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第七章98 『プレアデス戦団』



 ――ルグニカ王国、ヴォラキア帝国、グステコ聖王国、カララギ都市国家。


 一般的に四大国と呼ばれるそれぞれの国には、その国土に合わせた独自の文化が発展している。ルグニカ王国の親竜精神やグステコ聖王国の精霊信仰などが最たるものだが、四大国はまるで図ったかのように違った道を歩んだ。

 それは国風や文化だけに留まらず、『戦士』の質においても同じことが言える。


 ヴォラキア帝国では、『魔法』がほとんど発展していない。

 国境を挟もうと人は人、その肉体に宿ったゲートなどの素養は他国と変わらないが、ルグニカやカララギと比べても、その分野で帝国は他から大きく後れを取る。

 もっとも、帝国はその事実をそれほど意に介していない。


 無論、何の分野においても他国に後れを取ることは歓迎すべきことではないが、魔法に関する道が拓かれなかったのは、それ以外の道が拓かれた証に他ならない。

 カララギ都市国家の技術力や、グステコ聖王国の精霊術と呪術、そしてルグニカ王国の魔法の分野と比べ、ヴォラキア帝国が秀でたのは武技の錬度だ。


『魔法を使うより、ビュンって近付いて叩いちゃった方が早いときもあるでしょ?』


 と、精霊術師あるまじき発言が全肯定されるわけではないが、ヴォラキア帝国ではおおよそ魔法に対する意識はそれが一般的なものとされている。


 これは誤解を招きやすく、なおかつ明文化されていない類の事実だが、人の体に宿るマナの使い道は魔法だけに限らない。

 精霊術にも呪術にも、一部の『ミーティア』の起動にも用いられるように、戦士の武技にはそれらを土台としたものが少なからず存在する。


 ましてや一流の戦士ともなれば、自らの肉体の強化にマナを用いるのは自然の理だ。

 時折、常人と比較して尋常でない身体能力を有するものがいるとすれば、そのカラクリは体の内を巡るマナの扱い――意識的に行うそれを『流法』と呼ばれる技術だが、それを用いたものであるのだ。

 ただし――、



「ちゃっちゃっちゃちゃちゃ!」


 トン、と一足だけ爪先を地について、次の瞬間には十数メートルの距離が消える。

 傍目からその人影を追うものがいれば、まるで時間を盗まれたかと錯覚するような常外の体捌きだが、それは錯覚でも、目の異常でもない。

 異常なのは他ならぬ、そうして戦場をひた走る青い髪の少年の方だった。


 直前の説明に倣えば、人域を悠々と踏み越えた少年の疾走は『流法』の流れを汲んだもので相違ない。ただし、少年の幼さと切れ味のある美貌の裏側には、そうした技術の習得に励んだ日々の積立てなど一切見られない。

 世界には稀に、こうした存在がいる。――武技の極みとさえ言われる『流法』を、生まれながらに無自覚に行使し、理に囚われるものたちを置き去りにするモノが。


 丘陵を一息に駆け下りて、一番槍の名誉を求めて少年は戦場へ突入する。

 もっとも――、


「すでに戦いが始まっているとなれば一番槍の名誉なんてあってなきが如しですが、細かいことは言いっこなしってことにしましょう!」


 西の大地から戦場へ乱入し、遠目に見える星型の城壁を囲んだ大軍を眺める。切れ長な少年の瞳は爛々と輝いて、悲喜こもごもの戦場にあるとは思えぬ興奮に濡れていた。

 まともな履き物も履かず、鎧や兜の類の防具も身に着けず、これといった大義も持たずに戦場へ臨むモノ――あるいはそれは、城壁の内と外、今の帝国を守ろうとするものと壊そうとするものと、どちらからも敵視されかねない蛮行だ。

 しかし――、


「志の高さは見所の一つですよ。それのあるとなしとでは口から漏れ出す台詞の決まり具合も違ってきますから。ただ――」


「なんだ!?」


 赤い具足と粗末な武装、敵対しているとわかる数十ずつの小集団同士の小競り合い。そこへ横から割り込む少年の声に、剣を構える兵士が声を上げた。

 怒り、苛立ち、興奮、不安、色々と入り交じりつつも闘志の勝った天晴な声色。戦場に現れた闖入者に対し、警戒を呼び込む妙手である。


「――でも致命的に遅い!」


「か」


 声を上げるのは正解だが、何者かと問うのは間違い。

 戦場で所属も明かさず現れた存在は敵とみなすのがひとまずの正解だ。今の兵士は周囲に警戒を促すだけでなく、声と同時に斬りかかるべきだった。

 それでもこちらの方が速かったし、何なら別の失点を十も二十も指摘できるが。


「ああそれともしもさっきの言葉が所属と聞いたんじゃなくて僕が何なのか全然わからなかったから出た台詞だったなら、雷感強すぎてすみませんと」


 ぺらぺらと早口に述べる少年の背後で、白目を剥いた兵士がその場に倒れ込む。すれ違いざまに首へ鋭く手刀を打ち込んだ。首を落とせると思ったが、威力不足だ。

 ぶんぶんと腕を振りながら、やはり勝手が違う気がすると首をひねる。


「できる気がするのにできないのは何とももやっとするもの。さしもの僕も理想と願望と現実の実現性をごっちゃにするつもりはないはずなんですが。まぁ、うっかり死なせるとボスの心証が下がるので結果よしとしておきましょう!」


 そうあっけらかんともやもやを振り払った直後、笑う少年の姿が霞へと変じる。

 瞬間、少年のいた位置へ落ちてくる剣撃は躱され、逆に放った兵士の横面に少年のゾーリの裏がしたたかに直撃する。さらに少年は兵士を蹴りつけた反動で跳ぶと、その兵士に続いていた背後の一団へ飛び込み、それぞれの急所に一撃加え、離脱する。――否、離脱ついでに隣の一団にも滑り込み、もう五人ほど意識を刈り取った。もののついでだ。


 そのもののついでも本命も、周囲の兵の時間を盗んで行われた犯行だ。

 すなわち、少年の肉体の扱いは人智を逸脱しており、生中な力量で追える代物ではないことの証――ヴォラキア帝国の、武技の発展の究極系と言える。


 無論、戦場において悠長にそのような分析をするものも、十二、三歳の子どもがその境地にあることを呑み込めるものも、そう易々とは現れない。

 何よりも――、


「――無粋」


「――――」


「花形役者の技量、見栄えの優れたるを舞の最中に暴こうだなんて粋じゃありません。舞台には見惚れ、心奪われ、虜になる以上のことは不要です。もちろん、同じように舞台に上がるとなるなら好敵手……相応を以てより花形感を主張するまでですが」


 じりと、頽れた帝国兵の中心で周囲を睥睨する少年に集団が息を呑む。

 武具をぶつけ合い、命懸けの鍔迫り合いをしていたはずの戦士たちは、どちらの陣営も少年の存在感に呑まれ、時を、すなわち人生を奪われていた。


「ううん、役者冥利に尽きる……」


 他人の人生を奪う。その実感に少年は確かな満足感を得る。

 そんな達成感を味わっている少年に、時を奪われる戦士たちの中、大勢が倒された帝国兵と対立する側の、粗末な武装の一人が「お前」と口を開いて、


「どこの奴だ? こっちの仲間か?」


「ふむ、ふむふむ、僕の所属ですか。それはなかなかいい質問をしますね、あなた。いったい僕はどうだと思います? 敵か味方か」


「――――」


 質問に質問で、それも面倒臭い返され方をして、問いかけた戦士が口ごもる。その様子に少年は笑みを深めると、「いえいえ」と首を横に振った。


「からかったわけじゃありません。ただ僕も真剣に考えたんですよ。それでいつも思うんです。ボスの話をよく聞いてなかったので誰の味方なのかよくわからないと」


「は?」


「なのでとりあえず露払いに両成敗していきますね」


 目を丸くする戦士、その驚いた顔が横にブレ、次の瞬間には地べたにひっくり返る。

 へらっと笑った少年の姿が掻き消え、今度は先に打ち倒した帝国兵と対立する戦士たちの一団へ滑り込み、その足下を猛然と刈り取っていったのだ。


 青い髪が躍り、鋭い打突音が響いたかと思えば、苦鳴もこぼさず戦士たちの意識が掻き消えていく。その暴挙、まさしく嵐の如く――否、


「『青き稲妻』……」


「おや、素晴らしい。それ、僕が名乗ろうと思ってる異名ズバリなので」


 衝撃に掠れた息をこぼした戦士が、その言葉を最後に意識を奪われる。

 友好的な態度にも敵対的な態度にも、等しく暴力で以て応じるのはヴォラキア流――などと言えば、この国の皇帝さえも眉を顰めるだろう蛮行。


 だが、少年のそれを誰も止められない。

 そしてそれが、この帝国の流儀において最も正しいとされる行いなのだ。


「う、おおお――!!」


 その小旋風を巻き起こす少年の脅威に、遅きに失した戦士たちが動き出す。

 もはや帝国兵も叛徒も区別なく、全員の意識がこの少年を止めることに一致した。それはある意味、この空間だけでも内乱を止めた偉業というべき場面だ。

 しかし、勇気を持った彼らの決断が、安寧の答えに守られることはなかった。


 身を傾け、刃を避ける。踊るように下がり、拳打を避ける。股下を抜けて、斧撃を避ける。矢を避け、槍を避け、牙を避け、盾を避け、避けて避けて避けて避けて、よけてよけてよけてよけて、躱して躱して躱して躱して、躱す躱す躱す躱す躱す――。


「武器もなしに……っ」


「ええ、それが困りものです。僕も素手より得物があった方がずっと見せ場の見得切りにも彩りが生まれると思うんですが半端なものは持ちたくない。一流は一流を知るというやつです。あ、これボスの受け売りですけど」


「ぼす……?」


「ええ。――我らが、プレアデス戦団の親玉ですよ」


 振るわれる殺意と敵意を難なく躱しながら、そう自慢げに少年が笑みを深める。少年の口が語った聞き慣れない単語に、戦士たちは得体の知れない恐怖に襲われた。

 自分たちはいずれも、この帝国の趨勢を決めるための戦いに命を懸けにきたはずだ。

 にも拘らず、目の前でこちらを翻弄する少年はその所属もわからなければ、力量の底も言動の真意も何もかもわからない。

 何もかもわからないのに、何もかもが少年の思うがままのようで――。


 ――次の瞬間、はるか遠くの丘陵の方角から、凄まじい雄叫びが聞こえた。


「ひっ」と、思わず身をすくめてしまった戦士を、いったい誰が責められようか。そのもの以外の戦士たちにも、動揺と混乱は同じように広がった。

 故に、少年の口元の笑みがより大きくなったのは、戦士たちの怯えた様子を嘲笑ったからではなく、もっと端的なもので。


「さて、まず第一の見せ場ですよ、ボス。――派手に決めてくださいね」



                △▼△▼△▼△



 ここで一つ、『魔法』に関して非常に残念な事実を語らなくてはならない。


 ヴォラキア帝国では魔法の技術が発展せず、身体的な武技や『流法』といった類の技術ばかりが発展しているという背景は説明したが、それとはまた別の問題だ。

 それはこの世界における六つの属性に分けられる魔法体系の中、使い手の少ない『陽魔法』と『陰魔法』が、研究が進みづらい以外の理由で軽視される原因にある。


 熱量を操作し、炎を、あるいは氷を生み出す火属性。

 生き物の生命力に干渉し、傷や病の治療を促し、命を救う水属性。

 大気に干渉することで環境を整え、時には危険な地帯の生存圏すら確保する風属性。

 大地の力を操り、土地を肥やすことも飢えさせることも可能とする地属性。


 それぞれに使用感をイメージしやすい方向性のあるそれらの属性と比較し、陰陽の量属性は基本的に、人体の機能を向上させる、あるいは低下させる効果とされる。

 厳密には誤った理解だが、そうしたイメージが定着している事実が、今日の陰陽属性のそれぞれの魔法の発展が進んでいない大きな要因でもある。


 そして意外かもしれないが、とりわけ、外れや役立たずといった評価を受け続けているのが『陽属性』――能力を強化する、その力なのだ。


 陽魔法の主な効果を知れば、その評価に何故と投げかけたくなるものも多かろう。

 だが、陽魔法にはその特性を活かそうとすればするほどに、無視のできない非常に厄介な問題が複数存在した。


 例えば、陽魔法によって身体能力の向上する効果を与えられたもの、これが戦場でどれほど活躍できたかと言えば、大抵のものが為す術もなく敵にやられる。

 理由は単純で、強化された自分の体を全く扱い切れず、まるで他人の体を操るような不具合さで自らの強みをまるで発揮できなかったから、だ。


 身体能力の向上と一口に言っても、視力や聴力といった五感の強化、腕力や脚力といった肉体的な能力の強化、骨や筋肉の密度を上げた防御力の強化が考えられる。

 しかし、戦士とは常に自らの肉体を鍛え、自分の技量を把握して戦場へ臨むものだ。

 陽魔法を受けるものは、そうした普段の自分を投げ捨てて、スペックだけは向上した新しい体で戦場へ赴くことになる。故に、大した活躍もできずに多くが敗死した。


 続けて問題となるのが、陽魔法の効果の大小に魔法使い自身の技量、その日の心身の体調などが大きく影響する事実だ。

 仮に陽魔法を受けた戦士が強化された肉体に適応できても、明日も同じ魔法使いから同じ強化を受けられる保証や、同じだけの効果が発揮される保証もない。

 陽魔法は安定した戦力の向上が見込めるものではなく、それどころか普段の実力も満足に発揮できなくなる欠陥が認められる。――それが、陽魔法が疎まれる理由だ。


 かつて、ヴォラキア帝国にも魔法の力に着目し、最強の兵団を作り上げようと考えた皇帝がいた。ヴォラキア帝国の第三十一代の皇帝、ムルキア・ヴォラキアは強兵をさらなる強兵へと仕立て上げる陽魔法を利用しようと画策。

 前述の欠点を踏まえた上で、陽魔法の使い手と強兵とを組ませ、強化された状態が自然体となるべく訓練し、実戦へ臨んだ。


 しかし、結果は惨憺たる有様となり、強化される前提でいた強兵は陽魔法をかけられる前に討たれ、肝心の魔法使いの技量にもばらつきがあり、兵団が兵団として機能しないことが理由で多勢にも追いやられ、皇帝の命さえも危うくした。

 最終的にその戦乱は、当時のヴォラキア皇帝の側近であった『腑分け』のヴィヴァが敵将を討って終わったが、敗戦の大きさもあり、ムルキア・ヴォラキアは『大敗帝』などという不名誉な異名を歴史に刻むことになった。


 そうした前例もあり、ヴォラキアでは陽魔法の、ひいては魔法の価値は軽んじられ、ますます武技を極めることが強兵の証とした思想が広まる結果を招いた。

 それは今日に至っても変わっておらず、あらゆる智謀を巡らせるヴィンセント・ヴォラキアをして、集団戦における陽魔法の運用など検討の余地なしと切り捨てている。


 実際、陽魔法の使い手が一度に強化できる対象が一人ずつとする時点で、多数の兵士に同じだけの働きを求める軍の運用は夢物語であるのだ。

 故に、敵に普段と異なる肉体効果を与えるという意味で、陰魔法が嫌がらせの手段として残るぐらいの形になり、ヴォラキア帝国で魔法は衰退――他国においても、陽魔法は自己強化以外では滅多に使われない、不遇な系統とされた。



 ――しかし、何事にも、例外は、ある。



「やるぞ、お前らぁ――っ!!」


 大きく息を吸い、まだ高い少年の声が、戦場を遠くに望む西の丘陵で張り上げられる。

 その少年を中心に、丘の上に横並びに展開している戦士たち――数千を下らない一団で次々と掲げるのは、集団の統一と志を表すための旗だ。

 決して下ろしてはならない戦意の象徴である旗、少年の傍らで大旗を掲げるのは刺青だらけの体をした男で、灰色の蜥蜴人と冴えない風貌に凛々しい目つきの男が支える。


 掲げられた旗に描かれているのは、遠目にもそれとわかる星を象ったマーク。

 家紋でも国紋でもないそれは、ただ己の心がどこに置かれているか証明するための、ある種の宣戦布告であり、それ以外の何物でもないものだった。


 居並んだ集団は様々――それは誇張なく、様々な種族が集められていた。

 ただでさえ多数の種族が混在して暮らすヴォラキアの大地でも、種族の垣根を超えて協調が成り立つ関係は少ない。数少ない例外の都市として機能したのが魔都カオスフレームであり、この帝都包囲戦においても叛徒たちに協調の意識は皆無だった。


 だが、この一団は違う。

 同じ目的のために、ただ同道するという見方もできる。しかし、それでは同じ志を示すための旗の下に集うことはできない。

 目的が同じなのではなく、志が同じであるのだ。


 それ故にこの集団は――否、プレアデス戦団は切り札足り得る。


 それらの旗と、集った仲間たちを率いて、黒髪の少年――ナツキ・スバルが叫ぶ。


「――俺たちは、最強っ!!」


「「「最強! 最強!! 最強――ッ!!」」」


 一斉に上げられる雄叫びが空を轟かせ、凄まじい闘気が戦場へと燃え広がる。

 叫んだスバルの腕に抱かれるベアトリスが、耳を塞いで目を丸くした。同じくルイもスバルに飛びつくが、驚きがあるのは二人の少女だけ。


「――俺たちは、無敵っ!!」


「「「無敵! 無敵!! 無敵――ッ!!」」」


 ヒアインが、ヴァイツが、イドラが、グスタフが、オーソンたちが、ヌル爺さんが、レックスがミルザックがカシューがモイゾがディロイがクリグキンがコドローがフェンメルがジョズロが、タンザが、大きく吠える。

 地面を踏みしめて大地が揺れ、揺れがさらなる揺れを呼び、戦意を鼓舞する。


 胸の奥が、熱い。

 熱くて熱くて熱くて、頼もしくてたまらないものが、この全身を駆け巡る。

 その、熱くて頼もしくてたまらないモノを舌の上に乗せて――、



「――運命様ぁぁぁ!!」


「「「上等! 上等!! 上等――ッ!!」」」



 そう声を揃えて叫んだ一団、全員の視線が正面へ、丘陵の下の戦場へ向いた。

 そして――、


「――いくぞ」



                △▼△▼△▼△



 空が、地面が、世界が、揺れる感覚は瞬間、戦場にいた全員が感じ取った。


 中でもそれを他人事と処理できなかったのは、丘陵を駆け下ってくる旗を掲げた集団と真っ向から激突することになる西の城壁のものたち――すなわち、最も近い第四頂点の防衛を命じられた帝国兵たちであった。


「だが――」


 ここで気迫に崩されるわけにはいかぬと、踏みとどまったのは帝国二将『虎狩』のグッダ・ディアルモであった。


 一瞬、その唐突な出現と士気の高さに気圧されこそしたが、ああした飛び道具にやられるほど帝国兵の、『虎狩』の部下たちの錬度は低くない。

 何より、グッダとその部下たちの消耗は、この戦場を見渡してもほぼほぼ最小限だ。

 凄まじい包囲網に晒される帝都だが、他の頂点に対して行われる苛烈な攻撃が、この第四頂点においてはほとんど効力を発揮していない。

 それは紛れもなく、この第四頂点の守護者として君臨したオルバルト・ダンクルケンの功績であり、『悪辣翁』の本領発揮と言える戦果だった。


『そもそも、ここに届くまでに相手の足を刈っとくのが正解じゃろ。水でも武器でも、なきゃ戦えねえもんを断つのが戦の定石じゃぜ』


 他の頂点と比べ、圧倒的に敵の攻勢が弱い理由を述べた『悪辣翁』には、味方でなかった場合の恐ろしさに将兵の背筋を冷たくする残酷さがあった。

 しかし、そんなオルバルトも、他の頂点が抜かれかけているとなれば、帝都守護の役割を果たすため、そちらへ駆け付けなくてはならない。


 故に、現在の第四頂点は帝国最高戦力である『九神将』を欠いた状態にある。

 オルバルトの置き土産である、彼の鍛えた超人たるシノビたちには、押し寄せる一軍と同じ西の空から現れた飛竜隊に対処してもらわなくてはならない。

 飛び道具を持たない以上、シノビの有する術技が飛竜隊に抗する唯一の手段だ。


 そして、猛然と駆け込んでくる一団に対しては――、


「――こちらの全霊を以てお相手する!」


 言いながら、グッダ・ディアルモは『虎狩』の異名の代名詞である二本の金棒――それぞれが百キロ近い鉄塊を担いで、正面の敵を睨みつけた。

 グッダの異名は、彼がまだ三将であった頃、国内で暴虐の限りを尽くした虎人の集団を壊滅させ、指揮官だった二将を殺した敵の大将首を取ったことにある。

 壮絶な殺し合いの果て、二メートルを超えるグッダの筋骨隆々の肉体、その頭から腹までは縦に刻まれた虎の爪痕が白く残されており、物語る激戦の顛末からいつしか『虎狩』の名で呼ばれるようになったのだ。


『将』を討たれ、瓦解寸前の軍の中にあってもグッダの戦意は折れなかった。

 ならば、数でも勝り、背後に負うべきものを負った状態で、誰が怖気づこうか。


「迎え撃つぞ!!」


 砲撃のような声を上げ、グッダの巨体が大地を蹴り、敵の群れへと迫っていく。

 そのグッダの背に続けとばかりに、部下たちもまた思い思いの武器を担い、西より押し寄せる星の旗を掲げたものたちへ突っ込む。


「――あれが」


 衝突の瞬間を自らの足で近付けながら、目を凝らしたグッダは敵の先頭――地鳴りを引き起こしながらやってくる一団の前を往く、一頭の赤い疾風馬を見た。

 目を引くのは、その疾風馬の手綱を引く男――ではない。男はあくまで手綱引きに過ぎず、見るべきはその男に抱えられるように疾風馬に乗る小さな存在だ。


 黒髪の少年が、その腕に少女を抱きながら真っ直ぐに黒い瞳でこちらを見ている。

 先走ったわけでも逸ったわけでもなく、その位置にいるのが当然とばかりに突っ込んでくる少年の姿に、刹那、グッダの脳裏を思案が過った。


 黒髪に黒い瞳の少年、それは開戦前に流布された『黒髪の皇太子』の。


「――ッ」


 もたげた考えを奥歯で噛み殺し、グッダは自らのすべきことに注力する。

 馬鹿げた噂を利用して、叛徒たちは大勢の『黒髪の皇太子』を用意し、愚かにもこの帝都の決戦を挑んだ。故に、帝都防衛の役目を負った『将』たちは――否、将兵たちは揃って心に決めている。

 黒髪の子どもの真偽などどうでもいい。――我らが仰ぐべき皇帝は、ただ一人。


「――ヴィンセント・ヴォラキア皇帝へ仇なす、賊徒共めがぁ!!」


 二振りの、超重量の金棒を振りかざしたグッダが、自らが狩った異名の象徴である虎の如く雄叫びを上げて、先頭をひた走る少年へ迫る。


 正面、赤い疾風馬を駆る少年と、それを追ってくる叛徒共。

 それらを一切薙ぎ払わんと、グッダは『将』自ら、敵の鼻っ柱へと一撃を叩き込む。打ち下ろされる一撃が凄まじい衝撃音を上げ、軟弱な鼓膜を爆ぜさせる。

 グッダの太い腕にも会心の手応えがあり、そのグッダの目が、見開かれた。


 疾風馬ごと叩き潰すはずだった黒髪の少年、しかし金棒が捉えたのは彼でも、彼の乗っていた疾風馬でもなく――、


「シュバルツを守るのが、本職に今の務めなのでな」


 自分以上の巨体と、太くたくましい四本の腕、それが手にした大盾でグッダの金棒の一撃――否、二撃を真正面から受け止めていた。

 多腕族の身体能力、それを加味しても驚異的な光景にグッダの喉が詰まる。

 その、一瞬の停滞へ滑り込んで――、


「そして……シュバルツの敵を叩きのめすのが、オレの役目だ……!」


「――ッ!!」


 その、こもりながらも勇ましく、そして強い自負と誇らしさを感じさせる声が、グッダの胴体へと痛烈な一撃を叩き込み、巨体を空へ打ち上げた。


「か」と苦鳴をこぼしながら見れば、グッダを一撃したのは全身に刺青を入れた男、それが持っている両手で振り回す大槌だ。

 鍛えてはいる。だが、あの体格と素人臭い動きで、何故自分がと。――否、何故と問いかけるべきは、自分の身に起こったことだけではなかった。


「「「おおおおお――っ!!」」」


 先陣を切ったグッダが吹き飛ばされ、その後も叛徒と帝国兵との衝突は続く。

 たとえグッダの首が刎ねられようと、それでも戦意を喪失しないだけ部下を鍛えた。その自負があるからこそ、眼下の光景が信じ難かった。


 帝国兵たちは一斉に、ほとんどまともな抵抗もできないうちに、押し寄せる叛徒の群れの攻撃力に打ち砕かれ、完全に粉砕されてしまったのだから。

 その、あまりにも衝撃的な光景に、かつて目の前で『将』の頭を噛み砕かれたとき以上の激情がグッダの全身を支配し――、


「――馬鹿げてる」


 と、そう歴戦の『将』をして、理解できない光景に掠れた息を漏らしたのだった。



                △▼△▼△▼△



 ――何事にも、例外はある。


 その例外こそが、猛将であるグッダ・ディアルモと、彼の鍛えた強兵たる戦士たちを打ち砕いた、脅威の素人集団であるプレアデス戦団だ。


 彼らに鍛えた技はなく、彼らに優れた武具はなく、彼らに確固たる大義もない。

 彼らにあるのは強い、本当に強い結束の意思と、何があろうと引くことはしないと決めている己自身への誓いぐらいのものだった。


 そしてそれこそが、プレアデス戦団を異常な集団に仕立てた答えだ。


 陽魔法の欠点について、長々と講釈した事実を覚えていようか。

 術者の技量や大量に左右され、それぞれの足並みを乱すことも多々あったその運用は、かつての皇帝に『大敗帝』の汚名を刻み、賢帝と謳われるヴィンセント・ヴォラキアでさえも検討段階で早々に手放した愚行であったと。


 しかし、もしも仮に、こんなことが可能であったらどうだろうか。


 数百、あるいは数千の兵力の全員に、一律同じ効力の強化を施し、なおかつその全員が元々の戦闘力にも技量にも乏しく、強くなった自分とのギャップに苦しまない。

 そして、肝心の陽魔法の使い手自体の数を、兵力と同じだけ揃える必要がない。――そんな夢か奇跡のような条件が揃えば、実現可能ではないか。


 それは、ヴィンセント・ヴォラキアが聞けば鼻で笑い、切り捨てる夢物語。

 この戦時下、この状況、この事態でしか成立しないとさえ言われる偶然の塊。


 ナツキ・スバルを――否、『ナツキ・シュバルツ』を自分たちの中心を認めて、心から彼に仲間と思われ、心から彼を仲間と信じるものだけが起こせる奇跡。


 ――スバル個人にかけられた陽属性の強化を、『コル・レオニス』の効果で、共に行動する仲間たち全員に共有する。


 本来、傷を、負担を分け合うことを目的とした『小さな王』の力を悪用し、王一人では扱い切れない力を、王を支える仲間たちと一緒に使う。


 故に、プレアデス戦団は――、


「――愛してるぜ、みんな!!」


 ナツキ・スバルと共に往く、数千人の『非戦闘員』を無双の軍勢へと作り変え、この帝都攻防戦の戦場をことごとく蹂躙し始めるのだ。



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― 新着の感想 ―
Subaru é a lança da Emília pra perfurar qualquer escuridão!!! Meu garoto !! Kkkkkkkkk muito bom!
小さな王が見えざる手以上に強力なのは怠惰と強欲だったら強欲のほうがスバルに合ってるからかな?
[一言] Hard Luck! ハドラ感ある
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