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第七章109 『帝国の剣狼』



 癪な話を思い出した。

 確か、ペトラが話していたんだったか。


「旦那様ってとっても性格悪いし、口も悪いし、嫌がらせもするし、怒られてるのに楽しそうで気持ち悪いときもあるけど、教えるのは本当に上手」


 認めたくない気持ち全開で、それでも相手を嫌いという理由では、相手を不当に貶められないのがペトラの性格だった。

 歳の近い、友人と言っていいものか。ガーフィールは、ペトラのそういう高潔なところが好きだった。フレデリカがぞっこんになるのも頷ける。

 損をしやすい性格という意味では、ガーフィールがスバルやオットーにぞっこんなのと同じ系譜だろう。やはり、姉弟で血は争えないというやつだ。


 だったら、ガーフィールも認めなくてはならないだろう。

 ロズワール・L・メイザースは恋敵であり、とても許せるはずがない悪行を計画した陣営の不穏分子であり、昔から一度も好きになれたことのない天敵でもある。

 それでも、ロズワールの教えは的確で、それが自分を生かし続けているのだと。



「ガーフィール、手裏剣だ。毒が塗ってある。避けても爆発する。正解は?」


「まどろっこッしィんだよ、てめェ!!」


 吠えるガーフィールが地面を踏みしめ、直後に隆起する大地が盾となって二人を守る。土の壁に手裏剣の突き立つ軽い音、次いで爆音が大気を焼きながら響き渡る。

 ロズワールの読み通り、手甲で受け流すかしていれば被害は免れなかった。

 その事実に鋭い牙を軋らせ――、


「どっちだッ!」

「私だ」


 問いかけに即座の答えがあり、ガーフィールが背後のロズワールへ振り向く。

 刹那、ロズワールが両手に握った釵で投じられたクナイを打ち払う。その頭上に閃く影が見えて、ガーフィールはなりふり構わず拳をぶち込んだ。


 撃音が鳴り響き、ガーフィールの拳打が翻った足刀で受けられる。

 繰り出したのは、ロズワールの頭蓋を砕く攻撃を中断したオルバルトだ。怪老はガーフィールの拳と脚力で拮抗しながら、


「ったく、本気で厄介になりよるんじゃぜ。二対一とかズルくね?」


「今ッさら、前提崩そォとしてんじゃァねェぞ、ちんまいジジイが!」


「かかかっか! 言ってみる分にはタダじゃろうよ」


 拳打の衝撃に足を引いて、それをバネにオルバルトが後ろへ跳ぶ。一瞬、ガーフィールはそれを追撃するべく踏み出そうとして、


「――――」


 足を止めた鼻先を、真横から旋回する手裏剣が通り抜け、空を切り裂いていった。

 それを見過ごし、ガーフィールが深々と息を吐く。すると、そのガーフィールのすぐ傍らで、釵を握り直すロズワールが表情を変える。

 それを見て、ガーフィールは唇を曲げた。


「てめェ、なァにを笑ってッやがる」


「いやいや、成長の速さの目覚ましさに感心したのさ。君は言わずとも、今の不意打ちを予測してみせた。戦いの中で学び取っている」


「ズルがしッこくなってるだけじゃァねェか。言っとくが、俺様ァ、てめェやあの爺さんみてェな性悪になるつもりァねェぞ」


「性悪になるにも才能がいるものだよ。私の見立てだと、君には性悪になるための素質がない。エミリーといい勝負だ」


「んなわきゃッねェだろォが! 一緒にすんなッ!」


 ロズワールの物言いに思わず噛みついたが、言い切ってからエミリアに聞かれたら傷付けるかもしれない反応だったと自省する。

 ともあれ、ガーフィールと同じように戦場で暴れているはずのエミリアや、陣営の他の仲間たち。合流したというラムの安否も気掛かりなら、シュドラクの女たちと、ハインケルといった面々のことを思い、ガーフィールは深呼吸した。


「ずいぶんと余裕あるじゃねえの。お前さんの仲間ら、なかなか大変じゃぜ? ワシらの方が層が厚い布陣じゃろうからよ」


「――ッ」


 気を引き締め直し、向き合おうとするガーフィールの出鼻をオルバルトの言葉が挫く。

 心を読まれたような感覚に付き合うのは、戦いにおいても手の内を読まれるような猜疑心が働くため、望ましい状況ではない。

 しかし、そう気が急くガーフィールの隣で、ロズワールは肩をすくめ、


「熱くなるのは相手の思うつぼだよ。君の場合はその方が迷いが消えるとも言えるが、熱に不純物が混じるのはよくない。それに」


「それに?」


「元々言葉数は多いだろうが、こちらを惑わそうとする発言が増えていやしないかい? どうやら、ご老人もかなりイラついているようじゃないか」


「――。嫌な若造じゃなぁ、お前さん」


 言いながら、オルバルトの長い眉で覆われた眼光が忌々しげな光を宿す。

 それと、ロズワールの発言を聞いて、ガーフィールは当たり前の事実――戦いが長引くことに自分が苛立つように、相手も苛立っているのだと気付いた。


 オルバルトが笑い、挑発し、おちょくってみせるのは余裕だからではなく、余裕があると思わせ、精神的に優位に立つためだ。

 一方、ガーフィールは自分の腹の中身がすぐに顔にも声にも毛並みにも出る。

 だから心理戦で、あっという間に相手の手玉に取られてしまう。


「それでも、君が相手の地力を上回っているときと、相手が君と同じ土俵に乗ってきてくれるときであれば勝ち残れる。だが……」


「わァってる。俺様より強ェ奴が、てめェの得意な土俵でしか戦わねェってなりゃァ、俺様ッがどんなに気張っても勝ち目が見えてこねェ。けど」


 ガーフィールが今、こうしてヴォラキア帝国で戦っているのは、様々な偶然の要因が重なった結果の、どちらかと言えば不運の結実だ。

 しかし、賽子がどう転がったのだとしても、目の前の現実の否定はできない。

 そしてこの先も、この帝国での戦いに匹敵するような戦場は、エミリアやスバルと共にある限り、延々と降りかかってくる可能性があるのだ。

 すなわち――、


「――泣き言ァ、しまいだ」


「ああ、そうだとも。それでいい。君の、少年期の終わりだ」


 持って回ったロズワールの言いよう、それにガーフィールは鼻面に皺を寄せた。

 彼に成長を喜ばれることも、認められることもガーフィールとしては嬉しくも何ともないこと。ただ、少年期の終わりという表現は気に入った。

 ここから先のガーフィールが、一皮剥けた存在として歩んでいくために。


「――やれやれ、これだから若ぇ奴は嫌いなんじゃぜ。伸び代のねえジジイと違って、すーぐに何かしら開眼しやがるしよ」


 首をひねり、浮かせた片足の足首を振りながらオルバルトが嘆息する。

 しかし、軽口めいた『悪辣翁』の悪態には、偽りのない敵愾心が見えた。――そう、敵愾心だ。ここまで、ガーフィールを格下とみなし、排除を目的としたオルバルトが。

 ガーフィールを、ようやく敵と認めた証。


「よォやく……」


 本意気で、オルバルトとやり合える資格を得たと、ガーフィールの血が色めく。

 大きく深く、再び鼻から息を吸い込み、口から吐き出す。そうして、体の中を巡っている血を、目には見えない力を、意識して――。


「あぁん?」


 不意に、ガーフィールの集中を乱すような間の抜けた声が発された。

 見ればそれは、正面に立ったオルバルトが発したもので、一瞬、こちらの平静を乱すためのシノビの策略かと思われた。が、違う。

 何故なら、逆に隙を生じさせたのはオルバルトだったからだ。


「――――」


 シノビの頭領だ。生じた隙も針の穴程度の小さなものだったが、これまで全く見せなかった気の緩みだけに、ガーフィールも思わず息を詰める。

 それがいったい、何にもたらされたものであったのか――、


「――待った待った待った! こんな中途で引き上げるのはズルいでしょうもったいないでしょう空気読めてないでしょう! 僕より読めてないのは相当ですよ!?」


 やかましい声を張り上げながら、土煙を立てて戦場を駆け抜ける人影がある。

 かなり遠くから、キンキンと高い声で喚き散らしているのは、戦場と場違いな印象を与える小柄な少年――ただし、その駆け足の速度が尋常ではない。


 叫びながらの少年は空を見上げ、翼をはためかせる巨大な存在を追いかけている。

 それが、離れた別の戦場に舞い降りた龍であると、ガーフィールも一目で理解した。理解したが、龍と少年が追いかけっこしている事態は理解に乏しい。

 何でも起こる戦場だと、そんな感慨はあったものの――、


「……なんで、セシの野郎が小せぇ?」


 不可思議な光景に瞳孔を細めるガーフィール、その耳にぼそりとした声が届く。

 片足で立ったオルバルトが、依然として針の穴の隙を生んだまま、龍と少年――否、喚き散らす少年の方に視線を奪われていた。

 そして――、


「さてはチェシ、ワシの色抜いてやがったな?」


 怪老の濁った瞳、それを驚きと疑念が過り、やがてそれは納得と、怒りへ変わる。

 時間にして十秒に満たない感情変化、それがオルバルトの中でどのような思考の流れが生み出したものか皆目見当もつかない。

 ただ、それが『悪辣翁』の、生涯数えるほどしか作らなかった隙の一個であるなら、性格の悪いロズワールが見逃すはずもなかった。


「――今の彼の前で余所見とは、あまりに時勢が見えていない」


 生じた針の穴へと、踏み込むロズワールが握りしめた釵の先端をねじ込む。

 とっさの反応に乱れが生じ、身をよじったオルバルトの左肩を一撃が掠めた。速度の乗った鉄塊は老人の肩に痛打を与え、歯噛みする矮躯の姿が地面に溶ける。

 この戦いの中で何度か見せた、土の中を泳ぐ術技だ。

 だが――、


「ガーフィール!」

「わァッてらァ!」


 ロズワールの助言が癪だが、すでにその攻略法は見えている。

 他ならぬガーフィールの『地霊の加護』は、足裏を付けた地面からマナを吸い上げる加護であり、平たく言えば大地と繋がるものだ。

 土の下に潜った相手に対しても、集中すれば居場所を辿ることが――。


「――ァ?」


 ふと、ガーフィールの総毛立った全身の産毛が、奇妙な感覚に囚われた。

 異様にざらついた下に、首筋をねぶられるようなおぞましい感触。それは目の前のオルバルトからではなく、もっと大きく、広い範囲から迫るもので。


「ガーフィール?」


 動きの止まったガーフィールに対し、ロズワールが疑問の声を投げかける。

 先ほどのオルバルトへのお返しではないが、ガーフィールもまた、隙を生じさせた。あの怪老であれば、確実に突いてくるだろう隙間。

 しかし、攻撃はなかった。それどころか――、


「ご老体の気配が、消えた?」


 形のいい眉を顰めて、釵の構えを解かないロズワールが呟いた。

 彼の言う通り、あったはずのオルバルトの気配が消えた。もちろん、相手はシノビだ。自分の気配を隠す術なんていくらでも心得ているだろう。

 だが、そうではない。土の下に潜ったオルバルトの気配は、遠ざかった。

 猛烈な速度でガーフィールたちから遠ざかり、そして――、


「なんだ、この感覚……」


「ガーフィール、ご老体は――」


「妙な、気持ちッ悪ィもんが、『アイヒアの風は水を腐らせる』みてェな……」


 オルバルトを警戒するロズワールは、ガーフィールと危機感を共有できていない。

 彼が感じ取れていないのなら、変調の原因はマナではないのだろう。それはガーフィールの足下から迫ってくる、大きな大きな感覚で。


 ――『地霊の加護』を宿したガーフィールが、最速で気付いた感覚だ。


「戦場のッ土が……いや、ヴォラキアの土が、暴れてやがる?」


 おぞましく、広大すぎる大地の悲鳴がガーフィールには聞こえていた。

 戦いに水を差されたことや、壁を一枚破る機会を取り上げられたことへの憤慨は、その立ちふさがる重みの前に霧散する。


「ロズワール! 今すぐッ飛んで、全員に知らせろ!」


「――――」


 帝国で名乗っている偽名、それを忘れたガーフィールの呼びかけに、しかしロズワールは緊急性を重んじたのか口を挟まなかった。

 大嫌いな相手に配慮されながら、ガーフィールは切迫感のままに叫ぶ。

 それは――、


「――ヴォラキアの全部が、敵にッなりやがる!」



                △▼△▼△▼△



 ――ラミア・ゴドウィンは、ヴォラキア帝国の第七十六代皇帝『ドライゼン・ヴォラキア』の娘の一人であり、ヴィンセント・アベルクスやプリスカ・ベネディクトと『選帝の儀』で争い、敗死した皇女でもあった。


 兄弟姉妹が最後の一人になるまで殺し合いを強制される『選帝の儀』において、皇帝の最有力と見られたヴィンセントを倒すため、他の兄弟たちと同盟を結び、権謀術数と張り巡らせた罠を駆使して最も追い詰めた対立候補。

 しかし、計画は当初の下馬評を覆せず、同盟は崩壊し、最後は互いに嫌い合っていた姉妹のプリスカと果たし合い、命を落としたと。


 当時の年齢と器から言っても、ヴィンセントでなければ玉座を手にしていたのは彼女であっただろうと、『選帝の儀』に関わったものの間では語り草となっている。

 ただ、敗北は敗北。覆せぬ現実の前に、ラミアの体は『陽剣』の炎で焼かれて灰となった。それもまた、覆せぬ現実のはずだ。

 それが――、


「ラミア閣下、何故……」


 普段から閉じられたように細いベルステツの目が、その瞳の色が灰色であることが確かめられるくらいに開けられ、眼前の相手に驚愕を露わにする。

 おののくベルステツの視界、風に揺れる国旗を背負うように玉座に腰掛けるのは、記憶に鮮明な主人、ラミア・ゴドウィンの尊顔に他ならなかった。


 血の気の引いた白い顔をひび割れさせ、美しかった紅の瞳を、黒い闇に金色の光が浮かぶという不気味なそれへと変じていること以外は。


「ベルステツ、私の質問が聞こえなかったのかしらぁ? 『選帝の儀』で勝ったのはヴィンセント兄様? プリスカ? まさかパラディオ兄様だなんて言わないでしょう? 私が倒れたあと、あの二人以外が競い合うなんて悪夢だものぉ」


「――。閣下がお倒れになられたあと、玉座を得たのはヴィンセント・アベルクス閣下です。現在に至るまで、在位九年の統治を」


「でも、死んでしまった。それが足下で倒れている答え?」


 ベルステツの言葉を遮り、頬杖をついたラミアが倒れ伏した亡骸を見やる。彼女の位置からでは顔は見えなくとも、血を分けた兄弟同士、見分けはつく。

 厳密には、倒れているヴィンセントは本物のヴィンセントではなく、チシャ・ゴールドの扮したものというのがベルステツの見立てだが、いずれにせよ、だ。


「失礼ながら、ラミア閣下、お聞きしたきことが」


「何かしら、ベルステツ。あなたは私の忠実な腹心だったじゃなぁい。聞きたいことがあるなら答えてあげるわよぉ」


「何ゆえに、戻られましたか。付け加えれば、その玉座はヴォラキアの皇帝以外が座ることの許されぬもの。――閣下には、その資格がございません」


 不敬と、そう相手の不興を買うのを承知でベルステツはそう言い放った。

 かつて仕え、彼女こそがヴォラキア帝国の玉座へ就くに相応しいと、そう盛り立てるのに全霊を尽くした日々があった。時を隔てて、実際にラミアがああして皇帝の玉座に座っている光景を見れば、込み上げてくるものがある。

 ――胸の奥に沸々と、耐え難い嫌悪と怒りが込み上げてくるのだ。


「賢明なご判断を、閣下。我々は敗れました」


 胸に手を当てて恭しく、ベルステツはかつてと同じようにラミアに進言する。

 まだ年若く、しかし美しく聡明だったラミアは、ベルステツの提言に耳を傾け、真剣に取り合い、考慮して咀嚼し、正解を導こうとするしなやかさがあった。

 その、ラミアの狡猾な毒花のような美徳は――、


「病気ねぇ、ベルステツ。どれだけ愛して尽くしても、この国があなたに応えてくれることなんてないでしょうに」


 首を傾け、凍り付いたように変わらない表情のラミアの返答、それを受け、ベルステツは即座に動いた。

 胸に当てた手をラミアへと向けると、その指に嵌まった指輪が妖しく光る。

 それは宰相の証として、ベルステツへと与えられた『ミーティア』だ。


「御覚悟を――!」


 ベルステツの意思に呼応し、光り輝いた指輪の宝珠から火球が吐き出される。

 溜め込んだマナを魔法として放出するそれは、護身の名義でヴィンセントも所有していたものだが、それがかつて忠誠を捧げた主人――否、その似姿へ襲いかかる。

 そのまま、玉座のラミアが無防備に火球に呑み込まれ――、


「馬鹿ねぇ。ヴォラキアの皇族相手に火はないでしょう、火は」


 次の瞬間、眩い赤い光が玉座の間を照らし、火球が斜めに両断される。それは勢いそのままにラミアを避けて、玉座も避けて国旗の下がる壁へと激突、火炎を上げた。

 放置しておけば国旗へ燃え移り、水晶宮が火で包まれる恐れがあるが、ベルステツの注目は水晶宮の未来よりも、その手前にある。


 玉座から立ち上がったラミアの手に、赤々と光り輝く宝剣が握られている。

 見紛うはずもないそれは、ヴォラキア帝国の誇る至宝――、


「――『陽剣』ヴォラキア」


「ヴォラキアの皇族なら、持っていて当然でしょぉ?」


 再び目を見開いたベルステツ、その普通の人間の薄目程度に開いた眼に、輝かしい陽剣を手にしたラミアが自分の方へ跳ぶのが見えた。

 振りかぶり、ラミアの斬撃が自分へと迫る。あの眩い紅が見た目だけ似せた偽物でないのなら、ベルステツの存在は焼き焦がされ、灰も残らない。


 動かなけば。しかし、動けなかった。

 そういう訓練を受けていなかったし、何よりも、その眩さに目を奪われた。

 ヴォラキア帝国を象徴する、その陽剣の眩さに――。


「じゃあね、ベルステ――」


 一閃がベルステツへ降りかかり、帝国を根底から揺るがした忠臣を気取った奸臣の命が終わると、そう自身でも理解が追いついた瞬間だった。


「ぬうううん!!」


 玉座の間の大扉が外からぶち破られ、その向こう側から何かが凄まじい勢いで飛び込んでくる。それは一切の緩みない速度で、ベルステツへ刃を振るっていたラミアと正面から衝突し、「ぷ」と皇女の細い体を吹き飛ばした。


「な……」


 と、目前の死が遠のく感覚にベルステツが見れば、ラミアと激突したのは投げ込まれた戦斧だった。それは玉座の間の前、水晶宮の通路に並べられた甲冑に持たせた武器の一本であり、儀礼用の装飾が施された煌びやかな一品。

 それでも、実際に使えない武器など飾らないのが帝国流であるため、その戦斧も常に手入れは怠らず、すぐに戦場で使えるようにされた代物ではあったが。

 それが、ラミアを正面から迎撃し、猛烈な勢いで玉座の間の背後へ吹き飛ばした。


「誰が……」


 斧を投げ込んだのか、と疑問を抱いたベルステツ。それが振り向いて、相手を確かめるよりも早く、大きな足音が一気に近付いてきて、


「奸臣、ベルステツ・フォンダルフォン! やはり貴様のようなものを宰相として置き続けるなど、私は反対だったのだ!!」


 巨大な手に襟首を掴まれ、足を浮かされたベルステツは髭の巨漢と向き合わされる。大きな体に相応しい大きな声と、あつらえたような厳つい面構えの持ち主だ。

 剥き出しの上半身は鍛え上げられた筋肉の鎧に覆われ、ひと月以上も監禁状態にあったはずなのに覇気は微塵も衰えていない人物――、


「ゴズ・ラルフォン一将……」


「貴様には公の場で裁きを受けてもらう! 無論、謀反を計画し、実行したチシャ一将も同罪だ! たとえその真意がどうあろうと、閣下や味方を謀った罪は重い!」


「――――」


「そもそも! 我々を! 将兵を見くびるな! たとえ如何なる艱難辛苦だろうと、『大災』など我らが力を合わせて粉砕してくれる!!」


 大音量で言ってのける巨漢、ゴズ・ラルフォン。

 帝国の『九神将』の一人であり、『伍』の立場に与る彼は、その忠誠心の高さと間の悪さを理由に、ベルステツとチシャの策謀でヴィンセントの次に被害を被った人物だ。

 もっとも、彼の妨害がヴィンセントの帝都からの離脱を手助けした以上、ベルステツも目的のために彼に手心を加える余地はなかった。


 互いの目的のために全霊を尽くし、片方が勝ち、片方が負けるのが世の常であり、帝国流だ。故に、その点の謝罪の念などは全くないのだが。


「どうしてここに……あなたは、私奴の屋敷の地下に繋がれていたはずですが」


「勇敢な娘に助けられたのだ! 強き心の持ち主……私と同じく、あの屋敷に囲っていたのが運の尽きだったな! あれこそヴォラキア帝国の誇るべき婦女子よ!」


「……なるほど、彼女でしたか」


 ベルステツの脳裏に浮かんだのは、屋敷に捕えていた青い髪の娘だ。

 貴重な治癒魔法の使い手であり、マデリンの話では鬼族の娘であるとされる彼女は、能力的にも種族的にも皇妃の候補とするつもりだった。

 意思が強く、活力に満ちた女性と評価していたが、それもまだ過小評価だったらしい。


 計画の破綻が顕在化した現状、そこに拘りすぎるつもりもないが。

 ただ、そうしたゴズの登場の真相の裏で気掛かりなのは――、


「ゴズ一将、あなたも『大災』についてはすでに?」


「詳しくは聞いておらん! だが、それが閣下の御命を犠牲にして起こるという話だけは聞かされた! それも含め、チシャ一将から話を聞かねばならぬが……それよりも優先すべきは閣下の御身だ! 貴様らは閣下をどちらへ……」


 不必要に大きな声で応じながら、ゴズがベルステツへと自分の方針を告げる。

 内心、ゴズにまで伝わっていた『大災』の件を、チシャが完全に自分に伏せ切っていたことをベルステツは称賛、加えて憤懣を覚えたが、そこまでだ。

 言葉の途中でゴズが何かに気付き、その目を見開いた。

 そして――、


「な、ぁ……か、閣下……閣下ぁぁぁ!!」


 絶叫を上げ、ゴズがその場に崩れるように跪く。その勢いで投げ出されたベルステツが床に尻餅をつくが、ゴズは構わず、目の前の――赤い絨毯の上に頽れ、二度と動くことのない亡骸へと縋り付いていた。

 見開かれたゴズの瞳から、滂沱と流れ出す涙が厳つい髭に吸い込まれていく。その涙で髭を重くしながら、ゴズは大きな拳を絨毯に強く押し付け、


「閣下……! このゴズ・ラルフォン、あまりにも遅く……! なんという愚劣! なんという愚挙! もはやこの愚かしさ、死んで償う以外に……!」


「ご、ゴズ一将! 落ち着いてください! そのお方は……」


「これが落ち着いていられるものか!! おのれ、ベルステツ宰相! 貴様らはこれで満足か!? 閣下の御命を奪い、この帝国そのものを――」


「亡くなられたのはチシャ一将です!」


 胸を貫かれた皇帝の亡骸に激発したゴズを、ベルステツも声を大に黙らせる。

 自分でも滅多に出さない大声を出したベルステツに、ゴズは目を見開くと、それから倒れている死体をしげしげと確かめ、


「これが、チシャ一将……? 馬鹿な! だとしたら、何が起こった!?」


「私奴にも事の仔細はわかっておりません。ただ、閣下のお姿でチシャ一将が亡くなったことと、未曽有の事態……おそらく、『大災』と関わる何かが」


 感情の慌ただしいゴズを落ち着かせ、ベルステツは自分自身の思考も整理する。

 そう、おそらくはこの皇帝としての死も、ベルステツと結んで起こした謀反も、全てはチシャ・ゴールドが巡らせた謀の一種。

 そしてそれは、幾度も飛び出した『大災』の事象と無関係ではない。

 その『大災』について、詳しく知るものがいるとすれば――、


「――いきなりひどいわねぇ。こんな扱い、生まれてから死んでから初めてだわぁ」


「――――」


 部屋の奥から、しっとりとした声が投げかけられる。

 飛び込んできたゴズが荒々しく投げた戦斧、その一撃を浴びて吹き飛ばされ、轟沈したと思われたはずのラミアだ。


 先に言っておくが、彼女の存在を忘却していたわけではない。

 その後のゴズとのやかましいやり取りこそあったが、ベルステツが彼女について触れなかったのは、あの戦斧の威力が明らかに命を奪うそれだったからだ。


 ゴズ・ラルフォンは多くの将兵に慕われ、チシャ・ゴールドに次いで大軍の指揮を得意とする『将』だが、チシャと比べて個人の戦闘力も傑出している。

 そのゴズが、相手を打ち倒すつもりで攻撃を放ったのであれば、それを受けた常人の体などほんのひと撫ででバラバラになって然るべきだ。


 だが、ラミアはそうならなかった。――否、厳密にはそうではない。


「まぁ、この体……痛いとかはないみたいで助かっちゃったけどぉ」


 言いながら、立ち上がったラミアが陶器のように砕けた右半身――それを、ゆっくりと繋ぎ合わせながら首を傾ける。

 冗談や比喩ではなく、本当にそうしている。傷から血も流れておらず、砕かれた部位が蠢きながら組み合わさる様子は、湖水に張られる氷のような印象だった。

 ただ、死んだはずの人物が蘇って動いているだけではない。


「ベルステツ宰相、私の見間違いでなければ、あの御方は……」


「――。ラミア・ゴドウィン閣下です。九年前の、『選帝の儀』の折に亡くなられた」


「何故、『選帝の儀』で亡くなられたはずの皇女閣下がああしている!? しかも、私はラミア閣下を攻撃してしまったぞ!? まさか、皇帝閣下が妹君を生かされていたとでもいうのか!?」


「そのようなはずがありません。ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下は、そのような情とは無縁の御方。あの面妖な姿、ラミア閣下の方の問題です」


 反射的なゴズの短慮をそう訂正し、ベルステツは今なおも肉体を復元しているラミアを見据えてそう判断する。

 できるなら、ラミアとの会話を引き延ばして情報を得たいところだが。


「交渉の窓口を閉じたのは、他ならぬ私奴の方ですゆえ」


「ええ、そうねぇ。私はちゃぁんと話してるつもりだったのに、どうしちゃったのぉ?」


「さて、人生の最後に挑んだ大勝負で味方の裏切りに遭い、自棄になったのやもしれません。私奴も、自分にこんな一面があったのかと驚いております」


「言っている場合か!! ラミア閣下! ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下の統治下で一将を与るゴズ・ラルフォンと申す! 大人しく、縛につかれますか!」


 先制攻撃を仕掛けた手前、話をしたいと言っても耳は貸されまい。

 それを肯定したラミアへと、今度はゴズが大きな一歩を踏み出した。戦斧を手放した状態であっても、その丸太のように太い両腕が彼にはある。

『陽剣』の力と、それに伴った肉体の強化があろうと、ラミアの実力ではゴズを止めることはできないはずだ。

 その、彼我の実力差がわからないラミアではないはずだが――、


「嫌よぉ、そんなの。目を覚ましてまた不自由だなんてたまらないわぁ」


「ならば、力ずくで……」


「――それに、ねぇ?」


 聞く耳を持たないならばと、ゴズがさらに大きく踏み出そうとしたそのときだ。

 ラミアの、妖しく光る金色の双眸が揺らめいて、状況が変わる。――その、ラミアと同じ黒い闇に金色を宿した影が、彼女の周りに次々と起き上がったのだ。


「なんだとぉ!?」


 仰天したゴズが叫び、ベルステツも声もなく喉を詰まらせる。

 まるで、地面から影が立ち上がるかのように現れるのは、ラミアと同じ目と、同じように色を失った肌をひび割れさせた異貌のものたち。

 それだけでも驚愕だが、ベルステツとゴズの衝撃はそれだけでは終わらない。


 その、立ち上がった全員に見覚えがあったことと――、


「――どうせ終わる帝国に縋り付いてるあなたたちが、哀れでならないものぉ」


 そう言って『陽剣』を掲げたラミアの周囲、同じように空に手を伸ばした二十以上の人影が全員、紅に輝く宝剣を抜き放ち、焼かれぬ資格を持つ皇族であったからだ。



                △▼△▼△▼△



 ――『捌』のモグロ・ハガネと、マデリン・エッシャルトとバルロイ・テメグリフの新旧『玖』の戦いは、水晶宮の傍らでなおも激しく続いている。


 すぐ間近で繰り広げられる規格外の戦いは、巨大な人型の城壁と雲を纏った龍とのぶつかり合いであり、そこに帝国最強の飛竜乗りが加わった帝国史に残る激戦だ。

 響き渡る轟音と地鳴りはヴォラキア帝国の上げる悲鳴そのもので、破壊された貯水池から流れ出した水は濁流となって帝都へと流れ込んでくる。


 まさしく、帝都ルプガナは――否、神聖ヴォラキア帝国はかつてない、滅亡を予感させる激動の状況へと追い込まれていた。

 そんな状況にも拘らず――、


「閣下か、それとも閣下か。いずれにせよ、『大災』がやってきます。ぼくと一緒に、『大災』に抗おうじゃあーりませんか!」


 両手を広げて破顔し、壊れゆく帝都の街並みに見向きもしない『星詠み』の姿は、場違いを通り越して悪夢のようで、只人の理解を軽々と踏み躙っていく。

 しかし、悲しいかな。その『星詠み』の常軌を逸した笑みと向き合わされたのは、この帝国で最も只人であることを許されない立場の人間だった。


「――――」


 一瞬、ちらと自分を救った奇跡の舞台裏にアベルは目を走らせる。

 高所から転落したアベルを救ったのは、落下地点にピンと張られた布であり、水晶宮の各部屋や周囲の建物からかき集めた即席の緩衝材だ。

 助かった仕組みはそれで頷ける。問題は、何故それが用意できたかだ。

 誰かが――否、アベルが落ちるとわかっていなければ、こんな準備はできない。


「貴様、どこまで知っていた!」


 そう結論付けた瞬間、アベルの伸びる手がにやけ面のウビルクの胸倉を掴んだ。強引に引き寄せられ、「ととと」とウビルクが踏鞴を踏んで目を丸くする。

 すぐ目の前で顔を突き合わせ、アベルは厳しくそのウビルクを睨むと、


「チシャの企み……いや、そうではない。『大災』の訪れが誰の死によってもたらされるものか、貴様はどこまでわかっていた。貴様は、俺の死と――」


「ええ、ぼかぁ、こう言いました。――ヴィンセント・ヴォラキアの死が、帝国に滅びをもたらす『大災』の始まりになると」


 息のかかる距離で睨まれ、しかしウビルクの余裕のある態度は崩れない。おそらく、これは余裕ですらないのだ。もっと別のおぞましい、期待や昂揚と言える。

 事実、ウビルクは昂揚している。ようやく、待ち望んだ機会が訪れたのだとばかりに。

 だが――、


「ヴィンセント・ヴォラキアとは、俺のことだ」


「いいえ、いいえ! 閣下! それは違います。そーれは違います。声を大にして言わせていただきますが、それは違っていますよ、閣下」


「――――」


「チシャ・ゴールド一将は、紛れもなくヴィンセント・ヴォラキアを全うされました。他ならぬ閣下ご自身が、それができるようチシャ一将を象ったんです」


「俺は……」


 そんな目的で、チシャ・ゴールドを傍に置き続けたのではなかった。

 いずれ来たる『大災』のとき、その場に居合わせることのできない無力な皇帝に代わり、帝国の一切を取り仕切れる能力の持ち主が必要だと、そう考えた。

 自分の亡き後、帝位を継ぐだろう相応しい存在と協力し、帝国を滅びから守るものが。


「何ゆえ、貴様はこの企てに加担した」


「はい?」


「『星詠み』である貴様は、天命の成就と履行とやらにしか興味があるまい。ならば、『大災』を確実に起こしたいなら、俺の命を用いるべきだったはずだ。何故、不確実なチシャめの策に乗ろうと考えた。筋が通らぬ」


『星詠み』とは人間の姿を借りた天命の操り人形だ。

 どれほど人好きする姿や親身に寄り添う態度を装っても、その内側にあるものは天命への執着と、それを果たそうとする狂信的な想いでしかない。

 優先順位は明確のはずだ。なのに、どうしてチシャの策謀に肩入れしたのか。


「何故だ、答えろ」


「うーん、ぼかぁ、これを言ったら閣下はお怒りになられるのではと思うのですが」


「言え」


「まぁ、閣下ご本人でもチシャ一将でも、ぼかぁ、どっちでもよかったんですよ。起きればよし、起きなければ悪し。チシャ一将が閣下のお姿で亡くなっても『大災』が起こらないなら、そーのときは閣下ご本人を……と」


「――。ならば、この状況は貴様の期待通りか」


 ペロッと悪戯っぽく舌を出すウビルクに、アベルは静かに得心する。と同時に、これ以上、ウビルクと話しても埒が明かないとも理解した。

 掴んでいた彼の胸倉を離してやり、アベルはゆっくりと振り返る。鬼面越しの視界に映り込むのは、アベルを救った布の端を持った複数の人影だ。

 いずれも、水晶宮では見たことのない顔ぶれだが――、


「このものたちも、貴様の一派か」


「一派と言えるほどの数じゃーありませんけどね?」


 肩をすくめたウビルクが回り込み、同類たちの前で両手を広げる。ざっと十数名の、老若男女関係なく集まったものたちは、彼と同じ『星詠み』だろう。

 減らしても増える。観覧者の手先はどうした風に選ばれるかわからないため、存在を把握したまま放置しておいたものも多いが。


「お伝えした通り、ぼくたちは天命に従って動きます。閣下はどうされますか?」


「俺は――」


 どうすべきか、と思案しながらアベルは自分の考えを舌に乗せようとする。

 だが、ウビルクへと応じる途中、ひと際大きな衝撃が地面を揺すり、アベルたちから離れた位置に音を立ててモグロの体の一部が落ちてくる。

 なおも激戦の最中、しかし、二対一である点からもモグロの不利は否めない。


 死んだはずのバルロイ・テメグリフと、その愛竜の復活。

 そこから導き出される最悪の可能性は、それが彼らだけに留まらないことだ。


「帝都の混乱と帝国の危機、理の覆る出来事はまさしく『大災』の表れ」


 舞い散る粉塵に顔を庇うアベルの傍ら、ウビルクが顎をしゃくって空を示す。

 蘇った死者と龍が暴れ、おそらくはそれだけで済まないだろう被害の拡大を予感させながら、


「王国の『魔女』、都市国家の『夜泣き』、聖王国の『崩落』。そして、帝国の『大災』……世界を滅ぼす四つの災い、そのときが迫っています。この瞬間も」


「――――」


「ああ、それと閣下、これはぼくの個人的な意見なんですが」


 言いそびれたことを口にするように、ウビルクがわざとらしく手を打った。そうして『星詠み』は頭上を、モグロたちの戦いを指差し――否、違う。

 ウビルクが指差したのは戦いではなく、激戦の余波に揺れる水晶宮、それも大穴の空いた玉座の間だった。


「どうしてチシャ一将の企みに協力したのか、でーしたね。どちらでもよかったというのは本心ですが……閣下の方が、確率が高いと思いました」


 いけしゃあしゃあと言って笑い、ウビルクが水晶宮を指差した手を下ろし、そのままの動きでアベルへとその指を向ける。


「ぼかぁ、天命の成就を最優先します。ぼくの目的は『大災』が起こり、それがもたらす滅びを食い止めるこーと。――優先順位はブレてません」


『星詠み』は天命の成就と履行に執着し、その目的に囚われた生き人形。

 その認識は変わらない。その認識を変えないままに、ウビルクは自分の行動の理由を、選択の根拠を、求める未来を提示する。

『大災』からヴォラキア帝国を救うために、アベルの方を優先したと。


「――チシャ・ゴールド、貴様は」


 色の抜け落ちた自らに、ヴィンセント・ヴォラキアという色を染み込ませ、装った黒い眼にどんな未来を、どんな期待を、描いていたのか。

 期待や希望なんて言葉、くだらない現実逃避だと何故わからなかったのか。


「――およ」


 顔に手を当て、鬼の面の頬を掴むアベルの耳に、不意の爆音が轟き聞こえた。それに反応してウビルクが間の抜けた声を漏らし、次いで、重々しい音が傍らに落ちる。

 見れば、先ほどアベルを受け止めた布の上に何かが落ちてきた。ただし、アベルのときと違って助けるために布は張られておらず、緩衝材の役割を果たさなかった。

 しかし――、


「布が敷き詰めてあって正解であった! ベルステツ宰相! 生きているか!」


「老体には応えましたが、どうにか……む」


 被さった布を振り払い、その下から姿を見せたのは上半身裸の大男と、その腕に抱えられている白髪の老人の二人組だ。

 どちらも見覚えがあり、ここで出くわすとは思ってもみなかった相手。


「おーや、ゴズ一将じゃありませんか。それにベルステツ宰相もご無事で」


「あなたの方こそ、逃げ去ったかと思えばまだここに……」


「貴様! チシャ一将やベルステツ宰相に余計なことを吹き込んだ『星詠み』か! 貴様のせいで閣下は……閣下はぁぁぁ……っ!!」


 頭上、どうやら水晶宮の大穴から飛び降りてきたらしい大男――ゴズ・ラルフォンが、宰相のベルステツを抱えたままウビルクへと詰め寄る。

 チシャの狙いがわかった今、ゴズは殺されてはいないと思っていたが、ここでこの状態で現れるのは如何なる流れが起こった結果なのか。

 ベルステツも、チシャとどこまで通じていたものか。


「帝都の混乱も何もかも! 全ては貴様の暗躍が原因か! 死して詫びるがいい!」


「ちょっとちょっと待ーってください! ぼかぁ、大掛かりなことは何もしてません、ゴズ一将の身に起こったことと無縁です! だってほら、天命的にはゴズ一将のことって気にするほどのことではなくて……」


「おのれ、貴様ぁ!」


 余計な口を叩いて、ますますゴズの怒りをウビルクが買う。ゴズは抱えているのを忘れているのか、ベルステツが苦しげに身をよじっている。

 しかも、事態の変化はそれだけに留まらず――、


「うわぁ!? 近付いてみればみるほど摩訶不思議! 僕を袖にした龍を追いかけて走ってきてみれば代理の相手がでっかい人形ですか! 確かに見栄えはするかもしれませんが僕の代理が務まるとは思えないなぁ!」


「――――」


 キャンキャンと甲高い声が聞こえたかと思えば、次の瞬間にはその声の主が凄まじい風を纏いながら土煙をぶち撒いてその場に現れる。

 履いたゾーリの足裏を滑らせながら、手で庇を作って空を仰いでいるのは、呼ばれてもいないのにやってきた青い髪にワソーの少年――そのけたたましい態度と言動、何よりも見知った姿を縮めただけの姿かたちに、全員が目を見開く。


「せ、セシルス・セグムント――!?」


「あれ? 今僕のこと呼びました? いやぁ、そんな疾風迅雷で僕の名前が広まるぐらいのことをしでかしましたか照れますねえ。本音を言えば最高の見得切りはあの龍を斬り落としたときがベストだと思ってたんですが自分の花形度合いが憎い!」


「……間違いない、セシルス一将だ!」


 モグロと『雲龍』の戦いを眺めていた少年が振り返り、間違いようのない独特の距離感でそんな言葉を発する。

 そこにいたのは、紛れもなく『九神将』最強の存在であり、ヴォラキア帝国の武の頂に立つ『壱』であるセシルス・セグムント――の、幼い状態だ。

 ちょうど、アベルが初めてセシルスを拾い、部下として迎え入れたときがこのぐらいの年齢だった。その後は中身はともかく、外身は成長したはずだ。


「それが、貴様、何故小さい。……オルバルト・ダンクルケンの仕業としか思えぬが、だとしたら」


 魔都カオスフレームでオルバルトと遭遇した際の態度と矛盾が生じる。

 オルバルトはどうやら、チシャが偽皇帝に扮している事実を知らなかった。だが、もしもオルバルトがセシルスに、ナツキ・スバルやミディアムたち同様の術をかけていたのだとしたら、その行動を疑問に思わなくてはならない。

 何故、皇帝は自分にセシルスを幼くさせたのか、と。

 それに合理的な説明が付けられるとは思えない。セシルスは十年以上も何の矯正もなく過ごさせてきた。今さら、あれに付ける首輪などないのだから。

 すなわち――、


「ちびっちぇえのに足速すぎじゃろ、お前さん。ワシがこんだけ突き放されるなんて、本気で体の衰えを感じちまうんじゃぜ」


 頭に思い浮かべた直後、その場に今度は小柄なシノビ――オルバルト・ダンクルケンが出現する。帝都防衛のため、城壁の頂点を任されていたはずが、その役目を放棄してまで水晶宮へ戻ってきた。

 何故、シノビの頭領たるオルバルトがそれをしたのかと言えば、


「あれれ、振り切ったと思ったのに振り切れませんでしたか。すごいですね、ご老人! その歳でまだ舞台の役名が欲しいだなんて見上げたお気持ちです! 天晴れ!」


「やかましいわい。その分じゃと、コロッとあれこれ忘れてやがるじゃろ、お前さん」


「コロッと忘れた? はて、何を言われているのかさっぱりわからんちんですが」


「ワシがやってねえのにセシが小せえのは、チェシの野郎がやりよったんじゃろ。ワシは人の技は盗んでも、人に盗まれんのは嫌いなんじゃぜ」


「あはははは、すごい身勝手な言い分ですね! でも嫌いじゃないです、むしろ好き」


 不満げに唇を曲げた老人に、それよりかろうじて背の高い幼いセシルスが笑う。

 なおも『星詠み』のウビルクはゴズに詰め寄られ、その太い腕に抱えられたベルステツは自由を奪われたまま、すぐ傍で続いているモグロと『雲龍』、そして蘇ったバルロイとの戦闘の余波が降りかからないかを気にしていた。


「……なんだ、これは」


 続々と、この場に集まってくるものたち。

 気付けば、ヴォラキア帝国の『九神将』の過半数がこの場所にやってきている。


 これもチシャの差し金か。

 ヴィンセント・ヴォラキアができることであれば、同じことができるようにと仕込んだはずのチシャ・ゴールドは、どこまでこちらの思惑を超えてきたのか。

 自分の命を懸けてアベルを生かし、その先に何を――。




『――申し訳ありませんが、それはできかねますなぁ』




「――――」


 かつて、ヴィンセント・アベルクスの問いかけに、チシャ・ゴールドはそう答えた。

 自分のために死ねるかと聞かれ、それはできないと正面から答えたのだ。

 ならば、チシャが命を投げ打ったのは、ヴィンセント・アベルクスのためではない。


 もちろん、アベルや、ヴィンセント・ヴォラキアのためでもない。そうした言葉遊びではなく、チシャが命を投げ打ったのは――、


「――聞け! これより『大災』がくる! 以降、俺の指示に従え!」


 奥歯を軋らせ、顔を上げたアベルが瓦礫の上に飛び乗り、振り向く。そうして集った面々を一斉に見渡し、全員に聞かせる声でそう言い放った。

 そのアベルの宣言に、それぞれが身勝手な行動をしていたものたちがこちらを見る。


 瞬間、事情を知るウビルクたちとベルステツ以外の、『九神将』たちの瞳を過ったのは一末の疑念――いったい、この男は何者なのかと。

 それを受け、アベルは自分の鬼面に手を伸ばし、頬を掴んだ。最期の瞬間、チシャが自分に被せたそれを剥ぎ取り、素顔を見せる。

 そして――、



「俺は貴様らの皇帝、ヴィンセント・ヴォラキア。――帝国の剣狼、その一頭だ」



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俺が美食家なら閣下食べたいわー 暴飲!暴食!
他国の強者を引き入れた上で、九神将を一処に集めた 確かに総合的に見て戦力が最大限集まってるな
[気になる点] アベルが勝った血盟の儀では、陽剣使えたのが10人程度だったはず。今回20人以上の皇族が陽剣構えてるってことは過去の皇族も生き返ってるのかな?
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