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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第六章 『記憶の回廊』
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第六章83 『ラム』



 ――赤く、赤く、何もかもが燃える炎に包まれていたことを覚えている。


 穏やかで停滞した、退廃的な日々は唐突に終わりを迎えた。

 その狂気的な暴力の前には、最強の亜人種という肩書きも、村で最も恐れられた村長という役職も、子を守る親の普遍的な愛情も、何も意味を持たなかった。


 殺戮の蔓延に気付くのが遅れたのは痛恨事だった。

 ――否、この場合は相手の手際の良さの方を褒めるべきなのかもしれない。


 奴らは世界から忌み嫌われ、疎まれ、弾かれ、迫害されるモノたちだった。

 それ故に、奴らは闇に潜み、気配を殺し、音を遠ざけ、忍び寄る術を知っていた。


 最初の奇襲の時点で、勝敗は決していたと言っていい。


 大気中のマナに微かな澱みが混じり、その異変を角が感じ取ったときには手遅れだった。

 まず、初手で村の人員の半数が削られ、その時点で戦えるものは半減以下。その上、異変を感じておきながら、何かの間違いではと緊急性に気付けないものがさらに半数。

 早い話、平和と安寧に心が腐らされてしまっていたのだ。


 かつては最強の亜人種と呼ばれ、『亜人戦争』へ参加していればルグニカ王国の情勢は変わっていたとさえ言われた鬼族――そんな歴史の『もしも』が仮に起きていたとしても、きっと鬼族は大した成果も挙げられなかったに違いない。


 いずれにせよ、初撃で減らされた半数は、続く二撃目でさらに半数へ減らされた。

 この時点で村の各所から火の手が上がり、断末魔が赤く照らされる夜空へ響き渡る頃には村の鬼たち全員が異変を察知した。

 ただ、このときに鬼族が滅ぶとまで気付いたのは、たったの二人だけ――、


「――ラム! 囲みを抜けよ! お前が生きてさえいればいい!!」


 巨大な二本の角を肥大化させ、全身の筋肉を膨れ上がらせた長老がそう吠えた。

 長老は自らの得物である大刀を担いで家から飛び出し、雑兵を風で切り裂くラムへとそう言い放った。生きろと、それはラムを案じたからではない。

 ラムこそが鬼族の輝かしい未来だと、最も愚直に信じたのが長老だったからだ。


 かつての鬼族の栄光、『魔女』の時代に覇を唱えた『鬼神』の再来。

 それがラムという神童に望まれた役割であり、戦うことを忘れた鬼族の最後の族長としての、彼の切なる願いだったのだろう。


「ハッ!」


 馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑い飛ばしてやりたい気分だった。

 この期に及んで、村を代表する鬼の望みが見果てぬ夢の実現を未来に託すことなのか。素早く仲間たちをまとめ、敵へ反撃を試みるなり、やれることはいくらでもある。

 しかし、ラムはそれを族長へ進言してやるつもりがなかった。


 この夜のことが原因ではない。

 もうとっくの昔に、ラムは同族のことを見限っていたのだ。


「鬼の栄光なんて……」


 くだらない。くだらない。くだらない。

 そんな鬼族の最も純粋なる血が自分自身に流れている、その事実もおぞましい。

 確かに力を望めば血が沸き、昂揚感が全身を支配し、あらゆる全てのモノが自分のためにあるような全能感に満たされる。

 事実、健やかにラムが成長すれば、その全能感は本物になったかもしれない。

 しかし、ラムはそれを望まなかった。


 狭い世界で神の子を気取るよりも、ラムには選びたい未来があった。

 それは鬼神の再来などと持て囃されるよりも、すでに滅び去った栄光に縋り続ける血族の神輿としての生涯を送るより、はるかに価値があること。


 ――■■の、■として生きること。


「――――」


 額に意識を集中し、熱く照らされるマナを白い角から全身へ取り込む。

 強く念じれば、ラムの知覚は大きく大きく拡大され、周囲にいる生きとし生ける全ての視界を乗っ取り、狭い村で起きた出来事を完璧に把握できた。


 敵の数は多く、村から逃がすまいと包囲網が敷かれている。

 最初の時点で対応が遅れ、抵抗らしい抵抗ができたのは半数の半数だったが、それもすでに片手で数えられるほどに数を減らし、鬼族の意地は品切れの様子。

 一人、長老はかなり奮戦しているようだが、そこへ集まった敵はかなりの手練れ――劣勢に陥る長老の気配は、濃密な『死』を纏っていた。


「――■■」


 小さな体に風を纏い、疾風の如く村を駆け抜けるラム。

 その唇が紡ぐのも、脳裏を占めるのも愛おしいたった一人の■のことだけ。それは、ラムが薄情というわけではない。意識を切り替えているだけだ。

 何故なら、ラムの両親は最初の半数に含まれてしまい、すでに助けようがなかった。


 ――両親を嫌ったことはない。

 ただ、二人とも、良くも悪くもこの村で生まれ、この村で育ち、この村で死ぬことを選んだ鬼族で、緩やかな滅びを無自覚に受け入れていたとは思っている。

 故に、この夜に命を散らしたのも、ある種の必然であったとも。

 ただし――、


「――それは、応報しないという意味ではないわ」


 立ちはだかる黒い影、頭からすっぽりと全身を包み込むローブを纏った敵。

 十字架の形をした剣を振るうふざけた輩へと、ラムは手加減なしの風を見舞う。


 こちらを子どもと侮ったか、あるいはただの実力不足か。

 ラムの風刃を受け切れず、黒影は次から次へと切り倒され、無惨な死体が量産される。その後もラムは風を纏い、炎の中をまるで踊るように殺戮を続ける。


 それはともすれば、美しい舞踊の一幕にも見えたかもしれない。

 しかし、現実にはラムが腕を一振りするごとに命が散り、そうして形あるものを失わせるたびに、暗い悦びが幼い胸中で快哉を叫ぶのだ。


 もっと殺せと吠え猛る。

 血を、肉を、骨を、魂を、命を奪えと、内なる己が責め立てる。

 その訴えを聞くのは、今宵が初めてではない。


 ――もうずっと、それこそ生まれたときから、この声は隙さえあれば誘惑してくる。


 血に、肉に、骨に、魂に、命を委ねろと、内なる己の覚醒を求める。

 もっともっと殺せると、もっともっと壊せると、そう訴える。


 これの、いったい何が素晴らしいのか、ラムにはまるで理解できない。

 長老も両親も、誰一人、これを理解できない。ラムに、ラムであること以外の役割を求めるものたちには、これを伝える気にもならなかった。


 まるで、角に己を支配されているみたいだ。

 確固たる自分というモノがなければ、幼い人格は容易く呑まれ、破壊され、それこそ周囲に望まれるままの鬼神の再来となっていただろう。

 だが、そうはならなかった。何故なら――、


「――お■ちゃん!!」


 高い声に呼ばれ、振り向けば■■が炎に照らされていた。

 瞬間、迸る風が押し寄せる黒影の群れを吹き飛ばし、一息にそれらを蹴散らす。

 そして、ラムは急ぎ足に■の下へ向かった。


「■■……」


 怯える眼差し、足に力が入らないのか■■はその場にへたり込んでいた。

 そんな愛しい■に手を差し伸べ、立ち上がらせようとする。長老の望む通り、生き延びてやらなくてはならない。ただし、ラムだけではなく、■■と共に――。


 ――その、瞬間だった。


 ■■の無事を確かめ、そこに一瞬の気の緩みが差し込んだ。

 気配に気付いたときには周囲を囲まれていて、逃げ道を作るのも厳しい状況だった。独りなら、無理ではない。だが、一人で助かるなら死ぬのと変わらない。


 何とか、状況を打破しなくてはならなかった。

 そのために、封じていた力の枷を全て外して、荒れ狂う風を敵へ向け――、


「――――」


 それは、忌み嫌った全能感がもたらした、心の間隙だったのだろう。

 風の刃を掻い潜った黒影、それが放った一閃がしたたかに額を打ち、視界が爆ぜた。


 大きな衝撃にのけ反り、強烈な喪失感を味わいながら、ラムは見る。

 くるくると、くるくると、村を焼き尽くす炎に照らされる赤い夜へ、くるくると回りながら白い角が飛んでいった。


 それが自分の角だと理解し、痛みと喪失感に細い喉が悲鳴を上げた。

 悲鳴を上げながら、しかし、同時にラムは気付く。


 生まれてからずっと、ラムを蝕み続けたあの声が聞こえなくなって。

 ああ、こんなにも簡単なことだったのかと、自分の愚かさがおかしくなって。


 赤い夜に放物線を描く角を見ながら――、



――ああ、やっと折れてくれた。



 と、そう思ったのだ。



                △▼△▼△▼△



 ――『千里眼』で共有された視界を、黒い地竜が懸命に懸命に逃げていた。


 その背に負われているのは、ラムにとって大事な半身であるはずの少女。

 欠落し、ぽっかりと喪失感だけを残した思い出せない片翼――、


「――レム」


 それが何を意味するのかを理解し、ラムの心胆は怒りに震えた。

 認めるのは癪だが、スバルの協力によって全盛期の力の一端を取り戻したラム、その力は『暴食』の大罪司教、ライ・バテンカイトスを圧倒し、劣勢に追い込んだ。

 ラム自身、殺すだけならそうできる機会は無数にあったと断言できる。


 しかし、奴の有する厄介な権能、他者の『記憶』と『名前』を喰らう力の存在が、軽率にその冒涜者の命を奪うことをラムに躊躇わせた。

 温情ではなく、必要に迫られた判断だった。だが、結果は結果だ。

 その結果、バテンカイトスは権能を駆使してラムの前から逃げ延び、そのままラムの半身であるレムの身柄の確保に向かった。

 狙いは明白――まともに戦っても、ラムに勝てないと確信したから。


 真正面から戦い、それで不利を悟れば撤退し、やり口を変える。

 大罪司教は戦士でも何でもない。奴らは、自らの欲望を叶えるためだけに貪欲に行動し続ける存在、勝ち方に拘る理由など一つもないのだ。


 故に、自分に屈辱を味わわせたラムへの報復と、そして奪ったレムの『記憶』を根拠にツノナシのラムの制限時間を削ろうと目論んだ。

 その作戦は、腹立たしいことに最適解なのだ。


 レムの身柄を押さえられれば、ラムは容易く無力化される。

 そうでなくても、これ以上の時間をかければこちらの陣営の戦力は大きく目減りする。時間が経過するごとに、勝算は減っていく。

 だから――、


「一刻も早く、パトラッシュに追いつく」


 幸い、レムを預かるパトラッシュは、この塔にきている陣容の中ではユリウスの次に当てになると言ってもいいほど賢い地竜だ。

 スバルやベアトリスはムラがあり、エキドナやメィリィに関しては未知数が大きい。頼ることを大いに躊躇わせる雰囲気のエミリアなど、言語道断だった。


 そしてこれは複雑だが、バテンカイトスは明らかにパトラッシュを嬲っている。

 追い詰めようと思えば一瞬で追い詰められるところを、バテンカイトスはわざと攻撃の手を緩め、追跡に隙を作り、獲物を弱らせる狩りを愉しんでいた。

 全ては視界を共有し、ラムにこの光景を焼き付けさせるそのために。


 これ以上、好き勝手な真似をさせるわけには――、


「――ぁ」


 急ぎ、風を纏いながら駆け出そうとした瞬間だった。

 螺旋階段で上階を目指そうとした視界がブレ、一瞬、『千里眼』がほどける。右目にバテンカイトスの視界を映したまま、左目に自分の視界を維持、なおも景色がぼやける。

 それだけではない。先ほどまでは感じなかった重たい疲労感と、内臓が見えない手で掻き回されるような不快感と痛みが、ラム自身へと降りかかっていた。


 これは紛れもなく、ラムが普段から味わっている倦怠感の影響だ。

 スバルが何らかの権能で引き受けると豪語した、『ツノナシ』のラムを永遠に蝕むはずの代償――それが、ラムへと跳ね返っている。


 瞬時に浮かぶのは、スバルが無様に犬死したという可能性。

 だが、それはラム自身へ跳ね返る負荷の軽さから違うと判断できる。ほんの数分だが、ラムが引き出した力を考えれば、その代償はこんなものではない。

 それこそ、文字通り血を吐き、のた打ち回っても不思議はない苦しみのはずだ。


 そうならないということは、不測の事態こそ起こったが、それが理由でスバルが完全に戦線離脱したわけではないということ。

 あるいは、起きた出来事から全く逆の展開が想像できる。

 すなわち、ラムの体の負担以上に、スバルが引き受けなくてはならない不幸が誰かの身に起こってしまった場合、だ。


「ベアトリス様かメィリィ、騎士ユリウス……」


 考えられるのはそんなところだが、その答えを確定させることに意味はない。

 重要なのはこの瞬間、ラムが先ほどバテンカイトスを圧倒したような力を発揮することが困難になったこと。――枷で言えば、外せるのは一つだけ。

 無理をすれば二つ目まで外すことも可能かもしれないが、それもはたして何十秒もたせることができるか、そんな目安の話でしかない。


 それで、ライ・バテンカイトスに勝てるのか――、


「何を弱気になるの。――勝つための、方策を打つしかないのよ」


 こうしている合間にも、陣営の勝利の可能性は目減りしていく。

 ラムは今一度、踏み外しかけた段差を踏み、螺旋階段を駆け上がる。


 ――いつかも、こうして追われる妹の下へ駆け付けるため、息を弾ませたことがあったような、そんな風に欠落が疼くのを感じながら。



                △▼△▼△▼△



「――ッッ」


「ははァ! ホントにいいなァ! 頑張るなァ、地竜のくせにさァ!」


 投じた短剣に鱗を傷付けられながら、狭い通路を疾走する黒い地竜を称賛する。

 その抉られた傷から痛々しく血を流し、しかし、地竜は賢明なる逃走を敢行し、自らの勝利条件を振り落とすまいと徹底していた。


『風除けの加護』は、地竜であるなら種族の全てが持ち合わせる特性だ。

 その地竜が走り続ける限り、風や足場の悪さといった外的要因の大部分を無視し、目的のために『走る』という行為を肯定する。

 その恩恵は地竜と繋がれた竜車や、その背に跨った騎竜者にまで及ぶ。

 つまりは、意識のない状態で鞍に括り付けられている『眠り姫』が振り落とされずに済んでいるのも、その『風除けの加護』の影響下にあることが大きい。

 それがなければ『眠り姫』も、とうにバテンカイトスの手の中に落ちていただろう。


「すごいすごい、健気健気ッ! これだけ走るのをあれこれ妨害されてるってのに、よくもまァ走る足を止めずに頑張るもんだ。まァ、足を止めたら『風除けの加護』は解除されるんだし、必死こく理由もわかるけどさァ!」


「――ッッ」


「地竜はいいね、頑張り屋だし、主人に忠実だ。きっと君が人間だったら、『美食家』の俺たち垂涎の一皿になってくれたってそう思うッ! でも、でもでも、でもでもでもでもでもでもでも! 悲しいかな、地竜じゃ僕たちの腹は膨れないッ!」


 意思があり、魂があり、『記憶』があり、『名前』がある。

 にも拘らず、『暴食』の権能は人間以外の『それ』を喰らうことができない。

 故に、こんなにも必死で、懸命で、抗い難い敵に敢然と立ち向かう地竜を、バテンカイトスは自分にとって一番の方法で愛おしんでやることができない。


 こんなにも美味そうで涎が滴るのに、食べてやれない。

 それはまるで、至高の絵筆で絵画に描かれた食事であるかのように。――絵に描いた餅は食べられないと、そんな言い回しがあるそうだが。


「あァ、それだよそれ! 完全にそれなんだ! 腹が減って減って減って減って減ってどうしようもないときにッ! こんなにも美味そうな食べ物の絵なんて生殺しだ。こんなのは完全に、児童虐待ってヤツなんじゃないのッ!?」


 疾走する地竜を追いながら、鼻の奥に詰まった鼻血の塊を噴き出す。

 直前の戦闘で顔は潰れ、眼底が砕けたのか左目の眼球がゴロゴロしている。牙が折られて舌は裂け、とめどなく流れる血が下顎を濡らすが、全てがどうでもいい。


 ――今、ラムがこの光景を見ているかと思うと、心底ゾクゾクする。


「姉様は――」


 清く気高く完璧で、非の打ちどころのない完成された存在。

 それがバテンカイトスの内に眠る『記憶』の訴えであり、手も足も出せずに半殺しにされた上での正当な評価であると考える。

 本気を出したラムには、バテンカイトスでは歯が立たない。――否、おそらくは大罪司教の誰であろうと、本気のラムには軽くひねり殺されるだろう。

 あるいはレグルスなら、その権能の絶対性で勝負になったかもしれないが――、


「まァ、あんな馬鹿に姉様が殺せるはずないしさァ。どうせ、殺せないなら殺せないで、大瀑布にでも落とされて終わってただけってね」


 殺せなくても、封じ込め方くらいならいくらでもある。

 それこそ、『嫉妬の魔女』が三英傑の手でも殺せず、今も封魔石の祠に閉じ込められているように。

 つまり、どうあれ――、


「最高で完璧な姉様をおもてなしするには、俺たちの方も相応の準備を整えなくっちゃ失礼ってもんだからさァ!」


 ぐらつく左目を見開いて、バテンカイトスは血の滴る陰惨な笑みを浮かべる。

 地竜の速度は大したものだが、屋内ではその機動力も宝の持ち腐れだ。ましてや、バテンカイトスは合間合間に『記憶』を応用した歩法で空間を渡り、開かれた距離をなかったことにさえできるのだから。


「姉様の妹として、恥ずかしくない成長をしなくちゃいけないですから」


 高まる使命感を胸に、バテンカイトスは己の内の『記憶』を引っ張り出す。

『暴食』の権能、その一種に『蝕』と呼ばれている能力がある。それは端的に『日蝕』と『月蝕』の二つに分けられるモノだが、非常に使いどころが難しい。


『月蝕』は月が欠けて見える現象。――転じて、喰らった相手の『記憶』を引き出し、それをバテンカイトス自身の肉体で再現することだ。

 普段、バテンカイトスが多種多様な『記憶』を閲覧し、それを組み合わせて超級の合成体術として運用するのが、この『月蝕』の本領と言える。


 一方で『日蝕』は、太陽が隠れて見える現象。――転じて、喰らった相手の『記憶』だけでなく、その存在そのものを自らに被せ、本来のスペック通りに運用する手法だ。

 当然、元の技の使い手の肉体の方が、その技を使いこなせるため強くなる。

 ただし、肉体を相手のモノへ変じる場合、相手の精神の影響を強く受けすぎる恐れがあり、後々に大きく響く可能性がある。そのため、よほどのことがない限りはバテンカイトスやアルファルドはこれらを多用しない。


 ライ・バテンカイトスとロイ・アルファルドが主に用いるのが『月蝕』。

 ルイ・アルネブが主に用いるのが『日蝕』――それは自分の肉体を持たず、確固たる自我を持たないルイだから気軽に使える奥の手だった。


 だが、ラムとの戦いで半殺しにされ、生き延びるために『跳躍者』ドルケルを『日蝕』で再現した瞬間、バテンカイトスは殻を破った。

 これまで、自らが失われることを恐れて使わないでいた『日蝕』を使いこなし、確固たる己を維持する術を見出したのだ。

 これでより完璧に、無駄なく相手の『人生』というメインディッシュを味わえる。


「戦いの最中に成長するなんて、本来なら儂のような老いぼれには絶対に起こりえないことなのにねん。ははッ! こいつは傑作だぜ! ですよね、姉様!」


 強靭な自我を確立したおかげで、何とも清々しい気分だ。

 この、覚醒状態の自分を素晴らしい姉様にちゃんと見てもらいたい。そのためにも、もっと彼女の憎悪を駆り立てる手法を選択しなくては。


 怒りの匂い、怒りの味わい、怒りの舌触り、怒りのフルコース。

 愛おしい人から体感できる全てを全力で堪能しなくて、いったい何が『美食家』か。

 そのために、目の前の地竜の背にある、『自分』のことを――、


「そう言えば、案外やったことないんだよなァ。自分で自分を殺すのって、これも新しい価値観の発見になるのかなァってね」


「――ッッ」


 ウインクした瞬間、短距離の空間跳躍によって世界が切り替わる。

 喉の奥で呻きを爆発させる地竜が、背後にいたはずのバテンカイトスの出現に驚愕、その真横を足を止めずに駆け抜けようとする。

 健気、実に健気。だが、健気さは後々の悲劇のスパイスにしかならない。


「――拳王の掌」


 振り切られる拳の一撃が、地竜の横っ腹へと豪快に突き刺さる。

 普段ならそれはバテンカイトスの矮躯から放たれる一発だが、死の淵を見ることで覚醒し、殻を破って新たな力を獲得したバテンカイトスはそうではない。

 ネイジ・ロックハート本来の肉体が、地竜の胴体を衝撃で穿ち貫く。


 剣奴孤島での無数の死合いで、全身甲冑の巨躯さえ一撃で倒した拳王の鉄拳。

 それを浴びた地竜は致命的な声を漏らし、激しく通路の壁へと叩き付けられた。だが、地竜は倒れ込みながらも、拳からも壁からも床からも、そして自分自身の巨体からも背に乗せた少女のことを庇い続けた。

 落竜する少女の体を、伸ばした尻尾で柔らかく受け止め、通路の床へ下ろす。

 メスのはずだが、その扱いは紳士一同に見習わせたいほどスマートなものだった。

 思わず、バテンカイトスも拍手してしまう。


「たーだーしッ! せっかく優しく床に寝かせてもらっても、これから丁寧に首チョンパして、姉様への手土産にさせてもらっちゃうんですけどね」


「――ッッ」


「はいはい、暴れない暴れない、よく頑張ったで賞」


 横倒しになりながらも、噛みついてこようとする地竜の下顎を蹴り上げる。

 その一生懸命さには涙が出そうだが、生憎とバテンカイトスと地竜は敵同士。その健闘を称え合うことはできても、同じ勝利の空を仰ぐことはできない。

 片方が勝てば、片方が負ける。悲しいかな、それが現実というモノだ。


「それを! しっかりッ! 弁え! よう! ね!」


 一言、一区切り、一声ごとに念入りに、黒い地竜へとそれを叩き込む。

 頬骨や前足を砕かれ、蹲った地竜にもこれで痛みと共に教訓が刻まれたはずだ。幸い、バテンカイトスは地竜の『記憶』は喰らわない。

 だから、その命を奪う理由もない。今日のことを、共に覚えていたい。

 あとは――、


「姉様のために、姉様の大切なレムのことを、レムの手で……」


「――薄気味悪いことを言わないでちょうだい」


 凛と冴えた声がした直後、レムへと覆いかぶさろうとした顔面が強烈に弾かれる。

 聞こえた声に上げた顔が、真正面から迫る二つの靴裏の直撃を受けた形だ。そのまま大きく後ろへ弾かれて、バテンカイトスは背中で床を滑っていく。

 そして――、


「あっはははははァ……やっと追いついてくれたんですね、姉様。僕たち……あで? あたしたち……俺っちたち……? ――レムたちは、待っていましたからァ」


 ゆっくりと、寝そべった姿勢から足の力だけで起き上がる。

 そうして愛しの半身を正面から見据えると、ラムは初めて見る顔をしていた。


「……短時間で、ずいぶんと不細工になったわね」



                △▼△▼△▼△



「……短時間で、ずいぶんと不細工になったわね」


 それは、ひどく悪趣味な追いかけっこに追いついたラムの正直な感想だった。

 バテンカイトスの視界を奪ったまま、ラムは不完全な解放状態の肉体を引きずり、パトラッシュの奮戦を信じて現場へ駆け付けた。

 四層の、螺旋階段からしばらく離れたその通路で、ボロボロになるまで痛めつけられた地竜と、その傍らに寝かされたレムの姿を見つけた。

 そして、そのレムに覆いかぶさっていたのが――、


「不細工だなんて、姉様ひどいですゥ……僕たちはこんなに、こんなに、こんなにさァ! 姉様のことを大事に思ってってッてってってててて」


 口調が定まらず、呂律が回らず、思考が千々に乱れている言動。

 それが精神に異常をきたしたことが原因であると、ラムには――否、誰から見ても一目でそれとわかっただろう。

 何故なら、バテンカイトスの姿はそれほどまでに歪な状態だったからだ。


「――――」


 引き出した『記憶』を肉体に再現し、その相手の姿形をそのまま写し取れるというのが直近で見せたバテンカイトスの隠し玉だったはずだ。

 しかし、それはどうやらバテンカイトスにとっても禁じ手だったらしく、ラムの目の前にいる『暴食』の姿は、引き出した『記憶』のどれでもあって、どれでもない。


 ぐにゃぐにゃと、入り混じってしまっている。

 空間を跳躍した禿頭の老人の部位があり、ラムの風の刃を受け付けなかった肥満体の巨漢の部位があり、神域に達した格闘能力を有する武闘家の部位があり、それ以外にも様々な人間の身体的特徴が、その不気味な人体を構成している。


 右手と左手の長さが、手の大きさが違い、下手すれば顔も部位ごとに異なる誰かのモノを参照しているように見えた。

 元のバテンカイトスの特徴が残っているのは、強いていうならその目つきぐらいだが、それさえももはや借り物になっているのかもしれない。


 そして、どうやらそんな歪な状況に、バテンカイトス自身は無自覚だ。


「――?」


 バテンカイトスは、もはや何者でもない何かになりかけていた。

 元々、他者の『記憶』を奪い取ることに特化し続けた存在は、自己という強固な土台が希薄だったのかもしれない。それが原因で、奴は壊れた。

 そして代わりに生まれたのが――、


「――レムを気取る怪物。正直、ここまで腹が立ったのは初めてだわ」


 欠けた居場所を埋める欠片と、そうわかっている妹の顔を見下ろし、ラムはその特徴も顔の一部に加えているバテンカイトスに嫌悪感を催す。

 よくもまあ、ここまで的確に他人の神経を逆撫でできるものだ。

 スバルとどちらが人をイラつかせるのがうまいのか、いい勝負になるだろう。


「よく頑張ってくれたわ、パトラッシュ。レムを連れて、下がっていて」


「~~ッッ」


 応答の声も弱々しく、血を吐くパトラッシュを背後に庇う。

 ずるずると、巨体を引きずりながらパトラッシュがレムの襟首をくわえ、下がる。そのまま戦場から遠ざけたい考えだが――、


「ダメですってばァ、姉様。それは大切なオードブル……メインディッシュを堪能する前に、付け合わせは必須なんですか――」


「――死になさい」


 人の頭ほどもある足を踏み出し、暴論を述べようとした顔面へ掌を向ける。

 そこで渦巻く風の刃は、相手の首から上をズタズタに引き裂く威力を秘めた小規模の嵐だ。――事ここに至り、ラムは手加減するのをやめた。


 殺さずに痛めつけ、『記憶』を戻す方法を探ろうとした結果、レムの身柄を危うくし、事実としてパトラッシュが大ケガをする事態を招いた。

 それを、ラムは重く受け止める。――スバルには、深く詫びなくてはなるまい。

 そして、二度とこの過ちを重ねないよう、殺意を実行した。


 直前の、あの精神の錯乱した発言を鑑みても、バテンカイトスから真っ当な回答が得られる可能性は低い。総合的に見て、この選択が正しい。


 バテンカイトスを撃破し、肉体の負荷をスバルから引き取る。

 その上でパトラッシュとレムを緑部屋へ戻し、ラムは他の誰かの下へ援護に駆け付けるべきだろう。

 と、そこまで考えたところだった。


「――――」


 顔面を嵐で引き裂く寸前、ラムは生じた変化に瞠目した。

 何のことはない。またしても、バテンカイトスの外見に変化が生まれただけだ。

 ただしそれは、他ならぬラムにとっては見過ごし難い変化だった。


 ――その、複数名の特徴が集まった顔の額に、一本の白い角が出現したのだ。


「それは……」


 本当に、心底、本能で動いているのだとしたら、脱帽する。

 ことごとく、バテンカイトスの行動はラムを逆撫でする暴挙ばかりなのだから。


「――姉様」


 一瞬、確かにレムと瓜二つの顔で、レムが発するのではと思われる声で、呼ばれる。

 硬直したラムの顔面へと、バテンカイトスの巨腕の一撃が叩き込まれた。



                △▼△▼△▼△



 致命、ではない。

 だが、楽観できるほど軽い一撃でもなかった。


 脳が揺らされ、鼻から血が滴る。

 足下が負荷とは無関係におぼつかなくなるのは、甚大な被害を受けた証拠だ。

 そして、それをもたらしたのは、青い髪に優しげな面持ちをした可憐な少女――何の冗談か、この場に同じ雰囲気の顔が三つも揃えられている。


「泣いてください、姉様」


 懇願の雰囲気を漂わせ、その薄青の瞳に涙を浮かべながら、拳が振るわれる。

 一発ごとに骨の髄へ、あるいはその奥にある魂へ衝撃が届く。


「怒ってください、姉様」


 腹を打たれて顔が下がり、その顎を真下から打ち抜かれる。舌は噛まずに済んだが、再び腹を打たれて後ろへ下がらされ、頭部に肘を入れられる連係の餌食だ。


「笑ってください、姉様」


 声に込められた親愛が、一言ごとにラムの心を掻き毟る。

 ずっと、ラムの認識では眠り続けていたレム。『記憶』を抹消され、人生で常に隣り合っていたはずなのにどこにもいない、奪われた妹。

 いつか、彼女の目が覚めたとき、初めて呼びかけられるのを楽しみにしていた。


 そのとき、ラムが妹の記憶を取り戻しているのかはわからない。

 仮に戻っていなかったとしても、戻っていたとしても、そのときの最初の一言は、きっと産声のように特別なものになるはずだった。

 それが――、


「泣いて」「怒って」「笑って」「苦しんで」「微笑んで」「痛がって」「むくれて」「昂って」「恥じらって」「微睡んで」「赤面して」「むずがって」「驚いて」「言祝いで」


「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」「姉様」――。


「その――っ」


 呼び方をするなと、吠えようとする口を掌底に塞がれ、声を出せない。

 ラムが追い込み、生み出してしまった怪物――その力量は、圧倒的だった。


 躊躇いがない。引き出しに制限がない。自分が失われている自覚がない。そして、それなのに姿形を、ラムの大切な半身から引き離そうとしない。

 月も太陽も陰っているにも拘らず、闇は完璧に『暴食』を塗装していた。


 無論、ラムもやられっ放しではない。応戦した。

 スバルが引き受けてくれる限度いっぱいまで枷を外し、数十秒しか使えないと自らに課した制限を飛び越して、今度こそ息の根を止めるべく力を尽くした。

 それが、まるで歯が立たない。


「姉様、姉様、そんな顔、姉様らしくないと思います」


「――っ」


 唇を尖らせ、甘えるような表情の妹に拳で間違いを正される。

 顔面を穿たれ、背後の壁に激突して、ラムは冒涜者を前に何とか倒れぬ矜持を持つ。しかし、それが今のラムには精一杯の状態だった。


 いったい、この怪物との戦いが始まってどれだけ経過したか。

 十秒、二十秒、当初設定していた制限時間をとっくに超過したことは間違いない。体感時間が当てにならず、実時間を数える余裕など皆無。

 ただ、逃げ切れたのか、逃がし切れたのか、そこが最も重要だった。


 ひたすら殴られる人形に徹して、パトラッシュとレムの撤退を支援した。

 おそらく、それが目的だったはずだが、頭を殴られ過ぎたせいでそれもおぼつかない。

 体が重い。息が切れる。頭が痛み、喉は涸れ、手足が痺れ、額の古傷から血が流れた。角を失った白い傷跡から、顔を縦断するように、血が流れた。


「――そんな汚いの、ダメです」


 その、血になぞられた顔面が、再び掌に殴られる。

 一撃を浴びて体が滑り、ついに膝が体重を支えられなくなる。そのまま横倒しになりかけるところを、「いけない」と小さな声が割って入り、蹴りが放たれた。

 無防備に胸に受け、胸骨を軋ませながらラムは壁に激突する。

 いつしか、強固な素材だったはずのプレアデス監視塔はその頑健さを失い、素材相応の強度しか持たないモノへと変わっていた。

 つまり、執拗なラムへの暴行を一緒に浴びて、ついに壁が砕け散る。


 石壁をぶち抜いて通路の向こうへ転がり込んだラム。

 周囲には濛々と煙が立ち込め、血と粉っぽい舌触りに咳き込んだ。途端、折られた骨と潰れた肉が我先にと悲鳴の大合唱を始める。

 首を巡らせ、いったい、どこへ叩き込まれたのかを確かめようとした。


「――ぁ」


 小さく、掠れた息が漏れた。

 それは落胆か、あるいは呆気ない感傷を交えたモノだったかもしれない。


 倒れ込んだ通路の先、ラムの視界にパトラッシュとレムの姿があった。

 距離は、せいぜいが十数メートル――ラムが稼いだ時間は、ラムが味わった苦痛にずっとずっと引き延ばされ、長く感じただけの十数秒だったのだ。


「姉様、姉様、ご無事ですか?」


 白々しく無事を聞きながら、バテンカイトスが砕いた壁を乗り越えず、通路を迂回してこちらへやってこようとする。

 その間、ラムは己の片腕を抱きながら、何とかその場に立ち上がった。

 壁に体を預けて、ボロボロの状態のパトラッシュと互いの視線を交わす。


「――ッッ」


「……ええ、わかってる。全部終わったら、二人でバルスを折檻しましょう」


 実際、パトラッシュが何を言ったのかはわからない。

 しかし、おおよそラムの答えが間違っていなかったことは、黒い地竜からの訂正がなかったことが証明してくれる。


「――――」


 ラムの判断、それが裏目に出たと認めざるを得ない。

 バテンカイトスを真っ先に殺さなかったこと、それが全ての引き金となった。

 その過ちを正そうと、次は即座に命を奪うつもりで仕掛けたが、瀕死の状態から生き延びたバテンカイトスは、最適解を見出す目を養ってしまった。

 結果、眠っているはずの妹の現身を取られ、動揺するラムは一撃された。


 持てる手札は使い尽くし、引いた札にはことごとく裏切られる。

 ラムはあらゆる点で自分が秀でている自覚があったが、一点、どうしようもなく、持ち合わせていないと自覚しているモノがあった。


 ――時の運だ。


 角を折られ、鬼族としての在り方を損なった日から、それは変わらない。

 もっとも、在り方など大した執着はなかった。額に生える白い角を、この世で最も疎ましく思っていたのが、他ならぬラム自身だったから。

 それなのに、都合のいいことに、今は失った角さえあればと思ってしまう。


 ――否、それは正確ではない。正確には、角自体はあるのだ。

 角自体は今も、ラムの手元にある。ずっと肌身離さず持ち歩いている愛用の杖――その杖の基礎には、ラムの折られた角が使われている。

 角は、鬼族の強靭な肉体が必要とするマナを、効率よく集めるための重要器官。

 それ故に魔法を行使するための触媒として、ラムにとってはこれ以上に馴染むものは存在しない。

 そのため、ロズワールがわざわざ角を回収し、特注で作らせたのがこの杖だ。


 その角が、杖の中と額と、ある場所が違うだけでこんなにも――、

 こんなにも――、


「――――」


 ふと、角のことを思ったラムの脳裏に、とある考えが過った。

 それは角の有無もそうだし、ラムが一度はバテンカイトスを圧倒した事実や、この状況を打破し、可能性を繋ぐために知識を総動員した結果だ。


 角の折れたラムと、眠り続けているレム。

 後者は結果の問題だが、前者は。――何故、ロズワールはラムを回収したのか。


 ラムは、ロズワールが自分に求める役割を知っている。

 その過程でロズワールが行おうとしている計画、それも知っている。

 そのためにラムが必要だと、時がくれば自ずと、その方法もわかると聞いていた。


 故に、ラムは必要なときがくるまで詮索しないつもりでいた。

 しかし、この瞬間、ラム自身が、眠り続けるレムが、姉妹のために戦ってくれたパトラッシュが、生き延びるために必要な考えが、浮かぶ。


 それは、ひどく荒唐無稽な可能性であった。

 だが、同時に納得のいく推論でもあると胸を張れる。


 ラムの愛した、ロズワール・L・メイザースであれば――、


「人でなしと罵られる覚悟で、それをすることもあるでしょう」


 そうこぼし、ラムは震える手で腿に備え付けた杖を抜いた。

 じっと、十年来使い込んできた杖を見つめ、そして、それを勢いよく壁に叩き付ける。

 砕け散った杖の内側から、長らく見なかったそれが飛び出した。


 ――あのときのように、くるくると目障りなぐらいに回転しながら。



                △▼△▼△▼△



 ゆっくりと、白い土埃の立ち込める通路を手で払い、バテンカイトスは前に出る。

 楚々とした仕草で足取りはたおやかに、必要以上に騒がしくしないのはメイドの嗜みであり、主に恥をかかせないための最低限の気遣いだ。


 煙の先、愛おしい姉が倒れているはず。

 彼女の、色んな顔が見たかった。強い感情を宿し、爛々と燃える薄紅の瞳、それを真っ向から見つめ返したかった。


 それはもはや、恋心にさえ思えるほど初心な欲求で。


「あら」


「――ッッ」


 煙の向こう、最初に見えたのは足を引きずる黒い地竜だ。

 姉様との語らいと触れ合いの最中、いつしか見えなくなっていた地竜。別段、興味の対象ではないが、地竜が連れていった存在には用事があった。


 姉様の、その気を不用意に引く存在は消し去りたい。

 姉様を、姉様と呼び慕えるのは自分だけでいい。姉様は、自分だけのモノだ。


「あァ、見つけました」


 身をよじる地竜の向こう側に、壁にもたれる『眠り姫』の姿があった。

 おあつらえ向きに体を起こされていて、ちょうど首か心臓を狙いやすい。さっさとその息の根を止めて、メインディッシュの姉様に取り掛からなくては。

 そう、『眠り姫』と距離を詰めようとして、バテンカイトスは気付いた。


 ――俯いた少女の青い髪を頂く頭部、そこがぼんやりと淡く光っているのが。


 その光の正体が何なのか、一瞬だけ訝しむ。

 だが、そんなはずがないと、自己認識が生じた答えを否定させた。

 眠り続ける少女が、それを実行できるはずが――、


「訂正するわ」


「――っ、ねえさ」


「時の運がないと思っていたの。――でも、そうじゃなかった」


 聞こえた声の対象を呼ぼうとして、しかし、それはできなかった。

 それを上回る速度の一撃が、バテンカイトスの顔面を打ち抜く。驚愕があり、次の瞬間には衝撃波が突き抜け、歩いてきた通路を逆方向へぶっ飛ばされる。


「~~ッ!?」


 あまりの威力に勢いを殺せず、バテンカイトスが壁を二枚ぶち抜いて止まった。

 痛みや苦しみより驚きが先行し、立ち上がってからダメージの重さに膝をつく。ずっしりと、体の芯まで打ち砕かれるような一撃だった。


 いったい、何が起きたのかと、バテンカイトスは可憐な顔を驚愕に染め――、


「どうやら、天さえもラムとレムの可愛さに首ったけのようね」


 自らが砕いた壁の穴に立ち込める噴煙、その向こうに目を凝らそうとした直後、音さえも置き去りにする速度で掌に顔を掴まれていた。

 そして、頬と顎の骨を握力で軋ませる相手を間近に見る。

 それは――、


「ねえ、さま……」


「残念だけど、ラムの妹は奥で寝ているわ。『共感覚』ではっきりとわかる」


「きょう、かん……?」


「『共感覚』よ。ラムとレムは仲良し姉妹だったようね。喜びや怒り、悲しみや痛み、そういったものを分かち合える。――折れた角の再活性、その負担も」


 意味は、はっきりとはわからない。

 ただ、バテンカイトスがこの目で見たものが肯定された。


 殴り飛ばされる前、壁にもたれかかる『眠り姫』の額に見たのは白い角――生来の、あの鬼の娘が持ち得た、姉に勝る唯一の財産。

 それがあるから、それが光るから、それが通じているから、なんなのか。


「バルスの作戦がヒントというのが癪だけど、いいわ」


「スバルくんが、何を……」


「――その顔と声で、バルスの名を呼ぶのはやめなさい」


「――ッ!!」


 瞬間、掴まれていた顔面ごと体を持ち上げられ、バテンカイトスは豪快に地面へと叩き付けられていた。

 びくびくと、手足を震わせるバテンカイトス。そのバテンカイトスの前で、ラムは確かめるように掌を開閉し、その額の古傷からおびただしい血を流している。

 だが、ラムはその流血を煩わしがるどころか、歓迎するように唇を緩めた。


 まるで、失われた絆が繋がっていたことを、その血と痛みが証明するように。


「暗い場所で生まれたものは、暗い場所へ帰りなさい。泣き声を上げて生まれたのなら、泣き声と共に死になさい」


 掌でそっと額の血を拭い、薄紅の瞳がバテンカイトスを見下ろす。

 その瞳に激情が宿ることを望み、ここまでの多くを組み立てたバテンカイトス。


 ――そんな『暴食』の大罪司教を、ラムは凍てつくように冷たい目で見下した。


「鬼神の再来。好きじゃなかったけど、今日だけは演じてあげる。――ラムの可愛い妹の偽物、今度こそ八つ裂きにしてやるわ」



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頭に刺したのかな?
[気になる点] 暴食の権能では人間以外の記憶を食べられないけどハーフエルフのエミリアの記憶を食べられたのは半分人間だからなのかな? ハーフじゃない純粋なエルフは権能の対象外なのか、人間要素無くても人型…
[一言] ラムの覚醒キタ━(゜∀゜)━!
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