第七章48 『思惑絡み合いし魔都』
羊人の少年を見据え、容赦のない問いを投げるアベルにスバルは目を見張る。
彼の口が紡いだ名前、それがあまりにも予想外のものだったから。
「タンザって、あの女の子か……?」
混乱するスバルの頭の中に、キモノ姿の鹿人の少女の姿が浮かんだ。
ヨルナの付き人であり、昨日の天守閣にも、今日の宿にも姿を見せた子で、まだ子どもなのにとても落ち着いていたのと、無愛想だったのが印象的だった。
そんな子が、これを仕組んだまとめ役だとアベルは断言していて。
「い、意味がわからない! なんで、あの子が俺たちを……わぶっ!」
「うあう!」
アベルの考えを聞こうと声を高くした途端、衝撃に飛びつかれてスバルがひっくり返る。見れば、仰向けのスバルに馬乗りになるのは笑顔のルイだった。
ものすごい暴れっぷりで、十人近い敵をあっという間に叩き伏せたルイ。そんな彼女の無邪気な様子に、思わずスバルは息を呑む。
――暴れ回ったルイの力、あれは紛れもなく、砂の塔で見たのと同じモノ。
ルイ由来の力ではなく、他の頑張って鍛えた誰かから奪った力そのもの。つまり、彼女が使ったのは『暴食』の――。
「……ど、どいてくれ」
「あう?」
「どいてくれってば!」
胸の上の少女の肩を押して、スバルは強引に体を起こす。と、その勢いでルイが尻餅をついたので、彼女のお腹――赤く染まる、白い生地も目に飛び込んできた。
それを見て、彼女がケガをしていたことを思い出し、
「傷は!? 手当てしなくちゃ……!」
「あう! あーうー!」
慌てて少女の服をまくり、傷を負った部分を確かめようとする。が、ルイはくすぐったがるように暴れ、スバルの顔や首を押して抵抗しようとした。
その抵抗にも構わず、どうにか服をまくって傷口を確認すると、そこにはじくじくと血が滲んだ形跡こそあったが、傷跡らしいものは見当たらない。
「治って、る……?」
確かに、出血の痕跡はあるのに傷はない。
まるで狐につままれたような心証を味わい、呆然となるスバルの胸をルイが両手で乱暴に突いた。もっとも、ルイが本気で突いた場合どうなるか、その答えは通りに倒れた何人もの人影が証明していることだったが。
ともあれ――、
「――答えよ。タンザはどこにいる」
スバルがルイの無事を確かめる傍ら、なおもアベルの尋問は続いている。
恐怖の圧迫面接は、アベルの眼力だけでなく、その後ろに立ったミディアムの刃も脅しとして仕事しているようだ。ミディアムにはそのつもりがなくても、アベルの後ろに立っているだけでその効果がある。
実際、少年はアベルとミディアムの二人を交互に見て、その細い喉を鳴らした。
「あ……」
「これで三度だ。答えよ。よもや、四度目があると思うな」
心から底冷えするような、そんな冷気を伴った残酷な声音だった。それを聞いて、少年は何度か口をパクパクとさせたあと、その瞳の炎をわずかに取り戻し、
「し、知るはずないだろ! タンザの居場所なら、あなたたちが……!」
「――――」
「あなたたちがタンザを……だから! 僕たちはこうやって!」
噛みつくように言い放ち、少年の腕が目の前のアベルに伸びる。
我が身を顧みない無謀、その指先がアベルの喉笛を掴んで握り潰そうとする。でも、それが届くよりも早く、小さな掌が少年の額を押さえ込み――、
「あう!」
そのまま、少年の頭を後頭部から地面に叩き付けて、昏倒させる。
哀れ、白目を剥いた少年は呻き声を漏らし、横倒しになって意識を手放した。
「る、ルイ……」
またしても、瞬きの間にルイの姿が掻き消え、別の場所に現れた。
砂の塔でも何度も見せた、『暴食』の用いる短距離ワープ――それを使いこなしている彼女に、スバルは胸が軋む思いを味わった。
その力が残っているということは、やはり彼女はルイ――ルイ・アルネブなのだと。
スバルの心を引き裂き、完膚なきまでに魂を奪い去ろうとした白い世界の少女。
『死に戻り』を祝福と勘違いし、スバルを化け物と呼んだ彼女なのだと。
「早急に、オルバルトめを見つけ出す必要があるな」
直前の、命を危うくしたやり取りも、逆に命を救われたことも眼中になく、ゆっくりと立ち上がったアベルがそう呟いた。
――オルバルトを見つけ出す。
その方針自体には、スバルももちろん賛成だ。
ただ、どうしてそれを今、改めて言い直したのかはわからない。それも、少年からタンザについて、意味のわからない話を聞かされた直後なのに。
「アルちん、立てる?」
「……あ、ああ」
武器を鞘に納めたミディアムが、蹲るアルに手を差し伸べる。
覆面で顔を隠したアルは、その表情はわからないのに青ざめていると想像ができるぐらい、ひどく沈んだ声でそれに答えていた。
そのアルへの心配も残したまま、スバルはようやく尻の土を払って立ち上がる。それからアベルの下へ向かい、
「さっきの、どういう意味なんだ?」
「それは何に対する問いかけだ?」
「それは! ……あの、タンザって子が黒幕だとか、なのにオルバルトさんを探そうとかそういう、そういう色々だよ! わかるだろ!」
「ふん」
小さく鼻を鳴らし、小馬鹿にしたようにアベルが鬼面の頬に触れる。
焦りや苛立ちもあって、その仕草がいたくスバルの癇に障った。だから、スバルは腹立ち紛れにぴょんと飛んで、アベルの顔からその鬼面を無理やり引っぺがす。
そうして、久々に露わになった顔で、アベルは不愉快そうにスバルを見下ろした。
「何のつもりだ?」
「何のつもりはこっちの言いたいやつだろ! 全部一人でわかってないで、ちゃんと説明してくれよ! 俺たちは仲間だろ!」
「――仲間だと?」
「う……」
素顔で正面から睨まれ、急速にスバルの勢いがしぼんだ。
面と向かって『仲間』と言ったものの、その表現はアベルを怒らせたかもしれない。そもそもスバルも、アベルを『仲間』と表現するのは気が咎めた。
思わず勢いで口走ってしまったと、そう反省する。が、その反省をここで口にしたら謝るみたいだったので、言えない。
「そうだよ、アベルちん。あたしたちは仲間なんだから、教えてくんなくちゃ」
そのスバルに代わり、そう言い放ったのはアルを立たせたミディアムだった。
彼女は腰に手を当てて、小さい体いっぱいを使ってアベルに抗議する。その真っ直ぐな言葉を受け、アベルは黒瞳を細めると、
「宿への刺客とこのものら、全員が有角人種だ」
「ゆうかく……角がある人たちってことだよな。それが?」
「――。有角人種には迫害の歴史がある。角が魔獣と類似すると、忌まれた過去だ」
「え……」
淡々としたアベルの語り口に、スバルは目を丸くした。
有角、それが理由で迫害された歴史。――そうした偏見は、スバルにとってとても身近で、だからこそ許せないものだった。
同じような理由で迫害された過去を持つエミリア、彼女はその容姿の特徴と出自が悪い魔女と似通っていることが理由で、大勢の人から嫌な思いをさせられてきた。
そして、有角人種と括られた亜人たちにも、同じような過去があるのだと。
「でも、そんな人たちがなんであたしたちを? 角のせいで怖がられてたのはわかるけど、わかんないよ?」
「幼童になったとはいえ、少しは頭を働かせよ。角を有することで迫害された歴史を持つものたちにとって、この都市……カオスフレームの在り方は救済だ」
「救済……いいところって意味か?」
「――ヨルナ・ミシグレは、己の懐に入れたものを決して手放さぬ。以前も、死した鹿人の娘一人のために反乱を起こしたほどだ」
腕を組み、その反乱を起こされた皇帝の口から裏事情が語られる。
過去に何度も反乱を起こしたとされるヨルナ、彼女が自分の仕える皇帝に牙を剥いた理由――それが、たった一人の誰かのためだったのだと。
その話を聞かされ、スバルが思ったことと言えば――、
「じゃあ、いい奴じゃん……!」
「たわけ。そのように易く括れたものか。――ヨルナ・ミシグレは自身を愛したものに肩入れする。そして、その円環の外にいるものに対して容赦せぬ女だ」
「え~、でも、好きな人に優しくするのは当たり前だと思う!」
「俺も思う」
ミディアムとスバルの見解に、賛同するようにルイが「あう!」と手を上げる。それらの様子を冷たい眼差しで一瞥し、アベルは小さく吐息すると、
「重要なのは、過去迫害された歴史のある有角人種らが、この都市で安寧を得ていたという事実だ。そして、その安寧の維持にはヨルナ・ミシグレの存在が欠かせぬ。つまり――」
「つまり?」
首を傾げ、アベルの言葉の続きを待つ。
が、一瞬、アベルはそうして首を傾げるスバルの方を見やり、言葉を溜めた。その意味がスバルにはわからなかったが、アベルは何度かの瞬きのあとで、続ける。
「つまり有角人種らにとって、ヨルナ・ミシグレを帝都への本格的な反乱へ加担させんとする俺たちの存在は、踏み固めた地盤を揺るがす見逃し難い敵ということだ」
「あ……っ」
そう言われ、スバルはようやく、羊人の少年の言動の真意を理解した。
通りに飛び出したスバルの腕を掴み、放り投げるときも苦しげだった少年――否、少年だけでなく、襲いかかってきた人々は皆、辛そうな顔をしていた。
あれはスバルたちを追い払うことの罪悪感と、自分たちの居場所がなくなることへの不安の表れだったのだ。だから、スバルを投げたときも少年は謝った。
「この人たちも一生懸命だったってことか……」
「同情、あるいは憐憫か。いずれにせよ、余裕のあることよな。このものらがこちらに敵対した事実を忘れるな。事情など、生きとし生ける全てにある」
「も~、アベルちん! その言い方、ダメ! あと、まだわかんないんだけど、この人たちにタンザちゃんのこと聞いたのは? あと、お爺ちゃん探しのことも!」
「……先の口ぶりからして、此奴らがタンザの居所を知らぬのは事実であろう。それも、どういうわけか、その居所をこちらが隠したと疑っている。何故だ?」
「なんでって、それは……どうして?」
意識のない少年を見下ろして、スバルはアベルの質問に頭を悩ませる。
ルイが気絶させる前、少年はタンザの居場所を尋ねるアベルに食ってかかっていた。あの剣幕が嘘とはスバルにも思えない。
だから、少年たちはスバルたちがタンザに何かしたと、そう思っていたことになる。
「そのせいで、俺たちを攻撃してきたってこと?」
「それが道理だ。だが、事実としてこちらはタンザに危害を加えていない。ならば、あの娘はどこに消えた? 加えて、百もの有角人種らはどこから現れた?」
「どこからって、外で待ち構えてたんだろ」
「誰に命じられてだ?」
間髪入れずに聞かれて、スバルは言葉に詰まった。
頭を回転させ、アベルの問いかけを柱に回答という建物を組み立てていく。しかし、それがちゃんと組み上がるより前に、
「――事前に、あの嬢ちゃんが言い含めてたってこったろ」
と、そう背後からアルが回答を横取りしていった。
先ほどまで口も利けない状態だったアル、その声に振り向いたスバルは、まだ本調子でなさそうな雰囲気の彼に「アル……」と声をかける。
「悪ぃな、兄弟、心配かけた。……まぁ、状況はよくなっちゃいねぇが」
「調子は戻らぬままか。それも、オルバルトの術技の影響であろうな」
「……オレもそれには異論ねぇよ。その話もしてぇが、先にしてた話を終わらせちまう方がいい。で、タンザ嬢ちゃんの話だ」
小さくなった手を振って、アルが意識的に感情を押し殺した声で答える。
調子を崩したアルの様子は気掛かりだが、彼の言う通り、話も途中だ。――タンザが事前に、外の人々を集めていたということだが。
「ええと、じゃあ、タンザが前もって角のある仲間を宿の周りに集めて、俺たちを襲わせようとしてたってこと? でも、それだと……」
「タンザちゃんはどこいっちゃったの?」
スバルの言葉に続けたミディアムの疑問、それがスバルの中でも出ない答えだ。
ヨルナからの指示を伝えに宿に現れ、そのまま退散したはずのタンザ。彼女があれこれと仕組んだ流れは納得できても、外の仲間たちの反応が変だった。
少なくとも、羊人の少年はスバルたちがタンザに何かしたと、そう信じていた。
「ってことは、嬢ちゃんの仲間たちは無事な嬢ちゃんを見てねぇ。……いいや、そもそも嬢ちゃんが宿から出てきたとこを見てねぇんだろうよ」
「それも道理だ。故に、俺たちが宿を離れるまで、中でタンザが話している可能性を鑑み、強硬手段に出ようとしなかった」
「でも! だったら、タンザちゃんはどこに――」
混乱に頭の中を殴られ、目を回しそうなミディアムが悲鳴みたいにそう言った。
だが、そこまで丁寧に順序立ててもらえば、スバルにもアベルの考えがわかった。たぶん、アベルはこう思っているのだ。
それは――、
「あの子が……タンザが宿屋の外に出てないんなら、どこかに隠れてる。――それにオルバルトさんが協力してるってことだな!?」
△▼△▼△▼△
――タンザ奪還のため、スバルたちを襲った有角人種たち。
しかし、彼らが宿の外で最初から待ち構えていた以上、事前にタンザの身に何かがあった場合のことを打ち合わせてあったとしか思えない。
そしてあの宿の中、タンザと示し合わせる可能性があり得るのは――、
「――オルバルト・ダンクルケン、奴しかいない」
「……宿の従業員が協力して隠してたって可能性もあるぜ?」
「無論、その可能性にも目はつぶれぬ。だが、確信がある」
「確信?」
アルの疑問の声に、アベルが深々と頷いた。
オルバルトとタンザ、二人が手を結んでいると彼が確信する理由。それは――、
「わざわざ逃げ隠れの児戯を挑んできた。あの老翁の好みそうな悪辣な趣向だ」
「見つけられるもんなら見つけてみろ~、ってこと?」
「そうだ」
顎を引いて肯定したアベルに、スバルは思わず嫌な顔を作った。
オルバルトの性格の悪さを根拠としたアベルの推測は的中している。そう、スバルも直感的に確信できたのが嫌な顔の理由だ。
『かくれんぼ』を提案してきたこと自体、タンザを隠したことの隠喩だったのだと。
「でも、そのせいで俺たちが襲われたんなら、ルール違反じゃないかよ!」
「互いに危害を加えぬという話か? 彼奴ならば、『自分は手を下していない』と言い逃れるだろうよ。タンザが手を結んでいるならなおのことな」
「ぐ……っ、そんなズルい考え……!」
「故に、オルバルトの居所の特定を優先する。さすれば、タンザの居所も同時に割れよう。もっとも、目論見が割れれば『かくれんぼ』に拘る理由も消えるかもしれんがな」
オルバルトとタンザ、二人が一緒にいるかもしれないことはわかった。でも、それで『かくれんぼ』まで終わる話になるのはよくわからない。
そのことで眉を寄せて、しかめっ面を作っていたスバル。そのスバルの手から、振り返るアベルが乱暴に鬼の面を奪った。
「あ」と驚いたスバルの前で、アベルは鬼面を被り直し、
「オルバルトの目的は、こちらが交渉に応じる価値があるか見極めることだ。奴にとっての本命は児戯より、こちらの方だろう。故にその真意を紐解けば、わざわざ面倒な手順など踏む必要はなくなる」
「あー、わかった、ような気がする……」
「――。本格的に知恵の巡りが拙くなりつつあるか」
かろうじて説明についていくスバルに、アベルが嘆息を交えつつ呟いた。
そのアベルの指摘に反論できない。スバルも、自分の頭の調子が明らかにおかしくなっていることは自覚していた。ただ、どのぐらいなのか自覚できない。
考えが拙く、言葉がうまく出てこなかったり、頭が悪くなっているのだと思うが。
「元々、頭がいい方でもねぇってのに……」
「貴様の場合、理解力と発想力まで落ちているのが問題だ。オルバルトの術技の詳細は不明だが、一説には肉体はそのもののオドの盛衰を反映すると聞く」
「お、オドのせいすい……?」
「オドと肉体、それらの成長と衰えには関連性があるということだ。言わば、オルバルトは貴様の……いや、貴様たちのオドに干渉したと推測できる」
体の縮んだスバルとアル、そしてミディアムの三人をアベルが見渡す。
その言葉に、スバルはピンとこない。魔法を使うためのゲートが壊れたときもそうだったが、元々存在を意識していないマナやオドの話は実感がないのだ。
ただ、それはスバルにはそうだったが――、
「――ってことは、あの爺さんに体をいじくられたのが原因か」
そう、あまりにも憎々しげにアルが呟く声にハッとさせられた。
見れば、アルは覆面に包まれた自分の額に触れ、わなわなと指を震わせている。たびたび見せた自制の利かない苛立ちは、彼もまた精神的な影響を受けつつある証拠だ。
大人のときは持てていた精神的な余裕が、子どもになったことで失われつつある。
「あのクソジジイ、絶対にとっちめてやる……!」
「そのためにも、『見晴らしのいい奈落』とやらの在処を突き止める必要があろうな」
「うん……そう言えば、お店にいく途中だったけど」
沸々と怒りを溜め込んだアルを横目に、スバルはそこで言葉を切った。
通りで足止めを食ったものの、タリッタに囮を任せて別行動を取った元々の目的はそこにある。ただし、その真意の説明はされていなかった。
何故、アベルは酒場へ急ぐことを目的としたのか、その理由を。
「捜索の基本は数だ。理想を言えば土地勘のあるものが望ましい。だが、この都市の住人は全員、タンザ側に付く可能性がある。故に、余所者を使うのが適切だろう」
「それで、余所者が集まりそうな酒場狙いか。兄弟の考えそうな発想だな」
「え、そんなこと……」
ない、と言いかけて、スバルはグァラルで用心棒を探したことを思い出す。
思い出すだけで震え上がりそうになる男、トッドに狙われたときだ。助かるために色んなことを考えた中、強い護衛を雇うという作戦をするとき、酒場に向かった。
残念ながら、あのとき雇った酔っ払い剣士はすぐにやられてしまったが。
「でも、力を貸してもらうにはお金がいるんじゃないか? そんなお金、どこにも」
「その懸念は無用だ。報酬は用意してある」
そう言って、アベルが揺すってみせたのは彼が担っている鞄だ。
必要だと宿から持ち出したもので、中身が何なのか気になっていたものではある。
そのスバルの視線を受け、アベルは鞄の口は開けないまでも、
「グァラルを発つ際、ズィクルに都市庁舎の蔵を開けさせた。協力者を得るのに最も効率的な手法だ。使わぬ手はない」
「……抜け目のねぇこった」
「だけど、鬼の面被って大金持ち歩くなんて目立って危ないんじゃ……あ、そうか」
言っている途中、鬼面を指で叩くアベルにスバルは的外れな心配を気付かされる。
あの鬼の面は『認識阻害』の効果があるのだから、そもそも「目立つ」という発想自体が誤ったものなのだ。仲間であるスバルたちには効果がないので、その実態と周りの反応の違いに戸惑いがすごいのだが。
「じゃあ、やることは変わんない? みんなで酒場にいって、あのお爺ちゃん探しを手伝ってくれる人を探すってこと?」
「――と、当初は考えていた。だが、いささか事情が変わった」
「事情が変わったって、どこが?」
「オルバルトめとタンザが最初から仕組んだことであれば、人手を増やすという手段にも早々に辿り着こう。オルバルト単身なら魔都に影響力はないが、タンザが加われば話は別だ。あの娘は、ヨルナ・ミシグレの従者という立場がある」
カオスフレームで一番偉いポジションにいるヨルナ、そのヨルナの従者ということは、秘書のような立場だ。つまり、タンザはこの都市でヨルナの次ぐらいに偉い。
もしくは、偉く振る舞えるということになる。
「本気でこっちの頭を押さえる気なら、酒場の周りにも人を配置するわな」
「見え透いた罠にかかる必要はない。もっとも、強硬に突破する手段もあるようだが」
方針転換を余儀なくされる会話の中、そうこぼしたアベルの視線が横を向く。彼の視線を辿り、スバルは頬を強張らせた。
「うあう?」
鬼面越しの視線を受け、首を傾げるルイがそこに立っていたからだ。
襲ってきた相手を返り討ちにして、最後には容赦なく羊人の少年をも昏倒させたルイ、彼女は懐いているミディアムの傍ら、自分の金髪を指で夢中で梳いていた。
その圧倒的な戦闘力と裏腹に、無邪気そのものの態度に変化はない。
それが逆に、スバルの背筋をかえって冷たいもので突き刺してくるのだ。
「あ、さっきのルイちゃんすごかった! あんなの隠してるなんてビックリだよ~」
「あうあう」
「えへへ、助けてくれてありがとね」
そのスバルの心境を余所に、ミディアムはルイの頭を無防備に撫でている。その掌をルイも平然と受け入れているが、スバルの心臓はバクバクと鳴っていた。
だからとっさに、「待って!」とミディアムの手首を掴んでしまったくらいに。
「わ、スバルちん?」
「その、ミディアムさん、こいつに近付くのはやめた方が……」
「――? なんで? だって、助けてくれたんだよ? スバルちんのことだって」
「それは、そう、かもしれないけど……でも……」
ミディアムの悪気のない疑問に、スバルはうまく言葉を返せない。
実際、彼女の見方が素直で正しいのだ。ルイは、スバルを助けてくれた。自分が傷付くのも躊躇わないで、その小さな体いっぱいを使って守ってくれた。
スバルも、必死で「死なないで」と訴えかけたのだから。
「いい加減、どういうことなのか話してくれてもいいんじゃねぇか」
歯切れの悪いスバルを見て、アルが低い声でそう言い放った。
覆面越しの昏い眼差しに、スバルは息を呑み、下を向く。――数日前、カオスフレームへの旅の途中、アルにルイの事情を伏せたことが思い出された。
あのときも、スバルはルイをどう扱うか決め切れず、答えを保留した。
しかし――、
「もう、笑って見過ごせる状況じゃねぇ。オレだけじゃなく、全員の問題だ」
「――――」
「その娘に、何を秘している」
追及の視線が集中し、スバルは反射的にルイを背後に庇ってしまう。
それはルイを守ろうとしたのではなく、その視線を浴びたルイがどう反応するかがわからなかったから――否、それも本当なのかスバルにもわからない。
ただ言えることがあるとすれば、もう誤魔化せないということ。
そして、幼く拙くなったスバルの頭では、それらしい嘘を作り上げることもできない。
だから――、
「こいつは、ルイは……『暴食』の大罪司教だ」
そう、真実をはっきりと打ち明けることしかできなかった。
△▼△▼△▼△
――ルイ・アルネブの正体。
それはスバルがヴォラキア帝国に飛ばされてきて以来、記憶を失ったレムはもちろん、出会った全員に隠してきた秘密だった。
ルイの正体が大罪司教とわかることで生じるトラブル、それはスバルの内外に拘らず、様々なものが予想された。――否、予想を超えることが予想されたのだ。
だから、スバルは今日この瞬間まで、その事実を隠して――、
「――大罪、司教」
スバルの明かした事実、その単語をたどたどしい声が反芻する。
アルやアベルが、その事実に驚嘆したというなら、それも当然のことだ。警戒し、事実を確かめ、それがどれだけ馬鹿げたことなのかと声を荒げて、当然のこと。
しかし、最初にそう声を震わせたのは、アルでもアベルでもなかった。
「ルイちゃんが、大罪司教って……」
「うー?」
そう、愕然とした声を漏らしたのは、他ならぬミディアムだった。
青い瞳を丸くして、ミディアムが凝然とルイを見る。そのミディアムの眼差しに、当のルイは心当たりがないみたいに間抜けな声で首を傾げていた。
そしてそれこそが、スバルが一番恐れていた反応だ。
ひょっとしたら、ミディアム――否、オコーネル兄妹ならあっけらかんと受け入れ、なんてことのないことだと笑い飛ばしてくれるのではという楽観があった。
だが、それが楽観どころか、夢見がちな理想論でしかなかったと思い知らされる。
「――――」
それが、ミディアムの双眸に過った、見間違いようのない確かな『恐れ』だ。
「兄弟、そりゃ笑えねぇ冗談だぜ」
「じ、冗談なんかじゃ……」
「冗談じゃねぇんなら、なおさら笑えねぇよ!」
ミディアムの反応にショックを受けたスバルは、続いたアルの言葉にも適切な反応をすることができなかった。
声を荒げ、アルが背負った青龍刀を乱暴に引っ張り抜く。もちろん、子どもの細腕一本で持てるものではないから、抜いた刀は地面に先端を埋めてしまう。
それでも、体重をかけて振り回せば使えないことはない。そんな鋭い意思を込めて、アルの視線がスバルと、その背後のルイに向いた。
「大罪司教を連れ歩くなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。プリステラで何があったか、まさか忘れたってんじゃねぇだろ」
「そ、それは……」
「オレやプリシラ……姫さんに被害はなかった。だが、そりゃたまたまだ。兄弟の身内も、知り合いの身内もやべぇ目に遭った。その一因がそいつなんだぞ」
地面に刺さった青龍刀に寄りかかり、声を怒らせるアルに言い返せない。
全面的にアルが正しい。間違ったことをしているのは、誰の目から見てもスバルなのだ。ルイを連れ歩くべきでも、自由にしておくべきでもなかった。
素性を明かして縛り上げて、自由を奪って捕まえておくべきだったのだ。
でも、スバルはそれをしてこなかった。あまつさえ――、
「あ、アベルも……?」
同意見なのかと、そう沈黙するアベルに縋るような目を向けてしまう。
ミディアムが怯え、アルが怒りを露わにした今、アベルの態度が最後の砦――それが、誰にとっての砦なのか、それさえスバルには判断つかない。
ただ、その場の全員がルイと敵対することを選ぶというなら、
「――――」
きっとスバルも、この躊躇いにトドメを刺して、動き出せるはずだと。
「他国で、彼奴らをどう扱っているかは知らぬが」
息を呑んだスバルの前、鞄を担った鬼面の男がこちらの視線を真っ向から受ける。
黒瞳と黒瞳、それが交錯し、冷たい眼差しにスバルの胸が抉られる。待ったはずの言葉、その先に続く内容を拒絶するように、脳が端から痺れていく。
そんな痺れた脳に、その声はゆっくりと浸透した。
それは――、
「この帝国において、『魔女』を奉ずるものは如何なる理由があろうと処刑される」
玉座を追われたとて、この帝国の頂点に立つ存在からの断固たる宣言。
決して相容れないと、そうはっきりと言い切られた処刑宣告だった。
それを聞いた瞬間、スバルは強く目をつむり――、
「――ッ、ルイ!!」
「スバルちん!?」
感情的に名前を叫んだ瞬間、スバルの腰に小さな両手が回った。
直後、悲鳴のようなミディアムの声が響いて、スバルの両足が地面を離れ、宙へと浮かび上がる――否、腰に組み付いたルイが、スバルごと高く跳び上がったのだ。
何故、ルイの名前を呼んだのか、それにどんな意味を込めたのか、ぎゅっと奥歯を噛みしめて、どうしてか浮かんでくる涙を堪えるスバルは全然わからない。
ただ、思ったのだ。
「うあう」
と、腰に組み付いて喉を唸らせる少女を、今見捨ててはならないと。
命を救われたから、救い返すわけじゃない。情が湧いて、守ってやらなくちゃならないと勘違いしたわけでもない。ただ、思ったのだ。
手足だけでなく、頭の中身まで縮んでしまった状態で、この何を考えているのかわからない女の子への答えを出してしまったら後悔する。
それはレムも、これまで出会ってきたたくさんの人たちとも関係ない、スバルの問題。
ナツキ・スバルが全力で向き合わなくてはならない、問題なのだ。
「兄弟! 戻ってこい! クソったれ――っ!」
上を向いたアルがそう叫ぶが、壁を蹴って跳躍するルイの足は止まらない。
ルイはスバルの背中側に抱き着くようにしながら、ぴょんぴょんと通りに面した建物の壁を蹴って屋上に上がり、そのまま易々と隣の通りへ、その隣の通りへ移る。
街のあちこちに足場があり、自由気ままに継ぎ接ぎの道が作られたカオスフレームで、ルイの捉えどころのない奔放さはまさしく独壇場だった。
「ぶはっ!」
ぴょんぴょんと、何度目かの跳躍を終えたところで下ろされ、スバルは床に手と膝をついて深呼吸を繰り返す。何度も重力に逆らったこともそうだが、ルイの細腕で万力みたいに胴体を締め付けられていたのも苦しかった。
当のルイは横からスバルの顔を覗き込み、ピンピンしているのが憎らしい。
でも、その顔をただ憎らしく思っている場合ではない。
「クソ、アベルたちと……」
自分から動いた結果だ。はぐれた、とは白々しくてとても言えなかった。
しかし、あの場に残っていたら、アベルがどんな命令を下したか知れない。アルの反応からしても、穏便にルイを見逃してはくれなかったろう。
ミディアムの場を和ませる力にも、期待できるとはとても言えなかった。
だからって、流されてルイを引き渡すのは、心が嫌だと咎めたのだ。
「うあう?」
口元を袖で拭い、顔を上げたスバルをルイの青い瞳が能天気に見ている。
自分が向けられた敵意や恐怖、そういったものに全く頓着していない態度は、こうして心をぐるぐるさせているスバルが馬鹿みたいだ。
「馬鹿か、俺は。いや、馬鹿だ俺は」
実際、とても馬鹿だ。
アベルはともかく、ミディアムやアルを置いて、ルイと逃げるなんて馬鹿げている。
こんな、何を考えているのかも、何をしでかすのかもわからない相手を。
「それでも、今の俺が決めたら後悔する。こんなの子どもが決めていいことじゃない」
人の生き死にに、そして帝国の未来に関わる重大事、だと思う。
そんな大きな問題を、たかだか十歳ぐらいの子どもが、冷酷な大人の目に晒されながら決めるなんておかしい。――そう、間違っているのだ。
「きっと、元の俺なら、ちゃんと判断できる。だから……」
一刻も早く、この『幼児化』を解除し、少年ナツキ・スバルから青少年ナツキ・スバルへとカムバックしなくては。
そうすれば、ルイ相手にあれこれと思い悩み、仲間たちの判断にちゃんとした答えを返して、納得のいく結論へと辿り着けるはずなのだ。
そのために――、
「――オルバルトさんを探す。アベルたちにも頼らないで、全力で」
「あー、うー!」
キッと顔を上げたスバルに呼応し、ルイがやる気のある顔で両手を上げた。
高々とした足場から魔都の情景を見下ろし、傍目には小さい子どもが二人で息巻き、カオスフレームの住人と、玉座を追われた皇帝を敵に回し、シノビの頭領を見つけ出すと志を高く掲げる。
――図らずも、スバルたちは『かくれんぼ』の鬼であり、『追いかけっこ』の鬼に追われる側ともなったのだった。