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第七章32 『進むべき道筋』



「凡愚一人、連れて戻るだけでどれだけの時間をかける? 妾と貴様とで、流れる時間の価値が同じとでも思っておるのか?」


「いや、だから悪かったって謝ってるじゃねぇか……」


 主の冷たい視線に出迎えられ、アルがしおらしい態度で頭を下げる。

 スバルを連れ、会議場に戻った途端、アルを待っていたのが前述の叱責だった。

 元々、会議の場にスバルを連れ戻すのが目的だったのだから、予定外に話し込んだことで怒られるのも無理はない。無理はないが――、


「プリシラ、あまりアルを責めないでくれ。悪いのはアルじゃなく、俺だ」


「ふん。大方、つまらぬ懊悩を抱えて道化同士で慰め合っていたのであろうよ。額が赤くなっているのは、壁にでも打ち付けたか?」


「お前、『千里眼』でも持ってんの? 的確過ぎて怖ぇよ」


 アルの擁護に入ったスバルを、プリシラが見てきたような一言で打ち据える。

 そんな情景が浮かぶほどありふれた現場でもなかったはずだが、プリシラの洞察力には身震いを禁じ得ない。

 ともあれ――、


「俺たちがいなくて、話が進まないなんてことは……」


「結論は易々とは出せぬ。なにせ、貴様はアベルの軍師ということじゃからな」


「それは……」


 プリシラの細めた視線に射抜かれ、スバルはアベルの方をじろっと見る。その視線に対し、席につくアベルは腕を組んだままスバルの追及を黙殺した。

 アベル的にもスバルを軍師扱いしたのは不本意なのだろうが、直接プリシラにそう言ってしまった手前、撤回することもできないのだろう。

 結果、スバルを抜きにして会議を締めくくることもできなかったと。


「お前、案外考えなしに行動して首を絞めるところないか?」


「貴様の方こそ、発言の質に気を付けろ。どのような優れた方策も、言葉の選び方次第で賢策とも愚策とも取り扱われる」


「軍師扱いを後悔してるわりには擦ってきやがる……」


 ふてぶてしいアベルの回答に顔をしかめ、スバルは深々と嘆息。

 それから、改めて会議場の面々――アベルとプリシラ、それからズィクルや、族長を引き継がされたタリッタといった顔ぶれを見回し、片目をつむる。

 スバルとアル抜きで、結論に持っていけなかったと思しき話し合いだが――、


「出せてない結論ってのは、プリシラとの協力体制の話か? さっきの話じゃ、プリシラに協力者がいるってことだったけど」


「話についてこられるだけの頭はあるようじゃな。無論、その話よ。――九神将をより多く切り取った方が勝つと、それは覚えておるな?」


「ああ。『壱』が役立たずなわりにはお邪魔虫だってところまでは」


 未回収で刺客になられれば手が付けられず、回収しても形勢という意味では大きく寄与しない相手との話だ。これがシミュレーションゲームなら厄介なユニットである。

 味方にしても旨味が少なく、敵に残せば猛毒となる相手。


「とはいえ、それは最終的な勝ち筋の話だ。プリシラと、その協力者の支援がどうたらって話じゃない。だろ?」


「――ふむ」


 手際よく話をまとめるスバルに、プリシラが小さく喉を鳴らした。

 一瞬、プリシラの紅の瞳を過ったのは、スバルの目には珍しく思える好奇の眼差し――彼女が他者に、それもスバルに興味を抱いたと思しき反応だった。

 何も、特別なことはしていないとスバルは思ったのだが。


「なんだよ」


「いいや、その装いで萎れた顔をしていたかと思えば、顔つきと目の色を変えて戻ってきた。その上、血の巡りも多少なりマシになっているとなれば、少しは見え方も変わる」


「……褒められてる、のか?」


「飛び跳ねて喜んでも構わんぞ」


「そこまでではねぇよ」


 否定されなかったということは、プリシラなりの褒め言葉には違いない。

 鼻を鳴らして応じながらも、スバルは自分の心持ちの変化への称賛は素直にもらう。


 レムの口から、ナツキ・スバルの支えとなった言葉を否定された。

 しかし、それに膝を屈している場合ではないのだと、そう叱咤激励されることで。


「まぁ、だとしたら、会議に遅刻した甲斐もあったってもんだ」


「なるほど、道化同士の語らいの結果か。ずいぶんと、らしくもなく親身になったものよな、アル」


「おいおい、オレみたいな気のいいナイスガイを捕まえて、誰かに優しくするのがらしくないなんてとんでもねぇ話だぜ、姫さん」


 プリシラに揶揄され、アルがそう答えながら肩をすくめる。

 そのプリシラの言とアルの言、どちらが正しいのかスバルには判断がつかない。

 スバルにとって、アルは唯一の同郷の人間であり、四面楚歌の袋小路から背中を叩いて追い出してくれた相手でもある。確かに、他では厳しいことを言われたり、どんな事態も他人事で済まされたりと、薄情な面もないではないイメージだが。


「それも、異世界で殺伐とした時間を過ごした後遺症だと思えば許せる」


「なんか、結構心外なこと言われてねぇ? オレの気のせいかな、これ」


 腑に落ちない様子でアルが首を傾げているが、スバルはそこは聞き流した。

 重要なのはプリシラがスバルを見直したことでも、その気持ちの変化にアルが寄与した事実でもない。


「必要なのは議論の決着……今後、プリシラがこちらとどう向き合う気があるのか、だ。話が逸れるのも大概にせよ」


「ああ、悪かった。話が横道に逸れやすい奴が軍師になって」


「――――」


 皮肉を返され、アベルが不機嫌に目を細めるのをスバルは舌を出してスルー。それから改めてプリシラに向き直り、先の話の続きを促した。


「で、どうするんだ。プリシラと協力者の支援があろうがなかろうが、アベルが帝都に殴り込みをかけるのは変わらないだろうけど……」


「姫さんの支援があるのとないのとじゃ、殴り込みの度合いだって変わらぁな」


「道化同士、息の合ったことで大いに結構よな。ともあれ、貴様らの見立ては正しい。故に、今後、妾たちが貴様らを……アベルを支援するにあたり、そうするだけの価値を見せよと条件を付けた」


「条件?」


「単純な話じゃ。――九神将を一人、味方に付けてみせよとな」


 眉を顰めたスバルへと、プリシラがなんてことのないように条件を提示する。

 そうして言い渡された条件を聞いて、スバルは「九神将……」と口の中で呟いた。


 無茶な条件、では決してない。

 そもそも、帝位奪還のための戦いを挑もうとすれば、『九神将』を多く獲得することが前提条件なのだ。そして、プリシラはその最初の一歩を求めている。

 むしろ、勝利のために必要な前提を満たすだけでプリシラも味方に付けられると、とてもおいしい条件ではないか――。


「なんて、小躍りしていい条件じゃない、よな?」


「当然だ。ゴズの安否がわからぬ以上、無条件で俺に従う九神将はいない。そして、わざわざ負け戦に乗りたがる傾奇者などそうはおらぬ」


「……少しでも勝ち目なりが見えなきゃ、誰も乗ってこないか」


 悲惨な現状を述べたアベルに、スバルも難しい顔で眉間に皺を寄せる。

 アベルの悲しい自己認識――皇帝の威光が『九神将』にまるで通用しないなら、プリシラと協力者の支援は喉から手が出るほど欲しかった。

 せめてその協力者の存在があれば、『九神将』を口説くための交渉材料となったろう。

 現時点でアベルが持ち得る材料は、「本物の皇帝は自分」という大口と、『シュドラクの民』と城塞都市グァラルの戦力、このぐらいだった。


「街と部族一個の戦力で帝国と戦うって言って、聞いてもらえるかどうかだよな」


「プリシラと協力するもの……中級伯以上であれば、その名前が交渉材料となっただろうがな」


「言っておくが、妾に慈悲など期待するでないぞ。妾も寛容さは持ち合わせているが、それは物乞いにくれてやるためのものではない」


 頬杖をついたプリシラが、こちらのか細い期待をあっさりと踏み躙る。

 わかっていたことだが、彼女が意見を翻すことなどありえない。ならば、あとは提示された条件に対し、正攻法で挑むのみだ。


「恐れながら、閣下、やはりここはセシルス一将を頼っては?」


「ズィクルさん、何か勝算が?」


 重々しい沈黙が横たわりかけたところで、そう発言したズィクルに期待がかかる。が、スバルの期待の眼差しに、ズィクルは「いえ」と首を横に振り、


「先ほど閣下が仰られたように、現状の戦力比を鑑みれば、こちらに協力しようと考える方は真っ当な考えの持ち主ではありません。ですから……」


「ですから?」


「セシルス一将のような、真っ当でない考えの持ち主しか頼れないのではないかと……」


「あ、ズィクルさんもその人のこと頭おかしいって思ってんだ」


 散々な人物評価しか出てこないセシルスだが、ズィクルも頭のおかしさを理由に味方に付けられるのではないか、と考えるあたり筋金入りだ。

 しかし、もしも本気で他に手がないのであれば、いずれ味方に引き込むことを考えなければならない厄介なユニットを最初に取りにいく必要もあるのかもしれない。


「問題はどこにいるのか、とかだよな。普段はその人、どこに住んでるんだ?」


「あれは普段、帝都にあるアラキアの家に住んでいる」


「なるほど、アラキアの……なんで?」


 平然と言われ、アベルの言葉にスバルの理解が数秒遅れた。

 その内容の突飛さに、さしものプリシラさえも不愉快そうに眉を顰めている。

 聞いた話では、『壱』がセシルスで『弐』がアラキアということだったが――。


「つまり、セシルスって人とアラキアが恋人同士とか、そういうこと?」


 だとしたら、アラキアを撃退したスバルたちの印象は最悪どころではないだろう。

 スバルたちは見事に『壱』と『弐』をそれぞれ敵に回すことになる。

 しかし、そんなスバルの疑問にアベルは「いいや」と首を横に振った。


「そうではない。アラキアはセシルスを殺す機会を窺っている。だが、命を狙うたびに周囲に被害を出されては敵わぬ。故に、セシルスに命じた」


「何を?」


「どうせなら、アラキアの狙いやすい場所にいろと」


「……なるほど?」


 具体的な説明を受けても、スバルには理解し難い関係性だった。

 自分のところの将軍同士の殺し合いを放置しておく精神性もよくわからないし、それに従って自分を殺そうとする相手の家に住む考えも理解できない。

 そもそも――、


「自分を殺そうとかする奴と、よく一緒に住めるな……」


 そう言ってから、なんだか変なことを言ったような感覚が自分の中に芽生えるが、その違和感の答えが見つからず、スバルはすぐに疑問を忘れた。

 ともかく、セシルスは普段から帝都に住んでいるという事実がわかった。


「じゃあ、セシルスを味方に付けるには帝都にいくしか……あれ、お前って帝都までのこのこといって大丈夫なの?」


「そんなわけがなかろう。現状、俺が帝都に近付くのは自ら火刑になりにいくも同然だ。そうまでして、セシルスが帝都にいるかもわからぬ」


「そしたらお手上げじゃねぇか……」


 ヴォラキア帝国の、それも軍関係の話となるとスバルの知識は役に立たない。

 とはいえ、将校の一人でもあるズィクルが最初に提案した以上、それが現状取り得る中でもマシな案だったと考えられる。

 その案が却下されたとなると、アベルの道行きは暗い。


「……こんなとこで、足踏みしてる場合じゃねぇってのに」


 ずんと、暗く重たいものがスバルの胸の内で主張し始める。

 ほろ苦い澱のようなそれは、壁に頭を打ち付けようと消えてくれなかった無力感の塊であり、レムにスバルを見限らせた後遺症のようなものだ。


 これがあるせいで、スバルはレムからの信頼を喪失した。

 一刻も早くこの澱を取り除いて、彼女からの信頼を取り戻さなくてはならない。そのためには、足踏みしている時間の一秒一秒が惜しい。


「――手はある」


 だが、そうして歯噛みするスバルを、アベルの一言が押しとどめる。

 弾かれたように顔を上げたスバルへと、アベルは片目をつむったまま顔を向け、


「その見飽きた貧相な面構えをやめよ。手はある」


「悪いが、課金しないで作れるキャラメイクだと俺の顔が限界だったんだよ。そんな顔の貧富の差はどうでもいい。手があるってのは?」


「ズィクルの案だ。それを一部、採用する」


「私の案を一部? 光栄なことですが、それは……?」


 太い眉を顰めながら、ズィクルが自分の意見の採用と聞いて困惑する。

 スバルも、ズィクルと同様の困惑を覚えた。そもそも、ズィクルの案とは『壱』のセシルスを勧誘するというものだった。

 帝都へ向かえない以上、その案は却下せざるを得ないという話のはずで、それ以外に使える部分などなかったように思うが。


 と、そう考えるスバルに、アベルは「ふん」と鼻を鳴らして、


「セシルスの奴めと話す機会はない。だが、ズィクルはこうも言ったな。――真っ当な考えの持ち主でなければ可能性はあると」


「――っ! まさか……閣下、それは危険です! ご再考を!!」


「え? え? え?」


 堂々と言い放ったアベルの言葉に、血相を変えてズィクルが食い下がる。

 そのズィクルの剣幕に目を白黒させ、スバルは何事かと驚かされた。

 ズィクルは心当たりがあったようだが、スバルにはまるでピンとこない話だ。話の流れからして、頭のおかしい相手に話を持ちかけようとしているようだが――、


「人望のないセシルスって一将より、頭のおかしい奴がいるのか?」


「頭がおかしいとは申しません! ですが、あの方はあまりにも危険です……!」


「……まぁ、アフロの将軍の話もわかるんだが、話の流れからしてそれも九神将の一人ってんだろ? それも省いたら、いよいよ頼れる候補がいなくね? 選り好みとかしてられる状況じゃねぇと思うぜ」


「それは、そう、なのですが……」


 スバルとアルに両側から話しかけられ、ズィクルが渋い顔で押し黙る。

 人柄のいいズィクルが苦しむ姿を見ると、スバルたちの方が悪いことをした気分だ。

 というより、ズィクルが懊悩せざるを得ないような人材を要職に付けているアベルの人事の方に問題があるだろう。

 能力だけで人材登用をすると、こうした悲劇を生むという実例だ。


「その点、ルグニカはだいぶうまく回ってたんだな……基本、お偉いさんで嫌な奴に出くわしたことが……いや、エミリアたんを悪く言ったオッサンはいたけど」


 あれも、今にして思えば『嫉妬の魔女』への過剰な恐怖からきた発言の一端だ。

 当時はそうした事情もわからず、無鉄砲だけを装備して挑んだ愚かな勇者がスバルだった。今ならば、同じ状況に出くわしてももっとマシな装備で挑めただろう。

 もちろん、エミリアを悪く言われて挑まないという選択肢はないので。


「で、ズィクルさんが苦しむ原因は、どこの誰さんなんだ」


「なんだ、そのたわけた言い回しは」


 と、スバルの追及にアベルは憮然とした顔つきで応じ、


「貴様の言い回しに倣って答えてやれば、それは魔都カオスフレームを拠点としているヨルナ・ミシグレだ」


「ヨルナ・ミシグレ……」


 聞き覚えのない都市の名前と裏腹に、人名の方には覚えがあった。

 ヨルナ・ミシグレは、ずらっと並べて言われた『九神将』の内の一人であり、その異名は確か――、


「『極彩色』とか、そんな風に呼ばれてたっけ」


「やるな、兄弟。よく一発で覚えたもんじゃねぇか」


「漫画とかで幹部級のキャラの二つ名とか覚えるの好きだからな。って言っても、このヨルナって人がズィクルさんの……」


 言いながら、ちらっと視線をズィクルに向け、スバルは言葉を失った。

 ズィクルが青ざめた顔をしながら、その顔を自分の手で覆っていたからだ。


「九神将の『漆』、ヨルナ・ミシグレ一将……」


「そんなヤバい奴なのか? 名前からして、女っぽいとは思ったけど……」


 その印象が正しければ、『女好き』の異名で知られ、女装しているだけのスバルにさえも紳士的に振る舞ったズィクルが恐れる女ということになる。

 いったい、どんな際物が飛び出してくるのか想像もつかないが――、


「美しい方です。その点、私だけでなく、誰もが認めるところでしょう。ですが、ヨルナ一将には少々……いえ、少々では済まない問題が」


「その、問題ってぇのはなんなのよ」


「――謀反です」


「「え?」」


 ぽつりと、ズィクルの口からこぼれた単語にスバルとアルの声が重なった。

 呆気に取られ、聞き間違えたかと耳の方を疑うスバルに、ズィクルは顔を手で覆ったまま、震える声で続けた。


「ヨルナ・ミシグレ一将は、これまで幾度も謀反を起こし、ヴィンセント・ヴォラキア皇帝の治世を脅かした謀反人なのです」


「そんな奴、将軍のポジションに置くなよ!!」


 と、二度目のスバルの怒声が会議場に響き渡った。



                △▼△▼△▼△



「――話はまとまったようじゃな」


 とんでもない『九神将』の情報と、スバルの怒声が響き渡ってしばらく、話し合いの決着を見たと判断し、プリシラが音を立てて扇を開いた。

 スバルとしては正直、物申したい決着だったが――、


「他の手はない。現状、こちらにつく可能性がある九神将はヨルナ・ミシグレ一人だ」


「そもそも、お前が嫌われてたから謀反されてたんじゃないの……?」


「いいえ、実は一概にそうとは言い切れず……あの方の考えを推し量ることは、少なくとも私などでは不可能なのですが」


「ズィクルさんがそうまで言うなら、そうなんでしょうけど……」


 信頼できるズィクルの言葉には、スバルも疑念を引っ込める他にない。

 と、それを聞いたアベルが不愉快そうに鼻を鳴らし、


「貴様、ズィクルの意見であれば容易に聞くのはどういうつもりだ」


「同じ意見でも、誰が言ったかって重要だろ。お前、俺の中で自分の信用がズィクルさんよりあるとでも思ってるのか?」


「なるほど。だが、ズィクルが死ねばどうなる?」


「思考実験でもぶっ殺すぞ!」


 物騒なことを言い出したアベルに罵声を浴びせる。

 ズィクルの忠誠心だと、アベルから命じられれば本気で自裁も受け入れかねない。万一にもそういった出来事を起こさせないため、スバルも全力だった。

 ともあれ――、


「馬鹿な話はともかく、そのカオスフレーム……だったか。どこにあるんだ? グァラルから遠いのか?」


「位置的にはそうでもない。その点も、次に目指すべき地として適当な理由の一つだ。ここから南東……バドハイム密林の南に位置している」


「なるほど、確かに……」


 机上の地図で位置を示され、スバルもアベルの説明に納得する。

 カオスフレームの位置は、シュドラクの民が暮らしていた森の南――距離は密林とグァラルよりも遠いが、帝都や、さらに西の地よりもはるかに現実味がある。


「あとは、なんで魔都なんて呼ばれてるのかだけど」


「安心せよ、凡愚。貴様の小胆が潰れるような理由ではない。かの地は、古くより多くの種族が混沌と住まう都市なのよ。もとより、ヴォラキアはルグニカと比べても多様な種族が住んでおるが、カオスフレームはとりわけ雑多に混じっておる」


「混沌……それで魔都か」


 言い始めると、『混沌』と称される街に『カオス』とついているのも意味深だ。

 異世界である以上、たまたまの偶然なのだろうが。


「――魔都にて、九神将の『漆』であるヨルナ・ミシグレを傘下へ加える。それが叶えば貴様も胸襟を開く……間違いないな、プリシラ」


「それで構わぬ。なに、妾は寛大じゃ。後出しで条件を加えたりはせぬ」


「さっきは寛容は品切れ的なこと言ってた気が……いや、何でもない」


 じろりとプリシラに睨みつけられ、スバルはすぐに余計な発言を撤回した。

 そうして、こちらの方針が正しく決まったところで――、


「――アベル、どうか私も連れていってくれませんカ」


「タリッタさん?」


 不意に、立ち上がったタリッタがアベルにそう懇願した。

 会議中、クーナに代わって席についていたタリッタだったが、それまで一度も口を開こうとはしていなかった。

 突然、族長を継ぐ羽目になった混乱もあったのだろうが、今もアベルを見つめる彼女の顔には切羽詰まったような色が濃厚に出ている。

 その懇願を受け、アベルは黒い眼を細めると、


「どういうつもりだ? 貴様は姉より、シュドラクの族長の座を譲り受けたはず。貴様の自信と関係なく、それは揺らぐまい」


「わかっテ、いまス。姉上から譲られた立場、それは拒めませン。……ですガ、今の私では一族ヲ、シュドラクを率いるには力不足デ……」


 下を向いたタリッタが、ぎゅっと唇を噛みしめて自分の手を見つめる。

 空っぽの手の中、彼女が握りしめるのは、おそらくスバルが胸の内に抱いた澱と同じモノ――すなわち、自分自身を苛む無力感だ。


「必要なのでス……私ガ、誇りと共に族長の立場を背負える切っ掛けガ」


「――。それを、カオスフレームへの道行きに求めるというのか?」


「はイ、そうでス。……ダメ、でしょうカ」


 言い出してから自信を喪失したのか、タリッタの声から力が失われる。

 しかし、スバルにはタリッタの抱いている不安、その正体がよくわかった。


 突然の族長交代劇、それにより大役を押し付けられる羽目になったタリッタは、自分がその役目に見合った力があるのか自信が持てない。

 つまり、彼女が求めているのは成功体験だ。自分自身の力で、自らを納得させるだけの成果を挙げられたと、そう自分を認められる成功体験。


 ――それは、スバルが今欲しているものと、根底で同じものだった。


「アベル、俺は賛成だ。そんな心持ちでミゼルダさんの跡目を継いでも、タリッタさんだって力を発揮できない……と、思う」


「――――」


「それに、どのみち、道中の護衛なり味方は必要だろ? タリッタさんの実力は俺たちも把握してる。一緒に女装……街に乗り込んだ仲間だ」


「ナツミ……」


 途中で言い換えたが、言いたいことはそういうことだ。

 そうして自分に味方したスバルに、タリッタがいたく感銘を受けた顔をしている。彼女の苦心、それは痛いほどわかった。味方してやりたい。


「貴様が抜ければ、シュドラクはどうする」


「しばらくハ、姉上に代理を任せまス。クーナとホーリィがよく補佐をするでしょウ。グァラルを守るたメ、大勢は動かせませン」


「沈黙の間に、そのぐらいは考えたか」


 タリッタの澱みない受け答えを聞いて、アベルが彼女の考えを評価する。

 それから、アベルは指で自分のこめかみを軽く叩くと、


「カオスフレームへ向かうのは少数だ。当然、ヨルナ・ミシグレと会う以上、俺の存在は欠かせん。だが、攻め込むわけではない」


「連れていけるのは護衛がせいぜい……」


「そこにタリッタ、貴様を加える。あとは――」


「――話は聞かせてもらったよ!!」


 アベルの話の最中、扉が勢いよく開け放たれ、威勢よく人影が踏み込んでくる。

 皇帝の言葉を遮る不敬をまるで恐れないのは、その皇帝を新たな友人と臆面もなしに言い放った善良な商人、フロップ・オコーネルだった。


 フロップは鼻息荒く、室内の面々の視線を独り占めにしながら、


「タリッタ嬢、大変な役回りに自ら志願する心意気、僕はとても感銘を受けた! いきなりの大役に自分なりの取り組み方を見つける……とてもいいと思うな!」


「ア、ありがとうございまス、フロップ……」


「そんな君や村長くんの道行きの安全を守るため、僕から提案したい。――僕の妹の、ミディアムを連れていくのがいいだろうとね!」


 ビシッと指を立てて、フロップがそう力強く断言する。

 思わず、その勢いに押されて頷きそうになってしまうが、内容を吟味すればかなりいきなりな提案だ。


「そ、その心は?」


「うんうん、疑問だろうね。では、僕がミディアムをおススメする理由を上げよう! まず腕が立つ、そして愛嬌がある。その上、滑舌がいいんだ!」


「滑舌……!」


「気持ちよくはきはきと話すから、きっと道中のお喋りも寂しくならない。人見知りもしないから誰とでも仲良くできる。どうだい、逸材だろう?」


 白い歯を見せながら妹を絶賛するフロップ。しかし、彼の自信満々なセールスポイントのうち、三分の二はミディアムの人好きする性質に触れたもので、実質的にセールスポイントとなり得たのは「腕が立つ」の一点だけだった。

 実際、その一点がちゃんと機能することはスバルも確認しているが――、


「けど、そんなこと、ミディアムさんに相談したのか?」


「いいや、していないよ! でも、これから話すから大丈夫さ!」


「……だ、大丈夫なのか?」


 旅行の相談や遊びの約束ではないのだ。

 命懸けの役目に放り込まれるのに、あとで相談するは機能するのだろうか。これで兄妹仲に亀裂が入りでもしたら、さすがにスバルも心苦しい。

 もっとも、笑って受け入れそうな絵面も浮かぶのが怖い兄妹だったが。


「仮に、ミディアムさんがOKだったとして、アベル、お前は?」


「――。あれの腕前は相応と見ている。役目を果たすならば、俺に否やはない」


「それなら安心していい! 基本的に言われたことは何でも全力で挑むのが僕の妹だ! でも、言われないとあまり気が回らないから注意だぞぅ」


 腰に手を当てて、フロップが「はっはっは!」と豪快に笑う。

 その言いぶりや、アベルの態度からも察しているのだろう。――今回、フロップはカオスフレームへの同行メンバーには加えられていないと。


「……ミディアムさんもだけど、付き合う必要はないんだぜ」


「馬鹿を言っちゃいけないよ、旦那くん。僕には目標がある。やらなくてはならない、果たさなくてはならない復讐がね」


「……ああ」


 フロップの口からこぼれる物騒な単語、しかし、それが決して物騒な思想ではなく、この朗らかなフロップさえも許せない理不尽や不条理に向いていると知っている。

 この世界では、スバルが聞くことのできなかったフロップの善性――それこそが、スバルが彼を信頼し、今日まで一緒に過ごしてこられた理由なのだから。


「妹も、それは同じさ。僕と妹の目的も、歩く道も同じだ。ここで君や奥さん、村長くんを見捨てたら、もう胸を張ることができないんだよ」


「――。泣きそうになる。惚れそうだ」


「はっはっは、その格好の旦那くんに言われるとぐらっとくるね! ただ、奥さんに悪いからそれはダメだよ。でも、気持ちはもらっておこう!」


 その振り方すらも格好良くて、スバルはただ感じ入るばかりだった。

 おそらく、ミディアムはフロップの言葉に快く従うことだろう。つまり、カオスフレーム同行メンバーの一人はミディアムに決まりだ。


「タリッタ嬢、妹と仲良くしてやってくれ。なあに、僕とも仲良くなってくれた君なら、きっと妹ともうまくやれるはずだよ」


「ハ、はイ……あノ、どうかあなたも気を付けテ……」


「うん? そうだね。ズィクルさんやシュドラクのみんなと頑張らせてもらうとも!」


 もじもじと、俯きがちに告げるタリッタにフロップがどんと自分の胸を叩いた。

 そんな微笑ましい様子を横目に、スバルは小さく咳払いすると、


「ちなみになんだが、俺は……」


「貴様は置いていく」


「――っ」


「と、言うとでも思ったか?」


 確認しようとしたスバルに、アベルが悪趣味なフェイントを入れてくる。

 それで激昂しても、まるで連れていってもらいたかったみたいな反応なので、スバルは全力で堪え、奥歯を噛みしめて沈黙を守った。

 そんなスバルを鼻で笑い、アベルは「残念だがな」と前置きして、


「貴様はすでに交渉材料の一つだ。ヨルナ・ミシグレをこちらへ加えるのが必須である以上、それを抜きにして話をすることはできん」


「全部終わったら、絶対にお前の横っ面は殴るけど……俺が交渉材料?」


「グァラルの陥落は貴様の献策だ。遠からず、その事情は知れ渡ろう。もとより、俺がそうなるように仕向ける」


「なに?」


 アベルの言葉の意味がわからず、スバルは目を白黒させた。

 城塞都市の陥落がスバルの作戦なのは間違いないが、それをわざわざ知らしめる利点がわからない。

 基本、侮られているのがナツキ・スバルのスタートラインなのだが。


「――アベル以外に使えるものがいる。そう思わせる必要があろう」


 そのスバルの疑問に、端的に答えたのはプリシラだった。

 彼女の言葉を聞いて、ゆっくりとスバルの中にも理解が染み渡っていく。


「無論、凡愚だけではない。バドハイム密林の『シュドラクの民』に、城塞都市グァラルの守備兵、ズィクル・オスマン二将も交渉の材料となる。じゃが、一番は……」


「都市の陥落に貢献した軍師……言ったはずだ。帝国では強者が尊ばれる。それは武力だけでなく、知略においても同じことだ」


「――――」


 故に、ナツキ・スバルには価値があるのだと、そうアベルとプリシラに保証される。

 正直、スバル的には複雑極まりない評価だった。


 高く評価され、むず痒いとも言える。

 だが一方で、過分な評価であるとも思える。事実、その大きな評価を受けているにも拘らず、スバルはレムの信頼を失い、足下の崩落を味わった。


 どれほど帝国で評価されても、レムの信頼と比べれば秤にかけるまでもない。

 そのため、アベルたちの評価にもスバルの心は動かされない。

 ただし――、


「俺が役立つってんなら上等だ。うまく使え。その代わり……」


「代わりに?」


「てめぇ、絶対に皇帝の座を取り戻せよ。それで、俺たちを無事に帰してもらう」


 そこだけは譲れないと、スバルは強固に言い放った。

 それを聞いて、アベルは軽く目を見張り、それから長く息を吐いて、


「言われるまでもない。――それが、俺のすべきことだ」


 と、そう答えたのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] >「自分を殺そうとかする奴と、よく一緒に住めるな……」 そりゃ当初からオメーに言いたいよ……。
[気になる点] 話の展開が極端に遅くなっている気がします。
[良い点] プリシラからの高評価嬉しい!ナツミからスバルに戻っても下がらないようにがんば! [気になる点] 軍師の名声はゆっくり他国まで?ゲンをかついで当面ナツミで過ごしても良いかも [一言] 願望を…
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