第七章28 『勝利条件』
――捕らえたアラキアが奪われたとの報は、会議場に激震をもたらした。
「面目ネー。ホーリィの弓でも追っつかなくテ、逃げられちまっタ」
「なノー……」
そう項垂れて謝るのは、弓を手にしたホーリィとクーナの二人だ。
凶報を持ち込んだホーリィを連れ、クーナは即座に逃げたアラキアを追わんと最上階へ上がった。そして、都市の外からトッドを射抜いたときと同様、ホーリィの腕力とクーナの眼力を合わせた弓スナイプで逃亡者を狙ったのだ。
しかし、逃亡者は二人がかりの遠距離スナイプに対処し、まんまと出し抜かれ、アラキアを連れ去られてしまったとのことだった。
「一人が囮に残っテ、もう一人が九神将を連れ出していきやがっタ。このままじゃ終われねーかラ、すぐにアタイらが追跡しテ……」
「「――無駄だ」」
鼻面に皺を寄せ、悔しげにするクーナの言葉が二つの声に遮られる。
同時に同じ言葉を発したのは、円卓に腰掛けたまま動かないアベルとプリシラだ。二人はちらと視線を交わすと、プリシラの方が目をつむった。
アベルに譲る、という意思表示だろう。
「……少数で敵陣に乗り込み、目的のみを遂げて脱する手合いだ。二人組でその分かれ方なら役割も明白。やれると決断した胆力も、逃げおおせた判断力も評価に値する。追っ手を差し向けようと捕まるまいよ」
「――ッ、だからっテ」
「半日かからず、アラキアも目を覚まそう。そうなれば追っ手に勝ち目はない。それで考えを変えられ、都市に戻られればひとたまりもないぞ。言っておくが、先のような幸運に二度目はない。少なくとも、今の戦力で構えるのは無謀と言わざるを得んな」
「グ……っ」
「クーナ……アベルの言う通りなノー」
つらつらと言葉を並べ、アベルが食い下がるクーナの気持ちを挫きにかかる。そのクーナの肩を、隣に立つホーリィが慰めるように優しく撫でた。
族長代理として円卓につくクーナには痛恨だろう。だが、言い方の悪さはともかく、アベルの言い分にはスバルも頷ける。
乗り込んできた帝国兵も、勝算なしに挑むような真似はしないはずだ。この状況下で達成可能な目的を定め、勝算を見出し、実行してみせた。当然、片道切符なんて半端な真似はせず、逃げ方にも相応の計画があるに違いない。
「どう言葉を弄そうと、あれの命運はここで尽きなかった。なれば、まだ役目が残っているのだろうよ」
「プリシラ……」
沈黙が落ちたところに、プリシラがそんな言葉を投げ込んだ。
直前までアラキアの処遇を巡って話し合っていたスバルとしては、彼女が処刑されなかったことと、話も聞けないまま連れ出されたことの心境は複雑の合わせ技だ。
ただ、アラキアの生死に関わらない姿勢でいたプリシラは、彼女が逃げ出したことにどんな感想を抱いているのか。それは彼女の紅の瞳からは読み取れなかった。
「で、結局、アラキアの嬢ちゃんはどうすんだ? 放置で決定?」
「……外に逃げられたんじゃ、他に打つ手がねぇよ」
空気を読まないアルの言葉に、スバルは苦々しい顔でそう応じる。
クーナとホーリィの狙撃に対処した以上、逃亡者を半端な実力のものに追わせることはできない。そうなると追っ手の候補は限られるが、実力者はいずれも今のグァラルから遠ざけることのできない状況だ。
色々と頭をひねってはみるが、スバルの強みが活きるのも基本は不意打ちであり、相手に先手を打たれた場合は弱い。それが露呈してしまった形だった。
「ちなみに、ないとは思うんだが、逃げたと見せかけて相手がまだ市内に隠れてるってパターンはどうかな」
「ないでしょう。堅固な城塞都市と謳われてはいますが、二つの大門以外にも抜け道は存在します。いずれも、ここ数日で入念に潰させていただきました」
「入念に……」
「ええ。抜け穴を使い、都市に潜入してくるものと踏んでおりましたので。よもや、正面から奇策で突破されるとは思いもよらず」
まんまと足下をすくわれた形だが、ズィクルは嫌な顔一つせずに冷静に答える。
城塞都市の指揮官であれば、抜け穴を警戒するのは当然の備えだ。だが、守勢として君臨していたズィクルの指示は、アラキアを連れて逃げた兵士には追い風となった。
「おそらく、一将を連れ出した兵士は抜け穴の捜索隊の一員かと。アベル殿の仰られた通り、勝算なくして挑むものではありません。ならば、使える道があると知っていたからこそできた行動かと」
「その潰した穴の場所って、地図でわかったりしねぇもんなのか?」
「――。図面に起こすことは可能でしょうが、今すぐは無理です。都市が陥落し、兵たちの動揺も大きい。この混乱は簡単に収まるものではない」
「……ゲームじゃないんだから、そりゃそうだ」
これがテレビゲームの一幕なら、倒した敵の指揮官を味方に付ければ、その部下のユニットもそっくりそのままこちらの側に加わってくれるだろう。しかし、現実はゲームではない。ゲームならば数字で表される兵たちにも、一人一人の人生がある。
と、そこまで考えたところで――、
「ホーリィさん、ケガは?」
「うん? 心配してくれるノー? ナツミってば優しいノー」
スバルの問いかけに、破顔しながらホーリィが両腕を掲げる。ぐっと力こぶを作ってみせる彼女は、自分の健在ぶりをアピールしながら、
「ちょっと叩かれたりしたけど、ひどいケガはないからすぐ治るノー」
「そっか。それはよかった。……けど」
言葉を濁し、視線を落としたスバルにホーリィが疑問符を浮かべる。そのスバルの内心に気付いて、クーナが「あー」と頭を掻いた。
そして――、
「建物の中に立たせてた見張りが何人かやられタ。全員死んでテ、何もできねーヨ」
「――。何人かじゃなくて、何人だかわかるか?」
「……七人だナ」
正確な戦死者の数を求めると、躊躇いながらもクーナは答えてくれた。
その七人という戦死者の数が、スバルの胸にぐさりと深く突き刺さる。――最上階、アラキアの攻撃で負傷したシュドラクと帝国兵、レムが懸命な治療を続けてくれている彼らに死者の報告はない。報告はないが――、
「……何が無血開城だよ」
長い黒髪のウィッグをかき上げ、スバルは心底情けない息を吐いた。
力強く請け負い、やってみせると豪語したはずの無血開城――グァラルの陥落を成功させるはずの策は、しかし意気込みと裏腹に多くの死者を出した。
口約は破られ、大嘘つきと誹られても言い訳できない。仮に誰もスバルを詐欺師と責めなかったとしても、スバル自身が己を誹る。
とんだ大嘘つきがいたものだと――、
「――無血開城、だと?」
そのスバルの呟きを聞きつけ、反芻するように繰り返した声があった。
それをしたのは、円卓に頬杖をついたプリシラだ。彼女はその形のいい眉を軽く上げ、珍しい表情でスバルを見つめていた。
その表情のまま、プリシラは「貴様」と一言前置きして、
「ずいぶんと無謀な言葉を聞いたな。よもや、血を流さずに都市を落とさんとしたというのか? この戦争の最中、圧する戦力を持たぬままに」
「……そうだよ、悪いか。いや、悪いよな。結局、失敗してるんだし……」
「たわけた発想だと、そう呆れ返っただけじゃ。ましてや、その夢物語を実行に移さんとしたことに驚嘆する。――アベル、貴様、正気か?」
「――。策そのものは狂気の沙汰であったがな」
問いの矛先がアベルに向くと、腕を組んだ彼は静かに答える。
スバルの献策した計画は狂気の沙汰だったと。実際、概要を聞けば誰もがそう思って当然ではあろう。だが、アベルはその実行に賛同した。
それが、どうやら彼と知己らしいプリシラには理解できないようだ。
「玉座から帝国を眺め、どうすればそこまで緩める。犠牲なくして戦果はない。血を流さずして誇りは保てぬ。それが帝国の流儀であろう」
「俺とて、剣狼の掟に背くつもりはない。狂気の沙汰とは言ったが、勝算があった。事実、アラキアの存在がなければ、無血開城は成っていたろうよ」
「――――」
「過ったのは策ではない。俺の見立てだ。プリシラ、貴様であれど、俺の軍師の献策を愚弄するのは許さん。俺の裁可だ。責は俺にある」
「ぉ……」
意外すぎる物言いで、アベルがプリシラと真っ向から対立する。
軍師、とは聞き捨てならない役目を任命されていたが、アベルの言動は明らかにスバルを庇うものだった。両者の剣呑な睨み合いに、口を挟めない。
「なんだ、兄弟。やけに気に入られてるじゃねぇか。大出世だな」
「……俺はエミリアたんの騎士で、ベア子の保護者って立場で十分だよ。これ以上、身に覚えのない役職をもらうのは御免だ」
すり寄ってくるアルを押しやり、スバルは勝手に圧し掛かってくる責任も押しやる。
もっとも、アベルが庇ってくれたおかげで、プリシラの関心はそちらへ向いたようだ。ただ、それでスバルの内心の傷が癒えるわけではない。
失われた命の責任は、策を立案し、実行したスバルにあるはずなのだ。
「全部は救えねぇよ、兄弟」
そんなスバルの横顔に、兜の金具をいじりながらアルが呟いた。ちらと視線を向ければ、彼はスバルの方を見ないまま天井を仰ぎ、
「関わる相手、全部は救えっこねぇ。別に救っても構わねぇんだが、そんな真似してる間に心が壊れちまう。オレはおススメしねぇぜ」
「アル……」
「誰もが勝手に生きて、勝手に死ぬんだ。兄弟の言う通り、ゲームじゃねぇ。だったら、そいつの人生のケツ持ちはそいつがするもんなのさ」
それは、アルがたまに見せるシニカルな姿勢からの物言いだった。
助言や忠言のようであり、一方で分からず屋の子どもに言い聞かせるようでもあるそれは、起きた悲惨な出来事をありのまま受け入れろとスバルに説く。
それはある種、正論なのだろう。
実際、アルの言う通りだ。全てを救うことはできないし、救おうと決めればキリがない。だからスバルは、これまでも全てを救い切ることはしてこなかった。
しかし、戦争は規模が違う。――本当に、その選択で正しいと言えるのか。
スバルの行動一つで救える命は、十や百では利かないのではないか。
「茶番もよいところじゃな」
と、スバルとアルの会話を余所に、プリシラとアベルの睨み合いも続いている。
自らの責任と言い放ったアベルに、プリシラは胸の谷間から扇を抜くと、その先端でぐるりと会議場――否、都市全体を指し示した。
「首尾よく、軍師の献策で都市を落とせてもこの有様。アラキアを追い払えた奇跡も二度は続かぬ。あの手法も、もう使えまい?」
「ああ、二度目はない」
プリシラの問いかけに、アベルが躊躇せずに頷いた。
アラキアを追い払った手法と言われ、眉を顰めたスバルも思い至る。――アルとアラキアが剣戟を交わす最中、アラキアの様子がおかしくなった瞬間があった。
「あれは、アルが何かしたわけじゃ……」
「うん? オレじゃねぇよ。第一、オレだったらそのあとがもうちょっとスマートにやれてたはずだろ。弾かれて落っことされてんだぜ、オレ」
「確かに」
言われてみれば、アルの仕業にしてはその後がお粗末だった。
その二人の会話を受け、会議場の視線がアベルに集まる。あの場で何かしら仕込めたとすれば彼だけで、集まる視線にアベルは煩わしげに鼻を鳴らした。
「アラキアは『精霊喰らい』だ。大気中の精霊を喰らい、その力を取り込む性質がある」
「精霊、喰らい……?」
あまりに聞き覚えのない、しかし物騒な響きにスバルは思わず目を丸くする。
ヴォラキア帝国がルグニカ王国とは異なるルール、異なる土壌に仕上がっていることはこれまでにも察せられたが、『精霊喰らい』とはまたかなりの際物だ。
スバル自身、精霊の力を借りる精霊術師の端くれなのだが、それとはあまりにも異質な響きであり、端的に言って――、
「絶対にベア子と引き合わせたくねぇな……その『精霊喰らい』って一般的なのか?」
「そんなこともない。『精霊喰らい』は元々、ヴォラキアの辺境に住まう部族にのみ伝わる秘術の一つよ。じゃが、強力な特性故に滅ぼされ、宿し方も失伝した」
「少なくとも、俺の知る限り、アラキア以外に『精霊喰らい』は確認されていない。いれば丁重に保護したろうよ。あれは観測者の……いや、今は関係ない」
話の脱線を嫌い、首を横に振ったアベルが「話を戻すぞ」とレールに戻る。
スバルも、『精霊喰らい』が一般的ではないと聞いて、ベアトリスが齧られる心配がなくなったことに安堵しつつ、「それで?」と聞き返す。
「『精霊喰らい』のアラキアを、どうやって惑わせたんだ?」
「惑わせたわけではない。――マナ酔いにさせただけだ」
「マナ酔い……ははぁ、なるほどねえ。そりゃまた器用な真似したもんだ」
アベルの答えに得心がいったと、アルが自分の顎を撫でながら感心した風に頷く。
マナ酔いと聞いても、スバルはそれだけではピンとこない。
「確か、マナの濃度ががっつり濃い場所にいくと、マナに過敏な体質の人は体調を崩しやすい……みたいな話だったと思ったが」
「アラキアは『精霊喰らい』の特性故に、その手の影響を受けやすい。とはいえ、精霊を取り込むには相応以上の耐性があることが前提条件。その前提を超えて、アラキアをマナに酔わせようとすれば……」
「ああ、秘宝を使わされた。それに使われた分も含め、俺の手持ちは打ち止めだ」
それ、と言いながら顎をしゃくり、アベルが示したのはスバルだった。その言葉にスバルは「秘宝?」と眉を顰め、首を傾げる。
スバルが使った秘宝と言われても、全く心当たりがない。
「秘宝って何のことだ? 俺がお前の何をいつ……」
「『血命の儀』の際、魔獣の角を折るのに指輪を壊したはずだ。あれがそうだ」
「あ……」
すっぽ抜けていたが、そう言えば魔法を使える指輪を借り受けた記憶が蘇った。
戦いのどさくさで仕方なく、指輪ごとエルギーナの角を殴って爆砕、魔獣の角をへし折ったが、代わりにスバルの腕と指輪はボロボロの状態になって。
そして、それと同列に語られた何かを、アラキアとの戦いで使ったということか。
「バルコニーを落とすのに合わせ、隠していた指輪を踏み砕いた。内包したマナが溢れ、周囲を満たすのに時間はかかったが……」
「まんまと、アラキア嬢ちゃんはマナ酔いしてあの様ってわけだ。まぁ、その様の嬢ちゃんにあっさりやられちまったオレなわけだが」
「あの瞬間、そんな小細工してやがったのか……」
全員が全員、ボロボロに負傷した状態だったというのに、帝国最強格に追い込まれながらも勝ち筋を探っていたとは、アベルの諦めの悪さには脱帽だ。
スバルも諦めの悪さはなかなかだと思うが、アベルとは地頭の良さが違いすぎて、ただの悪足掻きと決死の反攻ぐらいの違いがやり切れなかった。
ともあれ――、
「元々、アラキア用に用意した策であろう? いつ寝首を掻かれるかわからぬと、そのような仕込みをするとは小胆なことじゃ」
「傍に置くものほど、反目したときの対策は用意しておくものだ。……特に、アラキアはいつ俺に牙を剥くかわかったものではなかった」
「――。しかし、奇策が通用するのも一度だけよ。マナ酔いさせるほどの魔晶石の用意も簡単ではない。次の機会までに、まともな戦力の確保は必須であろう。じゃが」
と、そこまで話したところで、プリシラは意味深に言葉を切った。
広げた扇で自分の口元を隠し、プリシラは紅の瞳を細めてアベルを睥睨する。どこか、探るような試すような目つきで、彼女は小さく吐息をこぼし、
「『シュドラクの民』を傘下に加えるまでは予想通り……しかし、無血開城を掲げる夢見がちな軍師の策を採用し、城塞都市に攻め入る愚考は如何ともし難い」
「――――」
「これでは到底、妾も協力者に貴様を支持するよう進言はできぬぞ」
「協力者!?」
平然と、当たり前のように言い放ったプリシラにスバルが驚愕する。驚いたのはスバルだけではなく、アベルとアルを除いた会議場の全員だ。
プリシラの同行者であるアルはともかく、アベルが驚いていないのは理不尽にしか感じられないが、スバルはそのことには触れず、
「待て待て待て、話が飛びすぎだ! 協力者って……そもそも、お前のスタンスがわからねぇ。アベルを助けにきたって話は聞いたが……」
「助けになどきておらぬ。妾の道化の放言を真に受けるでない」
「わかったよ! お前がアベルを助けにきたかどうかはいい。そこは重要じゃねぇんだ。俺が聞きたいのは、お前の大目標だ」
目先の小目標として、アベルとの対話が目的だったことは聞いた通りだ。
だが、スバルが知りたいのはプリシラ――彼女とアル、それとおそらく連れてきているらしい他の身内が、どうしてヴォラキア帝国にいるのかだ。
その上で、アベルに味方する気があるのかないのかわかればよりベスト。
「答えてくれ。正直、俺も他のみんなも、お前をどう思っていいのか測りかねてる」
「は、思い上がりも甚だしい。凡愚共が妾をどう思おうと知ったことではない。たとえ貴様らがどう思おうと、妾は妾のしたいようにする。なにせ……」
「――世界は妾にとって都合のよいようにできておる、だろ?」
耳に馴染んだ彼女の哲学、それをなぞったスバルにプリシラは鼻を鳴らした。それから、自分に向けられる視線の数と鋭さが増したことを察し、プリシラは片目をつむる。
「妾の目的は、玉座を追われた皇帝を元に座に戻すことじゃ。でなくば、妾の下に煩わしい来客がひっきりなしに訪れる」
「言われるまでもなかろうが、その刺客は俺の指示ではないぞ」
「疑ってもおらぬ。故に、わざわざここまで足を運んだ。正確には、翼に運ばせたという方が適切じゃがな」
片目をつむったまま、アベルに答えたプリシラが視線を上に向ける。それが示すのは天井ではなく、その先にある夜空だろう。
もっと言えば、ただの空ではなく、空を我が物とする存在――、
「まさか、お前とアルは空から飛んできたのか?」
「あー、飛竜の速達便って感じだわな。正直、姫さんが一人で飛び降りちまったときはこの世の終わりかと思ったぜ。オレはおんなじことできねぇし、高度下げてもらうまでなかなか下りられなかったしよ」
「飛竜……プリステラの水竜にもビビらされたもんだが」
地竜以外のファンタジー生物であった水竜、それに加えて飛竜の存在が浮上する。
聞いた話だと、飛竜は非常に凶暴で手懐けるには専門の技術が必要らしい。その技術者が少ないため、そもそも飛竜に乗れることは希少なことなんだとか。
「つまり、飛竜の速達便が出せるような相手がプリシラの協力者?」
「言葉尻をさらうような卑しい真似をするでない。貴様の場合、賢しさよりも卑賤さの方が勝る。可愛げを磨け。化粧を直してくればまだ見れようが」
「今ここで化粧直してきたら頭おかしい奴じゃん……」
それを言い出すと、女装を解除できていないこと自体も問題視されそうだが、この場にいる面々は空気が読めるのでそれには触れなかった。
ともあれ、話がまた大幅にズレかけてしまったが――、
「アベルを玉座に戻すのが目的ってことは、協力し合えるってことでいいのか?」
「と、素直に頷いてやれぬのが本音じゃな。――先の言葉は忘れていまい。このものに皇帝の資質がなければ、戻したとて意味はない」
「――――」
視線を鋭くして、真っ向から皇帝の資質を問われたアベルがプリシラを睨む。
プリシラが問題視しているのは、スバルが提案し、アベルが認めた『無血開城』――それをやり切れなかったことではなく、そもそもの着想の問題だ。
ヴォラキア流に照らし合わせれば、甘さは命取りになる。実際、スバルの詰めが甘かったせいで命は失われた。彼女の疑惑は否定できない。
しかし――、
「玉座は取り戻す。誰になんと言われようと、それは絶対だ。――プリシラ、たとえ貴様に言われようと、それは変わらぬ」
押し黙りかけたスバルに代わり、そう力強くアベルが断言する。
それは、スバルの前で自らの素性を明かし、この国を奪還すると言い放ったときと同じ、あるいはそれ以上に熱のこもった宣言だった。
「――――」
そのアベルの覚悟を聞いて、会議場にいるものたちの表情も変わる。
クーナとホーリィは『シュドラクの民』として付き従う戦意を宿し、ズィクルは神々しいものと対峙したように頭を垂れる。アルはプリシラの反応を気にして彼女を向き、真っ向から断言されたプリシラはその目を細めて、
「気概は衰えずとも、実情が伴わぬ。現に、玉座を追われているではないか」
「――――」
「事情はすでに知れている。問題は、誰が始めた? 誰の企てじゃ?」
「――絵図を描いたのは、宰相のベルステツであろうよ」
プリシラの問いに、アベルが黒瞳に敵意を宿しながらそう答えた。
宰相とは、国政を取り仕切る実質的な頂点の役職であり、国王や皇帝の側近だ。武官の頂点が将軍や騎士団長なら、文官の頂点と言えるかもしれない。
いずれにせよ、まさしく裏切りを敢行しやすいナンバー2ポジションと言える。
「あの老木か。ラミアの遺産など、よく使う気になる」
「当然、奴の叛意を見通し、相応に備えていた。だが……」
アベルはそこで言葉を区切り、静かに息を吐いた。
それは彼らしくもない、初めて見せる弱味に近い反応だった。皇帝として、その座を追われようと揺るがなかった彼が、初めて見せた微かな弱さ。
その弱さの原因は、裏切った宰相ではなく――、
「見張らせていたチシャ・ゴールド……九神将の『肆』の叛意は見抜けなんだ」
「――馬鹿な、チシャ一将が?」
忸怩たる思いを吐き出すアベルに、思わず声を上げたのはズィクルだった。
帝国の二将たるズィクルには、スバルの知らない『九神将』の名が身近だったのだろう。円卓の視線を集め、彼は自身の豊かな髪を撫でながら、
「チシャ一将は、九神将の中では異色の実力者です。一将ご自身、武名よりもその知略で名を馳せた方で、『選帝の儀』ではヴィンセント閣下を最もよく支えたと……」
「それって、一番の右腕ってことか? 政治的な右腕の宰相と、付き合いの長い右腕の将軍にそれぞれ裏切られたってこと?」
「重ねて言うな。俺の右腕は俺の右肩についている」
「それ、今言われても強がりにしか聞こえねぇから……」
ズィクルの説明を聞いて、スバルは予想外に足りないアベルの人望に驚かされた。
もっとも、ヴォラキア帝国の過激な思想を聞いていると、力不足とみなされた皇帝は即座に叛逆されそうなものなので、珍しいことではないのかもしれない。
「この国って、皇帝が逃げ回ることってよくあるの?」
「俺が玉座についてから、形だけでも追われたのは二度だけだ」
「でも、前科あるんじゃん!」
「たわけ。俺を連れ回したのは王国の近衛騎士だ。文句ならそれらに言うがいい」
本気で心外そうな顔をされ、スバルは突っ込むのも疲れて口を噤んだ。
そう言えば以前、ユリウスが帝国に使者として出向いたとか話していた気がするが、まさかそれとは関係ないと思いたい。もしそうなら世間が狭すぎる。
「あー、皇帝閣下におかれましては腹心と側近に玉座を追われたわけで、アラキア嬢ちゃんも敵に回ってると。……ヤバくね? 味方とかいねぇの?」
「同じ九神将のゴズ・ラルフォン……奴は俺を逃がすために尽力した。あれの足止めがなければ、転移の仕掛けを起動させられなかったろう」
「おお、さすがはゴズ一将……!」
「ただし、チシャとアラキア以外の九神将も寝返ったなら、ゴズ一人でどこまで抗せたかはわからん。討ち死にした可能性が高かろう」
命懸けでアベルを守った『九神将』の存在は希望だが、それもかなり儚い希望らしい。とはいえ、ズィクルは「いえ」と首を横に振り、
「僭越ながら、私の下にゴズ一将が亡くなられた報せは届いておりません。戦没か病没かはともかく、ゴズ一将ほどの方の死を長くは隠せないはず」
「ならば、囚われの身の目もあるか」
「おそらくは。いえ、必ずや! ゴズ一将ほどの武人であれば!」
アベルの言葉に、ズィクルが恭しく一礼した。
このズィクルからこうも尊敬を勝ち取っているなら、そのゴズという人物はよほどの大人物なのだろう。もしくは厳つい名前に反して女性かだ。
「――宰相と九神将が敵となれば、帝国は死地も同然よ」
益体のない質問を挟む前に、話を聞き終えたプリシラがそう呟く。そんな彼女の言葉に同意見ながら、スバルは「なぁ」と挙手して、
「今さらなんだが、アベルが皇帝って名乗り出るのはどうなんだ? そうすれば、帝都でしれっと政をやってる奴らは謀反した裏切り者って話に……」
「残念だが、それで怒れる民衆やら軍人やらがクーデター政権を血祭りに上げてくれるのを期待するのは無理だぜ、兄弟」
「そこまで物騒なこと考えてねぇけど、どうして?」
「――ここが、力あるものを尊ぶヴォラキア帝国であるからだ」
スバルの提案は却下され、アルの言葉をアベルが補足する。
玉座を追われた皇帝は腕を組み、その形のいい眉をほんのりと顰めながら、
「俺が名乗り出て、自ら帝都を取り戻す意思を表明すれば歓迎はされよう。だが、それが俺を支持することとはならん。奪われたものは奪い返す。それが流儀だ」
「物とか土地だけじゃなく、皇帝の座も……」
「例外はない。――故に、俺のすべきことは決まっている」
八方塞がりと、そう頭を抱えようとしたスバルはアベルの言葉に驚かされる。
手詰まりになったとばかり思ったのに、アベルの答えはむしろ反対だった。彼はその場に立ち上がると、ゆっくりと円卓に手をつく。
そして――、
「ズィクル二将、地図を」
「は! すぐに!」
言われ、ズィクルが部屋の隅に待機する帝国兵へと指示を飛ばす。すると、帝国兵はすぐに会議場の壁にかかった地図を剥がし、それを円卓の上に広げた。
ざっと広げられたそれは、ヴォラキアを含めた世界全体を示す世界図だ。
「俺たちがいるのが東の地、城塞都市グァラルがここだ。そして、奪還すべき帝都ルプガナはおよそ帝国の中央にある」
「……ヴォラキア、かなりでけぇな」
地図で示され、これまで意識の薄かった国土の大きさを改めて意識する。
この世界は四つの大国がそれぞれ四分割する形で統治しているが、世界図の南を占めるヴォラキア帝国の国土は他の国々と比べて最も大きい。
スバルたちがあれほど苦労して抜けたバドハイム密林も、ヴォラキア全土から見ればほんのささやかな地理を占める程度のものだった。
「帝国の各都市は各々の都市長や領主が管理している。グァラルの例に漏れず、いずれの都市も自治戦力を有し、有事の際には戦いも辞さない。――これらを傘下に加え、帝都を奪還するための戦力を確保する」
「……国盗りシミュレーションで王道のパターンなのは、わかる」
「不服のようだな」
「当然だろ。グァラル一個でこの大仕事だ。こんなうまくいくと思えねぇ」
地図を指し示しながら、そう説明するアベルにスバルは何とかついていく。何とかついていけるが、それは理屈の話であって、感情の話はまた別だ。
先ほども言ったが、これはゲームではない。シミュレーションRPGなどであれば成立する手法が、現実に簡単に通用するはずもないだろう。
アベルの意見は、かなり楽観視したものとしか思えなかった。
だが――、
「貴様の懸念を払拭する術はある。むしろ、俺の為すべきを為すには必須の術が」
「必須条件……」
「――『九神将』の確保だ」
その答えを聞いて、スバルは目を丸くする。
当たり前だろう。なにせ、その『九神将』に裏切られたことが原因で、アベルは玉座を追われたと話したばかりではないか。
好意的な『九神将』は安否不明、わかっている二人の『九神将』はすでに敵。
あとは――、
「あとの九神将は……?」
「そこだ」
不意に生じた疑問に指を立て、アベルが動じるスバルに頷いてみせる。それから彼はスバル以外の面々の顔を見渡し、
「帝国民は精強たれ。『九神将』こそが、その習わしの体現だ。すなわち、ヴォラキア帝国の覇者たらんとすれば、『九神将』を束ねることは外せぬ」
「ってことは、つまり……」
アベルの言葉を受け、その先に続く内容に思い至ったスバルは目を見開く。そのスバルの反応に頬を歪め、アベルは好戦的な笑みを浮かべた。
そして――、
「――『青き雷光』セシルス・セグムント。『精霊喰らい』アラキア。『悪辣翁』オルバルト・ダンクルケン。『白蜘蛛』チシャ・ゴールド。『獅子騎士』ゴズ・ラルフォン。『呪具師』グルービー・ガムレット。『極彩色』ヨルナ・ミシグレ。『鋼人』モグロ・ハガネ。そして『飛竜将』マデリン・エッシャルト」
「――――」
「この争い、より多くの『九神将』を確保した方が勝利する。それが勝つための方策であり、俺が果たさなければならぬ絶対条件だ」