第七章82 『反乱側の思惑』
「――究極、私の身柄を押さえればドラクロイ領の動きを封じられるか。やはり、いい奥方を迎えたじゃないか、ロズワール」
「……もう何度目の訂正か数えるのも面倒が、ラムは私の従者だーぁよ」
置かれている状況を思えば、異様なほど肝が据わったセリーナの発言に、ロズワールは頭を抱えたい気持ちで苦々しくそう答えた。
セリーナの領地であるドラクロイ領を訪ね、ヴォラキア帝国での人探し――行方不明のスバルとレムの身柄の確保のため、助力を頼み込んだのが二日前だ。
上級伯の立場にあり、帝国内でも顔の広いセリーナだ。『黒髪黒瞳で否応なく目立つ少年』と条件を付ければ、確度の高い情報を入手してくれる期待があった。
たとえどこに飛ばされていようと、スバルが大人しくしているとは到底思えないので、そういう意味でも期待度は高かったと言えよう。
なので、こうなったのはある意味必然で、同時に予想外でもあった。
「ラム、一応聞いておくけれど、この暴挙の理由は……」
「――ナツミ・シュバルツです」
「だーぁよね」
ラムの唇が紡いだ音は、ロズワールにとっても無視し難い名前を意味した。
それは帝国へ飛ばされ、孤立無援となったナツキ・スバルが、その名前の意味のわかる相手へと向けた救難信号――ロズワールとラムも、すぐにその意図を拾った。
自分はここにいると、そう示したスバルの判断力は珍しく称賛の要素しかない。そう、スバルの行動自体には、何の落ち度もなかった。
問題があったとすれば、その救難信号という狼煙が上がった『側』だ。
それにより、ラムは奇襲とも暴挙ともいうべき手段に打って出た。
その結果が、ラムに杖を突き付けられ、ソファに座らされるセリーナという図を生んだのである。しかし、これを一概にラムの暴走とは責められない。
何故なら――、
「――反乱に与する『黒髪の乙女』、ナツミ・シュバルツがお前たちの探し人か」
「厳密には、そちらはラムにとっておまけです」
「だが、ロズワールにとってはそうではない。そして、ロズワールにとってそうではないということは、お前には殊の外大事なことのはずだ」
杖を向けられ、行動を制限されるセリーナの言葉にラムが口を噤む。
ラムに身動きを封じられながらも、セリーナの頭の回転は衰えない。この状況でも余裕を失わない彼女は、こちらの事情をおおよそ把握している。
――『ナツミ・シュバルツ』とは、ナツキ・スバルの名乗る偽名のようなものだ。
正確にはもっと複雑な意味を持つ名前だが、わざわざスバルがそれを帝国で名乗った背景を推察すれば、彼が偽名に含めた意図は明白と言える。
ロズワールも、できればその意思を尊重したいところだが――、
「まさか、反乱軍側とは……」
偽名を名乗った意図は拾えても、狼煙の上がった方角が予想外だった。
ただでさえ、帝国に密入国している最中に起こった反乱は悩みの種であったのだ。それが芽吹いたどころか、毒花を咲かせたと言っても過言ではない。
良くも悪くも、こちらの思惑通りに運ばないのが如何にもスバルらしいが。
「ラム、君もスバルくんの悪い影響を受けてやしないかーぁい?」
「心外です。ラムの行動に、バルスが影響することなんて吐息一つ分もありません」
「そもそも、この状況が彼の動きを受けてのものだというのに?」
「ロズワール様、セリーナ様とお話を」
都合が悪くなった途端、しれっと話を変えた上に主導権を押し付けてくる。
ラムのその大胆な話術に片目をつむり、ロズワールは改めてセリーナと向き直った。
現状、ロズワールとラムは彼女の執務室に呼び出され、他ならぬ彼女の口から『黒髪の乙女』の話題を聞いたところだった。
探し人として、スバルとレムの特徴は伝えてあったので、彼女からすれば『黒髪』の部分だけを意識した話のタネぐらいの印象だったのだろう。だが、それがロズワールたちにとっては聞き逃せない意味を持っていただけ。
「城郭都市で起こった問題に際し、私も上級伯として何かしらの意思は表明しなくてはならない」と、セリーナが主張した直後のことだ。――ラムが制圧に動いたのは。
豪胆な性質のセリーナ、彼女が執務室に護衛を立たせていなかったのも災いした。
私兵は部屋の外の廊下に待機しており、室内の緊迫感には気付けていない。無論、セリーナが一声上げた途端、執務室に雪崩れ込んでくるだろうが。
「その場合、セリーナ様を八つ裂きにします」
「おお、恐ろしい。脅しでもなく本気だとわかるのが私好みだ。ロズワール、お前は」
「伴侶ではなく、従者……もうその話はいいだろう。それよりも、我々三人の関係性が変わらず、穏やかな間柄に戻れる努力をしたいところだーぁね」
「我々、という言い方が何とも健気だな。何でも他人事のようにみなしていたお前が、問題を我が事と抱えようとしているのが新鮮に映るぞ」
含み笑いするセリーナに、ロズワールは片目をつむったまま嘆息する。
確かに彼女の言う通り、ラムのしでかしたことだからと他人事ではいられない。それは主従の間柄や責任の所在の話ではなく、感情の問題としてもだった。
それに、ラムの行動は確かに早まったものではあったが、同時に拙速を尊んだが故の暴挙であったとも言えるのだ。
なにせ、ラムがセリーナを押さえていなければ――、
「君の有する自慢の『飛竜隊』が、あっという間に反乱分子を焼き尽くしてしまう」
「――――」
そのロズワールの言葉に、セリーナ・ドラクロイが薄く目を細めた。
ドラクロイ伯が所有する『飛竜隊』――それは、ヴォラキア帝国に多数生息する飛竜を従え、意のままに飛び回る帝国最高峰の攻撃部隊だ。
元々、人に懐かない飛竜を従える『飛竜繰り』の技術を有する飛竜乗りは、戦場において圧倒的な戦闘力を発揮する。自身も飛行し、大抵の相手を完封できる力量を持つロズワールだからわかる。――制空圏とは、戦況を押さえる究極の一手だと。
故に、ヴォラキア帝国では優秀な飛竜乗りを持つ家ほど戦果を挙げやすい。
ドラクロイ伯は先代以前からその方向性に優れ、セリーナ・ドラクロイの代になって最強の『飛竜隊』を有しているとされる。
彼女が本気で『飛竜隊』を動かせば、大抵の反乱など物の数ではない。
「思いがけず、探し人が反乱軍にいる形となったお前たちは、私の兵を動かされては困るというわけだ。だが、ここで永遠に私と睨み合うだけにもいくまい? どう従える?」
「セリーナ様、ご家族は?」
「縁者を探すなら無意味だ。ロズワールに振られてから良縁がなくてな」
「ロズワール様?」
「冗談を真に受けない。大体、王国と帝国の大貴族同士なんて、両国の関係的にありえないでしょーぉよ。セリーナ、悪ふざけしてる場合じゃないんだ」
ロズワールとセリーナの関係を抜きにしても、今のラムは我慢強いとは言えない。
パッと見ではわかりづらいが、ラムはプレアデス監視塔の出来事を強く悔やんでいる。スバルとレムを見失い、離れ離れになったのは自分の落ち度だと責めているのだ。
今回の極端な行動の裏側にも、そんな彼女の焦りがあるのは間違いない。
「徒にラムを刺激しないで、お互いのいい着地を目指そうじゃないか」
「お互いのいい着地、か。それなら、具体的にお前たちは何を望む?」
「――――」
「目的地を定めずに飛竜を飛ばす愚者はいない。あれは燃費が悪くて乗り手も貴重だ。徒にと言うなら、それこそというもの。私の苦労もわかるだろう。なぁ?」
片手で頬杖をついて、セリーナが試すようにロズワールを見やる。
スバルが加わっていると考えられる反乱軍、そこにレムもいる可能性が高い以上、ラムが即断したのは無理からぬこと。それ自体を責めても、時が戻せない以上は無意味だ。
その気になれば、セリーナを害し、混乱に乗じて領地を脱する術はある。
しかし、それは当初の目的を放棄し、余計な敵を作るだけの愚行だ。力がモノを言う帝国といえど、騙し討ちで主人を討たれて喜ぶほど兵たちも愚かではない。
『飛竜隊』を有するドラクロイ伯の力を削ぐ、というのは反乱軍的には歓迎かもしれないが、その行為と旧友の首が釣り合うかはロズワール的にも疑問だ。
無論、悲願のために必要な犠牲なら、ロズワールはセリーナの命も躊躇わない。
だが、出さなくていい犠牲なら、わざわざ出そうとは思わないのだ。
故に、ここでロズワールがセリーナに差し出す言葉は――、
「――ここは一つ、君も私たちと一緒に反乱軍に与してみないかい?」
「は」
「そうすれば、君と私たちとの間の軋轢は埋まるだろう。目的が同じとなれば、ラムが杖を向けている理由もなくなる。お互い、丸く収まるというわけだ」
胸の前で手を合わせ、そう言い放ったロズワールにセリーナが目を見張った。
その瞳を過ったのは驚きと呆れ、それといくらかの好奇心だ。興味を引けたという意味で、全くの的外れな発言をしたわけではない。
それを頼りに、ロズワールは彼女との関係性を詰めにかかる。
「丸く収まるとお前は言うが、それはあくまでここだけの話だろう。お前の誘いの先に待ち受けるのは内乱への誘いだ。我が領地は皇帝閣下から安堵されているのに、それこそ徒に事を荒立てて何の得が――」
「――皇帝閣下に不満はない。本当にそうかい?」
理路整然と、自らの足場の安泰さを語ったセリーナ。しかし、その言葉を途中で遮り、ロズワールは真っ直ぐに彼女の瞳を覗き込んだ。
帝国の上級伯だけに、豪放磊落に見える彼女も腹芸の達者な人材だ。だからこそ、この話はしっかりと目を見てしなくてはならなかった。
『誰かと話してるときは、話してる相手の顔をちゃんと見て話すの!』
ふと、ロズワールの頭の中をそんな言葉が過る。
思いがけず、その言葉に背中を押された気分になりながら――、
「私もこの二日、安穏とここで過ごしていたわけじゃーぁない。君が忙しくしている間、なるべく耳をそばだてていてね」
「私の酒に朝まで付き合わず、盗み聞きに精を出していたというわけか」
「あの仕事量で、毎日朝まで飲んでいる生活は改めるのをおススメするよ」
さすがに客人を迎えた日と平時とでは条件が違うと思うが、それでも酒量を抑えてほしいのが昔馴染みとしての切なる願いだ。
ともあれ、セリーナの肝臓の心配は余所に、ロズワールは聞き耳を立てていた成果を披露する。このドラクロイ領が密かに抱える事情、それは――、
「――一昨年の暗殺未遂、『九神将』が加担したと噂の一件、それがずいぶんと尾を引いていると聞いたよ」
「――――」
「その事件の実行犯であり、命を落とした『九神将』が飛竜乗り……それも、君の配下だった人物とも聞いた。名前は……」
「――バルロイ・テメグリフ」
低く、静かな声音でそう言って、セリーナがロズワールを遮った。
彼女は頬杖をついたまま、しかしそれまでと瞳に宿した熱を変える。どことなく、この状況をも楽しんでいた色が消えて、風のない湖の水面を思わせる静けさに。
その静やかな瞳のまま、彼女はロズワールの斜め後ろにいるラムを見やり、
「杖を下ろせ、ラム。それがなくても話はしてやる」
「ですが……」
「ラム、彼女の言う通りに。セリーナは言葉を違えないよ」
ロズワールがそう手で制すると、ラムは不承不承杖を下ろした。
もちろん、すぐに構え直せる姿勢だが、セリーナもその警戒を見咎めはしない。ただ、その顔を窓の方へ向け、そこに広がる景色――否、空を仰ぐ。
飛竜が翼をはためかせ、自由に飛び回る空を。
「自由と思うか? この空が」
「……君の口ぶりだと、そうでもなさそうだーぁね」
「帝国は水も土も空気も、人の血肉さえも全て皇帝閣下の所有物だ。それは空さえも例外ではない。――誰が口を割った?」
「誰、と限定するのは難しいんじゃーぁないかな。なにせ、皆が思っていることだ」
肩をすくめたロズワールに、セリーナは「そうか」と短く答える。
彼女が口にした名前――バルロイ・テメグリフとは、元『九神将』の一人であり、一昨年に帝都で起こった皇帝暗殺未遂の実行犯だ。
元々はセリーナがドラクロイ領で重用していた人材で、その非凡な実力と卓越した飛竜乗りの技量から、叩き上げで一将へ昇進した有望株だったらしい。
当然、バルロイが皇帝に刃を向けたことで、彼を推したセリーナの立場も悪くなった。
上級伯の地位さえ取り上げられなかったものの、帝都の覚えは悪く、彼女の有する飛竜隊にかけられる期待も失われ、挽回の機会を与えられることもない。
そして極めつけが、バルロイの代わりに『九神将』に収まった人材――、
「――『飛竜将』マデリン・エッシャルトとは、当てつけのような人選だーぁね」
「従軍経験なく、宰相の推薦で一将へ成り上がった存在、その素性はなんと驚きの竜人だそうだ。『飛竜繰り』の秘術なくして飛竜を操る竜人にかかれば、わざわざ手間暇かけて乗り手を育てる飛竜乗りなど、迂遠の一言だろうさ」
「それは、飛竜隊を有するセリーナ様の立場がありませんね」
「おっと、私の飛竜隊を侮ってくれるなよ。乗り手が不要というのも善し悪しだ。確かに教育の手間は省けるが、乗り手のいない飛竜の戦術は本能に任せる他ない。その点、飛竜乗りには戦術への理解と応用がある」
「――――」
「もっとも、件の竜人はそれも数の暴力で押し潰すそうだがな」
ヴォラキアの秘伝である『飛竜繰り』――凶暴で人に懐かない性質の飛竜を使役する術の詳細は、ロズワールですらも掴んでいない。だが、一頭の飛竜を躾けるのに、才能ある飛竜乗りが付きっ切りになる必要があるとは聞いている。
つまり、飛竜乗りとは一頭の飛竜と一人の人とが対にならなくてはならない。
対して、時間をかけずに無数の飛竜を従える『飛竜将』の存在は、飛竜隊を強みとするセリーナの天敵であり、目の上のたんこぶだろう。
「バルロイは長く、私のところにいた腹心だ。それが閣下に逆らい、あまつさえ槍を向けたとなれば私に咎が向くのは必然と言える。だが――」
「その屈辱に甘んじるかは、話が別では?」
「――。いちいち、私の腹の底をくすぐる物言いをする」
「恐縮です」
平坦な声音で一礼するラム、彼女の言葉にセリーナが深々と息を吐いた。
ロズワールとラムの指摘、それぞれ異なる声音による追及をセリーナは否定しない。ラムに杖を下ろさせた時点で、ある種の覚悟を彼女は決めていた。
それは、脅されて事情を明かすのではなく、対等の目線で話をする姿勢の表れだ。
すなわち――、
「――これでも、お前たちのいる間は波風を立てるつもりはなかったんだぞ?」
そう言って、セリーナ・ドラクロイが顔の白い刀傷に触れ、獰猛に笑う。
野性味の溢れるその笑みは、若き日のロズワールが彼女と出会ったとき見たものと同じ、父親から家督を奪う前に見せた野心的なそれだった。
しかし、此度の彼女の笑みが向く先は、家臣の信頼を娘が自分から奪っていくと目が濁った父親ではなく、この広い帝国を治める畏れるべき存在――。
「――そうか、セリーナ、君は」
その笑みを見て、ロズワールは遅まきながら自分の考え違いに気付いた。
ラムの即断による状況の悪化を避けようと、ドラクロイ領の置かれた立場を明確化することでセリーナの考えを誘導しようとしたが、誤りだ。
反乱に与する方向へ誘導する必要などない。
『黒髪の乙女』を交えた反乱軍の台頭、それさえ彼女にとっては切っ掛けに過ぎない。すでにセリーナは立ち位置を決めていて、彼女なりにロズワールたちに配慮したのだ。
何も知らず、尋ね人をしにきた旧友を巻き込むまいと、彼女なりの配慮を。
しかし、ロズワールたちはのこのこと土足で相手の陣へ踏み込んだ。すでに魔石に火が入っていると気付かず、マナを追加で注ぎ込むような真似までして。
すなわち――、
「私はできるだけ気を使った。今回ばかりは気の利く嫁を迎えたことを恨むがいい。あるいは巡り巡って、私の求婚を断ったことをだな」
「セリーナ」
「安心しろ。お前の素性を明かせば、王国との内通を疑われる。そうなって二正面作戦など正気の沙汰ではない。やるなら勝ち目のある戦いをする」
話の主導権が奪われ、セリーナとの形勢は逆転していた。
立ち位置が重なった以上、ロズワールたちがセリーナに危害を加える理由はない。一方でセリーナには、事情あるロズワールたちをどうとでもする猶予があった。
「ロズワール様、もしかして……」
「ああ、まんまと獣の狩場に踏み込んだよーぉうだ。――セリーナ、もしも私たちが言い出さなかったら」
「そのときは適当に数日歓待して、内乱が本格化する前に外へ逃がしてやったさ。だが、旧友から一緒に戦おうと誘われては是非もないな」
「白々しい……」
今回の反乱に呼応するつもりがあったのか、あるいは別口で何らかの行動を起こすつもりだったのか定かではない。だが、セリーナはすでに抗うと決めていた。
それが皇帝の冷酷な仕打ちに対する怒りなのか、彼女の腹心が命を落とした事実と関係しているか、そのどちらであるのかはわからなかった。
一つだけ、確かなことがあるとすれば――、
「ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下、その安寧の治世に不平を溜めているものは殊の外多い。一度、大きく火の手が上がれば一挙に燃え広がるぞ」
「……その火の手、君は心当たりがあるのかーぁな」
「どうだろうな。お前の方こそ、思い当たる節があるんじゃないか?」
含み笑いのセリーナは、ロズワールの知らない隠し球のありそうな様子だ。
一方でロズワールも、この見知らぬ土地でどこまでの力を発揮するかは不明だが、放置しておけば只事では済まさないだろう特異点に心当たりがある。
彼であれば、どんな苦境に陥ろうとどうとでも切り抜ける。あとは、その苦境の中で彼が誰と出会い、どれだけ救いたいと願い、その影響を波及させるか。
あるいは――、
「――帝国全土を燃え上がらせることも、あるのかな、スバルくん」
もし、仮にそうなった場合、ロズワールはどう動くべきなのか。
無論、果たすべき悲願のためにも、欠けてはならない面子で王国へ戻る必要がある。そうでなくても、スバルとは交わした約束があった。
一方的に押し付けたものだが、それを反故にできるスバルではない。誰かの欠けた未来など、全てを拾い切ると決めた彼には受け入れ難いモノ。
ロズワールとの約束を抜きにしても、彼は伸ばした腕の分だけ足掻くだろう。
ならばせめて、ロズワールはその試行回数が減るよう、動くだけ。
自分の望まぬ形になっていると、スバルに気付かせなければいいだけの話だ。
「さて、ラムが私の命を危うくしたおかげで、結果的にわだかまりが消えたな。今日はもう執務は忘れて、祝いの酒を開けてしまうか」
「杖を突き付けたラムが言うのもなんですが、それでよろしいのですか?」
「お互い、同じ目標に向かってより強い団結力を養う必要が生まれた。だから、酒を飲んで親交を深める。挑む相手を思えば、ひどく自然な営みだろう」
直前の暴挙をけろっと忘れた顔で、セリーナが平然とラムを酒に誘っている。
きっぱりと腹を割り、ロズワールたちに隠し立てする必要もなくなったと、晴れ晴れしい様子でいるセリーナの大物ぶりに、ラムが珍しく戸惑っている。
とはいえ、ここでセリーナが口八丁でロズワールたちを騙し、こちらの寝首を掻くような浅はかな真似をするとも思わない。
そんなことをすれば、ロズワールの帝国での自由と引き換えに、セリーナは目的を叶えるための戦力も、自分の命さえも危うくすることになるのだから。
「それで、君は火の手が上がるのを待つのかい? それとも火の手となる?」
「自分の立ち位置ぐらい把握している。焦る必要はない、遠からずだ。――それとも、お前の心当たりは大人しくしている性質なのか?」
「……それはないね」
「だろう? 私もだ」
お互い、違った『火の手』を思い浮かべているだろうに、その心当たりに対する心証は似通ったものがあるらしい。
その事実を留めながら、ロズワールは思案げに腕を組む。その傍ら、セリーナは平然と自分の飾り棚に向かい、口を開ける酒を選び始めていた。
「ロズワール様、城郭都市には」
「位置的には、東から攻めるエミリア様たちの方が近い。同じ噂はあちらの耳にも入るだろうから、合流できるならそうするはずだ。もちろん、君にはもどかしいだろうが」
「……いえ」
首を横に振り、ラムは内心のもどかしさを押し隠して答えた。
本音では一刻も早くレムとの再会を望んでいるはずだ。城郭都市でスバルの噂が立ったなら、レムがそこにいる可能性が最も高い。
一方で、ロズワールの飛行魔法を駆使したとしても、空振りした場合の痛手が怖い。
広い帝国での人探しには、ある種の心を押し殺した合理性が求められる。
「だからこそ、待つとしよう。彼女の言うところの、火の手が上がるのを」
「――はい」
幾許かの逡巡と躊躇いを噛ませながら、ラムは健気にそう頷いた。
――数日後、セリーナ・ドラクロイが言うところの『火の手』が上がる。
皇帝、ヴィンセント・ヴォラキアの御子を旗頭とする反乱軍の勢い、それは一挙に帝国全土に燃え広がり、各地の反乱分子たちへと伝播していった。
その中でひと際早く、反乱軍への合流を宣言したのがドラクロイ上級伯であり、勇ましい女領主の傍らには、見知らぬ美丈夫と可憐な従者が控えていたとされる。