りつかれたロズワールを相手にしたときの手強さだ。しかし、今のオットーにはその印象を伝えるという悪口さえも通じないだろう。


「危険を冒すばかりで、ナツキさんたちの考えには利がない。泣き落としの条件も満たしていませんよ。ラムさんもダドリーも、二人を甘やかさないでください」


「おや、怒られてしまった」


「オットーの分際で生意気ね」


 オットーが厳しくそう言うと、ロズワールが肩をすくめ、ラムが眉を顰める。が、オットーの意見自体には異論はないのか、二人もそれ以上の口答えはしなかった。

 実際、オットーという砦が崩せなければ、状況を押し切ることはできない。

 全員が納得していない状況を、ただ立場で上から押し付けることをエミリアは、そしてエミリア陣営は良しとしないからだ。

 そこへ――、


「――利がないと言ったな。ならば、利があれば話は変わる」


「――――」


 スバルでもエミリアでもなく、そうアベルが口を挟んだ。

 話に割り込んでくる皇帝の行いに、オットーの視線が鋭くなる。スバルの軽口と違い、本格的に不敬な視線を振り返るオットーが皇帝に向けた。


「利があれば、です。いったい、どうするつもりですか? 言っておきますが、報償の類をいただいても割に合うとは到底……」


「――ルグニカ王国の王選候補者に対し、正式に協力を要請する」


「――っ」


 そのアベルの出した提案に、オットーが表情を強張らせ、喉を鳴らした。

 それと同時に表情に激震を走らせたのは、スバルたちよりも帝国サイドの人間だ。その言葉にセリーナは笑い、ベルステツが軽く糸目を見開く。

 そして、驚愕を顔面に張り付けたゴズはこの世の終わりのように両手を広げ、


「待ってください、閣下!! 王国に協力の要請とは……そのようなことは! この神聖ヴォラキア帝国で前例のないことで!!」


「前例の有無がどうした。それを言い出せば、帝都を無礼な奴輩に奪われ、こうしておめおめと撤退する無様な皇帝の前例があろうか。くだらぬ拘りだ」


「ですが! 他国を頼れば力がないと、剣狼に相応しからぬ決断をしたと将兵も国民も嘆きましょう! 畏れ多くも、皇帝閣下の威光が陰ります!!」


「威光が陰るか……くだらぬ憂慮だ」


 声を大にしたゴズの訴えに、アベルは首を横に振ってそう答えた。

 言い切られ、凝然とゴズが目を見開く。そのゴズを見返し、アベルは「ゴズ・ラルフォン」と臣下の名前を呼んだ。


「今、我らに必要なのは実の伴わぬ虚ろな威光か? ――そうではない。今、この帝国が欲するのは勝利だ。敵の喉笛を食い千切り、血を浴び、命を啜った先に手に入る勝利こそが帝国の明日を形作る」


「か、閣下……」


「その牙を突き立てる障害になり得るのなら、その全てがこのヴィンセント・ヴォラキアの敷く鉄血の掟の『敵』である。心して答えよ、ゴズ・ラルフォン」


「――――」


「――貴様は、俺の『敵』か?」


 そう静かに問われ、ゴズの総身が震えた。

 スバルと部屋で揉み合った形跡などどこにもなく、そうして真っ直ぐに立ち、皇帝としての威を示したアベルには力がある。

 それこそ視線にも、声にも、存在そのものにも他者を圧する力があり、ゴズはそれを間近で真っ向から、自分一人で受け止めることになった。

 そして、ゴズは時間にすれば五秒もなかっただろう思案の時間を経て――、


「閣下の御時間を奪い、大変な失礼を。――このゴズ・ラルフォン! 閣下が御前に立ち塞がる障害の数々を打ち砕く戦槌! 決して! 閣下の『敵』ではございませぬ!!」


「であるならばよい。貴様の働きが頼りだ。一層励め」


「は!! ……は!?」


 ゴズの大音量の答えに頷いて、アベルが臣下の働きに期待すると応じる。それを力強く受け止めたあとで、ゴズは雷に打たれたような声を上げた。

 たぶん、彼の驚きの原因は付け加えられたアベルの一言だ。


「――っ、奮励いたします!!」


 ぶわっと、直後に込み上げる涙を滂沱と流しながら、ゴズが太い腕で自分の顔を拭ってアベルに震え声で改めて誓った。

 それを尻目に、アベルはちらとセリーナとベルステツの二人に目をやると、


「貴様たちも、異論はないな」


「ない。私好みの顔つきで、より一層、閣下への忠義が高まった気分だ」


「私奴からもありません。いささか以上に驚いた、という以外は」


「ふん」


 笑んだセリーナと再び糸目のベルステツ、二人の態度に鼻を鳴らしたあとで、それからアベルは進み出ると、エミリアの正面に立った。

 そして、目をぱちくりさせているエミリアを見つめ、


「聞いた通りだ、王選候補者よ。ヴォラキア帝国は正式に、事態を収めるためにルグニカ王国に協力を要請する。――力を貸せ」


「……あのね、アベル。私もホントに力になってあげたいの。でも、私はその王選候補者ってすごーく全然ちっとも知らなくて」


「エミリアたん、違うよ! ここ、バラしていいところだよ!」


「え!? そうなの!?」


 アベルからの申し出に、本当に心苦しそうだったエミリアが目を丸くする。

 その彼女にスバルとベアトリスが何度も頷き返すと、エミリアはさらに確認するために抱きしめているラムを見た。

 すると、ラムはそのエミリアの腕を振りほどいて、逆に彼女の背中を押す。


「ええ、そうよ。――どうぞ、好きにしなさい、エミリア様」


「――ぁ」


 ラムの口から『エミリア』と呼ばれ、エミリアは驚いたあと、目を輝かせた。それから喜びを瞬きで瞼の裏に隠し、改めてアベルと向き直る。

 微かに眉を顰めたまま、仕切り直しを待つアベルに「おほん」とエミリアは咳払いし、


「私はエミリア、ただのエミリアよ。ルグニカ王国の、次の王様を決めるための王選候補者の一人。そして今、危ない帝国を手助けしたいと思ってる一人」


「――。これは正式な要請だ。ヴォラキア帝国が他国の人間、それも重責を担う立場にあるものに協力を仰ぐことなどない。それ故に、この事実が公になれば、王国で玉座を競う貴様にとっても追い風に……」


「もう! そういうことは後回しでいいの! 今したいのはこれ!」


 つらつらと、堅苦しい理屈を並べようとしたアベルにエミリアが頬を膨らませる。その可愛い膨れっ面で、エミリアがアベルに見せたのは自分の手だ。

 持ち上げた手をゆっくり下ろし、エミリアはそれをアベルへと差し出して、


「私たちに、あなたの帝国を助けさせて」


 結局、切り出す側があべこべになってしまうのがエミリアらしい。そんなエミリアの差し出した手を見下ろし、アベルが一瞬、スバルの方を見た。

 その黒瞳に生じている微かな当惑に、スバルは悪い顔で笑い、頷く。


「どうぞ、皇帝閣下。俺のエミリアたんの手を握るのを許してやる」


「だから、スバルが私のなんだってば」


 なんて、スバルの軽口にエミリアがはにかみながら答えて、その二人のやり取りにアベルは片目をつむり、嘆息した。

 それから、彼の手がゆっくりと、エミリアの差し出した手を握り、


「――いいだろう。力を貸させてやる」


 こちらも結局、アベルらしい物言いになっているのが、両国の協力体制の確立だった。



                △▼△▼△▼△



 ――そうして、エミリアとアベルとが握手を交わし、ここにルグニカ王国とヴォラキア帝国との歴史的な瞬間が刻まれたわけだが。


「あの、オットーさん、そんな感じでいかがでしょう……?」


 スバルとエミリア、アベルと帝国サイドで盛り上がり、最終的には握手まで到達してしまったやり取りだが、そもそも言い出しっぺのオットーが置き去りだ。

 ロズワールとラムは妥協点が見つかっていたが、そうではなかったオットーを放置して話を進めてしまったので、スバルは戦々恐々だった。


 あんまりにもあんまりなことをしたという自覚があるので、つい、敬語と揉み手でお伺いを立ててしまう。


「――――」


 その、おずおずとしたスバルの問いかけに、オットーからの返事はない。

 怖くて相手の顔を見られないスバルは、沈黙を返答とされて大いに困った。思わず、傍らのベアトリスを抱き寄せ、互いの頬を合わせながら、


「ど、どうしよう、ベア子……オットーが口利いてくれない……」


「気持ちはわかるかしら。オットーからしたら、めちゃめちゃコケにされた気分になるのよ。自分の考えをぶち壊しにされて、ピエロもいいところかしら」


「ピエロって、そこまでロズワールに似なくても……」


「やめるのよ! そんな最大限の侮辱、ますます怒らせるだけかしら!」


 わたわたと慌て、スバルはベアトリスと一緒に打開策を探る。

 何とかオットーの面目を潰したことの挽回がしたいが、どうすればいいのか。


「肩とか足とか揉みましょうか……?」


「なんか、親を怒らせたみたいな反省の仕方なのよ……」


「だって、他に思いつかねぇんだもん! オットー、頼むから……ひい!」


 碌な提案が浮かばないスバルの前で、それまで黙って立っていたオットーが不意に椅子を引いて、そこにどっかりと腰を下ろした。

 その唐突な行動に驚いて、スバルがベアトリスと抱き合いながら飛びのく。まさか、椅子に座ったのはスバルに肩を揉ませるためではないだろう。

 と、慌てふためくスバルとベアトリスの前で、オットーが額に手をやり――、


「……まぁ、欲しかった落とし所にはちゃんと落ち着きましたか」


「へ……?」


 長々と深い息を吐いて、目元を揉み始めるオットー。その彼の言い放った言葉を受け、スバルは唖然としたあとで、「まさか」と目を瞬かせた。


「まさかお前、最初からこうなると思って……」


「こうなるじゃなく、これぐらいはするの意気込みですよ。ヴィンセント皇帝がどのぐらい譲歩の姿勢を見せるかわかりませんでしたから。ただ、どうせナツキさんとエミリア様は意見を曲げませんから、落とし所は考えておかないと」


「あ、お、う、え、あ、お、う……」


 淡々と、そう答えるオットーにスバルは口をパクパクとさせた。信じられないと、そんな気持ちで振り向けば、しかし、ロズワールとラムと目が合う。

 そしてその二人も、おおよそ大体、全部把握していた顔をしていて。


「お前らって、お前らって、こええええ――!!」


「心外だなぁ! 大体、ナツキさんたちが強情だからでしょうが!」


「うわぁ、俺もうベア子とエミリアたんしか信じられねぇ……! あとレム! ルイ! タンザと戦団のみんなとフロップさんたちとミゼルダさんたちだけ!」


「まだだいぶいたかしら!」


 ギューッとベアトリスを抱きしめながら、スバルはオットーたち頭脳班の用意周到ぶりに恐れをなすしかない。もしかしたら、アベルもある程度はこちらの考えを念頭に入れたものだったのかもしれないが、だとしてもだ。


「いや、怖い怖い、マジで無理だわ。俺、今後も感情路線でいくわ」


「意味のわからない結論だけど、ベティーもスバルは心に素直な方がいいと思うのよ。その方が情熱的で、ベティーは好きかしら」


「ああ、俺も愛してる。ったく、本当に――」


 ようやく、先のオットーショックの衝撃が和らぎ始めて、スバルも一安心。

 と、そんな風に気持ちを落ち着かせたところだった。


 ――不意に、室内に拍手が鳴り響いた。


「――いやぁ、えらい愉快なもん見てしもたわ。すごいすごい、大したもんや」


 大きな拍手の音がして、思わず、誰が拍手をしたのかと視線を巡らせたスバルは、そこに見知らぬ人影を見つけて息を止めた。

 誰もいなかった部屋の角っこ、そこにいつの間にか長身の人影が立っている。その人物は両手を叩いて拍手をしながら、それまでのやり取りを眺めていた。

 ――この場に誰にも、その存在を気取らせずに。


「何奴だ!? いったい、どうやってここに……!!」


「あ、しもた。僕、呼ばれてへんのに拍手してしもたやん。あかんあかん、褒めたなる子ぉ見つけるとついつい褒めてまうんが僕の悪い癖やわぁ」


 瞬間、エミリアとアベルを背後に庇い、ゴズが臨戦態勢に入った。

 そうして鬼気迫る形相となったゴズの前で、その人物はあっけらかんとした態度を保ったまま、懐から出した金色の煙管を口に噛み、器用に笑う。


 ひどく場違いなその人物は、その見た目も一層異彩を放っていた。

 二メートル近い長身に黒い体毛、あっけらかんと笑った表情は愛嬌があり、そのざんばらと伸びた毛並みと合わせ、柔和な印象を相手に与える黒い犬人。

 キモノ姿に煙管を噛んで、そして帝国の重要人物が揃い踏みしている連環竜車にいつの間にか現れた存在、当然ながら全員の注目が集まる。


「あらら、みんなして僕に興味津々みたいやねえ」


「あなたは誰なの? ここに何しに?」


 視線を向けられながら、指で頭を掻いた犬人。その犬人に、ゴズの背中に庇われるエミリアが問いかけた。

 その問いかけに犬人は首を傾げ、牙の並んだ口元を笑みに歪めて、言った。


「僕、ハリベルってもんなんやけど、ちょっと挨拶させてもろてええかな?」と。



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― 新着の感想 ―
え?ハリベル!? カララギも絡んでくるの??
やろうと思えばスバルを不敬罪で処刑できちゃう隣国の皇帝には好き放題言えるのに、只人のオットーが怒って黙るとガチビビりするスバル、オットーが大好きで嫌われたくないのが丸わかりでかわいすぎるwwショタスバ…
「意味のわからない結論だけど、ベティーもスバルは心に素直な方がいいと思うのよ。その方が情熱的で、ベティーは好きかしら」 「ああ、俺も愛してる。ったく、本当に――」 >>やっぱこのスバルとベア子のや…
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