お嬢様達のナイトメア その46
僕、もしかしたら、こういうの、趣味なのかなぁ。
ふと、そんな疑問がわいた水瀬は今、逆さ吊りにされていた。
夢の中だいうことはわかる。
しかし、こういう光景を時々見るということは、もしかしたら潜在意識の現れなのかもしれない。
「水瀬さん」
その声にあたりをうかがうと、突然、目の前に一人の少女が現れた。
初恵だ。
「あっ……どうも」
場に合わない言葉だが、水瀬の貧弱な語彙ではこんなものだ。
「タマをお願いします……そう申し上げてから1時間と経たないうちに、あれはなんですか?」
ヒュン―――ビシッ!!
水瀬の鼻先をかすめたムチが音を立てる。
「は、初恵さん!?」
制服姿で現れたはずの初恵は、いつの間にか、
「ボンテージに網タイツ、しかも蝶のマスクって!?」
「こういうのが、正装なのでしょう?」
初恵の声はどう聞いてもウキウキしている。
「いやぁ……多分、違うと思う」
「それで、こういうのですよね?女王様とお呼び!!」
「僕はそっちの趣味はないのですが?」
「いえ!これは私の趣味です!」
「ウソだぁ!」
ムチが振り下ろされた。
「きゃっ!?」
突然、水瀬に飛び起きられたので、堪らず悲鳴を上げたのは、
「あれ?―――栗須さん?」
栗須は、換えのシーツを運んできた所だろう。
そのままで凍り付いていた。
「ええ。あーっ。びっくりした。悠理君、体はどう?」
「あれ?」
水瀬は考えた。
そうか。
あれは初恵さんじゃない。
近くにこの人がいたから、その影響だ。
うん。
そうに違いない。
「全く、びっくりしました」
「すみません」
「いえ。悠理君のことではありません」
「僕のことじゃない?」
「はい。この部屋へ入ったら、ヘンな格好した女性の人が立っていて」
「ヘン?」
「ええ。そのテの趣味の方だから、水瀬君の関係者かと思ったんですけど、電気つけたら消えちゃって。あら?と思ったら今度は悠理君が」
「いろいろ、ひっかかる言葉ですけど」
水瀬はとりあえずあたりを見回した。
自分の部屋だ。
保健室からここへ運ばれたらしい。
「それと、ウィッグ、直しましたからね」
「―――あっ。スミマセン」
「それじゃ、今から動いてください」
「今から?」
「ええ。殿下からです」
「殿下が?」
「マタタビ、買ってきてくださいな」
「マタタビ?―――何に使うんです?」
「猫です」
「失礼します」
そう断って入った日菜子の部屋。
「?」
つま先が、ゴムボールに触れた。
見ると、室内には手作りらしいネズミのオモチャをはじめ、猫が喜びそうなアイテムが散乱している。
「……殿下?」
日菜子は、何とか猫の気を引こうと虚しい努力をしていた。
「ほーらほらほら」
ヒラヒラ
まるで水瀬に気づかない様子で、日菜子が猫じゃらしを一生懸命に振る。
その度に、水瀬の目の前で日菜子の形のいいお尻が揺れる。
水瀬は、愛らしいダンスを見ているような、ちょっとしたラッキーな気分にひたった。
ミニスカートでないのは残念だが、水瀬は改めて痛感した。
(殿下って、本当、カワイイんだよなぁ)
一方、水瀬に役得を与えてくれた猫なのだが―――。
ふんっ。
そんな日菜子を鬱陶しいとしか思っていない様子だ。
「……ううっ。あっ!?み、水瀬っ!?」
日菜子は、背後に水瀬がいることにようやく気づいて、慌てて猫じゃらしを隠した。
「?……なぜ、そこへしゃがんでいるのですか?」
「いえ、お気にせず」
「?」
ニャア。
飼い猫がいたのか。
水瀬は、一瞬、そう思ったが……。
しかし、その猫は見まごうことのない―――
「いたっ!」
水瀬は日菜子へ挨拶するでもなく、暖炉の前で寝転がる猫の首根っこを掴み上げた。
「み、水瀬!?」
ニギャァァッ!!
突然のことに、猫が堪らず悲鳴を上げた。
「よくも僕を放り出してこんな所で寝ていたね?」
水瀬の手には、あの水を張ったタライがあった。
「僕を地下トンネルに生き埋めにするつもりだったんでしょう!?」
ニギャニギャ
猫は必死で鳴く。
猫語で、
「違う!知らない!」
そう、叫んでいるのだ。
思わず、水瀬も同じ猫語で返事をしてしまう。
そして、水瀬とタマの口論が始まった(注:カッコ内は人間語への翻訳)
水瀬 ニャーギャー (ふざけないで!)
タマ ニャニャンガニャン! (あそこから逃げろって、ご主人様が!)
水瀬 ニャニャーオニャニャンガニャ!! (ご主人様の差し金だと!?)
タマ ニャニャー! (そうだよ!)
水瀬 ニャンニャガニャンッ!?(そんなに三味線になりたいの!?)
水瀬 ニャーオニャーオ!!(危うく生き埋めになるところだった!!)
タマ ニャガッ!?(生き埋め!?)
水瀬 ニャーオ! (そう!)
タマ ミニャガニャガニャガ (生き埋めとは、ご主人様、よほど腹立てたんだね)
水瀬 ニャーニャーニャ? (あれは君のご主人様の仕業だね?)
タマ ミャミャー (間違いない)
水瀬 ニャーガニャニャーオ! (ペットが落とし前とれっ!)
タマ ミニャ!ミギャーオニャニャ!ニャニャー! (ごめん!お詫びにそこの女の子のパンツの色教えてあげるから!許して!)
水瀬 ニャーオニャーオ (親友だもんね)
ビシッ!!
熱い会話を交わした一人と一匹が、堅い握手で結ばれた。
どうやって?
……考えてはいけないことはあるのだ。
「……あの?」
「殿下」
呆然とする日菜子に栗須がきっぱりと言った。
「気にしたら、負けですよ?」
「そういうもの、なのですね?」
「そういうもの、です」
「わかりました。とりあえず、水瀬」
「にゃ?」
「人間の言葉で喋りなさい。―――この人類の裏切り者」
一時間後。
「……そう、ですか」
タマの身の上話を聞かされた日菜子が、ティーカップを置いた。
タマは、栗須の膝の上がお気に入りらしい。
むっ。という顔になる日菜子に、水瀬が言った。
「この子の新しい飼い主を見つけてあげたいのですが」
「いえ」
こほん。
日菜子は軽い咳払いをした後、言った。
「この子の飼い主は、私がなります」
「殿下?」
「……わ、私だって、猫、欲しいです。それに」
「それに?」
「私がここを離れたら、もう、この部屋に猫を入れることは出来ません」
「何故、です?」
水瀬も、栗須も、首を傾げている。
じれた様子で、日菜子は言った。
「もうっ!栗須まで忘れているのですか!?春菜ですよ!」
「?」
「春菜は猫アレルギーなんです」
「春菜殿下が?」
「ええ。思い出しましたか?栗須」
「あっ!」
栗須が驚いたように手を叩いた。
「そうでした!春菜殿下、猫が近くに来るだけでクシャミをされて」
「……本当ですかぁ?」
「口裏を合わせているんじゃありませんよ」
疑惑を否定したのは、日菜子ではなく、栗須だ。
「大変なんですから」
「……」
どうやら、間違いではないらしい。
日菜子が勝ち誇ったような声で言った。
「というわけで、ここにこの猫を置いておく訳にはいきません」
「……あら?猫ちゃん。どうしたの?」
見ると、タマの瞳から涙がポロポロと落ちていた。
「そんなにこの学園を離れたくないの?」
コクンッ
栗須は、タマが頷いたように見えた。
「タマ……この猫の名前ですけど、タマは、この学園から少し、離れた方がいいと思うんです」
水瀬は言った。
「もう少し、広い世界を見せてあげた方が、いいと」
「どうしてです?」
「それが、前のご主人様との約束なんですよ。この学園、この狭い世界しか知らずに過ごすには、タマは頭が良すぎるんです」
「そうですね」
日菜子も思うところがあるらしい。
「タマ?いいですか?あなたの次の飼い主は、絶っ対!私です」
「……」
タマは、不安そうな顔で栗須と水瀬の顔を見た。
「悪い方ではありませんよ?」栗須がそう言って、優しく背を撫で、
「素直に従った方が身のためだよ?」水瀬は気の毒そうに頭を撫でる。
「……何か、ひっかかる言い方ですが、いいでしょう」
日菜子は言った。
「残務整理でここを離れるのは明後日です。それまでにこの子に懐いてもらいます!」
翌日の朝のことだ。
「ほぉらタマタマ。マタタビですよぉ?」
「……」
ふんっ。
一瞥しただけで鼻で笑われてしまった。
これでは皇女としての立場がない。
「じゃ、この猫じゃらしで」
日菜子がこんなことをして、タマを相手に四苦八苦しているのを後目に、事態は着実に収拾へと向け動き出していた。
「本当に、君が役立たずだって、今度はイヤという位、よっくわかった!」
応接間で水瀬相手にそう言い放ったのは、当然、理沙だ。
「お姉さん。本当に久しぶりだね」
「お陰様でね」
同席したルシフェルも、外部の人間と出会うのは久しぶりだった。
「で?お姉さんの仕事は?」
「新聞、見ていないの?」
「うん」
「……上条製薬に検察が入った。容疑は魔法薬管理法違反。魔法薬の開発、管理に問題があるって」
「じゃ、上条先輩は……」
「ふうっ……君、本当に子供ね」
「?」
水瀬は、理沙の言葉の意味がわからない。
「いい?こういう世界はね?トップはそう簡単に責任とらずに済むように出来ているのよ。現に、上条製薬の魔法薬関連施設の担当者は自殺。資料はとうの昔に焼却済み。ノインテーターについては、多分、何も出てこないわよ」
「……それで、トップはおとがめなし?」
「あくまで上への相談はなく、現場の勝手な判断ってことね。今の社長、道義的責任とって辞任はするらしいけど、後任の社長なんて傀儡でしかないわ。時が経てば、息子を社長に、自分は会長にでもなる魂胆なのは明白でしょうよ」
「それが、大人の世界ってヤツ?」
「そう。時々、イヤになるわ」
理沙は、そう言ってソファーにもたれかかった。
「せっかく、ルシフェルちゃんに調べてもらったことも、これで公には出来ないし」
「そういえば、ルシフェ、何調べていたの?」
「普通科で騒ぎになっていたクロースってクスリの流通ルート」
「わかったんだ」
「うん。やっぱり、シスター・マリアが絡んでいたけど」
「最後は上条製薬。薬物を錠剤にするためにはどうしても上条製薬の支援が必要だったみたいね。もう、どうしようもない。最初からわかっていたけど、これ、全部公にしたらこっちが殺される」
「……シスター・マリアは死ぬし、どうせ、外圧かかって吸血鬼化した生徒達の名前も公に出来ず」
難しいねぇ。と水瀬は天井を仰ぎ見た。
「そういえば」
理沙が思い出したようにソファーから身を起こして、
「吸血鬼化した生徒はどうなったの?」
「全員、魔法処理で元通り。学園内では誘拐。外部には一時的に社会見学に出ていたことになっている。ただ、近衛は、彼女達を助ける条件として、自分が麻薬使ったことの自白証明書にサインさせた上で―――」
「それ、近衛の」
「そう。よく言って交渉……悪く言えば脅迫材料。内容が内容だから、これは何十年でも生きるからね」
「はぁっ……いろいろと、イヤな世界ねぇ」
「まぁね」
「ふぅん……じゃ、私、これで」
「ゆっくりして行けば?ここのお昼、美味しいよ?」
「そうもいかないのよ。仕事でね」
理沙は残念そうに言いつつ、席を立った。
「―――あっ。水瀬君?」
「何?」
「三角木馬、覚悟出来てる?」
慣れないことをして疲れたのだろう。
気がついたら、日菜子は、いつの間にか、眠っていた。
「こういうの、前もあったような……」
日菜子が立つのは、あの草原だ。
「……真由」
日菜子の声のトーンが落ちる。
「そんなに怖い声、出さなくてもいいじゃない」
頭上から聞こえてきた声に、思わず上を見た日菜子だが、真由のその姿に、
「……なっ、なんですか?それ」
唖然とさぜるをえなかった。
「えへっ」
真由は、はにかんだような顔で日菜子に言った。
「私、天使になっちゃいました♪」
そう答える真由の背中には大きな白い翼。
その姿は、文字通り、天使そのものだ。
その天使へ―――
「あなた、宗教お寺でしょう?」
日菜子が、ミもフタもないツッコミをする。
「確か真言宗智山派」
「い、いいじゃないですか……」
真由は口を尖らせて抗議した。
「趣味です」
「ご先祖様が見たら泣きますよ?……そうだ、真由!」
ポンッ!
日菜子は手を叩いて真由に言った。
「仏壇、買って上げます。そうしたら、一々私の所へ出てこなくてもいいですよ?」
「……日菜子のイジワル。友達なのにぃ」
真由は、泣きそうな顔で日菜子を見つめた。
「グスンッ……せっかく、いい話を持ってきたのに……」
「なんです?」
「水瀬君の話と、猫の話です」
「……」
ボボキ……ボボキ……
日菜子は指を鳴らし終えた後、
「とりあえず、猫の方から」
「あ……あの、日菜子?」
思わず引き下がりながら、真由は作り笑いを浮かべようとして失敗した。
「どうしたの?」
「返答次第で焼き鳥にしてあげます―――まず、猫が、どうしたというのですか?」
「え?えっとね?日菜子にどうして懐かないか、知りたいんでしょう?」
「……ええ」
「栗須さんから香水借りて」
「香水?」
「そう。日菜子のつけている香水、猫が嫌う成分が入っているのよ。だから、タマは「ヘンなニオイがするヤツが来た」位にしかあなたを思っていないの」
「そんな……もの、で?」
日菜子は思わず脱力してしまった。
私の努力は何だったんだ?
その日菜子に、真由がおかしそうに笑って諭す。
「論より証拠、ですよ?」
「……はぁ。で?水瀬の件についてですが」
「まって!」
真由は両手を日菜子に突きだして、
「私、まだ、あの件は見せていないから!」
「永久に見せないでくださいね?」
「……本当は、見て欲しいクセに」
「何か!?」
「いいえ……本っ当に素直じゃないんだから」
「真由!」
「あ、顔が赤い」
「怒りますよ?」
「あのね?水瀬君、好きな人がいるんでしょう?」
「ええ。……ここまで侵入して来るとは意外でしたが、今頃、香港でロケでしょう。終わり次第、ニューヨークへ送ります。次に日本の土を踏めるのは半年後ですね」
「……日菜子、誰かと勘違いしていない?」
「?」
「水瀬君、あとどれくらいいるの?ここへ」
「後、二週間程度」
「ダメ」
「真由?」
「そんなことしたら、水瀬君、絶対にここを離れようとしなくなる」
「どういうことです?」
「あの人が、ここへ来るのよ」
「―――あっ!!」
ガバッ!!
突然、ソファーで眠っていたはずの日菜子が飛び起きた。
その途端―――
ニ゛ャッ!?
何かが自分の膝の上から落ちたことに気づいた。
「?―――あれ?」
それは、タマだった。
膝に乗せられた毛布の上で丸くなっていた所を、突然、日菜子に起きられたものだから、膝の上から転げ落ちたのだ。
「きゃっ!ご、ごめんなさい!」
ふーっ!
猫は毛を逆立てて部屋から逃げ出してしまう。
「あらあら。タマ?どうしたの?」
逃げた先は、栗須の所。
「ふふっ。お姉さんのところがいいのかな?」
にゃーっ。
「本当に、香水が原因なんでしょうか……」
クンクン
思わず袖のニオイを嗅いでしまう。
自分ではわからない。
「真由の言うことだから……」
多分、違うだろう。
そう思った矢先。
(違うもんっ!!)
ムキになったような真由の言葉が聞こえてきた。
あたりに真由の姿はない。
「……」
日菜子は驚いたように周囲を見回した後、言った。
「電波?昼間から電波が!?」
(電波いうなっ!)
「昨日の悪夢を乗り越えられた皆様は、神の加護を実感されたものと信じています」
その日の聖マリア教会のミサ。
熱心に祈りを捧げつつ、説教に耳を傾ける生徒を前に説教壇に立つのは、イーリスだ。
「我ら罪深き人の身が、神の教えに背く時、どれほどの苦難が襲い来るか―――」
シスター・マリアに近い、冷たさはある。しかし、彼女程押しつけがましくはない。
むしろ、そっと指し示すような説教に、集まった生徒達は魅入られたように耳を傾けていた。
「神の祝福があらんことを」
「アーメン」
「お見事でした。シスター・イーリス」
「ん?ああ。ご苦労だったな。シスター・フェリシア」
久々に立った説教壇の感触を思い出すように、イーリスは言った。
「引っ越しの準備はどうだ?」
「元から大した荷物はありませんのですが……」
フェリシアは、悲しそうな顔で、
「シスター・マリアやレミントン神父達がお気の毒で」
事件を秘匿するため、神父達の死は、
交通事故死。
として報道されている。
生徒達も、それを疑う者はいない。
ただ、少し変わってはいたが、それなりに話のわかる神父。
その神父達の突然の死に、心を痛めるばかり。
シスター・マリアといい、ヴァチカンの非公式組織に名を連ねる神父といい、素性から考えれば、その末路の割に、ある意味で幸せだといえよう。
「アリアハン教会は閉鎖され、こちらへ移るとのことですが」
シスター・フェリシアは、未だに信じられないという顔でイーリスに訊ねた。
「本当に、よろしいのでしょうか?こんな立派な施設を我々が」
「ヴァチカンは後任を送らない、つまり、ここは閉鎖されることになる」
イーリスは諭すように言った。
「ならば、使ってやらねば建物が気の毒だ。なにより、我々メトセラの新たな日本支部となるのだ」
「では、本部がお認めに?」
「ああ。先のアズナブル支部長もまた、シスター・マリアと同罪だ。それをぬぐい去りたいのだろう」
「シスター?」
シスター・フォルテシアは不思議そうな顔をイーリスに向けてくる。
「いや、気にするな」
イーリスは言葉を濁した。
「それにしても、シスター・マリアは死体も見つからないほどの最後と聞いています。本当に、あの説法を懐かしがる生徒の方も多いのに」
「シスター・マリアはな」
イーリスは語り出した。
「本当に、熱心な信者だったのだ」
教会の通路。
窓の向こうには暖かな日差しに木々が映えている。
「神を信じるが故、その純粋さ故に、シスターになったのだ」
イーリスは窓の向こうに視線を向けたままだ。
「戦乱の救済と聞けば、どのような場にも赴き、人々に神の使徒として救いの手をさしのべることを厭わなかった」
「……本当に、立派な方です」
イーリスは黙った。
今、イーリスの手には、聖書と共に一冊のファイルがある。
近衛経由で入手したヴァチカンのシスター・マリアに関する報告書だ。
その内容に、イーリスは複雑なものを感じずにはいられなかった。
報告書は告げていた。
その彼女を変えてしまったのは、同じキリスト教信者だと。
全ての発端は……、
東欧の小国。アルメキア。
山ばかりの国で、目立った産業はない、小さな国。
緩やかな王政が敷かれ、宗教はキリスト教。
牧畜と農業で生計を立てる国民が住む、のどかさで知られる国。
史上、この国を襲った者はペストのみとさえいわれた程、混乱とは無縁な国だったが、この国を襲い、ペスト以上の犠牲を求めたモノがある。
いわゆる、民主化運動だ。
この国は王政である。
ただ、それが故に国家に反抗する活動家達達がこの国にやって来た。
国民のほとんどは活動家に反対し、敵視した。
彼らは、活動家の言う、王政を廃し、絶対的な民主主義国家の樹立するなど、理解すら出来なかった。
旧来の生活に何の不満もない彼ら国民にとって、民主化など必要がなかったのだ。
それでよかったのだ。
しかし、活動家を支援する国家がこの小国に乗り込んでくる。
民主主義を主要輸出品に据えるアメリカだ。
民主活動家の保護。
この名目だけで国家に侵攻したアメリカ軍と、市民軍まで駆り出したアルメキア軍の交戦は、周辺国をも巻き込み、それが故に次第に民族問題へと代わり、そして泥沼化していく。
虐殺や略奪が横行し、市民は難民となるか、戦場で殺し、殺されるか。
民主主義とは悪魔主義であり、それを売り込んだアメリカは死の商人以下の存在でしかない。
犠牲者にとって、正義は、悪なのだ。
敬虔なる信者であるシスター・マリアは、この国で苦しむ人々を看過することは出来なかった。
彼女は、ヴァチカンの心ある神父・シスター、そして医療団を率い、アルメキアへ乗り込んだ。
ヴァチカンの記録によると、シスターはけが人の看護から孤児の世話まで、それは熱心に取り組んでいたという。
己の義務、神に仕える者の義務として。
その献身を前に、アルメキア国民がそんな彼女につけた敬称は、
「ヴァチカンの慈母」。
殺戮集団と言われた狂信的民族主義集団ですら、彼女の存在する地域には攻勢をしかけてはこなかったという。
それだけ、彼女は国民、敵味方何ものをも問わずに敬愛されていた。
その彼女達は、ある日、医療活動のため、ある村を訪れた。
土砂崩れで家屋が流され、負傷者が多数出ているという知らせを受け、駆けつけたのだ。
負傷者が床やベッドに、家族を失った者の悲しみとけが人のうめき声が耳に満ちあふれるその中で、彼女とスタッフは懸命の活動を行った。
こと、彼女が力をいれたのが、子供達の救援。
テントを立て、子供達を集め、食事を振る舞う。
乳の出ない母親にミルクを与え、子供達の健康状態に気を配る。
この時、シスター達医療チームの数は25名。
収容した患者の数は155名。子供は51名。
彼女達に遅れること3日。
医療チームへ補充物資を運ぶヴァチカンの輸送隊が村へ到着した時。
合流すべき彼らのほとんどは、生きていなかった。
輸送隊が見た光景。
それは、焼けこげたテントと、根幹から破壊された村の跡。
村は、アメリカ軍の爆撃と、村へ侵攻したメサイア部隊の掃討を受けたのだ。
生き残りはわずか3名。
重傷を負い、建物の下敷きになったシスター・マリア。
一人の少女。
岩場に逃れた一人の男。
道路や医療施設の周囲には、折り重なるように人々の亡骸が転がっている。
その光景は素人が見てもわかる。
逃げまどう村人達を、メサイアの攻撃で撃ち殺したことは、明らかだった。
「アンヌ村の虐殺」
後にそう呼ばれる事件だ。
世界的な批判を浴びたアメリカ軍司令官が言い放った一言。
「あの地域は反民主主義者の温床であり、彼らへの攻撃はその予備的行動に過ぎない」
そして、いつしか―――
批判は批判で終わり、そして、世界は、この事件を忘れた。
しかし、シスター・マリアは忘れなかった。
子供達の屍と共に建物の下敷きになったシスター・マリアは、
救助されるまでの24時間、子供の屍を見続けたシスター・マリアは、
救助されるまでの24時間、神の救いを求めつづけたシスター・マリアは、
救助されるまでの24時間、神の慈悲を信じ続けたシスター・マリアは、
神を、見捨てた。
神を信じた子供達を殺され、
その行いを、神の名の下に実行され、
その行いを、神すら裁かない。
私は、神に裏切られた。
神は、私を見捨てた。
「慈母」とまで称えられた女は、そう感じ、それ故に、狂った。
誰も救わぬなら、
誰からも救われぬなら、
誰も復讐せぬなら、
私がやる。
私が、神になる。
そう―――狂ったのだ。
しかし―――
イーリスには、あまりにもショッキングなことだった。
「シスター・イーリス」
シスター・フォルテシアは不思議そうにイーリスの顔を見た。
「どうなさったのですか?」
「うむ……シスター・マリアが「アンヌ村の虐殺」事件の関係者だったとは思わなくてな」
「そうなのですか!?」
シスター・フォルテシアが驚いた顔でイーリスを見た。
「ああ。資料を調べていたら」
「あのヴァチカンの慈母が、シスター・マリアだったのですか!?」
「そうだ」
「すごいことです!」
シスター・フォルテシアは興奮気味に言った。
「かつて、マザーテレサの後継者ともいわれた伝説の聖女ですよ!?―――ああ。惜しい方を亡くしました」
心底残念がるシスター・フォルテシアにイーリスは、
「ああ。……キリスト教信者としての私の洗礼をして下さった方だ」
と、なんでもないという顔で言ってのけた後、手に持った聖書を見せて、
「これだって、その時もらったものだ」
「……え?」
「気づかなかったよ」
イーリスはため息混じりに言った。
「で、でも」
シスター・フォルテシアは首を傾げた。
「あの事件は確か……17、8年前ですよ」
「そうだ。私が7歳の時だ」
「シスター・マリアは」
「強い魔力を持つと、老化が遅くなることは知っているだろう」
「……う、うそ、ですよね?」
「生年月日から逆算すると、シスター・マリアは今年で50だ」
「どうみても私より2、3歳年上にしか見えませんでしたが」
「年齢ではないよ」
イーリスは言った。
「シスター・マリアは、もう、人としての己を否定したのだ……子供達の無念を晴らしたい一心で……あんな悲劇を産み出す民主主義、そして、アメリカを憎み抜いてな」
「信じられません……どうやったらあんなに若く」
シスター・フォルテシアの感心は、そっちに集中しているらしい。
イーリスの言葉に気づいている様子は、ない。
遠くで鐘が鳴り響く。
もうすぐ、お昼だ。
空が、青い。
「シスター・マリア……あなたは気づくべきだったのだ」
気づけなかったのが、悲劇の元凶なのだ。
アメリカが悪いのでも、
民主主義が悪いのでもないのだ。
欲望を正義の名で覆い隠し、他を従わせることにのみ汲々とする。
その欲望こそが、元凶なのだ。
私は教団に連れて行かれる途中、あなたに出会った。
そして、あの悲劇に出会った。
あの後、あの地で生き残った男に連れられ、そして、今の私がいる。
シスター・マリア。
かつての私がそうだったように―――
あなたは、出会うべきだったのだ。
過ちに気づかせてくれる仲間に。
あなたは、見つけるべきだったのだ。
信じるに値する、何かに。
それに出会い、見つけることが出来なかったシスター・マリア……。
あなたは本当に……。
「いけない!」
鐘の音に、シスター・フォルテシアが飛び跳ね、イーリスは感慨から引き剥がされた。
「どうした?」
「ミサの途中で言われていたんです!会議が始まるそうです」
「ああ。もうそんな時間か」
「あの……シスター・イーリス?」
シスター・フォルテシアが驚いたように言った。
「あの……」
「どうした?」
「何を、泣いていらっしゃるのですか?」
「ん?」
乱暴なまでに目をこすったイーリスの手は、濡れていた。
イーリスが会議室に入った時には、すでに会議は始まっていた。
薄暗い中、スクリーンに映し出されているのは、あの門だ。
イーリスは黙って樟葉の横に座った。
近衛から派遣されてきた技師が説明を続ける。
「本来、門からあふれる微弱な魔素は、地下通路を経てまっすぐに出口にあたる地下祭壇へ流れ、祭壇によって浄化される仕組みがとられていました。ところが、地下祭壇がその機能を失ったことか、封印が外れるきっかけになったと考えられます」
「どういうことだ?」
「祭壇こそが、封印そのものなのですよ」
「あの祭壇が?」イーリスが驚いて技師を見た。
「そうです。」技師は頷いた。
「より正しく言えば、あの地下通路全体が門として設定されていた―――そう見るべきですね。あの地下施設が作られた当時、人為的に門の封印を作り上げるには技術的に未熟過ぎた。そこで放出される魔素を、薄める装置をかませて封印としたのです。運良く、宮内省の書庫から関連書類が発見されていますから、この考えの裏付けはあります」
「学校施設を移転したのは、そのせいかな?」
「恐らくは」
「で?今後は?」
「門は封印の上、再度、地下通路を再建し、土砂で覆います」
「……かなりの費用がかかるのでは?」
「それはご心配なく」
そう言ったのは教頭だ。
「その程度の出費なら、我が校の負担にて問題はありません」
「……そう、ですか」
「はい。おい。さすがにニンゲンの土木会社だといろいろ問題がある。天原組へ見積もりを頼め。神音様の口利きなら、ドワーフが雇える」
「はい」教頭の後ろに控えていた秘書らしきスーツ姿の女性が席を立った。
「ど、ドワーフ?」
教頭の口から何でもないといわんばかりに出た、とんでもない言葉に、近衛から出席した者達の目が点になった。
「ドワーフって、あのハイホーハイホーの?」
「そう。酒樽やれば何でも作ってくれるあのドワーフ。……あっ、ちなみに、この学校を建築したのはすべて連中です。いや。やはり仕事がいい!私の家もこの前頼みましたが……石造りの家を建てさせて、彼らに勝る者はいませんな!」
「ま、魔界と取引している……と?」
樟葉の手は、刀の柄を握りしめていた。
「そう青筋立てるんじゃないよ。饗庭君」
「元、恩師とはいえ、それは立場上、看過することは……」
「君、知らないのかね?」教頭はあきれ顔で樟葉に言った。
「何を、ですか?」
「皇居の地下施設もまた、彼らによって作られているのだぞ?見事なものだろうが」
「う……うそ、ですよね?」
「理事長が仰せだ。疑うのかね?」
「……」
「さて―――白銀寮での件はそういうことだ。皆、ご苦労だが、よろしく頼む」
ガタガタッ
生徒会の会議が終わった。
うららが速記録を清書しようとしたその途端、
「うらら」(×2)
すぐに舞と白銀がうららを囲んだ。
二人の目は、何かを思い詰めたような、真剣そのものだ。
「あら?お二人とも、どうされたのですか?」
「夕食、一緒にどうだ?」
「うらら。是非、手作りを」
バチッ!舞と白銀の間で火花が散る。
「くすっ。いいですよ?何がいいですか?」
「いや。うらら。こんな白銀なんてヤツと一緒では食事がマズくなる」
「何を言うか!うらら。こんなガサツなヤツは放っておいてだな」
うららを巡ってヒートアップする一方の二人を、生徒会のスタッフ達はあきれかえって見つめるだけ。
「本当に、元気ですね」
書類を片づけつつ、沙羅が感心したように言う。
「ったく、こんな所で恋のさや当てだよ……これで仕事だけはしっかりやってくれるからいいようなものの……それにしても」
チュッパチャプスをくわえつつ、事態の経緯を眺めるクリスはあきれ顔だ。
「あいつら、うららにコントロールされていることに気づいていないんだよな」
「そういえば……」
沙羅は三人を見直した。
「まぁまぁ。白銀さん、舞さんも」
沙羅の目から見ても、うららの仲介は見事の一言に尽きた。
舞と白銀。
プライドの高い二人のそれを互いに傷つけることなく、見事に間を取り持って、気がつくと二人とも、何を怒っていたか忘れていることも度々だ。
「まぁ、モメゴトの根が、あいつ等のレズってのがなぁ……」
クリスは苦い顔だが、沙羅は微笑みながら言った。
「あら?いいことですよ?」
そのしなやかな指先が、そっとクリスの肩からうなじに走る。
「沙羅……」
「はい?」
「近づくな」
「上等だ白銀!表に出ろ!」
「よし買った!」
ついにつかみ合いになる二人。
うららがオロオロしながら止めようとするが、
「いい加減にしろお前等!」
クリスの怒鳴り声が生徒会室に響き渡った。
ここで皆様にクイズです。
Q:本来ならば、銃を撃つべき職業の連中がシェルター内にいます。
それはどんな連中でしょうか。
以下、ヒントです。
ヒント1、樟葉達には銃を向けました(つまり、SP兼ねてる人達です)。
ヒント2、男爵の娘を止めたのは栗須と?
ヒント3、シスター・マリアの焼死体第一発見者のこの職業の人です。
ヒント4、この職業の主人公が活躍するマンガがアニメ化されます。
回答方法:評価欄にて感想とご一緒にお願いします。
期限:07年3月10日(土)まで。
賞品、というのもヘンですが、お嬢様達のナイトメア後日談、
「プリンセスワルツ」(仮題:日菜子&水瀬)
「副会長の割とヒマな一日」(仮題:生徒会スタッフ)
「スクープ!生徒会長の驚愕の過去を見た!」(仮題:栗須)
以上、短編3本の本編終了後の順次作成と公開を実施します。
条件 クイズ正解者が10名を越えた場合のみ公開とします。条件を満たさない場合、公開しません。
こぞってご応募下さい。