第七章43 『瞼の裏側』
――しわがれた声が紡いだ提案は、スバルたちを大いに困惑させた。
「――――」
スバルたちを襲った『幼児化』、その下手人であるオルバルト・ダンクルケン。
彼に『幼児化』を解かせるため、交渉を求めたスバルたちにオルバルトが提示した条件は、ここまでスバルたちの身も心も翻弄した老人――否、怪老に相応しい、聞いたものの心を惑わせるような奇怪なものだった。
何しろ――、
「おい、かけっこ……?」
いったい、どんな無理難題を吹っ掛けられるのかと戦々恐々していたスバルは、聞かされた言葉をたどたどしく反芻する。
そのスバルの声音に、両手を空けたオルバルトが訝しげに眉を顰め、
「なんじゃ、その疑問符。まさか、追いかけっこも知らんとか言い出さんじゃろ?」
「もちろん、言葉は知ってる。ただ、この状況で出てくる単語じゃないだろ」
どう取り繕っても、子どもの遊びでしかない『追いかけっこ』だ。
他の意味を含んでいるとも考えにくい。もっとも、シノビの里で繰り広げられる追いかけっことなると、独自のルールが盛り込まれている可能性も十分ある。
例えばそれは――、
「追いかけっこ中は命の取り合い解禁じゃぜ、とか」
「かかかっか! んなわけねえじゃろ。そんなおっかねえ遊びが流行ってたら、あっちう間にシノビなんざ滅んじまうんじゃぜ。それも頭のワシの手で。ヤバくね?」
スバルの懸念を否定するオルバルトだが、彼の凶行とここまでの言動を鑑みるに、必要なら身内の血で手を染めることも辞さない人物だとスバルは受け止めている。
正直、シノビの里がすでに滅んでいてもそこまで意外に思えないくらいだ。
「――その追いかけっことやら、どのような仕組みだ?」
じりじりと疑心で身を焼くスバルに代わり、先を促したのはアベルだ。
そのアベルに「お」とオルバルトは頬を歪めて笑い、
「案外、乗り気みてえじゃな、仮面の若僧」
「たわけ。すでに勝負に乗る乗らないの次元は通り過ぎている。俺たちが貴様の欲する情報を持っていると、そう明かした時点でだ」
「かかかっか! ま、その通りじゃな」
顎が外れそうなくらい大きく口を開け、オルバルトが悪びれずに大笑する。
実際、アベルの指摘は正しく、オルバルトの考えは悪辣だ。この追いかけっこの勝敗に拘らず、オルバルトは欲しい情報を手に入れる。
それが交渉の末なのか、それとも拷問の果てになるのか、情報の吐かせ方を選ばせるというのが『追いかけっこ』の目的なのだから。
「で、追いかけっこの仕組みじゃが、別に特別なことはねえんじゃぜ。片方が逃げて、片方がとっ捕まえる……あ、逃げんのはワシって方が助かるわ。ほれ、大人数を追っかけ回すなんて、ジジイの体力じゃしんどくって仕方ねえのよ」
「じゃあ、逃げるお爺ちゃんをあたしたちが捕まえたら勝ち? わかりやすいね」
「わかりやすくハ、ありますガ……」
オルバルトのルール説明に、ミディアムが楽観的、タリッタが悲観的に反応する。
スバルの意見も、どちらかと言えばタリッタ寄りだ。確かにルールはシンプルで、不確定要素が介在する余地がない。――言い換えれば、実力がもろに出る。
そしてその実力において、スバルたちの合計はオルバルトに遠く及ぶまい。
「ま、ちびっ子ばっかじゃしんどいかもしんねえわな。じゃったら、条件ちょっち緩めてやってもええんじゃぜ」
「それをした張本人ガ、悪びれもせずニ……!」
「そう怒るんじゃねえぜって。弓の弦から指が外れたら、ワシも自衛のためって名分ができっから、話はもっと早ぇんじゃがよ」
「――――」
室内の顔ぶれを視線で舐め、肩をすくめるオルバルトにタリッタが奥歯を噛む。
怪老の指摘通り、タリッタの弓は変わらずオルバルトに照準を合わせている。ただし、当のオルバルトは涼しい顔でそれを無視し、むしろ駆け引きに使ってくる始末だ。
その、タリッタの心痛は察して余りある。だが、今優先すべきは――、
「条件を緩める、ってのは?」
「追いかけっこのやり方の話じゃな。ワシを捕まえるまでせんでも、ワシを見つけたら勝ちって条件ならどうじゃ。ただし、そっちなら三回勝負じゃぜ」
「三回勝負……」
「ワシが三回隠れる。お前さんらは三回見つける。それができなきゃ負けって話よ。その場合、追いかけっこってより見つけっこ……なんか変な響きじゃな」
しっくりこない、と首をひねるオルバルト。
そんな老人の提案を呑み込んで、スバルの腹の底から上がってくる単語、それは――、
「――かくれんぼ?」
「お、ええ名前じゃな。それ採用」
指をパチンと鳴らして、オルバルトが『かくれんぼ』の響きに食いついた。
そのまま、オルバルトは広げた両手の指をそれぞれ一本ずつ立てて、全員に見えるようにその場で左右に見せつけると、
「追いかけっこなら、ワシを一回捕まえられりゃええ。かくれんぼなら、ワシを三回見つけてもらう。――どっちが勝ち目あるか、言うまでもねえじゃろ?」
片目をつむり、そう問いかけてくるオルバルトにスバルは息を呑む。
オルバルトの言う通り、これは考えるまでもない問いかけだ。――すでに、オルバルトの超越者としての力量を知るスバルに、追いかけっこを選ぶ理由は何もない。
ないのだが――、
「ずいぶんとお優しいじゃねぇか。わざわざオレたちの勝ち目が高い方法まで提案してくれるなんて、裏があるのを勘繰っちまう」
自分から勝ち目を譲ろうとするオルバルトに、アルがそう食って掛かる。
脱いだ兜の代替に、顔に布を巻いているアル。布越しの声はややこもっているが、幼くなった彼の声は通音声が高く、聞き取りづらいというほどではない。
オルバルトも、そのアルの言葉を違わず聞き取り、肩をすくめた。
「おいおい、ワシが何が何でも勝ちたくてしょうがねえジジイみてえな勘違いしとらんか、若僧。ワシとしちゃ、お前さんらが勝ってくれた方がありがたいんじゃぜ? これは、お前さんらの話を聞く価値があるか知りてえからやってんじゃからよ」
「――――」
「ワシとしちゃ、お前さんらの話にゃ興味津々よ。じゃが、適当な嘘掴まされた挙句、閣下への忠誠心だけ疑われちゃ老後の蓄えが不安じゃろ? そうならねえように、血の巡りの悪ぃ頭使って、こんな話を持ちかけてるんじゃぜ」
立てた左右の指を振りながら、オルバルトが飄々とアルに答える。
その答えを聞いても、アルの疑心が拭われたわけではあるまい。だが、筋が通った答えなのは事実で、それ以上の追及は躊躇われたようだ。
今のがオルバルトの偽らざる本心、と信じるほどスバルもお気楽ではない。
が、この熟達したシノビの怪老の心中を暴き出すには、時間も材料も不足に過ぎる。
こうしている間にも、ヨルナの提示した刻限は一秒一秒と迫っている。
オルバルトの提示した不自由な二択――どちらを選んでも最善とは言い難い状況下、ここから挽回する手立てが浮かぶ可能性は限りなくゼロに近かった。
もっと言えば、万全を尽くした結果、辿り着いたのがこの状況とすら言えて。
「――貴様の提案、受けるなら決め事を明確化しておく必要があろう」
「ほう、どういうことなんじゃぜ?」
「貴様自身が口にしたことだ。こちらが勝つ方が利が大きいというなら、悪足掻きの余地を多く残しておくべきではない。――互いの求むるところは明確に、だ」
「――。かかかっか」
同じ結論に先に達したらしきアベルが、オルバルトを見据えて話を進める。
勝負のルールの明確化――それを求める姿勢の裏にあるものはそれこそ明快。勝負を受けることも、受ける勝負の内容もすでに決めてあるという証。
低く笑ったオルバルト、その爛々と輝く瞳を見つめ返し、アベルは頷いた。
そして――、
「――かくれんぼだ」
△▼△▼△▼△
――その後、両者の間で交わされた決め事は大きく三つだ。
一つ目は『互いに危害を加えない』ことの確約。
元々、その気になればこちらを容易く皆殺しにできるオルバルト。彼に凶行を思いとどまらせているのは、偽皇帝の命令とヨルナへの警戒心に他ならない。
が、状況次第で彼はその禁を破るのだから、この確約は必須だった。
二つ目は『隠れ場所は都市内に限定する』こと。
こちらに勝算を残すというお題目を信じるなら、エリアの限定も公平性を保つためには必要不可欠だ。無論、都市内に限定しても、使用エリアはかなり広い。
ただ、これに関してはスバルが呑ませた条件が仕事をしてくれるはずだ。
そして三つ目は、『勝利条件の明確化』だった。
せっかく、勝ち目が高いと見て『かくれんぼ』を選んだのだ。ならば、勝利の目を追求することを悪いとは誰にも言わせまい。
故に――、
「追いかけっことかくれんぼでこっちの勝算が変わるのはわかる。けど、なんで三回なんだ? ケチケチしないでどっちも一回でもよくないか?」
「かかかっか! そりゃ欲張りすぎじゃぜ、若ぇの。こう言っちゃなんだがよぅ。一回ならまぐれがありそうじゃろ。けど、三回あればそりゃ実力じゃぜ」
「運も実力のうちって考え方もあるぞ」
「生憎と、運否天賦は信じねえのよ。つか、帝国民は大抵そうじゃろ。お前さん、珍しいこと言うもんじゃぜ」
実力至上主義の帝国らしい、実に逃げ場のない考え方だ。
幸運も不幸も存在せず、示される結果は全て自分の実力が招くことと。その姿勢、逃げ場がなくては生きられないものたちにとっては息苦しくて仕方なさそうだ。
例えば不登校時代のスバルなど、この帝国では行き場がない。
「あと、縮んだお前さんらが三人じゃから三回ってのはどうよ。今、とっさに思いついたこじつけにしちゃ筋通って聞こえるじゃろ」
「ならば、こちらが貴様を一度見つけるたびに、一人ずつ術を解くか?」
「お、つけ込んできやがりよって。じゃあ、今のこじつけはなしってことで」
ぶんぶんと両手を振って、オルバルトがアベルの確認を拒否する。
ともあれ、それらを突き詰めたあたりで精査すべきことも見当たらなくなる。
つまり――、
「んじゃ、勝負すっかよぅ」
「オルバルトさん、細かいことだが再確認……隠れる場所は、俺たちが物理的にいけない場所はなし。僻地に隠れられちゃどうにもならない」
「本当に細かい奴じゃぜ。――ま、言われなきゃやっとったけども」
「――――」
「言っとくが、何が何でもワシが勝ちてえわけじゃねえって話は本気じゃぜ? けど、忘れてくれんなよぅ。これは、お前さんらの試金石じゃってこと」
つまり、如才や抜け目のなさ、頭の回転も含めて見られているということだ。
大らかで余裕のあるように見えて、シビアな切り捨て方をするのがオルバルトだ。見るべき価値なしと判断すれば、容赦なくこちらの急所を抉ってくる。
今も、スバルが突っ込まなければ本気でそうするつもりだったのだろう。
もっとも――、
「――そのあたり、そこの仮面の若僧が見過ごすとも思えんかったがよ」
顎をしゃくってアベルを示し、オルバルトが老獪さを隠さぬ笑みを見せる。
そこに厄介さを覚えながらも、スバルはアベルやアルに目配せし、二人が顎を引くのを見届けて、勝負へ挑む覚悟を決めた。
「俺たちが勝ったら、元に戻してもらうぜ」
「ワシが勝ったら、元に戻るのは十年待つこった。ま、閣下とあの狐娘が考え直したら、ワシはワシのやり方でお前さんらの秘密を聞くんじゃぜ」
それが、シノビの里に伝わる尋問術――拷問に通ずる方法だと匂わせる怪老に、スバルは湧き上がる怖気を覚え、その黒瞳にオルバルトを映した。
そして、怪老が最初の隠れ場に向かう前に問い質す。
「――で、最初のヒントは?」
それは、これが本気の真剣勝負なら馬鹿馬鹿しいと切り捨てられる問いかけだ。
しかし、オルバルトはこれを嗤わない。何故ならこれこそが、スバルがオルバルトとの『かくれんぼ』において、彼に呑ませた勝利のための条件だったからだ。
スバルたちが『幼児化』した以上、オルバルトがこちらを評価するために見たいのは戦闘力や身体能力ではなく、前述した頭の回転や発想力の部分。
端的に言えば、「馬鹿とは取引しない」という当然の感情に他ならなかった。
「まずは小手調べ……ワシはこの宿の近く、『瞼の裏』に隠れるとするんじゃぜ」
「――瞼の、裏」
「さ、せいぜい頑張るんじゃぜ、若ぇの。老い先短ぇジジイに、せめてもの楽しみってやつを味わわせてくれよぅ」
ひらひらと手を振り、オルバルトがスバルたちに背を向ける。――瞬間、その悠々と歩き去る背中に、室内の緊張が張り詰めるのをスバルは感じた。
「――――」
今この瞬間、オルバルトに飛びかかり、かくれんぼも『幼児化』も、全ての問題を一緒くたに解決してしまえたらと、そう思わなかったものは一人もいまい。
だが、誰もその無謀を実行しなかった。それで、正解なのだ。
「かかかっか」
扉が閉まる直前、オルバルトが嗤ったのはスバルたちの逡巡の正体を察したからか。
そのしわがれた笑声も含め、最後まで『悪辣翁』の名に違わぬ振る舞いだったと言える。
そうしてオルバルトが退室し、改めて室内が味方だけになると――、
「タリッタ、弓を下ろせ。もはや向ける相手もおらぬ」
「……はイ」
敵の去った室内、アベルがタリッタに構えた弓を下ろさせる。
指示に従うタリッタの顔には、忸怩たる思いが滲んでいる。当然だろう。彼女に弓を向けられ、涼しい顔を貫き通したオルバルト。
シュドラクの一人――否、すでに次代の族長の役目を任されたタリッタからすれば、怪老のあの姿勢はシュドラクの力を愚弄したに等しい。
オルバルトに『シュドラクの民』を侮らせてしまった。
それも、自分の力不足が原因で。
元々、タリッタが魔都に同行したのは、族長を継ぐ決意の後押しを求めたのこと。
――これでは自信を得るどころか、逆効果でしかない。
「本気であの爺さんのお遊びに付き合う気かよ、兄弟」
と、タリッタにかける言葉が見つからないスバルに、そうアルが話しかけてくる。
なかなか馴染まない覆面姿のアル、その語調にはオルバルトとのやり取りに対する苛立ちと不服が滲んでいた。わりと何事も飄々と受け入れ、受け流す印象のあるアルだけに、そうした反応をするのは意外なものを感じる。
とはいえ、オルバルトにやられっ放しな以上、彼がイラつく気持ちはわかる。
「俺だって、あんな調子でやり込められていい気分じゃねぇよ。けど、ギリギリで可能性は残せた、だろ?」
「可能性ったって……」
「あたしたちが元通りになれる可能性でしょ? スバルちん」
床に胡坐を掻いて、もがくルイを押さえ込んでいるミディアム。サイズ比がほとんど変わらなくなったルイを、彼女は腕力ではなく技術で押しとどめている。
おそらく、彼女が育った孤児院とやらで培った技なのだろう。
そうしてルイをあやしながらの彼女の青い瞳に、スバルは「ああ」と頷いた。
「あそこで相手の機嫌を損ねてたら、俺たちの体は縮こまったまま……将来設計的にも、今後の方針的にも受け入れられねぇ。戻るのはマストだ」
「……それこそ、爺さんを囲んで叩くって手もあったぜ」
「馬鹿言えよ。俺たちが死ななかったのは、オルバルトさんがあの皇帝の命令に従うつもりでいたからだ。その気になられたら手も足も出ねぇよ」
「――。まるで、見てきたみてぇに言うじゃねぇか」
スバルから視線を逸らし、アルが「ありえない」と言いたげなニュアンスで言う。
アルが「見てきたみたい」と突っ込むスバルの洞察力は、世界を隔ててのカンニングであるのだから適切だ。実際、この目で見てきている。
彼がありえないと考えた事象も、認めたくなくとも起こるものなのだ。
とはいえ――、
「――――」
視線を逸らしたまま、アルはそれ以上の反論はしなかった。
アルも、オルバルトの力量の一端は昨日の天守閣で把握している。当然、あの場で本気でなかっただろう怪老、その真価が発揮された場合の勝算の薄さはわかっていよう。
だからこそ、立ち去るオルバルトの背中を見送る判断をしたのだろう。
「どうあれ、時間がない。ヨルナと会いにいくなら、俺は化粧する時間もいる。諸々で三十分は欲しいから……猶予は二時間ちょい」
「やはリ、女装はする必要があるのですネ……」
「昨日の三人もご所望されてるからな。それと……」
言いながら、スバルが視線を向けたのは沈黙しているアベルだ。
口を挟まない以上、基本的に彼もスバルと同じ方針なのだろう。まさか、死地を潜り抜けた感慨に耽っているわけでもないだろう。
それとも――、
「オルバルトさんが皇帝の命を狙っててショック、だとか?」
「たわけ。奴が身の丈に合わぬ野心を抱いていたことは承知している。もっとも、それが皇帝の首とまでは思わなんだ。そのような真似をしても得るものがないと考えていたが、求めるのが最後の達成感と死後の悪名とはな」
つくづく理解できないと、そうアベルが細い肩をすくめる。
皇帝の座を追われ、究極的に劣勢に追いやられようと諦めることを知らないアベル。
生きて玉座に戻り、帝位を取り戻すことを最善とする彼からすれば、自らの命を投げ出し、死後の名声を求める姿勢は理解できないのだろう。
その点、スバルも複雑だが同意見だ。死後、褒められたいなんて思わない。
スバルは自分が死んだあと、残った大切な人たちには忘れられたい。
そのことで悲しまれたり、苦しい思いをされるくらいなら、死んだ瞬間には何もかも思い出にされて、忘れてもらっていいと思っている性質だ。
とはいえ、その気持ちをアベルと共有するつもりもないのだが。
「……しかし、オルバルトさんも案外抜けてるよな。あんな野心を持ってるってのに、目の前のお前の正体にちっとも気付かねぇんだから」
故に、スバルは誤魔化すようにそう話題の矛先を変えた。
が、それを聞いた途端、アベルは鬼面越しにもはっきりわかる怪訝さを瞳に宿し、
「――。貴様は何を言っている?」
「あ?」
「この仮面を被っている。ならば、オルバルトの反応は当然のものであろうが」
鬼面の頬に指で触れて、アベルが淡々とそう言い放つ。
その言葉にスバルは眉を寄せ、意味がわからないと表情で示した。途端、アベルの鬼面越しの怪訝が露骨な失望へと変化する。
その眼差しのまま、アベルは深々と嘆息して、
「この面には、他者の認識を歪める効果がある。被ったものの正体を隠す効果だ」
「な……っ! それって、まさか『認識阻害』か!? でも、その仮面って元々シュドラクの集落にあったはずのもんじゃ……」
「ハ、はイ、そうでス。昔、皇帝とシュドラクが友誼を結んだときニ、皇帝がそれと知られず森を訪れるために使っていたト、そう言い伝えられていテ」
「そんな曰く付きの面だったの……?」
驚きの事実が明かされ、スバルは開いた口が塞がらない。そんな衝撃を受けるスバルに、アベルは落胆を継続したまま、
「貴様、今まで伊達や酔狂で俺がこの面を被っていると本気で思っていたのか?」
「――――」
「いよいよ、貴様の愚かさも極まったな。そも、顔を隠す行為には相応の理由が付きまとうものだ。まさか、この魔都に観光気分できたのではあるまいな」
「そこまで言わなくても、最初からそう一言説明すればよかっただろ……!」
確かに、アベルの奇行の一部だと思って何も聞かなかったスバルも悪いが、説明なしで理解されると考えていたアベルにも落ち度があるだろう。
おかげで、掻かなくていい恥と、しなくていい憂慮を味わう羽目になった。
ともあれ、オルバルトがアベルの正体に気付かなかったカラクリも合点がいった。
顔を隠しただけで、尊大な喋り方も横柄な態度もまるで誤魔化す気がなかったアベルに、いつ正体がバレるかと気を揉んだのも杞憂だったというわけだ。
「ねえねえ、アルちんアルちん。アベルちんがあんなこと言ってるけど、アルちんが顔隠してるのもなんか理由があるの?」
「オレの場合は顔の傷のコンプレックス……って、オレの話はいいだろ。もうかくれんぼは始まってんだ。さっさと動かねぇとだろ」
そう言って、アルが手で示すのは窓の外――魔都の街並みだ。
帝国でも大都市の一つに数えられるカオスフレームの広さは、城郭都市グァラルと比べてもざっと五倍以上もあるだろうか。
そんな中から、隠れたシノビの頭領を見つけ出すのは並大抵のことではない。
それもたったの二時間と、六人ぽっちの人員で、三回も。
「最初は小手調べって言ってたが、宿周りってだけでも候補は多いぜ。兄弟とアベルちゃんにはなんか策とかあるのかよ」
「策、って言えるほどのもんじゃねぇけども」
少なくとも、試してみたいことがスバルにはある。
この『かくれんぼ』の小手調べ――図らずも、オルバルトと同じ目論見だ。対戦相手である怪老の考え方を測るためにも、一度は試すべき考えが。
そう考えるスバルと同じように、アベルが腕を組んで「当然だ」と頷く。
「手はいくつかある。もっとも、そこな道化とは異なる考えだろうがな」
「軍師から道化に降格って、さっきの面のこと根に持ちすぎだろ。……いや、別にお前の軍師に拘ったりとかしてないけど」
鬼面の変装を奇行扱いしていたのがよほど腹に据えかねたのか、アベルの冷たい声音にスバルは唇を曲げて唸るしかできない。
ともあれ、ここで話し合っている間も、ジリジリと時間は消費されていく。
「自分の手足が長かった頃の感覚を忘れる前に、動き出さねぇとだ」
「まぁ、オレも兄弟も足が長かった頃なんてないんだが……」
「現状との比較の話だから」
揃って短足だったと茶々を入れるアルを押しのけ、最低限の装備を整える一団。
アルは青龍刀を鞘ごと背負い、ミディアムは双剣の一本だけを腰裏に装着。スバルも一応、鞭は持ち歩く。が、扱える自信は正直ない。
あとは万全な状態のアベルとタリッタ、それに加えて――、
「あー、うー!」
「おお、ルイちゃん、やる気満々だ! よーし、頑張って、あのお爺ちゃんを探そうね!」
「うー!」
置いていくわけにもいかないルイの声に、ミディアムが小さな拳を掲げる。
正味、ルイが足手まといになる可能性は高い。一応、オルバルトには隠れ場所の変更は禁じてあるので、騒がしいルイの接近を感知しても、それで距離を取るような真似はおそらくしない、とそう信じたいところだ。
「隠れる場所をちょこちょこ変えて、ずっと一ヶ所に隠れてたんじゃぜって言い張られる可能性もあるんじゃねぇの?」
「あれも訂正したが、オルバルトの狙いは己の勝利にはない。こうまで回りくどい手を打つのは、この遊戯を通してこちらの器を測るためだ」
「器を測る、ね。それってつまり……」
「皇帝の座を狙うと、そう大言するだけの能があるかどうかを、だ」
オルバルトの真意を疑るアルに、アベルがはっきりとそう言い切る。
そこにスバルも嘘はないと見ている。オルバルト自身の言い分を素直に信じるのは抵抗感があるが、その目的が皇帝の命にある以上、彼からしてもスバルたちの狙いと、抱えている情報が信じられる本物である方が都合がいい。
オルバルトは、スバルたちが能力を示すことで納得を得たいのだ。
そのためにも――、
「聞かなかったけど、『陽剣』の焔がどうとかって話は……」
「生憎と、ヴォラキア皇帝の歴史について長々と講釈してやる時間はない。貴様の浅知恵はともかく、俺の策は宿の一室で動かせるものでもないからな」
「ちっ、わかったよ」
明かすつもりはないと、そうはっきりわかるはぐらかし方にスバルは舌打ちする。
とはいえ、オルバルトとの話が事実なら、アベル=ヴォラキア皇帝には何らかの守護があり、それがある限り危害は加えられないと、そういう話には思えた。
「考えてみると……」
これまで、スバルはアベルが命を落としたところをこの目で見たことはない。
このヴォラキア帝国にきて以来、かなりのハイペースで命の危機に晒され、実際に命を落として『死に戻り』もしているスバルだが、アベルの死に居合わせたパターンは今までに一度もなかった。――状況的に、死んでいるだろうと思われたことはある。
それこそ前回のオルバルトが本性を露わにした際や、トッドによってバドハイムの森がシュドラクの集落ごと焼かれたときなど、囚われの身のアベルの命はなかったはず。
ただ、それは状況的にそうだというだけで、直接スバルが彼の死を確認したわけではなかった。――だから、一つだけ確かめておきたい。
「その、『陽剣』の焔ってやつは、今もお前を守ってるのか?」
「くどいぞ。それとも、貴様もそれが聞けねば俺の敵に回るか?」
「……それするメリットがねぇよ」
揶揄する物言いに頬を歪め、スバルは今度こそ追及を諦めた。
そうして、スバルは宿を発つ準備を終えた面々、仲間たちの顔をぐるりと見渡して、
「思いがけず、勝負しなきゃいけなくなった。けど、相手を見つければいいって条件なら、メンバーが半分縮んでる状況でも勝負になるはずだ。むしろ、かくれんぼ勝負なら身も心も童心に帰れる今の方が有利かもしれないまである」
「ド、どういう理屈なんですカ……?」
「捨て置け。聞くだけ意味のない戯言だ」
実際、軽口以上ではないので正解だが、眉間の皺で遺憾の意だけ表明しておく。
それをしてから、スバルは「とにかく!」と必要以上に大きな声を上げ、
「全員、周囲に最大限の注意を払ってくれ。――じゃあ、いこう!」
「おーっ!」
「あうー!」
「……気合い入ってんなぁ、兄弟たち」
あり合わせの服で体裁を整え、かなり不格好なスタイルで意気込むスバル。追従するミディアムとルイが拳を突き上げ、その様子にアルが嘆息する。
一方、最大戦力となったタリッタは緊張と不安を瞳に宿し、アベルは鬼面の向こうの表情を窺わせず、その手に何も持たない相変わらずの不遜ぶりだった。
そんなメンバーで一斉に宿の部屋を出る。
まずは一回目、最初のオルバルトの隠れ場所を特定するために。そう意気込んで、スバルは大きな音を立てて扉を閉め、勢いよく踏み出し――、
「――で、すぐ戻る」
「へ?」
強く踏み出した足でそのまま床を蹴り、スバルの体が半回転。出てきたばかりの扉に向き直る転身を見て、アルが間抜けな声を漏らした。
それを尻目に、スバルは部屋の扉を力強く押し開けた。
そして、スバルたちが出発したばかりの部屋の中を指差し――、
「――オルバルトさん、みーつけた」
「かかかっか! おいおい、これすぐ気付くとか性格悪くね? こんなもん、いきなり見抜かれたワシ赤面もんじゃぜ、超恥ずいじゃろ!」
と、スバルたちと入れ替わりに部屋に忍び込んだオルバルトが、自分を指差すスバルの一回目の宣誓を心底愉快そうに笑い飛ばしたのだった。
△▼△▼△▼△
「マジか、兄弟……!」
部屋の中、冷めたお茶を淹れ直そうとしていたオルバルトの姿にアルが驚愕する。
彼の驚きに、「あ、お爺ちゃんだ!」「あー!」とミディアムとルイが追随し、同じように部屋を覗き込んだタリッタも目を丸くしている。
それらの反応に遅れ、最後にオルバルトの姿を視界に入れたアベルは目を細め、
「なるほど、『瞼の裏』か」
と、そうスバルの幼い横顔を見下ろし、呟いた。
「最初から、ここだとわかっていたのか?」
「『瞼の裏』って表現と、この宿の周りで思いついた第一候補がここだった。この手の勝負持ちかけてくるタイプって、絶対一回はこれやろうとするからな」
答えるスバルの脳裏に思い返されるのは、はるか遠い懐かしの記憶――ベアトリスと、初めて旧ロズワール邸で出会ったときの思い出だ。
魔法の力でループする廊下を作り、スバルに延々と同じ空間を歩かせようとしたベアトリス。生憎と、スバルはその目論見を一目で看破し、一番最初のスタート地点がゴールであると早々に見抜いてしまった。
今思うと、可愛いベアトリスの策略に付き合ってやればよかったと反省しきりだが、相手はお茶目なベアトリスではなく、底意地の悪い怪老なので手加減無用。
だから、幼い顔を盛大に歪めて容赦なく勝ち誇ってやる。
「正直、お見通しだったぜ、『悪辣翁』」
「おいおい、追い打ちなんて勘弁してほしいもんじゃぜ。この様、里の若ぇ奴らにゃ到底見せらんねえ醜態じゃよぅ。お前さん、『悪辣坊』って名乗っちゃどうよ」
「それは遠慮しとく。大体、悪辣なんて言われるほどのことしてねぇし」
「そりゃ、それこそ謙遜じゃろ。――わざわざ、ワシに聞かせるためにでけぇ声で出発の音頭も取っとったわけじゃし。大した腹芸よ」
片眉を上げて、じっとねめつけてくるオルバルトにスバルは頬を掻いた。
さすがに、あれだけ大げさにやれば意図は察せられるというものだ。もっとも、仮にスバルの真意が見抜けていても、オルバルトには隠れ場所を変えようがなかった。
隠れ場所を先に決め、ヒントを伝える仕組みの勝負になっているからだ。
「だいぶ早い初戦の消化だけど、ちゃんと一回に数えてくれるよな? まさか、俺が悪辣の襲名を拒否したからって機嫌は損ねないだろ?」
拍子抜けする結果だったからと、そう言い逃れられては困る。
そう懸念するスバルの確認に、オルバルトは「当然じゃろ」と片目をつむり、
「結果が早く引き寄せられてのはワシの手落ちよ。その尻拭いをお前さんらにやらせようなんてのは、ちょいと筋が通らん話じゃぜ。取り決め通り、あと二回じゃ」
「おお~! やったね、スバルちん! 十秒くらいで一回目だよ!」
「ああ、朗報だ」
大喜びするミディアムの傍ら、スバルは安堵に胸を撫で下ろした。
ひとまず、最初のオルバルトの謎かけ――そう、これは『かくれんぼ』の名前を借りた、ある種の試験だ。テスト問題を解かされていると、そう言ってもいい。
オルバルトのお眼鏡に適うかどうか、試されているのだと。
「それもこれも、全部、ベア子の……」
おかげ、と言おうとして、スバルは心中に愛らしい少女を思い描こうとした。
しかし、その思考が一瞬、白んで停止する。
「――――」
微かな違和と、些細な引っかかりが心にささくれを生む感覚。
それが何なのか、はっきりとした答えを追い求める前に――、
「そいじゃ、ワシも名誉を挽回せんといかんし、二つ目の隠れ場へ急ぐかよぅ」
「あ、ああ、そうだな。それで、次のヒントは?」
「ふむ……次の隠れ場所は、さながらそうじゃな」
腰の裏で手を組んで、首と体を傾けるオルバルトと思案する。ただ、その思案も長くはかからず、怪老はにやりと頬を歪めると、
「――『見晴らしのいい奈落』、と言っとくんじゃぜ」
「見晴らしのいイ……」
「奈落ぅ?」
タリッタとアルが言葉を繋げ、奇々怪々な次の隠れ場所のヒントを反芻する。
だが、それ以上のヒントを残すつもりはオルバルトにはない。
「初回は期待以上、じゃが、勝負の本番はこっからじゃぜ」
そう、老人は白い歯を見せて笑ったあと、颯爽と身軽に後ろへ飛んだ。そのまま、オルバルトは部屋の窓を開け放つと、気安く窓枠に足をかける。
そして、目を見張るスバルたちの眼前で外へ飛び出した。
「次はもうちょい、歯応えのある隠れ方しとくんじゃぜ!」
「待て、爺さん! ……クソ、もういねぇ!」
慌てて窓に駆け寄り、外を見回したアルが覆面を被った頭を抱えてそう叫ぶ。
実際、逃げに徹したオルバルトを捉えることは困難だ。その圧倒的な逃げ足は、勝負を追いかけっこからかくれんぼに変更させて正解だったと確信させる。
ともあれ――、
「スバル、あの男の次の隠れ場所ハ……」
「うんうん、スバルちんならわかる? わかるやつ?」
「う……それは、その」
振り向いたタリッタとミディアムに期待を向けられ、スバルは言葉に詰まった。
二つ目の隠れ場のヒント、『見晴らしのいい奈落』――これに関しては正直、スバルの中に全く答えらしいものに結び付く足掛かりが見つからない。
「悪い。パッとは出てこない。心を読んだとかじゃなく、展開を読んだだけだから」
「そっか~、ごめん! 頼りっ放しじゃダメだよね! 一緒に考えよう!」
「そウ、ですネ。私モ、頭を使うのは得意ではありませんガ、考えまス」
不甲斐ないと頭を下げるスバルに、ミディアムとタリッタがそう答える。
最初の隠れ場がスタート地点というのは、ある種のお約束が果たされた形だ。
仮に外れていても、時間的なロスがほとんど発生しない場所だったため、気軽に試せた部分もある。ただし、ここからは――、
「シンプルに、時間との勝負になってくる」
「――。兄弟にも、次の隠れ場は見当がつかねぇと。いや、そりゃそうだよな」
「そりゃそうって……期待薄だったのかもしれねぇけど、はっきり言われると凹むぜ」
本格的な『かくれんぼ』勝負の始まり、その出鼻に味方から背中を斬られる。
もちろん、その評価も妥当とスバルは受け取ったが、歯に衣くらいは着せてほしいのが本音だ。親しき仲にもドレスコードあり、である。
しかし、そんなスバルの言葉に、アルは「あー、そうじゃねぇよ」と手を振り、
「兄弟にわからねぇのも無理ねぇ話だ。なんせ、オレが一緒にいるからよ」
「うん? ちょっと何言ってるのかわかんない。アルがいると、俺の知能指数が下がる的な話? どういうシステム?」
「そういう話でもねぇんだが、説明が難しい……よな?」
「同意求められてもわからねぇ」
言いながら、アル自身も確信の持てない言い方なのが不思議だった。
首を傾げているアルはさておき、これ以上、この話題が建設的な方向へ進むことはないだろう。オルバルトの残した『見晴らしのいい奈落』、その解明が最優先だ。
「『瞼の裏』で最初の部屋だったんだ。『見晴らしのいい奈落』ってのも、それっぽい言い換えだと思うが……」
「見晴らしがいいということハ、高所と考えられるのでハ?」
「でも、奈落って穴のことでしょ? 穴なら、地面にあるんじゃない?」
あるいは、そう表現されるスポットがカオスフレームにある可能性もある。
いずれにせよ、宿の一室で得られる情報量では答えに辿り着けそうもない。いよいよもって、都市へと繰り出す必要があるだろう。
「……うまく頭が回らねぇな。そういや、アベルちゃんの策は?」
「ここで動かせるものではない、と話したはずだ。できるだけ人の多い……それも、外部の人間が出入りする場所が都合がいい」
「余所者御用達ってこと? この街のどこなんだろうな……」
アベルの策の実行について、アルがそう首を傾げている。
余所者の出入りする場所を探す考えの真意は不明だが、実行段階になるまで聞いても教えてくれない可能性が高い。利敵行為とまでは言わないが、扱い辛くはある。
無論、勝つために己の手札を容赦なく切る男だと、そうわかってはいても。
「人の出入りの多いところなら、あれだ……あの、お酒飲むところ」
「酒場、ですカ?」
「そう、そこ。そことか目指してみるのがいいと思う」
寄り道なしにオルバルトを探すのと、アベルの策が成るのを手伝うのと、どちらが有益なのかは議論の余地があるが、現状はアベルを優先するのが吉だ。
そう考え、スバルたちは気持ちを新たに、宿の外へ。
「子連れでぞろぞろと、人目を引くことこの上ないな」
「六分の四が子どもの時点で文句言うなよ。そもそも、人目のこと言い出したら、鬼のお面の時点で無理だろ。それとも、認識……ええと、面の効果で別の顔に見えるとか?」
「正体を隠匿するだけで、見た目は鬼の面と変わるまいよ」
「なら、絶対目立つじゃん……」
アベルの筋違いな不満を受け流し、スバルは小さな肩を落として嘆息する。
宿の入口で店の人間に挨拶し、酒場の位置を聞いてから往来へ。そのまま、アベルの狙いを果たすため、全員で店を目指して歩き出す。
と、その途中でふと、
「全員で店にいくより、役割分担した方がいいかな? オルバルトさんを探す班と、アベルと一緒に酒場にいく班に――」
分かれて行動を、と提案しようとしたところだった。
「――あ?」
不意に、赤い光が視界の端を散って、スバルの目が眩んだのは。
そして――、
△▼△▼△▼△
「お、ええ名前じゃな。それ採用」
「うえ?」
赤い光に目を焼かれ、瞬きしたスバルの鼓膜を不意の声が打った。
その響きと突然さに間抜けな声が漏れると、スバルのすぐ前で失笑が起きる。それは低くしゃがれた笑いで、その声音にスバルは目を見開いた。
「かかかっか! なんじゃ、間抜けな声出しよって。いい名前じゃって褒めたんじゃぜ」
「……オルバルト、さん?」
喉を鳴らし、細い肩を揺すって笑う怪老が目の前に立っている。
それがあまりにも突然のことで、スバルは理解できずに何度か目を瞬かせた。それから唾を呑み込み、宣言すべきことを告げる。
「お、オルバルトさん、見つけた」
「――? なんじゃ、それ。もう、勝負始めた気になっとんのかよぅ」
「え……?」
思いがけない二度目の発見と、そのチャンスを逃すまいとして違和感に気付く。
首を傾げたオルバルトの態度と発言、そして最も大きな違和は周囲の光景――魔都の往来に出たはずが、スバルがいるのはどこかの部屋の中だ。
――否、どこかの部屋ではない。
「……嘘だろ」
スバルがいたのは、宿の一室。――出てきたばかりの、宿泊室だ。
そして、そこでオルバルトと向かい合い、話しているということは。
「――――」
死なないはずのルール下で、『死に戻り』したのだと認めるしかなかった。