第七章36 『混沌たる魔都』
「あー! うー!」
正面に見える街並みを指差して、御者台のルイが尻を弾ませる。
疾風馬を操る邪魔になると注意したいところだが、手綱を握る当事者であるミディアムはルイの肩を引き寄せ、「わかるわかる!」と楽しげなのでそれも無粋だ。
付け加えれば、同じものを見るスバルもそれなりに圧倒されていた。
「あれが、魔都カオスフレーム……」
ごくりと喉を鳴らし、思わずスバルは自分の体で驚きを表明してしまう。
ルグニカでも、水門都市プリステラの風光明媚を地でいく情景に驚かされ、ヴォラキアではその建築様式の違いに感心させられることもあった。だが、眼前に迫る魔都の光景はそのいずれとも異なる衝撃をスバルにもたらす。
スバルの認識では、都市とは多数の人が住まうための集合体であり、そのために統一された様式やルールが建築にも敷かれているはずだ。
しかし、カオスフレームの街並みには、そうした統一感というものが感じられない。
まさしく、『混沌』を冠する都市らしい、雑多で適当な主義主張の坩堝だった。
都市の中央、最も目につくのは赤く光沢のある塗料で塗られた城であり、街並みはその城を囲うように円状に拡大する形だ。一見、ルグニカの王都と近い造りに見えるが、あちらは貴族街や平民街、貧民街と階層ごとに明確な違いがあった。
だが、カオスフレームにはそれがない。
煌びやかな建物の隣に古びた廃墟が、背の低い建物の並ぶ通りに突如として倍以上も大きな尖塔が、緑の生い茂る公園と隣接して荒廃した砂地が存在している。
それら街並みの上には勝手に継ぎ接ぎされた梁や足場が無数にかけられていて、遠目には都市全体が蜘蛛の巣で覆われているかのようにも見えた。
規律や整頓、総じて『まともさ』と無縁の都市――魔都と、そう呼ばれるだけはある。
ここは紛れもなく、混沌の蔓延る場所なのだと一目でわかった。
「――『巨人の一突き』であっさり崩れそうな街並みに見えるよな」
と、近付く都市の雑多さに目を細めるスバルに、並んだアルが声をかけてくる。彼は手で作った庇を兜の額に当てながら、魔都の情景にそうこぼす。
どうでもいいが、兜の上から庇を作って意味があるのだろうか。
「オレもヴォラキア暮らしは長かったが、東側にくんのは初めてで新鮮だわ」
「アルもカオスフレームは初めてなのか。じゃあ、ずっとヴォラキアの西側に?」
「西側っつーか、一ヶ所だな。剣奴孤島って、湖の真ん中に浮いてるコロシアムがあんだよ。オレ、そこでずっと剣奴やってたから」
「コロシアムの剣奴……」
以前もちらっと聞いたことのあるアルの経歴、その壮絶さにスバルは閉口する。
腕をなくしたこともそうだが、アルがさらっと語る事情は重たいものが多い。重たいものだからこそ、相手に気を遣わせないよう気軽に話しているのだろうが――、
「全然、それでこっちの精神的な負担は軽減されてないんだよな……」
「うん? なんか言ったかよ、兄弟」
「いや、何にも。……そういや、『巨人の一突き』って?」
「あれ? 兄弟の地元じゃ言わなかった? 地震とか、そういうもんのことだけど」
聞き慣れない表現を尋ねると、アルに首をひねって問い返される。
アルとは同郷とはいえ、この場合の故郷とは広く『元の世界』のことを意味するので、もちろん本当の意味での地元は異なってくるだろう。
しかし、鬼関係の諺は多くても、巨人関連の諺はあまり覚えがない。
「もしかして、野球の球団とかかってたりする? 俺、あんまり詳しくないから」
「あー、いや、どうだったかな。オレもわざわざ、どこでその言葉を仕入れたとか覚えてねぇし、野球が特別好きだった覚えはねぇけども」
「そうか。ビール飲みながら野球中継見てるの似合いそうなのに」
「そもそも、オレはそんなもん飲んでなかったっての」
苦笑を交えたアルの言葉に、スバルは彼が異世界に召喚された年代を思い出し、「確かにそうか」と内心で納得した。
ともあれ、そうした雑談を交わしている間に、一行を乗せた馬車は魔都の正面、混沌たる都市の入口へと差し掛かる。
都市への出入りといえば、直近で思い出されるのはグァラルの検問だ。
街に出入り可能な大正門、都市の北と南にそれぞれ設置されたそこで検問が行われ、都市に出入りする人間の素性や滞在の目的が問い質されていた。
結局、スバルたちの潜入を許した以上、検問が正しく機能していたかは議論の余地があるだろうが、ズィクルの「ナツミ殿たちのあまりの麗しさに、兵も目を焼かれたのでしょう」というコメントを抜粋し、こちらが上手だったと処理しておく。
とにかく、そうした検問めいたものの存在は王国も帝国も区別しない。
ルグニカの各都市にもその手の確認はあった。なので、ここが一つの勝負所と考え、スバルも改めて『ナツミ・シュバルツ』を再構築したのだが――、
「――入れ」
「りょーかい! ありがとね」
「うー!」
馬車の中をぐるりと見回し、通行の許可を出したのは都市の衛士の役割を負っているはずの単眼族――顔の中央、大きな瞳を一つだけ有する種族の男だった。
パッと見ただけで入場の許可が下り、スバルとしては拍子抜けだ。あるいは、あの特徴的な単眼には何やら特別なものを見る力でも宿っているのだろうか。
「それが理由で、門兵に指名されているのかもしれませんわよね」
「深読みしているようだが、単眼族にそのような力はないぞ。多少、二つ目よりも遠くが見られるとは聞くが、概ね、目の働きに違いはない」
「でしょうね! だって、こんな怪しい馬車を素通りさせてますもの!」
顎に手をやり、自分なりの納得を目指したスバルが無遠慮な言葉にそう吠える。
そのスバルの高い声の訴えを聞いて、相手は小さく鼻を鳴らし、その顔を覆っているお面――赤い鬼の面の角度を直し、深く座席に座り直した。
魔都へ到着するなり、持ち込んでいた面を被り直したアベル。彼のその行動に、スバルは門兵や衛士に怪しまれるとしきりに訴えた。
が、アベルの仮面は剥げなかった上、門兵の反応は彼が予見した通りのものだったので、スバルとしては二重の意味で苦いものを味わった思いだ。
無論、アベルが怪しまれなかったのは朗報であるのだが。
「ホント、由々しき事態ですわよ。都市の最初の防衛役たる門兵があの調子なんて、いったいどんな法がまかり通っておりますの」
「私モ、ナツミと同意見でス。袖のある服を着ているのニ、何も言われないなんテ」
「んん……その驚き、わたくしの驚きとちょっと質が違うものですわね……」
頬を強張らせたタリッタが賛同してくれるが、生憎と彼女が受けたカルチャーギャップはスバルのそれと発祥を異とするものだ。
スバルの方は都市の姿勢、彼女の場合は『シュドラクの民』としての自認か。
「――――」
魔都への到着前、焚火を囲んでタリッタと話したことが思い出される。
その後、彼女の口から同じ不安や悩みが語られることはなかったが、あれ以降、タリッタが悩みから解放されたというわけでもない。あるいは、彼女が族長を引き継ぐという決定的な出来事をなし得ても、それは消えないかもしれない不安だ。
できれば、彼女の心が安らぐ決着を迎えられればとスバルは切に願うが――、
「それはそれとして、魔都の問題ですわよ」
大雑把な検問を乗り越えた馬車は、雑多で無秩序そのものの街に呑み込まれる。
御者台からはいちいち感銘を受けるミディアムとルイの甲高い歓声が上がっており、スバルも外観だけではわからない、内側からの魔都の光景に目を見張った。
まず、都市に入って目につくのは、これまで類を見ないほどの人種の多さだ。
門兵の単眼族のインパクトもなかなかだったが、一度都市に入ってしまえば、彼の存在も特別目を引くほどではなかったと思い知らされる。
メジャーなところで言えば多様な獣人――猫人や犬人に留まらず、兎人や獅子人といった小柄と大柄が明確に分かれる種族が通りを行き交う。
爬虫類めいた姿形を持った蜥蜴人の一団が店を開き、多くの腕を持った多腕族、異様に髪が長い集団はファッションなのか種族的特徴なのか、それもわからない。
かと思えば石塊そのものが歩いているような種族がいたり、体の一部が別の種族と混交したようなキメラめいた存在も目についた。
「――――」
その無分別な種族の混ざり方に、スバルは声を失ったままでいる。
無論、ルグニカの王都でも、スバルが異世界へ召喚されたのだとすぐに気付けるぐらいインパクトのある光景はあった。だがその後、この世界で生きていくための知識を身につける中で、亜人を取り巻く複雑な事情も多少なり知った。
ハーフエルフであるがために排斥された経験のあるエミリアを筆頭に、この世界の亜人たちの環境は決して恵まれているとは言えない。
良くも悪くも、異質なものが遠ざけられる習俗は世界を隔てても変わらない。
故に、外見にその特徴が色濃く表れる亜人の多くは人里を離れ、トラブルを避けるために小さくなって過ごしていると、そう聞いたことがあった。
ガーフィールらの故郷である『聖域』も、その一種だっただろう。
しかし、スバルの目の前にあるカオスフレームはどうだ。
多種多様な種族が肩を並べ、はばかることなく過ごしていることもそうだが、スバルが最も驚かされたのは、そうして過ごす彼らの背筋だ。
ピンと背筋を伸ばし、誰もが堂々と己の種を主張している。
獣人が爪や牙を丸めず、蜥蜴人が鱗を磨かず、異形異様とされるものたちが顔や体を布で覆わない。――それが、スバルの目には新鮮に映った。
「如何なる法がまかり通っているのかと、貴様はそう言ったな」
ふと、そう言い放ったのは一人、座席に座っている鬼の面のアベルだ。
御者台のミディアムたちだけでなく、スバルやアル、タリッタさえも周囲を興味深く見渡している中、顔を隠した皇帝はスバルの意識を自らの言葉に惹きつけ、続ける。
「見ての通り、ここにあるものは無法だ。如何なる法がまかり通るかと問えば、無形の法がまかり通る。秩序の本質を嘲笑う、悪徳の都市と言えような」
「悪徳……人が感動しているのに、水を差しますわね」
「感動? 感銘を受けたか。貴様のように外のものなら、それも当然か」
唇を曲げたスバルの返答に、アベルが細い肩をすくめる。
外の、という言い方がまたしても部外者扱いされている感があり、スバルは数日前の馬車での言い合いを思い出してしまう。もっとも、感情的になったのがスバルだけな以上、あれを言い合いといっても相手には鼻で笑われるだろう。
「けど、無秩序そのものが秩序っぽくなってるってのが、この街の一貫したコンセプトってやつなんじゃねぇの? そこんとこどうよ、アベルちゃん」
「秩序の本質を問えば、この都市が無秩序か否かの是非がわかる。――貴様は、そも秩序の本質がどこにあると考える?」
「禅問答みてぇなこと聞かれた……兄弟、パス!」
早々に考えることを投げ出したアルに、スバルは片目をつむる。
とはいえ、プライドのないアルと違い、スバルは簡単に白旗を上げるのに抵抗がある。腕を組んで首をひねり、肩の上から長い髪を流しながら、
「秩序の本質は、あれじゃありませんの。その、みんな仲良く! 平和!」
「――秩序の本質とは、同じであることだ」
小学校の低学年みたいなスバルの意見に、アベルは反応せずにそう述べた。
その言葉に眉を顰めると、アベルは続けて補足する。
「多くが同じ価値観を共有すること。教義や信念、目的や欲得でもいい。個ではなく集団において、それら互いに逸脱せぬ同一性こそが秩序と呼ばれる。その秩序という土台の上に築かれるのが、貴様の語った絵空事だ」
「絵空事……へ、平和がそんなに馬鹿げていると?」
「闘争は避けられぬ人の本能だ。そのための武器が剣ではなく、言葉や国となっても本質は変わらん。だが、秩序は崩壊から縁遠い環境を形作る絶好の仕組みだ。――見よ」
顎をしゃくり、アベルが窓の外へとスバルたちの意識を促す。
自身は座席に座ったまま彼が示したのは、わざわざ窓の外を眺めずともそこにあると確信が持てるだけのモノ――この、魔都の象徴たる赤い城だ。
「道化の語った通り、この都市には無秩序という秩序が敷かれている。そして、多くの種族の坩堝と化しながら、都市が崩壊に陥らぬ根拠があれだ」
「あの城……いいえ、城の中の……」
「――ヨルナ・ミシグレ」
微かに身震いするスバルの鼓膜を、アベルの声音が強く打った。
その名前を口にするアベル、彼の表情は面に遮られて見えない。ただ、彼自身はその存在を、『九神将』きっての問題人物であり、自らの帝位奪還のために欠かせぬ存在である相手をどう考えているのだろうか。
縦にも横にも雑多なものが並び立ち、統一性のない人々が行き交う魔都。
その都市の中心にある城は、光沢のある外壁を妖しげに光らせながら、自らの膝元へ乗り込んできた皇帝一行を見下ろしているようですらあった。
△▼△▼△▼△
――ヨルナ・ミシグレについて、事前に知らされた情報は少ない。
ヴォラキア帝国の最強格、『九神将』の一人であり、『漆』の位を与えられた女性。
帝国の将軍位に就き、皇帝の剣の一振りに数えられておきながら、これまでに幾度も謀反を起こし、国内に無用な混乱を招いた危険人物。
ホウレンソウのできない皇帝に代わり、スバルに『九神将』の情報をもたらしてくれたのはズィクルだったが、その人間性において彼が言葉を濁したのは、そのヨルナと『壱』のセシルスの二人だけだった。
つまるところ――、
「帝国で一番頭のおかしい男女の、女性の方という認識では……?」
そう口に出してみて、これから先のことを思うとスバルの偽の胸が重くなる。
女の方との交渉が目下の試練だが、いずれは男の方とも相見えなければならない。しかも、味方に付けなければほぼ負けが確定するのも共通している。
同じと言い始めると、アベルの語った秩序トークが思い出されるが、
「相手にしなくてはならないのは、秩序と程遠い方ですのよね……」
ぼんやりと頭痛を覚えて、スバルは額にかかる髪を指でよけながら呟く。
アベルの論じた意見はさすが皇帝といった形で興味深かったが、それが直近のヨルナ攻略に役立つかと言われれば、あまり効果的ではない。
ただ、あの話は単にスバルに賢い話をしてマウントを取りたかったわけではなく、言いたかったことは別にある。――魔都の秩序、だ。
人も物も雑多で無秩序に溢れ返って見えるカオスフレームだが、そうした混沌を煮詰めた鍋にあっても崩壊しない『秩序』が成り立っている。
アベルは、その秩序こそがヨルナ・ミシグレだと語ったのだ。
すなわち、ヨルナにはこの混沌をひとまとめにし、鍋の外へと溢れさせないだけの実力と才気、それが備わっているのだと。
だからこそアベルも、幾度も反乱した危険な謀反者でありながら、ヨルナを『九神将』から除籍も、処刑もせずに残していたのだろう。
「けど、曲者には違いねぇだろうし、貧乏くじ引かされんねえ、兄弟」
と、そんな調子で思索に耽るスバルの傍ら、のんびりと胡坐を掻くアルが笑った。
板張りの床の上、だらしない姿勢でいるアルを横目に、スバルは小さく吐息する。彼の平常心には救われることもあるが、それもケースバイケースだ。
「アル、しゃんとしてくださいまし。いつどこで、誰に見られているかわかりませんのよ。それから、わたくしを兄弟と呼ぶのもやめてください」
「態度と姿勢に関しちゃ聞いてもいいけど、呼び方かぁ……兄弟以外になんて呼んだらいいんだ? 姉妹って書いて兄弟?」
「それ、漢字が伝わらないと伝わらないのでは?」
日本語の多彩な表現の美しさには心震えるものがあるが、現状、スバルとアルとの間でしか通じないやり取りを増やしても仕方がない。
必要なのは、むしろ対外的な呼び方の方なのだから。
「ミディアムさんやタリッタさん、アベルをちゃん付けなんですから、わたくしもそうしていただくのが自然ではありませんかしら」
「そしたら、ナツミちゃんか? うお、サブイボ!」
「堪えてくださいまし! まったく、落ち着きのない……」
右腕の肌が粟立つのを見せてくるアルを、スバルは引率役として叱責する。
それもおかしな話だが、今回の人選は年功序列が役立たないのだからしょうがない。課せられた役目も重たいスバルが気を張るのが適切だろう。
なにせ――、
「――すでに、『紅瑠璃城』の中に入っているのですから」
口の中だけで呟いて、スバルは自らの気持ちの引き締めにかかる。
そう、すでにスバルたちは魔都の中枢、紅色に輝く城の中へと招かれ、都市の統治者であるヨルナ・ミシグレへの接見を求めたあとなのだ。
――魔都への入場が果たされ、その後の行動は早かった。
早々に疾風馬と馬車ごと泊められる宿を見つけると、一行は部屋を取り、目的としているヨルナ攻略のための行動を開始した。
と言っても、やるべきことは道中ですでに固めてあったため、行動に迷いはない。
そのための行動とは――、
「これを城主、ヨルナ・ミシグレへと届けよ。奴からの反応があるはずだ」
そう言って、アベルがスバルに手渡したのは彼がしたためた書状だ。
書状を入れた封筒は蜜蝋で閉じられており、開封不可能な状態にある。重要な書類には蜜蝋が固まる前に家紋の入った指輪などを押し、出所の証とするのが通例だ。
ただし、預かった手紙の封蝋にそうした証は押されていない。
「俺が持ち出した皇帝の証は、すでにどちらも砕け散った。片方は貴様が、もう片方はグァラルの都市庁舎でだ」
「ああ……『血命の儀』と『アラキアパニック』ですわね。でも、出所を示すものがなくて、読んでもらえますかしら。仮に読んでもらえても、信じてもらえないのでは?」
「余計な懸念は不要だ。内容を明かすつもりはないが、手紙を読めば俺からとわかるようにしてある」
「なるほど。……ちなみに、あなたが直接赴くのが確実ではありませんの?」
受け取った手紙を懐に入れながら、スバルは率直にそう尋ねる。
手紙を渡すよう申し付けられたのは、アベルが城に同行しないためだ。こちらの素性や事情の証を立てる意味でも、彼がいれば一発で片付く問題に思える。
そもそも、ヨルナと直接交渉するためにアベルは同行しているのではなかったのか。
極端な話、それをしないならアベルはグァラルに残っても同じだったはずだ。
「むしろ、途中の検問で気を揉んだりする心配もなくて、そちらの方がよほど旅路は安定していたと思うのですけれど……」
「貴様の不敬は留まることを知らんな」
「だって、あなた一人でわたくしたちの輪を乱しますし……」
厳密にはアベルだけでなく、ルイの存在も不穏分子の一つだ。
が、この場はアベルに対する嫌味が言いたい場面だったので、スバルの心を掻き乱す専門職であるルイのことはいったん棚上げにしておいた。
「言われずとも、ヨルナ・ミシグレとは直接言葉を交わす。だが、早々に俺が顔を見せるのは都合が悪い。貴様も察しろ」
「察しろって……ああ、そうですわね」
鬼の面越しに不機嫌さを発するアベル、彼の言葉にスバルは静かに納得した。
言われてみれば、これまでに幾度も謀反を起こしているような相手だ。ヨルナからすれば、アベルの統治に不満があるからこその反乱だったはず。
当然、アベルとヨルナの関係性は水と油、事によっては火種の燻った火薬庫のような有様なのだろう。よく魔都まで足を運んだものである。
「目下、貴様の役目は手紙をヨルナ・ミシグレへ渡すことだ。ただし、それが俺からの……皇帝からの親書であることは伏せておけ」
「え、どうして? それ言わないと、門前払い喰らわない?」
「念のため、だ。手紙に目を通させれば悪いようにはされまいが、手紙を渡す前の変心までは俺にも読めん。故に、工夫しろ」
「工夫……」
思いがけない難題を投下され、スバルは驚きつつもアベルを見やる。
彼は腕を組み、鬼の面で表情を隠したまま、
「この都市を見れば、奴の気象や好悪の秤のおおよそは知れよう。貴様の持てる悪知恵の粋を働かせ、あれの興味を引くがいい」
「言い方に悪意がありますわよ!」
「次善の策もあるが、それに頼るのは避けたい。先々が続かなくなる。俺の目的を思えば先は長い。わかるな?」
「本当に、偉そうな男ですわね……」
言い含めるようなアベルの物言いに、スバルは唇を曲げて不平を露わに。
今ならヨルナと一緒に、アベルに対して謀反を起こすのも吝かではない。そう考えるとヨルナとも仲良くできそうな気がしてきた。
お互い、皇帝陛下への不平不満を言い合えれば、親友になれるかもしれない。
「……じゃあ、その方向で進めますわね」
「何やら閃いたようだが、碌なことではなさそうだな」
なんて、碌でもないことの発起人に言われても、何の説得力もないのだった。
――と、そんな経緯を経て、スバルたちは魔都の中枢、ヨルナ・ミシグレの居城である『紅瑠璃城』へと乗り込んでいた。
アベルの言いつけに従い、彼の名前は出さない形で城へ上げてもらった。
少々変則的なやり口ではあったが、門兵同様にさしたる警戒心を抱いていないヨルナの私兵は、スバルたちを城へ入れ、ヨルナの接見のために待つよう命じた。
故に、スバルたちは城の中、城主であるヨルナの準備が整うまで、板張りの床が敷かれた広い待合室で時間を過ごしている。
待合室には見張りの衛士の姿はなく、出ていこうと思えばいつでも出ていける。
セキュリティの甘さと不用心さに、部外者のスバルの方がハラハラするほどだ。そもそも、あまりにとんとん拍子に事が進んで、スバルも困惑しているぐらいである。
「もちろん、都合はよいのですが……この調子で訪問者を城に入れていたら、いくら一将と言えど暗殺のし放題ではありませんの?」
「実際、オレらの武器も取り上げられてねぇしな。まさか、武器持ったまま入っていいって言われたときは驚いちまったぜ」
「そりゃ、あたしたちは暴れるつもりとかないもん。怒られないって」
相手方の寛大というより、ただただ無防備な対応にスバルとアルが呆れる。が、そんな二人の会話に、大人しく横座りしているミディアムが大きな声で笑った。
紅瑠璃城へ使者として乗り込んだのは、スバルとアル、それからミディアムの三人。残りのアベルとタリッタ、そしてルイは宿で待機している形だ。
アベルが城へこられない以上、必然的に誰か一人が護衛に残る必要があった。
そして、役に立つはずがないルイのお守に手を割かれることも避けたかったため、結果的にこういう分け方となったわけだ。
「一応、ここの城主が珍しいもの好きという線も考えましたけれど」
そういう意味なら、滅多に森から出てこないはずの『シュドラクの民』がヨルナの興味を引く可能性もあり、タリッタのメンバー入りも考えられた。
が、宿にアベルとルイの二人だけを残すという選択肢がどうしてもなかったため、タリッタにはかなりの苦労を背負わせる結果となってしまった。
「珍しいもの好きったって、あんだけ街中に大勢の種族がいたら、今さらタリッタちゃんの一人や二人、珍しい扱いにならねぇんじゃねぇの?」
「ええ、わたくしもそう思いました。ので、今回の作戦ですわよ」
「ナツミちゃん、すごい大胆だよね! あたしもアルちんも驚いちゃったもん」
「ああ、アルちんビックリしちまったぜ」
いけしゃあしゃあとミディアムに便乗するアル、彼の態度に思うところはありつつも、スバルは「でしょう?」と少しばかり鼻高々だ。
使者としてアベルの手紙を届ける役目を仰せつかりながら、しかしアベルの名前を出してはいけないと言われ、困り果てたスバルは光明を得た。
実際、その思いつきが前向きに働いたからこそ、こうして入城が許されたのだろう。
「攻略のヒントは、『アベルムカつく』ですわ」
「あはは、ナツミちゃん、アベルちんに噛みつくよね~。すごいと思う」
「すごい? わたくしが? アベルの性格の悪さが?」
「どっちも!」
「ミディアムちゃんもいい度胸してるぜ」
元気よく手を上げ、ミディアムがスバルとアベルの関係性に言及する。
スバルとアベル、両者の関係は水と油とまではいかないものの、お互いに同じ方向に歩くしかないから、肩をぶつけ合いながら進んでいるというものだ。
近い関係性で言えば、以前のスバルとユリウスのそれと近いと言えるだろう。
ただ、プレアデス監視塔のことも含め、スバルはユリウスには信を置いている。――絶対に本人には言わないし、態度に出すつもりもないが。
「でも、それも簡単な話ではありませんのよ」
端的に言えば、わだかまりが薄れ、打ち解けたと言えるのだろう。
しかし、それも長い道のりを経て、相応の山と谷を乗り越えた結果のことだ。
人間関係の改善とは簡単なものではない。
少なくとも、それを良くしようと互いが思わない限り、荒れた道は平らにならない。
片方が均そうとしても、片方が踏み荒らす限り、決して。
「――お待たせしました。使者の皆様、こちらへ」
そんな苦み走った感傷は、待合室へ現れた使用人の言葉によって中断された。
現れたのは、ここまで案内してくれたのと同じ少女――その頭に大きな鹿の角を生やした鹿人で、頭部の角以外は概ね人間の特徴を残した半獣人だ。
まだ十代半ばほどの少女は、その細身の体をキモノのような衣装に包み、長い裾を床に擦りながらスバルたちを先導する。
その静々とした仕草と姿に、スバルの知識が似たものを想起してわずかに疼く。
それが具体的に何なのか引っ張り出せないまま、案内の少女はスバルたちを紅瑠璃城の上部――それこそ、最上層へと連れていった。
紅瑠璃城の造りは、いつしか見慣れた西洋風の城よりも、スバルの知る古風な日本の城郭に近い印象がある。もちろん、使われている素材も建築様式も違うのだが、広く外と開かれた階層の造りや内装が、そんな印象を抱かせるのだ。
案内の少女を筆頭に、キモノ姿の関係者をちらほら見かけるのもその一因だろう。
ともあれ、スバルたちは行儀よく案内に従い、ヨルナとの接見の場に連れ出された。
「こちらにてお待ちを。――ヨルナ様はすぐにいらっしゃいます」
「ええ、ありがとうございます。……あら?」
案内の少女に礼を言って、広間に通されたスバルはそこで首を傾げた。
その原因は、広間にいた先客の存在だ。――広間には、案内されたスバルたち三人以外の人影があり、部屋の後ろから入ったこちらに背を向ける形でいる。
その人影が城主のヨルナでないことは、部屋の最奥に置かれた椅子が空いていることからも明らかだ。
「あちらの方々は……」
「皆様と同じく、ヨルナ様との接見を求められた方々です。ヨルナ様は気紛れな方でいらっしゃいますから、一度にお相手すると」
「ええ……」
淡々とした少女の言葉に、スバルは頷き難さから小さく呻く。
傍若無人というか、横紙破りもいいところの発想だ。そもそも、そんな状況を用意されても、顔も知らない同士でものすごく気まずいではないか。
相手方も、知らない相手に聞かれたくない話の場合もあるだろうに。
「それ言い出すと、オレらもまさにそれだわな、ナツミちゃん」
「……そう呼ばれると、わたくしの方もサブイボですわね」
スバルの内心を察して、そう呼びかけてくるアルにそう応じる。
実際、携えてきた手紙の詳しい内容は不明ながら、間違いなくアベルが玉座を追われ、奪還のための足掛かりとしてヨルナに協力を求める事情が記されているはず。
ヨルナの人柄がわからないため、手紙に対する彼女の反応も未知数だ。少なくとも、アベルは手紙を読むところへいければ悪いようにはされないと言っていたが。
「中でお待ちを。ヨルナ様がいらっしゃいます」
こそこそと話し合うスバルとアルを無視し、案内役の少女は一礼して下がる。
無論、彼女を引き止めても状況は変わるまい。そうするよう命じたのが主人であるヨルナならば、このことで彼女を責めても無意味だ。
「それで、どうするの?」
好き放題に括った髪を揺らし、腰の裏の双剣に触れながらミディアムが首を傾げる。
大人しくスバルたちの方針に従う姿勢の彼女は、これで意外と聞き分けがいい。奔放で感情的な印象があるミディアムは、しかし指示するものに従順だ。
おそらく、フロップとの二人旅で役割分担してきたことの結実だろう。
真っ直ぐ、素直なミディアムの問いかけにスバルは目元を揉み、「仕方ありませんわね」と首を振ってから部屋へ足を踏み入れた。
「一応、手紙をお渡しする前に人払いをお願いしてみましょう。断られるかもしれませんが、事が事ですもの。言うだけ損はありませんわ」
「姫さんなら、気に入らんって首刎ねられる可能性もあるぜ?」
「そんな実例、さすがに止めてくださいましよ……」
極端な事例を出されると、同じ極端な存在だろうヨルナへの警戒度が上がってしまう。
少し、広間に入るのを躊躇うスバル、その肩をアルが叩いて、
「心配すんな。言ったろ? オレが手ぇ貸してやる。きょうだ……ナツミちゃんは一切ひでぇ目に遭わせねぇよ」
「アル……不安がらせたの、あなたですけれど」
そう言って、スバルは肩の上に置かれたアルの手を睨みつける。慌ててアルは手を引いたが、良くも悪くも肩の力が抜けた。
アルの気持ちはありがたく受け取っておくとして、三人も広間へ足を踏み入れる。
大きな広間の雰囲気は、畳敷きでないことを除けば、時代劇などで城主が家臣たちと評定などを行う座敷と似た印象があった。
使者が下座に座らされ、上座の城主の登場を待つところも同じだ。
「なるべく、こっちにいましょうか」
広間を進んだスバルは、先客がいるのと反対の位置に腰を落ち着ける。
先客の前や後ろに控えるのも妙な気がしたので、やや距離を置きつつ、広間の左右にそれぞれ位置取りする形だ。時代劇だと、不思議と城主の正面を開けて家臣が左右に展開するパターンが散見されるので、それと同じ形になってしまった。
その奇妙な符合をおかしく思いつつ、スバルはちらと先客の様子を窺う。
相手方は四人おり、こちらと同じように武器は身につけた状態だ。その中に武器を持たないものが一人いて、他の三人より少し前に座っている。
おそらく、その人物が彼らの代表で、残りの三人はその護衛といったところか。
「全員、アルより頼りになりそうですわね……」
と、護衛の三者を横目に見ながら、先ほどのアルの気遣いを足蹴にするスバル。
そのまま、不作法と思いつつも意識を護衛の前方、彼らに守られる人物へと向けた。
如何なる人物が、如何なる目的でヨルナとの接見を求めたのかと――、
「――ッ」
瞬間、スバルは衝撃に喉を詰まらせ、頬や首が完全に引きつった。
声にならない声が漏れ、とっさの反応で顔を伏せると、その音を聞きつけ、ちらと件の人物の視線がこちらを向く。
しかし、顔を伏せ、正面の上座へと体を向けたスバルを見ると、さしたる興味もないのか視線が外れ、その注意も散逸した。
それを感じ取り、スバルは心の臓の爆発的な拍動に静かに息を吐く。
そのスバルの様子を見て、後ろのアルとミディアムは妙に思ったようだが、じきに二人もスバルが味わったものと同じ衝撃を味わうことになるだろう。
何故なら――、
「……冗談じゃ、ありませんわよ」
苦々しくこぼしたスバル、そのほんの五メートルほど奥でヨルナ・ミシグレの登場を待ち受けている先客――、
――それは、この場にいるはずのないアベルと同じ顔をした男だった。