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第七章80 『アイリスと茨の王』



 ――紛糾する大広間の話し合いも、一旦の大詰めへと差し掛かる。


「はっきり言って、状況は当初の我々の想定と大きく違ってしまった。ただ、城郭都市の陥落を避けられたことと、ヨルナ一将の協力を得られたことは確かな成果と言えます」


 飛び交う話題をてきぱきと拾って、そう話をまとめにかかったのはズィクルだ。

 髪の毛をモコモコさせた彼は、その丸い瞳で大広間のみんなの顔を見渡した。そのズィクルの言葉に、エミリアは「ええ、そうね」と頷く。


「しょんぼりなこともあったけど、ここでみんなが集まれてるのは頑張った成果。それを頼りにして、今度こそみんなの目標を叶えましょう」


「さすが、美しいお答えをありがとうございます、エミリー嬢。あなたの仰る通り、我々全員の目的の成就を目指しましょう。そのためにも、もう一点お伝えすべきことが」


「最後にもう一点、ですか。……さっきの話の続きだとすると、あまりいい予感はしませんね」


 エミリアの言葉に顎を引くズィクル、彼の立てた一本の指を見て、オットーが頬を引きつらせながら呟いた。

 その、オットーの嫌な予感を後押しするみたいに、ズィクルは「確かに」と続け、


「先の話の続きになります。黒髪の皇太子扱いされている、ナツミ嬢も関わりのあるお話でして」


「ナツミ……え? でも、皇帝の子ども扱いされてるのってスバルなんじゃ……」


「エミリー、スバル様は帝国ではなんと名乗っておられるか、わたくしたちは知っているではありませんの」


「あ、そっか。そうよね。ごめんなさい、頭の中でこんがらがっちゃった」


 話の腰を折ってしまったと、エミリアは自分の口に手を当てる。

 帝国でスバルが名乗っている『ナツミ・シュバルツ』という偽名は、自分の正体を帝国では隠しつつ、探しにくるエミリアたちに自分の居所を教えるためのスバルの工夫だ。

 そのために、スバルはわざとエミリアたちの知っている人の名前――エミリアの友人である、『ナツミ・シュバルツ』の名前を使っているのである。


 ズィクルがスバルと出会ったのは、彼がその偽名を使っているときだったのだ。

 だから、ズィクルはスバルのことを『ナツミ』の方で呼んでいるのだろう。それがエミリアの中でこんがらがってしまったのだった。


「あれ? だけど、それならナツミ嬢って呼んでるのはどうして……」


「話すのよ、もじゃもじゃ頭。ベティーも、そろそろまたおねむの時間かしら」


「あ、そっか。そうよね。ごめんなさい、今はベアトリスのことを考えなくっちゃ」


 エミリアの中に浮かびかけた疑問、それは腕の中のベアトリスの声が内に沈めた。スバルと関係のあることなら、エミリア以上にベアトリスが聞きたくて当然だ。

 あまり長く起きていられない彼女のために、今の疑問はうっちゃっておかなくては。

 そのベアトリスとエミリアの視線に促され、ズィクルは「実は」と切り出した。


「厳密には、ナツミ嬢ご自身のことではありません。行方のわからない彼女の安否は心配ですが、おそらくアベル殿の考えた通り、どこで見つかったとしても手厚く保護されるとは思います。ただ――」


「何か、スバルが危ないって不安要素があるんですか?」


「前置きしたように、ナツミ嬢ご自身のことでは。そこから波及する別の事態……皇帝閣下の御子の存在が市井に知れ渡ったことで、帝国の内情に動きが。つまり――」


「――他の地でも、火の手が上がったか」


 ズィクルの言葉を割って、そう静かな声で言ったのはアベルだった。

 それにズィクルが「は」と恭しく頭を下げると、そちらを見もしないアベルが自分の鬼面の頬に指を這わせ、自分の表情を押し隠す。

 しかし、その手が表情を隠し切る寸前、エミリアの目は確かに捉えていた。


 ――アベルの唇が、ほんのわずか、意地悪く笑みを象っていたことを。


「全然、面白そうな話じゃないと思うけど……」


「半魔の言う通り、不愉快な話じゃな。日和見共が、都合よく尻馬に乗り出すとは」


 表情を隠したアベルを見て、そう呟いたエミリアにプリシラが首肯する。

 彼女は、どれだけ寒くても上着を羽織らないと、そう宣言した白い肩をすくめながら、


「大義名分があり、己の欲得を叶える機会を得たとあれば、あとはどの『たいみんぐ』で動くかを選ぶだけ。早ければ自らも出血を強いられるが、遅すぎれば参じても空手で帰ることとなる。見極めの時期とでも思っていようよ」


「各地で反乱……ヴィンセント・ヴォラキア皇帝の治世は安定し、帝国民は平穏を享受していると聞いていましたが」


「所詮、平穏など仮初の、泡沫の夢のようなものでしかない」


 プリシラとオットー、二人の言葉にアベルが面に当てた手を下ろす。すでにエミリアの見た笑みの残滓が消えた唇から、アベルは淡々と言葉を続ける。


「帝国民の――否、人間の本質は闘争にあり、闘争心という炎は命ある限り消えはせぬ。たとえ蓋をしようと、熱は内にこもり続けるものだ」


「そしてやがて、逃げ場を失って大爆発ですか」


「すごく間が悪い……」


 アベルの物言いに、オットーとペトラがそれぞれ感想を述べる。

 エミリアも、難解なアベルの言い回しの意図するところはわかったと思う。起こった結果を見たら、その考えを否定できないことも。

 人間は、戦うのが当然なんて考え、好きではないけれど。


「なんだか、それってすごーく寂しいわね」


「寂しい? 何ゆえにそう思う、半魔」


「だって、帝国の皇帝は一生懸命頑張ってきたはずなのに。それが全部壊れちゃうなんて、頑張ったのが報われないのは寂しいじゃない。勝っても負けても、辛いと思うの」


 直接、会ったこともないヴォラキアの皇帝が、エミリアにはとても可哀想に思える。

 こうしてアベルやズィクルたちに反乱を起こされているのもそうだし、そのことに帝国の人たちが乗っかって、一緒に声を上げ始めたのもそう。


 この数年、ヴォラキア帝国で大きな戦いが起こっていないのは、皇帝であるヴィンセント・ヴォラキアの功績だとエミリアも学んでいる。ヴィンセントがどう思っているかはともかく、少なくとも彼は戦いのない世の中を作り続けてきたのだ。

 それが壊されて、負ければ国を奪われるし、勝っても自分自身も戦ってしまった。


「こんなの、誰かが怒ったときに、もう辛くなるのが決まっちゃってるみたい」


 だから、エミリアはヴィンセントが可哀想に思えてならないのだ。

 できるなら、いったい彼が何を思い、どうすれば誰にとってもいい結論に辿り着けるのか、ちゃんと話し合えたらいいのにと思う。


「――。なるほど、どちらが先なのかはともかく、あれの在り方も腑に落ちた」


「え?」


「疑うべくもなく、貴様たちがナツキ・スバルの同類ということだ」


 腕を組んだアベルの一言に、エミリアは静かに息を詰めた。

 鬼面の奥に見えるアベルの黒瞳、その光と向き合い、エミリアは気付く。――やはり、さっき言いかけたこと、感じた印象は間違っていなかったと。

 スバルとアベルの二人は仲間同士で、エミリアたちがこうしてヴォラキア帝国に乗り込んでくるまで、ずっと協力していた関係なのに――、


「――あなた、スバルのこと、すごーく嫌いなの?」


「――――」


「間違ってたらごめんなさい。でも、間違ってないと思う」


 黒瞳が細められ、エミリアの問いかけを受け止めたアベルが無言となる。その彼の反応を目の当たりにして、エミリアは意見を引っ込めなかった。


 アベルは、スバルのことを嫌っている。――エミリアは、そう感じる。


 それはアベルが物静かで、どこかプリシラと似た風に居丈高にものを言う相手だからではない。オットーやズィクルたちと話すときと、確かな違いがあった。

 エミリアはそれを、アベルがスバルに抱いた嫌悪だと感じたのだ。


「――ズィクル、反乱の声を上げ始めたものたちと連携せよ。より強い風を起こし、火勢を増す。帝都へと黒煙が届くまでだ」


「よろしいのですか? 当初の目的では『九神将』を……」


「あくまで、それは副次的な目標だ。重要なのは戦局を成立させること。グルービーやモグロの立ち位置は憂慮すべきだが、状況が変わった」


 ふいと、エミリアから視線を外したアベルが、傍らのズィクルに指示を出し始める。

 無視されたとエミリアは思ったが、それはこれ以上、今の話を続けるつもりはないというアベルの意思表示だ。

 言い返さなかったのは的外れだからか、それとも別の理由なのか。

 いずれにせよ――、


「――予定より早く、帝都へ仕掛ける用意が整うやもしれん。努々、気を抜くな」


 ――スバルとレムと再会するためにも、エミリアたちもアベルたちと、道を違えて離れ離れになるという選択肢はないのだった。



                △▼△▼△▼△



「エミリア、気を付けるのよ。どこまでいっても、この国で本気でスバルだけを心配してあげられるのは、ベティーたちしかいないかしら」


 大広間での話し合いを経て、再びの眠りにつく直前、ベアトリスはそう言い残した。

 話が右に左に散らかってしまったが、スバルのことだけに焦点を絞れば、彼にとって最善の状況とは言いにくい。たとえ、命の危機がちょっとでも減らせていても。


「それで自分の周りでみんなが争って、平気でいられるスバルじゃないもの」


「なのよ」


 帝国のどっち側の人間に捕まっても命は保証される、とオットーやアベルは推測した。頭のいい子たちが考えることだから、それは正しいのかもしれない。

 でも、スバルがエミリアたちの思い通りにぴったり動いたことがあっただろうか。

 周りが危なかったら、すぐに自分のことはほったらかしで動くのがスバルだ。

 自分だけは安全なんて、そんな状況を受け入れるとはとても思えなかった。

 だから――、


「――私たちは、やっぱりスバルとレムのことが大事だから、それを一番にするつもりで動くってことを覚えておいてほしいの」


「何ゆえ、それをわざわざ妾に宣言する?」


「だって、誰にも言わないで勝手にしちゃったら、みんな困っちゃうでしょ?」


 自分たちの目標、方針をちゃんと伝えておくのは大切なことだ。

 晩ご飯までに帰ってくるかどうかを伝えないでいたら、フレデリカやペトラが作ってくれた食事を無駄にしかねない。


「スバルもよく、ホウ・レン・ソウが大事って言ってたわ。ホウレンソウが何なのかはよくわからないんだけど……」


「そのあやふやな知識を基に、よくもまぁ妾に話を持ちかけられたものよ。貴様のその度胸、半魔として迫害された経験が培ったものか?」


「ううん、違うと思う。故郷の森でみんなに嫌われてた頃、ちっとも慣れたり、強くなった気なんてしなかったから」


 エリオール大森林で細々と過ごしていた頃は、誰に何を言われても傷付いていた。ちょっとのことで期待して、裏切られて、繰り返してもちっとも学ばなくて。

 だから、もしも今のエミリアが少しでも強くなっている風に見えるなら。


「それって、スバルやみんなのおかげ。……森を出て、王選に参加して、大変なことをたくさん経験して、今の私になったのよ。プリシラもそうでしょ?」


「貴様と妾を一緒にするな。妾は生まれながらに完璧である」


「そう……でも、私も負けないからね」


「過ぎた口に見合うかは己で証すがいい。妾の目の端に入るかはそれ次第じゃ」


 きゅっと拳を固めたエミリアの宣言に、プリシラは肩をすくめてそう答えた。

 大広間の話し合いが一段落して、眠ってしまったベアトリスを宿に戻したあと、エミリアはさっきの方針を伝えようとプリシラの姿を探していた。

 もしかしたら忙しいかとも思ったけれど、幸い、彼女は話を聞いてくれている。


「思い返すと、プリシラって話はいつもちゃんとしてくれるのよね」


「ほう、何やら妾にとって不愉快な話が始まると見える」


「やめる?」


「よい、許す。続けるがいい」


 片目をつむり、先を促すプリシラにエミリアは頷いた。

 都市庁舎を離れ、通りを行く彼女と並んで歩く。お供のシュルトやアルも見当たらず、エミリアはきょろきょろと二人の姿を探しながら、


「王選が始まったときからそう。プリシラは嫌なことを言うし、相手の言葉を途中で遮ったりするけど、話はちゃんとしてくれる。耳も貸してくれるわよね」


「妾とて、この世の全てを推し量れるわけではない。妾以外のものの口からどんな戯言が飛び出すか、興味を抱かずおれようか」


「そう? でも私、アナスタシアさんに『あなたと話すつもりはない』って風に言われちゃったこと、覚えてる」


「あの女狐めか」


「ええ。あ、恨みに思ってるってお話じゃなくてね?」


 悠然と歩くプリシラを横目に、エミリアはアナスタシアとのやり取りを思い返す。

 最初、王選の場で、アナスタシアはエミリアを議論の場から爪弾きにしようとした。それ自体は珍しい扱いではないので、アナスタシアを恨んではいない。

 ただ、何が言いたいかと言えば――、


「――私、アナスタシアさんとお友達になったの」


「――――」


「ちゃんと言うなら、お友達になるって約束したの。王選が終わったら、そうしましょうって……最初がどんなでも、そういうことができるって思えたの。だから」


「まさか、妾とも友誼を結びたいとでも?」


「ええ。ダメ?」


 アナスタシアとの成功体験があるので、エミリアは勇気を振り絞ってみた。

 多くの人は、アナスタシアとプリシラの二人であれば、プリシラの方が扱いづらいという印象と評価を持つはずだ。しかし、エミリアは違った。

 人間関係に乏しいエミリアにとって、アナスタシアとプリシラの評価はほぼ同じだ。

 なので、こんな申し出に繋がったと言える。

 そして、プリシラはエミリアの申し出に、自分の胸の谷間から扇を抜くと、


「そら見よ、やはり妾ですら思い浮かばぬ戯言が飛び出した」


 音を立てて扇を開き、エミリアの言葉をざっくりと切り捨てた。

 そのプリシラの返答に目を丸くして、エミリアは小さく苦笑する。その笑みを見て、プリシラが「なんじゃ」と目を細めた。


「戯言の次は純然たる戯れか? いずれにせよ、妾の不興を買うぞ」


「あ、違う違う、ごめんね。ただ、プリシラには断れるかもって思ったから、やっぱりってなっただけ。また明日、聞いてみるわね」


「明日になろうと、妾の答えは変わらぬ」


「でも、明日の明日はわからないから」


 とりあえず、果敢に挑むことは間違いではないと、エミリアはそう思う。

 もちろん、それを嫌がらせだと思われて、もっと嫌われる心配はあるけれど。

 でも、エミリアが思った通りならプリシラは――、


「好きにするがいい」


「ええ、そうさせてもらう」


 無駄だとバッサリ言い捨てても、力ずくで押さえ込むことをしてこない。

 それをしづらい立場であることを、エミリアも利用している気分になるが。

 ともあれ、


「それで? 妾を待ち伏せた用はそれで終わりか?」


「ううん、それはまだ一個目……じゃなくて、スバルのことがあったから二個目ね。他にもまだ、話したいことはあるけど」


「そも、最初の話題も何ゆえに妾に話した。貴様らの立てた方針など、妾の道行きの邪魔にさえならなければ何の関わりもあるまい」


「でも、プリシラってアベルとかズィクルさんと仲良しでしょ? 色々話し合ってるみたいだし、みんなに伝えてもらえるかなって」


「前言の撤回じゃ。貴様の戯言は妾の想像の外側で踊る。妾が言葉を翻すことなど滅多にないことじゃぞ」


「――? それ、喜んでいいこと? ダメなこと?」


 紅の瞳に流し目にされ、エミリアは答えがもらえなくて唇を曲げた。

 たぶん、あまり歓迎されていないのだが、具体的に何が悪かったのかわからないと、直せと思われても直しようがない。


 プリシラがアベルやズィクルと仲良しなのは合っているはずなので、それ以外の、エミリアたちの方針をみんなに伝えてほしいというのが間違いか。

 でも、エミリアたちが直接話にいくより、ずっといいと思う。

 なにせ――、


「私、あんまりアベルと仲良くできるかわからなくて……」


「く」


「プリシラ?」


 開いた扇を自分の口元に当てて、プリシラが小さく喉を鳴らした。その横顔を覗き込むと、プリシラはわずかに目尻を緩めながら、


「妾とさえ話そうとする貴様に嫌われるとは、あれの不器用さも極まったものよな」


「む、嫌ってるわけじゃありません。ちょっと苦手かもって思っただけなんだから」


「苦手意識や嫌悪の要因、その積立てを好悪と呼ぶのじゃ。だが、貴様らがアベルをそう評するのも当然であろう。――貴様の見立ては正しかろうからな」


「……プリシラも、そう思う?」


 エミリアの問いかけに、プリシラが無言のまま何も答えない。

 でも、エミリアにはその沈黙が、アベルがスバルを嫌っているというエミリアの考えと同意見だと、そう言っているように感じられた。


「プリシラは、その理由がわかる? さっきまで、アベルたちと話してたんでしょう?」


「生憎と、妾が引き止められたのは貴様のところの凡愚と関係ない話じゃ。凡愚のことなど欠片も話題にならぬ……いや、魔都を滅ぼした大災の話を聞いた以上、凡愚とまるで無関係というわけではあるまいが」


「魔都の……あ、じゃあ、ヨルナさんと話してたの? プリシラの母様の」


 大広間で話し合う途中、話題に挙がったプリシラとヨルナの親子関係。結局、その後のルイの扱いのことで話は流れてしまったが、当事者はそうはいかないだろう。

 当然、再会した母子はそのことを話し合ったはずで。


「でも、私も驚いちゃった。プリシラも半分、亜人の血が……」


「たわけ。妾と貴様とを同じにするな。まさかとは思うが、妾にすり寄ってきたのはそれで親近感でも覚えたからか?」


「それもないじゃないけど、違うの? じゃあ、ヨルナさんはプリシラの育ての親? だったら、それも驚いちゃう。だって私も……」


「何度もたわけと言わせるな、たわけ。それも貴様の勇み足よ」


「ええ? じゃあ、どういうことなの?」


 ヨルナと実の親子なら、プリシラには狐人である彼女の血が流れているはずだが、そのことは否定されてしまった。

 それなら育ての親という意味なのかと思えば、それも真っ向から否定される。

 ハーフエルフであり、フォルトナという血縁上は叔母である母親に育てられたエミリアは、プリシラとどこかしら同じだと思っていたのだが。


「血は繋がってなくて、育ての親でもない……それで母様って、どうすれば?」


「妾が全て、語って聞かせねばならぬ理由があるか?」


「ううん、ないと思う。でも、教えてもらえないとすごーく気になるから」


 ワガママなのは承知で、エミリアはプリシラに真相を尋ねてみる。もちろん、友人関係を断られたのと同じように、この答えも拒まれる可能性は高かった。

 しかし、プリシラはほんのわずかに沈黙を作ると、


「――『アイリスと茨の王』」


「え?」


「古い物語よ。知っておるか?」


「ええと、知ってるわ。その、ペトラお嬢様がそういうの好きだから」


 不意にプリシラの唇から漏れた単語に、エミリアは目を丸くしながら頷いた。

『アイリスと茨の王』とは、ずっと昔から語り継がれている古い物語の一つで、ヴォラキア帝国を発祥とする史実なのだと教わった。

 エミリアも、ちらっと概要を聞いただけだが、ペトラから聞いた話だと、『茨の王』と呼ばれた昔のヴォラキア皇帝と、『アイリス』という少女の恋物語らしい。

 残念ながら、エミリアにはまだ面白さがわからないと言われてしまったが――、


「そのお話がどうしたの? プリシラが好きなお話?」


「文脈が読めぬ半魔よな。当然、これまでの話の流れと関係があるに決まっておろうが」


「これまでの……プリシラとヨルナさんの親子関係と、昔話が?」


「――アイリスと茨の王は手を取り合い、多種族を巻き込む帝国の内乱を終戦へ導いた。じゃが、想いを通じる二人は結ばれる直前、裏切りに遭い、物語は幕となる」


「……悲しいお話なのね」


 プリシラの語った物語のあらすじに、エミリアは眉尻を下げてそう呟く。

 頑張った人が報われないのはとても寂しい。今、ヴォラキア皇帝が置かれている状況を儚んだように、すでに物語とされた二人の男女の最期にも同じ思いを抱く。

 そんなエミリアの感想に、プリシラは「ふ」と息を吐き、


「しかし、物語と史実は違う。史実では、裏切りによってアイリスを失った茨の王は狂気に落ち、刃を向けた狼人と土鼠人を根絶やしにした。逃げ延びた少数を含め、帝国ではいまだに此奴らは見つけ次第、火炙りとされる」


「それは、怒るのも無理ないけど……でも、今の時代の人たちは」


「何の関係もない、か。自身も半魔として迫害された身には他人事ではあるまいよ」


「――――」


 プリシラの言い方は切れ味が鋭かったが、その手の悪口に対するエミリアの肌は鉄みたいに硬い。ただし、血は流れなくても叩かれて痛いのは同じだ。

 そのことはあとでちゃんと文句を言うとして、エミリアはプリシラの話の続き、そこから先がもっと気になった。


 アイリスを失い、裏切者に復讐をして、茨の王はどうしたのだろうか。


「それで、茨の王のお話はおしまい?」


「――。ただ怒りに身を任せただけでは、狂気に落ちたとは到底言えまいよ。故に、茨の王の狂気はこのあと、失われたアイリスへ向けられた」


「アイリスに?」


 思いがけない話の流れに眉を上げ、エミリアが耳に入った単語を繰り返した。その言葉にプリシラは頷くと、その紅の瞳を空へ向ける。

 もどかしく、エミリアはプリシラの言葉の先を求めて唇を震わせ、


「茨の王は、アイリスに何をしたの?」


「呪いをかけた」


「呪い? それって……」


 大切な人に、ましてや失って辛い思いをした相手にかけるものなのか。

 そんなエミリアの疑問を余所に、プリシラは呪いの詳細を語る。

 それは――、


「――死した魂をオド・ラグナへ引き渡さず、再び地へと引き下ろす秘術」


「死んだ人の、魂を?」


「死者さえ蘇生させる『不死王の秘蹟』なる秘術も存在すると聞くが、その実在は眉唾とされる。じゃが、この『茨の戒め』は尽きぬ渇愛が生んだ呪いと言えよう」


 死んだ人が蘇る、という話も驚くが、この場で重要視されているのはそちらではなく、もう片方の『呪い』と呼ばれたものの方だ。

 死んでしまった人の魂、その扱いについてはプレアデス監視塔でも、その生前の記憶が焼き付いた『死者の書』で話題になった。

 その『死者の書』の存在が、人間の内側にある魂の存在を確信させる。


「でも、魂を引き下ろすってどういうことなの? 生き返るってこと?」


「そう都合よくはゆかぬ。死したアイリスの体は引き裂かれ、たとえ魂が戻ろうと命を繋ぐこともない。そもそも、『茨の戒め』にそんな力はない」


「だったら、どうなるの? 体がなかったら――」


 戻った魂の入る場所がなかったら、魂はどこへいけばいいのか。

 そんなエミリアの疑問に、プリシラは静かに視線を下ろした。空を眺めるのではなく、紅の瞳がエミリアの紫紺の瞳を見据え、そして――、


「決まっていよう。魂がオド・ラグナへ還らぬならば、その魂は本来の措置を受けぬまま地へ戻り、次の器へと入る。――再誕とも、転生とも言えような」


「――――」


「呪いの解けぬ限り、絡みつく茨の戒めが解けぬ限り、死した魂の再臨は繰り返される。幾度となくそれを繰り返し、何度も生と死を重ねゆく。――そのうちの一度、ヨルナ・ミシグレの一つ前の人生が、妾の母上であったということじゃ」



                △▼△▼△▼△



「――サンドラ・ベネディクトとは、意表を突かれたぞ」


「主さんの方こそ、プリスカのことを隠していたのは人が悪すぎるでありんしょう」


 硬く、冷たい声音がぶつかり合い、石造りの一室で静かな熱が交錯する。

 互いに視線を向け合い、その腹の内を探るように言葉を選ぶのは、顔を覆った鬼面を外し、素顔を見せたアベルと、煙管の紫煙をくゆらせるヨルナの二人だ。


 つい先頃まで、この場には三人目のプリシラもいた。

 しかし、彼女は必要な話を終えたとみなすと、すぐさまこの場を辞していった。その態度をアベルは受け入れるが、ヨルナの方の動揺は掻き消えていない。

 当然だろう。――魔都の女主人も、実子の変わりようを容易くは受け止められまい。


「お互い、秘密主義が仇になったと素直に認めてはいかがでありんす?」


「秘する理由はあった。貴様も、想像はつこう」


「――。それは、そうでありんすな」


 アベルの答えに目を伏せ、長い睫毛を震わせながらヨルナも思案する。

 プリシラとの思わぬ遭遇は、ヨルナの心に大きな大きな波紋を生み出した。それは、決して叶わぬと、期待どころか欠片の希望も抱けずにいた現実だったからだ。

 それが否定され、ああして健在のプリシラを前にしたことは、ヨルナにとって望外の喜びであったと同時に、アベルにとっては恐ろしい博打だったに違いない。


 プリシラ=プリスカが生きていることなど、あってはならないことなのだ。

 そのありえない出来事の裏に、アベルの関与があったことは間違いないのだから。


「主さんは、いったい何を――」


「――俺が貴様に約束したのは、その茨の戒めを解く術だ。もしも、貴様が問いの答えを欲するならば、それ以外の褒美を与える理由はない」


「――――」


 真っ向から、アベルはヨルナの問いかけを拒絶した。

 その答えを口にすることをアベルは拒み、ヨルナの最大の願いと天秤にかけさせる。


 もう長く長く、何度となく生と死を重ね、この魂で世界を眺め続けてきた。

 あの人の面影も、ほとんど思い出せなくなるようになってなお、だから――。


「ヨルナ・ミシグレ――否、茨の王に見初められし、アイリスよ」


 そう、ヨルナのずっと昔の、愛おしい人が何度も呼んでくれた名前で、愛おしい人の血を何代も重ねた先にある男が、ヨルナを呼んで。


「より一層の奮起をせよ。己の悲願と、何より――プリスカ・ベネディクト、貴様の失われたはずの娘を未来に生かすために、な」


 愛しい人とは比べ物にならないぐらい冷たい声で、そう強いたのだ。



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― 新着の感想 ―
〈 「そう? でも私、アナスタシアさんに『あなたと話すつもりはない』って風に言われちゃったこと、覚えてる」 読者視点で見れば生まれてきてごめんなさいか?とか煽ってるプリシラの方がキツそうだったけどエ…
[良い点] 神です
[気になる点] え、待ってじゃあアイリス子供できてるし茨の王寝取られてるって事?
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