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第七章89 『カフマ・イルルクス』



 ――多種多様な亜人族が生きる帝国の大地でも、異端視される存在はいる。


『虫籠族』がまさにそれで、多様な生態の亜人が入り乱れる帝国にあっても、その在り方は異形異様、異端を見る目と無縁でいられないのが現実だった。


 外見上、虫籠族には人間族との大きな違いがない。

 種族的に褐色の肌をしたものが多いのと、習俗的に刺青を入れる慣習があるぐらいのもので、目に特徴のある『単眼族』や『魔眼族』や、手足に特徴を持つ『多腕族』や『足長族』ら、もっと言えば『獣人族』や『半獣族』ほどわかりやすい特徴はないのだ。


 それでも、虫籠族が他の種族から特異な目で見られるのは、その生態に理由がある。

 それが虫籠族特有の、体内に入れた『虫』と共生するという在り方だ。


 前述の通り、虫籠族は他の亜人と比べ、人間族との外見的な差異が乏しい。もしも『虫』を入れなければ、人間族として生きていくことすら可能だろう。

 だが、そうはしない。一族は体内に『虫』を入れ、その特徴を引き継ぐ。

 それは言わば、後天的に亜人としての特性を獲得するということであり、生まれついた肉体を作り変える禁忌の術法――他の亜人族から遠巻きにされる最たる理由だ。


 それは、生まれながらに体の一部に金属化した部分を持ち、それを成長に合わせて自分の望みの武器に打ち直す刃金人や、殺した相手の魂を取り込むことで、額に生えた輝石の輝きを増すと考えられている光人らとも一線を画する。


 他と交わることがなく、住処を離れない虫籠族の生態は多くが謎に包まれている。

 誤った知識が偏見と共に広がっていることも少なくないため、実際の噂を耳にする機会があれば虫籠族が失笑を禁じ得ないものもあるだろう。

 しかし、その噂が訂正される機会も少なく、誤解が晴れる機会もまたない。


 誤った誤解に多いのが、虫籠族が『虫』を体内に入れる時期や、『虫』そのものの生態と虫籠族との接点――その本質に迫る、歴史と言い換えてもよかった。


 そもそも、『虫』を体内に入れるのはかなりの危険が伴う。

 ヴォラキア帝国の南方、虫籠族の暮らす集落の最奥に『虫』の住処があり、異形の生物や毒の空気が蔓延した洞穴を『奈落』と呼んでいる。そこに生息する『虫』は姿形も一種異様で、一般的に想起される虫とは根本から異なるものばかりだ。

 いったい、誰がその正体不明の生き物を取り込もうと考え始めたのかはわからない。


 おそらく、呪術師やシノビといった常外の理を求める異常者たちが、ありきたりな術法では得られない力を得るために見出した外法、というのが識者の見識だ。

 いずれにせよ、それらの存在からすれば、虫籠族の存在は副産物に過ぎない。

 得体の知れない『虫』を体内に入れ、後天的に備わる力との共生を望んだモノこそが虫籠族の祖先であり、その狂気は現代まで脈々と受け継がれているわけだ。


 話を戻そう。――虫籠族が初めて『虫』を入れる儀は、十二歳を待つのが習わしだ。

 その歳までは『虫』を入れるのに適切な器となるよう心身を鍛え、実際の儀式に臨んでは『虫』の宿主に認められ、正しく孵化の時を迎える。

 その後、共生した『虫』を完全に御し、十全に従えられたと認められて初めて羽化したとされ、一人前の虫籠族として名乗ることが許される。


 儀式を十二歳まで禁じるのは、『虫』を取り込むのが命懸けであるためだ。

 体力気力が整わないうちに挑んでも、取り込もうとした『虫』に喰い殺される。最短で十二歳から挑めるというだけで、器の準備が整わないうちは十五歳まで儀式の延長が許される。それまでに間に合わなければ、そのものは虫籠族として迎えられる資格なしと『奈落』へ落とされ、『虫』たちの餌とされる決まりだ。


 肝心の『虫』を取り込む儀式、その苦しみは筆舌に尽くし難い。

 人の体に流れる血には種類があり、足りない血を他者の血で補おうとしたとき、異なる種類の血を取り込めば命の危機に瀕する。『虫』を入れる儀式の苦しみはそれに近い。

 自分の体を巡る血の全てが毒となり、内臓を腐らせ、脳を焼いていくような感覚。


 取り込んだ『虫』は宿主が自らに相応しいか試す蛹となり、相手を器とするか、そのまま溶かして喰らい尽くすかを三日三晩かけて決める。

 蛹が破れたとき、人の形を保っていられれば儀式は成功、『虫』との共生の成立だ。


『虫』を体内に取り込み、蛹から孵化した虫籠族には初めて肉体的な変化が生じる。

 触角や翅の獲得、眼球が複眼となるものや多手多足を生やすものが現れ、手指や胴体を甲殻に覆われるものなど様々だ。

 それらの特徴が実在する虫と似通っていることが、取り込む『虫』が昆虫とまるで違う生き物にも拘らず、虫籠族が虫籠族と呼ばれる所以だ。


 無論、そうして姿形が変わろうと、そのものが変わるわけではない。

 しかし、後天的に自らを異形化する儀式を行う虫籠族を、『虫』の容れ物になるのを望む異常者と、そう捉えるものがいるのも事実だった。


 苦痛を味わった果てに待ち受ける偏見、それでも虫籠族の在り方は変わらない。

 虫籠族としての羽化を認められるには、『虫』を一体取り込むことが条件だ。だが、取り込む『虫』の数が多ければ多いほど、戦士としての力は増す。

 故に虫籠族の一流の戦士たちは、最低でも三体の『虫』を取り込んでいる。

 ただし、取り込む『虫』の数が増えるほど体内で共食いする危険性は高くなり、宿主の命も危うくなる。そのため、共生する『虫』の数は戦士の質と直結する。

 現在の虫籠族の族長は戦士の中の戦士と呼ばれ、その身に八体もの『虫』を取り込んだことで一族の英雄と畏れ、敬われる傑物だ。


 ――そして、カフマ・イルルクスは三十二体の『虫』を取り込んだ怪物だった。


 英雄の偉業さえも霞ませる怪物の誕生、それは始まりから虫籠族の掟に反した。

 器の生命を脅かす恐れから、十二の誕生日まで行われないはずの『虫』を入れる儀式だが、カフマが初めて『虫』を取り込んだのは生後数日のことだった。


 族長の兄であり、優秀な弟に劣り続けた男の狂気、それは我が子へと向けられた。


 物心ついて、自分の境遇を知ったカフマは父のことをそう聞かされた。

 実際の父親は弟である族長の手で処刑されており、その本心はわからない。ただ、父は生後すぐに我が子は死んだとカフマを隔離し、『虫』を入れる儀を毎年行った。

 皮肉にも、カフマの存在が露見し、初めて隠れ家から外に出されたのが十二歳――同胞が『虫』を入れる儀式に臨む年、カフマは十三体の『虫』と共生する怪物だった。


 一族の想像を絶する存在、そのカフマの扱いに虫籠族でも意見は割れた。

 掟を破り、我が子を呪ったと感情的に処刑された父親はすでに亡く、十以上の『虫』をカフマが取り込めた理由は全く不明――最終的に、族長である叔父がカフマの存在に責任を持つことを宣言し、生きることを許された。


 これは嘘偽りなく、カフマ・イルルクスは族長に感謝していた。

 血縁上の叔父に当たる彼は、良くも悪くも一定の距離感と節度を保ってカフマと接し、父のことで過剰な責めも、謝罪の念も向けてはこなかった。

 特別親身でも薄情でもない叔父の態度は、カフマを虫籠族の一人として特別扱いしないという意識の表明で、それがカフマにはありがたかった。


 たとえ叔父がどう扱ってくれようと、一族の中でも自分が異常なのは事実だから。

 まだ『虫』を入れる苦しみを知らない世代はカフマを遠巻きにし、すでに羽化を認められた世代は想像を絶する数を取り込んだカフマを恐れる。

 他の種族から異端視される虫籠族、その中でさらに異端視される立場となったカフマ。


 無論、カフマには責められる謂れも迫害される理由もない。

 向けられる視線を無視し、これまで同様に外部と無縁の生き方を貫いてもよかった。だが、他者と異なる育てられ方をしながらも、カフマの性根は高潔だった。

 同族たちが自分に恐れを抱く環境、それを良しとしなかった。


 虫籠族の一員となるには、『虫』を入れることが求められる。

 しかし、カフマはその段階を自意識の芽生える前に通りすぎてしまった。だから、別の形で同胞たちとわかり合うため、努力を惜しまなかった。


 積極的に他者と交流し、族長である叔父から戦士の在り方を学んで、あらゆる世代と粘り強く接することで、自分が彼らと違わないことを示した。

 そして虫籠族の戦士として尊敬されるため、新たな『虫』を入れる儀へ挑んだ。


 周囲の反対はあった。すでに十三の『虫』を取り込んだカフマの存在は、虫籠族の歴史でも類を見ず、ただ育つだけでどれほどの成長を遂げるか期待されてもいた。

 それが羽化する前に命を落とすなど、あってはならない過ちだと。


 その老人たちの考えもわかったが、カフマは立ち止まることを良しとしなかった。

 許しを得る前に『虫』を持ち出し、カフマは立ち合いなしで儀式に臨んだ。その無謀な行動力だけは父親から受け継いだと、後々になってカフマは自戒する。

 だがこのとき、カフマは無謀にも十四体目の『虫』を取り込み、血を吐く三日三晩という地獄の苦しみを乗り越えて、生還した。


 そうしてカフマ・イルルクスはようやく、虫籠族の一員となる孵化を果たしたのだ。


 カフマはその特殊な出生と裏腹に高潔な精神を宿し、一族でも抜きん出た尊敬の念を勝ち取って、虫籠族の歴史上で最強の存在となった。


 ヴォラキア帝国では強者こそが尊ばれ、栄光が与えられる。

 一族の期待と希望を一身に負い、カフマもまたヴォラキアの『将』として立身し、虫籠族の種族としての強さを知らしめるために旅立った。

 当然、口さがないものはどこにでもいる。虫籠族の誤った噂を鵜呑みにしたものから、心無い罵倒や嫌がらせを受けることもあった。だが、些細なことだ。

 外の世界に出たカフマにとっては些細なこと。そう、些細なことだった。


 ――カフマ・イルルクスは、虫籠族の歴史が生んだ『怪物』だった。


 高潔な精神と、同胞たちへの仲間意識を持ち、率先して敵と戦い、一族を守った。

 だが、どれだけ努力を重ねても、同胞たちはカフマと一線を引き続けた。『虫』との共生の難しさを知る彼らだからこそ、カフマを同じモノと思えなかった。

 故に、カフマ・イルルクスにとって、故郷を離れたのは希望だった。


 同胞の、虫籠族のいない場所でこそ、カフマの求める光が見えると。

 本来であれば、虫籠族の誰もが成長と共に迎えるはずだった孵化を、羽化を、自らが怪物ではなく、ただ一人の存在なのだと認めるための過程を、ようやく――。



                △▼△▼△▼△



「――ッッ!!」


 正面、吠え猛り、飛び込んでくる金色の猛虎にカフマは強く奥歯を噛みしめた。

 その上半身を爆発的に肥大化させ、鋭い獣爪を振り上げる敵――ガーフィール・ティンゼルと名乗った戦士を、カフマは全力を以て迎え撃つ。


「見くびったことを謝罪する!」


 背の破れた翅を羽ばたかせ、カフマは突き出した両腕から紫の茨を放出する。

 カフマが取り込んだ『虫』の中でも新参者だが、使い勝手の良さから多用する茨。だがその制圧力を以てしても、ガーフィールの勢いを止められない。


 掬い上げるように振るわれる爪が、城壁の床ごと茨の頭を薙ぎ払い、傷付けられる『虫』が体内で絶叫を上げる感覚がカフマの脳を揺さぶる。

 際限なく溢れるように見える茨も、カフマが取り込んだ『虫』の一部なのだ。

 当然、傷付けられれば相応の反動がある。それを気力で抑え込み、全く応えていないように振る舞っているだけだ。


「があああァァァ!!」


 止まらない勢いのまま踏み込むガーフィール、打ち下ろされる獣爪を目の端に、カフマは翅の加速で城壁を滑り、猛虎の横をすり抜ける。

 衝撃、轟音がすぐ脇で鳴り響いて、カフマは余裕を持った回避がかろうじてのものと切り替えられたことに戦慄する。


 先ほどまでの攻防、それよりもさらに速く、威力が増している。

 戦いの中で成長する、あるいは温存していた力を引き出したか、いずれも現実的ではない。戦場で起こる戦力の変化は、ほとんど全てが力の低下だ。

 当たり前だが、戦う前に整えた万全な状態というものは、戦いが始まれば一秒ごとに失われ、余力は尽き、最高の成果は発揮できなくなっていく。

 だからこそ、戦いとは初手で最大の火力を、技を放つことが重要となるのだ。


 もちろん、カフマもその例に漏れず、最大火力と戦技を敵にお見舞いする。

 ガーフィールもそのはずだ。――そのはずだから、道理に合わない。


 獣化した経緯があるとはいえ、戦っている最中に力や速度が上昇することなど。


「ましてや貴公は、その重傷だろう――っ」


 先刻のカフマの攻撃、それは奇襲か、毒を用いた暗殺の類と言い換えてもいい。

 手段の好悪はあれど、カフマはその行為自体を忌避などしない。戦いにおいて、上品さに拘ることが生死を分かつなら、望みに適った手段を選ぶべきだ。

 その拘りが実力を発揮できるか否かに関わるならば、また話は別だろうが。


「――――」


 どうあれ、ガーフィールの全身の負傷は尋常ではない。

 最大はカフマが打ち込んだ攻撃による頭部の外傷だが、その内側を押し込んだ『虫』に荒らされたのも相当響いている。しかし、同じ手段は通用しない。

 火の魔石を呑み込んだガーフィールの肉体は、今なおも赤々と燃え続けている。


 全身に炎を纏った姿だが、体内はより手の付けられない炎上状態のはず。

『虫』を取り込むのは宿主となる側にも危険が伴うが、宿主を定めていない状態の『虫』もまた非常に脆弱で、少しでも厳しい環境に放り込めば容易く死に絶える。

 進行形で燃え続ける体で生きられる『虫』なんて、いるはずもなかった。


「恐るべきは発想」


 治癒魔法を使えても、傷付けるのが目的ではない『虫』は殺せない。しかし、『虫』を排除しなくては魔法で傷を治せない。

 その二律背反を突破する最善手だが、頭で考えてやったこととは思えなかった。

 むしろ、頭で考えるよりも本能に従った結果だろう。

 頭で考えていたら、魔石を呑み込んで体を燃やすなどとても実行できない。


「――ッ」


 がら空きの脇へ滑り込んだ瞬間、カフマの両肩から赤い触角が砲弾のように放たれる。

 肩の骨が変形した『虫』の角、その先端が鋼鉄のような腹筋を貫いて、苦鳴を上げるガーフィールの体を轟然と吹き飛ばし、城壁から弾き落とす。

 痛打、しかしカフマも無傷では済まなかった。


「ぐ」


 二本の触角を根本から折られ、骨まで痺れる痛みにカフマの頬が引きつる。痛みと引き換えの勝利、であればこのまま膝をつくこともできよう。

 だが、ここで膝をつくほどカフマは愚かにはなれなかった。

 何故なら――、


「がァ! おァ! るるるるぁァァ!」


 吹き飛ばしたはずのガーフィールが、その爪を突き立てた城壁を這い上がり、カフマの目の前で高々と跳躍していた。

 触角が貫いたはずの脇腹、そこが赤い蒸気を噴いて傷が塞がる。治癒魔法の淡い光が暴力的に燐光しながら、急速に傷の癒えていく規格外にカフマは息を吐いた。


「は」


 と、それが笑みの衝動だと気付いて、カフマは自分の口に手を当てる。

 それから諦めたように手を下ろして、ゆるゆると首を横に振った。


「快い」


 認めよう。

 カフマ・イルルクスは、ガーフィール・ティンゼルとの戦いを、満喫している。


「おおおォォォ!!」


 吠えるガーフィールが両腕を振り下ろし、縦回転する黄金の円盤となって落ちてくる。両腕を掲げ、それを止め切れないと判断したカフマは前進、ガーフィールの股下を抜けて背後へ回る判断、横目に見えるがら空きの背を狙う。


 だが、振り向かずに放たれるカフマの翅による斬撃は、両者の間に割って入った跳ね上がる石材によって打ち払われる。股下を抜けたカフマの攻撃が届く寸前、伸ばした前足を床について、ガーフィールが己の加護を発動し、攻撃を防いだのだ。

 しかも、硬い石材と打ち合わされ、音を立てて破れる翅――その向こう側、前足をついたガーフィールの後ろ足が猛然と放たれる。


「――ッ!?」


 互いに背中を向けたまま、強烈な一撃を受けたカフマの体が飛ぶ。

 踏みとどまるために踏ん張ったのが災いし、伸び切った体が衝撃を散らせず、血を吐きながら床を弾んで、壁上をカフマの長身が跳ねていく。

 一度、二度と高く弾み、転がる勢いの向こうに振り向くガーフィールの顔が見えた。

 そこへ――、


「二度目だ――ッ!」


 開いた胸部と広がった肋骨、その奥に収まった赤々とした臓器が鳴動し、そこから放たれる衝撃波がガーフィールへと真っ直ぐに突っ込んでいく。

 カフマにとっての切り札であるこれは、新たな『虫』を入れた成果ではなく、これまで入れた三十二体の『虫』が共存共生し、生み出された新たな器官だった。


 複数の『虫』の機能が合わさり、放たれる衝撃波は途上のものを猛烈に細かな振動で呑み込んで破壊し、粉々にすり潰す破壊的な一撃。

 目に見えないそれを全身に浴びた瞬間、どんな戦士も血霧に変わる。


「――ぶ」


 その確信は、ガーフィールの金毛が血で染まったことからも揺るがない。

 どんな戦士も血霧に変わる。故に――、


「――怪物め」


 転がる体を床に突き立てた腕で制動し、カフマが顔を上げる。

 そこへ、血で染まる上半身を震わせながら、大口を開けたガーフィールが突っ込んでくる。真っ直ぐに、どんな戦士さえも息絶えさせる一撃を浴びた『怪物』が。


「――――」


 振るわれる巨大な拳がカフマの顔面を捉え、反射的に殴り返した拳が相手の顎を跳ね上げた。そのまま猛然と拳打が荒れ狂い、壁上で赤い血の花が咲き乱れる。


 誰も割って入れない壮絶な戦い、それは怪物と怪物とのぶつかり合いだった。


「は」


 息を吐き、痛みの向こうを覗きながらカフマは全霊を注ぎ込む。

 特異な出自が生んだ稀代の怪物、それがカフマ・イルルクスが同胞から遠ざけられた理由であり、己自身が呪った運命だった。

 閉じた故郷を離れ、広い世界に踏み出すことでカフマは知ろうとした。

 自分が怪物ではないと、そう胸を張れる根拠を。


 だが、現実はそうではなかった。

 外の世界にあっても、カフマの非凡な実力は規格外で異端視されるもの。正規兵として肩を並べた多くのものは、カフマの力量を恐れ、異形を遠ざけた。

 どこでも怪物だと、所詮は逃れられない命運だと、そうカフマは思いかけた。

 しかし――、


『――上がってこい、カフマ三将! 共に閣下の御為に力を尽くそうぞ! なに、そう考えすぎずとも、貴公と同じく、我らも怪物揃いだ!』


 声を大きく、そう雄々しく笑った大男の言葉はカフマにとって天恵だった。

 怪物でないことを否定したくて、カフマは同胞と迎合しようとした。その願いが叶わなくなえれば、外にそれを求めようとし、やはり挫折した。

 しかし、上を見ればどうだ。


 怪物と恐れられたカフマ・イルルクスですら及ばぬ怪物が、ひしめき合っていた。

 カフマは怪物ではないと、そう言われたかったのではない。

 誰とも分かち合えず、わかり合えない孤独でありたくなかったのだ。


 怪物であっても、世界はカフマを取り残さなかった。

 故に――、


「――貴公との戦いも、また」


 超至近距離で放たれる触角の連弾、それをガーフィールが全身に浴びながら、負った端から傷を癒して強引に耐え忍ぶ。

 尋常でない防御力と生命力、おそらくは加護の力も含めた超再生能力が、眼前の『怪物』のカラクリであり、カフマを熱くする原因だ。


 右腕から放たれる茨が猛虎の全身を巻き取るも、棘に肌を切り裂かれながら強引に振りほどかれる。あらゆる斬撃を撥ね除ける甲殻で覆われた拳は、銀色に輝くガーフィールの手甲と真正面から衝突し、豪快に砕かれた。

 左手の指弾が植え付ける『虫』の卵は炎に焼かれ、押し付けた膝が発する内臓を掻き回す衝撃波は、やはり回復力を追い抜けず、不発に終わる。


 快い。ああ、なんと快いことか。

 結局は武人、どれだけ気取ろうと怪物、自らの内にいる『虫』たちが喝采するのに合わせて、いつしかカフマの頬からは笑みが張り付いて剥がれない。


 三十二体の『虫』たちが、己と一体化している家族より身近な存在が、その全霊を発揮する機会を得られたことを喜び、喚き散らしている。


 勝利をもぎ取らなくてはならない。

 大義のため、帝国を導く皇帝閣下の御為、自分をこの領域へ引き上げてくれた恩人に報いるため、虫籠族の地位向上を願っている同胞たちのため。


「――てめェ、どこッ見てやがる」


 痛みと息苦しさと、加速する思考が脳を塗り潰していく中に声が聞こえる。

 互いに猛烈な勢いで、相手が死んでもおかしくない威力を急所に叩き込むのに必死で、真っ当に言葉を交わしている余裕なんてどこにもないのに、聞こえる。


 目の前の翠の瞳がこちらを見据えて、血走った眼光が魂を射抜く。

 鋭い牙が血と肉を啜るために音を立て、軋む骨の音があらゆる知覚を遠ざけた。

 そうやって全てを戦いの演出に使いながら、目の前の怪物が、吠える。


「俺様ァ、ここだ」


「――――」


「この瞬間だけァ、他の何にも割り込めやッしねェ」


 刹那、世界の色が遠ざかり、風の音も耳鳴りも聞こえなくなって、目の前にいるその大きな敵だけが、カフマ・イルルクスの世界の全部になる。

 なんと、無粋なことを言わせたのかと、カフマは己の行き届かなさを恥じた。


 そして、その恥じる無粋をもすぐに投げ捨て、頷く。


「――ああ、貴公と自分だけだ」


 瞬間、交錯する拳と拳が互いの顔面にめり込み、時間が加速する。

 開いた掌に顔面を鷲掴みにされ、カフマの頭蓋骨が常外の握力に悲鳴を上げた。だが、カフマも相手の口元に手を入れ、そこで茨を相手の体内へと流し込む。


 外から壊せないなら、内側からと。

 溢れ返る茨が体内を荒れ狂い、内側から食い破る決着が迫る。しかし、ガーフィールは茨を流し込まれながら、こちらの体を振り上げ、振り下ろし、城壁に叩き付ける。


「――ッ」


 背中を城壁に埋められ、持ち上げられ、再び落とす。上げ、落とす。上げ、落とす。上げて上げて上げて上げて、落として落として落として落とし、踏みつける。

 全身が埋まった城壁にひび割れが生じ、星型の頂点の先端が二つに割れる。視界が真っ赤に染まり、息の代わりに血が溢れた。


 それでも、茨は力を失わず、ガーフィールの体内へ流れ込み続ける。

 カフマが力尽きるまで、『虫』は勝利を求めて貪欲に。


「――が」


 開いた大虎の口は、分厚く束ねた茨を噛み切ることができない。いくら爪を突き立てたとしても、うねる茨の層は厚い。どうあろうと逃がさない。

 茨も有限、吐き出せる量には限度がある。

 もしもここで吐き出し切ってしまえば、この城壁へと迫る他の反乱軍を退ける有効打をみすみす手放すことになる。だが、その価値がこの勝利にはあった。


 ――否、ガーフィール・ティンゼルという怪物には、そうする価値があった。


「あ、ああ、あああああ――っ!!」


 へし折られた体中の骨の痛みを無視し、カフマの喉が雄叫びを上げる。

 溢れ返る茨はガーフィールの体内を埋め尽くして、行き場をなくした圧力が破裂を招くことで死へと至らしめる。

 身をよじろうと、如何なる獣化を遂げようと、逃がしはしない。

 体内の全ての『虫』の余力を結集し、カフマはガーフィールを押さえつけ、勝利をもぎ取らんと前のめりになり――信じ難いものを目にした。


「――な」


 口から茨を流し込まれ、はち切れる寸前に膨れ上がった金毛の大虎。その体が爆ぜるのを目前に、茨の圧力は急速に失われる。

 何故か。――体内へ入り込んだ茨に、逃げ道が生まれたからだ。


 ガーフィールの鋭い爪が、自らの腹部を横に引き裂いて、その傷口から茨が溢れ出す。

 その恐ろしく破れかぶれの戦法は、死を間近に引き寄せる蛮行だった。生まれたその傷口に茨が殺到すれば、口が閉じられないのと同じ理屈で腹の傷を開かせられる。そうすれば体を二つに裂いて、決着だ。

 そう、そんな死を招き寄せるだけの、愚かすぎる蛮行だった。


 だが、その蛮行を目の当たりにした瞬間、カフマの頭に生まれた刹那の空白は、はち切れる寸前だったガーフィールに一呼吸の猶予を与えた。


 顎が閉じる。茨が引き千切られる音がして、大虎の大口が閉じた。

 茨による決定打を喪失し、それをカフマが自覚するよりも早く、踏み込んだガーフィールの拳が、銀色の手甲の硬い衝撃がカフマの顔面をぶち抜く。


 壁上に倒れ、床に寝そべったカフマの顔面に拳を叩きつけられ、深々と打ち込まれる衝撃が今度こそ、城壁に決定的な被害を与えた。

 轟音が鳴り響いて、鉄壁と謳われた帝都ルプガナの城壁が崩壊を始める。


 その崩壊を音と背中に感じながら、カフマは真正面、拳を引くガーフィールを見た。

 ゆっくりと獣化が解かれ、元の人の姿を取り戻していく少年――そのガーフィールの自ら引き裂いた腹の傷が、血の煙を噴きながら塞がっていく。

 致命的な傷が、恐ろしい速度でなかったことにしていく光景を見て、噴き出した。


 なんと、馬鹿げた光景なのか。


「……怪物め」


 そう、息を抜くように呟いた直後、崩落が完全に浸透し、城壁が崩れていく。

 その崩落する城壁と瓦礫まじりに落ちていきながら、カフマの意識はゆっくりと遠のいて、遠のいて、手繰り寄せる余力も残らず遠のいて――。


「閣下、申し訳ございません……」


 そんな、最後の最後で忠臣ぶる自分をみっともなく思いながら、落ちる。



 ――生まれたときから聞こえ続けた『虫』の声も、やけに静かに思えた。



                △▼△▼△▼△



 無防備に落ちていく男の体を強引に掴んで、瓦礫を蹴って崩落現場から逃れる。

 踵で地面を擦りながら勢いを殺して振り向くと、轟音を立てながら城壁が崩れ落ち、強固な要害に大きな穴が開いたのが飛び込んできた。


「開けッてやったぜ、風穴」


 開戦前に言われた言葉、エミリアの号令を思い出しながら頬を歪める。と、大きく裂けていた口の端がそれで痛んで、ガーフィールは「ぐォッ」と悲鳴を上げた。

 慌てて傷に手を当てて、治癒魔法を発動する。


「あァ、クソ、痛ェ……ッけど」


 裂けた口をざっくりと癒して、ガーフィールは自分の手をじっと見下ろす。

 いきなりの激戦と、正直、死んでもおかしくないようなやられ具合――だが、全身のおびただしい傷も塞がり、じくじくとした痛みも余韻の感覚だ。

 獣化しながらでも、ある程度の冷静さを維持しながら戦い続けられたとも思う。そのおかげで傷の回復が早かった。――本当に、それだけだろうか。


「……強く、なってんのか、俺様ァ」


 開いた手を握りしめて、ガーフィールはそうこぼす。

 実感はなかった。幸いというべきだろうが、ここまでガーフィールが全力を出さなくてはならない相手とぶつかることがなかった。

 それこそ、水門都市での『八つ腕』のクルガンとの戦い以外では、いずれもガーフィールにとって不完全燃焼の戦いが続いていた。


 その枷が外れ、改めて自分の全力で戦った結果、確かな感覚がある。

 一枚、以前と比べて壁を破った。そしてそれを、この戦いで確かなものにしたと。

 だから――、


「――怪物ッなんて評価、そっくりそのまま返してやるよォ」


 そう、ガーフィールが右腕に下げたカフマの体を地面に下ろし、鼻を鳴らした。

 わずかに胸を上下させ、息のあるカフマ。これが戦争で、真に勝利のためを思うなら相手を生かしておくべきでないと、そうわかっているが。


 エミリアは、自分たちの手で死んでしまう人を減らそうと言った。

 そしてオットーも、ガーフィールに足腰が立たなくなるまでぶちのめせ、と言った。

 きっとエミリアは心から、オットーは気遣って、言ってくれた言葉。

 それを、履行したい。

 だからこの場は――、


「――俺様の、勝ちだ」


 そう、星の頂点の一角を落とし、ガーフィールは拳を突き上げた。



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― 新着の感想 ―
結構やばかったね、たぶんアニメ化にしては残酷描写いれすぎだろう。自分の腹に穴開けるなんてどうかしているねガーフ。
ぐ、ぐろぉ アニメどうするんだこれ ガーフいつの間にか怪物になってるなー
即死あるいは再生阻害でもしないと死なないレベルのタフさと再生力を持った戦いの中で成長する天才、あまりにも恐ろしすぎる どれだけ傷を負わせても数瞬後には治ってるとかやばすぎるだろ
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