第七章105 『頂点乱麻(中編)』
地面に拳を押し付けて、震えかける膝を酷使しながら立ち上がる。
ずっしりと、打撃は体の芯まで響いて、内臓は掻き回されたように悲鳴を上げる。
裂傷や打ち身の類なら、足裏から吸い上げる大地の力を頼りに強引に癒し切れた。しかし、相手の駆使する得体の知れない技は、そうした荒々しい防護を抜いてくる。
その態度は忌々しく、その性根は憎らしくも、敵は帝国最強と呼ばれる一人。
人知を超えた鍛錬の果てに完成したその技は、愚直なガーフィールを容赦なく翻弄した。
だが、経験や年季不足を理由に蹲ってはいられない。
器用なことは何もできないガーフィールにとって、要求されるのは勝利のみ。それ以外の答えは選べないし、何よりも――、
「てめェの横で、蹲ってッなんてられッかよォ」
噛みしめた歯を軋ませ、顔を上げたガーフィールが喉を唸らせる。
その視線は正面に向けたまま、しかし意識を向けるのは疑いようのない敵ではなく、自分の傍らに立っている個人的な『敵』である男だった。
「やれやれ。君の負けん気は美徳だが、この場はさすがに私ではなく、あちらの老人へ向けるのが筋ではないかい?」
「『棚上げするカグリコン』だ。てめェが筋を語るんじゃねェ。筋の通らねェ真似ッしたのはてめェの方がずっとッ先だ」
「それこそ、もう一年半も前のことだが……君が知っているものを除いたら、それどころで済まないのは認めるところだがね」
細い肩をすくめて、口の減らない返事をしてくる男――ロズワール。
化粧を落とし、ふざけた道化の衣装も脱ぎ捨てたその姿は、素性を隠すためとはいえ、一人の真っ当な貴人としての雰囲気を保っている。
その根っこがどれだけ歪んでいても、それを感じさせない達者な偽装だ。
そんな憎々しいロズワールの助言がなければ、命を危うくしたのは事実。
それを自覚しているが故に、ガーフィールの腹の底から怒りの熱が込み上げる。
一方――、
「――前にもシノビとやり合ってるっちゅーんは、ちょいと聞き捨てならんのじゃぜ」
そう呟いたのは、小人族と見紛うような小柄な体躯の老人だ。
手首から先がなくなった右腕の袖を振り、いかにも好々爺とでも言いたげな顔つきからは、この老人がどれほど恐ろしい存在なのか全く窺い知れない。
それも含め、シノビの術技であるのだとガーフィールは痛いほど体感した。
その仕草も言動も、弱々しい外見さえも全ては相手を死に至らしめるための道具――その存在の全部を、標的を仕留めるための凶器とするのがシノビなのだと。
そのシノビの頭領たる怪老が、ガーフィールたちを――否、ロズワールを睨んでいる。一対一の戦場へ割り込む無礼を咎めるのではなく、その関心は別にある。
――シノビと戦った経験があると、そう嘯いた発言に。
「シノビとやり合ったら命がないのが基本じゃぜ? 返り討ちで殺し損ねたんなら里に報せがいって、相手が死ぬまで次を送るっつーんがお約束じゃからよ。だのに、なんでお前さん生きとんのよ」
「そのあたりは少々複雑でね。どうやら、私が出会ったシノビたちも事情を抱えていたらしい。言葉として正しいかわからないが、抜けシノビというやつさ」
「抜けシノビ……」
己の長い白眉を指で撫で付けながら、オルバルトが小声で呟く。
ロズワールの口にした単語は、ガーフィールも覚えがない。そもそも、シノビとはその存在がまことしやかに噂されるが、実在するか怪しいお役目の存在だ。
当然、その実態なんて誰にも知られていない。抜けシノビなんて言葉も初耳だった。
「里を抜けたシノビ、それもしばらく出しちゃいねえんじゃが?」
だが、聞き慣れない単語を否定せず、オルバルトは内容にだけ率直に触れる。
里の事情、シノビの事情、全てを把握しているというような発言だが、事実そうなのだろう。責務からではなく、生きる術として掌中のものを把握する。
それが、オルバルト・ダンクルケンというシノビの処世術――。
「しばらく、がどのぐらいの期間を意味するかわからないが、その範囲外かもしれない。なにせ、私がシノビと会ったのは四十年近く前だ」
「あぁん?」
肩をすくめたロズワールの答えに、『悪辣翁』オルバルトが疑問の声を発する。
同じ疑問はガーフィールにも生まれた。というより、ここまでの発言が全部ただの出任せである可能性が高いと、その度胸に脱帽する。
わざわざロズワールの年齢なんて聞いたこともないが、せいぜい三十歳前後――エミリアやベアトリスとは違うのだ。四十年前なんて生まれてもいない。
この土壇場で、オルバルト相手に悪ふざけなんてとんでもない真似を――、
「――シャスケとライゾウあたりじゃね? お前さんの言っとる抜けシノビ」
「ほう」
「四、五十年前に里を抜けて、生きてる奴らっつったらその兄弟くれえじゃからよ。他のは始末されてっし、候補がおらんのじゃぜ」
ガーフィールが悪ふざけと断定した話に、オルバルトはなおも根気強く付き合う。そのことに瞠目するガーフィールの傍ら、ロズワールは片目をつむった。
黄色い方の瞳が妖しく、オルバルトを見返して、
「さて、当たりかどうか答える義務があるのかな?」
「ねえな。相手の心に引っかかりを作っとくのも、紙一重の殺し合いの中じゃ有効……お前さん、シノビの才能あるかもじゃぜ」
「賛辞はありがたいが、辞退しよう。私の欲しい才能も歩みたい道も、それこそ四十年よりずっと以前から決まっている」
「かかかっか! そうかよそうかよ。――じゃあ、仕方ねえんじゃぜ」
首を横に振るロズワールが、オルバルトの称賛を袖にする。
それをさして気にも留めぬ態度で笑い、その直後、オルバルトの姿が霞んだ。霞んで、瞬きの合間に彼我の距離が消える。怪老の足が跳ね、標的の首へ襲いかかった。
それが――、
「――ッ」
首に微風を受け、ガーフィールは息を詰めた。
その首筋、肌と触れるか触れないかの位置で、致命的な衝撃が散らされる。放たれたオルバルトの蹴撃、それがすんでのところで止められるに至って。
「今の会話の流れで、私でなく彼を狙うとは」
「敵は減らす。それも減らせっとこから。定石じゃろ?」
矮躯から想像もつかない脚力と切れ味、オルバルトの蹴りが直撃すれば、鍛えられたガーフィールの首であっても無事では済まない。
その無謀な比べ合いを現実のものとせずに済んだのは、首と蹴り足の間に割り込んだ特徴的な形状の短剣――否、刃ではなく打突する部位を持った得物。
『釵』と呼ばれるそれは、西国のカララギで使われているという無名の武器で、ガーフィールもお目にかかるのは初めてだった。
それが、ガーフィールの命を救った。
持ち主がロズワールであり、立て続けに二度目の救助という屈辱的な事実と共に。
「お、おおぉォォォッ!」
屈辱に身を焦がされた瞬間、ガーフィールの右腕が風を殺して打ち上がる。
狙いは当然、止められた蹴り足を軸に宙に留まる怪老だ。逃げ場のない空中、胴体をぶち抜いて戦闘不能へ持ち込まんと。
「うおっとぃ」
しかし、豪腕がぶち当たる寸前、オルバルトは異様に巧みな体捌きで身をよじり、ロズワールの釵に引っかけた爪先だけで斜め下に跳ねた。
放たれる拳を潜るように躱し、地を這う姿勢でオルバルトが距離を抜く。即座に、ガーフィールは追い打ちをかけようと踏み込みかけて――、
「一度落ち着こうか」
「がうッ!」
飛び込む予定の体が、腰のところで後ろから引かれて出鼻を挫かれる。
見れば、ロズワールが釵の先をガーフィールの服の腰に引っかけていた。それが何のつもりかと、噛みつこうとした瞬間、その意図がわかる。
ガーフィールのすぐ鼻先を掠め、回転する黒刃が横切っていったからだ。
「――ッ」
「離れる瞬間、後ろ手で死角に投じた飛刃だ。回転をかけて旋回させただけの小細工だが、シノビはこの手の技の宝庫。ましてや、相手はこの道の頂点だよ」
「狭い範囲のてっぺんなんて、偉そうにしてたら指差して笑われっちまうじゃろ。シノビの頂点なんて自慢気にするこっちゃねえよ」
攻撃の空振りも意に介さず、オルバルトが片目をつむって油断なくこちらを見やる。
その自分を省いた両者のやり取りに、ガーフィールはまたしても屈辱に歯を噛んだ。一度ならず二度までも、そして三度までもロズワールに命を救われた。
カフマとの戦いで、一つの壁を乗り越えた手応えがあった。
にも拘らず、そのカフマとの戦いを足蹴にする輩に対して、手も足も出ない。これではガーフィール自身にも、それに敗れたカフマにも顔向けが――。
「――ガーフィール、強さの種類を見誤らないことだ」
「あ……?」
「君は強い。だから、相手は君の土俵で戦うことを避けようとする。そのための手練手管だとわかれば、君の抱える弱さの大部分は消えるはずだよ」
拳を握り固めたガーフィールへと、そう述べるロズワールがもう一本の釵を抜く。
両手に短い打突武器を構えたその姿は、ガーフィールの知る宮廷魔導師としてのロズワールの姿はなく、一介の戦士としての体裁を保たんとしていた。
一瞬の戸惑いがあって、その意図が遅れてガーフィールにも理解できる。
ロズワールはこの状況においても、魔法を使えない縛りを守らなくてはならないのだ。
魔法を使えば、そこからロズワールの正体がバレる恐れがある。そうなれば、これは帝国の内乱ではなく、王国と帝国との戦いに発展しかねない。
すなわち――、
「私にできるのは援護止まり……帝国一将との戦いの要は君だ、ガーフィール」
「――――」
「相性が悪いのは事実だとも。君は素直で正直者だからね。であれば、その不足を埋めるために私が立ち回ろう。私は……」
「――性格が悪ィ」
相手の言葉の尻を奪い、そう続けたガーフィールにロズワールが苦笑する。
「そう、私は性格が悪いからね。頼もしいだろう?」
「ハッ! 言ってろッ」
ウィンクするロズワールにそう返して、ガーフィールは手の甲で口元を拭った。
打たれ、血の流れるままだったそれをぐいっと拭き取り、深々と息を吐く。鳴動する空からは灼熱と極寒、いずれ劣らぬ脅威の気配が伝わってくる。
ピリピリと肌を粟立たせるそれらが、自分の仲間たちへと向けられる情景を思い浮かべるだけで総身が痺れる。
だが――、
「今だけァ」
目の前の、この敵に集中しなければ、次もその次もないのだと。
「……これで二対一、面倒臭くなりやがったんじゃぜ」
深呼吸するガーフィール、その様子にオルバルトがため息をつく。と、ガーフィールは老人の言葉に「あァ?」と眉を寄せた。
何をおかしなことを。腹は立つが、二対一というならロズワールが現れたときからそうだ。
「ただ相手が二人いたら、二対一って話にゃならねえのよ」
そのガーフィールの抱いた疑問に、オルバルトが首を曲げながら答えた。
怪老は長い白眉を指で摘まみ、
「いる二人が連携して、初めて二対一……さっきまでなら、生意気な若ぇのが二人いるだけじゃったのが、厄介になったって話よ」
「では、不利を悟って投降されては?」
「かかかっか! 敵前逃亡も戦闘放棄も、犬死に以下の最低の無様よ。それに、じゃ」
「それに?」
摘まんだ白眉を指で弾いて、オルバルトが歯を見せる。
矮躯の老人が、その笑顔と裏腹に全身からおびただしい闘気を溢れさせて、
「――二対一でも負ける気とかねえんじゃぜ、ワシ」
瞬間、老人の笑顔が霞み、再びその姿が視界から消える。
右や左だけでなく、この『悪辣翁』の場合は空も地面の下も選択肢に入ってくる。その可能性の選択にガーフィールは神経を高ぶらせ――、
「――股下だ」
聞こえた声に促されるまま、ガーフィールが半身を引く。
刹那、土の下から起き上がる怪老と目が合い、
「お、ああああァァァ!!」
渾身の一撃が振り下ろされ、オルバルトが膝を跳ね上げる。
その枯れ木のような老人の膝ごとぶち抜かんと、叩き込まれるガーフィールの拳。
衝撃波が大地を伝い、ひび割れさせ、壮絶な破壊が伝搬。
初めての直撃、そして本当の意味での、シノビとの死闘が始まった。
△▼△▼△▼△
――ヒーローは遅れてやってくる。
そんなある種のお約束があるが、スバルはあれが嫌いだった。
厳密に言えば、異世界へと飛ばされ、こちらの世界で色んな出来事を経験する過程で「ふざけんな」と思うようになったというのが正しい。
「これがゲームとか漫画とか、物語の中ならいいかもしれねぇけどよ」
フィクションの世界の出来事なら、盛り上げるためにそうした展開も必要だ。
だが、実際にこの動乱の世界を生きるスバルからしてみれば、争い事を決着に導ける英雄・英傑、人知を超えた実力者の登場なんて早ければ早いほどいい。
ヒーローが最速で現れ、速攻で問題の根っこを引き抜いてくれるのがベスト。
物語的に面白くないとか言われても、物語ではないのだからそれでいい。楽しいとか楽しくないとかを論じるのは、心に余裕ができてからでいいのだ。
「なのに、俺たちの到着が一番遅いなんて情けねぇ!」
真っ赤な疾風馬の背に揺られ、正面を見据えてスバルは悔しがる。
帝国の趨勢を決める、帝都を取り囲んでの攻防戦。誰に文句を言えばいいのか一概には言えないが、ひとまず、スバルは自分のノロマさに怒りを燃やす。
嫌い嫌いと思っていたのに、遅れてやってくるヒーローと同じことをしてしまった。
挙句に――、
「一番戦果を挙げてやるって意気込むのも、遅刻癖のヒーローと同じじゃねぇか!」
遅れてやってくるヒーローが一番活躍するのは、きっとヒーロー自身も遅れたことをめちゃめちゃ悔やんでいるからだ。
その間、仲間たちや守らなければならない相手、失いたくない誰かが辛く苦しい目に遭っていたと、ヒーローも十分以上に痛感する。だからだ。
このとき初めてスバルは、最初から戦いの場に間に合わなかったヒーローの、その後の奮戦ぶりの根拠を知った。――彼らも、自分を責めていたのだと。
「やるぞ、ベアトリス!」
「エル・シャマク!」
その理解と共に繰り出されるのが、スバルの胸に抱かれる少女の陰魔法――空中に生まれる黒雲が次々と、居並ぶ帝国兵たちの頭の部分に覆いかぶさる。
それは相手の視界を奪い、戦う力を削り取る――どころではない。雲を頭に被った兵たちが奪われるのは視力ではなく、戦う力そのものだ。
「「おおおお、りゃああ――!!」」
頭に雲を被り、動きの止まった帝国兵の列が、出鱈目な戦い方で突っ込んでいくプレアデス戦団の一撃に粉砕される。
無防備な彼らの武器を奪い、鎧を奪い、手足のどれかを壊してその場に放置、それが戦団の基本戦術であり、ボスであるスバルの意向を反映した戦いぶりだ。
不殺、と強く決めたわけではない。
それでも、できるだけ人の死なない方法を選んだ。そうするのが一番、ナツキ・スバルの心の平穏のためであり、同時に――、
「――俺は、ヴォラキア帝国が嫌いだ」
戦うことを、殺し合いを、戦士であることを強いる帝国への、腹いせだった。
「シュバルツ、城壁へ到達する。このまま帝都へ突入するか、あるいは他の頂点へと援護に回るか、判断が必要だ」
地面を揺るがし、その人並外れた巨体で大暴れするグスタフ・モレロ。
『剣奴孤島』の総督を任され、このプレアデス戦団においても欠かせぬブレーンとして活躍する彼は、その太くたくましい四本の腕を振り回し、迫る帝国兵を寄せ付けず、凄まじい戦闘力を発揮している。
彼の豪腕に殴られ、軽々と飛んでいく兵に頭の上を越されながら、スバルは眼前に迫りつつある城壁――都市を囲った星型の城壁、その第四頂点を視界に入れる。
それぞれの頂点を奪うこと、それがこの攻防戦で優勢を勝ち取る条件だが。
「グスタフさんはどう思う!? 攻めるべきか、もっと攻めるべきか!」
「本職は判断しない。ただ考え得るメリットとデメリットを提示する。――帝都に入り、水晶宮へ至れば決着を早められる。他の頂点へ援護に回れば、敵味方の被害を本職たちの力で減らせる。以上だ」
「悩ましい! 悩ましいが……」
戦っている最中でも、冷静さを失わないグスタフが頼もしい反面、こういう場面で決断の手助けはしてくれない性格が憎たらしくも思える。
しかし、可能性を提示しても、何を選ぶべきかを強制しない。
グスタフがそうした一線を守り続けてくれたからこそ、プレアデス戦団はこれまで瓦解せずに団結してきた。
そんなグスタフの態度ともう一個、戦団の結束に理由があるとすれば――、
「グスタフさん! 旗持ってるヒアインと半分連れて他の戦いの援護! ヴァイツ! もう半分を半分にしてここを維持! 任せた!」
ここで決断を預けられたスバルが、それをきっちり行使することだ。
「――本職は承知した」
「任せろ、兄弟! 同じ船に乗ったつもりでなぁ!」
「同じ船に乗るのは当然だ、トカゲ……! お前の頼みだ、オレも聞こう……」
スバルの決断を聞いて、名指しされた面々から次々と返事がある。
グスタフの提示した選択肢、その両方を取るという贅沢な判断。それも、それぞれの戦場に戦力を分けて行わなければならないわけだが――、
「――俺たちなら、やれる!」
そのスバルの宣言に、戦団の面々の意気がさらに高まるのがわかる。
それでこそ、あの地獄のような島から一緒に戦い、この地へ辿り着いた仲間たちだ。
「シュバルツ、私たちはどうする!?」
「決まってる! 俺たちはこのまま、壁の向こうに堂々エントリーだ!」
疾風馬の手綱を握り、スバルと共に駆けるイドラの問いかけ。
そのわかり切った答えに威勢よく答え、スバルは目の前の城壁を指差した。そして、その堂々たる城壁を見据えながら口を開け、
「やっちまえ、タンザ! お前が頼りだ!」
「――シュバルツ様は、調子のいい」
スバルの掛け声を受けて、すぐ真横から俊敏に飛び出したのは小柄な影。
キモノの裾を持ち上げ、颯爽と地面を蹴って城壁に向かうのはタンザだ。スバルとは奇妙な縁で共に往くことになり、プレアデス戦団でも欠かせぬ存在。
何故なら、彼女こそが――プレアデス戦団最強の、アタッカーだからだ。
「――はぁぁ!!」
弾丸のように飛んだタンザが空中で回転し、下駄を履いた足が城壁へ突き刺さる。
一拍、その直後に堅牢な城壁を打ち壊し、タンザの姿がその向こうへと突き抜けた。衝撃波が亀裂を生み、城壁の第四頂点、その全体にひび割れが広がる。
「続け続け続け続けぇぇ――!!」
「「おおおお――っ!!」」
そうしてタンザが最初の一撃を叩き込んだ地点へと、スバルの号令と共にプレアデス戦団の勢いがそのまま激突する。
それはもはや戦団一人一人の攻撃というよりも、プレアデス戦団という一個の生き物としての一撃であり、強固を誇った帝都ルプガナの城壁と言えどひとたまりもなかった。
「――――」
轟音を上げ、凄まじい粉塵を巻いて、城壁が力ずくで開かれる。
その圧倒的な光景を目の当たりにして、スバルはガッツポーズを取り、その腕の中でベアトリスがその丸い瞳を大きく見開いた。
「あの城壁をあっさりと……とんでもなさすぎるかしら……」
「――それがプレアデス戦団です」
おののくベアトリスの呟きに答える、粉塵の中から舞い降りるタンザ。
キモノを汚す土埃をはたいている彼女はほとんど表情の動かない娘だが、このときばかりはほんの少し自慢げだったように見える。
あまり仲間意識のようなものを見せてくれない彼女も、プレアデス戦団の一員である自覚はあるのだ。そうでなければ、『一致団結パワー』の影響は受けられない。
ただ、そんなタンザの態度がベアトリスはお気に召さなかった様子で。
「お前、生意気な面構えなのよ……!」
「生意気と申されましても、生まれつきこの顔です」
「表情は違うかしら! 表情は作れるものなのよ!」
「うー! あー、うー!」
つんと澄ましたタンザを見下ろし、馬上のベアトリスが顔を赤くする。すると、そのベアトリスの味方をするように、背中にしがみつくルイも騒ぎ始めた。
そんな少女たちの狂騒に、スバルは「待て待て、落ち着け!」と声を上げ、
「ケンカすんな! 俺たちはチーム! 仲間! 一つの『合』!」
「ごう……?」
「承知いたしました、シュバルツ様」
「むむむ、かしら」
聞き慣れない響きに首を傾げるベアトリスと、聞き慣れた響きにお辞儀するタンザ。
剣奴孤島の知識が差を付けた反応だが、それがますますベアトリスの怒りの火種になってしまいそうな雰囲気に、スバルは唇を曲げる。
しかし、そこでスバルが仲裁に動くよりも――、
「おのれ、覚悟ぉ――!」
「うえ?」
崩れた城壁の起こした粉塵、それに紛れて忍び寄った一人の帝国兵が声を上げ、剣を振り上げて馬上のスバルへと狙いを定めた。
信じ難くとも、この集団を率いているのがスバルであることは相対した敵兵からすれば明白。子どもでも侮れないとわかれば、侮らないのが帝国の流儀だ。
故に、兵の剣は狙い違わず、スバルへと吸い込まれ――、
「うあう!」
瞬間、後ろからスバルを抱きしめる力が強くなり、刹那で視界が変化する。
起きた出来事は単純明快、直前まで疾風馬が立っていた地点から瞬きの間に移動――違う、転移したのだ。
「な、なんだ……? うえぷっ」
突然の転移に目を回し、手綱を握るイドラが内臓を掻き回されて思わずえずく。スバルも身に覚えがある気がするそれは、背中のルイの有する異能だ。
そして――、
「シャマク」
「なっ!? く……ぐあ!?」
短く詠唱するベアトリスが帝国兵へと雲を被せ、動きの止まった帝国兵の足をタンザの水面蹴りが豪快に刈り取り、地面に打ち落として気絶させる。
一瞬の連携、それを果たした二人は馬の上と下で視線を交わし、
「お見事でした」
「お前も、なかなか悪くない動きなのよ」
などと、先ほどまでの険悪な空気が一転、そうしてお互いを認め合っていた。
「まぁ、幼女同士が打ち解けるのはいいことだ。……って、ルイ! いきなりやるのはやめろ、イドラの中身がひっくり返っただろ! 助かったけども!」
「あー、う!」
「んん、いい返事だ! イドラは深呼吸! たぶん、これが最初で最後じゃないから」
「ど、努力はしよう……」
ルイの転移の力があれば、不測の事態の不測を一個ぐらいは避けられる。
必要ならイドラがどれだけ吐きそうになっても、躊躇なく使ってもらうつもりだ。
「そもそも、俺も二回も三回も連続じゃ耐えられなかったはずだし……グスタフさん! ヒアイン! ヴァイツ!」
気を取り直したスバルの呼びかけに、崩れた城壁を目前とする顔ぶれが振り返る。それら一個一個、見知った顔の目をしっかり見据えて、
「頼んだぜ!」
「本職は職務を果たすのみだ。君もそうしたまえ」
「よっしゃぁ! プレアデス戦団、堂々と力ずくの凱旋だぜえええ!」
「シュバルツ、ここは死守する……。玉座を奪ってこい……!」
別の戦場へ向かうグスタフたちや、崩壊した城壁の死守に立ち止まるヴァイツたち、頼もしい彼らにそれぞれの持ち場を任せ、スバルは後頭部でイドラの胸を小突く。
スバルを抱え込むように疾風馬に乗るイドラはその頭突きに、
「では、中へ乗り込む。どうやら私たちが一番乗りのようだ」
勇ましく笑い、イドラが疾風馬を駆って、城壁の残骸を乗り越えて都市部へ入る。同じ馬に揺られながら、スバルもまた帝都ルプガナへ。
高い城壁の内側に隠れた帝都の街並みは、外からは全容を見られなかったものだが、建物が整然と規律正しく建ち並んだ、几帳面なそれだった。
「街の代表がよっぽど神経質じゃねぇとこうならないだろうな」
もしも当人が聞いていれば、何百年も前に造られた都市の建造の責任まで負えないと、そう反論があったかもしれないが、それも無理な話。
なので一方的な感想を言いながら、プレアデス戦団が帝都へ雪崩れ込む。
その目標は――、
「スバル! どうするかしら!」
「シュバルツ様、どうされますか?」
「うあう! あう、ああ、うー!」
「もちろん、決まってるぜ! 目指せ、帝都の水晶宮! てっぺんでふんぞり返ってる皇帝閣下の真ん前に、こんにちはって挨拶してやる!」
いっぺんに少女たちからそう問われ、それらにまとめて返事をするスバル。
ベアトリスもタンザも、そしてルイもそのスバルの答えに頷き返す中、それを間近で見る羽目になったイドラだけが静かに呟く。
「戦場に四人の子ども連れ……やはり、私に戦士の才能はなかったようだ」
そう、粉挽屋の倅らしい感想を。
△▼△▼△▼△
――そうして、ナツキ・スバル率いるプレアデス戦団が城壁を打ち壊し、ついに帝都ルプガナへと一番乗りを果たしたのと同刻。
「よもや、ここまで食い下がってくるとは思わなんだ」
帝都を包囲し、この帝国の在り方を根底から覆さんと目論む叛徒の集団――その全員が目的地と定め、辿り着くために命を燃やす水晶宮。
その城内の最も高く、最も威光の強く現れる玉座の間。背後の壁には剣に貫かれる狼の描かれた国旗が掲揚され、血のように赤い絨毯の敷き詰められた一室に、この帝国の権威の全てが集約された玉座と、それに座る皇帝の姿がある。
若く聡明で、研ぎ澄まされた刃のような冷酷な美しさを備えた皇帝は、自らの喉元へと剣を向ける輩が大挙して押し寄せても、その顔色一つ変えようとしない。
自らが言葉として発した通り、事態は想定を超えてしまったにも拘らず。
もっとも――、
「それは貴様の巡らせた十重二十重の糸の、どの段までをさした物言いだ?」
「――――」
それは玉座の間において、玉座に座った皇帝にかけられるにはあまりに不遜な言葉だ。
しかし、それを咎める忠臣の姿も、無礼者の首を刎ねる兵の姿もそこにはなく、絨毯を踏みしめる闖入者の無遠慮な靴音が室内に響き渡る。
そうしたあるべきもののいない玉座の間に、さらに不可解なことが一点。
もしもその場に他のものがいれば、眉を顰めただろう事実。――否、あるいは眉を顰めることもできなかったか。
何故ならその事実を認識するには、阻害された認識に踏み込むだけの根拠がいる。
かつて、古き時代の皇帝より、友誼を交わした部族へと送られた下賜品。
この世で最も恐ろしい存在、それを殺すために作り出された『鬼族』を模した面は、その裏に隠れた事実から畏れによって目を逸らさせる。
故に、鬼面を被った人物の声色が、皇帝のそれと全く同じと易々とは気付けない。
そうして、皇帝と同じ声色を持ち、畏れ多くも玉座の間を堂々と、まるで我が物であるかの如く歩き抜ける存在が一人、ヴォラキア皇帝の前に現れる。
それは――、
「存外、感慨も湧かぬものだな。――追われた玉座を、こうして下から仰いでも」
悠然と、一度は離れるしかなかった玉座へと帰還した、正当なる皇帝の凱旋だった。