第八章10 『誰も独りにはなれない』
――気絶と眠り、どちらも同じ意識の途絶であるのに、両者はどうして違うのか。
きっと、世界でも有数の気絶と失神の経験者であろうスバルだが、その二つがどうして違っているのかちっともわからない。
はっきり言えるのは、気絶も眠りも体を休める効果があるとしたら、気絶の方にはその効果が半分くらいしかない気がする。
あくまで気分の問題かもしれないが、そう感じるのだ。
それはきっと、眠りと違って気絶では、周りの人たちの心持ちが違いすぎるから。
誰とも繋がりがなくて、誰も心配させることがないのなら、もしかしたら気絶と眠りに違いなんてないのかもしれない。
もっとも――、
「――ぁ」
瞼が震えて、弱々しい吐息が喉から漏れる。
か細く頼りない、そんな仕草で現実に意識を引き寄せながら、ナツキ・スバルはゆっくりと暗闇からの覚醒を果たした。
「――――」
引き寄せた現実の岸辺から顔を上げ、スバルは一拍、息継ぎを忘れる。
視界に入り込んでくるのは見知らぬ天井――いったい、幾度こうして知らない場所で目覚めて、自分の在処を探そうと頭を働かせただろうか。
ただし、いつもなら孤独の作業になるそれが、今回はそうではなくなっていて。
「……やっとお目覚めかしら。スバルはお寝坊で困ったさんなのよ」
「ベアトリス……」
その、知らない天井を眺めるスバルの視界を、見知った愛らしい顔が塞いでくる。
下がり眉と淡い色合いの瞳でスバルを見つめているのは、スバルと目覚めを共にする機会が一番多いだろう少女、ベアトリスだった。
と、そのベアトリスの姿が視界に入ると、スバルはベッドに寝ているらしい自分の手が握られている感触に気付いて、唇を緩める。
「もしかして、ずっと手、握っててくれたのか?」
「当然かしら。ベティーはスバルのパートナーなのよ。第一、スバルは好き勝手にあちこちいきすぎかしら。鎖で繋がれるのが嫌なら、手を繋ぐのが一番効果的なのよ」
「さすが、俺のことがよくわかってる……」
むくれ顔でそんな風に言うベアトリスに、スバルは言い返せなくて苦笑する。
やらなければいけないことがあったら、たとえ鎖で繋がれていてもやり方を探してしまうのがスバルだが、繋いだ手をほどくのはいつだって心が痛む。
スバルは痛みに弱いので、それが一番効果的な引き止め方だ。
「ええと、それでここはどこだ? 今、俺たちは何して……」
「落ち着くかしら、スバル。色々、気にしたくなる気持ちはわかるけど……それよりもまず最初に、周りを見るのよ」
「周り?」
事情を知りたがるスバルに、唇に指を当てたベアトリスがそうもったいぶる。
焦燥と逸る気持ちにストップをかけられ、目を瞬かせたスバルは彼女に言われた通り、天井とベアトリス以外のものに目を向けた。
そして、息を呑む。
――自分の寝ているベッドの周りで、寝息を立てる大勢の姿を目の当たりにして。
「――――」
決して広くない部屋だ。スバルが寝ている寝台一個で、部屋のスペースの半分は使ってしまっている。そんな部屋の中、十人以上の顔ぶれがすし詰めになっている。
それも、ありえない組み合わせだった。
「タンザと、ガーフィール? それに、ヒアインたちとルイと、ウタカタまで……」
「それだけじゃないかしら。片手はベティーが勝ち取ったけど、もう片方は……」
言われ、スバルは握られているのがベアトリスとの右手だけでなく、左手の方もそうであると気付いて振り向く。そこでスバルの手をしっかりと握って、ベッドに上体を投げ出す形で寝入っているのは――、
「――ペトラ」
頭に大きなリボンを付けて、寝顔さえも愛らしい少女がそこにいた。
いったい、どれだけの苦労と難所を乗り越えてこの手を握ってくれたのか。見慣れない旅装姿のペトラはあちこち汚れ、オシャレに気遣う彼女らしくなさが満載だ。
そんな姿になってまで、ここへ辿り着いてくれたという証でもある。
「でも、ペトラが一番苦労したのは、そうやってスバルの手を握るチャンスをものにすることだったと思うのよ。みんなで争奪戦だったかしら」
「おいおい、みんなで寝てる俺の手を握りたがってたってのか? いくら何でも、そんな馬鹿な話が……」
「馬鹿な話じゃないのよ」
冗談に笑いかけたスバルを、静かなベアトリスの声が止めた。
目を見張ったスバルに、ベアトリスはきゅっと握ったままの手を持ち上げて見せ、
「みんな、スバルのことが本気で心配だったかしら。手を握るのがスバルの力になるんなら、それだけのことでも何でもしたがるのよ」
「――――」
「もう少し、スバルは自分の存在の大きさを自覚すべきかしら。もうずっと、何度も何度もベティーが言ってることなのよ」
静かで、どことなく呆れさえも孕んでいそうな口調ながら、しかしベアトリスの物言いには大きすぎる慈愛が込められていた。
そんな目と声で言われたら、とてもそれを無下にするなんてできない。
スバルも、自分が周りのみんなに影響を与えていないとか、大事にされていないなんてちっとも思っていないが――、
「……俺が縮んでるからって、過保護すぎるだろ、みんな」
「どうでしょうかね。僕としては、周りの過保護よりもまず自分が縮んでいることをナツキさんに反省してもらいたいんですが」
「――!」
不意に、聞こえた声にスバルが肩を跳ねさせた。
思わぬ形で飛び込んだ声、それが聞こえたのは狭い部屋の入口、横にスライドする扉を開いて顔を覗かせたのは、柔らかい顔立ちが憎たらしいあんちくしょう。
「オットーか!」
「ええ、僕ですが……お静かにお願いします。ペトラちゃんやガーフィールの気持ちを汲んでください」
「ペトラたちの気持ちって……」
「こうして、ナツキさんが起きるのを一番傍で待ってるんですよ? 目覚めたナツキさんと何より最初に言葉を交わしたいからに決まってるじゃないですか。なのに、こうやって顔を出した僕がその権利を取り上げたなんて知られたら、どれだけ恨まれるか」
「おお、そりゃ間の悪い野郎だ」
「ナツキさんの方こそ、縮んでも口数は減らないようで何よりですよ」
唇に指を当てて声の調子を落とし、姿を見せた青年――オットーが部屋を見回す。
せっかく顔を見せたものの、部屋の中は足の踏み場もないくらいの密集率だ。オットーは困り顔をしつつも、何とか足場を見つけてベッドに歩み寄り、
「ベアトリスちゃんも、ナツキさんの看病お疲れ様でした」
「別に疲れることなんてないかしら。……それより、話してていいのよ?」
「もちろん、ナツキさんが目覚めたことを皆さんにお知らせすべきなんですが……」
ベアトリスにじと目で見られ、オットーが苦笑しながら言葉を区切る。その区切った言葉の先をもったいぶりながら、彼は寝台のスバルを眺めやり、
「せっかく、間が悪くナツキさんの目覚めに立ち会ったわけですから、騒がしくなる前に個人的な文句は言わせてもらいたいなと」
「い、いい性格してやがる……」
「ええ、商人ですので」
帽子を被っていない自分の頭に手をやって、オットーが嫌味のない顔で笑う。
その笑みに、敵に睨まれたのと同じぐらいの寒気、あるいはタンザの不興を買ったときと同じぐらいの寒気を覚えながら、スバルは深呼吸。
正直、ヴォラキア帝国に飛ばされたことも、その後のいざこざもスバルの落ち度はほぼないと思っているのだが、心配をかけまくったのは事実だ。
どんな恨み言をぶつけられようと、甘んじて受け止めてやろう。
「よし、どんとこい。けどな、俺のメンタルも相当こっちで鍛えられたぜ。生半可な言葉で打ち砕けるとは思わないこった」
「どういう自慢ですか。まぁ、長々としたお説教をするつもりはありませんよ。言いたいのは僕だけじゃありませんから、手短にします。――ナツキさん」
「おう」
「――無事に合流できてよかった。あまり、心配させないでください」
「――――」
伸びてきた手が、スバルの小さい肩にポンと乗せられる。
その、顔立ちの印象よりもたくましいオットーの手指、それが肩の上でわずかに震えているのを感じ取って、スバルは喉を詰まらせた。
ぎゅっと、オットーが眉を顰め、鼻面に皺を寄せながら言い放ったそれは、いつだって自分を俯瞰している彼が抑え切れなかった感情のほつれだ。
「ぐ……っ」
鍛えられたメンタルも、受け止めるという覚悟も、全ては無駄だった。
オットーの繰り出した必殺の一言は、容赦なくナツキ・スバルの防壁を打ち砕いて、その向こう側にある剥き出しの魂へと致命的な衝撃を叩き込む。
早い話、それは反則だった。
「どうせ、ナツキさんにはこれが一番効くでしょう?」
「てめ、この、野郎……っ」
全身を震わせるスバルの前で、直前のくしゃくしゃになりかけた表情を引き締め、オットーが不敵で余裕と含みのある微笑みを浮かべる。
完全に彼の手玉に取られたと、スバルは敗北感に顔を赤くするしかなかった。――否、それ以外にも手立てはある。してやられたオットーへの仕返しとして、勝利とは程遠いものだが、せめて勝ち逃げはさせない方法が。
それは――、
「ああーっ! やられたやられた、完敗だ、オットーこの野郎!!」
「げえ!?」
顔を赤くしたまま、悪い笑みを浮かべたスバルが大きな声で敗北宣言。それを聞いた瞬間にオットーが青い顔をして悲鳴を上げた。
その、スバルとオットーのやり取りが部屋の中に響き渡ると、当然ながら、それを聞いて次々と眠れる仲間たち――否、眠れる獅子たちが目覚め始める。
そうして、喜びと非難と、とにかく悲喜こもごもで騒がしさが爆発する。
そのやかましくなる部屋の中、スバルとオットーが頭を抱える傍らで、一部始終を眺めていたベアトリスは頬杖をつくと、
「やれやれ……どいつもこいつも子どもみたいにはしゃぎすぎかしら」
なんて、一人だけ傍観者ぶった態度でその光景を微笑ましく見守ったのだった。
△▼△▼△▼△
――帝都ルプガナからの、帝都民の一斉避難。
それがスバルが意識のない間に行われた一大事であり、スバルが目覚めたのはそうした一団の中、要人のために割り振られた移動用の竜車の客室だった。
多数の地竜に引かせるそれは、移動する寝所というわけで、避難にも療養にも使える優れものだ。そんな畏れ多い待遇で、スバルは帝都から連れ出されたらしい。
「兄弟! 無事でよかったぜ! 途中で体の力が抜けたときは、本当に本当にどうなるかわからなくて心配でよぉ!」
「髭野郎が死んでも何とも思わんが、お前がいなくなれば戦団は終わりだ……。死にかけるぐらいなら、オレでも誰でも盾にしろ……」
「ヴァイツの言い方は引っかかるが、私も同意見だ。シュバルツ、お前が戻ってくれて本当によかった。戦団としても、私個人としてもだ」
それはスバルの目覚めを待っていた一団、その中にしっかり入っていた剣奴孤島からの連れ合いである『合』の三人、ヒアインとヴァイツ、イドラの反応だ。
攻防戦の最中、一緒に行動していたイドラはともかく、別行動していたヒアインやヴァイツにはかなりの心配をかけてしまっただろう。
三人に謝らなければならないのはそれだけではない。
「悪い。俺が気絶したせいで、みんなの強化もほどけちまって……」
「気に病むな……運のいいことに、そうなったのはオレたちも撤退し始めていたときのことだった……」
「そうだぜ! あれが切れて死にかけたのは、ちょうど崩れた柱支えてる最中だったこのドクロ野郎だけだ。総督がいなきゃ潰れて死んでた……」
「それは話すなと言っただろうが……!」
スバルに配慮したヴァイツの気遣いを、いつも通りヒアインの余計な一言が台無しにする。そうして揉める二人を背景に、イドラは肩をすくめた。
帝都の只中で『コル・レオニス』を解かれて、危うい目に晒されたはずの彼は、
「ヴァイツも言ったが、気に病むな、シュバルツ。お前についていくと決めた時点から、その先で何が起ころうとそれは私たち自身の責任だ」
「けど……」
「と、そう言っても気に病むのがお前だとはわかっている。――これ以上の話は、私たちよりも古い付き合いらしい彼女らに任せよう」
相変わらず、イドラは理性的に話をまとめるのがうまい。
おかげで感情的な反論しかできないスバルは黙らされ、それを尻目にイドラは掴み合うヒアインとヴァイツを連れ、部屋を出ていってしまった。
そうして、出ていく三人の背中に小柄な影も続こうとして、
「タンザ」
「……肝心なときにお役に立てず、申し訳ありません。シュバルツ様がお戻りになってくださって、本当によかったです」
しゅんと項垂れ、かしこまった口調で答えるタンザ。
帝都での別れ際のことを思えば、タンザが自分の力不足を悔いる気持ちはわかる。しかし、彼女の暗い顔の理由はそれだけではないように思われた。
「どうした? 何かあったんなら……」
「――。いえ、今のシュバルツ様にお話しするようなことでは。ゆっくりとお体を休めるのと、皆様とお過ごしください」
一瞬の躊躇いを残し、それ以上を語らずにタンザも部屋を出ていく。
その弱々しい背中に手を伸ばしかけ、だが、スバルの両手は塞がっていた。それでも、あんな顔をしたタンザを放っておきたくないと、スバルの心は訴える。
あとで必ず、あの顔の理由を聞かなくてはと、そう心に固く決めた。
そして――、
「――スバル」
先に退室した面々を見送って、それから紡がれたのはこの瞬間の呼びかけを待ち望んでいたみたいに弾んだ、優しく鼓膜を叩く銀鈴の声音だった。
「――――」
一拍、その声に反応するのも、そちらを向くのも時間を必要とする。
それは心配をかけた気まずさだとか、顔向けできないという恥ずかしさであるとか、そういうちっぽけなプライドが理由のものではなかった。
ただ純粋に、スバルの存在が心の準備を必要としていただけだ。
だって――、
「エミリア」
と、そう相手の名前を呼ぶだけで、スバルの心は甘く痺れる感覚を味わうのだから。
その緊張感たっぷりなスバルの呼びかけに、当の本人――エミリアは柔らかく微笑み、
「ん、ちゃんと会えてよかった。……それにしても、スバルったらこんな遠くでもたくさん友達を作ってるのね。すごーく、ホッとしちゃった」
「友達……」
「ええ。みんな、スバルのことすごーく心配して、ずっと離れないでいたんだから」
そのエミリアの言葉に、スバルはさっきまでの部屋の状態を思い出して俯く。
どうにも、心配をかけたという方の気持ちばかりが大きくて、これはスバルの悪い癖だと言われるたびに反省するのだが。
「俺は、幸せ者だね」
「きっとそうね。でも、私はもっともっと、スバルには幸せになってもらいたいって思ってるから、これっぽっちじゃ全然足りないわ」
「こんなによくしてもらってんのに?」
「じゃあ、スバルは私に何かしてくれるとき、もうこのぐらいでいいかなって満足しちゃうことってあるの?」
首を傾げたエミリア、その細い肩の上を美しい銀髪が流れ落ちるのを感じながら、まんまとやり込められてスバルは言葉に詰まった。
彼女の言う通りだ。好きな人たちに何かしてあげたいとき、思うのはこのぐらいでいいかではなく、もっともっとできることはないかだ。
そのスバルの反応を見て、エミリアは「ふふっ」と笑うと、
「どう? 私の言うこと、間違ってないでしょ? 私の騎士様」
「……だね。俺と離れ離れの間に、めちゃめちゃ成長著しくて、誇らしいけど寂しいよ、エミリア」
「エミリア?」
「……じゃなくて、エミリアたん、だ」
聞き返されて、スバルは遠ざかっていた呼びかけ、それを手繰り寄せた。
そう、それがスバルにとってとても大事で、大切で、愛おしくて、とにかく心がハチャメチャになるぐらい想っている子の、呼び方。
一言、そうエミリアのことを呼んだ途端に、しっくりがたちまち押し寄せてくる。
そんな風にスバルが実感を噛みしめていると、
「エミリア姉様! そろそろ、わたしたちもスバルとお話ししたいですっ」
スバルとエミリアの間に流れる柔らかな空気、そこに満を持して割り込んだのは、小さな手を挙げて自分の存在を主張する少女、ペトラだった。
先の騒ぎで目を覚まして、その後のドタバタで落ち着いて再会を祝えなかったペトラは、その丸い瞳を怒らせながらものすごく再会に飢えている。
「わたしたち、まだちゃんとスバルと話せてないんですから。――抜け駆けしたオットーさん以外はっ」
「うぐっ。いえその、僕は別に抜け駆けしようとしたわけでは……」
「お? お? 言い訳ッかよ、オットー兄ィ。どんな言い訳が聞けんのか、ちょっと楽しみじゃァねェか。いくら俺様でも、ここで抜け駆けッは傷付いたぜェ……」
「ガーフィールまで噛みついてきますかねえ!?」
がっくりと肩を落とし、嘆かわしいとばかりにジェスチャーするガーフィール。そのペトラとの波状攻撃を仕掛けられ、オットーは目を見開いて叫ぶ。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように「そうなのよ」とベアトリスが続け、
「ベティーは聞いちゃったかしら。オットーの奴、ペトラたちにバレないようにこっそりとスバルと話にきたって自分で言ってたのよ」
「え、そうなの? オットーくん、気持ちはわかるけど、スバルを心配してたのはみんなおんなじなんだから、ズルしちゃダメじゃない」
「味方がいない! 下手な不利益を被るよりずっと胸が痛む!」
裏切りのベアトリスと、それを素直に受け止めるエミリアに注意され、胸を押さえたオットーが自分の行いの報いを盛大に受けている。
そんな、わあわあと賑々しくしている一団の様子に笑いながら、
「オットー様の悪癖はともかく、本当に合流できて何よりですわ。エミリア様もベアトリス様も、もちろんペトラも気が気ではありませんでしたもの」
そう、柔らかく言ったのはフレデリカだ。
彼女もまた、ペトラと同じようにメイド服ではなく旅装姿で、珍しい格好だ。が、直後にそれ以上に珍しいものを見せられ、スバルはぎょっとする。
微笑んだフレデリカの眦に涙が浮かび、それが危うく頬を伝いかけたのだ。
「ふ、フレデリカ姉様っ、涙が!」
「え? あ、し、失礼いたしました。つい、その、本当にホッとしてしまって……お見苦しいところを」
「……いや、全然見苦しいとかないよ。それだけ心配してくれてたんだもんな」
涙を見せたフレデリカに驚かされ、それ以上に感謝の念が湧いてくる。
フレデリカも言った通り、いなくなったスバルたちを探すために急いだ彼女たちは、どれだけの苦労を乗り越えて辿り着いてくれたのかとても計り知れない。
簡単には越えられないはずの国境に、内乱状態に陥っている帝国だ。
真っ当な手段ではとても越えられない障害をいくつも乗り越え、彼女たちはスバルのところへ辿り着いてくれたのだろう。
「本当に、ありがとな、みんな」
「へへッ、俺様ッたちがくんのァ当然だろォが。大将がいなくっちゃ、どォにもこォにもまとまりゃァしねェんだッからよ」
「うん、ガーフさんの言う通り。……ちっちゃくなっちゃったのは、驚いたけど」
鼻の下を擦ったガーフィールに、微笑んで頷いたペトラが最後にちくっと付け加える。
確かに、これで全員が合流して大団円――とはいかないのが、現状のスバルの状態だ。さすがに縮んだ状態で、エミリアたちとルグニカ王国に戻るつもりはない。
元の、ナツキ・スバル十八歳に戻らなければ、エミリアの隣に並べないだろう。
「まぁ、ベアトリス……おほん! ベア子の隣に並ぶ分には気にならないか?」
「目線の高さが同じなのは悪い気はせんかしら。でも、ベティーはそろそろスバルの抱っこが恋しいのよ。だから、やっぱり大きいスバルがいいかしら」
「わたしもっ! わたしも、スバルは大きい方がいいと思いますっ。今のスバルも、可愛くていいと思うけど……」
「あ、やっぱり可愛いわよね。そう思ってたの私だけじゃなくてよかった」
微妙に本筋と外れたエミリアの相槌に、室内に弛緩した空気がフワフワと広がる。
その、何とも言い難い緩やかな空気感に、スバルは長らく離れ離れにされていたエミリア陣営の懐かしさを味わい、魂に充足を得ていくのがわかった。
ヴォラキア帝国に飛ばされ、『シュドラクの民』やフロップとミディアム、その後は剣奴孤島からのメンバーでプレアデス戦団を結成して過ごしたが、そのいずれとも、このみんなでいる空気感は違ったものだ。
どれも大切だが、ずっと遠ざけられていたこの場所の大切さを、じっくり感じる。
「でも、さすがにロズワールとかラムはこられなかったか。いや、エミリアたんがいるだけでもかなりヤバいんだろうけど」
と、室内に見当たらない顔ぶれのことを口にして、スバルは苦笑する。
いないと言えばメィリィもいないが、立場的に彼女が国境越えしてまでエミリアたちと同行するのは難しいだろう。おそらく、ラム共々屋敷で居残りを――。
「え? ううん、そんなことないわよ。ちゃんとラムとロズワールも私たちと一緒。二人もスバルのこと、すごーく心配してたんだから」
「――え?」
そんなスバルの考えが、不思議そうな顔をしたエミリアの答えに打ち砕かれる。
愕然と目を見開いたスバル、その頭の中でエミリアの麗しい声が反響する。ラムも、ロズワールも一緒にきていると。
ロズワールがいるのは、ものすごい驚きだが、いったん、置いておく。
ただ、問題はロズワールではなく、
「ラムも、いるの?」
「いるよ? ラム姉様もスバルのこと心配して……あ! 絶対、本人に言わないでね?」
「言わない。言わないけど、言わないけどそうじゃなくて……」
ふるふると首を横に振って、スバルはペトラの言葉に脳を痺れさせる。
そうではなくて、ラムがいるということは――、
「れ、レムともう、会わせちゃった?」
「あ……」
恐る恐る、そう問いを口にした途端、スバル以外の全員の表情が強張った。
その反応こそ、最もスバルが恐れていたものだった。
エミリアたちの反応、それは「スバルに言い忘れていた」という類のもので、それはつまり、スバルの寝ている間に起こってしまったということだ。
――ラムとレムの、離れ離れになった姉妹の再会が。
「うわあああ――!! 絶対、その場にいたかったのにぃぃぃ!!」
「ご、ごめんね、スバル! でも、一刻も早く会わせてあげたかったから……!」
「わかってるけど、わかってるけど、俺のクソ馬鹿野郎――っ!」
両手で顔を覆い、歴史的瞬間を見逃したスバルが自分の愚かしさに絶叫する。
そのスバルを慰めようと、エミリアたちが必死で声をかけてくれるが、これは誰が悪いわけでもないので、決してスバルの傷は癒えなかった。
しいて言うならば、肝心なときに寝ていたスバルが一番悪いのである。
だとしても――、
「ど、どうだった? 二人の反応……」
「えっと、やっぱりちょっとたどたどしかったけど……でも、すごーく特別な感じがしたの! 私も、ちょっともらい泣きしちゃって……」
「うおおおん!」
「エミリア! もっと手心を加えるのよ! スバルが哀れかしら!」
「えええ! ごめんね、ごめんね!」
だとしても、悔しさは一向に衰えないので、スバルは全力で悔しがった。
本気で泣きそうなとき、涙を堪えられないのが、この幼くなった体の嫌なところだと、スバルは悔し涙を流しながら改めて実感するのだった。
△▼△▼△▼△
「――――」
眼前、手を伸ばしかけた扉の向こうから、大きな大きな喚き声が聞こえてくる。
その喚き散らす声と、その内容に動きを止められ、レムは形のいい眉を寄せながら、どうすべきかと躊躇に心を苦しめられていた。
「うー、あう?」
「……その、ごめんなさい。ルイちゃんは、あの人に会いたがっているのに」
すぐ傍ら、腰に抱き着いているルイがレムを不思議そうに見上げてくる。
意識のなかったスバルが目覚めたとき、ルイは自分もスバルと話したいだろうに、それをぐっと堪えてレムのところへと駆け付けてくれた。
そして、手を引く彼女に連れられ、スバルの寝室の前までやってきたのだが――、
「――――」
部屋の中から聞こえる声は、スバルとその仲間たちのものだ。
そう言うととても他人事のようだが、どうやらその仲間たちはレムにとっても関係の深い面々であるらしい。――スバルと同じで、やはり実感に欠けるが。
「悪い人たちでは全くないと、わかっていますが」
あの中で最初に出会ったエミリアを筆頭に、レムとスバルを探しにきたという一行は仲間思いで、行動力に溢れ、何よりも善良であるとはっきりわかっている。
聞いた話では、彼女たちは帝国と隣り合う王国から、行き来を禁止されているにも拘らず駆け付け、縁も所縁もない内乱にまで参戦したというのだ。
それも全ては、帝国の内乱に巻き込まれたスバルを――否、スバルとレムを救うため。
それはレムが、この帝国の争いから逃げられないのと同じことで――。
「――バルスのひもじい声が聞こえるわね」
不意に考え込む背中に声をかけられ、レムは微かに息を呑んだ。
そのレムに代わり、相手の方を振り向いたのは腰に抱き着いているルイだ。その声の相手は自分を見るルイを見返し、小さく吐息すると、
「そんな非難がましく睨むのはやめなさい。今のはバルスへの愛の鞭……いえ、愛はないから鞭ね。そう、純然たる鞭よ」
「……それは、あの人を嫌っているということですか?」
「嫌ってはいないわ。ただ、軽蔑する機会が多いだけね」
そう言って、靴音を立てながらゆっくりとやってくる相手にレムも振り向く。
一拍、そちらへ振り向くのに時間をかけたのは、その相手の顔を真っ直ぐ見るのに勇気を振り絞る必要があるから。
なにせ、やってくる顔は、記憶のないレムにとっても見慣れた顔であったから。
それは――、
「……ラムさん」
「余所余所しい呼び方ね。ラムの方は、姉と呼ばれる心の準備はできているのだけど」
「私の方は、何もかも唐突でしたので……」
目の前に立って、自分の肘を抱くようにして胸を張る女性――ラムと、そう名乗り、周りからもそう呼ばれる彼女の顔は、レム自身とよく似ている。
違うのは髪と瞳の色と、その内側に満ち溢れた圧倒的な自信の圧力だろうか。
そんな彼女が、記憶のないレムの姉であるらしい。
正直、顔立ちを見比べればそれについて否定の要素は何もない。以前から、懲りないスバルに何度も聞かされた姉の名も、やはり『ラム』だったはずだ。
何よりも、否定し難くレムの心中を支配するのは――、
「どんな風に思おうと、レムの心が感じているでしょう。ラムとレムは姉妹……共感覚は嘘をつかないはずだもの」
「共感覚……」
「血を分けた双子同士の、魂の繋がりのようなもののことね。ずっと、レムの存在をラムは感じ続けていた。……レムは違うの?」
「――――」
薄紅の瞳を細めて、真っ直ぐに問うてくるラムにレムは唇を閉ざした。
レムは違うのかと言われれば、そんなことは全くない。その共感覚というものの詳しいところはわからないが、レムの中には確かに強い、強い違和感があった。
それは、初めて目にするはずのラムに対する、圧倒的な安心感だ。
「……でも、怖いんです」
「怖い?」
「ほんの、短い時間しか言葉を交わしていないあなたに、こんな感覚を抱くことが」
記憶の失われたレムにとって、今の自分が始まった瞬間に居合わせたのは、スバルとルイの二人だけ。理由あってスバルを遠ざけ、ルイを傍らに置いた始まりだ。
その後、シュドラクの人たちと、フロップやミディアムと、プリシラともカチュアとも知り合って、レムなりに色んな関係を築いてきた。
それなのに、ラムの存在はそれらを一気に追い抜いて、一番上に立とうとする。
「それが、私は怖いんです……」
この、はっきりと言葉で表せない安心感は、歩み寄ってくる過去の足音だ。
失われた記憶を取り戻したいと、そう願わないことはない。きっと、レムが抱える問題の多くが、記憶が蘇ることで戻ってくるだろうとそうも思える。
だが同時に、その足音に追いつかれたとき、何もかもが変わるのが恐ろしい。
見え方も感じ方も、思い方も何もかも変わってしまったら。
そう、強く強くレムが目をつむり、胸を押さえる。
そこへ――、
「そう。――よかった」
「え?」
思いがけない声が聞かれ、閉じた瞼を開いてレムは顔を上げた。
今、何と言われたのかと、そう凝然と目を見張ったレムの前で、己の肘を抱いたラムはわずかに目尻を下げながら、
「ラムも、レムと同じよ。怖いと、そう思っていたわ」
「怖いって……」
「もしも、レムがこの共感覚を自然と受け入れて、当たり前のようにラムの胸に飛び込んできたらどうしよう。――そう、怖がっていたの」
「――――」
表情を柔らかにしたまま、しかし、語る内容は恐怖のことで、レムは目の前にいるラムの気持ちがわからなくなる。――否、そうではない。
わかっていなかったことをわかって、それで混乱しているのだ。
「う!」
ふと、困惑に目を泳がせたレムに代わり、腰に抱き着くルイがそう唸った。
下からラムを睨みつけるルイは、レムの心の震えを敏感に察して、その原因となったラムを叱るように視線を鋭くしている。
そのルイの視線を受け止め、ラムはわずかに目を細めると、
「ラムとレムの間に立とうというの? よりにもよって、あなたが?」
「あーう!」
「そう、引く気はないのね。複雑だけど、不愉快ではないわ」
どんな因縁があるのか、ラムはルイのことも知っている様子でそう言って、それから改めてレムの目を見つめた。彼女の目と目が合うと、そこから視線を引き剥がせない。
視線の強さに心を焼かれる感覚を味わいながらも、魂が引き付けられている。
恐れは、どんどん強くなる。
そしてそれと同じぐらい、強くなるのがラムへの惹かれる気持ちだった。
それを強く感じながら、レムはぎゅっと唇を噛みしめて、
「あなたは、きっと私の姉なんでしょう。それは疑いようもなく信じられます。ただ……」
「心が納得しても、頭で納得できない?」
「……はい」
「そう。だったら、ひとまずそれでいいわ」
弱々しく頷いたレムに、また一歩、ラムが距離を詰めた。
近付く彼女の姿にレムの肩に力が入ると、ルイがレムを庇おうと前に出かける。が、レムはそのルイの肩をそっと支えて、「大丈夫です」と優しい少女を引き止めた。
そして、自分自身の意思でラムを正面に見据える。
そのレムの視線を受けながら、ラムは組んでいた腕を解くと、手を差し出した。その、姉と心が認めてしまっている相手から、差し出された手に。
「ラムよ。あなたの姉で、きっとあなたのことを愛するために生まれたわ」
「――――」
「もっとも、それと同じぐらい大切な方もいる自立した姉だけれどね」
平然と、自信満々に言われた言葉にレムは目を丸くした。
それから意味がしっかりと頭に浸透してくると、思わず「ふ」と息が漏れた。そのままレムは小さく笑い、笑ったまま、
「やっぱり、あなたは怖い人です。あなたと話していると、この安心感に身を任せて、すっかり虜になってしまいそうで」
「仕方ないわね。ラムは全幅の信頼と愛情を預けたくなる姉だもの」
「はい、ラム姉さん」
自慢げに胸を張ったラム、その手をおずおずと握り、レムはようやく彼女をそう呼んだ。すると、それを聞いたラムはわずかに眉を寄せる。
レムとしては勇気を出した呼び方だったので、その反応は心外なのだが。
「あの?」
「……バルスの言いなりなのは癪だけど、確かにしっくりこないわね」
「ええと?」
「――姉様よ」
「え?」
一瞬、渋い顔をしたラムが続けた一言に、レムは目を丸くする。そのレムの反応に、ラムは重ねて今一度、同じことを言った。
「姉様と、そう呼んで。それが一番、しっくりくるから」
「……ラム、姉様?」
「名前は不要よ」
「――姉様」
言いなりに、呼び方を希望通りに近付けると、ラムはきゅっと目をつむった。そして、握ったレムの手を引き寄せる。「わ」とレムが思わず踏鞴を踏むと、そのレムの体をそっと抱き留めて、ラムに正面から抱きしめられた。
そのまま、ラムはレムの耳元に唇を寄せて、
「今、はっきり感じたわ。――ラムは、レムの姉様だって」
「――私も、感じました」
こうして、腕に抱かれた途端に、恐れていたものが溢れ出した。
安心感と呼んでいたそれは、魂からして引き付けられていた、ラムへの愛情だ。それは強固に、記憶がないはずのレムさえも柔らかに呑み込んで。
「……癪だけど、準備はいい、レム?」
「準備、ですか?」
「中に入る準備よ。エミリア様たちはもちろん、バルスにも見せつける必要があるわ。姉妹愛の自慢と、あとは心配の解消ね」
そのラムの物言いに、レムは目をつむった。
いまだ、レムの中ではエミリアたちにも、そしてスバルに対しても、どんな風に顔向けすればいいのか、どんな風に向き合えばいいのか答えは出ていない。
でも、少なくともこの姉の、ラムの気持ちと、ラムへの気持ちは疑いはなくて。
「はい、姉様」
「やっぱり、そう百回呼ばれるまで先延ばしにしようかしら」
「姉様……」
「冗談よ」
頷いたレムに、ラムが冗談に聞こえない冗談を言った。
そんな茶目っ気のある姉の態度に、自分自身の切迫感と、それ以外の一大事もある状況でありながら、レムの心はひと時でも安堵に満たされる。
「うあう、あうあーう?」
「はい、大丈夫です。ルイちゃんも、心配してくれてありがとうございます」
「う!」
レムとラムとの対話に挟まれ、ずっとレムの側に立ってくれていたルイ。その彼女の不安を微笑みで解いて、レムは優しい少女の頭をそっと撫でた。
それから、そのルイを伴い、半身で振り向く姉の隣に勇気を出して並ぶ。
そのままラムと視線を合わせて頷くと、二人は目の前の扉に手を伸ばして――、
「――失礼します。外まで、うるさくしているのが聞こえていましたよ」
「バルスらしい、盛った小動物めいた喚き声だったわね」
と、姉妹揃って、仲間たちのいる部屋へと足を踏み入れたのだった。
△▼△▼△▼△
「はぁ……でっかい肩の荷が下りた……」
しみじみと、胸の大きなつかえが消えた感覚に、スバルはそう呟いた。
胸の大きなつかえ、それはスバルが抱え込んでいなくてはならなかった責任――他に守れるものがいない中で、レムを守り切り、ラムやエミリアたちを会わせることだ。
正直、ラムとレムの姉妹の再会、その最初の状況に居合わせられなかったと知ったときは、この世の終わりかと思うほどの後悔に見舞われたが。
「ああやって、二人が並んでる姿を見せられたらな」
揃ってスバルの客室を訪れた二人は、どんなやり取りを交わしたのかはわからないまでも、少なくとも悪い方向へはいかなかったのだと信じられる態度だった。
それがわかったら、直前まであった悔しさは霧散し、安堵感がスバルを支配した。
ようやく、ようやくレムをラムと会わせてやれた。
レムを、エミリアやベアトリスたちと会わせてやれた。
その、どのぐらいにスバルの貢献があったと言えるかわからないが、やり遂げたのだ。
スバル自身もエミリアたちと合流できて、万々歳とも言える。
「まだ、俺は小さいし、レムの記憶も戻ってねぇけども……」
しかし、希望はちゃんと芽吹いていると感じられた。
スバルの体の大きさに関しても、近い将来、どうにかなる道は見えていると言えるし、レムの記憶を取り戻す方法だってきっと見つけられる。
だから、あとは――、
「……本当に、ベティーが一緒じゃなくていいのよ?」
「いや、全然俺はへっちゃらじゃないんだけど、たぶん、ベア子がいると顔を出そうとしない奴だから、ちょっとだけワガママ聞いてくれ」
「何かあったら、すぐに呼ぶかしら。ビュンって駆け付けるのよ」
「頼りにしてる」
そう、最後までスバルと手を離したがらなかったベアトリス。
思いやり深い彼女の手を優しくほどいて、エミリアたちが名残惜しくも一度部屋を離れると、無音に満たされる客室でスバルは一人だった。
それまで賑やかだった要因、それが全部残らず部屋からいなくなると、途端にスバルへと押し寄せてくるのは様々な疑念だ。
帝都からの撤退、それがどれだけの規模で行われているものなのか。あのゾンビの群れの正体はわかったのか。帝国軍と叛徒の関係は改善しているのか。エミリアたちがあえて明るい話題だけを広げてくれた理由は。タンザの物憂げな表情の答えは。
そして、スバルが意識を失う直前の出来事は、どう決着を見たのか。
「その全部とはいかなくても、半分くらいは答えてくれるのか?」
「――それは、それこそ貴様がどれだけ歩み寄る気概を見せるかによろうよ」
誰もいなくなった寝室、寝台に上体を起こしたスバルの言葉に応じたのは、そうして人払いが済むのを待っていただろう人影だ。
ゆっくりと、床を踏みしめる靴音は堂々としていて、自らの存在を周囲に知らしめることを憚りもしない姿勢に彩られている。
その立ち振る舞いにも、鋭すぎる眼光にも一切の記憶との変わりはない。それでも、決定的にどこか違って見える相手――黒髪の美丈夫を、スバルは見据える。
そして――、
「貴様はどこまで雄弁に語る、ナツキ・スバル? ――親竜王国の『星詠み』よ」
そう、敵意を宿した黒瞳で、ヴィンセント・ヴォラキアはナツキ・スバルに問い質した。




