第七章93 『石塊の軍勢』
目や鼻、耳のない頭部を矢が穿ち、石で造られた人形が大きくのけ反る。
だが、人間らしい部位のない頭部は人間らしい急所にもなり得ないのか、矢で射抜かれようと、頭の一部が欠けようと、進軍する敵の足取りは躊躇いなしだ。
「頭潰すだけじゃ足りねーんなラ……ホーリィ!」
「わかってるノー!」
わらわらと、手を伸ばしながら押し寄せてくる石人形。
人間と変わらない大きさのそれが、非人間的な動きで迫ってくる姿には嫌悪感が沸き立つ。その抵抗感を弦を引き絞る指に込め、強弓が雷鳴のような音を立てた。
放たれる矢は同時に三本、それが石人形の胴体を直撃し、矢は突き立つでも穿つでもなく、その胴体を粉々に打ち砕いて人形の動きを停止させた。
五体がバラバラになれば、さしもの石人形も動き出しはしない。
しかし――、
「いちいチ、狙ってやれる数じゃねーゾ!」
目標の城壁、敵の布陣の穴だと言われた第三頂点だが、何とか辿り着こうと顔を上げるクーナは、配置された敵兵の数と性質に絶望的な気分になった。
第三頂点を守護しているのは、『九神将』の一人であるモグロ・ハガネという話だ。
幸いというべきか、そのモグロ当人の姿は城壁に見えない。まだ、モグロまで辿り着いていないからなのか、あるいはモグロ当人は別の場所にいるのか。
いずれにせよ――、
「まるで木の蜜に集まるありんこなノー! こんなのとても倒し切れないノー!」
「泣き言ほざいてる場合かヨ! 撃て撃て撃ちまくレ! いくらでも当たル!」
「わーン! クーナったら厳しいノー!」
悲鳴みたいな声を上げながら、ホーリィがクーナの背負った矢筒から矢を抜いて、次々と強弓につがえてぶっ放す。一射ごとに二体から三体の石人形が破壊されるが、とても敵の数には追いつかない。
――それこそ、石人形の数は数百体から数千体、数え切れないほどいるからだ。
「チッ、どーすりゃいいんだヨ……!」
舌打ちしながら敵と距離を取り、クーナは指示を出したアベルを呪う。
噂でしか知らないが、モグロ・ハガネは『鋼人』と呼ばれる特殊な亜人。体の一部を金属化している刃金人とも違い、全身が鉱物でできていると聞く存在だ。
ならば、目の前にいる無数の石人形は皆、その鋼人だとでもいうのか。
「みんなみんな、生きてるっぽくないノー! 本当にお人形みたいに見えるノー!」
「アタイもおんなじ意見ダ! こいつラ、どういう仕掛けになってやがル!?」
適度に距離を保ちながら、周囲を睥睨して石人形の群れを見る。目が存在しないことも手伝って、石人形からは自意識らしいものが感じられない。
ただ近付くものを取り囲み、その硬い手足と怪力で殴りつけ、撲殺する。逃げ切れずに追いつかれ、数の暴力に晒されたものの死に方は悲惨だ。
この第三頂点に挑み、石人形の群れに踏み潰された叛徒たちは、文字通りにその亡骸を踏み越えられ、隊列の向こうで原形をとどめていないだろう。そしてそれは、クーナたちにとっても他人事と笑っていられる出来事ではない。
このままなら、数に任せた敵に踏み荒らされ、太刀打ちできなくなる。
そうなる前に――、
「やべーってなったラ、撤退しねーとだガ……」
「あ! クーナ! あれ、見るノー!」
「あァン?」
戦場となった農地の草を蹴り、逃げながらの射撃を余儀なくされる二人。そんな中でホーリィの上げた声にクーナが振り向けば、驚くべきものが視界に飛び込んだ。
戦場に立ち尽くした人影、そこに石人形が殺到し、石塊でできた腕を叩きつける。あわや、一撃を浴びた相手は倒され、血溜まりに伏すかと思われるが――、
「――石でできた人形ガ、邪魔をするナ!!」
そう吠えたのは、凶暴な美貌を怒りに歪めたミゼルダだ。
彼女は怒声と張り上げながら、その両腕に握った棍棒を振り回し、飛びかかってきた石人形の頭を、上半身を、打ち砕いて返り討ちにしていく。
――否、石人形に対して、逃げるより攻めるを選択したのは彼女だけではない。
「邪魔だ邪魔だ邪魔だぁ! 仰ぐべき皇帝閣下の威光もわからねえ帝国の恥共が、オレに立ちはだかってんじゃねえ!」
だみ声と共に放たれる斬撃、それは鮮やかに石人形の首と胴を斬り離し、飛んだ頭部をさらに空中で縦に割る。足らなければ胴を斜めに斬り、腕を肩から斬り払って、動きが止まったと見れば蹴倒し、次へ向かう。
眼帯をした荒々しい外見の男もまた、ミゼルダと同じように石人形へ飛び込む。
白兵戦に容赦のない二人の攻撃力が、石人形の出鼻を挫く。
しかし、真にクーナとホーリィを唖然とさせたのは、そのどちらでもなかった。
「――――」
剛剣が唸りを上げ、薙ぎ払われる石人形が轟然と吹き飛ばされる。
鮮やかとは言い難く、荒々しく暴力的な斬撃。だがそれは、足止めに破壊を必要とする石人形を相手する上で、これ以上なく理に適った剣技と言えた。
それを振るい、押し寄せる石人形の群れを葬っていくのは赤毛の剣士――高慢で居丈高なプリシラ、彼女の従者であるとしか知らない男、ハインケルだった。
いつの間にか戦列に加わった亡霊のような風貌の男が、声なき石人形を次々と斬り捨てていく光景は、寝苦しい夜に見る悪夢のように現実味がない。
起きている出来事だけ見れば、クーナたちの歓迎すべき事態にも拘らず、それを喜んで迎え入れていいものなのかわからない、負の想念が渦巻いている。
きっと、その理由は剣を振るうハインケルの形相、顔つきにあった。
「とっても辛そうなノー」
同じものを見たホーリィの呟きに、クーナは賛同できなかった。
そう表現するホーリィの考えもわからなくはないが、クーナの目にはもっと直接的な、死にたがっている顔に見えた。
時々、死に場所を求めて戦場へ赴く戦士はいる。
シュドラクでも老い先が短くなったものが弓を持って、森の奥に潜んだ大物に挑むという体で最期を選ぶことがある。
クーナはたぶん選ばない終わり方だが、そうした考えには理解が示せた。
だが、ハインケルのそれは、死に場所を求める戦士のそれとは違っている。
死にたがっていながら死を恐れ、死に猛然と抗っている姿には、ただただ痛々しさだけが募らされる。彼の存在が戦線を優位に支えているとわかっているのに、クーナは今すぐに彼に倒れ、死んでほしかった。
周囲にそう思わせるぐらい、陰の気に包まれた剣を振るう男だった。
「クーナ! ホーリィ!」
と、そんなクーナたちの心象を余所に、なおも戦場の空気は動く。
二人の名前を呼び、草原を飛ぶように駆け抜けてきたのはタリッタだ。矢筒を背負い、シュドラクの民らしい装いに戻した彼女は二人の前にくると、
「足を止めるのは危険でス。姉上やジャマルが作った道ヲ」
「言われなくてもわかってんダ、族長。……ちっト、目を奪われてただけデ」
「ハインケルですカ」
バツの悪いクーナのもやもやを、目を細めたタリッタがピタリと言い当てる。
ミゼルダの妹であり、『シュドラクの民』の族長の座を継いだタリッタ。以前の彼女は引っ込み思案で決断力がなく、慎重というより臆病なところが目立つ娘だった。
しかし、族長を継ぐための条件として、魔都カオスフレームの旅路に同行した経験が大きかったらしく、臆病さは鳴りを潜め、しなやかな強さを獲得するに至った。
今の指摘も、それに付随するものだろう。
「族長は不気味に思わないノー?」
「不気味は直接的すぎると思いますガ……必死なのモ、戦力になるのも事実なラ、彼と戦うことに私は異存ありませン」
「堂々とした答えじゃねーカ。……アタイもそれでいいと思うゼ」
割り切れないものはありつつも、この瞬間に割り切る必要はない。
元々、日常ではともかく、狩猟の場面では心の切り替えがうまかったのがタリッタだ。今はそれが族長として、どんな状況でもうまく切り替えられている。
そうクーナが評価すると、タリッタはこちらの背の矢筒を見やり、
「ずいぶん矢が減っていますネ。折を見テ、落ちている矢の回収ヲ。あまり一体に矢を使いすぎない方がいいでス」
「理屈はそうだろーガ」
「なかなか一発で死んでくれないノー!」
「一発で落とすのはコツがありまス。心臓を狙うんでス。――こうしテ」
難儀する二人の前で、タリッタが自分の弓に矢をつがえ、素早く三射。遠方でミゼルダの背中に迫った石人形、三体の背を、頭部を、腿を矢が貫き、射殺してみせた。
「待て待て待テ! なんで一発で死ぬんダ!? 心臓?」
「石のお人形なのに、心臓なんてどこにあるのかわかんないノー」
「ソ、そうですカ? しっかり見れバ、重要そうな場所がわかると思いますガ……」
クーナとホーリィに詰め寄られ、タリッタが困り顔で眉尻を下げる。
その様子からして、本当にしっかり見る以上のことはしていないらしい。性格が対極でわかりづらいが、感覚肌で物事を決めるタリッタはさすがミゼルダの妹だ。
いっそ、シュドラクの民の一人として、族長姉妹の純度の高さが誇らしく思える。
「参考になんねーかラ、アタイらはアタイらのやり方でいくゼ。矢は拾ウ、足りなきゃ棍棒でも何でも使ウ。敵はぶっ殺ス」
「お人形遊びはおしまいにしてやるノー!」
「その意気でいいと思いまス。たダ、どこかで本命の九神将が出てくるはズ。……ヨルナがそうでしたガ、九神将は規格外でス。十分に注意ヲ」
「そレ、ミゼルダに言った方がいいんじゃねーノ」
深刻な顔をしたタリッタの意見に、クーナは最前線で暴れるミゼルダを顎でしゃくる。
片足を義足にした元族長は、立場を妹に譲って身軽な体で暴れ回っており、あの調子だともしも敵陣から『九神将』が現れれば、最初にぶつかること請け合いだ。
たとえ片足がなくとも、ミゼルダならどんな大物にも善戦を――、
「姉上、出すぎないでくださイ! 一人では死にまス!」
「――――」
ミゼルダの前方、道を塞いだ石人形の頭を一発で射抜いて、タリッタが叫ぶ。そのタリッタの声に、ミゼルダは大きく手を振り、心得ているとそう応じた。
そのタリッタの判断と発言に、クーナは本気で驚き、感じ入る。
本当にタリッタは、姉の背中に隠れ続けることをやめたのだと。
「マリウリのことがあったときなんテ、見ちゃらんなかったガ……」
「タリッタが立派になって、私たちも嬉しいノー」
「言ってる場合ですカ!? 二人モ、戦ってくださイ!!」
周囲を取り囲んでくる石人形、それをホーリィが弓で殴り、クーナが短い手斧で砕きながらの発言に、タリッタが声を鋭くして言い放つ。
その頼もしい族長の指示に、クーナとホーリィは頷き合い、躊躇なく従う。
古い盟約、かつてのヴォラキア皇帝とシュドラクの民との間で交わされた、もはや現代を生きるクーナたちにとっては遠く、忘れたとて責められる謂れのない約束。
それを果たすために始まった戦いは、しかし、今確かにクーナとホーリィにとっても、シュドラクの民として、勝ち取らなくてはならない戦いとなったのだ。
△▼△▼△▼△
真っ直ぐ、突っ込んでくる石塊の人形。
顔もなければ敵意も、殺意もない。そんな相手に剣を振るい、無神経に人型を選んだ人形遣いを呪いながら、ハインケル・アストレアは戦場へ臨む。
何故、帝国の大地で自分は剣を振るっているのか。
何故、あれだけの恥を晒したあとで、まだ剣を握っていられるのか。
何故、役立っているところを見せなくてはいけない相手が不在の地で、自分は。
「――っ」
伸ばされる腕を肘のところで斬り上げ、斬撃の余波が相手の上半身を吹き飛ばす。
相手は石の人形、ただ首や腕を落としても戦闘力を削げない以上、必要なのは行儀のいい剣技よりも、相手を行動不能に追い込む蛮族めいた一撃だ。
手にした剣の握りを変えて、両足を広げた立ち方を選ぶ。
腰溜めに構えた剣を乱暴に振り抜くと、途上の石人形が面白いぐらいに派手に蹴散らされた。面白くない。面白いことなんて、何もない。
剣を振るのが楽しかったことなんて、思い出せない。
剣はいつだって自分にとって、見た目以上に重たい枷でしかありえなかった。
「クソ」
悪罵を吐き捨てながら、剣の届く範囲に入った敵を一撃する。
頭の中を埋め尽くすのは「何故」と頭についた疑問ばかりで、視界を邪魔しかけるそれを吹き飛ばして、剣を振る。振る。振る振る振る振る振り回す――。
「クソが」
無心になれと、剣の修練ではよく教えられた。
集中力を高め、無心になり、剣と一体となることで技が研ぎ澄まされると。――何度言われても、何を言われてるのかわからない教えだった。
「クソが」
考えるなと言われ、それを実践しようとすれば、「考えない」ということを考えているから、無心になることなんてできるはずもない。
完全に剣だけに集中することなんて、どうすれば人間にできるのか。
生きていれば腹が減る。呼吸だってする。体のどこかが痒いことも、眠気が襲ってくることもあるだろう。心配事は尽きないし、頭の片隅には常に家族のことがある。明日の不安どころか十秒後の不安も尽きず、十秒前どころか昨日の、それより前の失敗をいつまでもくよくよと気にしている。積み重なり、延々と、延々と、思考は尽きない。
無心なんて、どうすればなれるのか。
それら、人間の営みの中で生まれる当たり前の思考を完全に停止するなんて、それこそ人間業とは思えない。ならば、無心になれる剣士とは人間ではないのか。
だから自分は、剣士ではないのか。
「クソがぁ!」
無限に溢れてくる罵詈雑言は、いくら垂れ流しても頭から消えてなくならない。
それをまとめて薙ぎ払うように、ハインケルはがむしゃらに剣を振るい、立ちはだかる石塊の人形たちを砂利の山へと変えていく。
こんな真似に、いくらの価値があるというのか。
すべき場面ですべきことをやり損ね、その尻拭いを機嫌を取りたい相手にやらせ、挙句に命を拾われて返し難い借りを他者に作って。
こんな真似を繰り返して、何にどれだけ報いれるというのか。
『生憎と、俺様にゃァ、オッサンが抱えてるッもんはわかりゃしねェ』
頭の中、自分の罵声に混じって聞こえたのは、誰か他人の声だった。
まだ若い、青いとさえ言える声を聞いたのは、物見台で酩酊していたときだったか。誰とも話したくないことの意思表示で閉じこもっているというのに、ずかずかと無粋に踏み込んでくる少年の声だ。
『しくじったッてのも、どのぐれェやらかしッたのか知りもしねェ。ッけどなァ、やらかした経験なら俺様にもあんだ』
一度、適当なことを言って追い払ったあとも、少年はたびたび顔を出した。
そして、自分自身も迷いを抱えている顔のくせに、一丁前にこちらの思い煩いに口を挟んでこようとするのだ。
それも、ひどく幼稚で安っぽい、鼻で笑いたくなる青臭い理想論を。
『てめェでしでかしたッことのケジメはてめェでしか付けられねェ。だァから、オッサンがやれるとすりゃァ――』
「うるせえんだよ、クソガキがぁ!!」
励ましか慰めか、憐憫か同情か、なんだろうとどうでもいい。
向けられる全部が煩わしくて、欲しいモノなんかありはしない。他人から欲しいモノなんて一個もない。欲しいモノはない。与えてほしい人がいるだけだ。
その相手からもらえることに価値がある。その相手からもらえるもの以外は全部、引きずって歩くだけの重石なのだ。
「――ッ」
無言で忍び寄る不気味な石人形、目の前のそれに剣撃を叩きつけ、二体まとめて縦にぶった斬る。大振りの隙を突いたつもりか、横から飛びついてくる一体の顔面を鞘の先端で打ち砕き、後続を引き戻した愛剣『アストレア』で串刺しにして殺す。
顔のない相手、仕込まれただけの動き、そういう手合いならいくらでも斬れる。
息の続く限り、十でも二十でも持ってくればいい。だが、何の意味がある。
こんな、見るべき相手に見せるでもない点数稼ぎに、何が――、
『――オッサンがやれるとすりゃァ、てめェの剣で挽回だぜ』
「クソったれが……っ」
まだ、あるかないか消えかけの灯火に縋り付いているのが滑稽だ。
それを言い始めたら、どうしてまだ生きているのかなんて命題にまでぶつかってくる。
この剣で何を証明したいのか。何を手に入れたいのか。何を欲しているのか。
「――――」
主な脅威が物量となれば、周囲も続々とそれを攻略し始める。
突出するのはハインケルと、棍棒を手にした狩猟民族の女、それに顔に似合わない流麗な剣技を使う眼帯の双剣使いだ。だが、主に弓を用いる狩猟民族は族長の指示もあって果敢に戦線を押し上げ、一度は退いた他の叛徒も各々が勢いを取り戻してくる。
敵の防衛網の穴と、そう指摘されただけのことはある。
他の四つの頂点と比べて、明らかにこの頂点だけ防衛力が低い。ハインケルが斬り込めているのがその証だ。
誰か一人、そう、誰か一人でも本物の強者が居座っていれば、ハインケルがこんな風に先頭を走ることなんてありえない。
「あの背を追え――!」
「赤毛の男に手柄を取らせるな! 我々も続くぞ!」
「悪くない剣技ダ。髭を剃れバ、もっと見られる顔になル」
先頭を走るハインケルに後れを取り、大勢のものが声を上げるなんてありえない。
一時のまやかしに心を奪われている暇など、ありはしないのだから。
「クソが……こい、もっとこい! こんなんじゃ、点数稼ぎにも」
ならないと、目の前の事態をもっと厳しく、現実的に受け止めようと顔を上げる。
真正面に並んだ石人形、その隊列を横一線の斬撃で吹き飛ばして、目前に見えようとする城壁へ飛びかかるべく、膝に力を込める。
そのまま城壁に取りついて、壁上の敵を一掃すれば第三頂点の攻略――はっきりと、誰か敵将を討ち果たしたわけでなく、貢献したことになるのか。
それで、あの城郭都市での失態の埋め合わせに、ハインケルがプリシラに望んでいることの、蜘蛛の糸が繋がることになるのか。
せめて少しでも、わずかでも――、
「――お前、一番私、殺した」
「――――」
そう、がむしゃらに城壁に取りつこうとした瞬間、ハインケルを声が打った。
肺が竦む感覚があり、掠れた息が喉から漏れる。攻撃されたわけでも、あるいは攻撃を防がれたわけでもなく、ただ声をかけられただけ。
ただそれだけのことで、ハインケルの全身は竦み上がった。
寸前までの、無心がどうとか、自分の望みがどうとか、しくじったことの挽回だとか、頭を過った色んな考えが、全部白く塗り潰され、見えなくなる。
わかるのは、出くわしてしまったこと。――手も足も出ない、脅威に。
それは――、
「一番、私、殺した。だから、私も、お前、殺す」
感情を窺わせない声が響いて、ハインケルの眼前、高く分厚い城壁に変化が起こる。
壁上に居並んだ石人形たち、ではない。
城壁を守るように展開した石人形たち、でもない。
星型の城壁の頂点、第三頂点と呼ばれる分厚いその壁に、変化が生じる。
「――ぁ」
息が漏れたハインケルの視界、左右いっぱいに広がる城壁に無数の『光』が生まれる。――否、それを『光』と呼ぶべきかどうか、意見が分かれるところだ。
城壁に生まれた『光』、それは拳大の明るく光り輝く緑色の球体で、一見して危険を感じない無害なものに思える。
しかし、それは元々城壁になかったのだ。
何もなかった壁に、突如として球状の『光』が無数に生える。それがハインケルには、まるで生き物の目のように見えた。その『光』と一斉に、目が合ったように思えた。
その『光』が一斉に、自分を睨んだように怯えた。
「ひ」
瞬間、ハインケルの全身が竦んで、剣を握り力が緩み――、
「吹き飛ぶ」
刹那、抑揚のない声と裏腹に、信じ難い轟音と豪風を纏い、巨大な石製の拳が跳躍しているハインケルを捉え、打ち上げた。
「か」
頭から爪先まで満遍なく全身を打たれ、ハインケルが為す術なく空へ吹き飛ぶ。
先ほどまで、石人形相手に自分がしていたのと同様の、蹴散らしたという表現が相応しいやられ方をして、血をばら撒きながら飛んでいくハインケルは見た。
回る視界の中、地上の様子が一変する。それは吹き飛ばされるハインケルの意識が朦朧とした結果ではなく、確かな、目を逸らし難い変化――、
「――九神将の『捌』、モグロ・ハガネ」
戦場における戦士の作法、自らの名を名乗っての堂々たる推算――だが、その規模があまりにも、通常と異なりすぎた。
「――――」
攻略すべき星型の城壁、第三頂点そのものが動く。
それこそが『九神将』の一人、モグロ・ハガネを名乗った強大な存在であったのだ。