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お嬢様達のナイトメア その7

 「全く」

 日菜子は、ふくれっ面のまま、校舎へ向け歩いていた。

「お、驚きましたよぉ。殿下」

 アタマのタンコブをさすりさすり、水瀬は小声で抗議した。

「こんなの反則です」

 (あのへしゃげたフライパン、栗須さんのお気に入りだったんだけどなぁ)

 きっと今頃、キッチンで栗須さん、悲鳴を上げているだろう。

 知ぃらないっと。

「何が反則ですか?」

「だって、妹と入れ替わるなんて、今時マンガでも……」

「それはともかく」

 日菜子は振り返って言った。

「私はあくまで春菜です。いいですね?」

「はぁ……」

 

 浮かない返事をしながら、水瀬は日菜子を見つめた。

 確か、春菜殿下が中学2年、二人は1つ違いだったから日菜子殿下は中学3年。

 顔立ちは似ているし、背もそれほど変わらない。

 ウィッグで髪型を似せているし、分厚い胸パットで胸のサイズも誤魔化しているらしいから、黙っていれば春菜で通用するだろう。

 (問題は、ないかなぁ)

「わかったのですか?わからないのですか?」

  日菜子の問いに、水瀬はとりあえず答えた。

 

 

「とりあえず、殿下のアタマがどうかされたらしいことはわかりました」

 

 

 

 (宮内省の要請により削除)

 

 

 

「心配いりません」

 日菜子は断言した。

 タンコブが二つになった水瀬は、泣きながら頷くだけだ。

「春菜から最低限度の情報は引き継いでいます。西九条さんからも協力を取り付けてあります」

「ぐすっ。でも、なぜ、殿下御自ら?」

「気になることがあるからです」

「命じていただければ、我々が」

「水瀬」

 日菜子は水瀬の目を見ながら言った。

「これは、私自身の問題なのかもしれないのです。これも巡り合わせでしょう」

「巡り合わせ?」

「……なんでもありません」

 日菜子は、足を少し早めた。

 

 

 (ふぅっ)

 放課後、水瀬は安堵のため息と一緒に缶ジュースを飲み干した。

 今のところ、バレてはいない。

 日菜子も、心なしか楽しそうだ。

 宮中でみせる厳しい視線がない。

 本当の、ただの女の子として振る舞っている。

 それが、日菜子をとても楽しそうに見せているのだろう。

 

 (不思議な子だ)

 父・由忠が日菜子殿下を評した言葉が思い出される。

 (あの歳であの威厳と配慮。並の子ではない)

 そう思う。

 (あれは、生まれながらの龍の子(りゅうのこ・君主の意)だ)

 そうなんだろう。

 でも、今は、今だけは、ただの女の子として振る舞ってもいいんじゃないか。

 水瀬は、そう思った。

 

 (お前もちっとは見習わんかぁっ!!)

 それはちょっと……。

 

 

「水瀬?」

 気がつくと、日菜子がこっちを見ていた。

「はい?」

「もうっ。何をぼぉっとしているのですか?」

「い、いえ」

「少し、つきあいなさい」

 日菜子は席を立った。

「はい?」

「デートしてあげます」 

 

「本当に困ります」

 日菜子は廊下を歩きながら水瀬に言った。

「春菜の部屋と机。あの子、昔から片づけが出来ない娘でしたけど、寮生活になってから悪化したみたいです。あとで叱っておかないと」

「栗須さんも頑張っているんですけど」

「せめて学校の机の中くらい整頓するよう、私からもきつく―――えっ!?」

 理科室の前、廊下の角まで来た時だ。

 グイッ!

 日菜子は、水瀬の腕を掴むと、とっさに手近の教室に逃げ込んだ。

「?」

 ドアの隙間からこっそり廊下を伺うと、丁度、古典の森村先生が通る所だった。

「殿下?」

「あーっ。びっくりした!あの先生、まだいたなんて!」

 日菜子は胸に手を当てて、呼吸を整えていた。

「苦手、なんですか?」

「あの先生を好きになるなんて、神経がどうかしています!」

「……厳しいけど、いい先生ですよ?」

「私は苦手でした。怖いんですもの」

「ははっ。政財界の海千山千の大物相手に一歩も引かない殿下が、ですか?」

「あの先生は別です」

 日菜子はむきになって言った。

「あの先生は、上辺なんて何も見ません。心の奥深く、本当のことしか見ません。言いません。それが、怖いんです」

「それって、教師として、スゴイってことじゃないですか」

「それはそうですが……」

 

「それはありがとう」

 突然、第三者の言葉が、二人の耳に入った。

 

「!!」

 日菜子は、心臓が止まったような顔でドアの隙間を見た。

 先ほど、通り過ぎたはずの、先生が、いた。

 高い背にしゃんと伸びた背筋。

 銀縁の薄いメガネの奥に光る鋭い視線。

 文字通りの、『教師』がそこにいた。

 

「も、森村先生?」

「あ、あの……」心なしか、日菜子の声が震えている。

 ガラッ。

 ドアが開き、先生が入ってくる。

「―――殿下?何をなさっているのですか?」

 ジロリ。とした鋭い視線が日菜子を射抜いた。

「え、えっと、水瀬さんと少し、お話が」

「……」

 先生の視線だけが水瀬に移る。

「は、はい」

 水瀬も、一応は話しを合わせておいた。

「私が聞いているのは、そんなことではない」

「え?」

「皇位継承のためとはいえ、退学されたあなたが、ここで何をしているのか。そう聞いているんだよ?日菜子殿下?」

 

 1時間後

 “静かな拷問”とでもいうべきだろう、長い説教が終わった。

「よろしい。大目に見よう」

 森村先生は、それだけ言うと、教室から出ていった。

「あのぉ―――殿下?」

 先生に外に出されていた水瀬が恐る恐る教室へ入る。

 日菜子は、机の上に突っ伏していた。

 水瀬は、とりあえず突っついてみようと思ってやめた。

「生きてます?」

「心配は無用です。少し、地獄を見ていただけです」

「すごかったですねぇ。森村先生。「説教ってのはこうやるもんだ」っていう手本をみた気がします」

「今度から、あなたへの説教の参考にさせていただきます」

 日菜子は割り切れない。という顔で水瀬に言った。

「水瀬。仕事です」

「へ?」

「なぜ、森村先生が、私を春菜の偽物とわかったか、調べてきてください。今すぐに!!」

 ビシッ!日菜子が指さす先にはドアがあった。

 

 

 職員室に入った水瀬は、目当ての教師をすぐにみつけられた。

「あのぉ。森村先生」

「……」

 森村先生は、黙って水瀬に椅子を指さした。

「失礼します」

「殿下に、何で私が変装を見破ったか、聞いてこいといわれたんだね?」

「はい」

 その顔を見て、(成る程なぁ)と、水瀬は正直、舌を巻いた。

 服装。

 髪型。

 立ち振る舞い。

 一部の隙もない。

 完璧な教師だ。

 

 (うーん。おひな様がそのまま歳をとったら、こんな感じかなぁ)

 

「全く」

 森村先生。

 本名 森村貴子もりむら・たかこ

 担当は古典。

 教師生活ン十年を誇る、学園の生き字引。

 生徒達の中には、親子揃って担当という娘が少なくないという、まさにベテランだ。

 その彼女が、ため息混じりに言った。

「昔からそう。思いやりはあるし、優しい反面、人使いは荒いし、どこかズレているしで……亡き皇后陛下といい、皇族の娘と来た日にゃ、とんだ御転婆揃いだよ。親子揃ってことある事に説教したものだ。もっと行動に品性と冷静さを持てとね。おかげで、春菜殿下絡みのトラブルなんて、かわくてしかたない」

「殿下どころか、陛下が―――ですか?」

「他言無用」

 しっかり、クギを刺す辺り、やはりソツがない。

「はい」

「よろしい。いいか?私たち教師にとって、生徒はすべて自分の子供だ。子供が少し姿を変えたからといって、わからなくなるようなことはない」

「はぁ……」

「殿下には“あなた程の問題児を見誤ることがあるか?”とだけ伝えなさい」

「あのぉ……」

 水瀬は深刻そうに言った。

「それをダイレクトに伝えると、私、殺されかねないんですけど」

「言いづらいことでも、あえて伝えることが、臣下の勤め。違うか?」

 

「……」

 壁にめり込んだ水瀬を前に、憮然とした表情の日菜子は言った。

「―――わかりました」

「何よりです」

「でも、納得できません。問題児とは何ですか。問題児とは!」

「心当たりは?」

「ありすぎて、どれだかわかりません!」

 

 

 10分ほど後―――

 

 日菜子は、校舎のそばに生えていた野の花を摘むと、ここにやってきた。

「水瀬。少し、一人にさせて下さい」

「は?」

「大丈夫です。私も騎士ですよ?」

「はい」

 水瀬は、その場から離れた。

 

 (あれから2年、ですか)

 

 日菜子が立ったのは、校舎の裏。

 何があるわけではない。

 ただ、白いコンクリートの土台があるだけ。

 しかし、日菜子にとっては、違った。

 

 あの日、ここは赤く染まっていた。

 たった一人、生まれて初めて、自分の力で手に入れた友達の血で―――

 

 日菜子は、そっと花を置き、手を合わせようとした。

 

 そっ。

 

「?」

 

 横から出された手。

 そこには、煙を立ち上らせる線香があった。

「お参りするなら、お線香くらいはもってきなさい」

 森村先生だった。

 

 

 水瀬は、何も聞かされていない。

 何も、知る必要がない。

 主が知っていれば、それで良い。

 それが、臣下だ。

 

 日菜子が泣いていようと、

 それは主のしたいこと。

 臣下が涙の理由を知る必要はない。

 それが、臣下だ。

 

 

 水瀬はただ、今、自分に課せられている任務にだけ集中することにした。

 

 本当にわからない。

 あれからというもの、“ノインテーター”が出てこない。

 シスター・マリアも動きがない。

 日菜子が来ている限り、護衛も寮に詰めるだろう。

 今晩、もう一度、地下を中心に当たるか。

 

 ニャー

「あれ?」

 そんな水瀬の足下にすり寄るのは、一匹の猫だった。

 ニャー

 こんな学園でも野良猫はいるらしい。

「よしよし」

 猫は水瀬に撫でられて喉を鳴らして喜んでいる。

 

 猫は気楽だ。

 

 水瀬は思った。

 

 こんな辛い宮仕えをしなくていい。

 それだけでもお前は幸せだ。と。

 

「いい?人間になるとね?ひどい上司に安い賃金でコキ使われて、大変なんだぞぉ?」

 ニャ?

「ちょっとしたことで叱られて、イジめられて……大変なんだからね?」

 ニャー

「よしよし。お前はわかってくれるのか」

 

 ケダモノ相手に仕事のグチをいうなんて、人としてどうかと思うが、手持ちぶさたの水瀬に出来ることは、その程度だった。

 

「成る程。そんな風に考えていたんですね?」

「へ?」

「安い賃金で、イジめられて……成る程」

 振り返った先には、日菜子がいた。

「で、殿下!?」

「申し訳有りませんね。そんな上司で」

「い、いえ。あの、別に殿下のことでは」

「じゃ、饗庭中将ですね?」

「あ、そ、そうとは……」

「まぁいいです―――あら?」

 日菜子の視線は、水瀬の足下の猫を捉えていた。

「猫?」

 

 フーッ!!

 

 日菜子と視線があった途端だ。

 

 猫は、総毛を逆立て、日菜子に一鳴きすると、そのままどこかへ走り去っていった。

 

「あの猫……」

 

 

 日菜子はただ、走りさる猫を見つめるだけだった。

 

 

 深夜 華雅女子学園 地下

 

 殿下の様子がおかしい。

 

 いや。行動が時々奇抜になるが、今回はそれとは異なる。

 何かがヘンだ。

 それに、殿下は何かをご存じだ。

 しかも、それと今回の件が何らかの形で関係することを知っている。

 

 (今は、待つしかない)

 

 主の口を割らせるようなマネは水瀬には出来ない。

 主が自ら口を開くのを待つだけだ。

 

 猫

 あの場所

 森村先生

 

 それだけ覚えておこう。

 

「さて!」

 水瀬は大きな声で言うと、立ち上がった。

 

 水瀬はの目の前には、大きな扉があった。

 紫音が開いた、あの妖魔のいた部屋。

 

 妖魔が、偶然、迷い込んでいた。

 

 そういうことになっているが、それに水瀬は納得していなかった。

 

 あの妖魔“トロール”は、一つ所にずっといるタイプの妖魔ではない。

 エサを求め、徘徊するタイプ。

 そんなタイプの妖魔があの場所にずっといるなら、その理由は一つだ。

 “命じられていた”から。

 場所も、女子寮の直下。

 位置的にも絶好の場だ。

 

 この部屋には、何かある。

 水瀬は、そうにらんでいた。

 

 霊刃の動作を確認した後、水瀬は扉を開けた。

 ギイッ

 

 扉の向こう。

 

 そこは小さなホールになっていた。

 直径は5メートルほど。

 それほど広くない。

「?」

 気になったのは、奥にある鏡だ。

 魔力の反応はないから、魔鏡ではないだろう。

 近づいてみると、細かい彫刻が施されたオーク材の枠にはまった大きな姿見の鏡だった。

「あれ?」

 鏡の右側の裏に、取っ手がついている。

 水瀬は、その取っ手を引っ張った。

 

 ギイッ

 

 鏡が動き、後ろから通路が出てきた。

 

 つながった。

 

 長く続く通路。

 

 この先に、何かがある。

 

 水瀬は、通路に足を踏み入れた。

 

 

 (成る程)

 水瀬は、むしろ感心したように一人ごちた。

 (こういうオチか)

 水瀬の目の前にあるのは、礼拝堂。

 十字架と、宗教画のかけられた壁に礼拝用のベンチが並ぶだけ。

 むしろこぢんまりとしていて、カソリックの礼拝堂に比べれば小さいし、かなりシンプルだ。

 だが―――

 水瀬の嗅覚は、よどんだ空気の中に魔素と、そして血の臭いをかぎ取っていた。

 (桜井さんの言うとおりだ)

 水瀬はようやく、溜飲が下がる思いだった。

 ランチ&ディナーは、考え方によっては安かったのかもしれない。

 美奈子は言った。

 殺人現場と遺体発見現場はイコールではないと。

 礼拝は、あの礼拝堂で行われていたのではない。

 場所からいっても、むしろこっちの方が納得できる。

 シスター・マリアの礼拝は、ここで行われていたのだ。

 恐らく、薬もまた、ここで作られているんだろう。

 何より、普通科生徒寮の地下ならば、移動時間もかからず、事も隠密に済む。

 全てが、つながる。

 そういうことだ。

「?」

 奥の隅に階段がある。

 

 水瀬は、その階段を登った。

 

 階段を登った先は、小さな踊り場。

 高さは水瀬の身長よりやや低い。

 だが、足の踏み場があるからには、上に通じているはずだ。

「あった」

 天井を探ると、案の定、取っ手があった。

 問題は、これに魔術施錠マジック・ロックがかかっていること。

 (ままよ)

 水瀬は、魔力に物を言わせて魔術施錠を破壊した。

 ガタッ

 小さな音を立てて、鍵が外れ、天井の一部が、内側向きに蝶番につながったまま落ちた。

 (開いたけど……?)

 少し後悔しながら見上げた天井は、光がみえるものの、基本は暗闇。

 光の入り方がヘンだ。

 水瀬は天井の縁に手をかけると、一気に天井を抜け、上へと体を躍らせた。

 

 フニャッ

 

 (?)

 水瀬が驚いたのは、顔がなにか、とても柔らかいモノに触れたからだ。

 白いモノが顔の目の前にある。

 (?)

 水瀬は、これに似た光景に出くわしたことがある。

 (あの時だ)

 思い出した。

 テレポート位置を間違え、綾乃のスカートの中に顔を突っ込んだ時だ。

 つまり―――?

 

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

 絹を裂くような女性の悲鳴があがり、世界がかわった。

 暗闇が、文字通り幕を引くようになくなり、途端に明るい世界が顔を出した。

「あれ?」

 よく見ると、そこも教会だ。

 説教壇の後ろらしい。

 目の前には、顔を赤くしたシスターがいた。

「なっ―――なっ」

 ロザリオを持つ手が震えている。

「あ、シスター……すみません。これは事故で―――」

 どうやら、シスターのダマルティカ(シスターや神父の着るあの服)の中に顔を突っ込んだらしい。

 シスターは、無理はないことだが、水瀬の弁明に耳を貸すつもりはないらしい。

 わなわな震える顔からしてどうやら20代半ば。

 シスター・フォルテシアよりやや年上だろうが、落ち着いた印象を受ける顔立ちは、水瀬の目には彼女より美しい部類に入って見えた。

 そのシスターは、ロザリオを水瀬にかざすなり叫んだ。

「神の御名により命じます!悪魔よ、去りなさい!」

「あ、あのぉ……私、一応、今の扱いは人間なんですけど……」

 

 

 数分後

 水瀬は、シスターに耳をつかまれたまま、懺悔室に連れて行かれていた。

「どういうことですか?」

「地下を調べていたら―――」

 シスターにひっぱられた耳をさすりながら、水瀬は言った。

「地下に大きな地下施設があると聞いて、面白そうだからって、いろいろ調べていたら、ここに通じる階段が」

「地下礼拝堂に入ったのですか!?」

「ご存じなのですか?」

「―――あなた、お名前は?」

「水瀬悠菜です。教養科中等部2年所属」

「―――教養のお嬢様にしては、随分行動力がおありですこと」

 (あれ?)

 水瀬は不思議に思った。

 自分が不審者であることは認めよう。

 だが、教養科の名前を出した途端、シスターの声色が明らかに変わった。

 警戒から、敵対的に、だ。

 シスターは、あからさまに自分を敵視している。

「あの?教養科が何か?」

「質問しているのは私です。お金持ちのご息女様が、こんな辺鄙な教会へ何のご用ですか?」

「あのぉ」

 水瀬は困惑した。

「何か、教養科に怨みでも?」

「神の御前で人は平等です」

「?」

「お金が人の価値ではありません」

「よくわかりますけど……」

「とにかく、あの地下施設は、神聖な場です!例え教養科のお嬢様でも土足で踏み込んでよい所ではありません!」

「問題は、宗派ですか?」

「カソリック、プロテスタント、いずれも立ち入るべき場所ではありません」

「?あの、ちなみにここの宗派は?」

「……」

 シスターは黙って水瀬を見つめるだけだ。

「悪魔崇拝というわけではないでしょう?」水瀬は問い続けた。

「どうして、いえないのですか?」

「……」

「先ほどの非礼はお詫びします。ですが、あなたの振る舞いは、聖職者の態度とは思えません」

 それが響いたのかもしれない。

 シスターは、顔を引きつらせた後、そっぽを向きながら言った。

「―――少なくとも、当教会では、カソリックの方もプロテスタントの方も、平等に受け入れています」

「じゃあ―――あれ?」

 水瀬は奇異を感じて訊ねた。

「プロテスタントも、カソリックも、ですか?それじゃあ、まるで」

「ここは、そういう施設です」

「宗派には中立―――ということですか?」

「ヴァチカンの手先には何もいいません」

「……」

 水瀬が、シスターの胸元に下がる奇妙なロザリオに気づいたのは、その時だった。

 十字架にまとわりつく蛇

 あれは確か―――

「グノーシス派」

「!?」

 水瀬がポツリと呟いた言葉に、シスターの反応が変わった。

「シスターは、グノーシス派メトセラ教団の方ですね?それなら納得が」

 

 グノーシス派メトセラ教団

 ・キリスト教教派の一つ

 ・古代に断絶したグノーシス主義を取り入れた原始キリスト教団の直系を主張する教団で、一説にはテンプル騎士団の母体になったとの説もあるほど歴史的には古い。

 ・グノーシス主義を取り入れた独自の教義を持つため、ローマ・カソリックとの間では対立関係が長く続いたことでも知られる(現在は表面上の和解が成立)

 (民命書房刊 『よくわかるカルトな宗教』(1990)より)

 

「―――ええ。そうです。それが何か?」

「いえ―――あの、知人が、あなたと同じロザリオを持っていますので」

「えっ?」

 シスターの目から警戒の色が消え去った。

「どなた、ですか?」

 シスターは、テーブルから身を乗り出して水瀬に迫った。

「教えてください!どなたが、どなたが持っていらっしゃったのですか?まだ、生きていらっしゃるのですか!?」

 一気呵成にしゃべるその目は、かすかな希望にすがるような光があった。

「い、イーリスさんです。ご存じですか?シスター・イーリス」

「!!」

 シスターは、驚愕の表情を浮かべたまま、崩れるように椅子に腰を落とした。

 

 10分は経過したろうか。

 シスターは、疲れ切った声で言った。

「シスター・イーリスは、まだ生きておられたのですね?」

「ええ。ピンピンしてます」

「東京支部の爆発で、亡くなったものとばかり」

「殺されても死ぬ人じゃないです」

 シスターは、無言で水瀬の頬をつねり上げた。

「いひゃいいひゃい!(訳:痛い痛い!)」

「人様、しかも聖職者に対して何ですかその口の利き方は!」

「ううっ。でもぉ」

「確かに愛想には欠ける方ですが、修行を積まれた徳のあるお方です!」

「そうですかぁ?」

「人望もあり、心のお優しい方で」

「誰のことですかぁ?」

「……」

 シスターの手がまたも水瀬の頬をつねり上げた。

「いひゃいいひゃい!らってらって!(訳:痛い痛い!だってだって!)」

「わかりました。シスター・イーリスのお知り合いでしたら、態度を改めましょう」

 (最初からそうして欲しい)水瀬はそう思ったが、黙っていた。

「申し遅れました。私はシスター・フェリシア。そして、ここはメトセラ教団の、日本で残る唯一の教会です」

「よく、ここ(華雅女子学園)に作れましたね」

「華雅女子学園は、創設当初から我が教団が関与していましたから」

「?」

「無論、己の内面に宿る神こそあがめるべき神とする我らにとって、本来、教会は必要有りません。ですが、活動の拠点は必要ですから。どうですか?お茶でもいれましょう」

 シスターは腰を上げた。

 

 

 華雅女子学園 教会関係者住居

 水瀬が通されたのは、シスターが住居としているコテージのような木造の建物だった。

 外に出てみてわかった。

 場所は普通科寮のすぐ隣。

 寮に隠れるようにして教会はあった。

 長い風雪に耐えたのだろう白いペンキは黄ばみ、あちこちが変色している。

 本当に、どこの町にもありそうな、小さな教会だった。

「あれ?」

 暗闇のせいか、妙にすすけて見えるのが気になった。

 建物も明らかに破損し、簡単に修理されただけの箇所が目立つ。

 老朽化が原因にしては妙だ。

「?」

 

「少しお待ちくださいね?」

 木製の質素なテーブルに本当に簡単な調理器具に、小さな棚があるだけ。

 外見から、どうやら他には数個の部屋があるだけだろう。

 ここは台所兼リビング兼応接といったところか。

「ローマ・カソリックにとって、上辺はどう繕おうが、我らの教団は異端ですから。どうしても警戒してしまいます。非礼は、お許し下さい」

 緑茶を出す時、シスターはそういって水瀬に頭を下げた。

「いえ。それで、イーリスさんと連絡は――」

「シスター・イーリスがご存命でいらっしゃることすら知りませんでした。しかも、あの教団施設爆発事故に乗じて、ローマ・カソリックの異端狩りが始まりましたから……。教団日本支部は壊滅。仲間もほとんどが殺され、かつて10人いたこの教会も―――いいえ、日本支部自体、今では私一人といっても過言ではないでしょう……」

「それで、この教会を守るために、あれほど警戒して」

「幸い、理事長は、この教会を、我が教団を必要としてくれています」

 熱いうちにどうぞ。シスターは、水瀬に茶を勧めた。

「この学園の存在は、日本の上流社会に多大な影響を及ぼします。ですから、ここは、ローマ・カソリックですら、安易な介入は出来ないのです」

「シスター・マリアも、そういう解釈で?」

「シスター・マリアは良い方です」

「?」

「シスター・マリアこそが、ローマ・カソリックの異端狩りからこの教会を守ってくださったのです」

「どういうことですか?介入は出来ないと」

「公には―――です。ローマ・カソリックは、それほど統率のとれた組織ではありません。こと、異端狩りとなると、神の名を借り、己の欲望を満たすためだけに何をしでかすかわからない愚劣な者がはびこるような連中です」

 

 女子高生の肌を見たがるレミントン神父

 

 BL小説にうつつを抜かすシスター・フォルテシア

 

 納得するしか、なかった。

 

「わかります。それ」

「あの日、異端狩りがこの教会にも及びました」

「え?でも、介入できないって」

「それは建前なのです」

 シスターは悲しそうに言った。

「末端の者にとって、ここはあくまで異端の巣窟なのです」

「その襲撃を」

「教会は破壊されかけ、私も、異端の名の下に汚らわしい男共になぶり者にされるところでした。でも、それを魔力で防いでくださったのが、シスター・マリアでした」

「……」

「シスター・マリアが何を望んでいるのかは存じません。地下で何をされているのか、それを私は知りません。知ろうとしないこと、関係を持たないこと。それがシスター・マリアへのせめてものお礼ですから。この教会をお守りいただいたご恩が、それで返せるならば、私は全てに目をつむります」

「それほど、この教会が大切。と?」

「卑怯、愚か、いかなる汚名も甘んじて受け入れましょう。それでも、私は、日々、生徒さんが訪ねてきてくださるこの教会を、守りたいのです」

 シスターは澄み切った眼を、水瀬に向けながら言った。

「生徒さんの、心のよりどころの、この小さな教会を」

「……」

 シスターの眼を、じっと見ていた水瀬は言った。

「わかりました。レミントン神父とシスター・フォルテシアは私が押さえます。イーリスさんとも渡りをつけましょう」

 水瀬は席を立った。

「長居して申し訳有りませんでした。ただ一つ、お願いがあります」

「何ですか?」

「今まで通り、シスター・マリアには関わらないでください。それだけです」

 

 

 

 

 日菜子の独白

 

 

 気がつくと、私は教室にいた。

 ああ。これは夢だと、すぐにわかった。

 ここの所、何度も見た光景だから、すぐにわかった。

 誰もいない放課後の教室。

 窓の外からはにぎやかな声が聞こえてくる。

 懐かしい、あの頃の記憶だ。

「日菜子」

 その声に振り向くと、そこには彼女がいた。

 私の、大切な友達だった娘。

 (―――?)

 声をかけようとするけれど、言葉が出てこない。

 言いたいこと。

 言わなければならないこと。

 伝えたい言葉。

 伝えなければならない言葉。

 たくさん、たくさんの言葉が胸の中に詰まって、息が出来ない。

 辛い。

 苦しい。

 

 

「あのね?私、お見合いするんだ」

 

 

 

 あの日。この子はそう言った。

 信じられなかった。

 理解出来なかった。

 民法まで持ち出して、それがどんなに理不尽かを、私は彼女に説いた。

 私達はまだ中学生だ。

 将来を決めるのは早すぎる。

 

 

 でも―――

 

 

「家の……しきたりなのよ」

 彼女は、小さく、呟くように言った。

「私には、どうしようもないもの」

 私は聞いた。

 相手は?

「わからない。地位とお金はあるんだって」

 好きなの?

「ううん」

 それで、なんでお見合いするの?

「命令だから」

 

 名家の伝統

 しきたり

 私たち女は、道具じゃない。

 そんなもののために生まれてきたんじゃない。

 

「日菜子は、いいよね」

 私の抗議を黙って聞いた後、彼女は言った。

「誰にでも、そんなにはっきり、言えるんだから……私には、無理」

 

 見合いから戻った彼女は、別人になっていた。

 それまでは、物静かな、優しい目をした娘だった。

 それが―――

 

 見合いから戻った彼女は、変わっていた。

 最初、彼女が誰か、一目ではわからなかった。

 それほど、彼女の印象は、変わっていた。

 変わり果てていた。

 

 虚ろな目

 死んだ能面のような顔

 

 生きることに絶望した、生きた屍

 

 そう、成り果てていた。

 

 授業中に倒れた彼女を見舞って保健室に行った時だ。

 ベッドに寝かされた彼女は、ぼんやりと天井を見つめていた。

 いや、何も見ていなかったというべきだろう。

「日菜子は」

 虚ろな目をした彼女は、私に気づいたのか、そう言った。

「男の人に抱きしめられたこと、ある?」

 ……

「キス、されたこと、ある?」

 ……

「あんなこと、されたこと、ある?」

 私の言葉なんていらない。

 彼女は、答えなんて、最初から求めていないのだから。

 

 見合いの席で、見合いに乗じて、彼女が誰に何をされたのか、私は語るまい。

 

「あれが、しきたりなら、命令なら、私、耐えられない」

 彼女を壊したモノが何か。

 私は、それが憎かった。

 

「お詫びは、するよ?」

 

 私にとって、たった一人の友達。

 私を、皇女ではなく、一人の女の子として扱ってくれた、たった一人の存在。

 かけがいのない、友達。

 私の大切な存在を奪った者達が、憎かった。

 

 

 午後の授業中、彼女は、保健室から姿を消した。

 

 今になって思う。

 

 彼女は、天使だったんだ。

 

 誰かが、彼女の翼を奪ったんだ。

 

 だから、

 

 だから彼女は、飛べなかった。

 

 彼女は清らかな世界へ

 

 そこへ戻りたかったんだ。

 

 でも、翼を失った彼女は、飛べなかったんだ。

 

 だから―――

 

 

 警察の制止をはねのけ、私は、そこに立った。

 かつて、友達だった“モノ”を―――見た。

 

 (私ね?髪だけは自慢なんだ)

 そう言っていた艶やかな長い髪も

 (え?別に特に気をつけているわけじゃないよ?キレイ?そうかなぁ)

 あんなに白い、陶器のようだった肌も

 (赤は嫌いなの)

 嫌いな色に染まっていた。

 校舎裏のコンクリートの上で

 彼女は赤く染まった姿で発見された。

 

 ―――ああ。ここだ。

 いつの間にか、私はその場所に立っていた。

 あの日、私は確かに見た。

 足下に転がる、変わり果てた彼女の亡骸を。

 私の友だったモノを―――

 

「日菜子」

 彼女は、私の横に立っていた。

 気のせいか、泣きそうな顔をしていた。

 言葉はまだ出ない。

 何故だろう。

「私ね?私―――」

 

 言いたいことがあるなら教えて欲しい。

 

 あなたの見合い相手の一族、あなたの一族、全てを抹殺したのは私だ。

 

 それが気に入らないなら、言って欲しい。

 

 どうすれば良かったのか。

 

「……」

 違うの?

 何が、いいたいの?

 言っていいのよ?

 私たちが、今でも友達なら、教えてよ。

 

「……日菜子」

 のばされた彼女の手が、私に触れた。

 

 チクリ

 

 彼女の心が流れ込んでくる。

 痛みが、心に流れ込んでくる。

 

「お願い」

 

 彼女は、苦しんでいる。

 でも、どうしていいのか、それがわからない。

 もどかしさに気が狂いそうだ。

 

「助けて」

 

 ―――え?

 

「私を、ここから解放して」

 

 景色が一変した。

 真っ暗な世界。

 そこは―――

 

「―――はっ!?」

 気がつくと、ベッドの上だった。

 カーテンの向こうから柔らかい木漏れ日が差してくる。

 時計を見ると、まだ5時だ。

 あんな夢を見たせいだろう。

 汗で寝間着が濡れて気持ち悪い。

 

 彼女は、何を望んでいるのだろう。

 私に恨みがあるわけではないらしい。

 何だろう。

 何を、伝えたいのだろう。

 

 しかも―――

 この夢の最後はいつも、あの光景だ。

 あの暗闇に存在したアレは―――

 ブルッ

 汗を吸った寝間着のせいか、それともその光景を思い出したせいか、背筋が寒くなった。

 私は寝間着を脱ぐと、シャワーを浴びるために部屋を出た。

 

「あ、おはようございます」

 水瀬がいた。

 朝食の準備をしていた。

 

 おはようございます。

 

「お召し物、用意しますね?」

 

 頼みます。

 

「その格好では、お風邪を召されますよ?」

 

 そうですね。

 

 ―――え?

 

 悪い癖だとは思っている。

 宮中の私室は、寝室の横にシャワールームがある。

 あの感覚でドアを開けたのは私だ。

 だが

 それでも

 それでも、だ。

 

 私だって年頃だ。

 

 年頃の娘の一糸纏わぬ姿を見て「お風邪を召しますよ?」の一言で斬り捨てるとは何事か!?

 水瀬!

 シャワーを浴びたら、覚悟しておきなさい!

「で、殿下!?」

 水瀬が背後でわめいている。

「ぼ、僕、何かしましたか!?」

 無知は罪だと、何度も言っているのに。

 私は、それを無視するように浴室のドアを閉めた。

 水瀬の処刑方法を考えつつ。

 

 

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