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第七章46 『幼い蛮勇』



「街の人たちが、ヨルナとおんなじ力を持ってる……!?」


 小路を懸命に走りながら、スバルはアベルから告げられた言葉に目を見張る。

 紅瑠璃城の天守閣で対面した、底知れないものを窺わせる狐人の女――この魔都を支配する女帝とでもいうべき存在、その実力の程をスバルは知らない。

 しかし、『九神将』の一人に抜擢され、皇帝に何回反乱しても生き延び、生かされているのだから、とても強いということは間違いない。

 その、とても強いヨルナと、同じだけの力を街の全員が持っているなんて。


「そんな怖い話があるもんか! 『魂婚術』なんて……」


「出任せを並べているとでも? ならば、貴様らの手足が縮んだ事象をどう説明する。王国と帝国とでは術技の土台と培った研鑽が異なる。自然、貴様の想像の及ばぬ事象を引き起こすものもあろう。失伝した術技は枚挙に暇がない」


「そんなこと、言われても……」


 難しい言葉を並べられ、スバルは悔しさに頬の内側を噛んで俯く。

 思わず足がもつれて転びそうになるが、それを堪えて仲間たちに置いていかれないようにする。体が縮んだせいで、スバルもアルもミディアムも、誰もその足にぴったりと合う靴がない。だから、足は布でくるんで即席の足袋のような状態だ。

 転んだり、ほどけたら足が止まってしまう。それはダメだ。


 話についていけなくとも、せめて体くらいは追いついていなくてはと。


「とはいえ、俺も候補にこそ考えていたが、まさかとは思っていた」


「……その言い分だと、アベルちゃんもあのお姉ちゃんが『魂婚術』の使い手だってことは知らなかったってことか?」


「今も、それ以外にないか疑っている。それほど、正気の沙汰とは言えぬ所業だ」


 軽く息を弾ませ、鬼面の視線を正面に向けながら走るアベルが答える。その言葉にアルが喉を唸らせ、ミディアムの顔がアベルを向く。

 小さくなっても、体力的に一番元気なのはミディアムのようだ。まだ大丈夫だが、スバルは遠からず息が上がってしまうだろう。ずっと逃げ続けるのも難しい。


「――止まれ。ひとまず、宿の周囲にいたものたちは撒いたようだ」


 それを気遣ってくれたわけではないだろうが、不意にアベルが全員の足を止めさせた。

 小路の出口を目前に、五人は雑多に並んだ廃材の陰に身を潜め、通りの様子を警戒しながら息を整える。


「タリッタちゃん、大丈夫かな。あたしが思ってたより、ずっと動けてたけど」


「え? あ、ああ、すごかったな。こう、ぴょんぴょん飛び跳ねて、バシュバシュって弓矢も撃ってて……」


「兄弟、それわざとやってんのか? それとも……」


「わざとって、何を?」


 首を傾げ、アルの問いかけに眉を顰める。

 何かおかしなことを言ってしまっただろうか。ミディアムの感嘆に合わせ、スバルなりにタリッタの頑張りっぷりを褒めていただけなのだが。


 その答えにアルは首を横に振り、「何でもね」と何でもなくなさそうに応じると、そのままアベルの方に顔を向けた。そして、


「さっきの、正気の沙汰じゃないって話はどういう意味なんだ?」


「――。言ったはずだ。『魂婚術』は己の魂の一部を他者へと割譲する。魂とはすなわち、そのものの根源にあるオドのことだ」


「オド……その、割譲」


 言葉を反芻し、アルがその事実に声を震わせる。

 オドとはアベルの言った通り、その存在の根源――体だけでなく、もっと精神的な部分の中心にあるもので、マナの湧き出てくる源泉のようなものだ。

 この世界では『魂』と同じものとして扱われることも多い。だから、『魂婚術』も『オド婚術』と言ってもいいものなのだろう。ちょっと自信がないが。


「でも、なんで魂がくっつくと強くなるの?」


「近い例で言えば、精霊術師と精霊との関係だ。術師と精霊は契約関係を結ぶことで、互いの根源に互いを接続する。そうすることで、力を引き出し合う関係と言える。そこに物理的な隔たりは関係ない。心当たりはあろう」


「力を引き出し合うって関係には、うん、わかる、けど……」


 精霊術師の話を引き合いに出され、スバルは自分の胸をきゅっと掴んだ。

 あまり胸を張れる実力ではないが、スバルも精霊術師の端くれだ。可愛いドレスの女の子――ベアトリスと契約し、彼女の力を借りて色んなことができる。少な目だけど。

 あと、そう、エミリアも精霊術師だ。しばらく、あの小猫も見ていないが。


「けど、どうしたの、スバルちん」


「あ、ええと、その……精霊と約束するのって、すごい大変なことだから、それとおんなじことをしてるって、しかもたくさんの人と! それは、ちょっと……」


「うんうん」


「む、難しいんじゃないかって、思うんだ」


 急かさず、丁寧に聞き出してくれる聞き上手なミディアムに、スバルは自分が思ったことを正直に伝える。

 精霊との契約関係はとても大事なもので、それと同じことをたくさんの相手とするのは難しい。少なくとも、スバルはベアトリス以外とは無理だ。

 ベアトリスが元々そういう約束の子というだけでなく、そうでなくてもできなかったんじゃないかと思ってしまう。

 そして、そのスバルの疑問を聞いて、「それだ」とアベルが頷いた。


「それ故に、正気の沙汰ではないと言ったのだ」


「『魂婚術』がヤバいって、そういう話?」


「『魂婚術』そのものは、精霊との間に結ばれる契約関係を対象を選ばず行える程度に思っておけばいい。だが、それを不特定多数の相手に施す所業が信じ難い」


「――――」


「一部とは言ったが、どうあれ魂の割譲だ。それは己自身の根幹を成すものを無数に引き裂き、無分別に譲り渡すことに他ならん。それで自我を保つなどと、尋常で行えることではあるまい。あるいは……いや、これは詮無い話か」


 ゆるゆると首を振って、アベルがヨルナの『魂婚術』の異常性を物語る。

 正直、アベルほどはっきりと事態が呑み込めているわけではないが、スバルもそれがとても恐ろしいことであることは何とかわかった。


 スバルで言えば、自分の魂をベアトリス以外のたくさんの人に分け与えているようなものだ。もちろん、魂を渡しても悪さをしないと思える人ならスバルにもいる。

 ここにいるミディアムやアルだって、悪さをしたりしないだろう。でも、アベルに渡せるかと言われたら、それは嫌だとごねてしまいたい。

 他にも――、


「うー……」


「――ぁ」


 きゅっとスバルの裾を摘まんで、小さく唸る声の主に意識を奪われる。

 長い金色の髪を頭の後ろでまとめたルイは、ここまで大人しくスバルたちの逃走劇についてきている。――否、ここまでだけではない。

 ルイは意外なほど聞き分けがよく、不安に思っていた大声だって上げない。それで敵の注意を引くこともしないし、適時、必要なことをしている。

 そして――、


「――――」


 今もスバルの裾を摘まむのは、自分の不安をスバルにどうにかさせるためではなく、スバルの不安に寄り添う術を探しているかのようだった。


「お前は……」


 嫌な奴で、怖い奴で、許せない奴だ。

 そのことはもう十分、十分以上にずっと考え続けてきて、疑っていない。

 一緒にヴォラキア帝国に飛ばされてきて、その場で彼女を捨てようとしてこなかったのは、あの子が、レムがルイを大事にしようとしていたからだ。

 今だって、レムに嫌われたくないから、それだけがルイと一緒にいる理由だ。

 それなのに――。


「――だがよ、これではっきりしたんじゃねぇか?」


 ルイの手を振りほどけず、思い悩むスバルを余所にアルが突然そう言い放つ。

 アルの視線が向くのはアベルで、鬼面と覆面、大人と子どもの二人が向かい合っていた。アベルに見下ろされながら、アルは親指で自分の胸を指差すと、


「オレたちを襲った連中が、ヨルナ姉ちゃんの『魂婚術』の影響下にある。なら、オレたちを襲わせたのもヨルナ姉ちゃんで、Q.E.Dってこったろ」


「――。それが最も、現状を見たまま受け取った答えであろうな」


「引っかかる物言いしやがる。きてる連中がヨルナ姉ちゃんの力を使ってんなら、他の選択肢なんてありゃしねぇだろ」


「そ、それはちょっと、違うかも……」


「ああ?」


 そっと口を挟んだスバルに、アルが荒々しい声で反応する。とっさにその声に肩を震わせるスバルを見て、アルが「悪い」と背負った青龍刀の鞘に触れ、


「ビビらせる気はなかった。……兄弟は、別の可能性があるって?」


「……ベアトリスと、俺は契約関係だけど、ずっとあの子と繋がれてるわけじゃない。いや、繋がってはいるけど、でも、今何してるかとかはわからなくて、だから」


「力だけ借りパクして、こっそり暴れられるって?」


 身も蓋もないアルの言い方に、スバルは抵抗感を覚えつつも頷く。

『魂婚術』の範囲や条件がはっきりとわからないまでも、そういう悪さはできるのかもしれない。それなら、ヨルナが本当に悪い人かどうかはわからなくなる。


「万一、敵がヨルナ・ミシグレとなれば、魔都からの逃亡以外に打つ手がなくなる。オルバルトとの勝負も、継続することはできまい」


「街中から狙われる羽目になってっからな。そこは同意見だが……」


「――一人、相手を捕らえれば事情が変わるな」


 鬼面越しに己の頬に触れながら、アベルがぽつりとそう呟いた。

 それを聞いて、スバルも「あ」と口を開ける。


「た、確かに! 誰か一人、向こうの人から話が聞ければはっきりするじゃん! なんでそんなこと思いつかなかったんだろ!」


「あ、ホントだ~! アベルちん、天才! それだよ、それ!」


「だよね!」


 曇天が晴れるような回答、それにスバルとミディアムが飛びついて喜ぶ。掲げた手を打ち合わせ、二人は大喜びでアベルたちに振り返った。

 だが、そんな二人の喜びようは、素顔を見せないアベルとアルに中断される。

 はしゃぐスバルたちに、アルががっくりと肩を落として、


「そりゃ、それができたら苦労はねぇよ。けど、それが難しいって話だぜ、これ。相手はなんせ、全員がヨルナ姉ちゃんの力を受け取ってる」


「あ、そっか……」


「う~、タリッタちゃんがいたらできたかもなのに」


 その場に地団太を踏んで、ミディアムが自分たちの力不足を大いに悔やむ。

 彼女の言葉に悔しい思いをするのはスバルも同じだ。あと一歩、この状況を進展させるための情報が足りず、それを手に入れる手段も手元にない。


「何か、何かないかな……」


 口元に手を当てて、スバルは懸命にここまでのことを思い出そうとする。

 カオスフレームに到着して以来、この魔都で起こった様々な出来事とトラブル。紅瑠璃城でのヨルナや、偽物の皇帝たちとの出会い。翌朝、突然の『幼児化』と、『悪辣翁』から持ちかけられた『かくれんぼ』と、待ち伏せする怖い人たち――。


 タリッタが足止めしてくれている間に、何とか打開策を探さなくては。

 そうしないと、いくらタリッタでもあのたくさんいた人たちに捕まってひどい目に遭わされてしまうから――、


「――あれ」


「スバルちん?」


 あれこれと思い悩む中、妙な引っかかりがあってスバルは目を瞬かせる。そのスバルの様子に気付いて、ミディアムが顔を覗き込んできた。

 しかし、彼女の呼びかけに答える余裕がない。今、引っかかったものが何なのか、それを手繰り寄せなくてはいけないと、気持ちが焦って。


 引っかかったのは、頑張ってくれているタリッタだ。――否、タリッタ本人ではなく、タリッタと向き合う人々、スバルたちを狙った怖い百人。

 その百人が、タリッタと戦うところを遠くから見ていた。そこに、おかしな引っかかりがあったのだ。それは、たぶん――、


「実際のとこ! 本当に『魂婚術』なのかも、敵がヨルナ姉ちゃんなのかそうでないのかも、オルバルトの爺さんが嘘ついてねぇのかどうかもわからねぇ!」


「――っ」


 ガリガリと乱暴に自分の首筋を掻きながら、そう吠えるアルにスバルが驚く。だが、アルはスバルの驚きには気付かない様子で、焦れたように壁を蹴った。

 どうにも、アルの様子から落ち着きが抜け落ちている。元々の、何でも飄々と受け流す柳の枝のようだった姿勢が幻みたいだ。

 そして、アルはその苛立ちを抱えたまま、ずいっとアベルに詰め寄り、


「どうすんだ、アベルちゃん。この調子じゃ付き合えねぇぜ。言っとくが、オレはアベルちゃんの復権より優先するもんがあるんだ。だから……」


「貴様の望みに興味はない。だが、確かめる方法はある」


「確かめるって、何をだよ」


「あのものらの強靭さが、『魂婚術』によるものかどうかをだ」


 詰め寄るアルにそう言い放ち、アベルが小路の外を指差した。

 暗がりの外、通りからはちらほらと行き交う人の気配や足音、話し声が届いてくる。とはいえ、誰が気付いて覗き込んできているわけでもない。

 ただの雑踏、それがそこにあるだけで。


「通りで何を……」


「通りすぎるものを一人選び、無作為に危害を加える。そうすれば、ヨルナ・ミシグレの『魂婚術』が都市の全員を囲うのか、そうでないのか見極められよう」


「――――」


「傷が癒えれば、『魂婚術』の影響下だ。傷付き、あるいは命を落とせば『魂婚術』の影響の外――すなわち、『魂婚術』の使い手という推察は誤りと外せる」


 淡々と、通りを指差したままでアベルは続ける。

 その内容の物騒さと突飛さに、スバルは絶句して何も言えなくなった。脳が痺れ、思考することすら放棄している状況だ。

 そんな馬鹿げた話、誰も真に受けることは――、


「なるほど……けど、オレたちみたいに住人の対象外ってパターンもあるだろ。それを引いたらどうすんだよ」


「履物を見れば、住民と余所者との区別は付けられる。無論、宿の外を囲ったものたちのみが『魂婚術』の影響下、という可能性もあるな。その場合、意識してヨルナ・ミシグレがこちらへ仕掛けてきた裏付けになろう」


 いずれにせよ、情報は得られるとでもいうようにアベルが頷き、アルが一考の余地があるばかりに沈黙するのがわかった。

 小難しい理屈でまとめられていて、スバルにはわかりにくい話し合いだった。でも、わかりにくい話の中にもわかったことはある。

 それは、このままだと誰かが傷付けられるということだ。


「そんなの――」


「――拒むならば、どうする? 代替案を出してみよ」


「……ッ」


 反射的に噛みつこうとしたスバルを、アベルが先回りするように見下ろす。

 考えを読まれ、浅はかだと言われた気持ちになるスバルの顔が熱くなった。だが、黙らされるわけにはいかない。黙って、引き下がりたくない。


「だ、誰かを傷付けなくたって、他の方法が……」


「あるなら言ってみるがいい。考慮に値する案なら耳を傾ける。――もっとも、今の貴様にそれを期待するのも酷というものであろうが」


「それは!」


「――貴様は、殊更に犠牲が出ることを恐れる」


 冷酷な声が、熱くなるスバルを切り裂くように穿ってくる。

 まるで本当に射抜かれたような痛みを覚え、スバルは奥歯を噛み、下を向いた。


 犠牲、誰かが傷付いたり、死んでしまうこと。

 味方はもちろん、敵だって人死にや怪我人は少ない方がいい。そう考えるのは、スバルが甘く青く、弱いからだと詰られる。


「でも、それがなんでダメなんだよ」


「否定ではない。ただの事実だ。自身の望みを最大限に通そうとすれば、知略か実力が必要となる。不足するなら、望む結果の方を削り、妥協するしかない。それが、貴様の語った無血開城、その中で起こった過程と結果だ」


「――――」


「死者も負傷者も望まないなら、その結果を引き寄せる力がいる。――貴様が本心からそれを望むなら、出し惜しむのは矛盾であろう」


 出し惜しみと言われ、スバルは頬を硬くし、目を瞬かせた。

 アベルの言葉の意図が、わからない。ただ、鬼面越しの黒瞳がスバルを見据え、比べるべくもなく弱い光を宿した瞳の奥に、スバルの本心を探そうとしている。


 わからない、わからない、わからない。

 本当に、わからない。スバルの出し惜しみとは何なのか。一生懸命、回らない頭を使って考えていても、どうにかする方法が出てきてくれない。

 短い手足と小さな肺では、タリッタのように飛んだり跳ねたりもうまくできない。持ってきた鞭も、柄は太いし、重たくてとても扱えない。

 それでも、誰も傷付けたくないなら、そのためには――、


「――だったら、俺が傷付いたらいいんだろ!」


 頭の中がしっちゃかめっちゃかになり、スバルはアベルにそう怒鳴っていた。

 力不足も、考え足らずも全部わかっている。それはスバルがこうして、体が小さくなってしまう前からずっとあった問題だからだ。


 ぎゅっと、つぶった目の奥から熱いものが込み上げてくる。

 それがはっきりと涙に変わってしまう前に、スバルは背を向け、走り出した。


「兄弟!?」

「スバルちん!」


 その突然の動きに、アルとミディアムが悲鳴のような声を上げる。

 しかし、二人の呼びかけにも止まらず、スバルは小路の外、通りへと身を投げ出した。


 誰も傷付けたくない。死なせたくない。

 そのために必要な実力と知略、それがどちらもスバルには不足している。その不足を埋めるために何かを引き換えにするなら、それはスバル自身だ。


 確かめる。この状況を変えられる情報を、取り戻せる瞬間に持ち帰る。

 そのために――、


「かかってこい! 俺はここだ!」


 通りに飛び出したスバルが両手を広げ、そう声高に叫んだ。

 甲高い子どもの声が通りの雑音を掻き消して、驚いたものたちの注目が集まる。見開かれたいくつもの瞳に捉えられ、スバルは心臓が縮む痛みを味わった。


「――ぁ」


 早まったことをしたと、やってしまってから後悔する。

 周囲の、馬鹿な行為をする子どもを見る目が、急激な羞恥心と恐怖を募らせた。そのまま、スバルは息を止めて、いっそ小路に戻ってしまおうかと――、


「待って」


 そう焦り、じりと地面を踏んだスバルの腕を誰かが掴んだ。

 肩を跳ねさせて振り向くスバル、その腕を取っていたのは背の低い人影だ。簡素な軽装姿の短い癖毛の少年――否、髪の毛は短くしているのではなく、癖が強くて毛先が丸くなっているから短く見えるだけだ。

 大体、今のスバルとそう変わらない年齢感の少年、その登場にスバルは目を見張り、どうして自分を呼び止めたのかと口を開こうとして、


「ごめん」


 ――次の瞬間、右目を燃やした少年に軽々と投げ飛ばされていた。


「――ぇ」


 何が起こったのか、ぐるぐると回転する視界に呑まれ、スバルはわからない。

 突然、少年がスバルを投げ飛ばした。掴んだ片腕を振り上げるような動きで、あっさりと簡単に空に放り投げたのだ。


「わ、わあああああ――!?」


 他の誰かが傷付くくらいならと、そう意気込んで通りに飛び出した。

 なのに、すぐにそれを後悔して戻ろうとしたどころか、その逃げ帰るのもやり遂げられずに投げ飛ばされ、悲鳴を上げている。


 なんで、どうしてと、疑問が頭の中を跳ね回り、内臓が絞られるような感覚。


 タリッタと戦っていたものたちが、少年と同じ燃える目をしていたこと。それがアベルの語った『魂婚術』の効果なら、ヨルナの力の一部を与えられていること。それを確かめるために、自分が犠牲になると威勢よく飛び出したこと。


 それら全部が、回転しながら青い空に落ちていくスバルには理解できなかった。


 くるくると、尋常でない勢いで回転する体、それが周囲の建物や飾り付けに当たらないのは奇跡に思えた。あの少年が狙ったのかどうか、それもわからない。

 ただ、視界の端をすごいスピードで通りすぎていく障害物が怖くて、当たらないことを必死に祈りながら青い空に落ちて――それも、急に止まる。


 ゆっくりと、放り投げられたスバルの体が高さのてっぺんに達して、今度はそこから真っ逆さまに地面に向かって落ちていくのだ。


「ああああ――っ!」


 地面から離れていった声が、今度は地面に近付きながら響き渡る。

 どのぐらいの高さに上がったのかわからないが、受け身を取らなくてはいけない。でも、受け身の取り方なんてとっさに思い出せない。そもそも、ものすごい高いところから落ちたとき、受け身でどうにかなったりするのだろうか。このまま地面に落っこちて、全身がバラバラになったり、頭が潰れたり、首が折れたりして、死んで――。


 ――『死』が、またすぐ近くにやってくる気がして。


「アルちん!」


「わかってらぁ!」


 直後、スバル自身の悲鳴に紛れて、懸命になる知った声が聞こえた。

 そのまま張り詰めた何かが斬られる音と、細長いものがいくつも倒れる音が連鎖、その正体もわからないまま、スバルの体は地面に落ちる――前に、受け止められる。


「わ、わああ、わあああ……わぶっ!」


 柔らかい感触に受け止められ、しかし勢いは止め切れず、スバルの体がその柔らかさの上を結構な勢いで転がった。その柔らかさの端に達すると、投げ出された体が硬い地面に転がって、口の中に呻き声と砂の味わいが広がる。

 あちこち、体が痛い。だが――、


「いき、てる……?」


 死なずに済んだことに、スバルは呆気に取られた声を漏らした。

 何とか体を起こすと、何が起こったのかがようやくわかる。――アルとミディアム、二人がとっさの判断でスバルを救ったのだ。


 空から落ちてくるスバルを受け止めるため、二人は通りにあった出店のテントに飛びつき、そのテントの固定を切り離し、ピンと張ることで即席のクッションとしたのだ。

 おかげで、スバルは地面に叩き付けられることなく、命は助かった。

 しかし――、


「あ、いたたた……」

「あぐ……っ」


 スバルを受け止めるため、頑張った二人も無事ではなかった。


「あ、アル! ミディアムさん!」


 体を起こしたスバルの視界、通りに倒れている二人の姿がある。

 当然だが、『幼児化』の影響にあるアルとミディアムもいつもの働きはできない。落ちてくるスバルを受け止めるテントを張って、衝撃で吹っ飛ばされたのだ。

 そして、悪い報告はまだ続く――、


「さっきので終わってほしかったのに……」


 言いながら、苦しげに顔を歪めていたのはスバルを投げ飛ばした少年だ。

 彼はスバルと、それから同じく倒れているアルとミディアムの二人を見回して、苦渋に満ちた顔を掌で覆う。――覆い切れない炎を、右目に宿したままに。


「お、まえは……」


「必要なことなんだ。この街は……僕たちは、あの御方を失えないんだから」


「――?」


 何とか体を起こし、少年の注意をこちらに引きつける。

 アルやミディアムに手を出されないための一心だったが、少年の答えはスバルの想像の外側、理解から遠いものだった。

 ただ、少年が必死であることと、もう一個、スバルの心が揺れる。


「お前も……」


 それは小路で必死に頭を働かせていたとき、引っかかったことと同じものだ。

 スバルたちを逃がすために戦ってくれているタリッタ、その彼女と向かい合っていた片目を燃やした人たちの、その表情――、


 ――それがみんな、少年と同じ辛そうな顔だったように思えて。


「ごめんよ。許してなんて、言わないよ」


 首を横に振って、少年が瞳に迷いを残したまま、その表情からは迷いを消して、ゆっくりとスバルの前に進み出る。

 背後に這いずって逃げようにも、下がれない。足が動かなかった。

 だからせめて、目を逸らさないように少年の顔をじっと見つめて、気付く。


 少年の癖毛の中、その側頭部からちょんと覗いているモノ――小さな角に。

 白い癖毛と角を見て、まるで羊のようだと場違いに思った。


 それを最後に、瞳を燃やした少年の手が大きく振られて――、


「――――」


 顔をしかめ、目を開けたまま、少年の行いを見逃すまいとして、スバルは見た。


「うーっ!!」


 スバルの前に割って入った金髪の少女が、鈍い音と赤い血を撒き散らして、木の葉のようにくるくると飛ばされていくのを。



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― 新着の感想 ―
「ごめんよ。許してなんて、言わないよ」 このセリフ、とっても切なくて好き
[気になる点] >相手はなんせ、全員がヨルナ姉ちゃんの力の受け取ってる 意図的なものなのか、単なる誤字なのか分からないですが、「力の」→「力を」ですかね。
[良い点] 「ヨルナと『おんなじ』力をもっている」..... 初っぱなからもうダメ 逃走しながらヨルナについて思案し、いっしょうけんめいにかんがえている姿はまだまだ諦めていない 「そんな怖い話がある…
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