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第七章26 『踊る円卓会議』



「――おーい、ちょっと? 誰か聞いてる? マジでそろそろヤバいって」


 緊迫する空気が間抜けな声に揺すられるが、それで緊張がほぐれるわけではない。

 なおもアベルとプリシラの張り詰めた空気は進行中であり、視界の端に入れられてしまっているスバルも身動きを封じられた状態だ。


「――――」


 下手に動けば、半壊状態の大広間の支配者たるプリシラの不興を買う。

 それを恐れ、アルが転落死する寸前であることを指摘するのも躊躇われる空気だ。この状況を動かすには、アベルかプリシラが次の言葉を――、


「――動くナ」


 しかし、状況を動かしたのはそのどちらでもなかった。

 不意の声が聞こえたのは、大広間と階下とを繋いでいる階段の方からだ。ちらと視線をそちらに向ければ、新たに現れた人影が弓に矢をつがえ、こちらを見ている。

 そこにいたのは、目力の強い瞳に強烈な敵意を宿したタリッタだった。


 アベルとミゼルダの指示を受け、アラキア襲撃前に都市庁舎を離れた彼女が戻ったのだ。

 当然、都市庁舎の上階が吹き飛んだ様子を見れば、タリッタも敵の攻撃があったことには気付いただろう。問題は、彼女が事情を把握できていないこと。

 スバルとアベルを見下ろすプリシラと緊迫した空気を見れば、プリシラこそが都市庁舎の襲撃犯と考えて疑いようのないことだ。


「動けバ、その頭を射抜かせてもらウ」


「ほう、妾の頭をか? 折悪く、味方の窮地にも間に合わなんだ貴様が?」


「――っ」


 不必要な挑発にタリッタの頬が強張り、プリシラが悠然とそちらへ振り向く。

 あまりにも堂々とした態度に、動けば射抜く発言は早くも反故にされた。いっそ、プリシラはそのままタリッタへと歩み寄りそうな勢いだ。


「そこまでにしておけ」


 だが、それ以上のプリシラの歩みをアベルが止める。

 静かな一言を受け、プリシラの紅の視線が再びアベルを向いた。その視線を受け止めながら、片膝をついたアベルはプリシラを見上げ、


「タリッタは貴様が思うより使うぞ。容易くはない」


「そう言われれば、妾が不敬に目をつむるとでも?」


「つむらぬだろうよ。だが、プリシラ……貴様、何度『陽剣』を抜いた?」


 意外なタリッタへの評価の傍ら、アベルの問いかけがプリシラを打った。

 正味、スバルにはその問いかけの意図が理解できない。彼女が手にしていた『陽剣』――赤く眩く輝く宝剣、その絶大な威力は語るまでもない。

 だが、アラキアを斬り倒した今、彼女はそれを空の鞘へ納めている。無論、必要となればまた抜き放つのだろうが――、


「タリッタ、矢を下ろせ。此奴は貴様の敵ではない」


 プリシラの返答を待たず、アベルは続けてタリッタに武器を収めるよう言った。が、そう言われてもタリッタも納得いくはずがない。

 矢をつがえたまま、タリッタは「ですガ……っ」と食い下がった。


「その女は明らかに危険でス」


「承知した上で言っている。だが、今貴様が必要なのは俺たちではない」


「――?」


 警戒心を緩めないタリッタに、アベルがそう告げながら視線を横へずらした。その仕草に視線を誘導され、タリッタは器用に目の端にプリシラを映したまま、意識をそちらの方へと向けて、息を呑んだ。


「あ、姉上……!?」


 視線誘導された先、タリッタが見たのはレムの治療を受けるミゼルダの姿だ。

 その半身を炎に焼かれ、さらには枝に腹部を貫かれたミゼルダは重傷で、レムが必死に手当てしているが、痛々しさは揺るがなかった。


「タリッタさん、声をかけてください。呼び止めて……!」


「姉上、姉上……っ!!」


 途端、直前の雰囲気が霧散し、タリッタがミゼルダの下へ駆け寄る。そして、レムの言う通りに姉の手を握り、何度も「姉上」と声をかけ始めた。

 それで、再びプリシラを牽制するものがいなくなる。


「――――」


 また改めて、アベルとプリシラの睨み合いが再開する。――と、思われたが。


「――凡愚。貴様、あれを引き上げよ。こう騒がしくては興も削がれる」


「え……」


 そう言って、プリシラが壊れたバルコニーを顎でしゃくった。

 ご指名を受けたのはスバルで、指示内容は転落したアルの救援ということらしい。それまでの剣呑とした空気はどこへやら、平然と指示する彼女にスバルは息を呑む。

 もちろん、その反発心を馬鹿正直に口にし、プリシラの機嫌を損ねるほど命知らずにはなれなかった。何より――、


「その男は妾が見ておく。なに、死なせはせぬ。余計な気を揉むな」


 そうアベルを指差し、プリシラがスバルの不安点に言及したのも後押しになった。

 その発言を頭から信じられるほどの信頼関係はプリシラとの間にはないが、彼女は自分の発言を翻さないと、それは信じられたためだ。


「睨み合っていても埒が明かん。ひとまず、貴様はあれの言う通りにしておけ」


「……わかった。別にお前の部下じゃないけど」


 プリシラの言葉を受け、思案するスバルにアベルがそう付け加える。

 何となく、アベルに言われて動き出した感があるのが嫌なので反論だけしておいて、スバルはすぐに建物の外、外灯に引っかかったアルの救援に動き出した。


「――――」


 頭の中、ミゼルダやシュドラクの人々の安否、このあとのグァラルの扱いや、アベルとプリシラの関係、様々な要因でぐちゃぐちゃになっている。

 それを奥歯を強く噛んでひとまず忘れ、目の前のことに集中する。


 レムが、目の前の命を拾うために必死になっているように。

 スバルもまた、思い描いた『無血開城』に少しでも現実を近付けるために。



                △▼△▼△▼△



 都市庁舎の外灯に引っかかったアルの救援作業だが、これが案外大変だった。


 なにせ、アルは腕の片方を異世界に奉納してしまった身の上だ。ぶら下がる彼を引き上げようにも、隻腕が相手では選べる選択肢も限られてしまう。


「これが文字通りの手一杯ってやつだな。……いや、むしろ猫の手も借りたいの方が上手い言い回しか? 兄弟、どっちだと思う?」


「うるせぇ! 助けられるつもりがあるなら、こっちのやる気を削ぐな!」


 場違いな茶々に言い返しつつ、スバルはアベルがぶら下がっていたカーテンを破き、輪っかを作って宙吊りのアルのところにそれを下ろした。

 その輪っかにアルの腕と体を通して固定させ、引き上げの準備が整う。それから、ぶらぶらと揺れる中年を引き上げるためにカーテンを引っ張り、


「……とと、上がった上がった。ふいー、命拾いした。助かったぜ」


 何度か危うい場面もあったが、ようやくアルの引き上げに成功する。

 這い上がったアルは大仰に胸を撫で下ろし、荒れた大広間の床にどっかり胡坐を掻いた。その彼を見やり、一仕事を終えたスバルも額の汗を拭う。

 それから、アルの救助に協力してくれた相手――ミディアムに振り返った。


「手伝ってくれて助かったよ、ミディアムさん。俺一人じゃかなりしんどかった」


「いいからいいから! それより、肝心なとこで倒れててごめんだよ~!」


 ボロボロの格好ながらも快活に笑い、ミディアムが先の攻防のことを謝罪する。

 アラキアの襲撃の際、力になれなかったことを詫びる姿勢のミディアム。しかし、そのことで謝られるのも筋違いだ。そもそも、ミディアムもフロップも、今回の戦いに巻き込まれる必要なんてなかった立場なのだから。


「あたしもあんちゃんも、まだまだ精進が足んなかったや! 反省反省!」


「いや、ミディアムさんは悪くねぇよ! 動けなかったのだって、フロップさんとウタカタと……ルイを庇った結果なんだから」


 言葉を濁しながら、スバルはミディアムの功績を称賛する。

 アラキアの竜巻が大広間を吹き荒れたとき、ミディアムはすぐ傍のフロップと、両肩に担いでいたウタカタとルイを守ったのだ。

 結果、頭を打って動けなくなっていた。だが、その奮闘のおかげで三人は無事だし、ミディアムもそれ以上の被害を免れた。


「んー、ナツミちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけどさ。でも、ダメなんだよ。あたしはあんちゃんの護衛だから、ちゃんと仕事できなくっちゃ!」


「ミディアムさん……」


「次! 次はあんな情けないとこ見せないから! 明日のあたしとあんちゃんに期待しててよ、ナツミちゃん!」


「――。そう言ってくれるのは心強いよ。でも、これ以上二人は……」


 自分たちに付き合わなくても、とスバルは言葉を続けようとした。

 しかし、歯切れの悪いその言葉は、お日様のように明るい彼女の「あ!」と目を丸くしての一声に簡単にかき消されてしまう。


「あたし、向こうであんちゃん手伝ってくる! やわなあんちゃんだと、怪我人も運べなくて大変っぽいし!」


「あ、ああ」


「じゃ、ナツミちゃん、またあとで! 仮面の人も、落っこちなくてよかったよかった!」


 ぶんぶんと大きく手を振って、ミディアムが落ち着きなく走り去る。

 そのまま彼女は怪我人の手当てをしているフロップたちを手伝い、負傷した『シュドラクの民』や帝国兵の運搬や処置に奔走し始めた。

 ねぎらいの言葉すら十分に受け取ってもらえず、スバルとしてはオコーネル兄妹への申し訳なさが募る一方だ。

 もらいっ放しの恩、いつか返済し切れる日がくるだろうか。


「でかくて可愛い嬢ちゃんだったな。さすが、兄弟は国境越えてもお盛んだねえ」


「お盛んって表現に心当たりがなさすぎて震えるわ。ミディアムさんがでっかくて可愛い人ってのは同感だけども。それより……」


「うん? どうしたい、兄弟」


 首の骨を鳴らしながら、いつもの軽口を聞かせるアルをスバルはじろと睨む。そこにはプリシラに向けられなかった分の鬱憤、それが腹いせのように込められている。

 当然だろう。ここまで延々と、スバルの疑問は棚上げ状態なのだから。


「怖い顔すんなって。せっかくのお化粧とヘアセットが台無しだぜ?」


「生憎と、直前のバタバタで化粧も髪のセットもすでに台無しなんだよ。本当のナツミ・シュバルツはもっと可愛いから、勘違いするな」


「ナツミ・シュバルツ、ねえ」


 凄むスバルの偽名を聞いて、アルが低く喉を鳴らして意味深に笑った。そのアルの態度を訝しむスバルに、彼は「いやいや」と首を横に振る。


「なるほど、うまい偽名だって感心しただけだ。女装も様になってるし、案外、それが兄弟の知られざる趣味だったりすんのかね」


「茶化すな。ナツミについては今度、正しい情報をちゃんと教えてやる。それよりも答えろ。――なんで、お前とプリシラがここにいる?」


「――――」


「俺たち的には大助かりだったが、そこが全く理解不能だ。グァラルにいるってだけじゃねぇぞ。なんで帝国にいるのか、だ」


 真剣なスバルの問いかけに、アルが軽口を閉じて沈黙する。

 考えても考えても不可解な介入だ。

 プリシラとアルの二人が堂々と帝国の地にいるのは、あまりに辻褄が合わなすぎる。もちろん、同じことは彼らから見たスバルたちにも言えることだろうが――、


「それは棚上げさせてもらう。聞きたいことは早いもの勝ちだ」


「そりゃ斬新な意見だ。けど、兄弟がオレに聞きたい本音はそれじゃねぇだろ」


「なに?」


「オレと姫さんが帝国にいる理由なんてどうでもいい。兄弟の本音は帰り方……このおっかなくて危ねぇ国から、住み慣れた我が家に帰る方法だ。違うかよ」


 問い返され、痛いところを突かれたスバルが今度は沈黙する。

 帝国から王国へ戻る方法、それが今、スバルが最も求めている情報――そう言われれば、それを否定する言葉がスバルにはなかった。

 疑問はある。理不尽さへのわだかまりも。だが、もっと大きな問題の解決法を得ることの方が重要ではないかと、そう本質を問われれば――、


「なら、お前はその答えを持ってるのか……? 帝国の国境を越えて、ルグニカ王国に俺たちが帰れる方法を……」


「いや、悪ぃ。期待させて盛り上げといてなんだけど、知らねぇわ」


「おまっ……!」


「待て待て、怒んなって! 正確には、今の帝国から出てくのは難しいって話だ。入るだけならまだしも、出るのは至難の業って状況になっちまった」


 いいように感情を弄ばれ、苛立つスバルにアルが掌を見せて待ったをかける。

 相変わらず、本心を見せようとしない語り口だ。――他人の目から見ると、スバルもこんな風に見えるのだろうか。だとしたら、大いに反省したい。

 ともあれ――、


「入るのはできても出るのはできない……その理由は」


「おいおい、それこそ言うまでもねぇだろ。楽に国から出られる状況にして、逃がしたくない相手がいるってことじゃねぇか」


「――。ってことは、お前もアベルの素性を知ってるってことか」


 アルの返答を受け、スバルは自然とその回答に辿り着く。

 ヴォラキア帝国の出入国が厳しいという話は前にも聞いたが、現状、アルの言った条件で出国禁止が強化されているなら、その原因はアベル――否、ヴォラキア皇帝であるヴィンセント・ヴォラキアの存在に他ならない。


 皇帝の座を追われ、逃亡中であるアベルを他国へ逃がさないための国境警備の強化。

 結局、スバルたちがルグニカ王国へ戻るためには、大きな障害を乗り越える必要がある。


「アル、お前が俺たちより詳しい情報を持ってるなら……」


「おっと、これ以上はお口にチャックだ。余計なこと喋って、姫さんに怒られたくねぇ。話してぇことがあるなら姫さんと話しな。とはいえ」


 と、そこでアルはもったいぶるように言葉を切り、差し出していた右手を自分の兜の金具にかけて、カチカチと音を鳴らした。

 そして、続ける。


「姫さんが、それを素直に話してくれるかは、オレも保証できねぇけどな?」



                △▼△▼△▼△



「姫さん、戻ったぜ。そっちの話し合いはどんな感じよ」


「どうもこうも、さして進んではおらん。ようよう、目を覚ましたものから順に話を聞いておったところじゃ」


 気安い調子で手を振り、進捗を尋ねるアルにプリシラが頬杖をついて答える。

 アラキアの襲撃で建物の上部は破壊されたが、しっかり頑丈に作られた土台は健在で、幸いなことに都市庁舎の中身は無事な状態が保たれていた。

 おかげで場所を移さず、大事な話し合いのための会議場は利用できる。


 大きな円卓の置かれた会議場では、アベルとプリシラがそれぞれ円卓の対極の位置に座っている。それ以外にもズィクルと部下の帝国兵、クーナと『シュドラクの民』といった面々が集められていた。

 いずれも比較的軽傷で済んだものたちで、プリシラの言葉が事実なら、事情聴取が行われていたといったところなのだろう。


「よ、無事だったカ、ナツミ」


「クーナこそ、目が覚めてよかった。傷は」


「ホーリィのでけー図体が役立ったナ。正直、アタイもこんなとこ居心地わりーからさっさと抜け出してーんだガ……」


 円卓に座らされ、スバルに気付いたクーナが苦々しい顔をする。

 彼女以外のシュドラクの顔ぶれを見て、スバルはクーナの苦々しい顔の理由を察した。早い話、彼女が会議場のシュドラクのまとめ役なのだ。


「タリッタは族長の傍を離れらんねーシ、ホーリィに話させても仕方ねーだロ。だからっテ、アタイにこんな役目回ってくんなヨ……」


「いや、クーナはよく周りを見てるし、熱くならないから適任だと思う。それで、話し合いはどんな感じに進んでるんだ?」


「大体、現状把握ってやつが済んだとこだナ。いわゆる話し合いってんなラ、今から始まるとこだろーゼ」


 肩をすくめたクーナの答えに、スバルは「なるほど」と頷いた。

 それからすぐ、部屋のどこにいればいいのか所在に困る。そもそも、この一団におけるスバルの立場は微妙に不鮮明だ。

 一応、グァラル陥落のための作戦立案者という立場ではあるが、それもアラキアやプリシラの乱入が理由で、成功したとは言い難い形になってしまったし。


「ナツミ嬢、もしもお困りなら私のお隣ではいかがですか」


 と、そう悩むスバルの前で椅子を引いたのは、素早く立ち上がったズィクルだった。

 小柄でずんぐりとした体型のズィクルが、スバルを見つめて紳士的に微笑む。その視線にスバルは自分を指差し、


「あの、もう気付いてると思うんですが、俺は女装ですよ?」


「あなたが女性を装っているのなら、私も男性を装っているようなもの。私の信じる男性像というものは、装っている相手であれ、女性相手には紳士的に振る舞うものです」


「こ、これが『女好き』……」


 蔑称としての『女好き』ではなく、尊称としての『女好き』は考え方の高さが違う。

 スバルは軽はずみな覚悟で女装していることが恥ずかしくなりつつ、ズィクルの対応に甘え、彼が引いた椅子に座ることとした。

 それに加えて、スバルは自分の席につくズィクルに「すみません」と声をかけ、


「それと、さっき上で庇ってもらってありがとうございました。ズィクルさんが庇ってくれなかったら、危なかったかもなので」


「いえ、とっさに体が動いただけのこと。次は同じことができるかわかりません。なにせ、私は『臆病者』でして」


 スバルのお礼を聞いて、ズィクルがどこか誇らしげに『臆病者』と自らを称する。

 それはズィクル二将という帝国の『将』が、忠誠を誓った皇帝に覚えていてもらえた異名であり、自身の在り方であるからだろう。

 そして、そんな立派なズィクルの尊敬を向けられる皇帝ことアベルは――、


「――城塞都市グァラルを陥落し、駐留する兵たちの指揮官であるズィクル・オスマン二将はこちらに下った。加えて、バドハイム密林の『シュドラクの民』」


「とても足らぬな。妾とて、『シュドラクの民』の勇猛さは聞き及んでおる。それでも、帝国と事を構えるには戦力不足甚だしい」


「道理だ。プリシラ、貴様の手勢は?」


「妾の私兵は帝国に入れておらぬ。それを除けば、妾の手勢と呼べるのはそこな鉄兜の道化と酔いどれの剣士、それと愛らしいだけが取り柄の小姓じゃな」


「――――」


 スバルの入室やクーナとの話を余所に、アベルとプリシラは話し合いを進めている。

 それぞれの戦力や状況を確認し合いながら、互いに思慮深さを瞳に湛える二人だが、スバルはそこに「待った」と割って入った。

 散々振り回されているのだ。挙句、ここでも置き去りなんて御免だった。


「なんじゃ、凡愚。貴様、おったのか」


「いるし、自分で言うのもなんだけど、今の俺を見て印象に残らないなんてとんでもねぇ話だぞ。前にこれ見たとき、ベア子はしばらくうなされてたぐれぇだ」


「その装いに関する賛辞ならくれてやったはずじゃぞ。よもや、アルを汚い布で引き上げたくらいで褒美がもらえるとでも?」


「そんな期待はしてねぇ! いや、ちょっとはしてる。せめて、俺の話に少しは耳を傾けてくれるんじゃないかって期待をだ」


 円卓に手をつき、前のめりになるスバルにプリシラが目を細める。

 こちらを値踏みするような眼差しだが、スバルはそれに怖じない。さっきと違い、ここにはクーナやズィクルもいる。そう言うと、情けない防波堤な感があるが。


「ともかく、当たり前のようにお前がここにいる理由はなんなんだ。アルに聞いても埒が明かねぇ。お前の口からはっきり聞かせてくれ」


「煩わしい問いよな。――そこな男、ヴィンセント・アベルクスと話すためよ」


「――――」


 顎をしゃくり、プリシラが平然とそう答える。それを受け、椅子に座って腕を組んだアベルは片目をつむると、その黒瞳に複雑な感情を渦巻かせた。

 それは喜怒哀楽のいずれに属した感情か、あるいはいずれにも属さない不可解な感情、そのどれにも感じられる面妖なものだった。


「アベルと……? けど、どうやってアベルの居場所を知った?」


「帝都ルプガナの皇帝の玉座には、皇帝を転移させるための仕掛けがある。政変を察知する能があれば、仕掛けを通じて東の地へ逃れよう。――代々、皇帝が葬られる墓所」


「皇帝の、墓場?」


「そこへ転移する仕組みじゃ。そうであろう、ヴィンセント……いいや、今はアベルと呼んだ方が都合がいいらしいな」


 話の矛先をスバルからアベルへ逸らし、プリシラが瞳の炎を赤く燃やす。

 その灼熱の眼差しに吐息をついて、アベルは「そうだ」と頷いた。


「今はアベルと呼べ。少なくとも、玉座を奪われた俺に皇帝を名乗る資格はない」


「殊勝、律義、馬鹿正直……いずれにせよ、ずいぶんとやわな考えをする。皇帝の玉座に座るうち、立ち上がり方も忘れたらしい」


「俺を見て、立ち上がり方を忘れたとは言ってくれる」


 容赦のないプリシラの嘲弄に、さしものアベルの方も剣呑な気配を隠さない。

 瞬間、両者の視線が熱を帯びてぶつかり合い、会議室の空気が焼ける臭いさえした。このまま、話し合いは決裂し、火を噴くのは避けられないと思われ――、


「まあまあ、落ち着けよ、ご両人。揉めても何の得にもならねぇだろ?」


 しかし、爆発寸前の火薬庫に、堂々と煙草をふかしながら入り込むような真似をしてのけた男がいる。

 割り入れない空気にあっさりと入り込み、へらへらと笑ったのはアルだ。座らずに立ったままの彼は、アベルとプリシラ、両者の灼熱の視線を浴びながら、


「こう見えて、姫さんも可愛いとこあんだぜ? グァラルに超特急で駆け付けなきゃならねぇってわかった途端、潰す勢いで飛竜を飛ばさせてよ。そんだけ、感動のご対面が待ち遠しかったって話で……ごぁ!?」


「たわけ」


 語りながらプリシラの後ろに回り、彼女の人間性を擁護しようとしたアルだったが、主人はそんな彼の思いを欠片も汲まず、猛烈な勢いで扇を腹に叩き込んだ。

 悲鳴を上げ、くの字に体の折れたアルがその場に片膝をつく。


「妾の心中を代弁しようなどと、思い上がりも甚だしいぞ。貴様、いつからそう偉くなった。道化であれ、分を弁えよ」


「が、ガチギレがいい証拠じゃねぇか……けど、助けにきたのはホントだろ?」


「――――」


 紅の瞳を細め、プリシラがアルの言葉に不機嫌を露わにする。

 が、明確に言葉で否定しないということは、アルの言葉が的を射ている証だ。


「プリシラが、アベルを助けに……?」


 それがあまりに納得し難く思えて、スバルは違和感を拭い去れない。

 もちろん、結果や行動だけ見れば、プリシラがアベルやスバルたちを助けてくれたことは間違いない。しかし、スバルの知る彼女の人間性が納得を阻んでくるのだ。

 気に入らない敵を倒すことがあっても、誰かを守るために戦うことが、果たしてプリシラ・バーリエルという人物の中で成立するロジックなのか。


「不愉快な考えをしている目つきじゃな。抉られたいか、凡愚」


「人の目ぇ見て怖いこと言い出すんじゃねぇよ。正直、どこまで信じたもんかって話に感じるが……」


「――いずれにせよ、玉座に仕組みを用いて俺が東の地へ飛ぶことを理解した。ならば、俺が『シュドラクの民』と合流し、城塞都市へくるのも予想がつくか」


「……つくか?」


 プリシラに人並外れた洞察力があることは認めるが、アベルがすんなりと受け入れた事情がスバルには受け入れ難い。

 確かに与えられた条件は、その推測を満たしているように思えるが。


「混ぜっ返すなよ、兄弟。頭のいい連中が納得してんだ。ここでまとめておけば、やる必要のねぇ揉め事は避けられるだろ」


「お前はそれでいいのかよ……」


「いいも悪いも、呑み込むしかねぇよ。やり合っても、そっちが損するだけだぜ? ――どうせ、オレと姫さんが勝つんだから」


「お……」


 膝をついたまま滑り寄るアルが、小声でスバルにそう断言した。

 正直、自分たちが勝つと、そうアルが断言したことがスバルには意外だった。元々、アルは謙遜というより、周囲に適当な一線を引いている節があった。

 実際、他の王選候補者の騎士たちはいずれも名のある実力者揃い――その中で自信過剰になれるほど、スバルもアルも特別な人間ではない。

 そうした、ある種の共感をスバルはアルに抱いていた。


 だからこそ、ここでそう断言した彼がスバルには意外だったのだ。

 へらへらと変わらないように見える彼にも、やはり変化は訪れる。それはプリシラとの主従関係や、それに付随する王選という戦いの日々の中で。


「ま、ただしオレが偉そうなこと言えんのも、億が一でも勝ち目のある相手の話だ。その点、アラキアって嬢ちゃんクラスはヤバかった。勝ち目が見当たらねぇの」


「……そりゃ、『九神将』は帝国の最強メンバーなんだろ。ルグニカ王国で言ったら、ラインハルトとかユリウスみたいなもんだ」


 おそらく、ルグニカ王国の国内で最強メンバーを選出した場合、多くは騎士団の実力者が選ばれることになるだろう。ラインハルトやユリウスは言うに及ばず、近衛騎士団の団長であるマーコスや、筆頭宮廷魔導師のロズワールも含まれるかもしれない。

 スバル的にはそこにヴィルヘルムやガーフィールを加え、オールスターメンバーを揃えて『九神将』に臨みたいところだ。


「いや、そういう話じゃねぇけども。それに、いくら『九神将』って言っても、ラインハルトみたいなのがいるとはとても……」


「――生憎と、そうでもない」


「うえ?」


 最も警戒すべき相手として、『九神将』の戦力を測ろうとしたスバルに、アベルが言ったのは耳を疑うような発言だった。

 彼は今、なんと言ったのか。――ラインハルトに匹敵する存在がいる?


「ラインハルトみたいなバグキャラが他にもいるってのか?」


「その単語に聞き覚えはないが、匹敵するという意味なら頷こう。『九神将』には、アラキアの上に『壱』がいる。それがそうだ」


「『九神将』の『壱』って……」


「――セシルス・セグムント」


 パクパクと口を開けたスバルの横で、ズィクルが静かにそう口にした。

 それが人の名前で、それも件の『壱』の名前だとスバルも理解する。その名前の人物こそが帝国最強、ヴォラキアの誇るバグキャラ――。


「『ヴォラキアの青き雷光』と、そう呼ばれる超級の剣士です。ルグニカの『剣聖』やカララギの『礼賛者』、グステコの『狂皇子』と並び称される存在」


「う……その異名は前にも聞いた覚えが……じゃあ、本気で?」


「敵対すれば、瞬く間に首が飛ぶ。そういう男だ」


 頬を強張らせたスバルの問いかけに、腕を組んだアベルが頷いた。

 この場において、アベルやズィクルが嘘や冗談を口にする理由がなく、つまりは聞かされた言葉は単純な事実なのだろう。


 ラインハルトと同等の実力者である帝国最強の男、セシルス・セグムント。

 聞くだに危険な印象を拭えない超級の剣士、いったいどれほどいかつく凶暴な相手なのかと、スバルは自分の背筋が冷たくなるのを感じた。

 ただでさえ、戦力差の大きい戦いなのだ。数で負けている相手に質でも負けたら、いったいどうやって勝ちを狙えばいいのか――。


「……しかし、そう考えるとあれだな。ここで『弐』の立場のアラキア嬢ちゃんを叩けたのは、こっちもでかい収穫だったな」


「アル……」


 気分の重たくなるスバルや他の面々と裏腹に、明るい声でアルが言い放った。

 実に前向きな意見だが、すんなりとそれに乗れない気分なのも事実。だが、そのアルの心意気を汲み、スバルは「そうだよな」と息を吐いた。


 ここで悪い面ばかり見つめていても、何の発展性もない。

 実際、スバルたちは被害を極限まで減らして城塞都市を手に入れることができた。孤立無援のところに、敵か味方かはっきりと言いづらいまでも、プリシラとアルという援軍まで加えることができたのだ。

 負傷したシュドラクたちも、レムがきっと頑張って治療してくれる。ミゼルダも戦線に復帰し、また力の抜けるようなイケメン万能論を聞かせてくれるはずだ。

 だから――、


「アルの言う通り、九神将の……それも、大物を倒せたのはでかい。帝国で上から数えた方が早い役職ってことは、きっと相手の情報も持ってるんじゃないか」


「ああ、言えてるな! 冴えてるじゃねぇか、兄弟。情報ってのは、戦争中は金塊よりも価値があるもんだ。せっかく生かせたんだし、話を聞こうぜ」


「だな。何かいい手掛かりが……」


 無理やりに気分を盛り上げるスバルと、アルがそれに調子を合わせてくれる。その調子で、生け捕りに成功したアラキアから情報を得る方向へ話が進みかける。


「待てヨ、スバルと鉄仮面。アタイはそれには反対させてもらうゼ」


 が、そこにシュドラクの代表として参加するクーナから待ったがかかった。

 何事かと振り向くスバルとアルに、クーナは緑に染めた自分の髪を撫でながら、


「あの女はヤバかっタ。隙見せたら何しでかすかわかったもんじゃねーヨ。さっさと殺しておいた方が絶対にいイ」


「それは……わかるけど、短絡的すぎるだろ。殺すなんて、そんな」


「族長があんな目に遭わされてんダ。スバルがなんて言おうト、アタイも他の連中モ、あいつは処刑しねーと気が済まねーんだヨ」


 食い下がるスバルを睨み、クーナが正面からアラキアの処刑に言及する。

 ミゼルダの容態のことを指摘されれば、スバルも口を噤むしかない。彼女の安否はレムに委ねてあるが、傷が癒えても傷付けられた事実は消えないのだ。

 それをシュドラクが許せないなら、アラキアには償わせることになるのだろう。


「――――」


 クーナへの返答を探しながら、スバルはちらとプリシラの方を見た。

 アラキアと只ならぬ関係性を窺わせたプリシラが、彼女を処刑すると主張するクーナにどんな反応を見せるか、それを確かめようとしたのだ。

 しかし――、


「妾のアラキアへの態度はすでに決めた。そも、あれの背を斬ったのは妾じゃぞ。貴様の顔についた黒い瞳は飾りか?」


「ぐ……」


「アラキアのため、言葉を尽くすつもりは妾にはない。あれの命運がここに尽きるなら、それもまたアラキアの道であろうよ。――興醒めではあるが」


「……俺には、お前が全然わからねぇよ」


 淡々と、アラキアの命を秤に載せながら語るプリシラにスバルは頭を振った。

 最後を見れば険悪な関係にも見えて、しかしアラキアの態度を見れば親密な関係でもあっただろう二人。なのに、プリシラの態度はひどく断絶的だ。

 部外者のスバルには、二人の関係はわからない。


「でも、死んだら全部終わっちまう。命ってのは戻らないんだから」


「妾に命の価値を説くか。妾が他者の命の価値を測り違えるとでも?」


「――。お前だって万能じゃない。間違うことだって、あるだろ」


 正面からプリシラを見据え、スバルはほとんど間を置かずにそう答えた。

 それを言った途端、部屋の空気が張り詰めた。


 クーナやズィクルが息を呑み、アルが兜の額に手を当てたのが見える。スバルも、自分が勢い任せにマズいことを言ったと自覚があった。

 これを言えば、プリシラの不興を買って命を失いかねないと、言い終えたあとで推敲して気付いてしまったパターンだ。


 次の瞬間には、あの赤く輝く宝剣で首を刎ねられるかもしれない。

 だとしても――、


「俺は、間違ってない。お前だって、間違うはずだ」


 重ねて、スバルは命を捨てかねない発言を繰り返した。

 刹那、スバルの眼前でプリシラの瞳が冷たい音を立てて細められたと錯覚する。そして、スバルの軽挙を償わせる灼熱の『死』が――、


「――妾とて過つ、か。業腹なことよな」


 訪れなかった。


「え……」


 自分でも意外なことに目を見張り、スバルは固くなった肺から息を吐く。

 そんなスバルの様子を一瞥し、プリシラは音を立てて扇を開くと、その視線をスバルを飛び越え、クーナの方へと向けた。


「あれの首を刎ねる前に、使い道を模索するのもよかろうよ」


「――っ、アタイたちに指図しようってのカ? 部外者のアンタガ」


「無視できるならしてみるがいい」


 意見を撤回したプリシラの視線が、クーナの細身を焼くように撫でる。

 思わず己の体を抱いて、クーナはその視線に感じた圧を自ら証明してしまった。残念だが、プリシラとクーナでは役者が違う。


「正直、ひやひやしたぜ。けど、これで話はまとまった!」


 と、緊迫した空気を割るように、アルがその手を力強く円卓について音を鳴らした。

 そうして注目を集めた彼は、鉄兜越しにスバルに視線を送り、


「兄弟が死ななかったこともめでてぇが、この世からエロ可愛い嬢ちゃんが無常に失われなかったのも朗報だ。そしたら、嬢ちゃんが目覚めたら話を――」


「――大変なノー!」


 益体のない軽口を交え、アルがアラキアの処遇をまとめようとしたところだった。

 慌ただしい足音と慌てふためいた声で会議場に飛び込んできたのは、その大きな体を部屋の入口にねじ込んだホーリィだった。


 彼女は皆の注目を集めながら、その体と息を弾ませ、言った。

 それは――、



「二人組の帝国兵が乗り込んできて、捕まえてた九神将が逃がされちゃったノー!」



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― 新着の感想 ―
スバルの偽名でアルが笑うのって、やっぱりアルはスバルだからなんですかね。 この前Twitterでも、2人の語尾は「〜じゃねェ」で一致してるって、作者ご本人が仰ってましたし。
[気になる点] 城郭が城塞に変わってるけど、誤字ですかね?
[良い点] 強さランキング、またわからなくなる〜 [気になる点] プリシラさん、確かに変わった様な。苦労人アルの影響もあると良いな。 [一言] ナツミちゃんの美貌に惨事がなくて良かった。暫くそのままで…
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