第七章86 『五つの頂点』
――『巨眼』イズメイルは、単眼族の勇士であり、一族の希望だった。
その勇ましい顔の中央、大きく青い瞳は澄み渡り、未来を迷いなく見据えている。
単眼族はその名が示す通り、眼部を単一しか持たない種族だ。ほとんどの種族が双眸を備える事実を鑑みれば、単眼が生存において優位性を保つことはほぼない。
ならば、単眼族とは生きる能力に劣った憐れな種族であるのか。
――断じて、それに関しては否と言い切れる。
眼部を一つしか持たない単眼族は、目を一つ潰されるだけで生存力を大きく喪失する欠点と引き換えに、その単一の眼球に多くの特異性を獲得した。
他の種族よりはるかに遠方を望める視力は基本として、個人差はあれど、マナの濃度や熱源を視認できるものや、動体視力に異常に優れるものも多い。
目に特異性を有する種族には他にも『魔眼族』がいるが、異能と引き換えに脆弱な体で生まれることが多い彼らと違い、単眼族は肉体的にも屈強だ。
ある種、戦いにおいて『眼』とはあらゆる性能に優越する。
日常を生きていれば、視界から得られる情報量が知覚の大半を占めていることは言うまでもなく、それはより生存に直結する戦場ではさらに顕著となるのだ。
故に、単眼族とは優秀な戦士を輩出する土壌の整った、優越種と言えよう。
話は戻り、『巨眼』のイズメイルを語ろう。
齢二十一になるイズメイルは、その鍛え上げられた肉体で巨大な戦斧を振るう闘士だ。前述の通り、その顔の中央には青い単眼が瞬いており、単眼族であればその優麗さに、他種族であればその威圧感に、それぞれ身震いすることになる。
単眼族の美的感覚として、その眼の大きさと形の美しさ、そして瞳の色と輝きが評点となることが多いが、イズメイルの眼はどれをとっても一級品だった。
美しく大きな青い瞳、生まれ落ちてすぐに凡庸と違う道を歩むと期待され、幼い日から『巨眼』の名で親しまれた彼は、一族の期待通りの少年に、青年に、戦士になった。
身の丈以上の大きさの戦斧を振るい、豪快に戦場を薙ぎ払う『巨眼』――ヴォラキア帝国が戦乱に荒れ狂う時代にあれば、その名は一族のみならず、全土に轟いたろう。
しかし、時代は彼の成長を待たず、停滞と弛緩のぬるま湯へと突入した。
多くのものが、そのイズメイルの不運を呪った。だが、宿命は彼を見放さなかった。
東の地から始まった反乱の灯火は、やがてヴォラキア全土へ燃え広がり、戦う機会を奪われたイズメイルを戦場へ誘った。
「戦う機会さえあれば――」
この戦斧で誰にも真似のできない戦果を挙げてみせる。
それがイズメイルの矜持であり、一族の誰もが疑うことなく信じる約束された未来。帝国には『九神将』と呼ばれる武の頂点たるものたちがいるが、機会に恵まれた彼らと同じようにその機が巡れば、その全員の度肝を抜いてやれる。
故に、『巨眼』イズメイルが皇帝討つべしと声を上げたとき、彼の部族は誰一人反対しなかったし、黒い髪の子どもを探すのにも積極的に協力した。
帝国全土に広まった反乱の兆し、それと同様に広まった『黒髪の皇太子』の存在――実在の有無ではなく、正当性を主張する手形が得られたことが大きい。
端的に言えば、黒い髪の男児を用意することが、このヴォラキア帝国で始まった大乱の参加資格であり、機を見極められないものはその時点で参じる大義を損なう。
この事態を静観し、覇の競い合いを外から眺めるものなど、帝国の流儀に悖る。
――帝国民は精強たれ。
今日に至るまで、帝国の端々、中央と無縁の民まで行き届いた教えだ。その理を解せぬものなど、この大乱に参じる資格も、その後の帝国を生きる資格もない。
イズメイルが大願を果たした暁には、それら一切合切を根こそぎに強国を作らん。
そのために――、
「――我こそが、このヴォラキア帝国に覇を唱えん!!」
高い高い石壁、その取っ掛かりに爪先をかけ、イズメイルの体が空へ上がる。
外の民にとっては決して乗り越えられず、内の民にとっては如何なる敵意も通させはしない絶対の障壁、そう思われていただろう壁を容易く踏破し、足をつく。
城壁の上に着地したイズメイルを見て、そこで弓を構えていた兵たちが混乱、慌てて腰の剣を引き抜こうとするが、遅い。
「帝国の兵が、何たる無様!」
背負った戦斧の柄を握り、右腕の筋肉が膨れ上がり、一閃。
放たれた巨大な刃が音もなく空を薙いで、途中にあった兵の上半身が五つ同時に消し飛んだ。腰から上をなくしてゆっくりと崩れる下半身、おびただしい血が溢れ、周囲の兵たちの絶叫が上がった。
それが強い警戒と、わずかな怯えを孕んだものと鼓膜で聞き取り、
「無粋だ」
警戒と緊張を宿した戦士はまだしも、臆病に駆られたものには失望が勝る。イズメイルは一度、その青い瞳を瞬きさせ、見える世界を切り替える。
瞬間、色鮮やかな世界から明るい色が失われ、視界は暗色に満たされた。――否、暗色だけではない。暗い中に浮かび上がる、赤や黄色、青い光。それは生き物の持つ感情、それを色として捉えるイズメイルの眼の特性だ。
この眼の力で以て、イズメイルには敵の戦意の有無や、どんな技を習熟してきたか、そうした戦士としての歴史を垣間見ることができた。
その色の抜け落ちた視界を有し、イズメイルは敵を選ぶ。
すなわち――、
「臆病者は消え去れ!」
踏み込み、振るわれる戦斧が向かうのは青い光を宿し、すでに戦場から心が離れ、我が身可愛さを優先しようとする凡俗たちだ。
向けられた背を薙ぎ払い、逃げようとする足を断って、命乞いを口にしようとする顔面を叩き潰し、死と血が壁上に蔓延する。
そうして暴れ回り、次々と世界に青い光が増えるのを見て、落胆が募った。
「なんだ、これは。ここは帝都、ヴォラキア帝国の皇帝閣下の膝元だろう!」
戦斧を真横に、城壁の内側へと向けて、壁上からイズメイルは怒りを叫んだ。
ヴォラキア帝国の中心であり、誰にも落とされざる強国の象徴、はるか遠くには世界で最も美しい城とされる水晶宮が望め、イズメイルならば到達に数分とかからない。
水晶宮へ駆け込み、並み居る兵を打ち倒し、玉座に座る皇帝の首を取る。
それがイズメイルの望みであった。しかしそれは――、
「こんな弱卒を虐げ、それで手に入るような安っぽい栄誉ではない!」
信じたものに裏切られた気分で、イズメイルの怒声は慟哭にすら聞こえた。
それでも、たゆまぬ鍛錬が鍛え上げた戦斧は正確に敵の命を狙い、一歩、一歩と踏み込むごとに命が潰え、『巨眼』に失望が募っていく。
そうするイズメイルに続いて、同じ単眼族の戦士が次々と壁上へ到達する。彼らもその武器を使い、逃げる兵を追い立て、打ち倒し、命を奪っていく。
それを、誇らしく思いたかった。単眼族ここにありと、そう示したかった。
「だが、貴様たちが相手ではそれも……」
「ま、待ってくれ! やめ、やめて……っ」
悲嘆に暮れかけたイズメイルの目の前、そこに追われる男が倒れ込んだ。
戦士から逃げ惑い、最もきてはいけない相手の前で転んだ男は、その卑屈な顔でイズメイルを目にし、「ひいっ」と喉を震えさせた。
両手を突き出し、尻で後ずさりながら嫌々とイズメイルに首を振る。
「殺さないで! 死にたく、死にたくねえ!」
「――。もうやめろ。これ以上、生き恥を晒すな」
「ひぃ、ひいぃぃぃっ」
「もう、いい」
あまりに惨めで、あまりにみすぼらしい兵士の態度に、イズメイルの顔が歪む。これ以上は聞くもおぞましいと、その手の戦斧を高々と振り上げた。
ギラと、血に濡れた刃が鈍く輝いて、兵士の目が絶望で染まり、
「貴様も戦士なら、せめて最後は相応しく――」
「ちが、違う! 戦士じゃ、兵士じゃない!」
「なに?」
戦斧を振り下ろし、その頭蓋ごと相手の命を叩き割る寸前で腕が止まった。ぴたりと、その頭部の皮一枚で斧を止められ、「ひゅ」と息を吐く男が脱力する。
だが、気紛れで命を救ったわけではない。直前の一言、それが止めたのだ。
「兵士ではないとは、どういう意味だ? 現に、兵士の装備を」
「着させられたんだ! これ着て、弓持って戦え! そうすれば……」
「そうすれば?」
「恩赦がある! 釈放するって、牢の外に出られるって……」
「――――」
切羽詰まった男の顔を覗き見る。青く冷め切った顔色に嘘は見当たらない。
嘘をつき、こちらを謀ろうとする相手の顔には相応の揺らぎが生まれる。その機微を見落とさないイズメイルの眼に、しかしその欺瞞は見つからなかった。
「まさか」
今、眼にしたものを受け止め、イズメイルの視線が壁上を巡る。
城壁に上がった単眼族に追われ、総崩れとなっている壁上の帝国兵――いずれも、眼を覆いたくなるような臆病を宿した彼らだが、いくら何でも手応えがなさすぎる。
帝都に攻め上がる途中、矛を交えた守備隊の兵たちの方がまだ善戦した。帝都の防衛を預かる正規兵がこの体たらくと、そうイズメイルは落胆したが。
彼らは正規兵ではなく、装備を与えられただけの罪人だというのか。
だとしたら、それは何のために――。
「――――」
そこまで考えたところで、イズメイルははたと気付いた。
自分の考えが確かなら、今、壁上にいるのは自分を中心とした単眼族の戦士たちと、それと戦わされる罪人たちだけ。
つまり――、
「――まとめて焼く」
不意に、怒号と悲鳴が木霊する空の中、静かな声がイズメイルの鼓膜を打った。
本来なら聞こえるはずのない声量、それが聞こえた事実に全身を警戒がつんざく。戦場で稀にある現象、力あるものはその声にすら力が宿るという類のモノ。
どこか間の抜けた、真剣味の欠けてすら思える声が、『巨眼』の耳に届いたのだ。
「――――」
その大きな単眼を見開いて、イズメイルは帝都の空を仰ぎ見た。
城壁の内側、堅牢な壁に守られ、整然と規律正しく建物の並んだ都の空に、その脚部を炎と化しながら浮かんだ褐色の肌の女がいる。
その片目を眼帯で覆い、血のように赤い瞳をこちらに向けた、女――。
「お、おお、おおおお――っ!!」
それが眼に入った瞬間、イズメイルは雄叫びを上げ、城壁を蹴って飛んでいた。
戦斧を大きく振りかぶり、空にある女へと猛然と襲いかかる。急所を捉えずとも、体の一部を掠めるだけで、その全身に痛打を走らせる強大な一撃だ。
壁上で臆病もの相手に振るったのとは桁違いの、全身全霊の一発――それを放たなくては、撃ち込まなくては勝てない相手と、そう全身の細胞が叫んでいた。
それは狙い過たず、空に浮かんだ女の細い体に吸い込まれ――、
「消えて」
女の一声に続いて、視界を白く埋め尽くす光がイズメイルの世界を覆った。
△▼△▼△▼△
「か、ぅ、は……っ」
咳込み、全身の焼け爛れる感覚に苦しみながら、体を起こした。
焼けた喉が痛み、とっさに喉に手を伸ばせば、ボロボロと炭化した肌が、指が落ちる。その被害を目の当たりにして、命を残したのは奇跡だと実感した。
――否、奇跡ではない。
とっさに戦斧を盾にして、押し寄せる炎から我が身を守った。それさえも、一切合切を塗り潰すような灼熱だったから、この有様というだけ。
ただ、かろうじて命を拾えたのは自分だけだろうと、イズメイルは理解する。
「――――」
震える瞼を押し開いて見上げれば、帝都の城壁が煌々と赤熱し、そこで鎬を削り合っていた単眼族の戦士を、動員された罪人たちを、まとめて焼き尽くしていた。
ほとんどのものが、何が起きたのかわからずに炎に呑まれたに違いない。あるいは理解できて、反応できてしまったものの苦しみは長引いただろう。
苦しんで、それでも命を残したのが自分だけなのだから、その死は残酷なものだ。
そして、何よりも残酷なのは。
「――なんだ、生き残りが出るのか。運のいい……いや、悪いか? 悪い奴だな」
焼け払われ、草木や人肉の焦げる臭いが立ち込める中、炭屑だらけとなった地べたを踏みしめて、一人の男がその場に現れた。
肩に斧を担った男は首を傾け、焼け野原にいるイズメイルを見下ろしている。その、恐ろしく冷たく渇いた目を見て、イズメイルは直感した。
この男が、城壁に罪人たちを配置し、それと戦うイズメイルたちをまとめて焼いた、あの残虐な策を実行した張本人だと。
「き、さまが、皆を……」
「――? 馬鹿言え、焼いたのは俺じゃない。こんな大それたこと俺にできるかよ。できる化け物がやった。恨むならそっちを恨め」
嘲弄でも戯れでもなく、心からそう思っている男の声音にイズメイルは息を呑む。それから、すぐに単眼の視界を切り替え、男を見通そうと眼を凝らした。
しかし、そうしてイズメイルは愕然とする。――青いのだ。
強い戦意を抱くものは赤くなり、緊張は不安の度合いが強ければ黄色くなり、怯えや恐れなど戦いに後ろ向きであれば青くなる。
まんまとイズメイルたちを罠にかけ、一網打尽にしておきながら、青い。
この男は戦士ですらない。臆病者でもない。もっと、おぞましい何かだ。
「生かしては、おけん――!」
そう、単眼の見る世界と本能からの訴えに呼応し、イズメイルが跳ね起きる。
浴びた炎は内腑を焼いて、左腕は肩口から焼失している。全身、余すところなく負った傷が理由で、万全の状態と比べるべくもなく動きは遅い。だが、傍らに転がる溶けて形の変わった戦斧でも、相手を殴殺するには十分だ。
力を込めて、焼け焦げた腕が軋み、肉がひしゃげる音を聞きながら、その男に向かって真っ直ぐに戦斧を振りかぶり、
「生かしておけないのは同意見だ。それと、前々から思ってたんだが」
「――ッ!?」
「目が一個しかない奴が、強いわけないだろ」
突進するイズメイルの眼前、男が腰から下げた小さな包みを投げる。包みは空中で開いて、その中身の黒い粉をぶちまけた。
香辛料の類、目くらましに用いられるそれを躱す術がない。戦斧を掴んだ右腕では振り払えず、落ちた左腕は言うまでもなく、結果、視界を黒い粉が覆った。
「ぐ」と呻き声をこぼし、戦斧の攻撃を中断して後ろへ飛ぶ。
優れた眼力を持つ単眼族だが、それ故の弱点をいいように突かれた。だが、侮られてはたまらない。単眼族の眼を狙うのは常道、故に対策はある。
単眼族の大きな眼には、涙を一瞬で大量に分泌し、混入したものを――。
「――ぉ」
涙の分泌のため、涙腺を刺激したイズメイルは、しかし再び眼を開くことはなかった。
次の瞬間、眼を閉じたイズメイルの体へと魔石砲の砲弾が直撃、その『巨眼』ごと吹き飛ばしてしまっていたから。
△▼△▼△▼△
目の前で砲弾を喰らい、粉々に吹き飛んだ単眼族を見て、トッドは吐息をつく。
かっちりと罠にかかってくれたので手こずらずに済んだが、本来、まともにやり合えば勝算があったかわからないような達人だった。
「保険はかけておくもんだ」
吹き飛んだ単眼族の死体、その周囲を陥没させた砲弾の跡を見ながら、トッドは握った拳を空に掲げて、追撃の必要はないと壁上の砲手に伝達する。
敵の先鋒を城壁へと上らせ、そこで死んでも構わない相手に足止めさせる。あとは相手方ごと、大火力でこんがり一掃する単純な作戦だ。
だが、効果は覿面だった。
「大抵の場合、一番槍ってのは自信のある奴が務めるからな」
こうした大勢の関わる戦となると、先鋒の役目を買って出るのは手柄欲しさに逸ったものか、戦争における先制攻撃の重要性を熟知したものだ。
たとえ相手がどちらであろうと、相手の一突きを通せばあとが厄介になる。二重の意味で先鋒は止める必要があった。
「さて、相手の出足は潰してやったが、どう出る?」
一番威勢のいい単眼族は討っても、畏れ多くも皇帝閣下を弑逆奉ろうという輩には事欠かない。帝国各地から集まった荒くれ部族たちの博覧会だ。
単眼族の他にも、手足や眼球の数、体の部位の大小、肌や血の色に言葉の違いと、対処を考えるだけで気が重くなる奴らが山ほど控えている。
もっとも――、
「相手がどれだけ妙な部族を揃えても、大した影響があるとは思えん。なにせ……」
そう呟いたトッドの頭上を、全身に渦巻く風を纏ったアラキアが飛んでいく。
単眼族の一団、その突撃に合わせて攻撃するはずが、その機会を逸した連中を攻撃する気だ。加えて、都市を囲んだ星型の城壁の頂点、トッドたちが担当するのとは別の四ヶ所でも、担当する守護役たちの攻撃が始まっていた。
――紫色の茨が荒れ狂い、押し寄せようとする半人半馬の人馬人の大軍を薙ぎ払う。
――巨大すぎる飛翼刃が空を切り裂き、体の一部を武器とする刃金人を噛み砕く。
――大地から生える石塊の人形の拳が、飛べぬ翼を生やした憐れな翼人を打ち倒す。
――殺戮の技を極めた異常者集団が、額に光り輝く石を埋め込む光人を鏖殺する。
「化け物具合なら、こっちもいい勝負だ」
――大自然と我が身を一体にし、呼吸同然に単眼族を真っ赤な炎が焼き尽くす。
いずれ劣らぬ怪物たちが、帝都ルプガナを守護する星型の城壁の頂点に立つ。五つの頂点に五人の怪物、勢いと功名心だけの叛徒にこれを越える術があるものか。
「少なくとも、俺ならやれって言われても絶対に御免だ。とはいえ……」
城壁に近付けないための方策と、近付いたものをどう殺すかの方策と、それでも殺し損ねた相手に対する方策と、逃げるための方策は用意してある。
最後の方策まで辿り着かれないのが最善だが、戦況は水物だ。
そもそも、こうして叛徒たちが帝都へ辿り着いて、この攻防が始まったことさえも、内乱が本格化する以前のトッドの想像を超えている。
「そのせいで、帝都に戻れたってのにカチュアと会えてない。……いったい、いつまで俺とカチュアの逢瀬を邪魔すれば気が済むんだ」
誰がとも誰へとも言えない不満、強いて言うなら世界に対してそれをこぼしながら、トッドは死の香りの蔓延する空を仰いで、焼け野原の地面を蹴った。
まだまだ、まだまだ、まだまだまだまだ人は死ぬ。
いったい、あと何人死ねば、決定的な誰かが武器を下ろすことになるのか。
「いい加減にしろ、戦いたがりの異常者共め」
△▼△▼△▼△
「――残念だが、貴公らでは力不足だ! ここより先へは決してゆかせん!!」
城壁の上に仁王立ちし、両腕を広げて全身を蠕動させる。
直後、カフマ・イルルクス二将の体内が脈動し、その腕から凄まじい勢いで紫色の茨が放出、猛然と農地を駆けてくる人馬人――上半身が人、下半身が馬の特徴を持ったそれの群れへと飛びかかり、その足下を薙ぎ払い、胴体を貫き、大地へ沈める。
その茨の攻撃を掻い潜り、さらに城壁へ迫ってくる勇者が槍を振りかぶり、投じる。
馬の脚力と勢いが上半身へ伝い、投げつけられる投槍の威力は魔石砲に見劣りしない。数を揃えるのに莫大な金がかかる魔石砲と違い、人馬人の投槍は槍と、助走の距離さえあれば十分以上の破壊力を発揮する。
帝都を守護する防壁だ。土の加護を刻まれ、並大抵の攻撃で崩れはしないが、この威力の投槍が何百本と叩き付けられれば、被害を内へ通しかねない。
しかし――、
「自分の守護する頂点を選んだのが、貴公らの不運だ」
そう言い放ち、カフマは茨を放った両腕を左右に開いた。その動きに合わせて茨が戦場を横に薙いで、崩れ落ちた人馬人の戦士がトドメを刺される。
だが、投槍とそれを投じた勇者たちは茨の追撃を免れる。
故にカフマは茨ではなく、自らの内へ入った別の『虫』を呼び起こした。
「――っ」
痛みと共に骨が軋む音がして、カフマの軽鎧を纏った胸部が内側から裂ける。体内から外に向かって開いた白い肋骨、それは震えながら鋭い先端を眼下へ向けた。
駆けてくる人馬人の勇者たち、その列がカフマの開いた胸部、その肋骨の合間に照準を合わされ、何事が起こるかと相手が身構える。
だが、身構えたところでどうにもならない。
――直後、カフマの全身が激しく弾み、反動がその長身を後ろへ滑らせる。踏みしめた踵が城壁を削り、カフマは体をつんざく痛みに耐えながら前を見た。
その眼下、カフマの肋骨が照準したその射線上がごっそりと抉れ、その途上にいたはずの人馬人たちをまとめて呑み込み、消滅させている。
茨と同じく、多数の敵を一度に相手するのに適した新たな『虫』――危うく、またしても必要な場面で蛹になるかとひやひやさせられた。
「……だが、間に合わせた。自分のいる限り、この帝都の守護は抜かせん」
ぐっと、人馬人を退けた胸を撫で下ろし、開いた胸部の内へ肋骨が閉じる。
新たな『虫』は威力が高いが、その分だけ反動が大きい。ごっそりと心身の力を持っていかれるし、連射は禁物の諸刃の剣だ。
だが、そんな脅威に手を伸ばしてでも、やる価値のある挑戦だった。
「閣下の、その手腕がもたらした安寧を容易く踏み躙る叛徒たちめ」
『将』の一人として、皇帝ヴィンセント・ヴォラキアの治世を間近で見てきた。
一人の、希少で疎まれるばかりの虫籠族の男として、皇帝ヴィンセント・ヴォラキアの作った世で生きてきた。
カフマ・イルルクスという一人の人間として、皇帝ヴィンセント・ヴォラキアの成し遂げてきた偉業の大きさを目の当たりにしてきた。
何故、ヴィンセント・ヴォラキアが刃を向けられなくてはならない。
この帝国の在り方を変えようと、事実として変え続けている男と、それに匹敵するほどの覇業が他者に為せるものか。
だから――、
「貴公らのようなものを、皇帝閣下の前へゆかせるわけにはいかない」
「――そりゃァ、大した覚悟じゃァねェか。嫌いじゃァねェよ」
茨も、そして白い砲撃も回避して、農地を蹴って城壁へと飛び上がった人影。その背丈の低い相手を見下ろしながら、カフマはその切れ長な目を細める。
新手であり、人馬人の勇者たちの届かなかった場へ届くだけの技量がある。――端的に言って、強敵だった。
元々、手を抜くのは得意ではない。手加減や、お遊びというのも苦手だ。
だがしかし、そんな余裕など欠片もないだろう相手と、そうカフマは見定めた。
「ヴォラキア帝国二将、カフマ・イルルクスだ」
そう名乗ったカフマの背中、羽織ったマントを内側から破って、六枚の透明な翅が飛び出した。その臨戦態勢を見て――否、臨戦態勢よりも、名乗りを受けてだ。
戦士が戦士を相手に、名乗りを上げるのは当然の道理。無論、戦場でその流儀を守らない輩も少なからずいるのは事実だが――、
「――ガーフィール」
「――――」
「俺様ァ、『ゴージャスタイガー』ガーフィール・ティンゼルだ。――本当は名乗るなって言われッてんだが、しょうがねェときってのがあらァ」
そう、獰猛な笑みを浮かべた男――ガーフィールが胸の前で、その両腕に嵌めた美しい手甲を合わせ、快音を奏でる。
帝都の城壁の守護を任され、何日だろうと耐え抜く構えだったカフマ。
――開戦初日にして訪れた大一番と、帝国二将最強の男は見誤らなかった。




