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第七章63 『スパルカ』



 ――時は、わずかに遡る。



「――これより、諸君にはこの島の剣奴となるための資格があるか、試させてもらう」


 治癒室から連れ出され、無理やり押し込まれた部屋の中、グスタフはその四本のたくましい腕を組んで、ぐるりと周りを見渡した。

 その機械的で冷たい視線を向けられたのは、スバルを入れて全部で四人。


 薄汚いボロを纏った灰色の鱗をした蜥蜴人、裸の上半身や髪を剃ったハゲ頭の至るところに刺青の入った痩せ男、それに錆色の髪を伸ばした精悍な顔の若者。

 それらが、スバルと同じ部屋に押し込まれたものたちだった。


 今の話からして、グスタフ目線ではスバルと男たちは同じ立場なのだろう。

 ただし、放り込まれた側の目線だと、その考えには異論があるみたいだった。


「待て、グスタフ総督! 『スパルカ』を始めるつもりか? こんな子どもを人数に加えて? それは冗談ではないぞ!」


 背中を押され、部屋に入ったスバルを見た錆色髪の若者がそう怒鳴る。

 それなりに整った顔立ちだが、無精髭や疲労困憊の顔色、それに不満を訴える表情の苛立ちが良さをかなり削っていた。

 でも、見栄えはこの場では関係のない話。その証拠に、若者以外の二人もその熱に中てられたみたいにグスタフに食って掛かる。


「そうだぜ! ガキが何の役に立つ!? こっちゃ命がかかってんだ!」

「剣闘を残酷な見世物にしない。それが総督の方針と聞いたが……?」


「二人の言う通りだ。納得のいく説明をしてもらおう。そもそも、仮にその子どもを加えたとしても人数不足だ。五人一組と、そう話していたはずだろう!」


 蜥蜴人と刺青、錆色髪が一斉に声を上げ、グスタフへと怒りがぶつけられる。

 イマイチ、『スパルカ』の内容も、彼らと自分の関係も呑み込めていないスバルには、何とも口出ししづらい状況だ。ただ、何となくわかったこともある。

 どうやら、スバルはあの三人の期待を裏切ったらしく、そのことへの不満がグスタフにぶちまけられているんだと。


「……グスタフさん、みんなはこう言ってるけど」


「聞こえている、シュバルツ。腕と違い、本職の耳は君たちと同じで二つしかないが、十全に役割を果たせるつもりだ。この、一つしかない頭も」


「であるなら――」


「――沈黙せよ。本職の話を遮るならば、それは皇帝閣下の意を遮るも同然である」


 その一言で、錆色髪の続く言葉が押し潰された。

 グスタフは顔色も、声の調子も特別変えたわけじゃない。それでも、込められた言葉の意味するところの重みが、それまでと段違いに重かった。


 錆色髪だけでなく、他の二人も口を閉じる。それを見て、グスタフは頷いた。


「結構、では話を続ける。宣告した通り、これより諸君の『スパルカ』を始める。観客はすでに島内の住人である剣奴たちであり、外部の訪客は不在だ。諸君に大事な訪客の歓待を任せる実力があるか否か、そのための試金石でもある」


「観客……」


 不愉快な予感を覚えながら、スバルは小さく呟いた。

 現状、スバルがこうして押し込まれた部屋の手前まで一緒だった偽セシルス、その彼が別れ際に「頑張ってください! 僕は上で見てますので!」と言っていた。

 どういう意味か確かめなかったが、これで大体想像がつく。


「まさか、俺たちを戦わせるつもりとか……」


「はっ! 本気で何も知らねえガキか。だったら、お前みたいなのが混ざってくれて俺たちゃ大喜びしてるはずだろうが!」


「う……」


 思いつきを口にした途端、蜥蜴人に長い舌を出して馬鹿にされた。

 でも、彼の言い分にも一理ある。もしも、『スパルカ』がこの場にいるメンバーでやり合うことなら、子どもが混ざってくれるのは大歓迎のはず。

 むしろ、彼らが心配していたのは、スバルが戦力外だということで――。


「むしろ、俺たち全員で何かと戦わされる?」


「お利口さんだな、小僧。オレは気が短い。少し黙っていろ……」


 正解、と優しく褒める代わりに、刺青から血走った目で忠告された。

 とりあえず、チームプレイは最悪のところからスタートするのが決まった感じだ。なんて、軽口が叩いていられる状況でもない。


「いったい、私たちを何と戦わせるつもりだ?」


「鍛えた剣奴、とは言わない。君たちと彼らとではお話になるまい。本職から伝えられるのはそれだけだ。――敵は、いつも日の下に現れるのは限らないのだから」


「――? 謎かけか? 趣味の悪いことだな」


 錆色髪が、グスタフの言葉に口の端を歪めて応じる。

 それから彼は小さく息をつくと、「それで」と言葉を続け、


「沈黙を強いられようと、これだけは聞かせてもらう。その子どもが四人目だとして、五人目はどうなる。私たちの『合』は……」


「諸君の『合』、その五人目は治癒室で眠りについたままだ。そのものが目覚めない以上、『スパルカ』にはこの人員だけで挑んでもらう」


「正気か、総督……!」


「皇帝閣下の意に沿うのに必要であれば、正気と狂気のどちらでも使おう」


 冷淡なグスタフの答えに、錆色髪が埒が明かないと視線を逸らした。それから、錆色髪の視線がスバルの方に向けられ、「貴様」と声をかけてくる。

 それまでの剣幕と、いきなりの指名にスバルは頬を硬くして、


「な、なんだよ……」


「見たところ、ただの貧相な子どものようだが、何ができる? 特技は? 魔法は? 何かしら役立つ強みは持っているのか?」


「や、役立つ特技……」


 矢継ぎ早に聞かれて、スバルは慌てて目を泳がせた。

 残念ながら、縮んでからは鞭もまともに扱える気がしないし、魔法に関しても可愛いベアトリスがいなくては役立たずだ。それ以外の細々とした小技も、やっぱり小さくなっていたらまともには使えない。

 何も言えず、押し黙るスバル。その様子に錆色髪は額に手を当てて、


「本当に、ただの子どもなのか……なんてことだ」


 と、ひどくガッカリした声で呟くのだった。


「ひ、ひひ、ガキがいる上に人数も足りねえ。終わりだ、終わり! おーわーりー!」


「でかい声を出すな、鱗野郎。オレを怒らせて、死にたいのか……?」


「ああん? 聞こえねえよ、声が小せえんだ!」


 その、スバルと錆色髪のやり取りがさぞかし気に入らなかったらしく、蜥蜴人と刺青も大ゲンカを始めてしまう。睨み合って、今にも殴り合いを始めそうな二人。そこに錆色髪が「待て!」と大慌てで割って入っていく。


「私たちが争ってどうする! 思い詰めるのもわかるが、話を聞け! 私は、ここにくる前はやんごとなき方に仕えた戦士だった! 私の指示に従えば……」


「うるせえ! 戦士だっただぁ? ならなんでここにいやがる! 負けて捕虜にでもなったからだろうが! 縁起悪ぃんだよ!」


「他者におもねり、命を預けるほど愚かなことはない。オレの定めは誰にも操れん」


「き、貴様らぁぁぁ……!」


 しかし、割って入った錆色髪の言葉に蜥蜴人と刺青の二人は全然耳を貸さない。

 おまけに二人に言い返されて、錆色髪が顔を真っ赤にして怒り始めた。この先、何が待ち受けているのかわからないが、絶対にいい状況じゃない。


「ぐ、グスタフさん……」


「シュバルツ、本職から言えることはない。本職の意図はすでに伝えた通りだ。この剣奴孤島で流れる血の一滴までも、帝国の繁栄のためにこそ使う。一滴までも」


「……言い直してもらっても、意味わからねぇ」


 三人が揉み合い、置き去りのスバルはグスタフの言葉の意味が拾えない。

 そんな絶望的な状況に置かれた四人を見下ろしながらも、グスタフはそれ以上のことを何も言ってくれようとはしなかった。


 そして――、



                △▼△▼△▼△



 ――四人の関係性は最悪の状態のまま、問題の『スパルカ』が始まった。


「――――」


 高い壁にぐるっと囲まれた円形のフィールド、それが剣闘場と呼ばれる剣奴の舞台だ。

 壁の向こうには階段状の観客席があって、ぽつぽつと座っている人影が席を埋め、静かな熱気が会場全体に立ち込めているのがわかる。

 ただし不気味なのは、剣闘場を見下ろす彼ら――グスタフの説明通りなら、剣奴ということになる彼らが、とても大人しくしていることだ。


 スバルの勝手なイメージだと、こういう場で観客は下品に騒ぐものだと思っていた。

 でも、そうしたイメージ違いは仕方ないことかもしれない。

 だって、この孤島を管理して、支配しているのはグスタフなのだ。――あの融通の利かなそうな大男が、剣奴の下品な態度を許すとはとても思えなかった。


「廊下を走ってるだけで厳罰がありそう」


 などと、スバルは精一杯強がりながら現実から目を逸らす。

 そうでないと、今すぐにでも震える膝に無理させて逃げ出してしまいそうだ。


 ――ゆっくりと、開かれる鉄柵の向こうから姿を見せる魔獣の眼光に。


「――――」


 進み出てくる獅子の顔をした魔獣、そのどぎつい姿には見覚えがあった。

 前に、お下げの子が屋敷に連れ込んだでかい魔獣で、スバルの鞭の素材になった記念すべき相手でもある。名前は、パッと出てこないが。


「ら、らいおん……?」


「――ッッッ!!」


 そのスバルの呼びかけに答えるみたいに、魔獣もとい剣闘獣のライオンが吠える。吠え声が剣闘場に響き渡って、スバルの体の中まで音が響いた感覚。

 あのグスタフより大きい剣闘獣なんて、遠目に見るだけでも怖くてたまらないのに。


「あれを仕留めなくては、私たちは助からない」


 ライオンを睨みつけて、錆色髪の男が苦々しい声で言った。

 そう、そうなのだ。それがこの『スパルカ』を終わらせる条件で、スバルとこの三人が力を合わせてやり遂げなくてはいけない難題。


 勝ち目なんて、どこにも見えない恐ろしい難題だった。


「クソ、チクショウ、なんで俺がこんな目に……!」


「泣き言はいい加減にやめろ! 生き残るための術を全力で模索だ! あれを見ろ!」


「あぁ?」


 両手で顔を覆い、この世の終わりとばかりに嘆く蜥蜴人。その肩を叩いて、錆色髪が指差したのは、剣闘場の端と端――ライオンと対角線上に立っているスバルたちから見て、ちょうど会場の左右に当たる部分に見えるものだった。

 そこにそれぞれ、突き立っているものが見えて――、


「――あれは剣、か?」


「お、俺にもそう見える……!」


 刺青の言葉にスバルが同意すると、ぎろっと冷たく睨まれた。でも、味方の同意は得られなくても、見たものが煙みたいに消えるわけじゃない。

 そこに刺さっていたのは、確かに二本の剣だった。


「武器も持たせず、ただ徒に剣闘獣の餌にするような真似はしないだろう。まずは武器の確保が最優先だ。ただし、使えるのは右の剣だけだ」


「……そうだな」


 錆色髪の言葉に、刺青が頷いて同意する。声を発したら睨まれると思って何も言わなかったが、スバルもおんなじ意見だった。

 だって、右の剣は小さいが、左の剣はあんまりにも大きすぎたから。

 それこそ左の剣は、グスタフが使うための剣じゃないかと疑いたくなるくらい大きく、刃も分厚くて、とても振り回せるものじゃない。


 仮にスバルが小さくなってなくても、持ち上げることもできなさそうな巨大さだ。

 たぶん、錆色髪や刺青も、あの大きすぎる剣は使えないのだろう。

 だから、武器として使えるのは小さい方の剣だけ。あの大きい剣が使えるメンバーがいてくれたら、きっと心強かっただろうに。


「あの巨大さだ。武器を手に入れ、剣闘獣の目を狙うしかない。頭の中身を掻き回し、奴を仕留める。それが、私たちの唯一の勝ち筋だ」


「……剣は使えるのか?」


「言ったろう。私は戦士だったんだ。貴様らより、よほどうまく使える」


 錆色髪が自信ありげに答えて、刺青が片目をつむって考え込む。その無言を肯定と強引に判断したらしく、錆色髪はスバルと蜥蜴人に振り返ると、


「開始の宣言があったら、私はあの剣の確保へ向かう。その間、無防備になる私に剣闘獣を近付けるな」


「ち、近付けるなって、どうすれば?」


「声や音を出して注意を引けばいい。そのぐらい自分で考えろ!」


「わ、わかったよ……」


 錆色髪に強く言い返され、スバルは大人しく頷いた。

 かなり怖い作戦で向こう見ずでもあるが、他の方法が浮かぶわけじゃない。それに錆色髪が自信通りの剣の使い手なら、ライオンを倒せる。

 この恐ろしい『スパルカ』を終わらせて、身の振り方を考えられるはずだ。

 だから――、


「――では、『スパルカ』を開始する!!」


 太くて荒々しいグスタフの宣言があって、解き放たれるライオンが低く身構える。

 その威圧感に気圧されながら、スバルは錆色髪が武器を確保するまでの時間を稼ぐために、剣闘獣の注意を引こうと息を吸い、


「ぐああ!?」

「――っ!?」


 大声を出すより早く、すぐ真横で錆色髪が地面に倒れ込むのを見て絶句した。

 グスタフの宣言の直後に走り出す予定だった錆色髪、その彼が地面に倒れている。それだけでも驚いたのに、もっと驚いたのは倒れた彼の顔が蹴り飛ばされたことだ。

 それをしたのは、仲間のはずの刺青だった。


 彼は走り出そうとした錆色髪に足払いをして、転んだ彼を蹴り飛ばしたのだ。そして、錆色髪が大の字に転がるのを見届けてから、


「言ったはずだ。他人に命を預ける気はない……」


 そう言って、刺青は勢いよく走り出し、小さい剣を取りに向かった。

 いきなりのことにスバルも目を丸くして、どうすればいいか右往左往してしまうが、


「お、俺は御免だ! 死んで、死んでたまるかよぉ!」


「ちょっと!?」


 裏返った声で叫んだ蜥蜴人が、ライオンに背中を向けて逃げ出す。そのまま彼は剣闘場の壁に張り付くと、ゆっくりとその鱗の色を変え始めた。

 灰色の鱗が壁の色に同化して、その大きな体がビックリするぐらい見えにくくなる。


 一人は仲間を出し抜いて、一人は壁に張り付いて、一人は仲間にやられて、そして最後の一人はその状況に混乱して、目を丸くして慌てるばかり。


 ――これ以上ないぐらい、最悪のスタートだ。


「ど、どうしたら……」


 いいのか、とスバルは顔を青くしながら、ライオンの方を見る。

 この一体感ゼロの集団を見て、剣闘獣はどんな印象を抱いたのか。あるいは、振り向いた瞬間にその牙がスバルを貫くかもしれないと怯えて。

 しかし――、


「――――」


「え?」


 始まりが宣言され、さぞかし馬鹿なスバルたちを弄んでくるだろうと思った剣闘獣。でも、当のライオンは最初に作った前のめりの姿勢のまま、微動だにしていない。

 まるで、始まりの宣告がされてないみたいに。


 と、そう考えてスバルは気付く。――その、感じた印象の通りだということに。


「だ、ダメだ――!」


 手を伸ばして、とっさに声をかけようとしてもその先が続かない。

 だって、スバルは彼の名前を知らなかった。知らない相手の名前は呼べないし、知らない相手を呼んでもどれだけ力があるだろうか。

 だから、スバルの声に力はなかったし、その先の出来事も止められなかった。


「取ったぞ、これがあれば……」


 仲間を出し抜き、勢いよく走った刺青が剣闘場の地面に刺さった剣に辿り着いた。

 彼はほくそ笑み、剣を地面から抜き取って、手の中の感触を確かめる。その冷たい金属の感触と重みが、無手だった彼にどれだけ勇気を与えたのだろう。


 颯爽と振り返る彼は、まさに敵なしと言わんばかりの顔だった。


「――ッッ!」


 その刺青の顔が、振り切られたライオンの前足に容赦なく吹っ飛ばされる。

 鋭い爪が刺青の首から上を刎ね飛ばして、死んだことに気付くのが遅かった体から、あとになって血がビュービューと噴き出した。


「ひ」


 その、恐ろしい光景を目にしたスバルの喉が凍り付く。

 それと同時に、気付くのが遅かった自分を心の底から馬鹿だと呪った。


 ライオンは、刺青が剣の柄を握った瞬間に起き上がった。

 あれが、ライオンにとっての本当の開始の宣言だったのだ。開始の宣言がかかるまで、スバルたちには作戦を練る時間がきっとまだ許されていた。

 それを、スバルたちは焦って、不安で、台無しにした。


「――ッッ!!」


 甲高い音を立てて剣が地面に落ちると、頭のない刺青の体も後ろ倒しになる。そんな獲物の死に無関心で、ライオンは大きく吠えると、その大きな四本の足を使って猛然と走り始めた。――真っ直ぐ、剣闘場の壁の方に。


「よせ、よせよせよせよせ、くるなくるなくるなぁぁぁ!!」


 ライオンが、どんな方法で壁に擬態した蜥蜴人の居場所を見つけたのかはわからない。わからないが、近付いてくるライオンに耐え切れなくて、蜥蜴人が悲鳴を上げて逃げたのが決定打になったのは間違いなかった。


「――ッッ」


 頭から壁に突っ込むライオン、その強烈な頭突きが逃げ遅れた蜥蜴人の下半身を押し潰して、車に轢かれたカエルみたいに蜥蜴人の中身が飛び出した。


「ぐえっ」


 押し潰された口から吐き出された内臓、それはちゃんと赤やピンクの色をしていて、壁と同じ色に化けていても、中身はそのままなんだとぼんやりスバルは思う。

 そう思うスバルの前で、潰れた蜥蜴人が死んでしまったのもはっきりわかった。

 そして――、


「なんという……なんという、馬鹿なことを」


 頭を振りながら、二人の死を目にした錆色髪が力なくそうこぼした。

 彼は彼なりに力を合わせて、この状況を乗り切ろうと必死だったはずだ。なのに、仲間の一人に出し抜かれ、逃げられ、その可能性は完全に消えてしまった。


 錆色髪も、刺青や蜥蜴人に期待したことをスバルができると思ってくれてはいまい。

 もし期待されていても、それに応えられるとはスバル自身が思えなかった。

 そんなスバルの心の声が、目を見た彼には伝わったのかもしれない。


「……私の後ろにいろ」


 絶望的な状況と悟ったとき、最後を前にどれだけの人間が強がれるだろう。

 武器を手にできず、仲間もなくした錆色髪の男、彼にできたのはせめて最期の瞬間を高潔に迎えたいと思うことだったのだろう。


 子どもであるスバルを背中に庇って、彼は振り向くライオンを睨む。

 その視線を受けて、ライオンは小さく唸ると、たくましい四本の足で地面を蹴って土煙を立てながらスバルたちの方に駆け寄ってくる。


「う、うう……っ」


 あっという間の出来事に、頭があまりにも回らない。

 ここに頼れる仲間の誰かがいれば、どうにかする方法が思いついたのか。

 ルイが、ミディアムが、フロップが、タリッタが、アルが、アベルが、ミゼルダが、ホーリィが、クーナが、ウタカタが、レムが――。


 誰か、仲間がいれば、どうにかできたのか。


「俺は……」


 こんなところで、とスバルは震える声を絞り出そうとした。

 でも、それはできなかった。それをするより早く、ライオンがスバルたちに辿り着いたから――じゃない。


 スバルの肩が掴まれて、無理やり前に押し出されていたからだ。


「嫌だ、死にたく、死にたくない――っ!!」


 悲鳴を上げて、錆色髪の男がスバルをライオンの前に突き飛ばした。

 目を丸くして、恨み言を言う暇もない。ただ、真っ直ぐに突っ込んでくるライオンの体当たりを食らって、スバルの体は木の葉みたいに軽々と飛んだ。


「――――」


 なんて、か弱い体なんだろうか。

 剣闘獣の体当たり一発で、スバルの体は呆気なくバラバラになった。手足が千切れたわけじゃないけれど、中身は全部バラバラの粉々だ。

 骨も内臓も、全部がトラックに撥ねられたみたいに壊れて、ぐしゃぐしゃになる。


「助けてくれ! 私は、間違いだ! 嘘だったんだ! 戦士なんて嘘っぱちだ! そうして箔を付けようとしただけだ! 出してくれ! 出してくれええ!!」


 くるくると、宙を飛んでいるスバルの真下で、壁に飛びついた錆色髪が泣き叫ぶ。彼が必死で訴えているのは、壁の上にいるグスタフだ。

 でも、グスタフは鼻水まで垂らして泣き叫んでいる男を見ても、眉一つ動かさないで淡々とした顔をしていた。


 ひょっとしたら、錆色髪の嘘を知っていたのか。

 もしかしたら、嘘でも本当でもちっとも興味なんてないのか。


 どっちだったとしても、どうにもならない。


「たす――」


 壁に縋り付いて訴える錆色髪が、真後ろから突っ込んだライオンの前足に撥ねられて、そのまま壁にトマトを投げつけたみたいに潰れた。


 刺青も、蜥蜴人も、錆色髪も、全員が剣闘獣の前に倒れて。


「――ッスー、バッスー、聞こえますか?」


 ふと、うるさい耳鳴りの中に声が聞こえて、スバルはぐったり首を動かした。

 そうしてみて初めて、吹っ飛ばされた自分がいつの間にか地面に落ちて、転がっていたのだと事実に気付く。気付いても、仕方ないけど。


 それと、声がしたのは壁の上で、そこから地面に転がるスバルを見ている人影が。

 青い髪をくくった、何とも小憎たらしい顔をした少年が。


「すみません、僕の見込み違いだったみたいです。やれると思ったんですけどやっぱり父さんみたいにはいきませんね。僕に人を見る目はないようです!」


「あ、ぁ……」


「一応、連れの子が起きたら伝えたいこととかあります? そのぐらいの言伝はするのが筋かなと思うのでこの機会にどうかなと!」


 呻いているスバルを眺めながら、まるで態度が変わらない偽セシルス。

 考えてみたら目覚めたときも、治癒室で話したときも、こんな風に今にもスバルが息絶える寸前でも、彼の態度はちっとも変わらなかった。

 その、とてもまともとは思えない死生観は、オオカミ少年のはずの偽セシルスなのに、ちょっと本物っぽく感じる要素のような気がして。


 だとしたら、彼はこのヴォラキア帝国の、一番強い将軍だから。


「――ぃ」


「え? なんです? バッスー、最後なので大きい声でお願いします! 間違った伝言になると悔やんでも悔やみ切れないと思いますよ」


「だい、嫌いだ……」


「――――」


 耳に手を当てて、スバルの声を聞き取ろうとする偽セシルスにそう言い放つ。

 その言葉に偽セシルスが眉を上げた。もう少し、喉の奥から声を出して。


「帝国、なんか、大嫌い、だ」


「――ええ、ええ、確かに。しっかりと覚えて伝えておきますよ、バッスー」


 恨み言をしっかりと受け止めて、まるで他人事みたいな顔の偽セシルスを呪う。

 けれど、その呪いが帝国を滅ぼしてくれるかは、スバルには確かめられない。

 だって――、


「――――ッッ」


 自分と戦う四人のうち、最後の一人に残したスバルの下へやってくる剣闘獣が、その大口を開けて容赦なく、スバルを頭から丸呑みにしてしまったのだ。


「――っ」


 もう、全身の骨がバラバラなのに、ライオンの牙が万遍なく体を切り裂く。

 不幸中の幸いだったのは、もう体がとっくに痛みがわからなくなるぐらいグシャグシャだったから、噛まれても削がれても、嫌だなぁぐらいにしか思わなかったこと。


 あとは、頑張って喉に詰まってやろうかとしたけれど、それもできなかった。


 最後のひと噛みが、悪巧みをしようとした頭を噛み砕いてしまったから――。



                △▼△▼△▼△



「あれを仕留めなくては、私たちは助からない」


 周りが蠢く赤黒い肉に囲まれて、しばらくもみくちゃにされた直後だった。

 不意打ちみたいに聞こえた声が、スバルを現実に引き戻す。ただし、それは起きても悪夢と勘違いしたくなるぐらい、どうしようもない現実だ。


 うるさく感じる静かな熱気と、乾いた砂が敷かれている剣闘場の地面。

 すぐ傍には目の前にやってくる最悪の瞬間を、それぞれ自分の命を最優先で守るために色々企てている仲間たち――違う、ただ同じ境遇の奴らだ。

 そう思ってなくちゃ、さっきの出来事なんてとても受け入れられない。


「うあ、ああ、あああ……っ」


 よせばいいのに考えてしまった。

 そのせいで、スバルの全身が剣闘獣の体当たりを、噛み砕かれる恐怖を、現実への投げやりな怒りを、思い出してしまう。

 思い出したら、とても立っていられない。


「くっ、所詮は子どもか……ええい、もういい! 貴様ら、あれを見ろ!」


「あぁ?」


 蹲るスバルを余所に、錆色髪の指示で刺青と蜥蜴人が用意された大小の剣を見る。

 ただ、彼らの注目が集まるのは当然ながら小さい方の剣だ。使えない大きい剣は無視されて、その確保と、剣闘獣の撃破が方針として定められる。


「……剣は使えるのか?」


「言ったろう。私は戦士だったんだ。貴様らより、よほどうまく使える」


 さっきも聞いた話が淡々と続いて、スバルの内に沸々と不安が燃え始める。

 だが、不安と恐怖に囚われたままでいるには、それは聞き逃せない発言だった。


「――嘘だ」


「……なに?」


 ふと、男たちの作戦会議にスバルの声が割って入る。

 それを聞いた途端、錆色髪の男の声の調子が変わった。男が振り返って、蹲っているスバルを見下ろす。スバルは膝をついたまま、男の顔をじっと見つめた。

 そして、もう一度重ねる。


「戦士なんて、嘘だ。あんたは嘘っぱちを言ってる!」


「な、何を根拠に……! 貴様、子どもだからといって侮辱するつもりか!?」


「侮辱はどっちだよ! 嘘ついて、自分を立派に見せようとしてるあんたの方がずっと侮辱だ! こんな状況で、見栄なんか張ってどうすんだよ!」


「ぐ、ぐ……っ」


 大きな声で怒鳴れば子どもを黙らせられると思ったのか、むしろ反発して噛みつくスバルに錆色髪は目に見えて狼狽えた。

 その動揺っぷりは、話をしていた刺青にも見て取れたのだろう。


「……おい、その小僧の言葉は本当か? お前は戦士ではなく、オレを謀ろうとしたということか?」


「ま、待て、子どもの戯言だぞ!? 命が懸かった場で下らないことに……」


「命が懸かっているからこそ、オレを納得させてみろ……」


 刺青が錆色髪の胸倉を掴み、そのガイコツ風の絵が入った顔を怒りで歪める。その剣幕に錆色髪が唾を呑み込んで、息苦しそうに低く喘いだ。

 思わず口を挟んだせいで、こんなケンカが始まってしまった。見れば、ケンカに混ざらない蜥蜴人はじりじりと後ずさりしていて、逃げる準備を始めている。


 スバルが口を挟んだことが切っ掛けとはいえ、またしてもこのチームはバラバラの、空中分解状態だ。

 しかも、スバルたちがそんな状態であろうと――、


「――では、『スパルカ』を開始する!!」


 と、戦いの始まりの宣告を先延ばしにしてくれるグスタフではないのだ。


「お前、何か申し開きは――」

「う、ああああ――っ!!」


 太い声が高らかに開戦を宣言し、直後に裏返った男の声が剣闘場を切り裂く。

 見れば、叫んでいたのは錆色髪に詰め寄っていた刺青だった。どうやら、胸倉を掴んだ手に噛みつかれ、指を食い千切られたらしい。

 錆色髪が口元を血で染めながら、声を上げる刺青の胸を突き飛ばして剣に走る。


「お、俺は御免だ! 死んで、死んでたまるかよぉ!」


 そうして錆色髪が剣に向かって走るのと反対に、蜥蜴人はさっきと同じように剣闘場の壁に張り付いて、鱗の色を変える擬態行動を始めている。

 指を二本なくした刺青は右手を抱えて蹲っていて、スバルはさっきよりもさらに悪い事態を目の前に、膝がガクガク震えていた。


「余計な、ことを……! 素直に、私の言う通りにすれば!」


 そんなスバルたちを余所に、血走った目の錆色髪が小さい剣に辿り着く。

 彼は自分の嘘を見抜かれたことや、刺青に掴みかかられたことを呪いながら、その手を伸ばして剣を地面から抜き取り、戦士感たっぷりにそれを構えた。


「――――ッッ」


 そこに猛然と、『開始』の合図を受け取ったライオンが飛びかかった。

 起こった出来事は、直前の刺青が剣を取ったときとほとんど同じだ。錆色髪は構えた剣を振る余裕もなく、剣闘獣の前足を食らって両腕を吹っ飛ばされる。

 しっかりと剣を握ったまま、肘と二の腕で錆色髪の両腕が千切れ、目を丸くした錆色髪が「ぁ」とか細い声を漏らした直後、ライオンの強烈な体当たりが腕のない男の体を撥ね飛ばして、頭から壁に叩き付けた。


 錆色髪の男が壁の染みになり、咆哮する剣闘獣がスバルと刺青を無視して、そのまま剣闘場の背後の壁に猛然と走っていく。


「よせ、よせよせよせよせ、くるなくるなくるなぁぁぁ!!」


 その走ってくるライオンの威圧感に、せっかく壁に化けた蜥蜴人が絶叫する。

 叫んで位置を教えてしまった蜥蜴人は、慌てて位置を変えようとしたが間に合わない。ライオンの突進に下半身を潰され、内臓を吐き出させられる致命傷だ。


 そして、あっという間に二人を殺したライオンが、ゆっくりとスバルと刺青の男の方に振り返り、血腥い唸り声を上げる。


「ひ……」


「クソ、ここまで最悪を引き続けるか……」


 脳が痺れて、麻痺していた思考がゆっくりと活動を始める。そのせいでスバルの体が恐怖を思い出し、歯がカチカチと鳴って、内臓がキュッと締め付けられる。

 歯軋りする刺青の言う通り、最悪の上に最悪を重ねて、さらに最悪を引いたぐらいどうしようもない結果になってしまった。


 錆色髪を、嘘つきだと言っても何の意味もなかった。

 あそこで錆色髪の嘘を暴いても、何もいいことなんてなかったのに、スバルは考えなしにそれをした。そのせいで、全部ごちゃごちゃに。


「……まだ、生きる気はあるか、小僧」


「え……」


「生きる気があるなら、剣を拾え」


 視界が潤んで、今にも泣きじゃくりそうなスバルに刺青がそう言った。

 見れば、刺青は血の流れる右手で地面を叩き、脂汗を掻きながら立ち上がるところだ。そのまま彼は顎をしゃくって、転がっている剣――錆色髪の、もぎ取られた腕と一緒に落ちているそれを示した。


「あの化け物はオレが引き付ける……お前は剣を拾って、オレに投げろ」


「で、でも……」


「指二本足りなくても、オレの方が小僧よりマシに使える……」


 そうはっきり言われると、スバルもぐうの音も出ない。

 大小二本の剣があるから、比べて小さい方と言っているものの、それでも子どもの体で扱うには十分長くて大きい剣だ。刺青の言う通り、スバルが両手で振っても、その重さと長さに振り回されるのがオチだろう。


 ただ、刺青が剣を持って、それでライオンを倒せるかと言われたら、そんなことも絶対ないのだと、前回の彼の死を知るスバルは考えてしまう。

 それでも――、


「俺も、諦めたく、ない……」


「……お前は、詐欺師と臆病者よりマシだ」


 痛みに耐える刺青が唇を歪めて、スバルの決意を歓迎する。

 そのまま、刺青はじっくりとこちらを観察しているライオンを睨んで、じりじりとスバルと距離を広げながら、


「ヴァイツだ……」


「……え?」


「オレの名前だ、シュバルツ」


 シュバルツと呼ばれて、スバルは驚きに目を見張った。

 どこでその名前をと思ったが、スバルをシュバルツと呼ぶのはグスタフだけだ。だから刺青――ヴァイツは、最初の顔合わせで呼ばれた名前を覚えていた。

 もちろん、それが何かの足しになるわけではないし、ヴァイツが前回、錆色髪を出し抜こうと卑怯な真似をしたのもわかっている。

 わかっているが――、


「――いけ!」


 ヴァイツがそう叫んだとき、それを頼りに走り出すのを躊躇しない理由にはなった。


「――――」


 悲鳴を上げたい気持ちをぎゅっと堪え、スバルは全力で剣闘場の地面を走る。

 当然、遅い。子どもの体は手足が短いし、恐怖と緊張で委縮した内臓は痛みがひどい。ただでさえ力不足で苦しむことが多いのに、あんまりな体だ。

 それでも必死に走った。走って、走って、走って、剣に辿り着く。


「う、く……!」


 剣には錆色髪の両手がくっついていて、見ただけで思わず吐きそうになる。でも、吐いてる場合じゃない。

 ぎゅっと固い指を一本ずつ剥がして、無理やり剣から錆色髪の手を外した。

 そして、息を荒くしながらスバルは剣を持ち上げる。


「やった、外れた!」


 大きく息を吐いて、スバルは取り上げた剣を掲げる。それから振り向いて、ヴァイツの方に剣を投げ渡そうとして――、


「シュバルツ!!」


 必死なヴァイツの声が、スバルの全身の産毛を逆立てた。

 振り向いたスバルの視界一杯に、大口を開けたライオンが迫ってくる。瞬間、食べられる鹿の気分になって、ライオンの動きがスローモーションに見えた。


「――――」


 ゆっくりと、近付いてくる怖い顔のライオン。

 これならよけられそうなのに、それを見ている自分の動きもスローモーションなせいで全然逃げられない。ただ、振りかぶった剣を投げる動作は続いていた。

 せめて、ライオンの攻撃が当たる前に、剣を投げるのだけはやり終えたい。


 ――急げ、急げ、急げ急げ急げ急げ急げ!!


 もどかしい遅さの中、スバルの心の声が必死に叫んで、腕や指に願いを込める。

 それが届いたのか、ようやくスバルの手から剣が離れ、それがくるくると縦に回転しながら、飛び込んでくるライオンの横を抜けて、ヴァイツの方に飛ぶ。


 指の足りない手を伸ばしたヴァイツが、ライオンに襲われるスバルに何か叫んでいる。でも、その叫びの正体はわからない。わからなくても、よかった。

 とにかく、その投げた剣をうまく使ってくれさえすれば。


「う、わああああ――っ!!」


 役目を果たしたと思った直後、ゆっくりだった世界が元通りになる。

 吠えるライオンが飛び込んできて、悲鳴を上げるスバルは自分が剣闘獣の爪か牙で引き裂かれると思って尻餅をついた。ぶわっと噴き出してくる涙と鼻水が顔を汚して、スバルは自分の死に顔がすごい情けないものになるのを覚悟する。

 なのに――、


「――え?」


 スバルを殺すはずのライオンの攻撃が、届かなかった。

 だって、ライオンが前足をスバルの目の前に地面に突き刺して勢いを殺して、そのまま真後ろのヴァイツに跳ね上げた後ろ足を叩き込んだからだ。


「ぶ」


 スバルの投げた剣を受け取って、ライオンの後ろから斬りかかったヴァイツ。そのヴァイツの刺青だらけの顔が、ライオンの後ろ足の蹄を食らって粉々になる。

 さっきと同じで、またしても首から上を吹っ飛ばされてヴァイツは死んだ。振りかぶった剣がすっぽ抜けて、空しく遠くの地面に転がる。


「――――ッッ」


 そしてゆっくりと、ヴァイツを殺したライオンの意識がスバルに向いた。

 そこには見逃してくれるなんて甘さはなく、ただただ獰猛な殺意だけがあって。


「バッスー! バッスー! すみません、そこから挽回できそうですか?」


 背後、剣闘場の観客席から声をかけてくるのは、この無様な戦いを眺めていた偽セシルスだ。彼は尻餅をつくスバルを見下ろしながら、


「秘めたる力の覚醒とか仲間の非業の死を切っ掛けに封印した技を解禁するとかそういうやつです! ありそうですか? なさそうですかね?」


「……ないよ、そんなの」


「うーん、ですよね。すみません、僕の見込み違いだったようです! 連れの女の子に言伝とかありますか? そのぐらいするのが筋かなと!」


 さっきの死の瞬間と変わらない、とても気安い調子で言われ、スバルは「は」と息をこぼした。さっきと違うのは、まだスバルの体の骨はバラバラじゃないこと。

 このあと、バラバラになるかもしれなくても、死ぬほど怖くても、それでもまだ死んでいないから。


「セッシー、一個だけ聞かせて」


「言伝じゃなく質問ですか? いわゆる死後への土産的な? 果たして僕の答えがバッスーのそれに見合うかどうかここは花形役者の輝き度が試される――」


「あのライオンは、なんでさっき俺を殺さなかったの?」


「――ふむ」


 目の前の剣闘獣を指差して、スバルは壁の上の偽セシルスにそう問いかける。

 オオカミ少年である彼から、スバルの欲しい真っ当な答えが返ってくるかはわからない。ただ、最後の悪足掻きにしては悪くないと、そう自分を慰めただけ。

 そんなスバルの質問に、偽セシルスは自分の細い顎を撫でながら、


「それは簡単ですよ、バッスー。――たとえ獰猛であろうと獣は獣。なれば、獣は本能によって狩りをするのみ。本能とはすなわち、生きる力です」


「……どういうこと?」


「バッスーがあの獣なら、誰から狙いますか?」


 謎かけみたいな言い回しが、スバルを単純な問答に落とし込んでくれない。

 苛立ちながら、スバルは偽セシルスのその言葉の意味を考えた。もしもスバルがあのライオンなら、いったい誰から狙うのかと。

 狙うなら、どんな理由があるのかと――。


「――ぁ」


 ふと、思い至った。そういうことかと、腑に落ちる。

 そして――、


「あの子が目覚めたらバッスーは勇敢だったと伝えておきますよ。僕は嘘が下手なので勇敢であってくれて助かりました!」


 そんな無神経な声が聞こえたが、言い返す暇はなかった。

 理解に達して目を見開いたスバルへと、正面に立ったライオンが前足を振り下ろした。


 ぐしゃり、自分が潰れる音を、スバルは初めてちゃんと聞いた。



                △▼△▼△▼△



「あれを仕留めなくては、私たちは助からない」


 頭が潰れて、肩が潰れて、体が潰れて、尻が潰れて、全部潰れた。

 ゆっくりと、人間の体が耐えられない重さと速さの攻撃を喰らうと、あんな風に体は壊れていくんだと、スバルは他人事みたいにそれを味わった。


 もちろん、本当に他人事にはできない。

 できたら、もっと苦しみは少なくて済んだ。痛いのも怖いのも最低限で済んだ。それでもスバルが考え方を考えられるのは、カオスフレームも経験が大きい。


 ――あの、地獄のような十秒間。


 あれがあったから、スバルはほんの数秒の大切さが身に染みてわかっていた。

 身に染みてわかっていたから――、


「クソ、チクショウ、なんで俺がこんな目に……!」


「泣き言はいい加減にやめろ! 生き残るための術を全力で模索だ! あれを――」


 すぐ傍らで、蜥蜴人と錆色髪が目の前の状況を受け入れるのに必死になっている。

 その、もう知っている会話を聞きながら、スバルは叫ぶ。


「ヴァイツ! そいつを押さえてくれ!」


「なに……?」


 スバルがそう叫んだ瞬間、刺青――ヴァイツの顔の刺青が困惑に歪んだ。

 当然だろう。一度も名乗っていないのに、スバルは彼の名前を知っていたのだ。しかも名前を呼ばれても、不気味な子どもの言いなりになろうなんて思えまい。


 でも、困惑したヴァイツも、いきなりのスバルの大声に驚いた錆色髪も蜥蜴人も、スバルのいきなりの行動を止める暇はなかった。

 そして――、


「――ライオン! 誰を狙う!?」


 叫んだスバルの小さい手が、地面に突き刺さった剣を強引に掴み取った。

 その瞬間、グスタフの号令を待たないで剣闘獣が吠え、その足が地面を蹴り、猛然とスバルへと突っ込んでくる――。


『バッスーがあの獣なら、誰から狙いますか?』


 謎かけみたいな偽セシルスの言葉が、スバルの脳裏に痛みと共に焼き付いている。

 そう、そうだ。もしもスバルがライオンなら、『危ない奴』から狙いを付ける。例えばこの場所では、武器を持っている奴を。


「――――ッッ」


 吠えながら、突っ込んでくるライオンの顔にスバルは奥歯を噛みしめた。内臓が震えるような恐怖があるが、負けない、逃げない、泣きもしない。

 もう二回殺されて、あと何回、こんな怖い目に遭ったとしても。


「ガキだからって、すぐ泣いて投げ出すと思うなぁ!!」


 卑怯者と臆病者と詐欺師と協力して、全力で、全開で、全身全霊で、この『スパルカ』を戦い抜く。



 ――決意の瞬間、ライオンの強烈な前足がナツキ・スバルの三度目の挑戦、その命を猛然と吹き飛ばしていった。



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― 新着の感想 ―
Incrível!! Vai Bassu~ kkkkkkk maldito fica só assistindo como se não fosse da conta dele kkkkk amo S…
[一言] リゼロスで出てきてたメリオと同じ種族?すごく気になる
[気になる点] うーん、スバルが子供のままなのが死に戻り回数が増えて余計な遅延要因にしかなってない様に見えるのがモヤる
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