第七章85 『ユージン』
「ここ数日、屋敷の中にも物々しい空気が広まっていますね」
ピリピリと、空気の張り詰める感覚にレムはぼそりと呟いた。
渇いた空気と冷たい風、外からもたらされるそれらには、ほんのりと人間の不安や苛立ち、戦場に湧き出すものが交えられている気がする。
一応、ほんの短い時間ではあるが、レムは何度か戦地というものを経験した。
その感覚に従えば、肌で味わう緊迫感は日毎に増し、破裂のときを待ち構えている。屋敷を警護する兵たちの様子も、じりじりと余裕がなくなってきていた。
それというのも、やはりこの情勢が影響しているのだろう。
「反乱軍が優勢……今や、帝国の色んな場所で反乱が起きていると聞きます。帝国軍はその対処に追われ、積極的な動きができていないとか」
皮肉にも、そうした叛徒の一斉蜂起の切っ掛けとなったのが、レムたちが帝都へ連れ去られる原因となった城郭都市グァラルの攻防――『九神将』まで出動した帝国軍の本格的な攻勢、それを寄せ集めの反乱軍がかろうじてしのいだ事態だった。
反乱軍――それを率いるアベルこそが本物の皇帝と、その事実を知るレムにはややこしい呼び方だが、その抵抗勢力は拡大の一途を辿っていると聞いている。
『飛竜将』による情け容赦のない攻撃、それを見事に撃退した都市の鉄壁さを称え、むざむざ追い返された帝国軍など恐るるに足らず、という風説だそうだ。
「嘘はついていない、と言えるかもしれませんが……」
当事者のレム的には、飛竜を率いたマデリンの撤退は戦略的な理由ではなく、あれだけやられた都市側を勝者だと評するのはいかがなものかと思う。
もちろん、反乱軍からすれば勝利は勝利、言いたい放題に喧伝できる絶好の機会を見逃す理由もない。実際、そのおかげで各地の叛徒が反乱の勢いに便乗したのだ。
作戦的におかしなことは何もない。――そうおかしなことなんてないのだ。
叛徒たちが盛り上がっている、他の要因の方にも。
「――――」
叛徒の反乱が空前の盛行を見せる背景には、城郭都市の辛勝以外にも理由がある。それが魔都カオスフレームの支配者、ヨルナ・ミシグレ一将の合流だ。
移り気ながらも高い実力で知られた一将の離反、それが叛徒の勢いに火を付けた。
そして、それこそが元々のアベルの計画であり、彼と共にいったナツキ・スバルの方針でもあった。
「……ただついていっただけで、役に立っていない可能性もありますが」
起こった出来事で、スバルがどれだけの割合働いていたのか。
何の役にも立たなかった可能性を口にして、レムは自分でもその言葉に説得力がないことを認める。仮に役立たずだとしたら、スバルの言動を全部封じた場合だ。
そして、スバルが口を閉じ、動かないでいる姿なんて欠片も想像できないのだから、何かしらの働きはしただろう。――あるいは、一将を寝返らせたのも。
などと、さすがにそれは考えすぎだと思うが。
「本当に……?」
否定し切れない予感が、自分で自分にそう問いかけさせる。
叛徒が一斉に立ち上がり、帝国の地盤はかつてないほど大きく揺らいでいる。帝都にも血と鋼の香りを孕んだ風が吹き込み、囚われのレムたちにも届いてくるほどだ。
いったい、アベルはこの事態をどこまで見越していたのだろうか。
「元々の、自分に向けられていた敵意まで、計算に?」
おそらく、彼は反乱が拡大し、叛徒が次々と声を上げることで帝都の偽皇帝と渡り合うための戦力が集まることまで計算していた。
スバルも、そのアベルの計画を実現するための手駒として使われている。
もっとも、スバルにも計画の全貌は伝えられていまい。あくまでスバルは、アベルの目的のために利用される駒に過ぎない。――その理由を、わからないとは言わない。
そんな風に誤魔化して目を背けられるほど、恥知らずではあれなかった。
「――――」
当初、『シュドラクの民』の集落から始まったささやかな反乱は、このまま帝国全土を呑み込み、後々にまで語られる政変へと変わるのだろうか。
だとしたら、その中心にいたアベルやスバルは、どう語られることになるのか。
そしてその渦中で、自分はいったい何を果たすべきなのか――。
「――ちょっと」
「あ……」
「何を、ボーっとしてんのよ。あ、あんたがやりたいって、言い出したんでしょうが。ちゃんと、そう、ちゃんと責任持って最後までやんなさいよ」
と、思料に耽る意識が呼び戻され、レムは丸い目を瞬かせた。
見れば、レムの手元にはその焦げ茶色の髪を弄ばれる女性――カチュアがいる。彼女は正面の化粧台、その鏡越しにレムを厳しい目で見つめていた。
彼女の癖のある髪はレムの指先に絡んでいる。それも当然で、レムは今まさにカチュアの髪結いの真っ最中だったのだ。
「ごめんなさい。考え事をしていました」
「言われなくても、誰でもいつでも何かしら考え事はしてるに決まってるじゃない。そんなこと、いちいち言い訳がましく報告しないでよ」
「――――」
「――ぁ、別に、言うなってわけじゃない、けど」
謝るレムに強く出すぎたと思ったのか、カチュアがたどたどしく言い直す。
目を伏せる彼女の小動物めいた態度に、謝る気持ちでいたレムはうっかり微笑ましさのようなものを覚えてしまった。
カチュア・オーレリー――宰相であるベルステツの邸宅に囚われ、レムと同じように軟禁状態に置かれている女性だ。
負傷したフロップの癒者として連れてこられ、その後はベルステツの関心が理由で軟禁の続くレムと違い、彼女がここにいるのはまた別の事情であるらしい。
詳しい事情を交換したわけではないが、こうして話してくれるようになっただけ、最初の頃と比べたらずいぶんと打ち解けた。なんて口に出そうものなら、烈火の如く怒られ、せっかく縮めた距離の倍ぐらい離れてしまいそうな性格の持ち主だが。
「……なに、その顔。あんたのその顔、イライラする」
「ごめんなさい。私も、いまだにちゃんと見慣れないんです。まるで他人の顔みたいで」
「こ、怖いこと言わないでくれる? あんたの、その、記憶がないとかそういう話聞いちゃうと、本気かどうかわからなくて怖いのよ」
ぶすっとした態度で鏡を睨み、カチュアが口元に運んだ自分の指を噛む。
何事かあると、そうして爪を噛むのがカチュアの癖だ。短い付き合いだが、良くも悪くも感情がささくれ立ったときにそうしていることが多い。
爪を噛み、恨めし気なカチュアの視線が鏡に映る自分と、後ろに立つレムを睨む。車椅子に座った彼女の後ろ、レムもまた化粧台の鏡に映った自分を眺めた。
さすがに、カチュアに話したのは誇張した意見だ。
『記憶』のないレムであっても、これが他人の顔ではなく、自分の顔であることはとっくに受け入れている。見るもの触れるもの、全部に噛みついてなどいられない。
ルイやシュドラクの民、ミディアムにフロップ、プリシラやシュルトたちからの厚意さえも疑い、空っぽの自分に何が残るというのか。
そうとわかっているのだから、一番最初にレムに手を差し伸べた相手のことだって、いい加減に――。
「……あんた、髪結うの上手よね」
「え?」
「だから、髪を結うのが上手って言ったのよ。元々、何もかも忘れる前もそういう仕事してたとか……わけないか。髪結うだけの仕事なんてないでしょ。ば、馬鹿なこと言ったわ。忘れなさい。忘れろ、忘れろっ」
鏡の中の自分から目を逸らし、無心で髪を結っていたレムにカチュアが顔を赤くする。いつの間にか髪を結い終わったレム、その手腕を褒めてくれていたらしい。
カチュアの頭の左右から垂らされたお下げ髪、それを両手でそっと押さえながら、彼女は唇を震わせてレムを睨んだ。
「またボーっとして……わ、私の相手なんか退屈なんでしょ。だったら! こんな風に私に構ってなんてないで、他の、そう、他の相手のとこいきなさいよ」
「いえ、屋敷にいる他の皆さんは仕事の最中ですから」
「じゃあ、暇してるのが私だけってこと? それで、私のとこに……」
「そういうわけじゃありません。困らせないでください」
「ど、どっちが……!」
車椅子の車輪を回して、カチュアが部屋の奥へと逃げ込んでいく。そこで爪を噛んで上目遣いに睨んでくる姿は、まるで縄張りを荒らされた猫のような凶暴さだ。
レムのはっきりしない態度が、カチュアを不安がらせてしまっていた。
「カチュアさん、誤解させてしまってごめんなさい。私がカチュアさんのところにくるのは、屋敷で暇なのがカチュアさんだけだからじゃありません」
「じゃあ、じゃあ、なんだっていうのよ。なんで私のところに……」
「それは……」
適切な理由を求められ、レムは少し考え込んだ。
カチュアに答えた通り、この状況での退屈しのぎの相手を求めるほど、レムは自分の置かれた立場を軽く見てはいない。ただ、少し接してわかったが、カチュアは特にこれといって重要人物ではなく、帝国の機密を握っているわけでもない。
何かしなくては、と急き立てられる心情にあるレムからすれば、接して得られるものの少ない相手なのは間違いなかった。
それでも、レムが積極的にカチュアと関わろうとするのは――、
「な、なんでなのよ。言ってみなさい! 言えないなら……」
「それは、私とカチュアさんが友人だからではないかと」
「――――」
「カチュアさん?」
真剣に自分の心中と向き合い、それらしい言葉を探してみたが、出てきたのはそういったざっくりした考えでしかなかった。
カチュアに対して、レムはこれといった打算的な考えの持ち合わせがない。なので、カチュアが欲しがる『これだ』という理由を出せなかった。
それではカチュアを納得させられないだろうと、レムも困ってしまうのだが。
「ユージン……ユージンって、誰よ!」
「え? あ、人の名前じゃありませんよ。友人、友達という意味です」
「ユージ……え、ともだ、ち……?」
愕然と目を見開いて、信じられない言葉を聞いたような顔をするカチュア。そのカチュアの反応に、レムはいきなり友人は馴れ馴れしかったかとも思った。
そもそも、カチュアとの関係はレムが無理やり押しかけているものだ。
お互い、不本意にベルステツの邸宅に軟禁されている同士、そこで生まれた関係を友人と呼ぶのは、少し考えなしだったかもしれない。
「ごめんなさい、勝手でした。軟禁されている同士、軟禁仲間と言い換えた方が……」
「ゆ、友人!」
「はい?」
「友人って、言った。言ったじゃない。……別に、いいわよ、それでも」
顔に両手を当てて、カチュアが目を逸らしながらそう言った。
その言葉にレムが目をぱちくりさせると、カチュアは「あ」と息を吐いて、
「でも、あんたが、嫌だって思ったら、その、いつでもやめれば?」
「わかりました。では……」
「や、やめるの?」
「やめませんが。そうじゃなく、私とカチュアさんは友人ということです」
思いがけず、当人の了承が得られたならとレムが頷く。すると、カチュアはその目を丸くして、それから自分のお下げ髪を引っ張り、爪を噛んで「そう」と呟いた。
爪を噛むのは感情がささくれ立ったときと分析していたのだが、今、目の前で噛まれたのは彼女を怒らせたか、不安がらせたのだろうか。
ただ、悪い気はしていない顔に見えたので、爪を噛む理由は検討し直しだ。
そのわかりづらいところも含めて、レムはカチュアに放っておけないものを感じる。レムも詳しくはない。だが、これは十分、友人の条件を満たしているだろう。
「……それにしても、あんた、あれね」
「あれですか?」
「そう、その、あれよ。……やけに外の、反乱のことに詳しいじゃない」
爪を噛んで目をつむっていたカチュアが、ふと思い出したように話題を変える。
一瞬、何を言われたのかときょとんとなるレムだったが、すぐに先ほどまでの、カチュアの髪を結いながら物思いに耽っていたのを言われたのだと気付かされた。
「詳しいと言えるほどかはわかりませんが、私は元々、戦っていたところから連れてこられましたから関心はあります。カチュアさんは違うんですか?」
「……なくは、ないけど。だけど、あんまり考えたくない。兄さ……馬鹿な兄貴が、死んじゃったし、戦争とかは嫌い」
「――ぁ」
視線を落として、膝の上で両手の指を絡めながらカチュアが呟く。
カチュアの兄の死、それはレムにとって初耳の話ではない。よほど、カチュアにとって大事な相手だったのだろう。彼女は頻繁に、こうして死んだ兄のことを口にした。
直近の、アベルの起こした反乱の一端がカチュアの兄の死を招いた。もしかしたら、その死はレムが関わった戦いと無縁ではないかもしれない。
レムも、身近な誰かが命を落とせば、戦いを嫌うようになるだろう。今だって、戦いなんてなければいいと思っている。
「それでも、耳を塞いでも遠のくものじゃない。カチュアさんの婚約者も、戦場へ出ているというお話でした。心配、ですよね」
「あいつは……! な、何したって死ななそう、だし。でも」
「それはお兄さんも、だったんですよね」
「――――」
帝国の、それも貴族の家柄に生まれれば、それは避けられないことなのだろうか。
兄は戦死し、婚約者も戦場へ出向く。帝国兵として戦いに参じるというのは、レムにとって複雑な心境だ。――アベルは、敵に容赦などしないだろう。
それがたとえ、元は自分の臣下だったはずの兵士たちであっても、同じ。
「おかしいですね……」
そもそも、レムはアベルの理念に感化されたり、賛同しているわけではないのだ。
元々、帝国軍の陣地に囚われ、そこから連れ出すのにスバルがアベルやシュドラクの民の力を借りた。その借りを返すため、スバルは彼らに協力し――レムも、なし崩しに行動を共にしていたが、その義理はなかったはずだ。
そう、なかったはずと、もう過去形だった。
「ルイちゃんに、プリシラさん、ミゼルダさんたちやフロップさん……」
レムと関わり、互いに世話し、世話された間柄と言える人たち。
そんな人たちがアベルと道を同じくする。気付けば、レムの心もそこを離れ難かった。だが、そんなことは敵対する帝国兵にも、カチュアにも関係ない。
もしも、カチュアがレムの立場の実際を知れば、レムを許すだろうか。
「――――」
とても、大切な兄を亡くして悲しむ彼女に、それを打ち明ける勇気はなかった。
「……あんた?」
「あ、いえ、何でもありません。もし、私が外の話を詳しく知ってるように見えるなら、それは最近、離れの方に集められた人たちが理由だと思います」
「離れ……ああ、あの連中」
レムの話を聞いて、カチュアの声が一段低くなり、目つきも険しさを増す。
そのカチュアの穏やかならぬ反応も無理はない。そもそも、カチュアは人見知りや人間不信の気があり、レムが歩み寄るのにもかなりの苦労を要した。
そんな彼女からすれば、屋敷にあとからあとから人が増えるのは歓迎できない。ましてやそれが、各地から集められた反逆の御旗とあっては。
「あんなに大勢いるけど、あんたは本当にいると思う? あの中に、皇帝閣下の……」
「――隠し子」
「……もう、バレちゃってるんだから、隠れてないけど」
レムの返事に口を挟んで、カチュアが気まずい顔をする。
また余計な一言を、と彼女は思ったようだが、レムはそれを気に留めなかった。それ以上に、その言葉の持つ意味の方が心を捕らえて離さない。
ベルステツ・フォンダルフォンの邸宅、そのレムたちも軟禁されている屋敷の離れには、帝国各地の戦場から大勢の少年が集められていた。
――いずれも、共通した特徴を持った十代の少年、『黒髪の皇太子』たちだ。
「閣下に御子がいないのは変だって、そういう話は、まぁ、あったのよね……」
そう掠れ声で呟いたカチュアに、レムは屋敷に連れてこられた直後、ベルステツと一対一で対面したときのことを思い出した。
アベルを玉座から追放し、その立場を奪った偽皇帝と与するベルステツ。彼は自分が謀反を起こした理由、それをアベルの皇帝としての役目の放棄にあると言った。
その放棄された役目こそが、世継ぎの不在にあったのだと。
「閣下は皇妃を取らなかったし……これまでの、歴代の皇帝閣下はみんな、たくさん伴侶を作って、子どもも……それで、次の皇帝を決めるんだから」
「そうするのが決まり。なのに、アベルさん……いえ、ヴィンセント皇帝はそれを守ってこなかった。そこに、『黒髪の皇太子』の噂が」
「閣下に、帝国は任せておけないとか、言ってるらしいわね。……馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しい、ですか?」
俯いたまま、心底憎々しげに呟いたカチュアにレムは眉を上げる。
カチュアの反骨的な発言、それは戦争の起こった原因に対する苛立ちよりも、戦争を起こした相手に対する怒りが強いように思われた。
「カチュアさんは、ヴィンセント皇帝を評価して?」
「こ、皇帝閣下を評価なんて偉そうなことしないわよ! ……でも、強い奴が幅を利かせる帝国で、私みたいなのは居場所がない、し。……戦いがない間は、そこのところの差がないじゃない。だから、楽だった」
「楽、ですか……」
ごにょごにょと、たどたどしくも胸中を明かすカチュアにレムは目を伏せる。
あれでアベルの手腕は悪くなかったらしく、ベルステツも世継ぎの件さえなければ謀反など考えなかったと言っていた。実際、帝国は平和な時間が長く続いていて、カチュアのような意見を持ったものも少なからずいるのだろう。
戦いがない間は、命を危うくする人が少なくて済む。
戦いが始まった途端にカチュアの兄は死に、婚約者も戦場に引っ張り出されている。カチュアからすれば、戦争にいい印象を抱けという方が難しいだろう。
とはいえ――、
「あの離れに、本物の『皇太子』はいないと思います」
本当にアベルに子どもがいるのかはともかく、レムはそうした結論を持っていた。
そのレムの答えを聞いて、カチュアが「なんで」と低い声で聞いてくる。その上目遣いの眼差しに顎を引いて、レムは離れのある方を眺めながら、
「離れに囚われているのは、各地の反乱に参加した『皇太子』……少なくとも、そう名乗った人たちだそうです」
「そ、れは私も聞いてるけど……そ、それが?」
「皇帝閣下の子を名乗って反乱を扇動して、早々に囚われの身になるなんて状況、あんまりに考えなしではないかと」
確信を持った言い方をカチュアにはしづらい。話せない事情、情報が多すぎる。
各地の戦場で捕虜に取られ、事実確認のために生け捕りにされた『皇太子』。それが離れに集められ、沙汰のときを待っているものたちの立場だ。
アベルという、本物の皇帝の人物像をレムは知っているため、その子どもとなると見る目も厳しくなる。少なくとも、愚かであるとは思えなかった。
そもそも、叛徒側に与するのであれば、それを主導するアベルと協調しているはず。
親子が協力して偽皇帝を追い落とそうとしているのであれば、こうしてあっさりと捕まってしまった『皇太子』に本物がいるとは考えにくい。
「もちろん、確証があるわけではないですが……」
レムも、自分の考えや印象が絶対とは言い切らない。
アベルだって万能ではないのだ。何かの間違いで敵に囚われ、身動きを封じられるような経験もあるかもしれない。しかし、戦いに敗れ、捕虜になるのは話が違う。
もしも、囚われることまで含めて計算に入れているなら見直しもするが、離れにいる『皇太子』のいずれかが、それを目論んでいると期待していいものか。
「じ、自信満々じゃない。……あんた、皇帝閣下の何なの?」
「――。お会いしたこともありませんよ。ご本人もそう言い張ると思います。ただ、離れの『皇太子』たちに対しては、私と同じ意見の人も少なくないのかなと」
「担がれて、騙ってるだけ? そんな畏れ多いこと、何のために……」
「……体のいい、人手集めの口実でしょう」
皇帝の実の子となれば、玉座を狙う口実としてこれ以上ない宣伝文句になる。
聞いた話では、ヴォラキア帝国では簒奪によって帝位が交代した例はないらしい。ただし、帝国の理屈は簒奪による帝位の奪取を禁じていない。
帝都を押さえ、玉座を奪い、皇帝の首を刎ねればそのものが次の皇帝となる。
それを実行するために必要な戦力、その人手集めの口実として、次代の皇帝候補を担ぎ上げるというのはとても都合がいい。
「ましてや、『皇太子』は公にお披露目されたこともない。黒い髪と黒い瞳ということ以外は何もわかっていませんから、言ったもの勝ちです」
「……その、言い始めた奴らは?」
「反逆の仲間ということなのでしょうが……」
カチュアの問いかけに、囚われの『皇太子』たちではなく、その周囲にいただろう人々のことを考える。仲間、と言っていいのであれば、その仲間たちの下から『皇太子』は奪取されたのだから、ただでは済んでいないだろう。
皇帝に逆らったものたちの末路、その行き着く先は一つしかない。
「利用して、されて、それで死んだり捕まったり……馬鹿な奴ら」
「カチュアさん……」
「な、なに? 私、何か間違ったこと言った? それとも、あんたも人質のくせに偉そうなこと言うなって? 私より、あっちの方が上等だっていうの!?」
癇癪を起こしたように声を震わせ、カチュアの目が涙目になる。
殊更に偽悪的に、自分と離れの彼らとは違うと言い張るのは、逆に彼らと自分との間に共通点を見出してしまったからかもしれない。
カチュアがたびたび自分を不出来だと呪うのは、囚われの身である自覚と、それが自分の関係者――婚約者の負担になっている自責の念があるからだ。
「――――」
その気持ちがわかるから、レムは何を言えばいいのかわからなくなる。
違うと言えば欺瞞と叫ばれ、わかると言えば傲慢と罵られるだろう。カチュアの心を問答無用で解きほぐせるほど、お互いの距離を縮められた実感もない。
なんと言えばいいのかと、レムが悔しく杖を握りしめる。
そこへ――、
「――ぴいぴいうるさいっちゃ、娘」
「――――」
と、ひどく冷たい声音が部屋に響いて、レムとカチュアは息を詰めた。――否、レムの方はそれで済んだが、カチュアの方はそれだけでは済まない。
愕然と、目を見開いたカチュアの視線はレムの背後、中庭に面する部屋の窓の方へと向いていた。声が入ってきたのも窓の方で、つまり声の主がそこにいる。
カチュアはまともに、その相手と目を合わせ、完全に凍り付いてしまっていた。
「あ、う……」
「耳障りな声を出すな。目障りな真似をするな。竜の前で、不敬だ」
掠れた息を漏らし、目を見張ったカチュアを冷たい声が打つ。その声に全身を握りしめられたように、カチュアの喉はまともに返事もできないでいた。
その震え上がるカチュアの様子に、レムは唇を噛み、背後に振り向く。
そこに――、
「――マデリンさん」
「癒者の娘、こんなところで何をしてる。お前には務めがあるはずだぞ。竜の不在で、調子に乗ったのか?」
「そんなつもりは、ありません」
厳しい声の矛先を自分に向けられ、今度はレムの方が威圧感を味わう。が、背後のカチュアを視線から庇い、レムは真っ向から相手と向き合った。
部屋の窓の外、中庭に立つのは小柄な体に可愛らしい服装、そして頭に生えた二本の黒い角が特徴的な少女――マデリン・エッシャルトだ。
『九神将』の一人であり、レムをこの邸宅へ連れてきた張本人。たびたび、ベルステツやヴィンセントの要請で屋敷を離れる彼女の帰参、その姿にレムは驚いた。
彼女が現れたことに、ではない。その、壮絶な姿にだ。
中庭に堂々と立ったマデリン、その姿はべったりと黒い血で汚れていたのだ。
「その、血は? 怪我しているんですか?」
「話を逸らすな。竜は、お前にあの男の傷を治せと言ったはずだ」
「逸らしていません。フロップさんの傷は、ちゃんと段階を踏んでいます。それよりも答えてください。その血は……」
「――。竜の血じゃない。これは返り血だ」
煩わしげに顔をしかめて、マデリンがレムの質問に服を引っ張って答える。パリパリと音がするのは、すでに乾いた血で服が肌に張り付いていたからか。
おびただしい量の血で、それを返り血と言われたレムは息を呑む。いったい、どんな方法で他者を傷付ければ、あるいは何人を傷付ければ、あの量の血を浴びるのか。
「戦ってきたんですか?」
「戦いは、対等と認めた相手とするものだ。竜と並び立つモノがいると思うか? 竜がしてきたのは狩りだ。面倒な縛りのある狩り」
「面倒な……」
「髪の黒いものは生かす。それ以外は殺す」
端的なマデリンの物言いに、レムは迂闊な言葉を返せない。
ただ、離れに囚われる『皇太子』たちを、各地の戦場から連れ帰る役目をマデリンが負っているのだと、それは理解できた。
『皇太子』の確保を命じているのは、やはりベルステツなのだろう。
謀反を起こしたそもそもの目的からして、もしも実際にアベルに隠し子がいたなら、その根本的な理由自体が消えてなくなってしまう。
それをベルステツは恐れるのか、あるいは歓迎するのか、レムにはわからない。
わからないが――、
「殺せではなく、捕まえろというなら」
本物の『皇太子』が見つかったなら、あの老人は満足して死にそうな気がする。
それが、レムの心胆を寒からしめる想像であった。
ともあれ――、
「では、戻ったのはまた別の『皇太子』を離れに入れるためですか? それとも、私がフロップさんの癒者を怠けていないか確かめに?」
「ぺちゃくちゃと、竜がお前とお喋りしてやる理由があるか? お前、調子に乗るんじゃないぞ。今さらお前がいなくても、癒者なら帝都にいくらでも……」
「その癒者の人は口が堅いですか? 宰相さんが置いていないなら、そういう人を探すのはとても大変だということでは」
「――お前、調子に乗るんじゃないっちゃ」
強気に出るつもりはなかったが、思わず返事に力の入るレム。その返答が気に障ったのか、マデリンが窓に歩み寄り、金色の瞳の瞳孔を細める。
底冷えするような獰猛な気配に、レムは微かに身が縮こまる思いを味わい、
「ば、馬鹿! 余計なこと言うな! ぜ、全然違うから!」
と、そこへ車輪を軋ませて、大慌てでカチュアが進み出てくる。
カチュアは青白い顔をより白くしながら、窓越しのマデリンと向き合い、その視線に喉を震わせつつも、
「こ、こいつの言うことなんか真に受けなくていいから……いいですから! な、何にもわかってないだけ、全部忘れてるから、馬鹿なのっ」
「か、カチュアさん……」
「馬鹿だけど、いた方がマシだから、やめ、やめて……。あの、ちゃんと! ちゃんと仕事させるから。あの金髪も、治させるから……っ」
必死で言葉を選んだカチュアに、レムは静かに息を呑んだ。そのカチュアの勢いに、マデリンの方も目を細め、じっと彼女を見る。
そこに、とんでもなく危険な色が過ったらどうしようと、レムは体を張ってカチュアを守る準備をしながら、マデリンの次の行動を待った。
そして――、
「――お前みたいな、弱いモノが竜に逆らうな。次はない」
「ひぅ」
窓枠に手を置いたマデリンが、淡々とした言葉を述べながらそれを握り潰した。激しい音を立て、軽々と石材が押し潰されてカチュアの喉が鳴る。
しかし、カチュアの態度を度し難いと捉えながらも、マデリンはそれを見逃すことを決めたらしい。決めたらしいが――、
「カチュアさんを弱いモノというのは訂正してください。弱い人が、あなたにこうして意見するなんてことが……」
「や、やめろっ! やめろ、馬鹿! 死ね! 馬鹿! やめろ!」
「カチュアさん! でも……」
「でもじゃない、やめろっ! 死ね! やめろ!」
杖をついて、マデリンに向き直ろうとしたレムにカチュアがぶつかってくる。弱々しい体当たりなので、レムでも簡単に押しとどめられたが、そのあと必死の形相で腕を伸ばしてくるものだから、さすがにそれは振りほどけなかった。
レムとしては、マデリンのあまりにカチュアを見下した発言を撤回させたかったが、ああもカチュア本人に必死で止められては仕方ない。
そうして直訴を断念するレムに、マデリンは鼻を鳴らし、背を向けた。
「口の利き方に気を付けろ、娘。本気で癒者の替えを用意するぞ」
「待ってください。どちらに?」
「あの男のところだ。竜は、あの男と話がある」
「フロップさんのところにいくなら、血を洗い流して着替えてからにしてください。怪我人なんですから、気持ちもいたわらなくちゃダメです。考えてください」
「お前……」
立ち去ろうとした背中に、レムは臆することなくそう告げる。そこにマデリンはまたしても不愉快そうな顔をして、カチュアが「死ね!」とレムの袖を引っ張った。
だが、レムは死ねないし、フロップを死なせるわけにもいかない。
血を被ったままの姿なんて不潔で不衛生の極みだ。竜人や帝国の常識がどうだろうと、そこだけは譲るわけにはいかなかった。
「水浴びを」
「……わかった」
「服も着替えてください。ちゃんと可愛い着替えがたくさんあるんですから……」
「わかったって言ってるっちゃ! しつこい奴っちゃ!」
牙を剥いて声を荒げ、マデリンの裂帛の威圧が風のようにレムと、ついでにカチュアを殴りつけ、息を詰めさせる。
それでも、レムの言いつけを反故にすべきではないと、マデリンもわかっているのだろう。そこはうまく、彼女を手懐けたフロップの大手柄だ。
いつか、その調子でマデリンをこちらに寝返らせてくれないだろうか。
「不埒な目で竜を見るな、娘。――何を企んでも無駄だ」
「無駄なんて、言い切れないと思います。何をするのであっても」
「そういう意味じゃないっちゃ。何かするには、その時間がないって言ってるっちゃ」
「時間がない?」
首を傾げ、レムは目を細めてマデリンの言葉の真意を探ろうとした。
だが、真意を探るまでもない。マデリンはレムを嫌っているはずだが、それでも竜人の誇りや生き様がそうなのか、嘘をついたり、誤魔化すのを嫌った。
だから、言いかけた言葉の意味を、ちゃんと噛み砕いて伝えてくれる。
彼女は言った。
「皇帝に逆らう連中と、決する機会が近いっちゃ。そのために竜は呼び戻された。――お前の役割も、そこまでだっちゃ」と。
△▼△▼△▼△
そうして、絶望的とも思える言葉を残し、マデリンは庭を立ち去った。
真っ直ぐフロップの部屋の方には向かわなかったので、忠告通りに水浴びと着替えをして、それから彼の部屋を訪ねるのだろう。
それ自体はフロップも歓迎しているし、彼が害されないならレムも止める理由はない。
しかし――、
「――反乱軍との、決戦」
「ど、どこでとか、言ってなかったけど……」
「――――」
爪を噛んで、なおもいなくなったマデリンの動向を窓の外に気にしながら、カチュアがレムの抱いている危惧と同じものを抱いている。
彼女の持っている不安、それは帝国軍と反乱軍との決戦――その時機と場所だ。
遠からず、とマデリンの言葉は兆しを予感させた。しかし、場所はどこになるのか。どこかで、全面対決を行うに相応しい場所があるのか。
帝国各地で叛徒が盛り上がり、戦場があちこちに点在する現状で、そんな相手を一網打尽にする準備ができるとするなら、それは――。
「……もう、本当に馬鹿ばっかり。あんたも、あんたもそうよ、大馬鹿っ」
「カチュアさん……」
「あ、相手は『九神将』で、話の通じない竜人でしょ!? なのに、あんな真似、死ね! 馬鹿な真似したいなら、勝手に死ね! 死ね、馬鹿!」
待ち受ける不安を目前の苛立ちにすり替えて、カチュアが涙声でレムを責める。
ある種、覚悟の決まっているレムと違い、彼女にはずいぶんと無理をさせてしまった。実際、あそこでカチュアが割り込んでいなかったら、命は奪われないまでも、マデリンの怒りがレムを傷付けた可能性は十分ありえる。
「ごめんなさい、ありがとうございます。でも、カチュアさんを悪く言われて、とても黙っていられなくて……」
「し、知るか! 私は、言われ慣れてんのよ! なのに、あんな馬鹿……」
「言われ慣れるなんて、馬鹿げています。ですから、何度言われても、私はまた同じ場面で同じように反論すると」
カチュアが自分を卑下するのは、聞いていていい気分ではない。それでも、卑下には相応の理由と熟慮がある。だが、他人の他人に向ける刃は見るに堪えない。
――なんて、我が身を振り返って、なんと身勝手だろうとは思うが。
「そう思うからこそ、私は」
身勝手を承知の上で、声を絶やすことをしたくないのだ。
そんなレムの答えに、カチュアが目を何度も瞬かせ、口をパクパクさせる。
そして、彼女はキッと涙目でレムを睨み、爪を噛んだ。
「も、もう知るか……あんたのことなんて、知るか! や、やめる。やめてやる。友達じゃない。私の方から、やめてやる……!」
「いえ、やめるかどうかは私に選択権があるはずです。ダメですよ」
「そんな一方的な話、あるか!」
喉をひくつかせながら、カチュアがそう言い返してくるのにレムは微苦笑する。
そうしてほんのわずかに、強張った胸の内を柔らかくしながら、同時にレムは思う。
――マデリンの言った決戦、それが間近に迫っているのなら。
「……私に、何ができるでしょうか」
何もない空っぽな己に、何を響かせることができるのか。
ただそれだけが、レムの心をひどくひどくざわめかせ続けるのだった。




