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第七章92 『因縁の再燃』



 ――空気が悲鳴を上げ、世界は少しずつ緩慢になっていく。


 熱が、戦場を支配していた。――否、支配されたのは戦場ではなく、帝国だ。

 帝国の全土を熱が支配し、大地は類を見ない大乱に呑み込まれていた。


 大勢が声を上げ、武器を振り上げ、自分の理想を謳い上げ、熱を上げていく。

 それが周囲に伝搬し、より大きく、より広く、より早く、より強く、熱されていく。

 その熱は、延々とヴォラキアの国民の心の内に燻り続けていたものだった。

 発散の機会が失われ、延々と箱の中に押し込められていた熱。だが、閉じ込められた熱はその間も強まり続け、機会を見つけてついに爆発した。


 そうして始まってしまった物事、それ自体を否定するつもりはない。

 たくさんの人がいれば色んな考え方がある。ましてや、国が違えば常識が違って、色んな生き方の根っこには色んな土が、水が、空気が関係している。

 それを知らずにとやかく言っても、誰も耳を貸してなんてくれない。

 だから、正しいとか間違ってるとか、そういう話をここでするのは場違いなのだ。


 そんな、とても色々なものが絡み合った場所で、言えるとすれば一個だけ。

 それは――、



「――私が、すごーく嫌なの」


 そう呟く声が、文字通り、戦場の空気を一変させる。

 帝都ルプガナを取り囲んだ農地や草原、緑が広がる大地にちらちらと白い雪が舞い降りるのは、温暖な気候で知られた帝国ではありえない光景だ。


「なんだ、これ……」


 初めて目にする雪を前に、動揺した声を上げるのは大地に崩れ落ちる刃金人だ。

 生まれつき、金属化した部位を肉体の一部に持ち、それを武器に打ち直して戦場を駆ける武器人間とでもいうべき彼らは、帝都攻略へ挑み、大いなる敵に打ち砕かれた。

 それでも態勢を立て直し、まだ戦えるものたちで今一度、敵へ挑まんと覚悟を決めたところへ、その白い情景がゆっくりと現れたのだ。


 一瞬呆気に取られ、すぐに彼らは意識を戦場へ引き戻した。

 その一瞬の隙を突かれれば、命を奪われても不思議はなかった。だが、すでに敵は自分たち刃金人を脅威とみなしていないのか、その隙を突かれることもなかった。

 その屈辱を溜め込み、怒りを刃に、矛に、斧に込めて振るい、種族の誇りにかけて今度こそ敵を討ち果たさんと、そうしようとして彼らは気付いた。


 ――動かそうとした体がかじかみ、思うように動かないことを。


 重ねて言うが、ヴォラキア帝国は一年を通して温暖な気候の続く国だ。

 無論、標高の高い山岳や隣国との国境沿い、大瀑布に程近い場所が故郷であれば、そうでない気候を味わう機会もあるが、刃金人はそうではなかった。

 だからと言って、彼らを責められるものではないだろう。

 いったい、誰が警戒できるというのか。


 今も青空と日差しが覗いている真昼の戦場で、汗ばむほどに熱の高まった体が一気に冷やされ、血の巡りが悪くなるほど凍える風が吹くことなど。


「みんな! ここから離れて! ここは私がすごーく頑張るから!」


 自由の利かない肉体を押し、驚愕する刃金人たちを声が打った。

 その、ただ武器を握ることさえ困難としている冷たい空気の中、大股で草原を抜け、銀色の髪をなびかせながら進んでいく人影が見える。


 白い肌と紫紺の瞳、恐ろしく整った横顔をした美貌の少女は、周囲の光景を当たり前のような態度で、威風堂々と前に出た。

 その姿に見惚れながら、刃金人たちは気付く。――これが、誰にもたらされたものか。


「――また、お前だっちゃか」


 戦慄する刃金人たちの驚きはなおも続いた。

 前に進み出た銀髪の少女の姿に、降ってきた声は城壁の上に佇む小柄な人影――その頭部に二本の黒い角を生やした竜人、マデリン・エッシャルト。

 帝国一将の『玖』の座に君臨し、刃金人の戦列をひと撫でで打ち砕いた『怪物』だ。


 忌々しげに眼下を見るマデリンの手には、その身の丈には大きすぎる武装『飛翼刃』が握られていて、見た目以上の重さを誇るそれを自在に操る使い手である。

 竜人という、亜人族の入り乱れる帝国にあっても希少種たる存在は、ただ対峙するだけで射竦められ、心の弱いモノの膝を屈させる威圧感があった。

 しかし――、


「ええ! また私よ、マデリン! 通りすがりの精霊術師、エミリー!」


 その竜人の金色の眼光を、ビシッと相手を指差した少女――エミリーは意に介さない。

 怖じないやり取り、それだけで刃金人たちは理解する。自分たちとエミリーと、そしてマデリンとが立っている舞台の違い、見えている視点の高さの違いを。


「――――」


 思い知らされる現実への落胆と失望、しかし直後に湧き上がる昂揚感。

 それは眼前でこれから繰り広げられるだろう、人知を超えた戦いへの期待だった。


 始まるのだ。高みと高み、ただ強靭に生まれついただけでは至れぬ領域の戦いが。

 気温の低下で冷えていく血と無関係に、一介の戦士としての武者震いが起こる。

 そして――、


「腹立たしい娘だっちゃ。この間の戦いで、竜には勝てないと――」


 愛らしいと、そう称賛すらできるマデリンの顔つきが鬼気迫るものへ。

 手にした飛翼刃を振り上げ、その細い腕に力を込めていく怒れる竜人は、刃金人たちの動きを阻害する極寒を物ともしていない。

 直感する。あの飛翼刃が振るわれた瞬間、歴史に残る戦いが始まると――。


「――えい!」


 ――次の瞬間、エミリーの手を伸ばした先で、城のように大きな氷塊が天墜、城壁のマデリンの姿が轟音と共に氷片の彼方に呑まれたのだった。



                △▼△▼△▼△



 大きな氷塊が城壁に叩き込まれ、エミリアは「よし」と内心で頷いた。

 帝都を取り囲んだ反乱軍と、帝都を守ろうとしている正規軍との戦いが始まり、エミリアの頭はかなりしっちゃかめっちゃかになってしまった。


 できるだけ頑張って、みんなで死んでしまう人を減らそう。

 それがエミリアの打ち立てた方針であり、難しいとわかっていながら、仲間たちが反対しないで受け入れてくれた目標だった。

 なのに、いざエミリアたちが目的の帝都までやってくると、先に到着していた反乱軍たちがすでに戦いを始めてしまっていたのである。


「帝都から見れば同じ叛徒だが、各部族には各自の思惑がある。足並みを揃えて行儀よく始まる戦いではなかった。考えずともわかる道理だろう」


 などと、焦るエミリアにアベルが意地悪なことを言っていたが、城郭都市から参戦した自分たちも陣地を確保し、遅ればせながら戦いに参加した。

 エミリアたちの中で、主立って戦いに参加するのは自分とガーフィールの二人。ベアトリスとペトラは戦わせられないし、オットーとフレデリカにもお役目がある。

 戦うしかできない自分がとてももどかしいが、役割分担はとても大事とエミリアは学んでいたので、そこは全部みんなの得意分野に任せることにした。


「帝都であるルプガナは星型の城壁に囲まれた都だ。守るに堅く、攻めるに難い都市だけに抜くのは容易くない。攻略に必須なのが、五つの頂点を取ることだ」


「五つの頂点?」


「星型の城壁だ。この五つの頂点から、戦場を深く遠く把握できる。逆を言えば、ここを奪えば相手の戦力を大きく削げる。そのために」


「そのために?」


「先に当たった叛徒らから、敵の戦力配置を割り出す。奴らが些少でも相手の余力を削ればしめたものだ」


「それじゃ、先に当たった人たちが危ないじゃない! そんなの絶対ダメよ!」


 勝つための作戦を考えるのがアベルの役目だとしても、そのやり方をエミリアは受け入れられなかった。なので、必要な星の頂点を取ってくるため、出陣を決めた。

 正直、どこへ駆け付けるのが一番か、決め手が見つからなかったけれど。


「エミリー、どこへゆくべきかは僕が指示します。――当てがあるので」


 飛び出しかけたエミリアに、オットーがそう言って力を貸してくれた。

 そのときのオットーの様子が、なんだかエミリアにはとても無茶しそうな顔に見えて、なんて答えるべきか迷ってしまったが、


「大丈夫、エミリー。わたしに任せて」


 そうペトラが言ってくれたから、エミリアはどんと信じて走り出せた。


「エミリー! 俺様ァ、こっちだ! 風穴、ぶち開けてッやろォぜ!」


 威勢のいいガーフィールとお互いの健闘を誓い、途中で別れてそれぞれの頂点へ。


「エミリー……いえ、エミリア様、わたくしも役目へ走りますわ。どうかご武運を。スバル様のため、無茶はしすぎませんように!」


 並走するフレデリカが獣化して、目にも止まらぬ速さで戦場を駆けていく。

 みんなみんな、自分の役目を果たすために必死で。


「私も、すごーく頑張らなくちゃ」


 強い決意を胸に秘め、エミリアは自分のすべきことを為しに頂点へ辿り着いた。

 ぎゅっと目をつむり、自分の胸に当てた右手に左手を重ねる。戦いが始まる前、この場面に参加できないことを悔やむベアトリスが、この手を握って言ってくれた。


「悔しいけど、ベティーの代わりに頼むのよ。スバルのことで、ベティーの次に頑張れるのはエミリアかしら」と。


「ええ、ホントに、そうだって信じたい」


 ベアトリスの託してくれた想いのおかげか、協力してくれるみんながいるからなのか、エミリアの心身はビックリするぐらい絶好調だった。

 焦っていた心も、しっちゃかめっちゃかな頭も落ち着いて、とても冷静だ。

 とても冷静に、エミリアは自分の役目と、やりたいこととを両立している。


 エミリアが果たすべき役目は、頂点を守っているマデリンをやっつけること。

 エミリアがやりたいことは、できるだけたくさんの人を死なせないこと。


 マデリンとはこれから戦う。そして、たくさんの人を死なせないために。


「――――」


 目を開け、エミリアは自分の体の奥にあるゲートの存在を意識すると、溜め込んでいるマナを一気に解放し、猛烈な勢いで周囲の気温を落としていく。

 ヴォラキアは暖かい国なので、寒いのが苦手な人が多いとは勉強家なペトラの意見。空を飛んでいる飛竜も寒さには弱いと、動物好きのオットーからも聞いた。

 そして、寒くなると丸くなりたくなるとは、ガーフィールとフレデリカの姉弟の意見。


 その全部と、他でもない自分自身の経験と照らし合わせ、エミリアは気付いたのだ。

 それは――、


「すごーく寒いときって、みんな戦うどころじゃなくなっちゃうのよ」


 かつて、燃えてしまう前のロズワール邸で、眠ってしまう前のパックがマナの発散不足の問題を起こしたとき、屋敷の周りがすっかり雪景色になったことがあった。

 問題は近くにあったアーラム村にも波及したし、大変な騒ぎになったが、生まれてこの方寒い思いをしたことのないエミリアの、不思議な記憶として残ったのだ。

 そのときの経験と知識が、しっかりと活きた。


「みんなの意見とか戦いにかける気持ちとか、そういうのを簡単には曲げられないってわかってる。私も、できたらちゃんと話してわかり合いたいけど、時間がなくて」


 だから、エミリアは決めたのだ。

 力で――違う、寒さでみんなをねじ伏せることを。


 指がかじかんで武器が取れなくなり、膝が震えて技なんか一個も使えなくて、歯の根が合わなくて視線が定まらず、息が白くてビックリする。

 そうすればみんな、戦うどころではなくなるのだと。


 そして、それでもまだ戦おうと、強い体と心で訴える人の相手は――、


「――私が相手よ!」


「ふざけるのも、大概にするっちゃ――ぁ!!」


 エミリアの決意の一声、それを塗り潰すような怒号が城壁に落ちた氷塊から轟く。

 家より大きな氷の塊、それが直撃しても元気な声が返ってきたことに、周りは驚いてもエミリアは驚かない。数日前、グァラルでぶつかったときも同じだった。

 あのときも、戦いの始まりは同じように氷の塊をぶつけるところからで。


「芸がない奴っちゃ」


 甲高い音が響き渡って、次の瞬間、巨大な氷が縦に真っ二つに割れる。

 まき散らされる氷片の向こうから現れるのは、飛翼刃を頭上に掲げてピンピンしているマデリンだ。

 彼女は砕け散る氷が破片になり、粒子になり、マナに還元されるのを横目に、その金色の瞳の瞳孔を細める。


「あれだけ痛い目を見ても、何も変わらないか、半魔……」


「痛い目……最後のあれはビックリしたけど、私とプリシラがもうすぐ勝てそうだったはずよ。嘘言わないで」


「――ッ、竜を侮るんじゃないっちゃ、半魔!」


 エミリアの反論に目を怒らせ、マデリンが城壁から飛び降りようと膝を曲げる。その動作にエミリアは目を見張り、ちらと周囲を窺ってから、


「えい!」


 腕を振るい、さっきと同じように氷塊をマデリンへと降り注がせる。

 当然、それは牽制にもならず、煩わしげに振り上げたマデリンの武器に弾かれ、砕かれて効果を発揮できない。

 しかし――、


「えい! えいや! まだまだ! そや!」


「な」


 次々と空に氷塊を生み出し、それを片っ端から城壁のマデリンへ落下させる。

 途中から威力より速度を優先して作り出すため、氷の大きさは最初よりずっと小さく、せいぜいが一抱えぐらいの大きさだ。

 それでも、頭に当たればものすごい痛みは避けられないそれが、エミリアの手で十や二十、五十や百と生み出され、城壁へと降り注ぐ。


 氷の礫――ただし、礫なんてほど可愛げのない氷の嵐だ。


「調子に! 乗るな――ッ」


 その降り注ぐ氷の嵐に対し、狙われるマデリンは荒々しく対抗する。

 寒さを物ともしない全身を駆使し、飛翼刃を投げるのではなく、振り回す武器として用いながら、彼女は落ちてくる氷塊の嵐をことごとく撃ち落とした。


 衝撃と破砕音が連鎖し、城壁を駆け抜けるマデリンへ氷塊が殺到する。

 それが砕かれ、躱され、弾かれ、よけられ、軽業師か踊り子のような足取りでくるくると回りながら、マデリンは氷の乱舞を避け切った。

 その機動力も目を剥くものだが、当てるのはエミリアの狙いではない。躱されること前提の攻撃、その目的は時間を稼ぐこと。

 すなわち――、


「みんな、離れて! 私とマデリンが戦うと、周りが危ないから!」


 氷の嵐を叩き込みながら、エミリアが周囲の叛徒たちにそう呼びかける。

 打ち砕かれた刃金人たちは寄り添い合い、加勢する隙を窺っているようだったが、寒さで震え、武器をなくしたものも多い彼らでは無茶な話。

 手足を動かすのが大変なのは、エミリアがしたことなのでとても悪いと思うが、その手足を頑張って動かして、仲間を連れて下がってほしい。

 そうすれば――、


「――っ、いけない!」


 物量を優先したエミリアの攻撃、単調になったそれの間を縫い、細かく砕かれた氷の切りを破ったマデリンの飛翼刃が放たれた。

 猛然と唸り、風を殺しながら飛んでくるそれをエミリアはとっさに飛んでよけたが、旋回する飛翼刃は轟音と共に戦場を巡り、恐ろしい精度で戻ってくる。

 途上を薙ぎ払う死の旋風は、エミリア以外のものも容赦なく刈り取る。故に、動きの鈍い刃金人が巻き添えにならぬよう、エミリアは走り出した。


「う、やぁ!!」


 迫る死の旋風に体が追いつかず、よけられずにいた刃金人の正面に割り込む。

 跳ね上げた足で飛翼刃の刃を蹴り上げる。衝撃がエミリアの全身の骨を軋ませるも、歯を食い縛ってやせ我慢。渾身の力で打ち上げ、刃がエミリアの頭上を、刃金人たちの頭上を抜けて背後へと。


「これで……」


「終わると思ったっちゃか」


「――っ」


 安堵する暇もなく、後ろで声がした。

 たなびく自分の銀髪の向こう、エミリアは蹴り飛ばした飛翼刃を掴み取って、そのまま振りかぶったマデリンの姿を紫紺の瞳に捉える。

 振り下ろされる一撃、避けたら周りのみんなが危ない。


「アイスブランド・アーツ!!」


 受ける以外の選択肢がなく、エミリアはとっさに生んだ氷の剣を飛翼刃に合わせる。

 鍔迫り合い、にならない。相手の刃と接した瞬間、氷剣は呆気なく罅割れ、砕ける。だが、それは一本目だ。反対の手で二本目、一本目をなくした手で三本目を生み出し、砕かれながらも諦めず、エミリアの氷剣連撃が唸りを上げる。

 大きく身を回し、飛翼刃の横腹を叩いて、叩いて、かろうじて受け流し、落ちる。


「――きゃあっ!?」


 打ち落とした飛翼刃が大地を直撃し、刹那、衝撃波がエミリアの全身を打った。

 同様の威力に揉まれ、逃げ遅れた刃金人たちも盛大に吹っ飛ばされる。竜人の腕力はとんでもなく、力持ちのエミリアよりもさらにさらに力持ちだ。


「それでも……」


 転がった体を跳ね起こして、エミリアは頬を叩くと前を向く。

 地面から飛翼刃を引き抜くマデリンが不機嫌にこちらを睨み、まだピンピンしているエミリアと、それから周りを見渡した。


「お前だけだっちゃか。あの女はどうした」


「あの女? ……あ、プリシラのこと?」


「竜が人間の名前を覚えると思うか? あの、赤い女のことっちゃ」


「それがプリシラよ。私がエミリー。プリシラは、会いたい相手がいるって」


 陣地でアベルが作戦を練り、エミリアたちが戦場に飛び出してきた傍ら、プリシラやアルたちも同じ戦場の土を踏んでいる。

 ただし、スバルとレムを連れ戻したいエミリアたちや、何とか皇帝をやっつけたいアベルたちと違い、プリシラの目的はよくわからない。

 聞いても、ちゃんと答えてくれなかった。


「ヨルナとも、どんなお話したのか教えてくれないし……」


 離れ離れの親子の対面だから、積もる話もあったのだと思う。

 エミリアも首から下げた魔晶石の中、目覚めたパックといずれ再会する日がくることを思うと、どんな話をしたのか参考に聞かせてもらいたかった。

 もちろん、単純にプリシラの嬉しい話を聞いてみたいというのもあったが。


「会いたい相手……」


「ええ、この戦いのどこかにいるみたい。自分の問題だって言ってたから、私も私の騎士様を優先しちゃったけど……あ! ええと、ペトラお嬢様の! 騎士、かも!」


「――――」


 ヴォラキア帝国では身分を装っている必要があると、慌てて言い直したエミリアを、マデリンが不審そうな目で見てくる。

 疑われている感じがするが、エミリアは嘘が苦手だ。取り繕うと余計にボロが出る可能性が高く思われて、仕方なく肩を落とす。


「ううん、嘘。スバルは私の騎士なの。騙してごめんなさい」


「そもそも、そんな話聞いてもいないっちゃ!」


「そう、だっけ……?」


「お前みたいな小娘が何を考えても、竜には関係ない。――あの赤い女がいないのは腹立たしいっちゃが、それならそれで好都合っちゃ」


 言いながら、マデリンの全身がゆっくりと湯気を立て始める。

 冷え込んでいく空気の中、吐いた息が白く染まるように、熱を高め続ける肉体はただそこにいるだけで、その体から見える戦意を立ち上らせ始めた。


 その、目に見える戦意を浴びせられ、エミリアはとっさに両手に双剣を生み出す。

 それを構えて警戒するエミリア、その様子にマデリンは獰猛に笑い、


「一人ずつ、竜をコケにしたお前たちを血祭りに上げてやる」


 爛々と金色の双眸を光らせ、こちらへ突っ込んできた。

 凍り始めた大地を爆発させる踏み込み、一息にお互いの距離を消して、飛翼刃を振り上げるマデリンにエミリアは身構える。

 そして――、


「プリシラはいなくても、私は一人じゃないわ!」


「何を――」


 言うのか、とマデリンが吠えようとしたのだと思う。

 しかし、それは不意の人影と、振り上げた飛翼刃を押さえる衝撃が言わせなかった。マデリンが何事かと目を剥いて、飛翼刃に飛びついた人影を見る。


 それは、体ごとぶつかって攻撃を邪魔する、氷でできたナツキ・スバル――、


「な……!?」


「えいやぁ!!」


 動きの止まったマデリンへと、エミリアの双剣の氷撃が叩き込まれた。



                △▼△▼△▼△



 帝都を囲う星型の城壁、それぞれの頂点で戦いが始まり、戦争の質が変化する。

 多勢が小勢――それも、ほとんど単体戦力によって駆逐される様は滑稽でもあり、このヴォラキア帝国という強者が尊ばれる土地の縮図のようでもあった。


 弱者がどれだけ束ねても、強者の一振りは容易く希望を摘み取る。

 事実、帝都決戦などと意気込んで銘打った戦いも、放置しておけば叛徒のことごとくが伐採され、闘争心を燻らせるものたちは年単位で大人しくなるだろう。

 あるいはそうした反乱分子のあぶり出しが、此度の皇帝の目算かとも疑う。

 もっとも――、


「――それも、ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下が玉座を追われていなければ、の話でありんす」


 煙管を片手に戦場を俯瞰し、ヨルナ・ミシグレは紫煙まじりの言葉を吐いた。

 あえて自ら小火を起こし、平穏で緩んだ思考の引き締めにかかる。いかにも皇帝のやりそうなことだが、自ら玉座を手放してまでしでかすことではないだろう。

 もしも此度の真相を知らず、魔都に君臨する『九神将』の一人として招聘されていたとしたら、果たして自分はどちらについたのか。


「などと、益体のない感傷に浸る暇はありんせん。――わっちの役目がありんす」


 ありうべからざる可能性を捨てて、ヨルナは静かに前を向く。

 真の皇帝たるヴィンセント・ヴォラキアは、この帝国に安寧を敷いてきた。それを追い落とした偽皇帝の治める未来、それがどこへ通ずるか、闇は色濃く深い。

 なればと、ヨルナは考えるのだ。


「わっちの愛し子たちと、閣下の愛した帝国の地で生きる民」


 愚かにも魔都を失い、示すべき威を示せなかった自分を慕い続ける愛し子たち。

 かつて愛し合い、今もなお愛おしさの潰えることのない男が愛した帝国の人々。

 そして他ならぬ、魂を分けた我が子が生きる世に、相応しくあってくれるものをと。

 それは――、


「――偽の皇帝の築く未来より、真の皇帝の維持する安らぎを望むでありんす」


 言いながら、煙管を回したヨルナの周囲をゆっくりと、螺旋を描きながら土塊が渦巻き始める。『魂婚術』を無機物に付与し、意のままにするヨルナの技法だ。

 その魂の容量の問題で、他者には決して真似のできない技法――ただし、長く密に時を過ごし、想いを染み込ませた魔都と違い、帝都の土の動きは鈍い。

 おそらくは、ヨルナ自身の帝国への複雑な想いも無関係ではなかろうが。


「万全の状態でなくて申し訳なくありんすが、主さんの相手はわっちでありんす」


 正面、城壁の頂点を見上げるヨルナの視線、それが城壁よりさらに上へ向かう。

 その理由は単純明白、視線で射抜くべき相手が城壁より高い位置、戦場の空を自由に飛んでいるからだ。

 自らの膝下を炎へと変えて、その細い体に破滅を秘めた『精霊喰らい』――。


「――ヨルナ」


「アラキア一将、相変わらず派手な戦い方でおりんす。遠くからでも、一目でそれとわかったでありんすよ」


 片手に木の枝を手にし、左目を眼帯で覆った褐色肌の犬人――アラキア。

 彼女は眼下に現れたヨルナに警戒の目を向け、その敵意に肌を焙られながら、ヨルナは周囲を見回し、焼け野原となった農地に目を細めた。


 叛徒たちの攻撃に対し、最も派手な迎撃があったのがこの頂点、すなわちアラキアだ。

 無論、それは彼女自身の有する力が強大であることも理由だが、おそらくは周囲に見せつける意味もあったのだろう。

 この頂点を守るのがアラキアだと、一目で看破したのはヨルナだけではない。

 それこそ一角の武人であれば、正体がアラキアとまでわからなくとも、絶大な実力というものは容易に窺い知れたものだった。

 それはアラキア自身の狙いというより――、


「誰ぞの入れ知恵があったか、アラキア」


「――っ」

「主さん……」


 背後、焼け焦げた黒い草原を踏みつけて、やってくる何者かの声が戦場を揺らした。

 息を呑み、目を見張ったのはアラキアと、そしてヨルナも同じだった。聞こえるはずのない声、それが堂々と現れたことにヨルナは眉を寄せる。

 そして足踏みは、振り向くまでもなくヨルナの傍らに並んで、


「なんじゃ、母上。一度死んでなお、まだ子離れできぬままか?」


 そう、手にした扇を音を立てて開き、紅の瞳をしたプリシラが残酷に笑う。

 まさかの登場と、その後の言葉にヨルナは虚を突かれ、吐息をこぼした。


「プリスカ、主さんがわっちを許せないのは当然でありんすが……」


「生憎、その名を冠した娘は死んだ。気掛かりなら墓でも参ってやればよい。妾はプリシラ・バーリエルである。努々、間違えるでない」


「――。この場はわっちに任せると、アベルが話していたはずでありんしょう」


「妾はアベルの言いなりにならぬと、それも同じ場で話したはずじゃ」


 ああ言えばこう言うと容赦なく返され、ヨルナはプリシラの態度に閉口する。しかし、プリシラは「ふん」と鼻を鳴らし、その口元の笑みを消した。

 そのまま彼女の紅の視線が、頭上のアラキアへと向けられる。


『九神将』の最強格であるアラキア、彼女の相手をヨルナが命じられたのは、他ならぬヨルナ以外では彼女の相手とならないと誰もわかっていたからだ。

 にも拘らず、思慮深いプリシラがこの場所へ足を運んだのは、そうした戦力や戦術といった要素を抜きに、アラキアと対峙する理由があったから。


 その証拠に、プリシラの登場に明らかにアラキアは動揺していた。

 ヨルナを前にしても、どこか浮世離れした彼女の表情は揺るがなかったが、プリシラを目にした途端、その仮面は崩壊した。

 それは紛れもなく、プリシラとアラキアの間に特別な関係があった証左であり、


「アラキア、貴様の心は決まったか」


 問いかけるプリシラの横顔は怜悧で、視線は射抜いた相手を殺さんばかりに鋭い。しかし、その唇が紡いだ言葉だけはどこか穏やかで、慈悲深ささえ感じられた。

 厳しく装飾された優しい問いかけ、それにアラキアは息を呑み、頷く。


「姫様を、取り戻す。――閣下を殺して、姫様が、本物の皇帝」


「『選帝の儀』の正式な決着を望むか。それもよかろう」


 アラキアの答えを聞いて、プリシラが手にした扇を閉じる。それを自らの胸の谷間に仕舞い込むと、彼女は空いた手を空に掲げ、空間から紅の宝剣を抜き放った。

 刀身の周辺、空気が揺らいで見えるほどの熱を発するそれは、ヴォラキア皇帝のみが扱うことを許される『陽剣』――思わず、ヨルナも見惚れる。


 かつて、その真紅の宝剣を振るった愛しい男が、瞼の裏に蘇った気がして。


「見惚れている場合ではないぞ、母上」


「――。一から十まで、勝手なことをつらつらと……育てていないとはいえ、どうしてそのような育ち方をしたでありんすか」


「さてな。妾が妾たるのに理由はない。それと、一つ教えそびれたことがあった」


 陽剣を構えるプリシラを横目に、ヨルナも全身を緊張させ、臨戦態勢に入る。その姿勢になったところで付け加えられ、ヨルナは胡乱げな目を娘に向けた。

 その視線に目を向けないまま、プリシラは陽剣の剣先でアラキアを指し示し、


「あれは妾の乳兄弟じゃ。母上の亡きあと、妾と姉妹同然に育った。今は、妾を玉座に座らせるのが目的であるらしい」


「な」


「くるぞ」


 明かされた事実にヨルナが目を丸くしたのと、無情な宣告はほとんど同時だ。

 膨れ上がる炎が空を覆い尽くし、それが焼け野原と化した大地を焦土へと焼き変えるために、膨大な熱量となって落ちてくる。

 その向こうで、世界を赤一色に染めるアラキアが叫んだ。


「姫様を取り戻す、わたしの力で!! ――そう、教えてもらった」



                △▼△▼△▼△



 アラキアの繰り出す炎が大げさに世界を焼いていくのを遠目に、トッド・ファングは戦場の空気が風向きと共に変わりつつあるのを感じ取っていた。


「――最初の一手が効いたのは間違いないが」


 攻め込んでくる叛徒の鼻っ柱をへし折る大火力、一番槍を務める立場というのはいつだって実力を認められた存在だ。

 それが為す術もなく焼かれ、士気を保てる群れなんて存在するはずもない。

 それ故に、星型の城壁を守護する五つの頂点の中で、アラキアを有する自分が割り当てられた頂点が最も安全かつ、敵の攻撃が弱まる場所と読んだ。


 実際、トッドの読みは的中し、乗り込んできた単眼族が一掃されたあと、アラキアを恐れた叛徒の攻撃は疎らとなり、ほとんど勝ち戦同然だった。

 その空気が変わったのは、退けられた叛徒の第一陣に、遅れて到着した第二陣が加わったことが原因だ。


 頭を叩かれ、戦力を失った第一陣はそのまま総崩れになるかと思われたが、あとからやってきた第二陣に吸収され、戦力の立て直しを図っている。

 無論、負け犬がまとまったところで結果にさしたる影響はないはずだが、後続は士気がへし折れたはずの連中をまとめ上げ、被害を最小限にせき止めた。


 よほど、目端の利く指揮官が第二陣にいるのだろうと、そこまで考えてトッドは恐ろしい可能性に身震いする。


「まさか、遅れて到着したのも策の内か?」


 足並みが揃わず、自己主張のままに突撃してくる頭空っぽの反乱軍。そんな連中ばかりの第一陣が痛い目を見て、そのまま戦いは正規軍の圧勝で終わるところだった。

 しかし、実力者を失った第一陣は冷や水を浴びせられ、血が上った頭を冷まさせられた挙句に、話に耳を貸す機能を持たない邪魔者を根こそぎ喪失している。


 そうなれば、挑んだ戦いで勝ちを拾うために、連中も勝算を積んだ相手の傘下に入り、おこぼれをもらうために必死で芸をするしかない。


「馬鹿ばかりの先鋒より、第二陣の方が本命か」


 アラキア相手に戦いを挑んだのも、本命が用意した対抗策となるだろう。

 まさか、アラキアが落とされるとは考えにくいが、これだけ計算できる相手が帝都の攻略のための策を持たずに手ぶらでくるとトッドは思わない。

 アラキアのみならず、他の頂点の守護者に対しても何らかの用意はある。


 付け加えれば、そうした頂点を守護するものたち以外、残党を狩るだけの役目だったはずの正規兵たちも、叛徒の動きに苦戦までいかずとも、時間をかけ始めた。

 まるで、悪魔的な敵の頭脳に、遠くまで見通す目と耳と、小器用な手足までついてきているような、そんな厄介さを感じる。


 強敵は、アラキアや守護者に任せればいい。

 だが、真に戦争において厄介な敵は、もっと他にあるとトッドは考える。

 故に――、


「――悪さを働いてる奴を、片付けなきゃいけないな」



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― 新着の感想 ―
エミリアが氷でスバル作って戦わせたり助けさせたりするのほんと好き、かわいいわー ボルカニカ戦で砕けまくる氷スバルに「ごめんね!」がかわいくて忘れられない スバルはエミリアが作りやすいからって氷スバル作…
[良い点] 熱に支配された帝国、ヴォラキアに産まれた者なら戦いに憧れ、夢を見て理想を求める人もいるのでしょうね 力を発散する機会を奪われた人々にとってはヴィンセントの治世は好ましくない、救われる人がい…
[一言] トッド vs オットー&フレデリカ 開幕?
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