第七章88 『風穴』
――帝都ルプガナの包囲戦、それは双方出し惜しみのない激闘から始まった。
現在のヴォラキアに不満を抱える叛徒と、この治世を守ろうとする正規軍、それらの全面戦争と言えるこの戦いに、本来ならエミリアたちが参戦する必然性はない。
元々、エミリア一行が帝国入りした理由は探し人のためなのだ。
もちろん、ヴォラキアに密入国を果たし、旅の間に知り合った人々には情も義理もある。
王国や帝国といった国の垣根なしに幸せになってもらいたい人や、力を貸したいと願える相手だっていた。そこは一行の誰もが認めるところだ。
だが、紛う事なきお人好し集団であるエミリア一行にも優先順位がある。
当初の目的を蔑ろにしては本末転倒と、反射的に人助けしようとする良心(エミリア、ガーフィール)を諌める判断力(オットー、ペトラ)も一行には備わっていた。
飛竜に襲われ、阿鼻叫喚となった城郭都市の戦いに参戦したのも、あくまでその都市に探し求めた仲間の姿があると、その情報を追っていたことが理由だ。
その当てが外れた以上、理屈に従えばエミリアたちが反乱軍の帝都攻めに加わる理由なんてどこにもない。
実際、日々焦げ臭さを増していく帝国の情勢を耳にしながらも、エミリアたちの決意は固く、その目的意識を揺さぶられるのは最小限で済んでいた。
そのはずが――、
「――あの娘を連れ去ったのが『飛竜将』である以上、居所は竜人たるマデリン・エッシャルトの住処か、あれの飼い主の屋敷であろうよ」
城郭都市の都市庁舎、最上階の一室で広げた地図の前に陣取ったアベルは、その顔を覆った鬼の面に触れながらエミリアの問いかけに答えた。
そのアベルの答えを聞いて、エミリアは「マデリンの飼い主……」と呟く。
――時は、帝都ルプガナの包囲戦から数日前へ遡る。
魔都に向かい、グァラルに戻るはずだったスバルと合流する当てが外れ、目覚めていたレムとも行き違ったエミリアたちは、ここからの方針に迷っていた。
魔都カオスフレームの崩壊後、行方が全くわからないスバルと、連れ去った相手の素性までわかっているレムと、どちらを優先した捜索をすべきかと。
その判断材料を欲しがるエミリアにアベルが告げたのが、冒頭の言葉だった。
「あの気性の荒い竜人には聞かせられまいが、奴は宰相のベルステツ・フォンダルフォンが推薦した一将だ。何事かあれば、帰参するのは奴の下となろう」
「――――」
「なんだ? 疑念でもあるのか?」
「ううん、そうじゃなくて……飼い主って言い方、すごーくよくないと思って」
マデリンと交わした言葉は少なく、むしろとても激しくやり合ったエミリアだが、今のアベルの言い方はマデリンが聞いたらすごく怒りそうな表現だと思った。
そのエミリアの指摘に黙り込み、アベルが仮面の奥の瞳を細める。自分の発言を振り返って、よくなかったと反省してくれるといいのだが。
ともあれ、エミリアたちの知らない帝国側の事情に明るいアベルの意見は助かる。
帝国のあちこちで反乱の空気が盛り上がり、空模様や空気の乾き具合まで悪くなっていく感覚は、なるべく物事をよく考えたいエミリアにもいい予感をもたらさなかった。
探し人と会える機会をことごとく空振りしているし、帝国ではとても間が悪い。
「でも、そのベルステツって人のところにマデリンが帰ったなら、レムも……」
「レムちゃんがいるなら、あんちゃんも!」
話の流れを辿るエミリア、そこに作戦机に取りつくミディアムが乗っかった。
小さな体を目一杯伸ばして訴えるミディアムと目が合い、エミリアは唇を緩める。彼女の大事な兄も、レムと一緒にマデリンに連れていかれてしまった一人。
きっとすごく不安で心配だろうに、ミディアムは弱った姿をちっとも見せない。
その気丈さ、エミリアも見習わなくてはと思わされる。
「宰相さん……ベルステツ・フォンダルフォン様って、とっても優秀で有能な、帝国の要なんて言われてる方ですよね」
と、ミディアムの健気さに打たれるエミリアの横で、そう口を挟んだのはペトラだ。
エミリアだけをいかせられないと、一緒にくっついてきてくれたペトラ。自分の唇に指を当てて呟いた彼女に、エミリアは「そうなの?」と首を傾げる。
「帝国の要って、すごーく立派な評価だけど、それって皇帝のことなんじゃ?」
「もちろん、帝国がずっと平和なのは皇帝閣下のお力なんだと思います。でも、皇帝閣下のお力って、優秀な部下をうまく使うところも含めてですよね」
「あ、それはそうよね。皇帝がすごーく強くてすごーく頭がよくても、何でも一人でやり切れるわけじゃないんだもの」
鋭意努力中のエミリアも、自分がヴォラキア皇帝と同じ目線とは思わない。が、いずれは同じ目線にならなくてはいけないし、そう頑張るべきだ。
でも、エミリアがどれだけ頑張っても、きっといつまでもみんなの力を借りている。
それはヴォラキアの皇帝だって同じはずだった。
しかし、感心するエミリアやミディアムの傍ら、こちらと全く違った感想をアベルは抱いたらしい。彼は鬼面越しの視線を鋭くしてペトラを射抜くと、
「わざわざ、至極当然の道理を聞かせて何がしたい? 幼童の言葉に耳を傾ける余地があると思うか。この時間が惜しまれる中で」
「ごめんなさい、遠回しでした。ただ、こう聞きたかったんです。――皇帝閣下の大事な懐刀なら、宰相さんのお住まいがあるのは帝都ですよねって」
「――――」
鋭い視線に怖じないペトラ、彼女の問いかけにアベルが口を噤む。
アベルの怖い眼差し、それはまるで刃を向けられるような気持ちになるはずだが、ペトラは小揺るぎもしなかった。それだけ、ペトラの心根は強いのだ。
それこそ、彼女の身内であるエミリアが誇らしく胸を張りたくなるぐらいに。
「貴様の疑問の答えは肯定だ。必然、マデリン・エッシャルトの連れ去った両名……レムとフロップ・オコーネルも、帝都にあるベルステツめの下へいようよ」
そのペトラの視線に根負けしたみたいに、アベルが低い声でそう応じた。その答えに、エミリアはさすがペトラと彼女を称えようとした。
が、当のペトラの表情は優れず、それどころか目に見えるため息をついて、
「……仕組まれてるみたいで、面白くないです」
「え? それって、どういうこと?」
ペトラの反応の意味がわからず、エミリアは目をぱちくりさせる。そんなエミリアの言葉を受け、ペトラは酸っぱい顔をしたまま声の調子を落とすと、
「わたしたちは、この帝国で起こってる問題と無関係なんです。とっても大きな戦いになるのもわかるし、ミディアムちゃんとかウタカタちゃんのことは心配だけど……」
「――。うん、大丈夫よ。ちゃんと言いたいことはわかってる。私たちは、スバルとレムの二人を探しにきたんだもの」
言いづらそうなペトラの言葉を先回りし、エミリアは優しく言葉を選ぶ。
ペトラの不安や懸念もわかるのだ。エミリアだって、何もなければこのままずるずるとアベルたちと協力して、知り合ったみんなのために力を貸したいと思う。
でも、そうやって目先の問題ばかりについていっては、本来の目的であるスバルたちのところにとても辿り着けなくて――、
「あれ?」
そこまで考えたところで、エミリアは自分の頭に引っかかりを覚えた。
ペトラに答えた通り、エミリアたちの目的はスバルとレムを無事連れ帰ることだ。だから辛くても、ヴォラキアで起こっている戦いは素通りしなくてはならない。
なんて、そう思っていたのだけれど。
「でも今、レムは帝都にいるかもなのよね。それじゃ……」
「――わたしたちも、帝都にいかなくちゃいけないの」
エミリアの抱いた疑問が氷解し、氷の向こう側にいたペトラと目が合った。
その事実にいち早く気付いていたから、ペトラはとても苦い顔をしていたのだ。そのエミリアの驚きを裏付けるように、ペトラがアベルを睨みつけた。
そして――、
「卑怯です。わたしたちから言い出すまで、黙ってるなんて」
「筋道を立てれば自ずと一本に繋がる道理だ。貴様らの血の巡りの悪さを棚に上げ、俺を卑しいと罵るのは傲慢というものであろう」
「だったら教えてください。『飛竜将』のマデリンさんの帰る場所、帝都の宰相さんのところともう一つあるって言ってましたよね。でも、帝都の話ばっかりして、そっちの方はエミリーが気付かないようにしてた」
「――――」
「相手の無知につけ込んで利用するのを、わたしの故郷では恥知らずって言うんです」
ピリピリと、アベルを責めるようにペトラが睨む。そのペトラの言いように、まんまと情報の抜け落ちを誤魔化されていたエミリアは眉尻を下げた。
アベル側でも、彼の隣で地図を覗き込んでいたミディアムが、「アベルちん……」とそのやり口を注意するように見上げている。
とても反省した。同時に、ペトラの怒る理由もエミリアはよくわかる。
隠し事はともかく、その手前のことはアベルの言う通り、エミリアもよくよく考えていれば気付けたこととはいえ、教えてくれてもよかっただろう。
もちろん、エミリアだってあらゆる問題で他人頼みをするつもりはないけれど。
「時間がないってアベルも言ってたじゃない。それはお互い様なのに、意地悪しないで」
「それも傲慢さが言わせる発言と言えよう。何故、俺がわざわざ貴様のために物の道理を懇切丁寧に語り聞かせる必要がある」
「――? 私たちの力が借りたいなら、お願いしますって言えなきゃダメじゃない」
「――。噛み合わぬ女だ」
細い腕を組んで、アベルが長く重たい息を吐く。
しかし、彼の返事にエミリアは「そうかしら?」と全く違った意見を持った。噛み合っていないのではなく、アベルが噛み合うのを嫌がっているのだと。
「そうでしょ? だって、これからヴォラキアで一番大変な戦いをしようとしてるんなら、私たちの手だって借りたいはずよ。私たち、すごーく力持ちだもの」
「エミリー、ちょっと言い方が気になるかも」
「私たち、すごーく頼もしいんだもの!」
「頼もしいんです。特にエミリーと、ガーフさん」
言い直したエミリアの隣で、ペトラもそう言って胸を張った。
エミリア一行――ガーフィールは文句なしに戦うのが強いし、エミリアもなかなかと自負している。オットーやペトラはとても賢く、フレデリカはいつも気遣いの達人だ。
スバルと再会するまで、無理のさせられないベアトリスはお休み中だが、彼女を守らなくてはと思うと力がモリモリ湧いてくる。
だから――、
「私たちがいた方が絶対、アベルの目的は叶いやすいでしょう? それなのにこんな言い方しかできないのは、私たちにお願いしたって思われたくないから?」
「――――」
「ロズワールも、お願いしますって言うのがへたっぴだけど……」
アベルもロズワールと同じで、相手に弱味を見せたくない性格なのだろう。
そのせいで、自分からじゃなく相手から何かを言わせようとする。もしかしたら、それでずっとうまくいっていたのかもしれないけれど。
「いつか、すごーくおっきなしっぺ返しされちゃう前にやめた方がいいと思う。ロズワールみたいに、ミディアムちゃんとかヨルナ、ズィクルさんたちに叩かれる前に」
屋敷と『聖域』を巻き込む悪巧みをしたとき、ロズワールはエミリアも含め、全員から横っ面を引っ叩かれるしっぺ返しを味わった。
参加したエミリアが言うのもなんだが、あれはとても痛いことで、鍛えていたロズワールだから顔が腫れるだけで済んだけれど、アベルだとどうなるかわからない。
そういう、アベルの体の心配を抜きにしても、だ。
「私の言ってること、全然的外れ? だったら恥ずかしいけど、そう言って。それなら私も謝って、違うことを考えるから」
「違うこと?」
「あなたが何も考えられなくて、先のことを思えない人だと私は思ってない。何を考えてるんだろうって、ずっと考え続けるのが大事なことだもの」
前までのエミリアは、自分のわからないことに見切りをつけるのが早かった。
すぐに何かのせいにして諦めて、パックの言う通りにするのが正解だと甘えて。近頃はラムやオットーと、考えるのが得意な人の力を借りることも多い。
でも、頼る相手が変わっただけになるような、そんな風ではいけないのだ。
ペトラはヴォラキアの皇帝が、人を使うのがとても上手だと話していた。だけど、人を使うのが上手な皇帝も、何に使うのかは自分で考えていたはずだ。
そして、偉い立場の人は、みんなの中心にいる人はそれができなくてはいけない。
それを目指すのが、エミリアの選んだことなのだから。
「――大変、心強いお考えで嬉しいですよ、エミリー」
キリっと、アベルと向き合っていたエミリアを、背後からの声がそう褒める。振り向かなくても聞き慣れた声、その主は頼もしいオットーだ。
調べたいことがあると別行動中だった彼も、この都市庁舎――じゃなく、アベルに用事があったのだろう。
「オットーくんも、アベルに用事? 一人で大丈夫だった?」
「ご心配ありがとうございます。でも、そう心配せずとも……」
「そう? だけど、オットーくん、みんなで目を離してる間にさらわれてたこともあったから……」
「ぐうの音も出ない! ……まぁ、一応僕も備えてましたが」
エミリアの心配に声を高くしたオットー、そのすぐ後ろからガーフィールが姿を見せる。オットーの調べものについていてくれたらしい。
ホッと、エミリアの胸を撫で下ろしながら、
「ありがと、ガーフィール」
「ハッ、礼言われるッことじゃァねェよ。それッより、エミリーとペトラお嬢様の二人こそ、何話してッやがったんだ?」
「ええと、色々だけど……でも、ペトラお嬢様のおかげで言いくるめられないで済んだの。言いくるめられてなかったわよね?」
「うん、大丈夫だよ、エミリー。とっても頼もしくてビックリしちゃった」
「ふふ、でしょう?」
オットーたちの前で、力を合わせたエミリアとペトラがハイタッチ。エミリアもガーフィールと同じで、ペトラを守らなくてはと一生懸命になった甲斐があった。
そんな二人の様子に目尻を下げていたオットー、しかし彼は「アベルさん」と作戦机を挟んで鬼面の相手と向き合うと、
「おおよそ、エミリーたちと何を話していたのか想像はつきます。レムさんが『九神将』に連れ去られ、その行く先が帝都ルプガナなら、僕たちはすでに帝国の敵対する立場になったと、そういう話では?」
「――! すごい! オットーくん、こっそり聞いてたの?」
「盗み聞きですか?」
「エミリーはともかく、ペトラお嬢様まで……盗み聞きなんてしてませんよ!」
「そうなんだ。じゃあ、やっぱりすごいのね」
「……本当に盗み聞きしてなかったんですか、ガーフさん」
「エミリーはともかく、ペトラお嬢様は……」
感心するエミリアと、ガーフィールに事実確認するペトラ。両極端な反応に苦笑しながら、直前の会話を言い当てたオットーは小さく咳払い。
それから、遊びの消えた目をアベルに向けて、
「今しがた、外から街にきた人たちの話を聞いてきたところです。各地で反乱の声が上がってるのもそうですが、続々とここにも集まってきていますね」
「事の起こりと、『飛竜将』を退けた一件があれば当然と言える。ヨルナ・ミシグレが魔都の住民を連れ、この地を拠点としていることもだ」
「ええ、そうでしょうね。――見事な手並みです」
頷きながらのオットーに、アベルが淡々とそう応じる。
そのやり取りの内容自体は、エミリアにとってもわかっていたことだ。この数日、グァラルに集まる人の数は多く、エミリアも壊れた住居の修復に手を貸している。
と言っても、力仕事はあまりしないようにフレデリカやペトラに注意され、もっぱら柱の補修などを魔法で凍らせて参加するような役割だが。
ともかく、内容に目新しいことはなかった。それでもエミリアがささやかに違和感を覚えたのは、たぶんオットーの態度だ。
いつも通り、物静かで賢く、頼りになるオットー――だが、柔らかい彼の横顔にエミリアが感じたのは、隠しても隠し切れていない怒りに思えて。
「どこまで、布石を?」
「――――」
そのエミリアの抱いた疑念、それを確信へ押し進める一言だった。
オットーの問いかけに、アベルは沈黙する。しかし、答えを考えているのではなく、相手を焦らせるための間だとエミリアは受け取った。
だって、アベルの視線は揺らがず、目つきも変わらない。答えは決めているのに、それを聞かせるのだけもったいぶっていると。
「どこまで、あなたの思い通りなんでしょうね」
重ねて、オットーが言い方を変えながら同じことを聞いた。
焦らされ、根負けしたとは思わない。勝ち負けの話はあまり好きではないが、この場においてはすでに勝ち負けは決まっているのだ。
オットーの態度は、負けた理由を聞くもので、そして彼の敗北はエミリアたちにとっても他人事ではない、同じ問題なのだと。
「――貴様らの存在は、この都市へ戻って初めて知った。そこまで策の内に含めるなら、それこそ星を詠むような真似をする必要があろうよ」
「では、ただの偶然だと?」
「偶然と片付けるつもりはない。所詮、運否天賦は最後の一因に過ぎぬ」
一度だけ首を左右に振り、アベルは断定的にオットーの言葉を否定した。
その言葉にオットーの頬が硬くなるのを見て、エミリアはたまらず彼の袖を引く。そして、彼の抱える敗北感、それを一人で抱えさせておくのを終わりにさせる。
「オットーくん、どういうことなの?」
「……今、ナツキさんが置かれた状況については報告がありましたね。だいぶ、馬鹿げた出来事とは思いましたが」
「ミディアムちゃんと同じで小さくなってる、だよね?」
オットーの話を聞いて、ペトラがちらとアベルの隣にいるミディアムを見る。
魔都で敵に攻撃され、大人から子どもにされてしまったと話したミディアム。彼女だけでなく、スバルも同じような状況に置かれていると。
そして、そんな不安な状態のスバルを守るために、
「アベルは、黒い髪で黒い目をした男の子が皇帝の子どもだって、そういう噂を流したのよね。そうすれば、もしもスバルを悪く思う人たちに見つかっても……」
「事の真偽を確かめるため、命は取られない。僕も、その時点では妙案だと思いました。どうあれ、ナツキさんの危険度が下がるならと。ですが――」
「どォにも、大将がただ安全って話じゃァなくなっちまったらしい」
オットーの発言を引き取り、ガーフィールが腕を組んで言い放った。「え」とエミリアが振り向くと、ガーフィールはその鋭い牙を噛み鳴らして、
「街に大勢入ってきてんのァ、どいつもこいッつも皇帝と戦おうって連中だ。それに関しちゃ俺様から言うこたァねェよ。ッけどなァ、大将が危ねェってなりゃ話は別だ」
「スバルが危ない……」
「……そっか、そういうことなんだ」
眉を寄せるエミリアの横で、ペトラが何かに気付いた風に呟いた。それから彼女は丸い瞳を鋭くして、オットーと同じようにアベルを睨む。
「黒い髪で黒い目の男の子……皇帝の本物の隠し子かどうかはわからないけど、でも、兵士さんたちは迂闊に手は出せない」
「え、ええ、そうよね。だから、スバルは安全で……」
「でも、安全なのは、その男の子が本物かどうか確かめるまで。それで、その男の子はどこで本物かどうか確かめるの?」
「どこでって……ぁ」
考えを整理しながらペトラの話を聞いて、ようやくエミリアも要点に追いついた。
アベルが流した噂で、子どもになってしまったスバル――黒い髪と黒い目の男の子が探されて、見つかった子は本物かどうか確かめるために連行される。
その場所は、当たり前だけれど――、
「――皇帝のいる、帝都?」
「図らずも、貴様たちの探し物はどちらも帝都にある。手間が省けたな」
「白々しい……っ」
エミリアが結論に辿り着くと、待ち構えていたようにアベルが深く頷く。途端、ペトラがアベルに声を高くし、その態度を強く糾弾した。
でも、当のアベルはペトラの怒りに肩をすくめて、
「言ったはずだ。貴様たちの存在は俺にとって予想の外だと。あくまで、叛徒の存在を煽るために流した風聞がそうした働きを見せたに過ぎぬ」
「――っ」
「それとも、貴様はこうのたまうか? わざわざナツキ・スバルを縮めて行方をくらまさせ、帝国全土を惑わすための噂を流し、もののついでに治癒術を使える鬼の娘を『九神将』の一人にさらわせた。その全てが俺の仕組んだことと。――俺は多忙だな」
馬鹿にするみたいな言い方をされて、ペトラの表情が強張った。
当然、ペトラをそんな風に扱われて、オットーもガーフィールも面白くない。だから、一番最初に動いたのがエミリアで、アベルはホッとするべきだ。
エミリアはペトラを庇うように前に出ると、腕を組んだアベルをじっと見つめる。
「そんな何でもかんでもわかってる人みたいに思ってないわ。変な言い方で、ペトラお嬢様をイジメないで。もし、また同じことをしたら……」
「同じことをすれば、なんだ?」
「さっき話したしっぺ返し、一番最初にするのは私になるんだから!」
きゅっと、握った拳を正面に突き出してエミリアはそう言い放つ。
エミリアもできたら何でも話し合いで解決すべきだと思っているが、どうしても耳を貸してくれなかったり、話の通じない相手には握り拳も致し方なしだ。
ましてや悪く言われたのがエミリアではなく、大事な身内ならなおのこと。
「――。腹芸の一つもない。貴様らの筆頭はいつもこうか?」
「ええ、言葉を選んでもらえなくて苦労することも多いですよ。でも――」
「そんな相手ッだからやり甲斐があらァ。理詰めで全ッ部何もかも、道塞いで縛れば同じ方に歩けると思ってッ野郎よりよっぽどなァ」
目を細めたアベルの言葉に、オットーとガーフィールがそれぞれそう応じる。
何となく、仮の代表のはずのペトラではなく、自分のことを話題にされている気がしてしまったが、エミリアはそこは深く突っ込まなかった。
今、ペトラのことをみんなで庇い、話さなくてはならないのは――、
「つまり、ここにゃァいねェ大将もレムも、どっちも帝都にいるかもしんねェって話だ」
「そして、正規軍と反乱軍との決戦の地が帝都になる可能性が高い以上、僕たちにそれを素通りする選択肢はありません」
「恥知らず……」
スバルもレムも、帝都ルプガナにいるかもしれない。
もしかしたら、レムは違う場所にいるかもしれないし、スバルも黒い髪の男の子たちと一緒に帝都に集められているか、とても期待させられてしまうだけかも。
だとしても、それが一番可能性の高いことならみんなの言う通りだ。
「決めたわ。私たちみんなで、帝都にいきましょう。スバルとレムを見つけなくちゃ」
「エミリー、決定権はペトラお嬢様に」
「あ、そうよね! ええと、どうする、ペトラお嬢様。私の決めた通りでいい?」
「――。うん、大丈夫だよ、エミリー。本当は、全部あの人の思い通りになるみたいで嫌だけど」
じっと、ペトラがアベルの方を睨み、それでもすぐに表情を柔らかいものにする。
アベルに言いたい放題された不満を、スバルたちのために呑んでくれたのだ。そのペトラの気遣いに甘えつつ、エミリアは「そうだ」とアベルに振り向いた。
「ねえ、アベル、ペトラお嬢様は全部あなたの思い通りって言ったけど……」
「言ったはずだ。全てを俺が仕組み、誘導することなど不可能だと。それとも、貴様もその娘と同じように俺を常外の存在とでもみなすか?」
「ううん、そんな風には思わないわ。アベルは頭がよくて、へんてこなお面を被ってる人で、それと……やっぱり、不器用な人なんじゃないかしら」
唇に指を当てて、エミリアはそう首を傾げながら答える。
面のことに触れたとき、アベルの手がそっと鬼面へと触れて、すぐ後ろでオットーとガーフィール、ペトラも小さく笑う声が聞こえた。
その三人の反応をよかったと思うエミリアに、アベルは「どういう評価だ」と聞く。
「聞き覚えのない評価だ。何ゆえに、俺をそう評する」
「不器用? ええと、そう思った理由は……そう! スバルのことよ」
「スバルの? どういうこと?」
一瞬、自分の考えの辿った道を探したエミリアに、ペトラが目を丸くする。
アベルが悪巧みの達人に見えているペトラには、エミリアの言った意味がよくわからないのだろう。エミリアも、アベルが悪巧みの達人だとは思っているが――、
「アベルも言ってたでしょ? 私たちがいるのは、アベルにとって嬉しい予想外だって」
「俺の言葉を勝手に装飾するな」
「私たちがいた方が助かるのはホントでしょ? それをアベルは一回だって違いますって言ってないもの。それで、話を戻すわね?」
「――――」
「私たちがいるのは予定外だけど、アベルがスバルのために黒い髪の男の子の噂を流したのは予定通り……それで、スバルが帝都にいるかもって可能性が高くなったなら、そのことはアベルの予定通りなんでしょ?」
予定通りと予定外、何度も言っていて頭がこんがらがりそうになりながら、エミリアは丁寧に言葉を選び、整理してアベルの考えをちゃんとしてみる。
エミリアたちがいなくても、皇帝の子どもが反乱軍に協力しているという嘘はついた。そうすることで、子どもになったスバルが危ない場面が減るのと、誰かに捕まっても嘘が本当のことか調べるために帝都に連れてこられるのだから――、
「アベルのついた嘘は、みんなで帝都で戦うとき、その場所にスバルがいる可能性をちょっとでも高くするための嘘……じゃない?」
「――ッ、そりゃァそォかもだが、なんだってこいつが大将を」
「そんなの決まってるじゃない。――スバルが、すごーく頼もしいから!」
どれが何のためとか何がどんな目的でとか、色々な思惑が絡むのをエミリア一人で読み解くことは難しい。でも、ガーフィールの口にした疑問の答えは明白だ。
アベルがしたたくさんの悪巧みは、スバルを決戦の場面に呼び寄せるための計画。
それがバレないように準備したなら、きっととてもバツが悪いだろう。
だとしても――、
「ちゃんと手伝ってって言えたら、きっとスバルは話を聞いてくれたはずよ」
誰かを操ろうとするよりも、お願いしますの一言が言いづらいことはあるのかもしれない。誰かを操ろうと、エミリアは考えたことがないのでよくわからないが、お願いしますを口にできないときというのはある。
そして、そのお願いしますを言えない状況をどのぐらい減らせるか。どのぐらい、お願いしますと相手に頼っていいのか。
それをちゃんと自分の中で線引きできるのが、今のエミリアの目標だった。
「――――」
じっと、そう言ったエミリアはアベルを見据え、彼からの答えを待つ。
鬼面の向こう側、黒瞳と紫紺の瞳をぶつけ合いながら、エミリアはふと気付いた。――アベルはその両目を、一緒に瞬きすることがない。
どちらかの目を常に開け続けている。目が乾かないのだろうか。
――そんなに無理をして、心が乾かないのだろうかと。
「なんだ、何を待っている」
「え?」
「俺が貴様らのとりとめのない言葉に取り合い、あれこれと受け答えする道理がどこにある。いつまでも気紛れが続くと思うな」
「アベルちん!」
沈黙を続けた果てに、話を終わらせるかかったアベル。その言い方にエミリアが目を見張ると、代わりに声を大きくしたのはミディアムだった。
黙って話を見守っていた彼女は、傍らのアベルの袖を引っ張りながら、
「今の、すっごいカッコ悪い! あたしから見ても、アベルちんの負けだよ!」
「勝ち負けを競う場とした覚えはないぞ。袖を引くな。替えがない」
「服がなくなったら、また女の子の格好しなよ! アベルちんにはお似合いだい!」
乱暴に、もう一度強く袖を引っ張って、それからミディアムがアベルに舌を出した。彼女はたたっと作戦机を回り込み、エミリアたちの前にやってくると、
「あたしもむつかしいことはわかんないよ。でも、レムちゃんが帝都にいるんなら、きっとあんちゃんもそこにいる……あたし、また二人と会いたいの。スバルちんとも! だから、だからね……」
たどたどしく誠意を尽くしながら、ミディアムがガバッと頭を下げた。長い金色の髪が放り投げられるみたいに頭を越えて、エミリアたちの足下に落ちる。
しかし、ミディアムはそんなことにも気付かず、
「お願い! アベルちんはあんなだけど、エミリーちゃんたちも手伝って!」
一生懸命、そう声を震わせるミディアム。
彼女からのお願いに、エミリアは思わず目を細めた。それから、頭を下げているミディアム越しに、その向こうに立っているアベルを見る。
「アベル、こういうことだと思うの」
そうエミリアに言われ、頭を下げるミディアムの背中をアベルが見る。それから、彼は鬼面の向こうで何を思ったのか、その黒瞳には見せないまま、
「貴様たちも、帝都攻めに加わる。その意思表明と捉える」
「恥知らずっ!」
「アベルちん――!」
と、幼い二人の少女の怒声が、お願いしますの言えないアベルを叱りつけた。
△▼△▼△▼△
――そんな一幕を挟んで、エミリア一行は帝都決戦へと参戦を決意した。
本音のところ、アベルがどこまで計算して盤面を作ったのかはわからない。
もしかしたらペトラに話していたみたいに、スバルのこともレムのことも全部まとめてアベルの計算通りなのかもしれないし、実は全部ただの偶然かもしれなかった。
言えることがあるとすれば、
「アベルさんの発言や存在に囚われすぎず、僕たちは僕たちの目的を果たしましょう」
「うん、わたしもオットーさんの言う通りがいいと思う。……ダドリーとは?」
「ひとまず、あちらも小目標だった知人……ドラクロイ上級伯と合流できているそうで、どうやら件の上級伯は反乱に乗り気なんだとか」
「じゃあ、その上級伯とダドリー……ロズワールも、帝都に?」
「そうなるようです。――ますます気が抜けませんね」
エミリアたちと別行動し、ヴォラキア帝国にいる知人を訪ねたロズワールも、そちらで成果と問題の板挟みにあっているようだった。
ただ、ロズワールとラムの二人も、どうやら帝都ルプガナへ向かうことになるらしい。
スバルとレムが本当に帝都にいるのだとしたら、全員が一挙に集まることになる。
「ただし、向かう先で待ち受けるのは帝国全土を巻き込む大乱の中心……正直なところ、最初に想定していた事態とすっかり事情は変わってしまいましたわ」
「んだァ、姉貴。まさか、今ッさらビビッてやがんのかよォ」
「怖気づきはしませんが、少なからず不安はありましてよ。他国の諍いに干渉するのも問題ですし、戦場となれば……」
目を伏せたフレデリカが、表情を硬くしてその先の言葉を躊躇う。
彼女が口にするのを嫌がった内容、それは周りの全員が想像つくもの――向かう先が帝都の決戦となれば、彼我のどちらにも多大な被害が出るだろう。
避けられない大きなうねり、それは本来なら隣国の出来事となったはずのもの。
「フレデリカ姉様、わたしを心配してくれるのは嬉しいです。でも……」
「もちろん、ペトラのことも心配ですわ。ですけれど、わたくし自身が怖いんですのよ。ごめんなさい、わたくしが怖がりなせいで」
「姉様……」
気丈に首を振るフレデリカ、その声音に満ちた思いやりにペトラが俯く。
たくさんの人が傷付き、あるいは命を落としてしまうだろう戦い、そんな場所にペトラを連れていくのを不安がるフレデリカの気持ちはわかる。
その不安や抵抗感は、フレデリカだけでなくみんなにあるのだ。
だから――、
「もしも帝国にいなかったら、私たちはこのことを隣の国で起こったことって、そうやって眉間に皺を寄せるだけで聞き流してたかも。だけど」
「ッけど?」
「私たちはここにいて、戦いに参加する人たちとも知り合っちゃったから、もしもここから逃げられても、もう眉間に皺を寄せるだけじゃ済まないわ」
仮に潰える命が同じでも、見知った相手と知らない相手とでは感じ方が違う。
命はとても大切で、何かと比べられるものじゃない。だから命を比べられるとしたら、同じように命とだけなのだろう。――それもきっと、とても独善的な考え方だ。
だけど、勝手な考えを貫き通す覚悟なら、もうとっくに決めてある。
「私たちが参加したら、死んじゃう人が減らせると思う」
「エミリー……いえ、エミリア様。それはかなりの茨の道ですよ」
胸に手を当てたエミリアの言葉に、オットーが呼び方を改めてそう返した。
身内以外の誰もいない場所でも、呼び間違えのないように頑なに偽名を貫いてきたオットーだけに、そこには彼の本気が垣間見える。
その本気に応えないことこそ失礼だから、エミリアも本気で頷いた。
「ん、わかってる。ううん、もしかしたら、オットーくんは私が考えてるよりももっとずっと大変なことに気付いてるのかもしれないけど、それも何とかするわ」
「僕たちの目標はナツキさんとレムさんを連れ帰ること。もしも、この決戦で死人が二人しか出なくても、その二人がナツキさんとレムさんだったなら失敗です。逆を言えば、もしも帝国の人間が全滅しても、二人が無事なら僕たちの勝ちだ」
「オットー兄ィ、いくら何でもそいつァ……」
「今はエミリア様と話しています」
静かな声で言葉を連ねるオットーに、ガーフィールがたまらず口を挟もうとした。が、オットーはそれを切り捨て、エミリアにだけ答えを求める。
そのオットーの瞳を見返して、エミリアは紫紺の瞳を微かに揺らした。
そして――、
「ごめんね、オットーくん。帝国にきてから……ううん、帝国にくる前の、スバルたちを助けにいかなくちゃってなってから、ずっと一生懸命になってくれて」
「……それが僕の役目ですから。なので、僕がどうとかで考えを」
「ええ、わかってる。――私たちに必要なのは、全力だもの。それで、私たちの全力にはオットーくんが必要だから、スバルたちと会えるまで頑張ってもらう。もしもオットーくんが倒れても、無理やり負ぶっていくから。だから」
「――――」
「だから、スバルたちを助けるのも、できるだけ帝国の人を死なせないのも、私たちですごーく頑張って、どっちもやりましょう!」
すごく無茶なことを言っている自覚はあるし、とても勝手なお願いなのも承知の上。それでもエミリアは、やりたいことをやり始める前から妥協するのはやめた。
そのために――、
△▼△▼△▼△
「――私たちが、この戦いに風穴を開けましょう」
猛烈な冷たい風が吹き荒れて、ヴォラキアの緑色の草原を白い空気が埋め尽くす。
下がる気温と冷え込む空気に揉まれ、多くのものたちが足を止めた。
周囲、動きを止めて白い息を吐くのは、その体の一部に目を引く特徴を備えた人々だ。男の人も女の人も、年齢も無関係な彼らは一様に共通して、体に武器を生やしている。
その腕が剣になっているものがいれば、足の全体が鉄製になっているものもいて、変形した頭部が金槌になっているものや、背中そのものが盾になっているものもいた。
ヴォラキアには多種多様な亜人がいると聞いていたが、さすが帝国の色んな場所からたくさんの人が集結しただけあって、驚きの絶えない戦場だった。
ただ、体が武器になっていても、それが目の前の問題を全部壊したり、それから全部守ってくれるわけではないと、傷付いて倒れた彼らが証明している。
なので、大きく息を吸い込むと、
「みんな! ここから離れて! ここは私がすごーく頑張るから!」
倒れている人々――刃金人にそう言って、エミリアは大股で急いで前に出た。
これ以上の追い打ちが彼らにかけられないよう、自分に相手の注意を引こうとする。しかし、エミリアのその考えは不要だった。
通用しなかったわけではない。もう十分、相手の目はエミリアに引き付けられていた。
何故なら、エミリアの向かった城壁の頂点で待っていたのは――、
「――また、お前だっちゃか」
刃金人を初めて見たと、そう感心したエミリアの感慨さえも浅く感じるほど、多様な人種の坩堝であるヴォラキア帝国ですら個体数を見ない存在。
瞳を金色に輝かせ、頭部に鈍く光るのは二本の黒い角。投じた飛翼刃が戻ってくるのを小さな手で受け止めて、小柄な体格に見合わぬ威圧感を纏った少女だ。
そこに立っていた相手を見上げ、エミリアはビシッと指を差し、言った。
「ええ! また私よ、マデリン! 通りすがりの精霊術師、エミリー!」
「腹立たしい娘だっちゃ。この間の戦いで、竜には勝てないと――」
強く歯を噛んで、マデリンの形相が鬼気迫るものに変わっていく。
エミリアを敵とみなし、先日のグァラルでの戦いの雪辱を晴らそうと、そうマデリンが眼下のエミリアに飛翼刃を振り上げ――、
「――えい!」
次の瞬間、前回同様に都市庁舎よりも大きな氷塊がマデリンへと天墜し、エミリアとマデリンとの戦いが轟音と共に開戦したのだった。




