お嬢様達のナイトメア その4
「ねえ、お聞きになりました?」
「2年生の木戸さんって方、昨日の夜から行方不明とか」
「ご両親がいらっしゃっているそうよ?」
木戸文乃の失踪は、教養科の生徒達に少なからぬ影響を与えた。
「何でも、木戸さん、好きな方と駆け落ちなさったとか」
「身分違いの恋をされていらっしゃったのね?」
「すてきなお話ですわ」
「なんでも、今頃は二人でヨーロッパに向かう飛行機の中とか」
「いいえ?それでは空港で止められますでしょう?横浜港から船と聞きましたわよ?」
なお、影響とは、お茶の話題のことである。
彼女たちに、身の危険を感じる能力は、はっきり言ってほとんどない。
……そのことについては、いずれ話すことにしよう。
「今日はおごらんぞ」
舞は席に着くなり、開口一番、そう言った。
「でも、先輩のツケっていっちゃった」
そういう水瀬の前には、チキンの香草焼きをはじめ、トレイからあふれんばかりの料理が並んでいた。
「後で取り立てる」
「じゃ、上条先輩のお弁当」
そう言って手を伸ばした水瀬の目の前で、うららの弁当箱が消えた。
舞がとっさに取り上げたからだ。
「これは私のだ!」
「本当に、仲がよろしいんですねぇ」
感心したように言う春菜は、水瀬のトレイからめぼしい料理を自分のトレイに移していた。
「まぁ、うららとは幼稚園からのつきあいだからな」
舞は照れ隠しのように咳払いしてから弁当箱の包みを解いた。
「タコさんウィンナーにハンバーグ。上条先輩は、お料理、お上手なんですね」
「そ、そんなことないです」そういうものの、うららの言葉には、どこか自信が感じられる。
「あ、おいしい」
ハンバーグを一切れかっさらった水瀬がモグモグしながら感想を述べた。
「こ、こらっ!」
負けじと舞が水瀬の皿からチキンの香草焼きを丸ごとさらう。
「先輩ヒドイ!」
「報いというものだ!」
「うううっ……で、先輩。この前の不審者ですけど、何かわかりました?」
「ああ。単なる営利誘拐だ。会長が仕入れてきた情報だがな」
「信用、できるんですか?それ」
「情報は理事から直接、会長へ伝わってくる。出所が出所だけに信頼はおける」
「へぇ。じゃ、校長は?」
「校長とその派閥は、理事からはいい顔されているとは限らない」
舞は中途半端な答えでお茶を濁した。
「それより、昨晩の騒ぎの方が問題じゃないか?寮が襲われたと聞いているが」
放課後 白銀寮
「昨晩のことですか?」
メイド服に身を包んだ水瀬は、女中頭に昨晩の出来事を訊ねた。
「昨晩、あれほどの騒ぎになったというのに、あなたはそれに気づかなかったのですか?」
「申し訳有りません。レミントン神父……と、シスター・フォルテシアの部屋におりましたので」
「門限は、すぎていましたね」
「し、神父が特別に―――と」
女中頭のからみつくような視線から逃れようと、水瀬は虚しい反撃に出た。
「まぁ、いいでしょう」
(この人、すべてお見通しなんだろうな)
水瀬はそう思ったが、あながち間違いでもないだろう。
「神父へは後で確認しておきます。何しろ、メイド服を着ていないあなたは、ここの生徒なのですから」
「はぁ」
「生徒である以上、規則に違反するならば、罰を受けていただきます。よろしいですね?」
「罰?」
「安心なさい。単なる罰金刑です」
「ばっ!?」
今の水瀬にとって、一番痛い罰だ。
「―――」
「し、失礼いたしました」
「ほんの百万円です。1時間当たり」
「す、すごい刑罰ですね」
「そうですか?みなさん、お小遣いを減らされる程度ですよ?」
「……常識が破壊される瞬間って、こんな時なんでしょうね」
「それはともかく」
チリン
女中頭は、机の上にあったベルを鳴らした。
ガチャ
「お呼びですか?」
入ってきたのは、水瀬に銃を教えたメイドだ。
「昨夜の事件について、水瀬さんに教えてあげてください。実際に指揮を執ったあなたの方が、詳しく説明できるでしょう」
「はっ」
メイドは、水瀬に向き直ると、事務的に語り出した。
「昨晩2349時、第三種警戒シフト体制下にあった女子寮「白銀館」第4監視塔にて警備中のメイドがポイントA4地点に不審者を発見。直ちに、同ポイント担当の、4名でなる221班が誰何に向かった所、不審者は敵対行為を見せたため、2354時、現場の判断で不審者を敵と判断。同時刻、敵へ向け発砲開始」
「発砲?」
「―――何か?」
「あ、あの、昨晩、私、射撃音は聞こえませんでしたが?」
「当然です」
女中頭は言い切った。
「メイドたる者、ご主人様の安眠を乱してはなりません。故に、夜間使用する銃は、その全体を覆うサイレンサーは当然。可能な場合は火器ではなく、肉弾戦にて、静かにつ速やかに敵を殲滅することは常識です」
「じ、常識、ですか?」
「はい」
「……続きをどうぞ」
「敵はこちらからの攻撃を巧みに交わしながら反撃に転じ、近接戦闘範囲へ進入したため、銃剣及びバルバード、バトルアックスにて応戦。日付変更し0001時、敵撤退を開始。同時に321狙撃班、112、113重機関銃班、124対戦車猟兵班が敵へ向け発砲。敵に与えた損害は不明」
「太田?迫撃砲と戦車、航空戦力の投入は?」
「夜間、その爆音はご主人様方の安眠を妨害するおそれがあると判断し、投入を見合わせました」
「よろしい」
女中頭は頷きながら言った。
「適切な判断でした。生徒さん達の安眠を守り抜いた武装メイド隊の功績は、いずれ何らかの形で表彰されることでしょう」
「はっ」
メイドは背筋をなおし、敬礼した。
「水瀬さん?何か質問は?」
「え、えっと、不審者の服装や性別なんかは?」
「―――女性だ」
メイドが無機質に答えた。
「女性?じゃあ、生徒さんだったのかも」
「全生徒の個別認識は網膜認証を採用している。歩哨に立つメイドは、専用のセンサーで、瞬時に夜間だろうが何だろうが相手が誰かを、通常の3倍早く把握出来る。何より、監視システムは特殊な方法でこの学園の全ての人間の居場所を把握出来るのだ。誤認はありえない」
「で、でも、昨日、生徒さんが一人」
「部下の報告では、不審者は高等部2年B組出席番号12番、生徒認証番号55647012、木戸文乃様とよく似ていたという。だが、違う」
「?」
「侵入者の情報は、網膜認証はおろか、衛星画像以外のすべての検知にひっかからなかった。これで生徒だと認識することなぞ出来ない。変装でなければ、おおかた、学園内をさまよう死霊か、はたまた狐や狸の類だろう」
「そう、さらっと言われると……」
「何なら、当時、実際に交戦した部隊がキッチンにいる。話を聞いてみてはどうだ?」
「そうします」
放課後 白銀寮 従業員休憩室
美食に慣れた生徒達の舌と胃袋を満足させるため、超一流のシェフを擁するキッチンの端に、メイド専用の休憩室がある。
中で数名のメイド達が休憩をとっていた。
肩章に221と刺繍されているから、彼女たちが昨晩、不審者と戦ったんだろう。
「あの……」
「あら?確か、水瀬さんでしたね」
声をかけてきたのは、一番奥で紅茶を飲んでいたメイドだった。
長いポニーテールに優しそうな目元が印象的な、やや背の高い女性だ。
「は、はい」
「221班長の池内です。敬礼はいいわ。大尉からさっき連絡をもらっているの。それで?」
「あの、昨日の不審者についてですけど、どんな相手でした?」
「高等部の2年の木戸さんと顔立ちといい、体つきといい、よく似ていたのは事実よ?」
隣にいたメイドが割り込むように話した。
「実際、歩哨に立っていた117班の娘も、最初は木戸さんだと思ったっていう位。あの娘達は高等部中心で担当しているからね。よく知っているのよ」
「でも、違った」
「ええ。網膜の他あらゆるバイオチェック(生体認証)にもね」
「ヘン、ですね」
「そう。だからね?こっちも出ていって、誰何したけど反応がない。間近で視認したけど、外見は生徒さんだった。でも、バイオチェツクに反応しないんじゃあ、いろんな意味で普通じゃないでしょう?歩調からしても屍鬼じゃないのはすぐにわかった。だから、ああこれは吸血鬼化しちゃったなって、そう思ったの」
「き!?」
「最初、警告与えてから威嚇発砲で取り押さえようとしたんだけどねぇ」
「止まらなかった?」
「普通、威嚇発砲でも止まらなかったら、射殺されても文句言えないでしょう?」
「まぁ、普通はそうですね」
「だから足を狙って発砲したら、弾丸避けちゃうんだもの。もう隊長、撃て撃てって」
「う、撃ちまくったんですか?」
「ええ。私のかわいい電ノコちゃん(MG-42 注:機関銃)が火を噴いたわ」
水瀬の中で、大切な何かに確実にヒビが入った。
「東○マルイ、すごいエアガン売り出したんですね……それとも、ファイ○アームズですか?電動モーター式?それともガス?」
なぜか水瀬は涙声になっていた。
「やっだぁ!本物に決まっているじゃない!」
「は、ははっ……」
ほほえむ頬を滝涙が流れ落ちていく。
「ところがね?私の電ノコちゃんをもってしても当たらないのよ。これが」
「吸血鬼の反射能力は騎士並だ。我らメイドでなければ追いつかない」
ティーポットに手を伸ばす、目元がややきついメイドが言った。
「篠原が無駄弾ばらまくせいで、包囲殲滅戦が出来なかったのが失点だ」
「う゛っ!」
先ほどまで説明してくれていたメイドが青くなって黙った。
「水瀬さんだったな?」
「あ、水瀬、でいいです」
「―――じゃあ、メイド服を身にまとう限りで、水瀬。その後、我々は白兵戦へ転じた。銃剣やハルバード、バトルアックス―――まぁ、そういう所だ」
彼女は、壁の棚に並ぶ自動小銃や斧をアゴで示した。
よく手入れされているが、グリップなどをみれば、それがどれだけ使い込まれたものかは一目瞭然だ。
「はぁ……」
水瀬は、居合わせたメイド達を一通り見た。
目の前にいるのは、普通の人で、しかも全員、見た目はかなり華奢なメイド達。
それが、機関銃を撃ちまくり、バトルアックスを振り回す姿は、ちょっと想像できなかった。
「多勢に無勢と判断したか、不審者はすぐに後退していったよ」
「あの、皆さんって……騎士、じゃないんですよね?」
「当然だ」
「じゃ、何なんですか?」
全員が同時に答えた。
「メイド」
夜 白銀寮 第4監視塔
夜、歩哨への食事を届けに、水瀬は監視塔に登った。
「お疲れさまです。食事です」
まだ20歳前だろう、髪を短くしたメイドが水瀬にほほえみながら声をかけてきた。
「ありがと」
たしか、野々村という名前だと聞いた。
「わぁ。今日は何かな?」
「松阪牛のビーフシチューです」
「へへっ。私、だからやめられないんだ。この仕事」
「おいしいご飯。ですか?」
「そう。仕事はキツいトコあるけどね?こんな高級なご飯、タダで食べられるし、うっわーっ。今日はティラミスもある!」
「昨日も監視ですか?」
「え?そう。機銃で支援もしたよ?」
「機銃?」
「そう。あれ」
吉野がスプーンで指し示した先には、銃架に乗ったゴツイ機械があった。
「なんです?あれ」
「M134ミニガン。今はサイレンサーつけてあるからゴツゴツだけど、本当はカワイイのよ?毎分4000発も発射出来るし。本当はM61が普通なんだけど」
他にも、こんなのもあるよ?と、水瀬が手渡されたのは、セミオートマの対戦車ライフルと歩兵携帯型の対空ミサイルだ。
「さ、サイレンサーに意味あるんですか?」
「スプレッサーもついてるけど。ほら、ここはお金持ちがたくさんいるでしょう?」
「はい。それが?」
「お金に不可能はないのよ」
「な、なんだか、真理ですね」
「そう。それで?何か聞きたいことがあるの?」
「昨晩の不審者ですけど、あれ、木戸さんだったんじゃないかって」
「そうよ?」
「え?」
「あれ、木戸さん」
「な、なんでわかるんですか?」
「木戸さんって、首筋にほくろが3つ並んでいるのよ。だから、首筋見ればすぐわかるわ。間違いなく、木戸さんの吸血鬼」
「皆さん、よくそんなに平気ですね」
「最初は怖かったけどさ?式神から始まって、やれ死霊だの生き霊だの厄介なものを生徒さん達に送りつけてくる人多くてね?で、そんなのと戦ってたら自然と慣れちゃった。吸血鬼もこれで何度目だっけ?うーんと……忘れちゃった。ま、生徒さんが吸血鬼化したのははじめてだけどね」
(しばらくメイドに関わりたくない)
水瀬は本気でそう思った。
(でなければ、僕達の立場って一体……)
夜 白銀寮 春菜の部屋
夜 春菜の部屋で、栗須の煎れてくれた紅茶を飲みながら、水瀬は今日の出来事を話した。
「当たり前ですよ?」
「え?」
春菜はきょとんとした顔で言った。
「ここのメイドさんだけじゃありません。宮中の女官さん達も、それくらいは当然、出来ます」
ちらりと栗須を見る。
栗須は焼きたてのパイを切るのに夢中で、こっちに気づいていない。
やっぱりよくわかんない。
メイドさんが吸血鬼を撃退するなんて、そんなこと、信じられない。
相手は近衛でも手こずることがある高位の妖魔だ。
それを相手出来るってことは、僕たちと互角の力があるってことになる。
うん。やっぱり、考えれば考えるだけ、何か、何かが間違っている。
よし。
水瀬は軽く風を起こした。
魔力では初歩中の初歩「創風」の魔法。
(これに栗須さんはどう反応するんだろう)
風が栗須の足下を狙う。
そして―――
「はぁい!パイが出来ましたよぉ!?」
そう言った栗須のスカートが、一気にめくりあがった。
「そうです!栗須泣いて暴れちゃって!―――だから、姉様、笑い事じゃないんです!」
皇室の身の回りに関する奉仕を任務とする宮内省宮中女官団。
それは、皇室のメイド達のこと。
その中でもトップに属する女官
栗須明奈
当年24歳
水瀬はこの夜、彼女によって女官の、いや、メイドの恐ろしさをその身をもって味わうことになった。
自業自得。
それが、いつだって教訓だ。