第七章81 『女傑と道化』
――神聖ヴォラキア帝国、当代の皇帝であるヴィンセント・ヴォラキアの統治により、帝国は建国以来例を見ない安寧の時代を迎えていた。
小さな、小競り合いのような争いはあっても、数千人規模が矛を交えるような事態なんて、それこそヨルナ・ミシグレの謀反以外には記憶にも上らない。
内乱はもちろん、他国との領土争いへ陥る状況も、長年の睨み合いが続くルグニカ王国との関係が停滞し続ける以上、起こりようがなかった。
それを時代が味方したと語るのは容易いが、それではこの平穏を維持するために費やされた労苦の数々が浮かばれまい。
第一、時代が味方するだけで果たせるような偉業だろうか。
この争いと、争う理由の絶えないヴォラキア帝国から、在位して九年間、戦争という戦争を取り上げ続けるなんて、薄氷の上で焚火をするような矛盾した行いを。
それをやってのけたのが、当代の皇帝であり、『平和主義』とさえ呼ばれるヴィンセント・ヴォラキア皇帝の手腕なのだ。
もっとも――、
「――閣下はご自身が『平和主義』なんて呼ばれているのを、決して快く思ってはいないだろうがな」
「そうかーぁな? 行いの是非はどうあれ、自分の所業が評価されて悪い気はしないんじゃないかい? 事実、国の安定は皇帝閣下のお望みだろう?」
「ならば、お前は『亜人趣味』という呼ばれ方を誇らしく思っているとでも?」
「紛れもなく。そもそも、その呼び名は私自身が広めたものだからねーぇ」
「やれやれ、これは例えた相手が悪かったと見える。このところ、私を訪ねてくる旧友は変わり種ばかりだ。おかげで退屈はしないのだがな」
そう言って、自分の額にかかる前髪をかき上げながら、その女性は美しい顔貌に野性味のある笑みを浮かべ、緑の瞳を細めた。
すらりと背が高く、しなやかに鍛えられた体つきをした人物だ。
すべらかな肌をした長い手足と、女性的な起伏に富んだ肉体を商船の乗組員のような衣装に閉じ込め、腰掛けた上等な椅子の傍らには鞘に入った曲刀を置いている。それが飾りでなく、実戦的な得物であることの証に、彼女の全身は戦士特有の覇気がみなぎる。
何より、女性の左の頬には、額から顎にかかるほど長く、大きな白い刀傷があった。
人目を引き、一度見れば焼き付いて忘れ難い刀傷。
しかし、それがあってなお、他者に美しいという印象を与えるその人物――『灼熱公』と呼ばれる彼女にとっては、その傷跡さえ装飾品の類に過ぎなかった。
――『灼熱公』セリーナ・ドラクロイ上級伯。
それが目の前にいる女傑の名前と肩書きであり、ヴォラキア帝国でも指折りの大貴族の一人である。
そして、彼女と相対するロズワールにとっては、こうした事態に陥る以前から、国を隔てて交流のあった友人、と言えるだろう。
「もちろん、君が私を旧友と呼んでくれたのを真に受ければだーぁけども」
「友人か否か、そんなことでつまらない駆け引きをするつもりはない。第一、上級伯なんてやっていると、ただでさえ誰と会っても損得の話ばかりだ。たまにはそういうもののない、贅沢な世間話がしたい。それは私の高望みか?」
「高望みとは言わないが、悲哀のこもった訴えに胸が痛むとーぉも」
小さく笑い、ロズワールは手前にあるテーブルのカップを取り、温かな香りを楽しみながらお茶を口に含んだ。香り高く、温かなものが舌の上で踊る。――生憎と、ロズワールには食べ物や飲み物からそれ以上の情報は汲み取れない。
何を飲み食いしても味を感じないのは、ロズワールが今の自分に辿り着くために負わなくてはならなかった重荷であり、支払う必要のあった代償の一部だ。
ともあれ、客人として出された歓待に何の礼も述べないわけにはいかない。
そこで、ロズワールはちらと、自分の隣に座っている小柄な人影に目をやった。ロズワールに代わり、お茶の味を堪能しただろうその人物は小さく吐息し、
「せっかくの茶葉が死んでいますね。給仕の担当者は変えることをおススメします」
その切れ味の鋭い紅の瞳を細め、もっと切れ味の鋭い発言でお茶の感想を言った。
容赦と手心を投げ捨てた彼女の物言いに、ロズワールは片目をつむり、言われた相手は「は」と愉快げに笑うと、
「はっきり言うものだ。給仕は変えるべきか」
「ええ、茶葉に失礼が過ぎますね」
「実は家中のものが忙しくしていて、このお茶を淹れたのは私なんだ」
「そうでしたか。では、金輪際やめた方がよろしいかと思います」
「忖度を知らぬ娘だ、気に入った。いい奥方を迎えたじゃないか」
立て続けの返答に歯を見せながら、セリーナが悪戯っぽくロズワールを見る。
相変わらず、度量が広いというべきか、失礼や無礼に寛大な姿勢を示す女性だ。大貴族の立場でありながら、権威に固執するありがちな性格を持ち合わせない。
そうした考え方や在り方は、それこそ出会った頃から変わりがなかった。
「とはいえ、無礼と侮辱の区別がつかない相手じゃーぁないんだ。ギリギリの諧謔をわかってくれただけなのだから、過ぎた口は慎みたまえよ、ラム」
「承知しました、アナタ」
「――。セリーナ、訂正しておくけれど、彼女は私の従者で、妻じゃなーぁいからね」
「なるほど、『亜人趣味』がついに捕まったというわけではなかったか。両国の関係がキナ臭いとはいえ、式の招待がないのは水臭いと思っていた」
指摘を平然と受け入れ、その上で淡々と距離を詰めるラムにロズワールは嘆息。ほくそ笑むセリーナの答えも、ロズワールの意図と微妙に外れていた気がした。
ただ、この話は深掘りすればするだけ自分が不利になると、ロズワールはここしばらくの経験で承知している。なので、それ以上の掘り下げはしなかった。
ともあれ――、
「それにしても、聞いてはいましたが驚きました。ロズワール様とドラクロイ伯が、こうも親しい間柄だったというのは」
「平気で何年も連絡の途絶える間柄を親しいと言っていいかは疑問だな。かと思えば、この慌ただしい情勢で連絡なしに訪ねてくる……あんまり無礼だと、我が父のように焼き殺してやりたくなるだろうに」
「セリーナ、その冗句は帝国以外の人間だとあまり笑えないよ」
「うん? そうか。社交界では大抵の相手を笑わせられる鉄板なんだがな」
思わずラムも鼻白んだ発言は、セリーナの家督争いの一幕を揶揄した冗句――実際に、父親を焼き殺してドラクロイ家を掌握した彼女の実話からきたものだ。
その頬の刀傷も、殺す前の父親から浴びたものだというのだから、それを笑い話にしてしまう彼女の胆力と、笑い飛ばす帝国の姿勢には考えさせられる。
ロズワールが彼女と知り合ったのは、まだ十代の頃――セリーナが所用でルグニカ王国を訪れ、そこで起こったいざこざの解決に尽力したのが理由だった。
端的に言えば、刺客に狙われたセリーナの命を助け、しかもそれが彼女の存在を疎んだ父親の差し金だったことを暴いたので、ドラクロイ家との縁は案外深い。
もっとも、その壮絶な経験の前後でセリーナの人柄が変わるようなことはなかったので、剛毅な炎のような在り方は生来のものだ。
「君の社交界での振る舞いや、昔話に花を咲かせたいのは事実だが……お察しの通り、連絡もなしに突然訪ねたのは事情があってねーぇ」
旧友との談笑も魅力的だが、ロズワールにとって大事なのは悲願の成就に他ならない。
ロズワールの人生は全て、自分の心の一番奥に沈めてある願いのためにある。――故に帝国を訪れたのも、瞬きや呼吸すらも、悲願のための一助なのだ。
「――――」
現在、ロズワールとラムの二人はエミリアたちと別れ、帝国の北西部にあるドラクロイ上級伯の領地を訪ね、領主であるセリーナ・ドラクロイと接見している。
訪問の目的は言うまでもなく、プレアデス監視塔から行方をくらまし、遠く帝国の地へ飛ばされたと考えられるスバルとレムの確保――ロズワール的には、スバルの身柄が確保できれば十分なのだが、それを口に出すような愚かな真似はしなかった。
ともかく、消えた身内を王国へ連れ帰る。そのための旅路だ。
ただし、ただ連れ帰るのが目的と言っても、事はそう簡単でも単純でもない。
ルグニカ王国以外の四大国、それらとの行き来はいずれもそれぞれの理由で難しい。ツテと大金を必要とするカララギ都市国家はまだマシで、グステコ聖王国も時期と信仰に対する接し方を間違えなければ、わかりやすさで許せる範囲と言えるだろう。
その点で見れば、王国と水の合わない帝国の在り方は群を抜いて難易度が高い。
ルグニカとヴォラキアの関係は歴史的に見ても長く悪く、今でこそ奇跡的に不可侵条約が結ばれているが、それもどこまで手放しに信じられるか疑わしい代物だ。
結ばれた不可侵条約も友好関係の証や兆しというより、お互いに内側に目を向けるべきときだから、余計な茶々を入れないよう留意しろという警告の色が強い。
今回、国境が封鎖された一件と、不可侵条約の背景には繋がりがあるように思える。
あるいは――、
「――帝都を揺るがすこの一大事も、不可侵条約を反故にしたい一派の目論見だとでも? 疑り深いにも限度があるぞ。王国の人間らしからぬ考えだ」
ロズワールの心中をぴたりと言い当て、セリーナが緑の瞳をすっと細める。
この女傑、こうして人当たりがよく、お茶を淹れる腕前は壊滅的だが、帝国でも数少ない上級伯を任されるだけあって、その眼力は偽りではない。
王国とは在り方の異なる帝国主義は、能力があれば年齢や出自を問うことをしない。必然的に、有能なものほど上の立場を手に入れる仕組みだ。
故に、セリーナ・ドラクロイは上級伯の地位を得、守り続けている。
今しがたの彼女の指摘も、ロズワールが一考し、胸に留めている可能性の一つだ。
ロズワールたちが帝国入りした時点で、すでに反乱の火種は煙を立てていた。これまでは兆しの時点で行われていた火消しも、実を結んでいない。
本格的な反乱へ結び付く公算が高いと見るなら、当然そこには大義がいる。
それが――、
「――ルグニカ王国との領土戦争、それを見据えてのことではないかと」
疑り深いと指摘したセリーナに、己の膝に手を置くラムが静かな声で言った。
ちらと向けられる女傑の視線、それをラムは薄紅の瞳で真っ向から見つめ返すと、
「ヴィンセント・ヴォラキア皇帝の治世が脅かされた以上、作られた安寧を望まないものがいた。だとしたら、そのものは安寧を壊したあと、何を望むのか。それがルグニカ王国ではないか、と考えるのは自然の成り行きです」
「そうか? ただ自分より偉いものがいるのが気に食わないから反乱する、という手合いも実在するぞ。昨年、私に剣を向けた輩の頭目がそうだった」
「そういう特殊な事例の話は置いておきましょう」
「特殊というほどでもないが、確かに趣旨からは外れるか」
形のいい顎に指を這わせ、セリーナがラムの意見を吟味する。
途中でロズワールが口を挟まなかったのは、ラムの意見に訂正すべき点が見当たらなかったからだ。この懸案をラムと話し合ったことはなかったが、彼女が自分と同じ可能性を懸念していたことに驚きはなかった。
ともあれ――、
「セリーナ、君もルグニカ王国との戦争は望まないはずだ。もっとも、皇帝に謀反したいほどの怒りがあるなら話は別だが」
「幸い、能力主義の閣下に不満を覚えたことはないよ。時たま癇癪を起こすヨルナ一将の行動も、魔都と離れた領地持ちの私には他人事だ。ただ」
「ただ?」
「王国との戦争を望まない、というのはどういう思惑から出た意見だ? もしも、我々の分が悪いと言い出すなら、私の心中にも風が吹くことになるぞ」
唇を緩めながら、こちらを見るセリーナの視線にピリッとした感覚が混ざった。
それはロズワールの言葉に対する、彼女なりの矜持の表れだ。『灼熱公』と呼ばれ、その実力で上級伯の地位を守る彼女にとって、侮られるのは許し難い。
それこそ、お茶に対するラムの指摘とは比べる土台が違っている。
セリーナはお茶に心血は注いでいないが、己の家名には心血を注いでいるのだから。
「どうなんだ、ロズワール。私の勘違いか? それとも、お前の言い間違えか?」
「ふむ……」
逃げ道を塞ぐように追及してくるセリーナ、旧友の緑色の瞳を見返しながら、ロズワールは隣のラムが横顔を窺ってきているのに気付く。
答え方次第でマズいことになるのは、空気の変化から彼女も敏感に察しただろう。
そして、セリーナのご機嫌を損ねることがあれば、ロズワールたちが帝国で動き回るのが非常に難しくなる。単純に後ろ盾や支援者を失うというだけでなく、セリーナはロズワールの素性を知っているのだから。
その点も加味し、なおかつセリーナの性格と人間性を混ぜ込んで、この場でロズワールが行うべき最善の回答は――。
「そうだね、誤解させてすまなかった。訂正しよう。――王国と戦争になれば、無用な血が大量に流れる。それも帝国のね。だからおススメしない」
「ほう?」
淡々と答えたロズワールに、セリーナの眉がピクリと上がった。
彼女の顔に入った白い刀傷が震え、その瞳の瞳孔がわずかに細まる。まだ、感情の激発には繋がっていないが、続く言葉次第で、といったところか。
だが、続く言葉はもう決めている。彼女に嘘やおためごかしを試すつもりもない。
王国と帝国が争えば、帝国の大量の血が流れることになる。
その心は――、
「なにせ、王国には『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアがいるのだからね。国境を跨いでやってくる帝国兵はことごとく、血の大河を築くことになる」
「おいおい、それは禁じ手だ!」
「禁じ手と言っても、実在する以上は議論のテーブルに乗せるしかないとーぉも。君の言う通り、議論をぶち壊してしまう奥の手だがね。ただし」
そこでロズワールは言葉を一度切り、左右色違いの瞳、青い方を残して片目をつむり、
「この奥の手は、最初に切られることを一切躊躇わない」
本来、切り札や奥の手というものはできるだけ温存しておくものだが、これが『剣聖』に限ってはそうではない。最初に繰り出すのが最も有効で、見返りも大きい。
何より、当人も喜んでその役目を受け入れる。
「やれやれ、思考実験もまともにやらせてもらえないとは、軍略家泣かせめ」
ふと、直前の空気を霧散させ、セリーナがどっかりと背もたれに体重を預けた。彼女はまるで童女が拗ねるように唇を尖らせ、
「帝国にいては、あくまで噂で聞くしかない風評だが……お前の目から見ても、『剣聖』というのは規格外の怪物か?」
「先代までの『剣聖』には可愛げもあったけーぇれど、当代の『剣聖』はその表現が適切と言える。実物を知らなければ実感も湧かないだろうが」
「まるで、これまでの『剣聖』を全て見てきたように言う。しかし、そうか……」
ロズワールの返答に苦笑した上で、セリーナは形のいい眉を寄せた。
この場でロズワールが出任せを言うことはありえないと、長い付き合いを理由にセリーナは信じ、しっかり検討してくれている。
だが、彼女以外の帝国人が全員、聞き分けがいいわけでは決してない。
「自国の力を過信するか、『剣聖』の力を過少に推し量れば悲劇は免れない。だから、私はあえて君の心に逆風を吹かせよう。戦うべきじゃーぁない、とね」
「――――」
「あとまぁ、もしも王国に戦争を吹っかけてくるなら、そのときは私も相手になる。お目にかけようか? 手も足も出ない高高度からの、容赦のない魔法攻撃の無慈悲さを」
肩をすくめておどけてみせるが、ロズワールも戦略上の戦力はなかなかのものだ。
『剣聖』ほどとはいかなくとも、空を飛びながら魔法を振る舞うだけで、雑兵の数千は封殺できる。相性のいい戦場を選べば、一人で戦線を押し切ることも可能だ。
「それについては、『剣聖』の話と違ってすんなり信じられる。私自身の目で、その片鱗は見てしまったからな」
「それも十年以上前のことだ。今なら、あのときよりもはるかに円熟した魔法をお見せできるとーぉも」
「底知れん奴だ。とはいえ、突出した力には相応の枷が伴う。お前が帝国で自由気ままに振る舞えないのも、それが理由だろう」
「ご名答」
これは今度はやり込められたと、ロズワールの方が両手を見せる番だ。
実際、今しがた話した戦術を実行すれば、ロズワールは人の手が届かない高空から魔法を撃ち続け、マナが尽きるまで帝国を焦土にすることができる。
だが、魔法でそんな真似ができるのは、今の世広しと言えどもロズワールを除いて他にはいない。多少、手加減したところで同じことだ。
ヴォラキア帝国で卓越した魔法の技量を見せることは、素性を明かすも同然だった。
だから、今回の帝国入りでロズワールは派手な行動を控えなくてはならない。
同じ理由と制限は、別行動中のエミリアにも課せられている。
「あちらの場合、すぐにカッとなって忘れる可能性もありますが」
「そーぉこは一緒にいる子たち頼みになるけどね。まぁ、事情を鑑みればガーフィールも制止役ができるはずだし、心配しすぎないしすぎない」
というか、その信用ができなかったらそもそも別行動にも踏み切れなかった。
あちらの判断を委ねても大丈夫だと、そう信用したからこその現状だ。――信用なんて言い方、オットーやペトラが聞けばさぞや嫌な顔をするだろうが。
「――察するに、この情勢で帝国入りしたのはお前たちだけではないな?」
ロズワールとラムのやり取りの傍ら、背もたれから体を起こしたセリーナが続ける。彼女は二人の視線を受けると、自身の頬の刀傷を指でなぞりながら、
「探し物……いや、探し人か。お前たちにとって、よほど大事なものと見える」
「私と君の仲でも、頷きづらい聞き方だーぁね」
「だが、行動が証しているだろう。そうでもなければ、わざわざ封鎖された国境を越えてまでヴォラキアへはこない。――宿命でもない限り」
ほんのわずかに目を細め、セリーナが静かな声で呟く。
その内容に思い当たる節がなく、ロズワールは違和感に眉を寄せた。しかし、その言葉の真意を問い質すよりも、「ええ」とラムが頷く方が早く、
「どうしても連れ戻したい相手が。ラムにとっては、命も同然の」
「ラム」
「誤魔化しても伏せても、この方には通用しないかと」
あっさりと、弱味になりかねない情報をさらけ出したラムを窘めるが、逆にそう言い返され、ロズワールは反論が浮かばない。
行動自体が答えだと言われれば、事実その通りだ。
「とはいえ、弱味を見せるにしても見せ方があるだろう」
「そうラムを責めるな。健気なモノじゃないか。それよりも驚いたのは、お前が彼女の大事なモノのために無茶をしたことだ。よほど彼女が大事と見える」
「ええ、ラムの代わりはいませんから」
「否定しない事実だが、いささか言い方が気になるねーぇ」
連れ戻したい相手がいると、そう主張する対象はロズワールとラムとで異なる。が、そうとはわからないセリーナには誤解を生んだようだ。
助力を得たい関係上、探し人に関しては詳しい情報をあとで共有するとして。
「――どうあれ、お前が戦争を始めるべきではないと警告した理由はわかった」
直近の話のさらに手前、ロズワールの警告まで話を戻して、セリーナの表情が不意に引き締まった。自然、緊張の高まるロズワールたちの顔を眺め、彼女は理知的な眼差しで「だが」と言葉を継ぐと、
「お前の忠言に耳を傾ける私と違い、他の帝国民の態度は保証できんぞ。『剣聖』と戦えば勝ち目がないからと言われても、逆上するものが大半だ」
「その点が、『剣聖』の実力を説明する必要がない王国との違いなのだーぁね」
「そうですね。王国では一目、『剣聖』ラインハルトを目にする機会があれば、それ以上の説明は必要ないのですが」
四大国同士の条約もあり、ルグニカの国外へ出ることを禁じられているラインハルトを他国の人間が目にする機会はほとんどない。
もしもその機会が得られれば、わざわざこんな迂遠な説得の必要もないのに。
――『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアを一目見れば、あれと敵対することがどれだけ愚かなことなのか、誰でもすぐに感じ取れる。
それがわからないのは、真っ当な理から外れた世界を生きる狂人たちだけだ。
「そうしみじみと話されると、私としては閣下が反乱を何事もなく制圧してくださることか、取って代わる反乱側に一定の理性があることを期待するしかないな」
すでに起こってしまった反乱、その目的の先にあるものが話題の発端だ。
反乱側に確かな考えがあり、王国と相争うなんて無茶な野心がないのであれば、ロズワールの語った両国の戦争と、大量の血が流れることは避けられる。
もちろん、皇帝側がきっちりと反乱を制圧できればそれに越したことはないが。
「この内乱がどう決着を迎えるのであれ、その後の矛先をルグニカへ向けられては困る。帝国との諍いは、私の予定にない出来事だからね」
――ロズワールの行動は、その全てが叶えるべき悲願へ至る道だ。
こうして、帝国でセリーナと接見する機会を得たのも例外ではない。
スバルを連れ戻すための力添えが欲しいのも、帝国の有力者である彼女に王国と戦うことの無益さを説くのもそうだ。
ロズワールの悲願に、スバルの存在は欠かせない。
加えて、ロズワールが辿るべき道筋に、ヴォラキア帝国との戦いなど含まれない。王国と帝国と、戦争などしている場合ではないのだ。
『親竜儀』が訪れ、王国と龍との盟約が更新される日まで、邪魔はあってはならない。
王選を妨害するような問題は、取り除かれなければ。
そのためにも――、
「――皇帝閣下には早々に反乱を制圧してもらい、ヴォラキア帝国建国以来、初めての安寧の時を長く続けてもらわなくては、ね」
「ふうん? その悪い顔、久々に見たな。悪巧みか?」
ロズワールの言葉を聞きつけ、セリーナが楽しげに眉を上げた。
指摘された悪い顔の自覚はないが、彼女が言うからにはそんな向きがあったのだろう。とはいえ、ロズワールの考えはセリーナの思惑に背くものでもないはずだ。
彼女も帝国貴族の一人、起こった反乱を我が事と受け止めていない以上、立場としては当然ながら皇帝側に与するはずなのだから。
「ドラクロイ伯」
ふと、そう考えるロズワールの隣で、ラムが自分からセリーナに話しかけた。
その呼びかけに、セリーナはラムを見ると、
「少しよろしいですか?」
「ああ、構わない。というか、ドラクロイ伯というのもやめてくれ。私は知己と世間話がしたいだけ……セリーナの方で頼む」
「では、セリーナ様と。――ロズワール様と、本当に親しげでいらっしゃいますね」
「うん?」
じっと、呼び方を改めたラムに見つめられ、セリーナは目を丸くした。が、すぐに彼女は悪戯っぽい顔になると、「そうかそうか」と頷いた。
何がそうかなのか、ロズワールは嫌な予感がした。
「私がこの男とどう知り合ったのか、気になるらしいな。見たところ、お前たちもそれなりに付き合いは長そうだが……」
「ちょうど十年になります」
「なら、私との付き合いの方が少し長い。ラム、酒は飲めるか?」
「お茶ほどではありませんが、うるさいですよ」
「よしきた」
掌で膝を叩いて、我が意を得たりとセリーナがラムに笑いかける。
どうやら思い出話を肴に、酒を飲む流れに突入しそうだ。しかも、セリーナと出会った頃と言えば、ロズワールの若気の至りもいくつかある。
「セリーナ、誘いはありがたいが、私たちは急ぎの用事があるんだ。その件について――」
「そのために、私の力を借りたいんだろう? だったらなおさら、私の機嫌は損ねるべきではないはずだ。久々に会ったなら酒ぐらい付き合え」
「……ラム」
聞く耳を持たない姿勢のセリーナの説得を諦め、ロズワールはラムを見た。
スバルを連れ戻したいロズワールと同じように、ラムも半身であるレムを連れ戻すために帝国へやってきた。先の、セリーナの追及に真摯に答えた彼女であれば、酒杯に意識のいっている彼女をまともな話し合いに連れ戻せるかもしれないと。
しかし――、
「バルスはともかく、レムのためを思えばこそ、セリーナ様の申し出を断るのは得策ではないと思いますが」
「本当に、それだけかーぁな?」
「もちろん、ラムたちと出会う前のロズワール様のお話も聞けるなら、同じ足踏みをするにしても上策と言えます」
目的と実益を兼ねていると、ラムは悪びれもしない。
そしてロズワールにとっては痛恨だが、ラムとセリーナの相性は殊の外いい。きっと酒飲み話も弾み、意気投合するに違いなかった。
それはそれは、ロズワールにとっては頭の痛い時間が始まることになる。
「ある意味、これも必要な代償と割り切るべきか」
全ては速やかに目的を達し、帝国を離れて王国へ戻るため。
旧友を訪ね、助力を求める時点である程度の対価を支払う覚悟はあった。それがまさかこうした形になるとは思っていなかったものの。
「ちょうど、別の客人がお前たちと入れ違いに出ていったばかりでな。それが賑やかな相手だったものだから、寂しい思いを味わうところだったんだ」
「その方々も、親しくされていたので?」
「厳密には、私が親しくしていたのはその客人の夫だったが、そうだ。遠からず戻ってくるはずだから、そのとき紹介しよう。今はそれよりも――」
立ち上がったセリーナが、部屋の片隅にある飾り棚へ向かう。扉が開かれると、中には大小様々な酒の瓶が並べられていて、彼女の好事家ぶりが窺えた。
その中の一本を選び、セリーナは同じ棚からグラスを三つ持って戻りながら、
「私がロズワールと出くわしたのは、使節として父の名代を務めたときだ。向かった先の王国で刺客に狙われ……それが父の差し金だったんだが、そこを助けられてな」
「なるほど。続きを」
そうして、テーブルに置かれるグラスに酒が注がれ、昔語りが始まってしまう。
興味津々なラムと、話好きなセリーナの話題は弾み、ロズワールは肩身の狭い思いを味わいながら、これも必要な時間だと身を任せることになった。
「――――」
全ては悲願の成就と、そのために必要な駒を取り返すために――。
――ロズワールの思惑が外れ、帝国の内乱により深く関わらざるを得なくなったのは、反乱軍に与する黒髪の乙女、『ナツミ・シュバルツ』の名前がドラクロイ伯の館に届き、セリーナ・ドラクロイ上級伯の身柄をラムが制圧した、二日後のことだった。