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お嬢様達のナイトメア その5

 「え?」

 一流ホテルやレストラン出の一流シェフ達が腕をふるったランチを食べながらの会話に出てきた、聞き慣れない言葉に、春菜はきょとんとした。

 

「ですから、探検です」

 

 そう言うのは、西園寺夢見さいおんじ・ゆめみだ。

 お嬢様だけに怖いモノを知らない。

 悪く言ったら、世間知らず。

 そんなキャラだ。

「で、ですけど、旧校舎群だなんて」

「昼間ですから」

「立ち入りが規制されていると聞きますけど?」

「そんなもの、どうとでもなりますわ?執事達を護衛として連れて行きますし」

「……」

 チラリと横にいた水瀬を見ると、何かブツブツ言っている。

 春菜は、聞き耳を立ててみた。

「……タマネギはみじん切りにして圧力釜で煮ている。隠し味は生クリーム……ワインは赤の94年フランス製……割合は3対2対1対0.6………これは…ブツブツ…」

 

 (だめだ)

 春菜はため息をついた。

 水瀬は出された料理の分析で遠い世界の住人になっている。

 この後、シェフと料理談義に入って、メイドのアルバイト。どっちにしても、今夜遅くまで動かせない。

 新作料理なんて、食べさせなければよかった。

 春菜は後悔したが、あとの祭りだ。

 

「殿下?」

 西園寺がしびれを切らせたように言った。

「いかがなさいます?」

「あ、あの……せっかくですけど私」

「そうですの?あの寂れた世界。まるで文学の世界ですわよ?一目見ておくだけでも、これからそのテの作品を読む上で空想に幅が―――」

「行きます!!」

「そ、そうですか?―――では、午後は授業がないですし。すぐにお迎えにあがります」

「は、はい……」

 

 

 夢見は、席を立つと、食堂の別な席に座っていた仲間達の元に合流した。

「西園寺さん?上手く行きましたか?」

「ええ。殿下、のっていただけましたわ」

「うふふっ。内親王殿下がお化けにおびえて泣き叫ぶ姿、たっぷりビデオに収めてあげますわ」

「本当。殿下ったら、アイドルでもないのに、あの巨乳のせいでファンクラブまであるそうですのよ?憎らしい」

「伝統だけの皇室なんて、私達の家からすれば、たいしたことがないことを、暗にわからせてあげましょう」

 

 困った。

 

 春菜は夢見の意図を読んでいた。

 

 いわゆるイジメだ。

 

 西園寺家は、精華家の流れをくむ伝統有る名門。

 生徒同士とはいえ、つきあいは無碍に出来ない。

 それでも、向こうに普通につきあう意志があれば、の話だ。

 

 夢見は西園寺家の出を何より誇っている。

 それ以上、ましてやそれ以下の家柄なんて、認めようとしない。

 西園寺家が唯一無二なのだ。

 実際、夢見は、家を前面押し立て学園の女王気取りだ。

 そんな夢見だからこそ、皇室の出である春菜の存在は面白いはずがない。

 上辺は親しげだが、底辺にあるのは憎悪でしかない。

 入学したての頃、教科書を隠されたことから始まり、ことあるごとにひどい仕打ちを受けてきた。

 先生も生徒も、それを知っていても西園寺家と事を起こすことは出来ない。

 春菜は、一人で耐えるしかなかった。

 

「春菜?」

 ぽんっと肩に誰かの手が置かれた。

「あ、紫音さん」

 西九条紫音にしくじょう・しおん

 名門西九条公爵家の次女。

 初等部から一緒の、春菜にとって一番の親友。

 友達というより、身近にいる姉といってもいいくらい、ある意味で春菜は紫音にあらゆる面で依存している。

 学園入学と同時に親しくなった間柄。

 何でも相談しあってきた仲。

 春菜が唯一、姉以外で自分をファーストネームで呼ぶことを許している相手。

 誰より春菜という“人間”を理解してくれる相手。

 ということで互いの親密度がわかるだろう。

 モデル顔負けの腰まで伸ばした絹のような艶やかな髪が自慢の、切れ長だが優しい眼差しが、心配そうに春菜を見つめていた。

 

「話、聞いていたけど、大丈夫?」

「う、うん……いくら西園寺さんでも、私に怪我させるようなことはしないはずだし」

「当たり前よ。西園寺家が根絶やしにされるわよ。それはわかっているのよ。夢見」

 紫音は、取り巻きに囲まれて悦に入る夢見を、苦々しげに一瞥すると、春菜に言った。

「ごめんね。本当なら従妹の私が一言言うべきなんだけど……」

「家同士の問題になったら大変だよ?西園寺さん、どんな尾ひれつけるかわかったものではないし」

「うん。ね?春菜。私もついていくわ。その……探検」

「え?」

 

「バジルが……ターメリックが……」

 春菜は、料理を前にブツブツ言い続ける水瀬を置いて、食堂を出た。

 

 

 それからしばらくの後、 

 SPを兼ねた西園寺の執事の運転する車で、春菜達は20分かけて旧校舎群へ向かう。

 ちなみに、「車で20分」だ。

 

「これが、旧校舎群なのですか?」

 春菜達の目の前には、別な華雅女子学園が存在していた。

 ちなみに旧校舎群は3階建て以上の建物だけで10棟を越える。

 木造建築だが、決して古ぼけた印象はない。むしろ、春菜にとってはこちらの校舎の方が趣味に合う。

「あら。ご存じありません?こここそが華雅女子学園でしたのよ?でも、西園寺家の者が入学するということで、記念に今の新校舎が建てられましたの」

「あ……そう、なんですか」

「それ以降は、何やら政府の研究施設になっていたそうですよ?10年ほど前まで」

「すっごいですわ!」

「さすが西園寺家!」

 取り巻き達の歓声に悦に入った夢見が続ける。

「ええ。でも、白銀館をはじめ、伝統ある施設はそっくり移築しましてね?」

 夢見の自慢話が始まった。

 

 

 華雅女子学園 厨房

「かーっ。まいったな嬢ちゃん!」

 シェフの一人が頭をかきながら一枚の紙を見ていた。

「当たりですか!?」

「ああ。レシピは8割これで合っている」

「は、8割……」

「何言ってんだい!俺が20年かけたレシピだぜ?それを一発で8割だ!割にあわねぇのはこっちだ!」

「どこが違いました?」

「口外しないなら教えてやる。ここのな?」

「ふんふん」

 

 

「ここが、旧A棟です」

 板張りの床が歩くたびにギシギシと音を立てる。

「ね?ここで二手にわかれてみません?」 

「二手に?」

「そう。一緒に動けば、それだけ時間がロスしますでしょう?ですから、二手に分かれて探検です。殿下?いかがです?私達は旧C.D棟へ向かいます。殿下は旧A.B棟の探検ということで」

「で、ですけど、危険では?」

「何もないですわよ?紫音は怖い?」

「こ、こわくなんて!」

「じゃ、そういうことで」

 

 

「ご、ごめんなさい」

 紫音はうなだれながら春菜に謝った。

「わ、私が夢見の口車にのっちゃったから」

「い、いいえ。そ、それより、誰かに来てもらいましょう」

「そ、そうね。その方がいいかも」

 紫音も春菜も、互いの携帯電話をポケットから取り出した。

「えっと、まず水瀬に」

「水瀬って、あの娘?」

「ええ」

「でね?春菜」

「なんです?」

「―――あの娘、何者?」

「え?」

「水瀬家が、ルシフェル・ナナリ以外の養女をとったなんて話、聞いてないわよ?」

「え?さ、さぁ。それより、どうしてそんなことを知っているんですか?」

「だって」

 紫音はつまらなそうに言った。

「私、16になったら、お父様の御命令で、水瀬家の跡取りと見合いすることになっているんだもの」

 

 

「お、お見合い!?紫音さんが!?」

「そうよ」

 しれっと答える紫音。

「水瀬家は、伝統ある家柄だし、加納重工やいろんな財閥とも関係が深い。ついでに資産あるし、何より今の跡取り、かなり日菜子殿下に目をかけられているんでしょう?だから、それに私を嫁がせて、水瀬家と皇室、ついでに財界とより関係を深めたいっていうのが本音なのよ。きっと」

「思いっきり政略結婚ですね」

「だから、気になるのよ」

「え?」

「だって、好きな人の近くに不審なオンナがいたら、おかしいって、そう思わない!?」

「好きって―――紫音さん?」

 “どこがですか!?”とにかく口から出そうになった言葉を、春菜はなんとか飲み込んだ。

 決して、いろんな意味で、人ごとではないから。

 紫音は顔を赤くしてそっぽを向いた。

「い、いいじゃない!私だって、人を好きになることもあるんだから!」

「……」

 春菜は知っている。

 その恋が、かなわないことを。

 だけど―――

 

「かなっても、かなわなくても、きっと、人を好きになったことは、すばらしい思い出になりますよ?」

 

「何それ。まるで「私が相手にされない」って言いたいみたい」

「そうじゃなくて―――言葉って、難しいですね」

「ふふっ。あなたが口べたなだけよ」

 紫音は、不意に携帯を握りっぱなしだったことに気づいた。 

「とにかく、その水瀬さんを呼んで?なんだかここ、寒い」

「そう、ですね」

 

 

 プルルルッ

 

 不意に水瀬の携帯電話が鳴り出した。

「?もしもし。水瀬ですけど―――殿下?」

 『申し訳有りませんが、―ザザッ――に来てもらえませんか?』

「え?」

 『―――ザザッ』

「あの、電波がよくないみたいです―――救急箱でもお持ちしましょうか?」

 『はい?』

「後ろ、随分賑やかな声が聞こえてますけど?」

 『後ろで、賑やかな、声―――ですか?』 

「肝試しでもやっているんですか?そんなに悲鳴みたいな声あげて」

 『と、とにかく―――プッ』

 電話が、切れた。

 

「もしもし?」

 急に電話が切れた。

 紫音を見るが、紫音の電話も切れたらしい。

「だめね。アンテナが立たない。やっぱり、窓際じゃなきゃダメなのかしら」

 紫音はそう呟くと、窓際に向かって歩き出した。

 春菜も自然とその後に続く。

 そして、

 

 ベキッ!!

 

 大きな音を立てて、床が抜けた。

 

「きゃっ!」

 二人は、悲鳴をあげることもなく、奈落の底へと堕ちていった。

 

 

「栗須さん!」

 メイド服のまま、水瀬は春菜の部屋に飛び込んだ。

「あら?」

 栗須が一人で、お茶を飲んでいた。

「どうしたの?あ。アップルタルトはあげませんからね!?」

「殿下、どちらに行かれたか知ってますか?」

「西園寺様、西九条様と一緒に出かけられたようですよ?どうしたの?」

「殿下との連絡中に通信がとぎれました!」

「!?」

 

 

 西園寺夢見とのコンタクトがとれない。

 栗須が手を回し、校内には西園寺を呼び出す放送が幾度となく流れている。

 にも関わらず、西園寺からの連絡は、ない。

 すでに事態発生から1時間が経過していた。

 春菜殿下遭難の方を受けた近衛もすぐに到着する。

 

 その間に、何か、打つべき手があるはずだ。

 何か……

 

 水瀬は、目の前で半泣きながらオロオロする栗須のメイド服姿を見た。

 

 まてよ?

 

 確か、あのメイドさんは言っていた。

 

「この学園の全ての人間の居場所を把握している」

 

 水瀬は、すぐに女中頭の元へ走った。

 

 

「そういうことでしたら、協力しましょう」

 1階の廊下で出会った女中頭は、春菜殿下行方不明の報告を受け、顔色を変えつつも、そう言ってくれた。

 女中頭は、すぐに携帯電話でどこかに連絡してくれた。

「よろしい。そのまま監視を継続してください」

「見つかりましたか?」

「2時間前、旧校舎群に入るのが確認されています」

「旧校舎群?」

「文字通りです」女中頭は言った。

「学園設立当時の建物が保存されているのです。無論、老朽化が激しく、現在は立ち入りが禁止されていますが」

「場所は、どこですか?」

 

 地図を受け取った所で、近衛からの増援が到着した。

 寮のど真ん前の広場に軍用飛行艇を強行着陸させたのだ。

 軍用飛行艇から中から完全武装した1個小隊と共に樟葉が出てきた。

「どういうことだ?」

 樟葉が水瀬に訊ねる声は鋭い。

「西園寺家のご息女と共に出かけられたご様子でした」

「お前は?」

「日奈子殿下のご命令で」

「ああ、メイドのバイトか?全く。春菜殿下も護衛を置いてくださればよいものを」

「ここから車で20分、旧校舎群の付近での確認されているのを最後に」

「本当に、ここは日本か?」

「お金持ちの考えることは、僕にはわかりません」

「ったく。小隊長!」

 

 

 キイッ

 そこにリムジンが横付けされた。

 夢見のリムジンだ。

 

「あら?饗庭様?」

「ああ。西園寺の。いいところに来た」

「何ですの?」

「殿下はどこだ?」

「さぁ?」

 ヒュンッ

 風斬り音がしたかと思うと、樟葉の刀の切っ先が夢見ののど元に突きつけられた。

「ヒッ!」

「お嬢様!」

 西園寺家の執事達が懐に手を入れるが、それより早く、完全武装の近衛兵がすでに全員を照準に入れていた。

「あ、あの―――」

「どこだ?」

「わ、私……」

「すぐに口を割ればよし。割らなければ割らせていただく」

 その迫力に、夢見はその場にへたり込んだ。

 腰を抜かしたのだ。

「あ……あ……」

 顔は涙で濡れている。

 無論、それに温情をかけるほど、樟葉は甘くはない。

 

 殿下と皇室のため。

 

 それが、樟葉達の全てなのだから。

 

「殿下の御身になにかあれば、西園寺家が朝敵になるのですぞ!?そのことを、あなたはどこまでわかっているのか!!」

「!!」

「事は宮内省を経由し、正式に西園寺本家へ抗議させていただく。西園寺家が春菜様を拉致したとな!御身に怪我一つ負っていようものなら、我ら近衛、西園寺の血を根絶やしにすることも厭いませんぞ!?」

「わ、私は単なる冗談のつもりで!」

「冗談のつもりで?」

「き、旧校舎のA棟に放り出してきただけです!私、私は―――」

 

 

 ペンライトの灯りを頼りに地下をとぼとぼと歩いているのは、春菜と紫音だった。

「あ痛たたたっ……」

 落下の際、したたかに腰を打った紫音が腰に手をやってさすっている。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ……所で、今何時?」

「えっと……丁度、午後6時です」

「お互い、運がよかったわね。落ちた先が布団部屋だったなんて」

「すごいご都合主義ですね」

「あんたに言われたくないわよ。だいたい、なんでペンライトなんて持っているの?」

「迷子になった時に備えて……」

「ああ。春菜だったわよね?華雅女子学園入学2日目で迷子になった挙げ句、捜索隊まで出させたの」

「し、初等部の時の話じゃないですか!」

「でも、本当でしょう?あなた方向音痴だから」

「う、ううっ……でも、その失敗を教訓に、こうしてペンライトを用意して」

「学校で居残り勉強させられた後の夜道を歩くのが怖い。の間違いじゃなくて?」

「な、なんでわかるんですか!?」

「当てずっぽう」

 

 

 かなりの時間が過ぎた。

 随分、歩き回ったが、場所がわからない。

 どこかに階段があるはずなのに、不思議なことに見あたらなかった。

「かなり歩いているんだけど。ヘンね。A棟って、こんなに大きかった?」

 ただいたずらに長く続く廊下。

 床は大理石。

 アーチ状に形作られた天井の高さも、かなり高い。

 カツーン

 カツーン

 足音が木霊を残して響く世界。

「……」

 ペンライトを動かして天井を見ていた春菜は、ふと、皇居を思い出していた。

 何となく、似ている。

 けど、皇居の地下は、核シェルターを兼ねた近衛軍司令部施設と、宮殿内戦闘を前提に、長年増設されたため、あんな迷宮じみた造りになっているのだ。

 こんな、学校とは違う。

 (まさか)

 自分の考えを否定する春菜が手にするペンライトは、造りこそ精巧な銀細工がほどこされた華麗なモノだが、中身は近衛でも採用されている小型軍用ライトを改造した、強力な代物だ。

 その灯りが天井を照らし出す。

 大理石のしっかりした造りだ。

 メンテナンスをしっかりしていれば、数百年は使えるだろうことは何となく、春菜にもわかった。

「何で、こんなに立派な建物を放置するのでしょうか」

 それが、春菜には不思議だった。

「西園寺家のせいよ」

 春菜の少し後ろを歩く紫音が言った。 

「夢見がいってたでしょう?西園寺家の子女がここに入学するからって、それで新校舎群を建てたって」

「一人の入学で校舎を捨てたなんて、なんだか信じられません」

 春菜は、ペンライトを前に向けて、紫音に訊ねた。

「他に理由があったんじゃないですか?」

「例えば?」

「校舎として使えなくなったとか……だってヘンじゃないですか。数十年前に放置された建物ですよ?地上の校舎はともかく、これ、絶対手入れされています」

「床は抜けたけどね」

 春菜の疑問はもっともだ。

「軍の研究施設なんて言っていたけどねぇ」

「聞いたことないです」

「私もよ。サークルでも聞いたことない」

「紫音さんも知らないなんて」

「外部の施設をこの学園が認めるなんてあり得ないわ。せいぜい、普通科寮のマックとか」

「あるんですか?」

「え?知らなかった?マックにモスに31にセブンにローソン」

「う、うそ……本屋さんは?」

「紀伊○屋かな?あの寮の地下って、結構大きな地下街になって、すごいにぎわってるのよ?だから、地下街で遊んでいる限り、行動自由……ま、普通科生徒の門限は、あってないようなものなのよ」

「何だか……私達教養科の方が待遇悪くないですか?」

「いわないの。今、生徒会長が寮直結のショッピングモール建築構想を進めている。それに期待しましょう」

「え!?」

「あら?知らなかった?会長の御父様って、イギリスの大貴族にして世界の百貨店王なんだよ?」

「く、栗須の御父様がですか?」

 宮中女官、栗須明奈と生徒会長アリス・クリスが姉妹であることは紫音も知っている。

「そうよ?お母様は全国に30以上のショッピングモールを展開する企業のオーナー」

「知りませんでした」

 ただの生徒会長と女官としてしか見ていなかった自分の視野の狭さを、イヤというほど思い知らされ、愕然とする春菜。

「……灯台元暗しっていうけどねぇ」

 そんな春菜を紫音はあきれ顔で見つめていた。

「と、とにかく、是非進めてほしいですね」

「それで会長、校長との仲、決定的に悪くしてるんだけどね」

「あの、校長先生と生徒会長って、仲がお悪いんですか?」

「……春菜」

 紫音は呆れた。といわんばかりのため息をついた。

「本の世界に没頭する半分でいいから、現実世界に意識を向けなさい」

「……はい」

「校長のバックにはそういう業界の連中が何人もいる。当然、教養科の生徒なんていったら上客でしょう?業界はただでさえ冷えているんだから、そんな環境なら、ぜひ出店したいと思う。でも、今までそれが出来なかった。何故?学園の伝統が許さなかったから」

「それでも会長は」

「そう。外部へ隠れて遊びに行くことで生徒が犯罪に巻き込まれること、散財、トラブル、それらの一挙の防止を目指してモールを作ろうとしている。ところが、その出店を自分達の一族だけでやろうとするから反発されているのよ」

「広げればいいのに」

「そうもいかないわ」紫音は言った。

「学園の治安維持の観点から、そこら辺のモールのようにいかないのよ。治安は最大の懸案事項。だから下手な開放を認めたがらないというが会長のスタンス。普通科の地下モールの店員になりすませて泥棒や変質者が寮に忍び込んだって話しがわんさかあるくらいだもの。寮とモールの出入りは空港以上に厳しくする必要があるものね。いくら校長のバックといっても、信頼が確保できなければどうしようもないわ」

「会長は、信頼に足る?」

「出るとしたら世界最高のデパート、ハロウィン主体のはずよ?日本のデパートなんて相手になるもんですか。会長サイドはサイドで、上客の子供を固定客として、日本進出の脚かがりを掴みたいっていうハラはあるでしょうけど……校長側は、ま、それを懸念してるってのもあるんでしょうけどね」

「複雑ですねぇ」

「うん。私もそう思う。よくやるわよ。あの会長も……」

「でも、そんな大規模なもの、不要ですよ。私達の場合」

「うん。必要なら執事やメイドに買いに行かせるものね」

「そうです」

「……まぁ、そんなモールが出来ても、どうせあなたのことだから、ケーキ屋と本屋があればそれでいいんでしょう?」

「そんなことありません」春菜はムキになって言った。

「アニメ専門のレンタルショップとか」

「こら。皇女。せめてブティックとかいえないの?」

「うーん。どうせならおでん屋さんとか、たこ焼き屋さんとか?」

「……いいわね。それ」

 時間が時間なだけに、どうも食べ物ばかりが浮かんでくる。

「ほら、私達の階級ですと、そういいうのって、どうしても食べづらいけど、寮の中でこっそりなら誰からもとがめられることもないかと思って」

「―――うん。それはいい」紫音も興味津々という顔で頷いた。

「今度、副会長の沙羅さんにお願いして会長に進言してもらうわ」

「―――なんだか、生徒会が随分絡んでるんですね」

「ええ。だって会長、公にはそこからの売り上げで生徒会費の増額、私的にはそこのオーナーを目指しているんですもの」

「はい?」

「会長、心底この学園を愛しているのね。あんな江戸っ子口調だけど、学園のために命がけだもの。それだけに、卒業しても学園を離れたくないんでしょう」

「……やっぱり、皆さん、いろいろ考えてらっしゃるんですね」

「うん……」

「私は……」

「親の敷いたレールの上を歩くのって、やっぱり、イヤよね」

「紫音さん」

 紫音の顔は寂しそうに見える。

 それは、覚悟を決めながらも、捨てきることが出来ない何かを持つ者の顔だった。

「……ところで、春菜。まだ、携帯つながらない?」

「……だめです」

「おかしいわねぇ。私の携帯、衛星使ってるんだけど……」

 とにかく、携帯が使えなければ外とも連絡がつかない。

 出来ることと言えば、外部から助けが来ることを祈るだけだ。

 

 (それまで、怖いことを考えるのをよそう。私より春菜の方が怖いはずなんだし)

 

 そう思った紫音の目の前で、春菜がしきりに腰に手をやっている。

 腰を打ったんだろうか?

 

 そんな紫音の心配を余所に――

 

「なんだか、お化け屋敷みたいですねぇ」

 

 春菜は不安なんだか楽しいんだか、わからないようなことを言う。

「や、やめてよ!私、オバケはダメなんだから!」

「あっ、そうでしたね。ごめんなさい」

「もうっ。ただでさえここ(華雅)は怪談話が多いんだから」

「え?」

 どこからかメモとペンを取り出す春菜が紫音に迫った。

 その目はらんらんと輝いている。

「こらっ。取材体制に入らない!だから、あのね?ここ、言われているのよ」

「何をです?」

「ここ―――出るって」

 ぶるっ。と身震いする紫音だが、春菜の目はますます輝いている。

「何が、ですか?」

「学校で死んだ子とか、悪魔とか、猫の妖怪とか、もういろいろ。全部調べれば、本一冊書けるわよ?多分」

「教えてください!」

「こんなところで、こんな状況で言えるもんですか!」

 

 

 日が暮れた。

 A棟の2階と3階を移動する灯りが割れたガラス越しに見える。

 捜索が続いているという証拠だ。

 増員を含め、すでに国内緊急展開部隊3個小隊が投入されている。

 樟葉は、腕時計を見た。

 いたずらに時間だけが過ぎている。

 ピーピーピー。

 飛行艇に備えられたセンサーがひっきりなしに警告を鳴らし続けている。

「閣下」士官が不安そうに樟葉の顔をうかがった。

「わかっている」

 樟葉にもその警告が何かはわかっている。

 魔素だ。

 通常では考えられないレベルの魔素の反応。

「後で査察が必要だな」

「その前に」

「そうね。殿下発見が最優先。失敗すれば」

 樟葉は首を撫でながら呟いた。

「私の―――いえ。私達、皇室近衛騎士団全員の首でも、とても足りないわね」

「世論は“三宮事件(さんのみやじけん)”の再発として」

「今度こそ、世論は私達近衛を絶対に生かしてはおかないでしょうね」

 自嘲気味に笑った樟葉は、視線を校舎に向けた。

「先の両陛下をみすみす御守りできなかったあの無念、繰り返すわけにはいかん。次の定時連絡で発見できない場合は、捜索範囲を広げるように通達。―――妖魔の出現が予想される。かまわん。抵抗する者は女子供でも全て殺せ」

「了解」

 

 3分後、定時連絡が入った。

 『3階西廊下確保。春菜様のお姿はありません』

 『2階東廊下です。同じく』

 士官は、落胆のため息混じりに通信機に告げた。

「前線司令部より各小隊長へ通達。現時点をもって対妖魔戦警戒に移管。警戒態勢のまま、捜査範囲を周辺の棟まで拡大。抵抗勢力は全て殺傷を許可する」

 『了解』

「後は、水瀬が頼りか」

 いや。

 樟葉は思った。

「あまりに心配だな。……それ」

 

 

 

 

「?」

 廊下の端が崩れている。

「―――」

 水瀬は、そこを迂回した。

 それにしても、この魔素の強さは何だ?

 旧校舎群全体が、まるで魔素の発生源と化しているようだ。

 さっきから低級霊が邪魔で探索が思うように出来ない。

 『水瀬』

 樟葉からの通信が入った。ノイズかひどくて聞きづらい。

 『状況は』

「1階東廊下付近。発見できず。魔素の影響、強すぎます」

 『そう……2階、3階も発見できずよ。あんた程感度高いと、逆にこういう所は苦手か』

「大丈夫です。安心してくださいって、いいたいんですが」

 水瀬は申し訳なさそうにいった。

 『いいよ?』

 樟葉は言った。

 『私ゃぁね?あんたのそんなセリフ、これっぽっちも信じてないから』

 

 

「ねぇ、紫音さん」

「何?」

「ここ、なんでしょう」

「そうねぇ」

 春菜の目の前には、大きな扉がある。

 問題は、扉の向こうから灯りが漏れていること。

「誰か、いるのかしら?」

「ですけど、ここは使用されていないはずですよね」

「きっと、夢見か誰かがこっそり使っているのよ!」

 灯りがある。

 紫音は扉から漏れる灯りが、そのまま救いの手に見えた。

 だから、紫音は、春菜を押しのけて扉を開いた。

 (助けが、ここにいるんだ)と――

 

 何?

 何が起きているの?

 

 ドアノブを握ったまま、紫音の思考は凍り付いた。

 

 信じられない。

 いや、信じたくない。

 

 目の前にいるのは、きっと着ぐるみか何かよ。

 あんなオバケ。

 そう。

 そうに決まっている。

 

 紫音の思考は停止寸前だ。

 

 ああ。

 ほら。

 のっそり動き出してこっちに来るのも、着ぐるみだから、動きが遅いせい。

 はは。

 なんだろう。

 振り上げた指先のあの鋭い爪。

 エルム街のあの怪人みたい。

 

「紫音さんっ!!」

 グイッ。

 春菜がとっさに紫音を引き倒さなかったら、紫音の即死は免れなかったろう。

 風を切る音と同時に、何かが破裂する音が2発、響き渡った。

 まるで、その音に合わせたように、着ぐるみは倒れて動かなくなる。

「た、立てますか?」

 ぐいっ。

 春菜が紫音の腕を引っ張ると、乱暴にドアを閉じた。

「は、春菜!?」

「逃げます!」

「え?ち、ちょっと!」

 春菜に引っ張られるように、紫音はその部屋を後にした。

 

 

 数分後のこと。

 春菜達は、逃げる最中に偶然見つけた、上へ通じる階段に腰を下ろしていた。

 階段はちょうど真ん中が崩れ落ちていた。

「階段、壊れてますね」

 しょんぼりとした声で春菜が言った。

「でもほら。端は壊れていないから、そっと登れば大丈夫よ」

 自分に言い聞かせるように言う紫音は、春菜に掴まれたままの腕に違和感を覚えた。

 春菜は、自分の腕と一緒に、何か、堅い、金属で出来たモノを掴んでいる。

「春菜?手に、何を持っているの?」

「え?あ、な、なんでもないです!」

 春菜は慌てて手を引っ込めようとするが、それより先に紫音の手が春菜の腕を掴んでいた。

「何?」

 グイッ

 剣道部に属する紫音の方が、ひ弱な春菜より圧倒的に力が強いのは当然だ。

 だが、その手に握られたモノを見た瞬間、紫音は驚きのあまり、手を離してしまった。

「あ、あなた、一体――」

「ご、護身用です。その……」

 

 春菜がそっと隠したモノ。

 

 それは小型の拳銃だった。

 

 ただ、それを見ただけで、体をすくめたのは、紫音が日本人として、少なくともお嬢様として普通なだけだ。

「危険なところです。せめて護身の(すべ)はと思いまして―――」

「さ、さすがに――ということかしらね」

「ほ、褒められた気がしません」

「褒めてないわよ」

「そうですか?」

「そう」

 じっと顔を見合う二人。

 そして、二人同時に笑い出した。

 (大丈夫です)

 春菜は思った。

 どんな時でも、笑うことが出来れば、大丈夫だ。

 そう、思ったから。

「さ。これを越えてしまいましょう」

「ええ」

 紫音はそう言って腰を上げた。

 

「それにしても、よく当たったわね」

 恐る恐る崩れた階段の端を越えて踊り場までたどり着いた時、紫音は思い出したように言った。

「あなた、そういうのの扱い、上手なの?」

「いいえ?」

 春菜はきょとんとして言った。

「マト以外を、生まれて初めて撃ちました」

 春菜みたいなトロい娘が拳銃なんて撃って当たるはずがない。

 当たったら、それこそまぐれ。偶然だ。

 だが、紫音は、その偶然によって助けられたのだ。

「はっ、ははっ……」

 今になって、脱力感が紫音の全身を包んだ。

「慣れてないもので、取り出すのが大変で、ちょっと時間がかかりましたけど」

「そ、そうだ。春菜?あなた、あんなもの、どこに隠していたの?」

 制服のポケットに隠しておくことが出来るとは思えない。

 もし、隠していたら、どこかで知れてしまう。

「な、内緒です!」

 しかも、春菜は赤面してそっぽをむく。

「……」

 

 (まさか)

 紫音の視線は、春菜のスカートに集中した。

「どうしたんですか?」

 

 (だめよ!そんな。そんなことしたら)

 

「春菜!すぐに拳銃を出しなさい!」

 紫音は怒鳴るように言った。

「え?な、何かあったんですか?」

「そんなのどうでもいいの!」

 紫音は気色ばんで春菜に迫った。

「あなたがどういう趣味かは聞かない!でもね?そんな所にいれていたら、赤ちゃん産めなくなるわよ!?」

「ど、どこに隠していると思ったんですか!?」

 

 

 

 多分、それが原因ではないと思いたい。

 

 グルゥゥゥゥッ

 

 だけど、それ以外に原因は考えられない。

 

 グルルルルゥゥッ

 

 “そいつら”が、その声に引き寄せられるようにやってきたこと。

 

 そして今、暗闇から自分たちを狙っているのは、否定したいけど出来ない、“事実”だ。

 

「紫音さん」

 春菜は、紫音に拳銃を渡した。

 金属特有の冷たい感触と重みが、紫音の手に伝わる。

「相手は5匹。残弾もあと5発です。よく狙って、お祈りしながら引き金を引いてください」

「で、でも!私、出来ない!」

「ゲームセンターのリアル版です。紫音さん。好きでしょう?」

「そりゃ、実家にシューティングの筐体は何台も持っているけど―――」

「じゃ、お願いします」

 にこりとした春菜の笑顔に押される形で紫音は銃を、“そいつ”に向けた。

「あなたは?」

「私はこっちで」

 春菜が取り出したのは小型のマシンガン。

 危なっかしい手つきで何とか弾倉(マガジン)を装着する。

 

 えっと、確か弾丸は30発。

 発射モードは単発でいいんですよね?

 予備弾倉がないから、連射は避けなさいって栗須も言ってましたし。

 次は、安全装置を解除してっと。

 よし。 

 

「は―――春菜」

「なんです?」

 紫音は黙って春菜のスカートをめくり上げた。

「きゃっ!な、何をするんですか!?」

「いいから見せなさい!あんた、どこに何を隠しているの!?」

「内股にホルスターをつけているだけです!っていうか、来ますよ!?」

「!?」

 

 紫音と春菜は、“そいつ”にめくら滅法に撃ちまくった。

 バンッ!

 グウォォォッ

 紫音が初弾で放った弾丸をまともに額で受けた一体が崩れ落ちた。

「あっ、当たった!」

 びっくりした声の紫音が叫んだ。

「やだ、どうしよう!」 

「その調子です!」

 春菜が射撃音に消されないように叫んだ。

「シューティングがこんなところで役立つなんてね」

「いろいろ体験するものです!」

「―――いいけど春菜」不思議と低いというか、冷ややかな紫音の声。

「何ですか?」

「当てなさい!」

 

 

 数分後。

 

「はぁ。はぁ……」

 

 何とか撃退できた。

 

 だけど、もう弾がない。

 

「へ、下手くそ……」

 事が済んだ後になって来た恐怖心でバクバクする心臓を押さえながら、紫音がそう言った。

 

「反省してます……」

 紫音から拳銃を受け取りながら、しょんぼりした顔で春菜がそう答えた。

 

「私が5発で3体仕留めたのに、30発撃ってどうして2体なの?」

 

「む、向いていないみたいです」

 

「……まぁ、いろいろあるわね」

 

「そうです。とにかく」

 

 春菜は腰を上げた。

 

「紫音さん。次が来る前に逃げましょう」

 

「ええ」

 

 春菜が階段に足をかけた途端だ。

 

「!?」

 

 階段が砕け、そこから新たな“そいつ”が姿を現した。

 

 

 

 弾は、ない。

 


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