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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第六章 『記憶の回廊』
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第六章64 『二番目の障害』



 ――銀髪の、知らない人。


「は?」


 その、思いがけないラムの表現がスバルの意識にわずかな間隙を生んだ。

 これがただ、『銀髪の人』であったなら、迂遠な言い方ではあったが、スバルもここまで妙な感慨を抱くことはなかっただろう。

 エミリアが綺麗な銀髪の持ち主であることは疑いようがない。紫紺の瞳も綺麗だ。顔のパーツはもちろん、全身を構成するあらゆるパーツが神の芸術品みたいで可愛い。

 しかし、そこに『知らない』と一言余計な言葉がつくだけで、意味が大きく変わる。


「銀髪の、知らない人……」


「ええ、そう。この塔の中で、一度も見たことのない相手よ。少なくとも、こちらに敵意はなかったはず。……状況を見て、一度引いたわ。でも」


「――誰が援軍に加わってくれたのだとしても、相手が『暴食』となれば話は別だ」


 スバルの呟きに頷いて、自分がきた方向へ目を向けるラム。そのラムの言葉を引き継いだのは、『暴食』の響きに険しい表情をするユリウスだ。

 彼は己の腰に備え付けた騎士剣に触れて、唇を硬く引き結ぶ。


「思わぬ遭遇ではあるが、ここで敵として相見えた以上、逃がす手はない。元々、我々の目的は『暴食』と『色欲』の大罪司教がもたらした被害を打ち消す方法を求めてのこと。奴らが現れたなら、直接その口から聞き出すまでだろう」


「同感ね。ラムも、奴を生かして帰すつもりはないわ。のうのうと現れたことを後悔させてやらなくちゃならないから」


「ま、待て! 待ってくれ! お前らの意気込みはわかる! わかるんだが……っ」


 『暴食』への強い敵意を覗かせる二人に、スバルは思わず待ったをかける。

 自分という存在を世界から切り離されたユリウスと、最愛の妹のことを自分の内側から根こそぎ食い荒らされたラム――両者の、『暴食』を倒すことへのモチベーションが高いことはわかる。実際、スバルも好機と悪機がいっぺんにきたと感じるほどだ。

 だが、ここで問題なのは――、


「お前らの会話に、エミリアの名前が抜けてる。それは、どうした?」


「――――」


 嫌な予感を覚えながら、スバルはストレートに疑問へと切り込んだ。

 ラムの不自然な物言いと、その説明に対するユリウスやベアトリスたちの無反応。視線を向ければ、ベアトリスやエキドナも、表情に違和感を覚えた顔をしていない。

 ラムの『銀髪の知らない人』発言を、ありのままに受け止めていて。


「――エミリアって、誰のこと?」


「――っ」


 首を傾げ、疑念を隠さないラムの言葉にスバルの喉が驚きに詰まった。

 見れば、ユリウスとベアトリス、それにエキドナまでもが瞳に無理解を宿してスバルを見つめている。――そのことに、衝撃が隠せない。


「だって」


 ほんの、一分が経ったかどうかというレベルの話だ。

 そのレベルの直前まで、スバルはユリウスたちと『エミリア』の話をしていた。そもそも、こうしてバルコニーから塔内へ走り出した理由が、エミリアとラムが合流してこないことへの焦りと、二人の無事を願ってのものだったではないか。

 それが、どうしてこうも一瞬で――、


「――スバル、まさか」


 ふと、スバルの手を握るベアトリスが、その表情の変化に何かに気付いた顔をする。最初に気付いたのはベアトリスだが、残る面子も察しのいい顔ぶれ揃いだ。

 すぐにスバルの発した名前が、自分の記憶にない名前が、自分たちにとって大きな意味を持つ名前であることを理解する。


「エミリア……それが、あの銀髪の女の名前?」


「――。そうだ。銀髪の女の子がいたんなら、それがエミリアって名前の子で、俺たちの仲間だ。だから、ラムに逃げろって言って、自分は残った。今も戦ってる」


「そんなことが起こり得る、のだろうね。他ならぬ、私自身が味わった思いだ」


「――――」


 スバルの力ない答えに、ユリウスが信じ難い話を聞いた様子で己の前髪に触れる。

 驚きを隠せないでいるユリウスだが、スバルも『暴食』の力の及ぶ範囲、即効性、その力の凶悪さを改めて実感し、ようよう恐ろしさを体感した。


 正直、自分の記憶を奪われたと自覚しても、その実感はスバルには弱かった。

 無論、記憶をなくしたことで生じた誤解や疑心暗鬼、エミリアたちへと向けた負感情の数々は忘れ難く、できれば永遠に忘れておきたい黒歴史の一幕だ。

 だが、それでもやはり、実感は薄かった。ないものを、あったかのように感じて探る作業は、まるで何も見えない夜の海で漁をするような不確かな戦いだ。

 だから、実感が薄かった。しかし、これはそうではない。


 エミリアを、つい先ほどまで覚えていた相手を、これまで共に苦難を乗り越えてきた仲間を、一瞬にして忘れ去る。――これほど、おぞましいことが他にあるか。


 記憶の簒奪者、思い出の蹂躙者、絆を食い荒らす『暴食』行為の常習犯。


 それをようやく目の当たりにして、スバルも理解する。

 『暴食』は、ただ己の幸福を求めるあまり、侵してはならない領域を侵した極悪人と。


「――ぅ、く」


「ラム!?」


 そうして、驚きを何とか自分の中で咀嚼するスバル。その正面で、同じように仲間の記憶を奪われたことへ驚いていた面々の中、ふいにラムがその場に膝をついた。

 パトラッシュの傍ら、その黒い地竜の足に寄り掛かり、ラムが荒い息をつく。


「どうした? 大丈夫か?」


「……少し、頭が痛むだけよ。その、知らない誰かのことを考えていたら」


「エミリアのことを……?」


 頭に手をやり、辛そうな顔で首を振るラムにスバルは眉間に皺を寄せた。

 おそらく、『暴食』がエミリアの記憶を奪ったとしたら、彼女と同行していたラムはその現場を目の前で見ていたはずだ。それが影響しているのか、とスバルは考えた。

 しかし、「スバル」と肩を叩くベアトリスが首をゆるゆると横に振り、


「それ以上、思い出させるのはやめた方がいいのよ。欠けすぎているかしら」


「欠けすぎ、って……」


「『暴食』の権能の杜撰な部分が出ているのよ。――その、記憶から奪われた相手がいないと成立しない部分が多すぎて、齟齬が出てしまうかしら」


「――――」


 ベアトリスの言葉を聞いて、スバルは一瞬、言葉を失った。

 だが、すぐにその意味するところを呑み込んで、そういうことかと理解する。


 『暴食』の権能が働いて、ラムたちからエミリアの記憶が失われた。

 ラムの立場はエミリアの世話係――いわゆる、主従の関係にあったわけだ。二人が互いを想い合う関係は、わかりにくくはあっても確かな温かみがあった。

 それがごっそりと失われ、ラムの中に『エミリア』の存在の空白が生まれる。


 記憶とは、引き出しの中に仕舞った思い出の物品のようなものだ。

 普段はそこにあることを意識しないが、いざ思い出そうと引き出しを開ければ、そこから拾い上げて様々な顔を見せる。――それがないと、人生とは成立しない。

 つまりラムにとって、今ここでエミリアの名前を自分の中に探れば、開けても開けても見つからない引き出しを無数に開ける作業を重ねるに等しい行いなのだ。


「彼女のことはボクが見ていよう」


「エキドナ……?」


 苦しげに顔を歪めるラムの隣に、挙手したエキドナが並び立つ。前に出た彼女にスバルが驚くと、エキドナはその細い肩をすくめて、


「今、ここで議論している暇はない。『暴食』がきていて、ボクたちの仲間の一人が、名前を奪われながらも戦っているならなおさらだ。足は止めてはならない」


「エキドナ、ラム女史と妹御を頼む。パトラッシュと共に、戦いから離れていてくれ」


「ああ、任せてくれ。――ユリウス、正念場だが、熱くならないように」


「わかっている。闘志は冷え切っているとも。この剣のように」


 エキドナの提案をユリウスがすぐに受け入れ、彼は凛々しい面差しを正面へ向ける。そこにはスバルが口を挟むのも躊躇われるほど、鋭い闘志が漲っていた。


「ラム」


「口惜しい、けど、今はラムがいっても足手まといになるだけよ。置いていきなさい。ただし、『暴食』の命は残しておきなさい。それ以外の部位はバルスに譲るわ」


「牛か豚みたいな言い方だが、とにかく安静にしてろ。俺たちはいく!」


「――ええ、やってきなさい」


 悔しげなラムを残し、スバルは彼女たちと残るエキドナに頷きかける。それから、走り出す前にパトラッシュの首を撫で、その背に乗った眠り姫の横顔を覗き込んだ。


「――――」


 変わらず、静かな、呼吸をしていないかと思われるほどか細い寝息を立て、レムは目をつむって覚めない夢を見続けている。

 今はそれでいい。彼女から、もらうべき言葉はすでにもらった。

 あとは――、


「待ってろ、『暴食』……! これ以上、てめぇに食わせてやるのはうんざりだ!」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――正直なところ、挙げれば疑問は尽きずに湧き続ける。


 何故、『暴食』の権能の影響が、スバルには現れていないのか。

 エミリアが名前を奪われ、ベアトリスやラムたちの記憶から消えた今も、スバルの頭の中にはエミリアの名前が、姿が、声が、はっきりと残り続けている。

 彼女への淡い想いも、忘れず、この胸に確かに。


「俺が、異世界からきたから……?」


 だから、スバルにはこの世界のルールが適用されないのかもしれない。

 この世界の記憶が、『記憶の回廊』で死者の魂から削ぎ落とされた人生の記録であったとすれば、それを横取りする『暴食』の力がスバルに及ばないことは、スバルが異世界からきた存在という特異性として、ありえることなのかもしれない。

 だとしたら、『ナツキ・スバル』の記憶とは、仮に死したとしたらこの世界の『記憶の回廊』に刻まれることはあるのだろうか。あるいは――、


「――それができないから、俺は『死に戻り』してるってのか?」


 それは、考えてからゾッとしてしまうほど冷たい結論だった。

 仮にそれがスバルが『死に戻り』するメカニズムの答えだったとしたら、スバルの命は永遠にこの世界の螺旋の中へ取り込まれることなくあり続ける。

 早い話、この世界で何十年も過ごして、老衰で死ぬことすらできなくなる。

 このルールに当てはまらず、スバルが人生を全うしようとするなら、それはあるいはナツキ・スバル自身が、真に記憶を預けられる世界でなくては――、


「――アイスブランドアーツ!」


「――ッ!?」


 瞬間、考え事をしていた意識が鋭い銀鈴の声音に切り裂かれる。

 顔を上げ、正面を見たスバルは駆け込んだ先――緑部屋へと通じる通路が白く凍え、凄まじい冷気の風に迎えられたのを肌に感じた。

 そして、その風の起点となっていたのは、舞い散るダイアモンドダストの中で踊るように身を翻す雪の妖精――ではなく、銀髪をなびかせて舞うエミリアだった。


「――えりゃ! そや! えいえい! やぁ!」


 手にした氷の双剣を振り回して、エミリアが戦いの声を上げながら猛攻を放つ。どこか気抜けするような掛け声だが、氷の剣が大気を走る速度には可愛げがない。

 斬撃は正しく、相対する敵へと迸り、一撃を以て斬り伏せんとしていた。


「あれが……」


 そうして、氷剣を手に舞い踊るエミリアの周囲、彼女の戦場となった通路は白く青く凍り付いて、まるで砂の中の塔とは思えぬ別世界の様相を呈している。

 おそらくは、エミリアの扱う氷の魔法が周囲にもたらす影響だ。それはこの世界にあっても異質なほど強力な力なのか、目にしたベアトリスとユリウスが息を呑む。

 だが、それ以上に――、


「あっははァ! やるね、やるなァ、やるじゃない、やってくれるよ、やってくれたし、やれるからこそ、やってくれるからこそ! 僕たちも喰いでがあるってもんさァ!」


 そのエミリアと相対し、放たれる氷剣を軽々と受け流しながら嗤った存在が色濃い。


「――――」


 それは、こげ茶の髪を長くざんばらに伸ばして、どことなく陰鬱な狂気を滲ませる笑みを浮かべた少年だった。

 年齢は十代半ば、格好はみすぼらしく、薄汚れてすらいる。決して衛生的とは言えない姿形だが、それ以上に見ていて嫌悪感を催すのは、どこまでも他者を嘲り、食い物にすることを躊躇わない、『人生』への絶望と渇望が垣間見える眼光だ。


 一目でわかる。言われるまでもない。

 あんな目をした存在が、ルイ・アルネブ以外にもいる事実が、耐え難い。


「――『暴食』の大罪司教!」


「あっはァ! お客さん! じゃないね! メインディッシュだ、お兄さん! 俺たちも会えるのを待ち望んでたよ。妹が世話になったみたいだねえ!」


 吠えたスバルの声を聞いて、エミリアの剣撃を打ち払った『暴食』が凶笑を深める。その禍々しい笑みに怖気を覚えるのと、エミリアが背後のスバルたちに気付いたのは同時、彼女は「え!」と驚きの声を出して、


「あ、みんな! その、私のことわからないかもしれないけど、あっちが敵! 悪い人! ここは私に任せて……私のこと、わからないかもしれないけど!」


「――――」


 背後の仲間たちの存在に、エミリアは自身の置かれた状況を正しく把握している。

 当然、自分の記憶が他者から失われ、ショックを受けたはずだ。その衝撃は忘れるばかりで、忘れられた経験のないスバルには計り知れない。

 しかし、彼女は気丈にラムを逃がしただけでなく、こうして『暴食』との戦いを続けながら、駆け付けたスバルたちのことも気遣っている。

 万感の思いが込み上げ、スバルは叫んだ。


「大丈夫だ、エミリアちゃん! 俺は忘れてねぇ!」


「――――」


「もう、絶対に忘れない! たとえ何があっても、俺は君を、忘れないから!」


 拳を突き上げ、スバルがエミリアの背中にそう言った。

 それを聞いた途端、エミリアの目が見開かれ、一瞬のあとに細められる。


「――――」


 そのとき、彼女の胸中を過った感情がどんなものであったのか、はっきりしたことはスバルにはわからない。

 ただ、直後に彼女が浮かべた微笑みを見れば、それが悪感情へと繋がるものでなかったことは確かなことだった。

 そのまま、エミリアは真っ直ぐに『暴食』へと向き直って、氷の双剣を投げつけると、続けて床から氷の槍を引き抜き、氷の演武を舞いながら敵へ襲い掛かっていく。


「君の一言が今、彼女にどれほどの影響を与えたか、自覚はないのだろうね」


「ああ?」


 すぐ隣で、同じ光景を見ていたユリウスが微笑でそうこぼしたのを聞く。それが何とも意味深な内容に聞こえて、振り返るスバルにユリウスは応じない。

 ただ、彼は腰の剣を引き抜くと、美しい軌跡を描いてそれを構えた。

 そして――、


「聞くまでもないことだが、彼女が私たちの味方だな、スバル」


「ああ、そうだ。あの可愛さで、俺たちの敵のわけないだろ!」


「――心得た」


 応じ、頷くユリウスの姿が視界の端で薄くなる。――否、それは錯覚だ。

 次の瞬間、踏み込み一つで加速し、氷の乱戦の中へと飛び込むユリウスの刺突が、胸の前で両手を交差した『暴食』を捉え、大きく後ろへ跳ね飛ばしていた。


「おおっと、お兄さんは……」


「このときを待ち望んだぞ、『暴食』――!」


 ユリウスの鋭い剣撃が、薄笑いを浮かべた『暴食』を力強く穿つ。だが、『暴食』は自ら後ろへ飛ぶことで衝撃を殺し、氷漬けの壁に足をついて陰惨に喉を鳴らした。

 それから、『暴食』は長い舌を挑発的に覗かせると、


「おいおい、そんな突っかかってこないでくれよぉ。悪いんだけど、僕たちと俺たちって食べた物全部共有してるってわけじゃないからさァ。お兄さんに見覚えがないんだ。それって僕たちじゃなく、ロイがやらかしたってことじゃないの?」


「――っ」


「ま、大差ないって考え方もあるよねえ。とはいえ、ロイはともかく、俺たちはあんまりお兄さんには興味ないかなァ。食べる基準に見合わないって感じ?」


「食べる基準、だと?」


「ああ、そうそう。それって……」


 両手をだらりと下げ、その手首のあたりに固定した刃物を付けた『暴食』。それがユリウスを眺め、ひどく禍々しいスタイルを語ろうとする。

 しかし――、


「そいや――っ!!」


「――ッ!?」


 そこへ、一切の躊躇なく氷塊をぶち込んだのが、両手を振り下ろしたエミリアだ。

 彼女の一発は容赦なく、さして戦いに向いているとは言えない広さの通路を容易に埋め尽くして、逃げ場のない一撃を叩き込むのに特化する。

 話の途中で、その豪快な一発はさすがに想定外だったのか、『暴食』も血相を変えて氷塊の下を潜り抜け、かろうじて命を拾うことに成功した。


「ちぃッ! 僕たちが食べたからわかってたことだけど、躊躇がないなァ、エミリア! そんな調子で攻撃して、怖い人だって思われたら……」


「いいから黙ってて! 私が怖い人だって思われるの慣れてるの、あなたはわかってるはずでしょう! 大事なのは、私がみんなをどう思ってるかよ! それに……」


 氷塊を潜り、息を荒くする『暴食』の顔面へ、エミリアの白い膝蹴りが突っ込む。それを『暴食』は腕で受け、衝撃で背後へ吹っ飛んだ。

 そのまま、勇ましく吠えるエミリアは言葉の最後でちらとスバルを振り返り、


「一番覚えててほしい人は覚えててくれたもの。今、すごーく元気だわ!」


「これだから、感覚で動くタイプは得意じゃないんだよね。一番苦手なタイプだ」


「――そうか。だが、私も彼女に同意見だ」


 忌々しげに頬を歪める『暴食』、その背後にユリウスの長身が滑り込んでいる。振り下ろされる斬撃、それを『暴食』はとっさに後ろへ回した腕で受けた。

 しかし、不完全な受けは斬撃を完全には止められず、深々と肘から先を斬りつけられ、血が噴く。『暴食』の苦鳴、なおも連撃は続いて――、


「――一度は全てに忘れ去られ、自分自身の足場を見失ったことに人生を否定された気にもなったが、私の足が立つ場所はもとより迷う必要がなかった」


「ちっ! う、ぎ、ぎゃぁ!」


 静かな決意を言葉にして、ユリウスの放つ剣撃の鋭さが徐々に増していく。

 『暴食』はそれを受け切れず、少しずつ傷は増えていき、ついにはまともな一撃を胸に受け、悲鳴を上げた。


「スバル」


「わかってる。俺は、あの場に割り込めない」


「……それがわかってるならいいのよ」


 猛攻を続けるユリウス、そしてエミリアもまた容赦のない攻撃を『暴食』へ打ち込む。そうして両者の攻撃を受ける『暴食』は防戦一方だ。

 無論、できるならスバルもそこに加わり、『暴食』を追い込む一助となりたいところだが、それができる技量に自分がないのはわかり切ったこと。

 今はここで、エミリアとユリウスのコンビが『暴食』を負かす瞬間を信じ、見届けるしかない。だが――、


「急造のコンビでよくやるもんだッ! けど、これならどうかなァ?」


「なに?」


「――アイスブランドアーツ」


 血をこぼしながら、しかし『暴食』は余裕の笑みを失わず、俯きながら呟いた。その呟きを聞きつけ、驚きに眉を上げたのはスバルとエミリア。意味がわからずに眉を顰めたのがユリウスとベアトリス。だが、直後の光景に驚くのは四人全員だ。


 直後、『暴食』の足下から氷の槍が突き上がり、それをユリウスが側転して回避、エミリアは手の中の槍を氷槌へと変えて、強引に破壊することで防いだ。

 しかし、一撃を避けても、それで驚きと攻防がなかったことになるわけではない。


「ははッ! 自分の得意技を喰らってみるのってどんな気分かなァ! どうだ、どうだい、どうなの、どうなんだ、どうだろうね、どうだろうかな、どうだろうよ、どうしたって、どんな気分なのかって、暴飲ッ! 暴食ッ!」


「――ッ! 急に」

「動きが変わった!?」


 驚きを口にするエミリアとユリウス、その前で『暴食』は床から氷の武器を引き抜く。それを目にしたスバルは、造形の細かい氷の武装に息を呑んだ。

 何故ならそれは――、


「え、エクスカリバー!?」


「アイスブランドアーツ自体はエミリアの技でも、それを再現するのはお兄さんを食べた僕たちだからさァ! 知識が武器! 俺たちはインテリ大罪司教なんだよ」


「――ッ」


 そう言いながら、『暴食』は自ら再現した氷の聖剣を薙ぎ払い、エミリアとユリウスへと輝かしい斬撃を叩き込む。無論、それは見た目を氷で再現しただけの武器であり、そこから光のエネルギーが放たれるようなことはない。

 しかし、その調子で『暴食』は次々と、この異世界には存在し得ない武器を作り出し、意表を突く形でエミリアとユリウスを劣勢へと追い込んでいく。


 もちろん、エミリアたちもすぐに体勢を立て直し、最初の衝撃を捨てて、『暴食』へと反撃を試みるのだが、『暴食』はそのたびに人が変わったように戦い方を変え、それへの対応を求められるうち、再び劣勢へ追いやられる戦況が続いた。


「――――」


 その『暴食』の攻防を見て、スバルは他人の記憶を複数取り込むことの脅威を知る。

 エミリアの氷の武器を次々と作り出す技はそれ単体だけでも十分に強力だが、そこに使い手の想像力が加わると、全く違う顔を見せる技へと変貌する。特に、スバルの持ち込んだ異世界の知識、そこから再現される武器が非常に厄介だ。


 この世界にはなく、それでいて相応に実用性のある武装が山とある。これはスバルが中学時代、古今東西の武器の本などを読みふけった黒歴史が原因だ。

 その上、おそらく『暴食』はこれまでの人生で多くの戦士を己の内に取り込み、結果的に多数の武人の戦闘力をのべつ幕なしにインストールした状態にあるのだ。

 故に、ストックの中から最適な記憶を引っ張り出してくるだけで、即座にその武器のエキスパートへと変貌し、自在に攻防を重ねてくる。


 そして、エミリアたちの旗色が悪い原因はそれ以外にもある。


「ユリウス! そこダメ!」

「く……っ」


 エミリアの悲鳴のような呼びかけに、ユリウスの苦しい足踏みが重なる。

 そこには協力し、一人の敵を討ち果たさんとするにはあまりに稚拙な連携があった。


 エミリアとユリウス、二人の連携の相性が良くないのだ。

 それは、エミリアが戦い方をセンスに任せた『感覚派』であることと、ユリウスが修練に修練を積んだ果ての『技巧派』であることも大いに影響する。

 だが、そんな問題は二人ぐらいの強さにまでなってくれば、互いの癖を知ることで容易に修正が可能な問題である。

 そう、互いの癖を知れるぐらいに、関係値があれば。


「悲しいもんだよね。本当に連携できるって思ってた? 相手を知ってるのと、とりあえず信じるのって、結果的に同じ方向を向けてても全然違うもんでしょ? 考えがわからないから合わせられない、癖を知らないから修正できない。挙句、ぶつかり合って邪魔になる……ははァ、ダメダメだねえ、お二人さん!」


「く……」


「知識は力! 記憶は絆! 思い出を贄にして僕たちは高く! 俺たちは強く! どこまでもどこまでも羽ばたくってわけさァ!」


 飛び上がり、繰り出される『暴食』の蹴りが二人を同時に捉える。

 まだ小柄で、さして長くない足だが、その靴裏は見事に両者の肩を打ち据え、苦鳴を上げる二人を一気に背後へ吹き飛ばした。

 その間、『暴食』は身軽に宙返りし、氷の地面へと四肢をついて着地する。


「厄介! 猪口才! 大苦戦! どうだい、僕たちのお手並みってヤツはさ! そこで見てるだけのお兄さんも、歯痒い思いを味わってるだけで満足かい?」


「てめぇ……」


「忘れないとかあれこれ言ってたけどさァ、その程度のことがどれだけ救いになるの? 結局、最後には経験が物を言う。優れた知見の積み重ねってヤツこそが、人生を豊かにして、人を勝ち組ってものにするのさ。つまり、最高なのは俺たちってわけだよ!」


 両手を広げ、鋭い牙を見せながら『暴食』が言いたい放題に嗤う。

 そうして『暴食』が語った言葉こそが、なるほど奴の哲学なのか。妹であるはずのルイ、彼女が語った『幸福を得るための哲学』とはまた少し異なっているが、結局は他者の人生を踏み台に、自らを肥え太らせることを目論む最悪の思想だ。

 それを、スバルは心底から唾棄すべき思想だと考え――、


「――オメエ、何調子乗ってやがンだ?」


「な」


「――――」


 それまで、我が世の春とばかりに高笑いしていた『暴食』が、その声を聞いた途端に目を見開いた。そして、その驚愕はスバルたちにも共通だ。

 それはあまりにも突然に、当然のように、堂々とこの場に乱入してきた修羅。


 ゆっくりと、ゾーリで氷の通路を踏みしめ、着流しの肩を片方はだけた赤毛の長身。それが凶悪な笑みを浮かべ、通路の向こう――『暴食』を挟んで、スバルたちとは対面の方角から姿を現した。


 そして――、


「最高なのがオメエみてえな根性曲がったガキなわけねえだろ。最高も最強も、最上も最良も、全部オレのためにある言葉なンだからよ」



 そう言いながら、降りてこられないはずの二層から降りてきた、レイド・アストレアが凶笑を浮かべて立っていた。



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エクス、カリバァァァァ
[一言] ・・・約束された勝利の剣?
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