第七章102 『覚悟の壁』
――トッド・ファングは、特別自分が用心深いとも周到とも考えていない。
ひたすら『当然』を突き詰めた結果、思いつく抜け穴を全部潰し、取り得る手段は可能な限り網羅し、できるだけ物事を悲観的に考えて失策を減らしておく。
それだけのことをやっても、相手が自分の考えの及ばない作戦や行動、奥の手を用意していた場合、手も足も出ないで呆気なくやられるだろう。
その程度が、自分の生まれ持った能力と現実との折り合いだと弁えている。
幸い、これまでそうした存在と出くわすことなく、あるいは出くわしても決定的な敵対を避けられてきたから、自分は今日まで生き長らえてきた。
ただし――、
「――このところ、とにかく運が悪い」
このひと月かふた月、ほんの短い期間を振り返り、トッドは我が身をそう嘆く。
ケチのつき始めは、帝都から東の地への派兵の一団に編入されたこと。それで婚約者のカチュアと引き離されたと思えば、あの最悪の拾い物だ。
野営地近くの川を流されていた二人の男女――女の方はともかく、男の方は今日までのトッドに降りかかった不運、その全ての切っ掛けと言って差し支えない。
前述の通り、トッドは自分が『特別』だとはまるで考えていないが、あの男はそこのところのタガが外れている。――凡庸なのに、異常だった。
交わした言葉も少なく、接した時間も短いが、当人にはその自覚がまるでない。
それまでも、それ以降も、トッドはいわゆる傑物と言われる存在を幾人も見た。
誰も彼も、自分自身の存在が普通という枠を外れ、自分だけの道を歩くしかないことを自覚している節があったが、そんな中であの男だけは例外だ。
それがヤバい。だから、その後も機会があれば何が何でも殺そうとだけは考えた。
しかし、その目的が叶わないとわかれば、トッドは即座に絶殺の方針を放棄し、その疫病神から遠ざかることを選んだ。関わらないのが一番だと。
雨除けの傘だったジャマルを犠牲に、無理して囚われのアラキアを助けたのもその一環だった。より強い力と権力を有したアラキアに気に入られれば、置かれた不本意な立場からも抜け出せると。――その目論見は、大きく外れた。
望んでもいないジャマルの敵討ちのため、結局は帝都にカチュアの存在を残し、頭空っぽで自分というものが一個もないアラキアを適度に使いながら、帝国全土で巻き起こった皇帝への反逆という一大事の渦中に放り込まれる有様だ。
何もかも、本当に何もかもがうまくいかない。
この全部の不満の始まりが、あの疫病神にもたらされたものであるように思える。だからせめて、このぐらいの思惑はうまくいってほしいのに――。
「――失敗失敗、今のでいっぺんにやっちまうつもりだったんだが」
敵陣深くへ潜り込み、奇襲による先制攻撃。
初手で武装した兵を始末したあと、居残った敵を見据えてトッドはそうぼやく。
相手は三人――女児が二人と優男が一人、真っ当な戦力である兵士を最初に仕留められたが、トッドはそれを最善の結果とは思わない。
むしろ、戦果は最低限に留まったと受け止めた。
本来、トッドが持ち場を離れて敵陣へ乗り込んだのは、この帝都攻防戦で厄介な働きをする存在――情報戦において、非凡な能力を発揮している相手の始末が目的だ。
これだけ大規模な集団戦では、正確な情報の取り扱いが生命線となる。
正直、堅固な防壁と一騎当千の『九神将』たちを抱えながら、帝国軍が数だけが取り柄の叛徒に食い下がられている最大の理由はそれだとトッドは考えていた。
人体に置き換えれば、集団の指揮官は頭か心臓だ。どちらも潰せれば致命傷だが、それがわかっているから誰でも当たり前に守ろうとする。ただ、どれだけ頭や心臓が奮起したところで、流れる血を巡らせる管が機能しなければ体は立ち行かない。
そういう意味で、この戦いの流れを決める役割を負っているのが、戦場で『血管』の立場に徹している、最優先で排除すべき敵なのだ。
「戦場にいるのに女も子どもも、って答えるのは簡単だが、それだと帝都の住民がとばっちりすぎる話だな。それに、ちょっと都合がよすぎるだろ」
交わすべきでない言葉を交わしながら、トッドは相手を値踏みする。
相対する三者の顔ぶれは先に並べた通りだが、この三人のいずれがトッドの警戒する『血管』に当たるのか、確証らしい確証は皆無。
見るからに戦場に似つかわしくないのは、まだ幼い二人の女児たちだ。
見た目は十代前半、『飛竜将』マデリン・エッシャルトも外見はそう変わらないが、一目で生き物としての次元が違うとわかる彼女と違い、女児はどちらも人間だろう。
ただし、本来ならいるべきではない存在がいるということが、そのまま女児たちがここにいなければならない存在だと、そう疑わせる要因にもなる。
「戦場に取り残されただけの非戦闘員なら、お前さんの今の理屈も通るかもしれんな。だが、戦場で仕事してる奴を非戦闘員とは認めんよ」
一方、真正面からトッドと言葉を交わす優男――彼も戦士の面構えではないが、現状、トッドの想定する『血管』の印象に最も近いのは彼だ。
非力さという意味では女児たちと大差のない雰囲気だが、目つきがおかしい。自分の命を平気で道具にする類の、抜け目のない眼光が細面の裏に隠れている。
その優男に目を奪われ、二人の女児の警戒を解くわけにもいかない。
女児の片方は異様に肝が据わった目をしているし、もう片方は紛れもなく、構えや立ち方に戦士の色がある。ヴォラキアでは珍しくもないが、後者の女児はすでに人の命を奪った経験もあるのだろう。
殺しの経験があるなら、それが女児だろうと覚悟の壁は乗り越えている。
つまり、油断ならないということだ。
「さあな。ただ、俺の勘が言ってる。お前さんたちが、この戦争で悪さを働いてる一番の根っこだ。それと、俺の勘はこうも言ってる」
三者、三様にトッドの警戒を招く相手揃い。
会話しながらトッドの隙を窺い、あるいは作ろうと画策している節があるのもいただけない。――誰が、最優先の対象であるか決定打に欠けるが。
「――お前さんたちも、時間をやらない方がいい奴らだってな」
全員、殺しておくべき標的であると、それがトッドの動かざる結論だった。
△▼△▼△▼△
――オットー・スーウェンはたびたび、自分の迂闊さを呪うことがある。
ナツキ・スバルとレムの二人が行方をくらまし、こうしてヴォラキア帝国へやってくる羽目になった事態が最たるものだが、それ以外にも自省する点は多々あった。
直前に、ペトラに窘められた部分に関しても、大いに反省せしむる事態である。
『言霊の加護』を用い、この帝都攻防戦の戦域を支配する。
大見得を切り、ペトラに助けられながら決行したこの方針は、贔屓目や自惚れを抜きにして戦場の形勢を一変させた。
『言霊の加護』の力と、オットーの聴覚をペトラの陽魔法で拡大する合わせ技――刻一刻と変わる戦場の形勢や布陣を把握し、現在進行形で情報を提供し続ける。
無論、集めた情報を的確に運用できなければ宝の持ち腐れだが、人格面はともかく、能力的にアベルはオットーの期待に応え、見事に使いこなしてみせた。
いったい、この戦場でオットーの働きがどれだけ貢献しているか、その実態がわかっている人間はあまりに少ないが、オットーは評価に拘らない。
どのみち、ヴォラキア帝国でのことは外部に一切漏らせないのだ。
これがルグニカ王国内でのことなら大っぴらに喧伝する価値もあるが、帝国での働きの評価なんて無用な危険でしかない。なので、評価なんて二の次だ。
「必要なのは、ナツキさんとレムさんを連れ帰る結果だけ。……あと、犠牲なしで」
スバルとレムを連れ帰るため、身内に犠牲が出ては本末転倒。
それがこの旅の最低限の前提であり、同時にこれ以上ない前提でもある。――否、正確にはこれ以上ではなく、これ以外と言うべきものだ。
それ故に、自分の持てる手札は全てを開示する覚悟で戦場に臨み、その無鉄砲をペトラに諌められた。
その点、大いに反省したが――まだ、足りなかった。
そうして迂闊さを補い切れなかった結果が、眼前で斧を手にした帝国兵だ。
「――失敗失敗、今のでいっぺんにやっちまうつもりだったんだが」
長柄の斧を握りながら、バンダナを頭に巻いた帝国兵がこちらを見据える。
徹底した冷酷さと現実的な判断力を覗かせる手合いに、オットーは背中にペトラを庇いながら、自分の迂闊さを大いに呪った。
集めた情報の使い道は、それを一番うまく使えるだろうアベルに委ねた。
だが、情報戦の肝は、そもそも扱うための情報をどうやって入手するかにある。大抵の場合、その部分には目がいかず、情報を扱う本体を狙いたくなるのが人情。
しかし、目の前の男は違った。
「戦場にいるのに女も子どもも、って答えるのは簡単だが、それだと帝都の住民がとばっちりすぎる話だな。それに、ちょっと都合がよすぎるだろ」
こうしてオットーたちの前に現れた男の真意は明白――集めた情報を扱うアベルのいる本陣ではなく、情報を集める立場のオットーたちを狙うこと。
警戒は薄く、護衛も少ない相手だが、その首を取れば結果は同じこと。扱う情報がなくなれば、アベルの指揮の精度は下がるのだ。やらない理由がない。
オットー自身、相手と同じ立場ならそれをやっただろう。
だから――、
「戦場に取り残されただけの非戦闘員なら、お前さんの今の理屈も通るかもしれんな。だが、戦場で仕事してる奴を非戦闘員とは認めんよ」
相手の発言にもっともだと感想を抱きながら、つぶさに男を観察する。
疑問点は大きく二つ、どうやってオットーのチャンネルに引っかからずにこの場に現れたのかと、どうやってオットーたちの居場所を特定したのか。
おそらくその二つの疑問は、同じ理由が答えになっていると推測する。
何らかの男の特殊性がチャンネルを回避し、発信源を突き止めさせたのだと。
「さあな。ただ、俺の勘が言ってる。お前さんたちが、この戦争で悪さを働いてる一番の根っこだ。それと、俺の勘はこうも言ってる」
会話からその糸口を探りたかったが、最初の分析通り、男は徹底していた。
多くを語らないことが、自分を守る術になると理解している。帝国に多い、圧倒的な武力で相手をねじ伏せる類の手合いではなく、狡猾な姿勢で。
こういう敵は、手強い。――自分が弱いと思っている相手は脅威だった。
そのせいで――、
「――お前さんたちも、時間をやらない方がいい奴らだってな」
長柄の斧を振りかざし、男が真っ直ぐに飛び込んでくる。
それに対し、オットーは歯噛みしながら、最初の一撃の回避に全霊を注ぐ。注いで、そして身構えた。――最低限の備えで、どこまで男とやれるものかと。
△▼△▼△▼△
――ペトラ・レイテは逆境に置かれるたび、自分の研磨不足を悔しがる。
その幼さを理由に、陣営の仲間たちから甘やかされることの多いペトラだが、その立場に甘んじて未熟さを受け入れるのは違うと、そう自分に任じていた。
もしもこれが、屋敷で過ごす日常の中、メイドとしての業務で起こした失敗が理由だったらここまで深刻に捉えずともいいのかもしれない。
しかし、そうした状況次第でという気の緩みは、やがて大きな失敗に繋がる。
常に緊張していなくてはならないとまでは言わない。
でも、いつでも期待された成果は挙げられなくてはならない。それがペトラの物事の考え方であり、せめてそう在りたいと思う未熟なりの自分の理想だった。
だから――、
「――お前さんたちも、時間をやらない方がいい奴らだってな」
斧を手に飛び込んでくる帝国兵に対して、手足の震えを堪えて顔を上げる。
込み上げる涙で潤みかける視界の端には、なおも荒ぶる炎に焼かれ、黒焦げの死体となった伝令兵の姿が見えていた。
もしもとっさにオットーが手を引いてくれなければ、自分も同じように命を落としていたはずだ。その事実は、ペトラの魂をひび割れさせると同時に――、
「ペトラちゃん!」
そう自分の名前を呼んだオットーへの、大きな信頼となってペトラを動かす。
仮の配役だった「お嬢様」に対する態度をかなぐり捨て、本物のペトラを揺り動かしたオットーの声は、恐怖と後悔で固まりかけたペトラの強張りを解いた。
そこへ――、
「――七番!」
そのオットーの合図に、ペトラは反射的に腕を持ち上げた。
刹那、ペトラの頭の中を不安が過る。できると、そう宣言して任された役目だが、ぶっつけ本番の方向性になったことは否めない。
ずっと練習はしてきた。本番の勝負強さがある自覚もある。
あとは――、
「――スバル」
過った不安を蹴散らすように、想い人の名前を呼んで、歯を食い縛るだけ。
「――ジワルド!」
そう唱えたペトラの指先から、白い光の一条が放たれた。
それは陽魔法における数少ない攻撃魔法であり、途上にあるものを穿つ光の槍――もっとも、それは一流の使い手が行使した場合で、未熟なペトラはその基準に及ばない。
ペトラのジワルドでは、生き物を殺すどころか、火傷を負わせるのがせいぜいだ。
だが、それでいい。
「――――」
指先から放たれた白光、それは飛び込んでくる男――ではなく、その斜め後ろの地面に向かっていく。それは不自然にならない程度に偽装された、『七番』の仕掛け。
男に火傷を負わせるのが目的ではない。――仕込みに、引火させるのが狙いだった。
「な」
オットーお得意の、火の魔石を用いた地面の仕掛け。
『チャンネル』とやらを開いて索敵するオットーと、それを補佐するペトラが狙われたときのため、用意しておいた十個の罠。
持ち運べた魔石の量と、索敵のために移動しながらになったのが理由で万全な仕込みとは言えない。それでも、「何が役立つかわかりませんから」と陰湿なぐらい周到なオットーの構えが牙を剥き、男の背後で地面が爆発を起こした。
「――ッ」
瞬間、男の警戒が自分の後ろへとわずかに移った。
指示されたペトラが吹き飛ばしたのは、男の足下でも間近でもない離れた地点で、爆発の衝撃や熱は男に届いていない。ただ、注意をわずかに後ろに引いた。
それで、飛びかかる隙を窺っていた少女には十分だった。
「おりゃあああ――!!」
手にした蛮刀を振り回して、相手の懐へミディアムが飛び込む。
ペトラとそう背丈の変わらない金髪の少女は、しかし、ペトラとは違った勇猛さで果敢に切り込むと、斧を持った相手の腕を斬り飛ばしにかかった。
「ちっ」
まんまと注意を逸らされ、舌打ちした男が手首をひねり、ミディアムの一撃をとっさに斧で跳ね返す。互いの初撃をしのがれ、仕切り直しへと――、
「まだまだ! まだまだ! まだだだだ!!」
持ち込まれるかと思いきや、ミディアムは全くそんな弱腰にはなっていなかった。
相手の攻撃で蛮刀を跳ね返されるも、その跳ね返された勢いでくるっと回転し、そのまま勢いを乗せて剣撃を放つ。それが相手によけられれば、よけられた勢いを乗っけてまたしても回転して剣撃を放つ。
まるで、増水した川の水みたいに勢いの止まらない剣舞――、
「四番!」
「はいっ」
思わず目を奪われかけるペトラの肩を叩いて、次なる指示がオットーから飛んでくる。
合図を出されれば、何も考えずに指定された地点に魔法を撃ち込む。――それは、オットーと共に戦場を巡る約束を取り付けたとき、一番重要と言いつけられた条件だ。
故にペトラは、その指示に関しては恐怖も何もかも忘れ、従う覚悟を決めていた。
「ジワルド!」
またしても放たれる魔法が、今度はさっきよりも近い地点の地面を爆発させる。
あるいは男は、自分とミディアムが切り結んでいる分、彼女を巻き添えにはしないと考えていたかもしれない。しかし、それは甘い考えだ。
「必要なら、ミディアムさんごと巻き込みます」
「あとでちゃんと、治癒魔法かけるからっ」
「うおおおお! よくわかんないけど、あたしは止まらない!」
数メートル横で炸裂した爆発は、そうした甘さを裏切るように二人へ襲いかかる。
冷酷かもしれないが、オットーのその発想にペトラも賛同する。三人が無傷で切り抜ける理想よりも、三人が傷を負ってでも生き延びる現実が重要だと。
その爆熱に肌を焦がされながらも、ミディアムの勢いは止まらない。
それにありがたさと罪悪感を覚えながら、ペトラはオットー共々、この刺客を退けることへ全霊を注ぐと――、
「おいおい、勘弁してくれ」
そう目を凝らした矢先、爆音の中で男がそう言った。
やけにはっきりと聞こえるそれは、出鼻を挫かれたことへの怒りや焦りが滲んだものではなかった。もっと奇妙で、場違いな感情が込められたもの。
男の声に込められていたもの、それは、呆れだった。
「考えることは同じか」
聞こえた瞬間、ペトラの全身が総毛立つ。
意味はわからなくても、意図はわかるような言葉だった。
「二番!!」
ペトラの感じた戦慄、その正体をもう少し詳しく悟ったオットーの叫びに、ペトラは一切の思考を放棄して即座に従った。
放たれるジワルドが、先と同じように地面に隠した魔石へと熱を伝える。――ただし、ペトラの指が向く先は、今度は自分たちの足下だった。
「――――」
足下へ白い光が走り、それが赤い光へと変じて衝撃波が起こる。
やってから、ペトラはそれが緊急避難用の仕込みであり、「痛いので使いたくはないですね」とオットーが前置きしていたものだと思い至った。
そして事実、溢れる光に足裏を跳ね返され、ペトラの小さな体は空へ打ち上がる。ただし、無防備に舞い上がったわけではない。
「く」と伸びてくる腕に掴まれ、ペトラの体はオットーの細身に抱きしめられる。
もちろん、オットーの体も同じ衝撃に飛ばされているが、オットーは二人がばらけた方に飛んで支援できなくなる失態を防ぐのと、せめて自分の体でペトラが受ける被害を最小限にすることを選んだ。
そのオットーの判断にペトラができたのは、文句や硬直ではなく、できるだけ早く強く陽魔法を行使し、オットーの体を少しでも衝撃に強くすること。
それをした。二人の体は跳ね飛ばされた。その直後――、
「――――」
ドン、と激しい爆音が、ペトラの起こしたそれと同じ箇所――すなわち、直前までペトラとオットーの二人がいた場所で炸裂する。
わずかに視界を掠めた爆音の正体、それはペトラの目には二人の伝令を焼いたあの炎と同じモノだったように見えた。
あれが、ペトラたちの背後から、ペトラたちを焼き殺さんと狙ったのだ。
「斧で……」
ペトラたちを斬り殺すと思わせ、本命は後ろに仕込んでいたあの炎だった。
その真正面からやり合おうとしない手法が男の得意な戦法で、それがある種、オットーの備えと重なったことが、あの男のぼやきの真意だったのだろう。
「づっ!」
ペトラの思考がそこに辿り着くのと、ペトラを抱きしめたオットーが地面に転がり落ちるのはほとんど同時だった。
硬い地面を転がる痛みに呻いて、爆風も浴びたオットーが歯噛み。しかし、オットーはすぐさまその場で膝を立てて、ペトラの体を起こしながら男に向き直る。
ペトラもオットーの体を支え、いくらか距離の開いた男を睨みつけた。
だが、そのペトラたちの警戒に反して、男はすぐに追撃を仕掛けてこない。
それが何のつもりなのか、そちらの理由はすぐにわかった。
「あまりやりたくないんだがな」
と、そうこぼしながら、斧をこちらに向けて牽制する男が首を巡らせる。
爆発が起こった足下の感触を確かめて、男は黒い煙を上げて燃えている草の香りに鼻を鳴らすと、
「そこと、そこ。それからそこだ」
小さく男が呟いたかと思えば、その後の出来事にペトラは目を剥く。
首を巡らせた男、その視線の先で地面が爆発する。六番だ。それから九番と一番、立て続けに五番、八番と仕込みが爆発を起こしていく。
「ど、どうして……」
「……まさか、精霊?」
仕込みの在処を見抜かれたことも驚きだが、それを爆破した方法もわからない。
ペトラが誘爆させたように魔法を行使した素振りもない男、その摩訶不思議な手法に対して、オットーの言葉がペトラに息を呑ませた。
精霊術師だとしたら、それはスバルやエミリアと同じだ。
ペトラにとって、色々な意味で愛情深い二人と同じ種類の人間だと、目の前の男を認めたくない気持ちが強くあるが――、
「でも、精霊なんてどこにも……」
「従わせる方法は一個じゃない。喰われたくないならって話もある」
「え?」
「意趣返しじゃありませんが、聞く耳を持たない方がよさそうですね」
理解できない返事をされて、目を丸くしたペトラが固まる。と、そのペトラの肩を叩いて、すぐにオットーが正気を取り戻させた。
今の男の発言がこちらの隙を作るためのものだったのか、それとも真実の一端を話していたのか、いずれの想像もつかない。
ただ、はっきりと断言できるのは。
「あなたのこと、嫌いですっ」
「あたしもおんなじ意見!」
きゅっと小さな拳を握りしめ、叫んだペトラに呼応して小さな影が飛んだ。
得体の知れない男の妙技、それを警戒しながらも仕掛ける好機を見計らっていたミディアムだ。彼女は男が仕掛けを次々と爆破させて起こした煙に紛れ、その向こう側から繰り出した蛮刀で相手の背中を狙う。
我慢に我慢を重ね、思い切った彼女の一撃は真っ直ぐ男に吸い込まれ――、
「お前たち三人の中で、一番読みやすいのがお前さんだよ」
「――ぁ」
横に体を傾けて、振り下ろされる蛮刀の軌道から男が逃れる。
そのまま、男は身を回して背後のミディアムの方に斧を叩きつけながら、
「お前さんだけ、帝国流だ。反吐が出る」
「ミディアムちゃんっ!」
尾を引く悲鳴を上げるペトラの視界、目を見開いたミディアムの顔面へと、男の容赦のない斧が真っ直ぐ、吸い込まれていった。
△▼△▼△▼△
――ミディアム・オコーネルは、物事を深く考えない。
厳密には、ミディアムも色々と考えることはある。
兄であるフロップ・オコーネルのことはいつも心配だし、同時に信頼してもいる。城郭都市から連れ去られたと聞いて、驚きと心配は胸が張り裂けそうなくらいにあったが、自分も自分で体が縮んでいたりして、それを知ったら兄も慌てふためくだろう。
なので、心配も信頼もお相子様だと、そう考えていた。
「妹よ! 僕たちは頭で考えるより、心で考える方がずっといい正解が引けそうだ。特にお前はそんな雰囲気があるから、覚えておくといい!」
と、ずいぶん前に兄に言われたそれは、ミディアムの中で大事な道しるべとして、縮む前の胸と、縮んだあとの胸のどちらにも仕舞ってある。
心で物を考えると、どうにも筋が通らなかったり、突拍子もない発言に繋がりがちで嫌がられることもある。特にアベルなどは、それがとても嫌そうだ。
でも、兄の言うことはすごい。実際、ミディアムはそのやり方でうまくいってきた。
「やっぱり、あんちゃんはすげえや!」
もちろん、それで全部が全部うまく回っていくなら、自分の体が小さくなってしまうことも、兄が都へ連れていかれてしまうことも、レムがいなくなってしまうことも、ナツミが彼方へ飛ばされてしまうことも、カオスフレームが壊れてなくなったり、エミリーたちがあたふたすることもなかっただろう。
全部が全部、うまくいくわけじゃない。
だけど、ミディアムの起こせる行動の限りでは、一番いいことが起こるやり方だ。
だから、背後からの不意打ちが失敗して、隙だらけの顔面に斧が叩きつけられる瞬間、「あ、死んじゃった」と思いながらもミディアムは慌てなかった。
それは、最善の行動をしたから、やるべきことを果たしたから、これで負けてしまうなら仕方ないから悔いはない、という感覚に近い。
もちろん、死ぬのは嫌だし、兄と再会できないのも辛いし、レムやナツミといった新しい友人たちを助けられないのもとても残念だ。
だが、心で物を考え、ミディアムは自分の取れる一番の手を打った。
そうした先で訪れる結果は、言い方は悪いが天運次第――それが巡らなければ、命を奪われるのが世の習いであり、ヴォラキアの流儀だ。
しかし――、
「――――」
自分の顔に突き刺さる寸前、分厚い斧の刃が火花を散らして弾かれる。
わずかに鋼の臭いを鼻に感じながら、ミディアムは小さく息を吐いて、
「やっぱり、あんちゃんはすげえや。あたし、このやり方で一回も死んでないから」
「――おお、そりゃ羨ましいもんだぜ。オレなんてとても数え切れねぇ」
兄から教わったやり方、それがまたしても自分の身を助けたとこぼすミディアムに、彼女の命を奪うはずだった斧を跳ね返した人物がそう答える。
振るわれたのは、弾かれた斧と同じぐらいの分厚い刃を備えた青龍刀――それを握るのは何とも珍妙で、ミディアム的には高評価な外見の人物。
「お前さんは……」
割って入ったその人物を見やり、確実に殺せたはずのミディアムを守られた男が不愉快そうに唇を動かした。
その男に対して、割り込んだ男――漆黒の兜で顔を隠した隻腕の風来坊は、「調子いいとこ邪魔して悪ぃんだが」と言葉を投げかけ、
「どこが一番やべぇかと思ってたが、灯台下暗しってのはこのことだ。まったく、一寸先は暗闇すぎてガチで困るぜ」
「――――」
静かに、非戦闘員を仕留めにきた男の姿勢に警戒が宿る。
ただしそれは、兎相手にも手を抜かない獅子の構えではなく、兎が別のものに化けたのを警戒する狩人の姿勢、それを目にして風来坊――アルは肩をすくめた。
そして――、
「お先真っ暗ってのは手に負えねぇ。なにせ、星も見えやしねぇんだからよ」
と、そう参戦を表明したのだった。