お嬢様達のナイトメア その34
イーリスと水瀬は、旧校舎群手前にいた。
「それで?白銀がお前にそう言ったんだな?」
「うん」水瀬は答えた。
「シスター・マリアどころか、校長までいなくなって、職員まで大騒ぎだって」
「ふぅむ」
「でもまだ僕たちは校長の尻尾を掴んでいないよ?」
「経理データを専門部隊にあたらせればすぐにカタがつくだろうよ」
「手がかりでもみつけた?」
「ん?そんなものはない。推論だ。それほど大きく外れてはいないはずだが」
「オトナの判断ってやつ?」
「そうだ。子供はさっさと寝ていろ」
「うん。じゃ、イーリスさん、あとよろしく」
「―――まて」
踵を返して帰ろうとした水瀬の襟首を掴むイーリス。
「都合の悪くなった時だけ子供になるな。地下施設の情報は、さっき聞いたとおりだな?」
イーリスは畳まれた地図を広げた。
「うん。ただ、上の施設も使われている可能性は否定しない。ようするに、敵がどこにいるか、それすらわかんない。虱潰し覚悟の仕事だよ」
「人手が欲しいな」
「贅沢いえないよ」
「近衛がこんなに人手不足とはな」
「戦争で、みんな死んじゃったからねぇ―――そういえば、イーリスさんは、あの戦争は不参加だったんだよね」
「ああ。イギリスにいた。“聖杯”を探していた」
「へぇ。あったの?」
「まぁな。さて、水瀬。スタンバイしとけ」
「スタンバイって……何をするの?」
「とりあえず何もするな。時間を稼ぐ」
「時間を?」
「ああ。魔素の反応源を調べてもらっている」
「誰に?」
イーリスは無言で指を天に向けた。
「……神様?」
「アホ。おい水瀬。コーヒーいれてくれ」
「随分悠長だね」
「大抵の問題は、コーヒー1杯飲んでいる間に解決するものだ」
無言で時計を見続けた水瀬は、
「……嘘つき」
「まだ飲んでいない」
水瀬は、リュックの中の魔法瓶からコーヒーを紙コップに入れてイーリスに出した。
「はい。ブラックでしょ?イーリスさん、コーヒーにこんなに細かかったなんて」
「ああ。悪魔のように黒く。絶望のように苦い。それがコーヒーだ」
「ギリシャ人だっけ?そんなこと言ったの」
「私だ」
「それで?事態は解決したの?」
イーリスは、無言でどこからともなく大型のPDAを引っ張り出してきた。
「どこに隠していたの?」
「企業秘密だ。―――よし来た」
「?イーリスさん。これって」
「そうだ。丁度、演習帰りの“最上”に探索を依頼したのさ」
最上
最上級重偵察巡航艦ネームシップ。
全長約280m、
基準排水量52800t。
155mm連装MMR砲塔8基他で武装。
近衛兵団の保有する武装強襲型偵察飛行艦で、世界最速の高速艦。
旧日本海軍の軍艦「最上」を彷彿とさせるそのデザインから国内外にファンが多い。
武装はこのクラスとしては標準的なものしかないが、群を抜く高いステルス性能と情報収集能力で活躍した武勲艦である。
「よく応じてくれたね。あの艦長が」
「寺内にはポーカーの貸しがある」
PDAに映し出された映像。
それは、旧校舎群の地下を螺旋状に走る魔素の帯。
一部が切れて、まるで帯の破片のようになって動いているが、魔素か妖魔か、容易には判断が出来ない。
他にも雑多な反応が画面狭しと映し出されており、状況がまるでわからない。
イーリスは、こんな状況に立ち会ったこと自体が初めてだった。
いや。百戦錬磨と称えられる魔法騎士達でさえ、こんな状況に立ち会ったものなど限られるだろう。
「地下通路は、この魔素を一直線に外に出さずに拡散させるための魔術施設と見るべきだな」
「ということは、施設を作った人は、地下に何があるかを知っていた?」
「当然だな」
イーリスは立ち上がった。
「残念だが、これほど魔素が強ければ、敵を個別に判定することはほとんど出来ない。とにかく、敵を殲滅するだけだ。どうした?」
水瀬は、PDAを見つめたまま動こうとはしない。
いや。近衛軍の小型無線機に聞き入っていた。
「……やっぱりね」
「怖じ気づいたか?」
「イーリスさんが、一年戦争に参加していないってこと、今の一言で、真実だってわかった。あの戦争に立ち会っていたら、今、逃げても笑いもしないよ」
「どういうことだ?」
「最上の司令部も慌てているよ。こんなの発見したんだから」
「おい。質問に答えろ。どういうことだ」
「通報を受けた司令部が近衛全部隊に動員かけて、メサイア満載した信濃でも繰り出すかな?うん。そうなれば、イーリスさんの言うとおり、コーヒー1杯飲んでいる間に解決するよ。この辺の地形がどうなるか知らないけど」
「確かに、この魔素反応は異常だ。だが、何故それだけで近衛が総力戦じみた動きをする?何だ?何があるというんだ?」
困惑するイーリスに、水瀬はため息まじりに
「あのね?この魔素、どうみても中心部からあふれてるの、わかる?」
「ああ。中心部は反応がないが、そこにつながっている回廊に魔素が波のように」
「これ、中心部のフタが外れかかっている証拠」
「フタ?―――フタ、とは?」
「中心部が、あの倉木山山頂と同じといえば、納得出来る?」
「まさか!」
イーリスは吹き出した。
「おい。悪い冗談だな」その声はむしろ震えていた。
「お前はこういいたいのか?」
水瀬は、答えない。
「あれが“門”だと?水瀬、お前は―――!!」
門
人間界と魔界や天界をつなぐ特殊な“場”のこと。
その多くは魔界へとつながっている。
一年戦争では、この門の封印が破れたことが、無数の魔族・妖魔の侵入を許すことになり、人類に計り知れない犠牲を強いる結果となった。
「そう」
「なんでそんなものが、よりにもよって学校の地下にあるっていうんだ!?ご都合主義もいい加減にしろ!」イーリスが怒鳴るが、
「熱くなるのはわかるけど、僕に怒鳴らないでほしい」
「他に怒鳴る相手がどこにいる!」
「相手がいれば僕もそう思いたいけど……少なくとも司令部。つまり、僕たち以上に研究、分析に時間を費やしてきた連中は、それだって認めているよ。イーリスさん。とにかく、一度戻って、殿下を宮中へお連れしよう。門封印は専門部隊が必要だし。対策万全にして、それからの方が安心だよ」
「いや。そうはいかない」
イーリスはPDAを操作しながら、水瀬の言葉を否定した。
「無鉄砲だよ。僕たちには門の封印は出来ないよ?殿下だって心配だし」
「殿下は、他が当たる。我々は門近くにいる敵を殲滅する」
「殲滅?あっそ。イーリスさん、頑張ってね」
「私の個人的発案ではない。これは立派な司令部からの命令だ」
イーリスは、そういうとPDAを指さした。
地図ではなく、司令部から送られてきたメール画面に変わっていた。
「……うわ」それを読むだけで水瀬はげんなりする。
「要するに、魔素調査に入る前に、ヤバそうなのを掃除しておけ。司令部はそう言いたいんだ」
「そのお鉢が我々に回ってきた。―――水瀬、これは運命だ。諦めろ」
「あんな所へ笑って突っ込める神経が欲しい」
「風車へ突撃したドン・キホーテの?」
「複雑骨折で済んだかなぁ。風車と戦って」
「死んだという記録はないな」
イーリスは、ナイフや装備を手早く確認する。
「諦めだけが人生ですね」
ぼやく水瀬も、だ。
「石化の呪符、100枚で足りますか?」
「魔導兵団が頑張ってくれたな。何とかなるだろう」
「じゃ、行きますか」
「ああ。最上からのデータリンクは切られないように注意しろ」
「了解」
ズンッ!
その衝撃に、校舎のガラス窓が一気に砕ける。
「イーリスさん、じゃ、理科棟から」
「建物を一気に吹き飛ばせ。どうせ魔法騎士戦闘となれば崩壊は免れない。更地にした方が楽だ」
「それ、禁止されてたでしょう?」
「何?」
「ちゃんとメール読んだ?“建物は都の重要文化財だから、破損は小程度に押さえろ”って」
「次から次へと無茶ばかり」
「かわいい方だって―――とにかく、窓から入ろう。地上はそれほどじゃない」
「ああ。互いに反対側から攻めて、内側に追い込むか?」
「一人で大丈夫?」
「私を誰だと思っている?」
「そういうセリフ、寿命縮めるから、やめた方がいいよ?」
「とにかく行って、敵を中心部の講堂へ追い込め!最悪、講堂ごと吹き飛ばす!」
「うん。じゃ、僕は図書館から」
「うっわーっ」
これが、図書館に入った途端、水瀬の口から出てきた言葉だ。
「いきなり貧乏くじ引いちゃったなぁ」
水瀬がそうぼやくのも無理はない。
古ぼけた木造の図書館の暗闇の中、侵入者を歓迎するように赤い瞳が光る。
「20体―――シスター・マリアの置き土産、か」
水瀬は、放課後、白銀から聞いた話を思い出した。
「残った吸血鬼は、私を含めて約20よ」
「正確な数、わかんない?」
「そっちがどれほどの吸血鬼を確保したかによるわ」
「14体」
「……じゃ、私抜きで丁度20」
「元は35体?」
「そうよ。普通科生徒が中心だけど」
「頭は?」
「加藤晴海教養科3年、髪を変則ポニーテールにしているからすぐわかる」
いた。
一番奥。
背の低いポニーテールの女の子。
あれがこの吸血鬼達の頭。
「ねぇ」
水瀬は闇へ語りかけた。
「大人しく言うこと聞いてくれるってのは、なし?」
返事は、ない。
かわりに繰り出されてきたのは、吸血鬼達の一撃だ。
本棚を楯に凄まじいスピードで四方八方から襲いかかってくる。
「わっ!あんまり勢いつけないでよぉ!破損しちゃうでしょう!?」
攻撃をかわしつつ、水瀬は呪符を張り続けた。
一方
「はぁぁぁぁっ!」
ズンッ!
イーリスの一撃は、大型妖魔を頭上からの唐竹割の一撃で真っ二つにしてのけた。
「キリがないな……」
魔法の矢が群れをなして廊下を進む妖魔達をまとめて貫通し、沈黙させる。
「!!」
その戦果を確認することなく、イーリスは横っ飛びに飛び、床を転がった。
それまでイーリスが立っていた場所にあった壁は、妖魔の巨大な鎌で跡形もなく破壊されていた。
「これじゃ、妖魔に建物が破壊されるな」
しかたない。それはそれで理由になる。
イーリスは腹を決めた。
司令部の作戦順位は
1位 敵の殲滅
2位 被害を最小限度に
イーリスは、そう判断した。
被害を押さえることが最優先任務とは聞いていない。
妖魔が破壊したことまで責任はとれない。
イーリスの腕から伸びる雷撃が窓の外の敵をなぎ倒した。
窓側の壁が余波で吹き飛ぶが、もう構っていられない。
「―――上かっ!」
後方へ飛び、それを避けなければ即死は免れなかったろう。
突然、天井が崩れ落ち、落下してきた何かが、今度は廊下まで破って地下の闇へと落ちていった。
それが引き金だったのか、建物のあちこちが崩れ始めた。
「これは私の責任ではない」
イーリスが窓から飛び出したのは、決してただ逃げたのではない。
空中で静止したイーリスは、崩壊を始めた理科棟へ向け、巨大な火球を投げつけた。
瞬間、闇夜が昼間のように明るくなった。
崩壊を始めていた理科棟が妖魔達と共に爆発・四散した。
「ま、まぁ。状況が状況だからな―――ん?
それは、異様な光景だった。
理科棟跡がぽっかりと穴になっていた。
「爆発で陥没したのか?まさか」
イーリスは地図を見た。
ゲートから走る回廊からは理科棟は外れている。
「他に、回廊があったというのか?」
イーリスは、地下へと降りた。
そこは、幅20メートル以上、高さ30メートルほどの巨大なトンネルそのものだった。
建物が崩壊した所を避けて奥を見るが、その先は計り知れない。
「……」
床は、何かぬめった物質がこびりつき、得も言われぬ悪臭が漂う。
イーリスは、この臭いの原因を知っていた。
「クロウラータイプの妖魔が移動した?しかも、これはかなりの数だぞ?」
イーリスはとっさに地図を開き、トンネルの進路を確認した。
トンネルがまっすぐなら、間違いない。
この先にあるもの。
それは、白銀寮そのもの。
敵は、地下トンネルを通じて、またも寮を狙っていることになる。
無線機は、魔素の影響で使い物にならない。
「くそっ。水瀬と合流するか?」
グアォォォォォッ
ガァァァァァッ
地上からは妖魔達の咆哮が聞こえてくる。
数は圧倒的だ。
「まず、こっちが先か!」
イーリスは、ナイフのグリップを確かめると、穴から飛び出した。