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第七章31 『同郷の語らい』



 たくましい腕に肩を掴まれ、振り向いたスバルは目を見張る。

 そのぐらい、こちらを見つめる鉄兜――アルの態度は予想外なものだった。


「――――」


 掴まれた肩にかかる腕の力も強く、無視し難いものがある。壁に額を打ち付けるスバルの自傷行為、それを絶対に続けさせまいという意思が感じられた。


「やめとけよ」


「……ぁ」


 視線を合わせ、もう一度重ねられた制止の言葉に息が漏れる。

 途端、スバルは直前までの自分の奇行を見咎められたと、情けなさが腹の底から湧き上がってきた。まるで、壁に向かって走らされるゲームのキャラクターだ。

 何も考えていなかったところも含めて、そのものズバリの有様ではないか。


「そんな真似続けて馬鹿になっても知らねぇぜ。いや、知らねぇって放置できなかったから止めに入ったわけだが」


「……それは、お手数おかけしました」


「なんで敬語だよ。あと、声ガサガサ過ぎてビビるわ」


 自分でも驚くほど掠れた声をアルに指摘され、スバルは再び自嘲する。

 メンタルの崩れた影響をもろに受ける自分と、メンタルがこれだけメタメタな状況に追いやられている自分の醜態そのものに。

 当然だろう。なにせ、スバルは他ならぬレムに――、


「――そんなに、あの嬢ちゃんに言われたことがしんどかったのか?」


「――っ」


「おお、こわっ! そんな目で見んなよ。格好がアレだってのにぶるっちまう」


 弾かれたように顔を上げたスバルに、アルがおどけたように肩をすくめる。

 睨まれ、後ろに下がったアルだったが、スバルは彼が下がった分の距離を詰め、先のアルの言葉に正面から食らいつく。


「お前、聞いてたのか……!」


「別に盗み聞きしようとしてたわけじゃねぇぜ? たまたま兄弟を呼びにいったら大事な話の真っ最中だったんだよ。だもんで、邪魔するのも悪ぃと思っただけだ」


「――――」


「疑り深い目ぇされても嘘じゃねぇよ。まぁ、そのあと、兄弟がこの世の終わりってな面で歩き出すもんだから、心配になってついてきたんだ。そしたら案の定……」


 言いながら、アルが自分の兜の額の部分を指差す。

 案の定、不安が的中したと言いたいのだろう。アルがよく見ていたというより、そう思わせるぐらい、スバルがわかりやすく絶望していたのだろう。

 指差された箇所、打ち付けていた額の痛みがぶり返し、スバルはバツの悪さに俯いた。


「……レムは」


「うん?」


「レムは、どうした? その、俺と話したあと……」


「おいおい、まさかあの子の言葉がショックすぎて記憶が飛んだか? 勘弁してくれよ。兄弟に記憶喪失になられたら、オレの唯一のお仲間がいなくなっちまう」


 頭に回した手で兜の金具をいじりながら、アルがスバルの問いに答える。

 生憎と、アルが不安がった状況ならすでに起こったあとだ。とはいえ、スバルにとっては記憶喪失に匹敵するほどの重大事、心の均衡が揺らぐのも仕方がない。


 そんなスバルの胸中を表情に見たのか、アルは「心配いらねぇよ」と前置きし、


「顔色悪くなったあとも、兄弟はまともに受け答えしてた。だから、あの嬢ちゃんが兄弟を不審がっちゃいなかったと思うぜ?」


「そう、か……」


 アルの太鼓判を受け、スバルは微かな、ほんの微かな安堵を得る。

 どうやら、スバルが晒した無様はレムの前を離れたあとから始まったらしい。かろうじて体裁を保てたなら、レムを思い煩わせずに済んだだろう。

 ともあれ――、


「アル、さっきの……どういう意味だ?」


「さっきの?」


「……俺の、死にたい気持ちがわかるとか、どうとか」


 痛む額に手を当てながら、スバルはアルがかけてきた言葉の真意を問う。


『死にてぇ気持ちはわかるがよ。何べんやってもキリがねぇぜ、そんなもんはよ』


 死にたい気持ちと、何度やってもキリがないという発言。

 正直、そこまで引っかかる言い回しではなかったとも思う。しかし、一方でスバルに対して、あの状況でかけるには意味深すぎる言葉でもあった。

 あるいは、アルはスバルの特殊性を、権能を知っているのではないかと、そう思わせるような発言にも思えて――、


「――。あー、それか」


「そうだ。ずいぶんと……ずいぶんと、意味深だったじゃないか。お前……」


 ――何か知ってるんじゃないのか、と。


 そう、スバルは疑念を込めた眼差しをアルに送る。冷たい鉄兜の奥に隠れた感情、それを確かめようと目を凝らしても、彼の表情も瞳も見えない。

 そのまま、表情も瞳も見えないままにアルは小さく鼻を鳴らし、


「言いたかないが、オレだっていい歳したオッサンだぜ? 兄弟みてぇな修羅場、オレにだって経験あんだよ。――かわい子ちゃんの前でダサい真似したこともな」


「……あ?」


「あ、じゃねぇよ。大恥掻いて死にたくなるなんて男なら誰でも通る道さ。何なら、この歳になってもそこそこの頻度でオレもやらかしてるぜ。やらかしたときの姫さん、マジで虫を見る目でオレを見やがるからな」


 へらへらと笑い、アルがスバルの肩を叩いて先達らしい教訓を述べてみせる。

 その内容と彼の態度を受け、スバルはまじまじとアルを見返し、それが誤魔化しなのか本気なのか見極めようとした。


「ん? どうしたよ、兄弟」


「……いや、何でもねぇ」


 しかし、アルの本音を探ろうとしても、黒鉄に遮られて叶わない。

 これまでアルの格好は、あくまで奇抜なだけのものだと流してきたが、こうして彼の真意を探ろうと対峙すると、思った以上に強固な防護だったと気付かされる。

 ただ、同時にナーバスになりすぎているとも自省した。


「知られてるわけない、か……」


 たまたま、アルの物言いがスバルの意識に引っかかっただけだ。

 もしもアルが『死に戻り』を知っていたなら、もっとわかりやすい形でスバルにそれを示そうとするはず。――『死に戻り』の権能は、存在自体が危険な代物だ。

 ロズワールがそうであったように、知っていれば触れずにはおけない。

 同時に――、


「――異世界召喚された奴が全員、何かしらの力をもらうわけじゃない」


 アルの境遇を詳しく知っているわけではないが、そう考えてよさそうだ。

 何故なら、もしもアルに何らかの特別な力が宿っていたのだとしたら、彼の失われた左腕――それがなくなることも、防げたはずではないかと思える。

 例えば、仮にスバルが同じように片腕を失う事態に陥ったら、そのときには自分の権能を用いて左腕を失う前に――、


「……戻る、のか?」


 そう考えたところで、スバルはまじまじと自分の左腕を見つめた。

 仮定の話だが、十分にありえる事態だ。そもそも、これまでスバルが五体満足で生き延びてこられたのは、『死に戻り』を駆使し、うまく運んだからに他ならない。


 命を落とした周回では何度となく、腕や足を失う被害にも見舞われた。

 あのまま命を拾って、『死に戻り』をしないまま日々が続いていたなら、肉体の一部を欠損したまま生きることだって十分あっただろう。


 ――『死に戻り』を、決して頼り切らないとスバルは心に決めた。


 しかし、ならばどこまで頼るのか。

 腕や足は、指は目は、どこまで失えば『頼る』と決断できるのか。何より、自分の手足ではなく、それがエミリアやレムのモノならどうだ。


 水門都市プリステラで、スバルはリカードの失った腕のために『死に戻り』しなかった。今日このときも、足を失ったミゼルダのために『死に戻り』していない。

 権能を用いれば、より良い成果が引き寄せられる可能性があるとわかっていながら。


 腕や足を失い、これまでの道のりが絶たれるモノが減らせるとわかっていながら。


「俺は……」


「――――」


「俺は偽善者だ」


 与えられた権能が強大なものであると知りながら、決定的な一歩を踏み出せない。

 ナツキ・スバルはあまりにも、あまりにも非力で身勝手だった。

 だから――、


「レムにも……づぁっ!?」


「悪いループだぜ、兄弟」


 レムにも、あの決定的な一言を言わせてしまった。

 そう落ち込みかけたスバル、その額が強烈なデコピンによって弾かれる。強い音で涙目になったスバルは、「な、な……」とアルを見た。


「おお、だいぶいい音なったな。つか、さっきの頭突きに追い打ちしちまった。そのつもりはなかったんだわ、悪い悪い」


「それは、いい……じゃなく、なんだよ、今のは!」


「デコピンだよ。で、質問権がオレの方に移動して、オレも質問するぜ」


 驚きが先行し、痛みが遅れてくるスバルにアルが弾いた指を突き付ける。鼻面に指を突き出され、スバルは思わず身を引いて口を噤んだ。

 そこに、アルが「あのなぁ」と言葉を継ぎ、


「あの嬢ちゃんの一言にどんだけぐらついてんだよ。ちょっと言われたぐらいで情けねぇったらありゃしねぇ。自分でもそう思わねぇか?」


「それ、は……」


「あんな程度でおたつかれちゃ困るんだよ。こんなこと言うだけ恥ずいけどな……オレはな、兄弟に期待してんだぜ?」


「――期待?」


 考えもしなかった言葉をかけられ、スバルは単純に驚く。

 そのスバルの反応を見て、アルは「そうだよ」と深々と頷いた。


「プリステラで兄弟がやった演説、覚えてるよな」


「あ、ああ、やったけど……」


「あのとき、オレは言ったはずだぜ。あそこで放送するってことは、兄弟は『英雄幻想』を背負ってくことになるんだってな」


 緊迫した状況、都市が大罪司教に襲われ、大勢が窮地にあった。

 そんな中で役割を求められ、あと一歩を踏み出せずにいたスバルにアルがかけた言葉、それが『英雄幻想』だったと記憶している。


 人々の、大勢の期待と希望を一身に背負い、負けることは許されない存在。

 誰もがそうあってほしいと願う、『英雄』という名の『幻想』を背負うのだと。

 そして、あのときのスバルはあまりにも気楽に答えた。


 ――それは、いつもと変わらないと。


「ここでだって同じだ。一人に否定されて、それでなんだってんだよ。それで、兄弟がやってきたことが覆るわけでも、覚悟が裏返るわけでもねぇだろ」


「――――」


「折れんなよ、兄弟。かましてやれよ、兄弟。――期待に応えろよ、兄弟」


 重ねて、水門都市でのスバルの功績を知るアルが背中を叩いてくる。

 全てを忘れているレムも、幼児退行しているルイも、当然ながらアベルもフロップもミディアムも、『シュドラクの民』も誰も知らないスバルの働きだ。

 プリシラは、知っていても覚えてくれているか怪しいところだが。


「オレは忘れちゃいねぇ。そして、悪ぃが今さら逃がさねぇよ、兄弟」


「逃がさない、って……」


「始めちまったんだ。掲げた看板は死ぬまで下ろせねぇって話さ」


「――――」


 クリティカルなアルの言葉に、スバルはまたしても息を呑む。

 あの水門都市での放送が、あの都市で不安と恐怖に呑まれかけていた人々だけではなく、それ以外の相手にも波及したのだと知った。


 掲げた看板は死ぬまで下ろせない。

 そして、残念ながらスバルには『死』が訪れることはない。

 故に、戦い続けるしかないのだと――。


「……ずっと」


 アルの言葉に両手で顔を覆い、視界を閉ざしたスバルの口から声が漏れる。

 頭の中にずっと響き渡るのは、レムからかけられた致命的な一言。スバルの心を八つ裂きにし、流れる血で溺れさせようとする絶死の言葉。



『――あなたは、英雄じゃないんですから』


「ずっと、レムの一言を頼りにやってきたんだ」


『――あなたは、英雄じゃないんですから』


「レムが信じてくれてたから、俺は膝を折らずにやってこられた。『聖域』でもプリステラでも、プレアデス監視塔でも、同じで……」


『――あなたは、英雄じゃないんですから』


「レムが起きてくれて、記憶がなくなってて、それでもやっぱり嬉しくて……あと一歩で全部取り戻せて、今が一番、踏ん張らなきゃいけないときなのに」


『――あなたは、英雄じゃないんですから』


「俺を奮い立たせる、魔法の言葉だったんだ」



 英雄だと、レムがそう言ってくれた。

 全てを投げ出して逃げようとしたスバルの足を引き止め、眠りについたレムを前に屈しかけた膝をそうさせず、閉塞する『聖域』と屋敷の難題に挑ませ、敵の手に落ちた水門都市を救うための奔走に一役買い、『記憶』をなくしたナツキ・スバルの魂を揺さぶってプレアデス監視塔を攻略させた。

 それが――、


『――だって、スバルくんはレムの英雄なんです』


 その一言が、信頼が、支えがあったから、今日までやってこられたのに。

 それを取り上げられて、ナツキ・スバルは――、


「だったら、取り戻せばいい」


「――え?」


 顔を覆ったまま、瞼の裏というには深すぎる闇で溺れていたスバル。それが、かけられたアルの一言に息を呑み、顔を上げる。

 そのすぐ目の前にアルの顔があって、スバルは思わず後ずさった。しかし、先ほどのやり返しのように、下がった分だけ今度はアルが前に出る。

 すぐに背中が壁に当たり、それ以上は下がれなくなる。そうして下がれないスバルを追い込むように、アルはその隻腕を伸ばしてスバルの逃げ場を塞いだ。

 そして――、


「取り戻すんだよ。あの嬢ちゃんの期待も、兄弟本人の自信も」


「期待と、自信……」


「看板は下ろせねぇ。戦うしかねぇんだ。で、負けっ放しでもいられねぇなら、望み通りに勝ち続けるしかねぇ。そうやって勝ち続けて、取り戻すんだ」


「――――」


「失った期待と評価は、それ以上の結果でしか取り戻せねぇ。兄弟も、それは自分で何度も経験して知ってるだろうが」


 ぐいっと顔を近付けられ、冷たい鉄の兜が額に当たる。

 しかし、そうして互いの額が当たっていることに気付かないぐらい、アルは強く強く真摯にスバルに訴えかけてきた。その事実がスバルにもたらした衝撃は大きい。何より、アルの言葉には一理も二理もあるように思えた。


 失った期待と評価――スバルにとって最も苦い記憶は、もちろん王城での失態だ。

 あのとき、スバルはエミリアの信頼や期待、そして王選候補者たちからの評価も散々に落とした。その後、彼女らの信頼を回復できたのは、行動したからだ。

 断じて、打ちひしがれて壁に額を打ち付けていたからではない。


「……馬鹿か、俺は。いや、馬鹿だ俺は」


 それこそ、王城でやらかしたときと何も変わっていないではないか。

 あのときもスバルは、目の前の大きな痛みから逃れるために、ヴィルヘルムに頼んで稽古をつけてもらう名目で、大きな穴から目を背けようとしていた。

 しかし今、スバルにそんな弱腰でいられる余裕はない。


 レムを守り、連れ帰らなくてはならない。そのために頼れる相手も、あのときと違って誰もいない。――レムには、スバルだけだ。


 そして、記憶のないまま、不安に囲まれているレムを少しでも安心させるために、もう彼女の前で情けない姿など晒してはおれない。


 レムが、何もかも忘れた彼女がスバルを英雄ではないと言ったとしても。

 強い力でスバルの背を支え続けてくれた、あの言葉が同じ顔と声に撤回されても。


「――俺は、レムの英雄なんだ」


 そう、胸を張り続けることだけが、ナツキ・スバルの本領ではないか。


「……ちったぁ、気力が取り戻せたか?」


 そのスバルの決意を聞いて、アルの声からも険しさが取れる。その一言に「ああ」と答えながら、スバルは至近でアルを見上げて、


「だいぶマシになった。けど、離れろ、下がれ。この壁ドン、誰得なんだよ」


「だな! 兄弟は女装で、オレは片手のない四十路手前のオッサンだぜ!」


 痛快とばかりに笑いながら、アルは壁についた手を引いて後ろに下がる。

 そうして視界が開けると、スバルにはそれが目の前のことだけではなく、もっと大きく視野を広げられたような気がした。


 ――正直、アルの言葉は応急処置で、致命傷が完全に塞がったわけではない。


 きっとレムの前に出れば足が震えるし、また顔色を窺い、同じ言葉をかけられないかビクビクとする羽目になると思う。

『死に戻り』という権能を、何のためにどこまで使うか、答えも出せていない。

 きっと、頭で考えていても、その瞬間になるまで結論は出せないのだと思う。


 ただ、はっきりと言える。

 ナツキ・スバルの有するこの傲慢な権能は、この背中に負わなければならない『英雄幻想』を本物とするために、なくてはならないものなのだ。

 だから、この先も権能との付き合い方で、迷い続けることになるだろうと。


「あー、時に兄弟、ちょっと聞いておきてぇんだが」


 自分の両手を見下ろし、気持ちを新たにしているスバル。そのスバルを眺めながら、不意にアルが聞きづらそうに切り出した。

 ここまで、遠慮の素振りを見せなかったアルの態度をスバルは訝しむ。


「今さらなんだよ。聞きたいことがあるなら聞けよ」


「じゃ、遠慮なく……あのレムって嬢ちゃん、どういう立場なんだ?」


 首をひねり、アルが口にした質問。それは今さらと言えば今さらすぎる疑問だ。

 とはいえ、アルの口から問われ、初めて説明が何もなかったとスバルも気付く。


「帝国くんだりまで連れてきてる兄弟の連れだ。ハーフエルフの嬢ちゃんでも、契約してるロリっ子でもねぇときた。おまけに、嫁扱いしてんだろ?」


「それは便宜上だし、本人にも嫌がられてるよ」


「けど、その嬢ちゃんの一言で兄弟はボロボロになってる。――ありゃ、なんなんだ」


 わずかに声を低くして、やけに真剣に聞いてくるアル。

 彼の言葉を受け、スバルは眉を顰めて記憶を探り、彼とレムとの間に面識がないこと――少なくとも、この時間軸ではないことを確かめる。

 そもそも、アルの前ではレムの話題を出したこともないのだ。彼がレムのことを知らないのは当然のこと。なのに、微妙に引っかかった。

 それはたぶん、質問するアルの態度が原因だ。


「――――」


 表情は見えない。だが、視線に宿った熱を感じる。

 それが真剣さや緊迫感の表れだと、そうスバルは感じ取った。先のやり取りも含め、短時間に見せられた、知らないアルの姿にスバルは困惑する。


 常に飄々と気安く、不真面目な態度で異世界を生き抜く唯一の同胞。

 そんなアルへの印象が、自分の中で変動するのを感じながら、


「レムは俺の……俺たちの身内だ。ただ、『暴食』の大罪司教の被害に遭った。そのせいで誰の記憶からも消えて、自分自身のことも覚えてない」


「――。そういうことか。なるほどなるほど、合点がいったぜ」


「合点?」


 端的に事実を述べたスバルに、アルが顎に手をやり、何度も頷く。

 その口から漏れた言葉にスバルが首をひねると、彼は「ああ」と相槌を打って、


「色々引っかかってたんだよ。……知らねぇ子のはずが、知ってる子に似てた。それが引っかかった魚の小骨みてぇに自己主張してたんだ」


「知らないのに知ってるって……それ、ラムのことか?」


「おお、そうそう」


 思いがけない接点が飛び出して、瞠目するスバルにアルが声を弾ませる。

 ただ、それでスバルの方でもアルの態度に納得がいった。


 ラムとレム、二人のうちの片方の記憶が抜け落ちた場合の反応は、他ならぬエミリア陣営のみんなのおかげで十分痛感させられた。

 付き合いの長いロズワールやフレデリカも、実物のレムを見るまで完全に彼女の存在を失念し、一回対面してからは双子の姉妹という事実を疑わなかった。

 その性格や性質を除けば、ラムとレムの双子は本当によく似ている。――否、意外と、その性質も姉妹らしく似通っているかもしれないと、最近は思わされる。


 ともあれ、アルが感じていた違和感の正体はわかった。

 ラムを知っていて、それと瓜二つのレムを見かければ混乱もするだろう。


「でも、お前とラムが知り合いなんて話は初耳だった」


「知り合いって程じゃねぇよ。ちょいと縁があったぐらいのもんさ。けど、それで大概は納得できた。――双子の姉妹か? で、その二人を再会させてぇと」


「……ああ、そうだ」


 レムを、ラムと再会させてやるのが最優先。

 その上でエミリア陣営のみんなでレムを迎え、彼女を彼女の居場所へ連れ戻すのがスバルの大目標だ。そのためにも、レムの信頼を失ったままではいられない。

 何としても彼女の信頼を取り戻し、この手を握り返してもらわなくては。


「――おし、わかった。協力するぜ、兄弟」


 大目標を改めて見据え、拳を固めるスバル。と、そんなスバルの前で、語られた事情を噛み砕いていたアルが頷きながらそう言った。

 思わず、スバルは「あえ?」と間抜けな声を漏らして、


「兄弟、今すげぇ間抜けな鳴き声出してたな?」


「ほっとけ! じゃなくて、なんて言った? 協力する? 誰に誰が?」


「オレが、兄弟にだ。まぁ、姫さんにあれこれ言われんだろうが、そこはどうとでもやりようがあらぁな。ともかく、肩入れしてやるって決めたぜ」


「――――」


「ただし、突っ込んでやれる肩は片腕分しかねぇけどな」


「笑えねぇよ」


 ウザったいくらいの熱意を込めて言われ、とっさに言い返しながらもスバルは困惑。

 それはそうだろう。いったい、何がアルの琴線に触れたのかがよくわからない。


「……ラムと知り合いだから、力を貸してくれるのか?」


「ってわけでもねぇよ。オレが肩入れするのは兄弟さ。――どのみち、兄弟が英雄やるってんなら、あの嬢ちゃんのことも外せねぇ。それを手伝うって話だ」


「別に英雄になろうってんじゃ……」


「――なるんだよ。ナツキ・スバルは、英雄に」


 それは、否やと言わせない遮り方だった。

 強く、静かに告げられた一言、それが秘めたる熱はスバルの心を灼かんとした。


「なんて、な」


 しかし、その強烈な熱は、冗談めかしたアルの一声に霧散する。

 その急変具合に振り回されるスバルに、アルは「悪ぃ悪ぃ」と手を振って、


「けど、そのぐらいの心意気でいこうぜ、兄弟。多少なりハッタリ利かせて退路を断った方が、オレや兄弟みてぇな怠け者は気が引き締まるってもんだ」


 そう言いながら、アルはくるりと背を向けて、鷹揚な足取りで歩き出す。

 堂々とした足取りに遅れ、スバルは「アル」と彼を呼んだ。


「今のは……」


「おっと、余計な話はここまでにしようぜ。なんせ、思い出したけど、オレは会議場に兄弟を呼びにきたんだった。もう姫さんからの大目玉は確定だ」


「――――」


「そら、急ごうぜ。なに、話すチャンスならいくらでもあらぁ」


 そう言って、首だけ振り返ったアルは肩をすくめ、小走りを始めるジェスチャー。その仕草に急かされ、スバルも仕方なく気がかりを引っ込めた。


 今の、アルの言葉をどこまで真に受けていいものかはわからない。

 それでも、正面から「協力する」と宣言されたことは、少なからずスバルを前向きにする力にはなった。


 無理やりにでも、スバルは前を向かなくてはならない。

 そうして胸を張り、背筋を正し、大きく足を広げて歩かなくては――、


「――レムの」


 ――英雄であると、そう自分を肯定する寄る辺が失われてしまうから。



                △▼△▼△▼△



「――『英雄幻想』、か」


 小走りに走りながら、鉄兜の中だけに呟きが響く。

 外には届かない、ただ自分に聞かせるためだけの声を発しながら、目をつむる。


 そうして、目をつむりながら、瞼の裏という闇の中に響かせるように――、



「英雄に、なってもらうぜ、兄弟。――いいや、ナツキ・スバル」



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― 新着の感想 ―
アル いい奴 スバルの未来の姿かもしれないけど いい奴
これだけのことをスバルに言うアルがなんで...? 読み返しているが、謎は尽きない
アルはレムに恨みがあるはずだが、レムは忘れられているために何も感じていないよう、、
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