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第七章68 『剣狼のお導き』



「――しばし待て、シュバルツ。今、切りのいいところまで目を通す」


 そう言ったグスタフは、部屋に招いたスバルの方をちらりとも見ない。その視線は机の上、自分の手元の手紙に落とされたままだった。


 看守に先導され、スバルが連れてこられたのはギヌンハイブの最上層。見るからに豪華な扉の向こう、スバルを迎えたのはシンプルに質素な一室だった。

 広い部屋には仕事用の机と、仕事用の書棚と、仕事用の用具入れしかない。部屋は広さを持て余しているので、たぶん元々はもっと物が置かれていたはずだ。

 仕事に不要なものが全部取っ払われた総督用の部屋、ものすごくこざっぱりとした印象のそこは、グスタフの遊びのない性格がよく出ていて逆に安心する。


「切りのいいところまでと言われても、椅子もねぇ」


 そんな部屋の中、スバルはグスタフに待機を命じられて途方に暮れる。

 待て、と言われれば仕方ない。手持ち無沙汰なスバルはなんとなしに部屋の中を見渡して、そこに明らかに異物感のある人物を見つけた。

 見つけたというか、ひらひらとスバルの方にふやけた顔で手を振っている。


「どもども、バッスー、お疲れ様でしたね。グスタフさんに御用ですか?」


 そんな気安い調子で言ってくる偽セシルスに、スバルはため息を我慢して歩み寄る。

 なんて言えばいいか、スバルと偽セシルスの関係はまたちょっと複雑になった。ある意味、スバルの『スパルカ』参加は偽セシルスに焚き付けられた結果だ。

 言い合いがなくても、スバルは『スパルカ』に参加したとは思うが――、


「セッシーを見返したい気持ちが強めにあったのは間違いねぇんだな、これが」


「おや、僕を見返したいとはなかなか意欲的な目的でしたね。そのための『スパルカ』参加でしたか? だったらごめんなさいでした」


「ごめんって?」


「いやほら僕ってさっきやってた『スパルカ』見にいってなかったので」


 あっけらかんと、舌を出して言い放った偽セシルスにスバルの口がぽかんと開く。が、すぐに湧き上がってくるのは「この野郎」という怒りだった。

 自分との言い合いでスバルがやる気になったのも、自分の言い分をひっくり返すためにスバルが突っ込んでいったのも、目の前で見ていたくせに。


「お、お前、この野郎……っ」


「まあまあまあまあ怒らないで! いやいや怒りたくなる気持ちもわかりますけど僕にも言い分ってものがありますよ!」


「じゃあそれを聞かせてみろ! つまらない言い訳だったら……」


「だって見なくても結果はわかってましたし? バッスーが完封してはいおしまいってなものでしょう。なら僕がいく理由もありませんよ、命も賭けてませんし」


「――――」


 詰め寄られても何のそのと、変わらぬ偽セシルスの調子にスバルは身を引いた。

 正直、スバルもヒアインには薄気味悪いガキと連呼されるだけのことをやっている自覚はあるが――、


「セッシーも、傍から見たら相当薄気味悪いガキだよな……」


「覇業を為す人間というのはいつの世も他人に理解されにくいものということかもしれませんねえ。この場合に該当するのは僕とバッスーのどちらもですが」


「そりゃまたずいぶんと買われたもんで」


「ええ、わりと今回のことで僕は確信しましたよ。なので安心して今後も型破りで的外れで大胆不敵で見当違いな行動をかましていってください!」


「的外れも見当違いも御免だけど!」


 それっぽい言葉を適当に並べてくる偽セシルスに、スバルは唇を曲げて抗議。と、そんな二人のやり取りのお尻に、机を叩く重々しい音がくっついた。

 見れば、音を立てたのは手紙を読み終えたグスタフだった。

 グスタフは組んだ二本の腕に顎を乗せて、残りの二本の腕を机についている。腕が四本あると、そういう器用なこともできるんだなとスバルは感心した。


「四本全部の手を組んだら、顎乗せるには大きすぎるかな?」


「いやぁどうでしょうかね。グスタフさんはちゃんと顔も大きいので案外手を四個重ねてもぴったりの大きさかもしれませんよ。ちょっと重ねてもらいます?」


「君たちには神妙にするという配慮はないのか? 常識的に考えて、手紙を読んでいる人間を待つなら沈黙が尊ばれるだろう」


「「言われなかったし……」」


 子どもっぽい屁理屈だったが、スバルと偽セシルスの言い訳が重なった。

 その事実に、スバルはグスタフに申し訳ない気持ちになる。偽セシルスと同じ意見ということは、スバルが非常識な行動をしてしまったということだから。


「グスタフさん、ごめん。俺が悪かったよ……」


「なんだか納得いかない感じの思考を辿ってませんか? とはいえ自分の非を認めたのでここは全部バッスーが悪いということで」


「謝罪を口にした分、本職の中ではシュバルツの方が神妙という評価だ。加えて言えば、本職はセグムントに入室を許可した覚えはない」


「え、そうなの? じゃあ、なんでセッシーここにいんの?」


「それはもちろん僕がいたいときにいたい場所にいるという方針だからですよ。この島で僕の自由を封じられる人もいませんし妥当な扱いと思いますが」


 しれっと、誰にも従わない発言をする偽セシルス。スバルは怖々とグスタフの様子を見るが、島の管理者は目をつむり、眉間を揉みながら葛藤に耐えていた。

 偽セシルスの話は嘘ではないみたいだが、もちろんグスタフも喜んでその状況を見過ごしているわけじゃない、的な感じの立場らしい。

 でも――、


「誰もセッシーを止められない、か」


「ええ、そうです。いわゆる特別扱いすなわち世界の花形役者ということですよ」


「それはちょっと意味わかんないけど」


 独特の表現ながら、偽セシルスの言いたいことはわからないではない。

 ただ、偽セシルスの言い分が間違いでなかったら、それはそれで別の大きな矛盾が生じてくる。そしてその矛盾は、スバル的にも無視できないものなのだった。


「ええと、それでグスタフさんが俺を呼んでるって話だったけど……セッシーは一緒にここで聞いてていいの?」


「――。セグムント」


「お構いなく。僕を追い出すことは誰にもできません。心配しなくても僕に関係ある話なら僕の耳に入りますし関係ないならすぐに忘れます。すごいですよ僕の忘れる力は。現時点で大事なこと色々忘れてる可能性すらありますからね」


「全然すごくない……」


 えへんと胸を張る偽セシルスの傍若無人さに、スバルとグスタフもお手上げだった。

 結局、部屋のメンバーの入れ替えはないまま、スバルはグスタフの正面へ。偽セシルスは頭の後ろで手を組んで、壁に背を預けてそれを見守っている。

 何とも珍妙な『役者』参観だった。


「後ろのセッシーは置いといて、俺を呼んだのは――」


「無論、懲罰を悪用した一件の警告だ」


「……回りくどくなってない?」


 低い声に発言を遮られて、スバルはしょっぱい顔をしながらそう呟いた。

 剣奴孤島のルールでは、警告の次が懲罰、その先が呪則による死という話だ。最後の〆はともかく、懲罰の次に警告がくるのは順番違い。

 そのスバルの指摘に、グスタフは表情をピクリとも動かさないまま、


「シュバルツ、君は本職の前で剣奴孤島の秩序をびん乱する恐れのある発言をした。警告を無視し、故に懲罰を与えるに至った。自覚はあるな?」


「……うん、あるよ」


「では、本職の前で二度と口にしないと誓うことだ。――この島からの脱走を目論んでいるなどと、皇帝閣下の御判断に逆らう企てを」


 表情は、変わらず動かない。その目つきや瞳の色にも変化はなかった。声の調子も巨大な岩のような静かさで、でも圧倒的な威圧感があった。

 それがもうちょっと感情的な、怒りとか苛立ちならスバルにもわかりやすい。だけど、グスタフに宿っているのは怒りでも苛立ちでもなくて。


「めちゃめちゃ強い、使命感」


「――――」


「グスタフさんは、その皇帝閣下に恩でもあるの?」


「質問をはぐらかす目的か?」


「そういうんじゃないよ」


 はぐらかすつもりはないし、はぐらかせる立場でもない。

 グスタフはスバルからしっかりと言質を引き出さないで帰すつもりはなさそうだ。なのでスバルの質問は、純粋なグスタフへの疑問と興味からだった。

 一応、グスタフが皇帝閣下と呼ぶ本人を知っている立場からの。


「皇帝閣下と個人的な関わりはない。あくまで、総督としてこの島の管理を任された立場だ。職務に励むのは本職の立場上、当然のことだろう」


「生真面目なのはただの性格ってこと?」


「当然の職務をこなすことを生真面目、と表現するのはいささか不合理だが?」


 馬鹿にしたつもりはなかったのだが、悪口と受け取られてスバルは首をすくめる。

 とはいえ、グスタフの答えはスバルが欲しいと思ったものとは違った。これがグスタフの本音なのか、それとも本音を隠した建前なのかはわからない。

 グスタフを、もっと知らないことにはわからないことだ。


「グスタフさんの場合、五回とか十回とかじゃ懐に入れなさそう……」


 これまでのスバルの行動が成功した裏には、極限状態に置かれた一種の『吊り橋効果』みたいなものがあったんじゃないかと自分で思っている。

 命懸けの『スパルカ』の中、訳知り顔のスバルの言葉に、余裕のないみんなは手を引っ張られるみたいに自分の事情を話した。

 彼らを知れたことが、ナツキ・スバルが『スパルカ』を突破できた最大の理由だ。

 ただしその方法は、『スパルカ』の外だとかなり難しい。


「――シュバルツ、なんだその顔は」


「いや、グスタフさんの氷の心を溶かすにはどうしたらいいのかなって」


「心と氷に相関性はない。セグムントのような物言いは控えることを求める。本職の気煩いの種を増やさないために」


 スバルの軽口にも真面目に答えられ、後ろで偽セシルスが笑う気配がある。

 それを二人で協力して無視しながら、スバルとグスタフは顔を見合わせた。そして、改めて答えていなかった質問に立ち返る。


「改めて誓ってもらおう、シュバルツ。この島の剣奴として活動する以上、総督である本職に従ってもらう。――皇帝閣下の御意思に背く行いは慎むと」


「――――」


 目をつむり、スバルはグスタフの訴えを頭の中で繰り返す。

 島を出ると、そう堂々と宣言したスバルに、グスタフは一度の警告を与えて、それでも訂正しなかったから懲罰目的で『スパルカ』へと送り込んだ。

 剣奴たちの話が正しければ、警告のあとに懲罰、それでダメなら呪則の処罰だ。

 そして、スバルにはどうしても確かめなくてはならないことがあった。それが、スバルたちがこの剣奴孤島から出ていくのに絶対に必要な確認だったから――。


「シュバルツ、返答を――」


「――絶対に、ノゥ!」


「――――」


 重ねられる低い問いかけに、スバルは胸を張って、堂々と声を大きくした。

 その答えにグスタフが眉間に皺を作り、黙り込む。黙り込んだのを見てから、スバルはすぐに自分の言葉の真意が今の言い方では伝わらないと理解し、言い直す。


「ノゥは、断るって意味だよ。悪いけど、グスタフさんの言うことは聞けない。俺はどんな馬鹿な真似をしても、ここから出てくってもう決めてるんだ」



                △▼△▼△▼△



 伝わらない可能性のある言葉を噛み砕いて、スバルは改めて宣言する。

 剣奴孤島ギヌンハイブからの脱走、それを他でもない、この島の管理者であるグスタフ・モレロ総督相手に、堂々と。


「――――」


 そのスバルの答えは、もちろんグスタフにとっても望んだものじゃなかった。彼はその厳つい顔の凄みを、表情も目の色も変えないままぐつぐつと燃やした。

 まるで、噴火のときを待つマグマみたいにぐつぐつと――、


「シュバ――」

「あっははははははは!」


 瞬間、噴火しようとしたマグマを、甲高い笑い声が強引に蹴り飛ばした。

 そうして腹を抱えて大爆笑するのは、部屋の後ろでこっちの会話をふてぶてしく盗み聞きしていた偽セシルスだ。

 大笑いする偽セシルス、彼は笑いながら自分の目元に浮かんだ涙を指で拭い、


「絶対にノゥ! 絶対にノゥだそうです。ノゥというのはなんだかわかりませんが強い反骨心を感じて個人的にはだいぶ気に入りましたね! いやぁしかしバッスー、どれだけ怖いもの知らずですか嫌いじゃないです、むしろ好き」


「そうか。俺はセッシーのこと薄気味悪いガキだと思ってる」


「あはははは!」


 その場でパタパタと足踏みしながら、偽セシルスの笑いは止まらない。

 そんな偽セシルスの爆笑に水を差されながらも、スバルがグスタフに突き付けた拒絶の言葉は消えてなくなったりしないのだ。


「シュバルツ、本職は警告し、意見を撤回しない君に懲罰を与えた。のみならず、態度を改める機会を再び与えても、なお改めるつもりはないと、そう嘯くのだな?」


「……うん、グスタフさんが嫌いとかじゃないよ。嫌いなのは帝国だ」


「個人の好悪について、主観を捻じ曲げる権利を本職は有さない」


 言外に、自分が嫌われるのも気にしないとグスタフは言っているが、スバルがグスタフを嫌いじゃないのは本当のことだ。好き嫌いを決められるほど彼を知らない。

 第一印象で相手のことを決めるなんて、そんなの馬鹿馬鹿しい決めつけだ。


「それこそ、好きな子の手にキスされるとかじゃない限りね」


「――?」


「こっちの話で、全然関係ない奴の話だった」


 とっさに口をついて出た言葉を反省しつつ、スバルはグスタフと睨み合う。

 グスタフからしたら、スバルは扱いづらいことこの上ない子どもだろう。懲罰なんて名目で『スパルカ』に送り込んでも、スバルはちっとも応えていない。

 あれはスバルには懲罰にはならないのだと、グスタフも思い知ったはずだ。

 そうなれば――、


「警告と懲罰の先の、俺を処罰する? グスタフさん」


「――。君が自分の意見を撤回しないなら、最悪の場合、本職は本職に与えられた権限に従い、そうせざるを得ない」


「そっか。……じゃあ、やったら?」


「――――」


 首を傾げて、スバルはなんてことないみたいな風にグスタフに言った。

 そのスバルの言葉を聞いて、グスタフの表情がわずかに動いた。眉間に皺を寄せるアクションでも、眉間を揉むアクションでもなく、頬を硬くした。

 考え込むんじゃなくて、それは嫌なところを突かれた人の反応だ。


「この島の剣奴みんなにかけてる呪則、それを使って俺に罰を与えたらいい。俺は全然言いなりにならない生意気なガキで、グスタフさんはここの総督なんだから、俺を見せしめにしたって全然いいはずだ。やったらいい。でも」


「――――」


「グスタフさんはやらない。――いや、できないと俺は思ってる」


 押し黙っているグスタフから反論がない。

 その静けさが何を意味しているのか、スバルは自分の考えを続けながら探っていく。


 この島の剣奴が恐れ、彼らの行動を縛っている一番の理由である『呪則』。

 総督であるグスタフの意のままに、呪印を刻まれている剣奴たちは命を奪われる。その抑止力を、グスタフは使えないとスバルは考えていた。


「ヌル爺さんとか、ここで暮らして長い剣奴のオッチャンとかに聞いたよ。グスタフさんがくる前の剣奴孤島は無法地帯で、もっと怪我でも病気でも人が死んでたって。でも、グスタフさんがきてから状況がずいぶん変わった。死人が減ったんだ」


「管理者として当然の職務だ。そも、剣奴は島の興行のために命を使うべきであり、他の要因で落命するのは極力避けなければならない。興行以外の、日々の死合いでも同じことだ。緊張感や実力の維持のために機会を設けているが、ああした本番以外の場面で落命することも同じく避けるべきと言える」


「うん、グスタフさんはできるだけ剣奴の数を減らしたくない。それは俺も、ここで過ごした何日かで感じてる。意外と、福利厚生がちゃんとしてるって」


「フクリコーセー、知らない言葉でまた胸躍る!」


 スバルの追及に偽セシルスが引っかかるが、辞書役をしてやるつもりはない。

 ここはスバルにとっても、わりと重要な大一番なのだ。


「『スパルカ』で死人が出るのを許容してるのは、剣奴の質を保つためってことと、たぶん中にいる剣奴の気持ちの引き締めが目的なんだと思う」


「――――」


「さっきも言ったけど、一回剣奴になるとここのルールはだいぶ優しい。でも、剣奴にここでの生活で怠けるのを覚えてもらっちゃ困る。だから『スパルカ』をやる。それで緊張感が強まるのと、それと……安心する」


「安心、とは?」


「俺たちは剣奴になれてよかった、って安心」


 グスタフの質問に、スバルははっきりと彼の目を見ながら答えた。

 色々と、グスタフの目的とか行動を考えたとき、しっくりくる感覚がそれだった。的外れの可能性はもちろんあるが、聞いてみて損はそんなにない。

 鼻で笑われたり、真っ向から否定されたときはそのときだ。


「――――」


 でも、グスタフが選んだのはどっちでもなく、黙ることだった。


「……グスタフさんは、できるだけ剣奴を死なせたくない。かといって、剣奴に反抗的になられたり調子に乗られるのも困る。そのために『スパルカ』を利用してる。そう考えるとしっくりくるんだ」


「筋は通って聞こえる。だが、本職が呪則を機能させないことに関する合理的な証明にはなっていない。君の希望的観測というものだ」


「もう一個、根拠はある。……反抗的で調子に乗ってるセッシーだ」


「え、僕ですか?」


 立てた親指を後ろに向けて、そう言ったスバルに偽セシルスが目を丸くする。そちらにグスタフの視線がちらと向くと、スバルは大きく頷いた。


 こうして堂々とスバルとグスタフの話し合いに参加しているのも含めて、偽セシルスの傍若無人ぶりは他の剣奴から頭一つ抜けている。

 当然、警告と懲罰みたいなことは偽セシルスにも与えられているはずだが、スバルとは別の意味でそれがちっとも応えないのが彼だろう。となれば、スバルよりも早く、偽セシルスには懲罰の先、処罰を与えられていて不思議はない。


「なのに、セッシーは無事だ。セッシーがグスタフさんの大のお気に入りで贔屓されてる可能性はあるけど、グスタフさんに限ってそれはなさそう」


「慧眼だ。本職はセグムントに好感を抱いていない。好悪を職権に反映させるつもりなど断固としてないが」


「あれあれあれ? もしかしてこれ僕が嫌われ者って話してますか? やれやれどこへいっても話題の中心をさらってしまってすみません」


「メンタル強すぎる……」


 かなり直接的に非難されているのに、偽セシルスはけろっとしたものだ。そのぐらい図太くないと、彼みたいな性格にすくすく育つのは難しいとは思う。

 ともあれ、偽セシルスの存在はスバルの意見のかなり強めの根拠ではあった。

 つまり――、


「セッシーも処罰してない。俺も、セッシーと同じかそれ以上にグスタフさんに目障りなことをしてる。その上で、さっきの言葉を拒否した俺を、どうする?」


「――――」


「呪則で、罰を与える? ……グスタフさん、どうする?」


 わずかに、スバルの問いかけにグスタフが目を細めた。

 机の上に置いた四本の腕、そのうちの二本に顎を乗せ、もう二本を机を抱くみたいに置いている多腕族、グスタフの答えをじっと待つ。


 ここまで言えば、グスタフにもスバルの意図は伝わったはずだ。

 やってみろと、スバルは挑発している――わけじゃない。確かめようとしているのだ。


 ――剣奴の命を握っている、『呪則』なんてものは存在しないと。


「――――」


 グスタフは、その厳めしい外見と重苦しい振る舞いで周りに威圧感を与えているが、島の運営に関してはとても繊細に事を進めていたのだと思う。

 それが皇帝閣下――アベルのどんな指示を守ろうとしてのことなのかはともかく、グスタフは見かけに反して暴力じゃなく、規則で島の剣奴の支配をやってのけた。


『スパルカ』を乗り越えて剣奴になれば、自分の置かれた状況に甘えて剣奴は暴れない。定期的に『スパルカ』をやって気持ちを引き締めて、また『スパルカ』に参加したくないと思わせれば、懲罰の先の呪則に引っかかる相手はいなくなる。

 二重のセーフティーで、存在しない呪則という鎖が剣奴の足を繋ぎ止めている。


 それがスバルの考える、この剣奴孤島を取り巻く呪則という仕組みの正体だ。

 そしてこれが正しいかどうかは、このあとのグスタフの行動でわかる。

 ここまで挑発されれば、そもそも呪則の存在を疑われることになれば、グスタフの敷いてきたルールが全部ひっくり返ってしまうのだ。

 それを防ぐためにも、スバルを絶対に呪則で罰しなくてはいけないはず。


「――――」


 それを見極めようと、じっとグスタフを見つめ続けるスバル。

 そんなスバルの眼差しに、グスタフはしばらく、しばらく、黙り続けて、そして――。


「――。懲罰を与える。シュバルツ、次回の『スパルカ』に君を送り込む」


 ――そう、根負けしたようにグスタフは、スバルの命を奪わなかった。



                △▼△▼△▼△



「まさしく完勝という流れでしょうが、どんな気分でいるんです、バッスー?」


 グスタフの執務室を出たところで、隣に並んでくる偽セシルスがそう尋ねてくる。

 その飄々とした態度に、スバルは大きくため息をついた。


「なんていうか、セッシーって俺の敵なの? 味方なの?」


「おや、それは珍妙な質問ですね。僕はわざわざ湖からバッスーと鹿人のお嬢さんを引き上げた物好きですよ? 僕がいなければバッスーたちが死んでいたかもなことを思えば僕の立場は自ずとわかるのでは?」


「そうだね。で、敵なの? 味方なの?」


「どっちが面白いと思います?」


 役に立たない長文を聞き流して、もう一回聞いたスバルに偽セシルスが聞いてくる。

 へらへらとした質問で、その内容にスバルは一瞬ピリッとなったが、グスタフと睨み合いながらやり取りしたときとは全く趣が違う。

 グスタフとのやり取りは、今後を大きく分ける可能性のあった重大な分岐点だった。

 でも、偽セシルスのこの質問は――、


「俺がどっちって言っても、セッシーはそのときそのときの気分で決めるでしょ」


「大正解。ちなみに現時点では味方寄りと言っておきますよ。今のところはバッスーの奇想天外な活動を見守る方が面白いと僕の直感が囁いているので。とはいえ、僕の気分は僕ですら信用置けないので十分注意してください」


「自分のハンドルぐらい、ちゃんと握っててほしいんだよな……」


 ただの気分屋ならまだしも、偽セシルスの場合はとても危険な気分屋なのだ。

 戦闘狂や狂戦士を隣に引き連れている感覚で、色んなゲームや漫画の主人公は同行者選びをうまくやっていてすごいなと思う。

 そう考えると、帝国にきてから同行者選びに苦しんでばかりの自分が可哀想だ。


「エミリアーゼとベアトロミン不足がそろそろ致死量に達しそう」


「ほほう、またしても聞き慣れない単語ですがそれもバッスーの地元の言葉ですか?」


「これは俺の造語っていうか、俺の体の半分を構成してる夢物質だよ」


 半分が優しさでできている薬みたいに、スバルの体の半分は大事な人への想いでできていると言っても過言ではない。過言だけど、言い切ってしまう。

 だからこそ、さっきのグスタフとの問答には大きな意味があった。


「セッシーの言う通りなのは癪だけど、確かに欲しい反応がもらえた」


「次の懲罰への参加ですか? それとも……」


「もちろん、俺を呪則で殺さないって話だよ。『スパルカ』の方は……まぁ、うん」


 皇帝閣下の意向に逆らって、島の脱走を公言したスバル。それを呪則で罰しなかった以上、グスタフが呪則を発動することはほぼありえない――違う、できない。

 その確認のために、次の『スパルカ』に参加する懲罰を与えられたが。


「どのみち、『スパルカ』に参加するつもりだったバッスーには痛手にならないと」


「どのみちやる気だったってのは、ちょっと言いすぎだと思う。俺だって、参加しないで済むなら『スパルカ』なんて怖いイベントに参加したくない」


「なるほどなるほどわかります。盛り上げるための常套句ですね?」


「違うけど!?」


 邪推してくる偽セシルスに答えながら、スバルは奥歯の裏側を舌で撫でる。

 今日の『スパルカ』と同じく、また別の『スパルカ』に参加するなら、やっぱりこの『薬』に頼ることになるだろう。仕方ないことだが、気は滅入る。

 ともあれ――、


「また一つ、俺の中の計画は進んだ。セッシーの付き合いも、あとどのぐらい続くかわからないけど、敵に……いや、邪魔しないでね」


「色んな葛藤の末に吐き出された言葉だと思って胸に留めておきますよ。さてさて、いったいバッスーは何をしでかしてくれるのか……とと」


「――?」


 そんな話をしながら、スバルと偽セシルスの二人は剣奴たちがひしめく居住区のある階層へ降りてきていた。そこで発した偽セシルスの妙な声に、スバルも目を丸くして、彼の見ている方に視線を向けると――、


「――シュバルツ様」


 そうスバルを呼んだのは、大広間の真ん中のテーブルを占拠する一団、その端っこに立っていたタンザだった。

 スバルと偽セシルスがやってきた大広間、食事のためのスペースにはこれまで見た中で一番大勢の剣奴の姿があり、それらの中心にスバルの『合』の面子がいる。


 馴れ合いが好きじゃないヴァイツやあがり症のイドラ、控えめなタンザがそういうポジションにいるのは妙な印象だ。声が大きくて虚勢を張る性格のヒアインは、まぁ別にそういうところにいても不思議な感じはあまりないけれど。

 ただ、そういう面子の意外性よりもスバルを驚かせたのは――、


「ええと、みんなどうしたの? そんな急に静まり返って」


 頬を掻いて、スバルは愛想笑いしながら大広間の面々にそう聞いた。

 何故か、スバルと偽セシルスが入ってきた途端に静かになって、じっとこっちを窺うみたいな目を向けてくる面々に。


「――――」


 押し黙って、彼らはスバルたちの方を――違う、スバルをじっと見ている。

 これがまず最初の違和感だ。彼らが偽セシルスの方を見て黙り込んでいるなら、そういう反応をしてしまう理由もわかる。

 偽セシルスは薄気味悪いガキで、剣奴たちから怖がられ、嫌われているからだ。

 でも、彼らが見ているのは偽セシルスではなく、スバルの方だった。


「シュバルツ様、戻られるのをお待ちしていました」


 そして、その反応を不思議がっているスバルに、ゆっくりとタンザが近付いてくる。

 彼女の丁寧な言葉に、スバルは「あ、うん」と答えて、妙に肌がざわつく。タンザの言葉はいつも通りなのに、なんでか緊張感がみなぎっている気がした。

 というか、緊張感がみなぎっているのはスバルとタンザの二人じゃなく、この大広間全体の雰囲気だ。居心地が悪い空気、そんな感覚に思わず喉が鳴った。


「俺の帰りを待ってたってのは……あ、グスタフさんになんで呼ばれたか気になったんだよな。心配かけてごめん。その話は無事済んで……」


「いえ、それはどうでもよいのですが」


「どうでもいい!?」


「――それよりも」


 スパッと切り捨てられたことに驚くスバルを、ぐいっと近付くタンザが黙らせる。スバルはその勢いに「おうっ」とのけ反るが、背中を偽セシルスに押さえられた。

 ちらと後ろを見ると、偽セシルスは相変わらず楽しそうに、たぶん何にも考えてない顔でスバルの逃げ道を塞いでいる。腹立つ。


「シュバルツ様、お聞きしたいことがあります。答えてくださいますか?」


「お、おう、うん、はい、いいよ。俺が答えられることなら……」


「――シュバルツ様の、お父様のことを」


「……俺の、父さんのこと?」


 神妙な顔でタンザに聞かれ、スバルは意味がわからなくて眉を顰めた。

 こんなもったいぶった勢いでやってきて、聞いてくるのがスバルの父親の話だ。しかも不思議なのが、どうやらその疑問、タンザのものだけじゃないらしい。


「――――」


 じっと、スバルを見つめる剣奴たちの視線の熱が強くなっている。

 ヒアインやヴァイツ、イドラたちはもちろん、他の剣奴たちも固唾を呑んで、タンザの質問にスバルがなんて答えるか気にしている風だった。


 全然、意味がわからない。

 ただし――、


「言っておくけど、俺が父さんの話をすると、長いぜ?」


「手短にお願いします」


「聞いといて条件付けんだ!? ええい、なんだよ、もう!」


 ガシガシと頭を掻いて、スバルは「あ~」と不機嫌に唸った。でも、そんな態度を取ってもタンザたちの興味の矛先をずらすことができない。

 なんで、スバルの父親を知りたいなんて話題になったのかはわからないけれど。


「父さんは、俺の憧れだよ。めちゃめちゃカッコいいし、すげぇたくさんの人から慕われてて、いつもみんなの中心にいる。なんていうか、カリスマっていうか……こう、生まれながら持ってる天性のリーダー気質って感じで、すごい」


「――! いつも、大勢の方の中心に……」


「色んな人に頼られて仕事も大変だろうに、時間があれば俺に構ってくれて、色んなことを教えてくれるんだ。……俺は、その、すげぇ尊敬してる。カッコいいんだよ」


「――――」


 話していると、頭の中に浮かんでくる父と、そんな父を愛する母の顔。

 じわっと目の奥に熱いものが込み上げて、スバルは自分の胸をぎゅっと掴んだ。こうして異世界にいる今、二人のことを思い出すのは嬉しくて、とても辛い。

 でも、痛むほどに大事な両親が、今のスバルの芯を支えてくれる柱になっていて。


「シュバルツ様、その……」


「うん……」


 そのスバルの表情に何を見たのか、タンザが次の言葉をちょっと躊躇った。

 でも、ここまで話したのなら、何を聞かれても別に怒りはしない。そう思ってスバルが続きの言葉を待っていると、タンザはしばらく待ってから、言った。


「お父様の、お名前は」


「それは……」


 タンザの問いかけに、スバルは答えようとして答えを躊躇った。

 感傷的な気持ちのまま、普通に『菜月・賢一』と答えようとしたが、これはちょっとややこしいことになってしまう。なにせ、スバルは剣奴孤島では『ナツキ・シュバルツ』と名乗っているので、家名と名前の組み合わせがあべこべだ。

 かといって、『ケンイチ・シュバルツ』みたいな別の名前で教えるのも、ややこしさに拍車をかけるわりには見返りがなかった。


 なので、スバルはちょっと迷ってから、言った。


「ごめん。父さんの名前は話せないんだ」


「――っ」


「タンザ?」


 スバルがそう答えた瞬間、タンザの表情が目に見えて硬くなった。

 その瞳が大きく揺れて、丸いほっぺたが緊張でピンと強張る。それに、目の前のタンザの反応にも驚いたけれど、それだけでなく――、


「どうやら、笑い話じゃないらしい……」

「そんなことがあるのか? いやだが、私たちを導いたあの行動は」

「だ、だから言っただろうが! どうだ、これでも俺がおかしいか? なあ、おい!」


 スバルの『合』のメンバーを筆頭に、大広間の剣奴たちが一斉に騒ぎ始めた。

 お互いに顔を見合わせて、がやがやと話し始める彼らにスバルは大いに困惑する。いったい、何がどうしてこんなにみんなが驚いているのか。


「ええと、みんな?」


「――ッ!」


 ざわっと、スバルが声をかけた途端に騒々しさの波が引く。

 そこにスバルは一抹の寂しさを感じたが――、


「シュバルツ、お前が何者だろうとオレたちの考えは変わらん……」


 そう、不安げな顔をしたスバルに、最初に言ったのはヴァイツだった。

 恐ろしげな刺青を顔や体中に入れているヴァイツ、でも彼の言い放った言葉は、たぶんスバルを心配して、安心させようとしてくれるものだった。


「わ、私も同意見だ。というより、合点がいった。より一層、貴様……シュバルツ、君と協力していこうという心持ちだ」


「おお、おお、そうだそうだ! 何が問題だ、てめえら! こいつは何も変わらねえ! こいつは俺たちと同じ剣奴で、俺の兄弟分よ!」


 そのヴァイツの言葉に続くように、イドラが自分の胸を叩いて、駆け寄ってくるヒアインがスバルと肩を組み、剣奴たちに振り返ってそう言った。

 イドラはともかく、ヒアインの態度にはスバルも目を白黒させたが――。


「――だな! 大したガキだぜ、シュバルツ!」

「お前は只者じゃねえと思ってた! じゃなきゃ説明がつかねえ!」

「おお、我らが奉じる剣狼のお導きよ! 今日の施しと巡り合わせに感謝を!」


『合』の三人の言葉を切っ掛けに、黙り込んだ剣奴たちの歓声が爆発した。

 大広間に響き渡る声が、まるで剣奴孤島全体を揺らそうとするみたいな大音量で発されて、ますますスバルの驚きがぐるぐると強められる。

 でも、その驚きを消化し切る前に、スバルはぐいぐいとヒアインに押されて、


「そらそら、まだ今日の『スパルカ』の祝いが済んでねえ! 今回も功労者はてめえなんだ、きっちり騒いどけ、兄弟!」


「ヒアイン、お前超現金だな!?」


「いいじゃねえか、おらおら、兄弟のために席開けろ! 肉と酒持ってこい!」


 品のない大笑いをするヒアインに押されて、大勢の剣奴の真ん中に詰め込まれる。

 そこには治癒室から戻った、今日の『スパルカ』で一緒に戦ったオーソンたちもいて、控えめながら酒杯を掲げて、スバルの到着を歓迎してくれた。


「今日は本当にありがとう、シュバルツ。――君がいてくれて、よかった」


「――――」


 そう、涙目の蜥蜴人たちに迎えられて、スバルは喉に言葉を詰まらせた。

 言いたいことも、疑問も山ほどあったけれど、この瞬間、こうしてもらった言葉には、スバルが『スパルカ』に挑んだ見返りが十二分にあったから。


「俺の方こそ、助かってくれてありがとよ」


 と、次々運ばれてくる骨付き肉を、三日ぶりの御相伴に与ることにしたのだった。



                △▼△▼△▼△



「――お嬢さんは一緒に騒がれないんですか?」


「……複雑な立場なのです」


 わいわいと、大勢で喚き合っている面々を遠目に見ながら、話しかけてくる少年にタンザはため息まじりにそう答えた。

 知っている相手と、背丈と手足の長さ以外はそっくりな少年。どこまで事情を知っているのかわからない彼に、自分の心情を吐露するのは躊躇われた。


 ヒアインからもたらされた、あの黒髪の少年の驚きの素性についてはもちろんのこと、そんな相手に対するタンザの複雑な気持ちも。


「ヨルナ様……」


 キモノの合わせに手を添えながら、タンザは自分の大事な主のことを思う。

 そして、ヨルナの抱いている願いと、その願いと無縁ではない人物、どうやらその相手と無縁ではないらしい少年と、ごちゃごちゃは掻き回される一方だった。

 ただ、はっきり言えることがあるとすれば――、


「――私は、シュバルツ様を頼る以外に手段がない」


 本当に信じていいのか、という疑問が撤廃され、それだけは真となった。

 その後のことは、どこまで一緒にいけるかはわからないまでも。


「なるほど、本当に複雑極まるといった表情で実に哀愁漂いますね」


「――――」


「いやはや、バッスーも罪な男ですね! さてはてしかし」


 こちらの心情なんてお構いなしに、横では明るく少年が口の端に笑みを覗かせる。ただその笑みが、これまでの少年のどんな笑みよりも不気味に見えて。

 タンザは微かな身震いを感じながら、少年の続く言葉を聞いた。

 それは――、


「――そろそろ事態が動かないと、僕の辛抱が切れかねない。なんてね」



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― 新着の感想 ―
[一言] わーい、偶然に偶然が重なって地獄絵図の下地が出来てますねぇ。
[一言] セシルス裏切りフラグ立った笑笑
[良い点] 祝!ナツキ・スバル、なろう主人公化。
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