お嬢様達のナイトメア その6
「!!」
目の前に迫る“そいつ”の爪。
逃げることは出来ない。
せいぜい、二人に出来ることといえば、
どうか、苦しまずに死ねますように。
どうか、天国に行けますように。
お祈りする程度だ。
だが―――
ザンッ!!
鈍い音
グウォォォォォォッ!!
“そいつ”の絶叫
そして
沈黙。
「……」
「……」
互いをかばうように抱き合っていた二人は、恐る恐る瞼を開ける。
生きている。
「?」
二人の前に立つのは、メイド服をまとう女の子。
その手には、霊刃が握られている。
「大丈夫ですか?」
水瀬だった。
「水瀬!」
「すみません。遅くなりました」
「い、いいえ。よく来てくれました」
「A棟の廊下の崩れた跡から追ってきました。敵の存在はかなり前から把握していたのですが、殿下達を巻き込むおそれが高くて――」
「水瀬?」
春菜は、その一言にひっかかったので、あえて水瀬に訊ねた。
「水瀬は、私たちがここにいることを、どの辺りでわかったのですか?」
「えっと―――」
水瀬は、ちらりと春菜のスカートを見た後で言った。
「クマちゃんプリントとほぼ同時かな―――と」
クマちゃんプリント
つまり、紫音がめくり上げた春菜のスカートの中身を、水瀬は見ていた。ということになる。
「―――!!」
春菜の顔が途端に赤くなったが、水瀬はその原因がわからない。
「あ、あの、殿下?」
「遅いです!減俸です!」
春菜は怒鳴った。
「この仕事、タダ働きです!」
「ええっ!?」
「私たちをこんなに怖い目にあわせたんですから、当然ですっ!」
「そ、そんなぁ……」
「イヤなら銃殺です!銀の弾丸でグリグリしちゃいます!!」
「もっとイヤですぅ……」
「今までどこにいたんですか!?」
「A棟中心に捜索していました。校舎群を外れてこんな所にまで来ているなんて、気づかなかったもので……」
「え?」
春菜と紫音は互いに顔を見合った。
「み、水瀬さん?私たちは、A棟の地下にいたのではないの?」
「水瀬?ここ、どこですか?」
「減俸、解除してくれたら教えてあげます」
「―――いいでしょう」
「本当ですか!?」
水瀬が涙混じりに春菜に迫る。
「や、やむをえません。あなたにおヘソを曲げられると、いろいろ困りそうですから」
「A棟から南南東へ約2キロ。普通科生徒寮のほぼ真下です」
「―――」
翌日 華雅女子学園 教室
「はぁっ」
シャーペンを置いた春菜の口から深いため息が出た。
やっとお昼だ。
昨日のことがあったせいで、授業に全然集中できない。
「何言ってるの。いつものことでしょう?」
紫音は呆れたように言うが、そんなことはないはずだ。
「夜なべして宿題していたんです」
「私だって同じよ?それに、宿題を水瀬さんにやらせて、その横でグーグー寝ていたって聞いたわよ?」
「ち、違います!誰がそんなデマを!?」
「栗須さん」
「……」
返す言葉がない。
「で?水瀬さんは?」
「あら?そういえば」
水瀬の姿が、教室にはなかった。
華雅女子学園 職員会議室
「地下にこれほどの施設があったとは」
会議室に居合わせた職員から驚きの言葉が漏れる。
ホワイトボードに張り出されているのは、近衛軍の軍事衛星から撮影された学園地下の透視画像だ。
旧校舎群を取り囲むように螺旋状の通路の存在がこれで明らかになった。
「全長25キロの螺旋状迷宮。本当にご存じなかったのですか?」
「校舎群における地下施設といえば、各校舎に存在する地下室のみというのが、我々の認識でした」
「―――」
「き、旧校舎群は理由あって閉鎖されて以来、最低限度のメンテナンスを施す程度で、基本的に放棄されています。当然、このような地下施設を建造することなんて考えも」
樟葉の眼光に押された教頭は、とどろもしどろもになって答えた。
「す、少なくとも私は知りませんでしたよ?」
「旧校舎群、何故放棄を?」
「―――学校の名誉に関わることです。部外者へ申し上げることは出来ません」
校長は樟葉の質問を斬り捨てた。
「校長」
樟葉も負けてはいない。
「お立場上、その返答は無理なきものと考えます。しかし、この昨日のような妖魔騒ぎを、皇族を巻き込んで引き起こしておきながら、その様な態度を、我ら近衛になされるということが、どういうことか、おわかりでしょうな」
校長は鼻で笑ってやり返した。
「華雅女子学園は代々の皇族方をはじめ、現在においても、やんごとなき身分のお歴々のご息女の皆様方をお預かりしております。華雅女子学園の名誉に傷をつけることは、すなわち、そういう方々の名誉と経歴に傷をつけることになることを、お忘れなきよう」
単語一つが刃となって交わされる会話。
にらみ合う樟葉と校長の間で火花が散るイメージが見えた。
翻訳すると―――
(うっせーよババァ!)
(ふん。小娘が)
となるんだろう。
少なくとも、水瀬はそう思った。
近衛から派遣された数名の騎士と、なぜかいる水瀬は、他の教職員と共にひとかたまりになって、二人の睨み合いを見守っていた。
(おい。水瀬君、なんとか出来ないか?)
(同族嫌悪でしょうか。教頭?)
(ああ。あれは間違いなく、同類だ)
(樟葉さん。結婚遅そうですしねぇ)
(いや、絶望的だ、ありゃぁ)
(校長も、なんだかんだで婚期逃してここまで来たわけだから)
(樟葉さん、自分の未来を見るようでイヤなんでしょうかねぇ)
(それ、間違いないと思うよ)
「水瀬!」
「教頭!」
「はい!」(×2)
「私は教育に魂を捧げた身です!」
「私ゃねぇ、近衛の任務が全てなんだよ!」
それはそれで立派な理由だが―――
(いやだねぇ)
周囲は固まってこそこそと話していた。
(自分が嫁き遅れた理由を仕事のせいにしているよ)
(オールドミスの典型的な言い逃れですからねぇ)
(娘がああなら親は泣くぜ)
(オンナとして、ああはなりたくないですね)
その直後
「?」
会議室の入り口で警護に当たっていたメイド達の耳に、空間を揺るがすという理解できないレベルの罵声が、二つ重なって届いたという。
放課後 華雅女子学園 図書館
会議室から逃げ出し、栗須と共に宮中の晩餐会に出席する春菜を送り出した後、水瀬は、春菜に頼まれた本を探しに図書館へ入った。
目当ての本はすぐに入手できたので、水瀬は自分でも本を探すことにした。
春菜の用事ということで、メイドの仕事は今日はない。
久しぶりに自分の時間が持てたことに、水瀬はうれしさを感じていた。
「えっと―――」
水瀬は興味のある本を次々と手にしていった。
「『オールドミスにつけるクスリ』……『気まぐれな上司の心理分析』……『嫉妬深い彼女から身を守る100の方法』……はぁっ」
気になるタイトルだけで、なんだか惨めになった水瀬は、すべての本を棚に戻した。
「もう少し、健全な本は読めないのかね」
その一言を投げかけてきたのは、レミントン神父だ。
「あれ?神父も読書ですか?」
「書は人を導くよ」
神父の持つ本のタイトルは『人妻の告白 恵まれぬ新婚生活』だった。
「神父、何を読んでるんですか?」
「神に仕える我らだ。見聞を広げておくことに何の問題があろうか」
「というか、なんでこんな本がここに?」
「だから言ったろう?見聞を広げるためにだ。見ろ」
神父が指さす先には、目の色を変えて書棚に張り付く女子生徒達、その中にはシスター・フォルテシアの姿もあった。
水瀬は、あえて見ないフリを決め込んだ。
「なんでも、少年愛について書かれた小説を集めた棚だそうだ」
「なんだか、お尻が痛くなりそうな棚ですね」
「少年を愛でる風習に洋の東西がないことは、嬉しい限りではないか」
「嘆かわしい。の間違いじゃなくて?」
「少年は神が使わした美の化身だ!それを愛でることは、神の意志に沿うことであり―」
同性愛は御法度だったはずだか?と疑問に思いつつも、水瀬は神父を止めることにした。
「はいはい。わかりました。知り合いにもそういう趣味の人いますし。それで?何か収穫、ありました?」
「ああ。一人、保護したよ。話を聞いてみるか?」
神父の後ろから出てきたのは、普通科の制服を着た、大人しそうな女の子だった。
「何。ヴァチカンが手塩にかけた護符がこの子を守っている。何より、ヴァチカンがこの子を保護すると、シスターマリアの目の前で言い切ってある。もうかつには手が出せないよ」
「は、はじめまして……」
東京都千代田区 宮中 晩餐会が終わった後の控え室。
暖炉を囲む形で4人の女性が、豪華な椅子に座っている。
ドレスを身にまとった春菜と、その横には、軍服姿の樟葉がいた。
「―――というわけです」
春菜は、昨晩の出来事を多少の脚色を加えながら、目の前の女性に報告し終わった所だ。
(あれ?)
話し相手が笑っていない。
むしろ、怒っている。
何故?
「饗庭中将」
その中の一人。
春菜とそれほど歳が離れていないだろう着物姿の少女が口を開いた。
長い艶やかな髪をヘアバンドでまとめた物静かな、気品を感じさせる少女だ。
華やかさを感じる春菜とは違った意味で美しい少女だった。
だが、その少女から発せられるのは、厳しい口調だった。
「水瀬を斬首に」
「はっ?」
言われたのは樟葉だが、突然の命令に、目が点になっていた。
「ね、姉様!?」
春菜が、血相を変えて椅子から立ち上がった。
「そ、それはあまりにも極端過ぎる気が――」
「何を言うのですか?」
その少女は言った。
春菜はその視線だけで縮み上がる。
「よく考えなさい。春菜」
「はぁ」
「主君のスカートの中を見るなぞ、臣下としてあってはならない振る舞いです。これでもまだ温情あふれる判断です。まして―――み、見合いなんて!!」
カップを握る手が怒りで震えている。
「まぁまぁ。二人とも」
そう言って止めに入ったのは、三人の中では一番年上だろう、春菜と同じドレスをまとった妙齢の女性だった。
短くまとめられた髪に整った顔立ちは、強い母性と共に、意志の強さを感じさせる。
そんな女性だ。
「麗菜姉様?」
居合わせた全員の視線が女性に注がれる。
第一皇女麗菜内親王殿下だ。
「日菜子はね?水瀬が、他の女の子の下着を見たから面白くないのよ。そうでしょう?日菜子」
「違います」
“日菜子”と呼ばれた少女は、ぶすっとした顔でカップに手を伸ばした。
「あら?お気に召さなかったのは、お見合いの方かしら?それとも、またまたまたライバルが出現したことに怒っているの?」
「―――水瀬は、女性にだらしないのです。その魔の手が春菜にまで伸びたから、上意討ちを喰らわせようという、主君として当然の判断を―――」
「ね?」
麗菜は面白そうに言った。
「日菜子がプライベートでこんな難しいセリフ使う時って、大体が面白くないことがあった時だもの」
「違います!」
「この前の「狐事件」だって、水瀬と風間中尉の関係を知った途端、2時間もワケわかんない演説した挙げ句、水瀬に火あぶりにしようとしたでしょう?」
「あれは近衛の規律を維持するための当然の処置です」
「演説の途中からなんて、グチでしかなかったわよ?」
「気のせいです。私は皇女として、近衛をまとめる者として」
「近衛をまとめるのは、第一皇女のワタシの仕事」
麗菜はマジメな顔で言った。
「近衛軍総司令官はこの私、麗菜元帥のお仕事です。いくら私が譲ったからとはいえ、次期皇位継承権者だからといって、人の仕事、勝手に取り上げないで頂戴」
「そ、それでも―――」
「そんなこと言っている事自体が、もうグチだっていってるの」
「そんなことありません」
「私にあなたがわからないとでも思って?」
「私は私です」
「あなたのオシメ取り替えてあげたこともあるのよ?私」
「それとこれとどう?」
「過去を知る者が、物事を一番よく知る者だってこと」
「と、とにかく」
旗色が悪くなった日菜子は、カップを置くと、頬を赤くしたまま言った。
麗菜は、歳が離れていることもあって、日菜子と春菜にとっては、姉というより母に近い。
亡き母に諭されているようで、さすがに日菜子も強くは出られないのだ。
その彼女が、母親を演じ始めた所が、日菜子の負けの始まりだ。
だから、こういう時は、話題をそらせるに限る。
「饗庭中将。華雅でそのような問題が起きているのは看過できません。必要なら対応を」
「はっ」
「でも、たかが吸血鬼よ?」
麗菜は不思議そうに言った。
「万が一、ということもあります。それに、気になることもありますし……」
「あのぉ……吸血鬼に“たかが”って」
春菜のツッコミに、麗菜も日菜子も、きょとんとした顔で言い返した。
「あそこじゃ、日常茶飯事よ?その程度」
「そうですよ?私が在学中も―――暗殺者やバジリスク、式神に死霊、生き霊もありましたね。そのテの事件は当たり前でしたよ?」
「私の時は屍鬼の群れが襲ってきたこともあったわね。修学旅行の時はテロリストとセイレーンの群れに同時に襲われたっけ。懐かしいわぁ」
「―――あの、それをご存じで、妹を、そんな所へ?」
「皇族たる者、あの程度でへこたれてはなりません」
「何事も経験よ?」
「もしもし?」
「あの、日菜子殿下?」
樟葉がまさかという顔で言った。
ちなみに樟葉は麗菜と同級生だ。
「“アレ”(注:水瀬のこと)を送り出されたのも、その辺りが理由ですか?」
「そうです」
何を当たり前のことを。という顔で日菜子は言った。
「最近、単なる殲滅戦ばかりでしたから、少しはアタマを使って難題を解決することも経験させておかなければ、ただでさえ鈍感……いえ。悪いアタマがもっと悪くなります。そういうことです」
どういうことだ。と、樟葉はツッコミたかったが、主君がこういえば、それはそういうことになる。それが宮仕えのルールなのだ。
ただ……
「殿下、あの……“アレ”の作戦行動を指導する者として、心からのお願いが」
「なんです?」
「作戦報告書は、きちんと精査願います」
敵をいぶりだし、殲滅戦に持ち込むのに、どれほどの配慮と準備と努力を水瀬が常に払っているか。
それを主君である日菜子が理解していなければ、水瀬の立場はない。
この日、樟葉は久しぶりに水瀬に同情的になっていた。
それに対する日菜子の反応は冷淡だった。
「読んでいますよ?」
「本当ですか?」
「承認印を押すページだけは」
日菜子内親王
第二皇女。
皇位継承権第一位。
皇室典範に定められた成人の年をもって皇位に就く女性。
次期皇位継承権第一位にして近衛兵団の実質的所有者。
つまり、皇室のトップからのありがたいお言葉だった。
華雅女子学園 教員宿舎
「クシャンッ!!」
「水瀬君、大丈夫かね?さっきからクシャミの連発だが」
「だ、誰かウワサしているのかもしれません」
「その数では、ロクな評価は受けていないようだな」
その通りだろう。と、水瀬はため息混じりに椅子に座り直した。
「神父。ここ、片づけましょうか?」
その部屋は12畳はあるはずだ。
だが、壁の大きな本棚とベッド、そして床に散乱する本やゴミのせいで、4人がテーブルに向かうだけで足の踏み場もない。
「この方が落ち着くのだよ。自然の流れだ」
シスター・フォルテシアは慣れているのか、椅子に腰を下ろしたまま、BL小説を読みふけっている。
「それで?この子についてですが」
どうにでもなれ。と、覚悟した水瀬の目の前には、図書館で紹介された普通科の生徒がいた。
どこにでもいそうな十人前の顔立ち。
ありがちなおさげ。
せいぜいが、そばかす位しか気にならない、本当に目立たないタイプの子だ。
それでも、
(笑ったらカワイイだろうなぁ)
と、水瀬は思った。
「仮名で美野君としておくか」
「仮名?」
「実名を知られることで呪われても困る」
「成る程」
「シスター・フォルテシア。シスター・マリアは?」
「寝室でお休み―――といいたいのですが、この宿舎にはいません」
シスターは本から目を離さないで短く答えた。
BL小説に熱中するあまりに血走った目、ゆるんだ口元……見てくれは彼女の方が圧倒的に美人だが、水瀬にいわせると、美野の方が何倍も、人として魅力的に見えた。
「ということは礼拝堂か」
「!!」
美野と呼ばれた少女は、神父の一言にビクッと身を固くした。
「美野さん。どういうことか、話してください」
水瀬はそう促した。
「いや。私が話そう」
レミントン神父は、美野の顔を見た後、続けた。
「美野君。もし、間違っているならその都度、言ってくれ」
美野は黙って頷くだけだ。
「美野君は、大手電機メーカーの重役のご令嬢でな。親の薦めでこの学園に入ってきた普通科の生徒だ。宗派はカソリック。彼女については、ここまで知っていれば十分だ。さて。普通科では、ここ数年、ある伝説がささやかれていてな」
「伝説?」
「そう。深夜のミサに9回、参加することが出来れば、願い事がかなう。とな」
「……」
美野は心の底から後悔している様子だ。
「美野君もミサに参加することにした。まぁ。理由は年頃の女の子としてありがちな願い事を叶えてもらうため。としておこう。
さて。ミサの参加方法だが、美野君によると、普通科校舎横のモミの木のくぼみに名前の入った紙を入れておくと、夢の中に“案内人”が来る。そして、彼らの指示に従うだけで良いそうだ」
「夢の中で?案内人?」
「ああ。馬車に乗った案内人がな」
「神父は、それをどのように?」
「何らかの方法で催眠状態においやり、ミサに参加させているのだろうと考えている」
「移動方法は?」
「あの地下回廊に他なるまい?」
「よくご存じですね」
「金だよ。汚物共は、黄金を積んでやればなんでもする」
神父は吐き捨てるように言った後、十字を切って小さく祈った。
「主よ。我らを貪欲の罪より守り賜え」
「……」
水瀬は思った。
(ああ。このヒト。女にはだらしないけど、それ以外には厳しいヒトなんだな)
ふと、金にうるさい両親の顔を思い浮かべてため息が出た。
(僕、キリスト教に改宗しようかなぁ)
「とにかく、最初のミサに参加した美野君だが、朝、目を覚ました後、二つのことに気づいた」
「二つのこと?」
「ああ。一つは、枕元に置かれたこれだ」
神父が取り出したのは、紙に包まれた白い錠剤。
「“ノインテーター”だろう?」
「恐らく―――美野さんは飲まなかったんですね?」
「噂に聞いた願い事が叶う薬だと思ったが、怖くて飲めなかったそうだ」
「賢明でしたね」
「それよりも、この娘にとってむしろ深刻なのは―――美野君」
「……はい」
美野は、制服のホックに手をかけた。
途端に、シスターフォルテシアが神父の目を塞ぐ。
「な、何をする!シスター!これは神父として見ておくべき――」
「主よ。この哀れなるエロオヤジを、淫乱の罪より守り賜え」
「言うに事欠いて何という祈りをするか!」
「本当の事じゃないですか!」
神父とシスターがバタバタやる中を無視した水瀬は、美野の肩胛骨のあたりに不思議な印が刻まれていることに気づいた。
大きさは1センチ程度と小さい。
「これは?」
「我々は九星の印だと見ている」
「九星の印?」
『九星の印
九曜の印とも。
かつて焚書対象にされた中世の魔導書『不死なる者の祭典』の中に記されていた悪魔の印。
原型はインドの仏教圏のロスト魔術。
キリスト教圏では、死を司る悪魔との契約の証。この印をつけられた者は、悪魔の僕として生きたまま屍となり、永遠に悪魔の僕となる。と言われる』
民命書房刊『3日で出来る呪いの基礎入門編 チャート式傾向と対策』(荒縄博・1997)
「ふうん」
そっと撫でると、確かに強い魔素の反応が出る。
焼き印や入れ墨ではない。
「魔素で刻まれた刻印かぁ」
「こすっても消えないんです」
美野は泣きそうになりながら言った。
「こんなの、お父様やお母様に知られたら……」
「入れ墨と違って、皮膚移植しても無意味だよねぇ」
「シスター・フォルテシアの解呪も効かないのだ」
「解呪は、力勝負ですからね」
「ところで、水瀬君。美野君の肌に触れているのかね?」
「いけませんか?」
「ううっ。ち、ちょっとでいいから、私にも触らせてくれないか?」
「神父!」
シスター・フォルテシアの罵声が飛び、美野は怖がって胸元を閉じた。
「こ、これはワイセツな意味ではなく――」
「ヴァチカンに報告しますよ?経費であんなアヤしいお店ハシゴしたことも含めて!」
「な、ぬ、濡れ衣だ!」
「アキハバラのいかがわしい喫茶店に入り浸っていたクセに!」
「あれはメヤード枢機卿からのたっての希望だ!次のコンクラーベの会場として、あの地のメイド喫茶がふさわしいというお考えなのだ。だが、他の枢機卿は、敬虔なカソリック教徒である以上、シスター喫茶こそ適格だとおっしゃり、今、ヴァチカンはそのことで収拾がつかない事態なのだ!」
「とりあえず、中枢のアタマがどうかしていることはわかりました!」
「あの―――」美野は救いを求めるように水瀬を見た。
「とりあえず無視して。それより」
ポウッ
水瀬は指先に魔力を集中させると、印の上で魔力を発動させた。
対呪解除の魔法だ。
呪いと解呪の戦い。
力が弱い方が負ける。
そして―――
「へえ?人間にしてはかなり強いなぁ」
「―――さすがに、君の方が上手だったということか」
神父はシスター・フォルテシアの指の隙間からその光景を目にした。
印は消えていた。
「さて。問題は」
水瀬は神父に向き直って言った。
「印を消されたことで、シスター・マリアがどう動くか、ですね」
「動くかな?」
「動きますよ」
「どう?」
「こう」
水瀬が少し体をずらせたところを、鋭いナイフの一撃が襲った。
「遅いよ」
ガシッ
それを逃す水瀬ではない。
ナイフを掴む腕を片手で押さえ、魔法を発動させた。
「!!」
ナイフを持つ腕は、魔法の力でのけぞると、そのまま崩れ落ちた。
「“電撃”の魔法か?」
「ええ。スタンガン代わりに重宝しています」
神父の言葉に軽く応えた水瀬が振り向いた先には、気絶している美野の姿があった。
「―――しかし。印は消えていたぞ?」
「他にも手を打っているということですね。きっと。シスター・マリアがこの子を泳がせていたのも、僕たちから情報を聞き出すため。つまり」
「我々は、シスター・マリアの掌で踊っている。そう言いたいのか?」
「そうです。ところで神父。サバトに出る魔女は、どこに証をつけられたでしょうか」
「それは―――待て!」
神父は机の引き出しをかき回すと、カメラを取り出した。
「それは神父として私が確認しよう!さぁ二人とも!部屋を出なさい!」
水瀬とシスター・フォルテシアは目配せすると、互いに頷き、神父を外へ放りだした。
廊下ではなく、窓からだ。
ちなみに3階。下は池になっている。
「―――これは」
シスター・フォルテシアも驚きを隠せない。
「わかります?」
「『人形』にされているのね?この子」
「あのミサに出た子全員が、この魔法をかけられたと思った方がいいですね」
「でも、神父はヴァチカンがこの子を保護していることをシスター・マリアの前で宣言したのよ?それなのに、なぜ」
「―――ヴァチカンを畏れず。ということですね」
「神を畏れず?なんて罪深い!大体、シスター・マリアは、この子達を乗っ取って何をするつもりなの?」
「自分の手先にしようとした。目的は不明です。ただ。多分、これで8人の犠牲者の意味もわかりましたよ」
「意味?」
「シスターなら、わかるでしょう?呪いにも適正・不適正があるってこと」
「ええ。呪いに生まれつきかかりやすい。かかりにくいって」
「8人は、生まれつきかかりにくかった。だから不適正な存在として」
「し、処分されたと?」
「そういうことです」
「……神よ。我ら罪深き人を許したまえ」
ロザリオを手に祈るシスター・フォルテシオを横に、水瀬は視線を美野の内股に向けた。
無垢な肌に刻まれた印。
それは、対象者のすべての人格を奪い、意のままに行使する『絶対服従』の印だった。
『絶対服従
別名「人形化の魔法」「家畜化の魔法」
・一種の強制魔法の総称。呪符魔術。国際法規定禁止魔法。
・これを受けた者から理性を奪い、施術者の絶対的な服従下に置く、忌み嫌われた魔法。
・ローマ法王や天皇など『君臨する者』の力を参考に開発され、施術者はその力に近い力を発揮できる。
・『君臨する者』の力との違いは、殺傷力を伴う強制力と、呪符や入れ墨という、施術にかかる手間の有無。
・歴史上、何人もの専制君主が民衆に強制的に施したことでも知られ、数多くの悲劇を生みだした、魔法に対する大衆の憎悪の根拠にもなっている。
・あまりに残酷なため、国際的には1885年のベルリン魔法人権条約により使用が禁止されている。
・数年前に日本国内の某企業が従業員に施術していた事実が判明し、国内だけでなく、世界的な社会問題化したことは記憶に新しく、人権問題として取り上げられる事が多い』
民命書房刊『これを使ったら犯罪者 よくわかる呪い Q&A集』(恨みの主婦連合編)
深夜 華雅女子学園 地下
神父達と別れた水瀬は、地下に戻っていた。
シスター・マリアが生徒達を、地下の通路を使って移動させているとすれば、そのルートがあるはずだ。
だが、わかっている限り、その通路がない。
旧校舎群を中心に螺旋を描く形で掘られた通路と、その支道とおぼしき細い地下道が数本、確認されているだけだ。
それが、水瀬は気になっていた。
(おかしい)
水瀬は、学校の地図を広げると、どこからか黒板を取り出して疑問点を書き込んでみた。
【前提条件】
・現在の礼拝堂は、教養科生徒の学ぶ校舎(本校舎)の側に建てられている。
・一般生徒の学ぶ校舎(新校舎)からは、徒歩で約30分。
・ミサの開催時間は22時から23時と推定される。
【前提条件から浮かぶ疑問その1】
移動手段は?
【疑問に対する解答】
・通常、生徒はトラム(路面電車)で校内を移動する。
・新校舎前から礼拝堂前までのトラムによる所用時間は約10分。
・ただし、トラムの新校舎方面向け最終便は21時丁度。
・しかも、寮の門限も21時丁度。
・門限に間に合わなければ、下手すれば退寮=退学処分。
つまり、時間的にあわない。
ミサの時間、生徒達は部屋にいなければならないのだ。
もし、ミサに参加する生徒が多数、抜け出していれば、それだけで大問題になっているはずだし……。
やっぱり、深夜のミサは、どうやっても普通科の生徒は参加することが出来ない。
あれ?
まてよ?
【新・疑問その1】
・トラムではなく、地下通路を使用した場合はミサへの参加は可能か?
【新・疑問その1への解答】
・否定。
・理由1 礼拝堂へ通じる地下通路は確認されていない。
・理由2 地下通路が存在する場合、神父がそれを知らないはずがない。
・理由3 頻繁に開催されるミサに、神父が遭遇していない。
うーん。
やっぱり無理だ。
【仮定】
Q:以上を総合した上で、どうやったら生徒はミサに参加出来るのか?
A:以下の前提条件が満たされている場合のみ可能。
前提条件1 生徒達が、直接礼拝堂へ、誰にも気づかれずに行くことが出来ること。
前提条件2 移動の一切が門限に抵触しないこと。
前提条件3 ミサが神父達が介入できない場所で行われていること。
……。
「はぁ」
水瀬はため息をつくと、肩を落とした。
つまり、あの礼拝堂でミサは開けない。
門限がネックになるからだ。
あの晩のミサは、きっと、シスター・マリアが説教の練習をしていたのを、ミサが開かれていると誤認したのだろう。
……いや。
それも違う。
あの晩、シスター・マリアは言っていた。
『生徒さんが一人、悩みがあるとのことでしたので、懺悔室で相談に乗ってあげていましたの』
あの時は0時を回っていた。
(やっぱり、僕は何かを見落としている)
10分後
(やっぱりダメだ)
水瀬は床に大の字にひっくり返って根をあげた。
(こういうの、得意な人がいれば心強いんだけど……)
むくっ。
水瀬は途端に起きあがった。
いた。
そうだ。
彼女に頼もう。
桜井邸美奈子の部屋
「へえ?」
『あくまで仮定の話だけどね?これ、どう考えたらいいかなって』
水瀬が助けを求めたのは、美奈子だった。
推理小説が好きという美奈子の知恵を借りようと言うのだ。
無論、女子校に潜入していることは、絶対に知られては困る。
水瀬は随分と話をぼやかして美奈子に話していた。
「つまり」
電話の前で、美奈子は考えながら言った。
「使われていなければならない「はず」の施設と、そこにいなければならない「はず」の人達をつなぐ線がどうしてもつながらないってことね?」
それでも、美奈子は水瀬の求める所を理解していた。
『そう。施設が使われているはずの時間は、同時に、使うべきはずの人達が、他のある場所にいなければならない時間でもあるのね?』
「水瀬君」
美奈子は言った。
「そのね?情報が足りないからわかんないけど、その施設でなければ、「それ」は出来ないの?」
『え?う、ううん?でも』
「水瀬君は、「その施設」が使われていたという前提で話を進めている。だけど、その施設が「本当に」使われていたという証拠があるの?」
『えっと……?』
「つまり、「その施設」じゃなくて、「他の施設」が使われているんじゃないかってこと」
『え?』
「水瀬君。前提条件に振り回されないで。その前提条件は、水瀬君をミスリードさせるために準備された、所詮は誤情報にすぎないわ」
『桜井さんは、「他の施設」で、事が行われていたといいたいの?』
「推理小説ではよくある手よ」
美奈子は言った。
「死体発見現場と殺害現場は必ずしもイコールじゃないわ。そういうこと」
『そっかぁありがとう。桜井さん。周辺の建物とか、探してみるよ』
「そう。よかったわね」
『うん』
「じゃあ。少し、私にもつきあってもらえる?」
『え?』
「学校、サボりまくっていることだし。ひさしぶりにお説教してあ・げ・る」
美奈子の声は、口調こそ軽やかだが、ものすごい怒りに満ちあふれていた。
その晩、水瀬は携帯電話のバッテリーが切れるまで説教を受け続けたという。
翌日 白銀寮
朝5時30分。
水瀬は春菜の部屋――正確には別室に備え付けられたキッチンへ向かった。
向かうしかなかったからだ。
美奈子に要求された代金(高級ホテルでのランチ&ディナー20回分)を考えると、ものすごく気が重いが、今は働くしかない。
それもある。
だが、最大の理由―――
それは、スカートめくりの罰として、栗須自身から、春菜の身の回りの世話を手伝うことを言い渡されているからだ。
「断ったら、オムコさんにもオヨメさんにもいけない体にしてあげます」
その言葉を聞いた水瀬は、本能レベルで逆らうことの無意味さを悟ったという。
「メイドの仕事ですから、しっかり栗須さんから教わりなさい」
女中頭はそう言って助けてくれない。
むしろ、いい機会だとしか思ってくれていない。
はっきり栗須は人使いはかなり荒い。いや、荒すぎる。
彼女ほどの完璧に近い才媛が、自分が出来ることは他人も出来て当たり前だと、本気で思っているせいだ。
謙虚すぎるのもかんがえものだと思う水瀬が一回で女中頭にヘルプを求めたのは、そういう理由だ。
だが、それが通用するほど、世の中は甘くない。
(今朝のメニューは―――パンでしょ?半熟ゆで卵と……)
ガチャ
準備するメニューを思い浮かべながら、ドアを開けた先。
そこには、すでに朝食を済ませ、紅茶を飲む春菜の姿があった。
「遅いですよ?水瀬」
テーブルの上には、食べ終わった皿がある。
「……」
水瀬は、血の気が引けたのが、自分でもわかった。
メイドとして、主人より後に起きるなんてことはあってはならない。
その、絶対のタブーを犯したからだ。
だが―――
「で、殿下?」
春菜は朝早くても7時にならないと目を覚まさないほど、朝に弱い。
というか、絶対に起きない。
この5時30分も、その前提で決められている。
それなのに―――
「あの、栗須さんは?」
「昨日、いろいろありましたので、今日はゆっくり眠っていてよいと伝えてあります」
水瀬は無意識に春菜に近づくと、額に手をやった。
「―――何のマネです?」
「殿下?昨日、何を食べましたか?どこか、アタマを打たれたとか」
「―――どういう意味ですか?」
「大丈夫です。神様は、きっといますから―――わっ!?」
その途端、水瀬は不可視の力によって、文字通り壁まで叩き付けられた。
「水瀬?」
春菜はティーカップをもったまま、微動だにしていない。
「い、痛たたたたっ……」
「―――春菜に、そんな態度で接しているのですか?」
春菜の口調は重く、厳しい。
「―――え?」
「神様は、きっといますから?そんなかわいそうな人を見るような目で、よくも春菜を――」
カチャ
ティーカップを置いた春菜は、そう言うと、席を立って水瀬に近づいた。
「!!」
水瀬は驚愕した。
全身にかかる重圧。
自分だからこの程度で済むが、普通の騎士なら指一本動かないだろう。
「こ、これ、ま、まさか!?」
「目を離していれば、そうやって次々にオンナと――!!」
水瀬は知っていた。
この力が何か。
皇族でこの力がある者が天皇の地位に就く。
それが、この世界の伝統。
今、皇族でこれほどの力を発揮できるのは、彼女しかいない。
だからこそ、彼女はあの年齢で宮中に入った。
そう。
これは―――
「ひ、日菜子殿下!?」