お嬢様達のナイトメア その13
「はっ、始まったの?」
日菜子の様子を見る栗須には、何が違うのか、まるでわからない。
「はい。僕、殿下と精神を同調させますから、しばらく動けません。後、お願いします」
水瀬はそう言うと、日菜子の手を取って目をつむった。
「わかったわ。控え室には近衛から3人ついているから安心して」
栗須の言葉に、水瀬からの返事はなかった。
―――大丈夫よ
栗須は、焦る心をその言葉で無理矢理押さえ込もうとするように、何度も口にした。
―――この子は、半端な強さじゃない。だから、大丈夫。
栗須が、水瀬の背にせめてもと思い、毛布をかけた時だ。
ニャー
どこからか、猫の鳴き声がした。
―――縁起でもない。
栗須は背筋が寒くなるのを押さえられなかった。
●日菜子の精神空間
まるでどこかの抽象画家が描いたような奇妙な空間が広がっていた。
あちこちに島があり、青空が広がっているかと思えば、暗闇が覆う所もある。
ちぐはぐな世界。
それが、人の精神空間だ。
そして、それは、日菜子という立場の者でも変わることはなかった。
魔力をつかって、日菜子の精神世界に潜った水瀬は、侵入者を探した。
異質な存在が侵入しているから、空間にゆがみが生じているはず。
―――あった。
空間にひずみが生じている。
侵入経路はあそこ。
ということは、すぐそばに、侵入者がいる。
水瀬は、イメージすることで剣を形成し、事態に備える。
動く者はないか。
水瀬の目が、空間の地表すれすれを飛ぶ存在を捉えた。
―――いた。
黒い卵のような楕円の形をして跳び続ける存在。
急降下をかけ、その存在へむかって一気に近づく水瀬に対して、相手は気づいていない様子でまっすぐ飛び続ける。
目的地は、日菜子の精神を司る最深部―――心だろう。
そこを狙う以上、この存在が、日菜子を苦しめていることは間違いない。
水瀬は、容赦なくその存在の背後から襲いかかった。
「きゃっ!?」
剣が、卵を斬りつけた途端、中からそんな声が消えてきた。
「えっ?」
精神世界では、その精神力の強さがすべての強弱を決める。
当然、現実世界での肉体的力は全く意味をなさない。
故に、空間内部に形成される物体を破壊するためには、その物体を構成する精神力より強い精神力を叩き付ければよい。
相手の精神力は、水瀬の精神力よりかなり弱かったらしい。
斬りつけられた所を中心に、水瀬の精神力を元にした剣の攻撃の余波で卵を形成していた物質が霧散した。
その中から聞こえてきた声だ。
「あれ?」
驚いた水瀬の目の前で、卵の中身が落下していく。
どうやら、姿形から、女の子のようだ。
―――まずい
精神世界といえども、落下すれば、それはダメージとして通用する。
つまり、精神世界でも死ぬ。
地面ぎりぎりで少女を抱きかかえた水瀬は、少女を抱えたまま、地面に降り立った。
ここはどうやら、草原のイメージらしい。
腕の中の少女は、恐怖につむったまま震えていた。
ワンピースに身を包んでいるが、かなりグラマラスな体型なことを、手の感覚が伝えてくる。
身長はかなり高いし、顔立ちもはっきり美人といえる。
高校生かと見当をつけた水瀬が、少女に語りかけた。
「あ、あの―――君……誰?」
「……あっ、あれ?」
震えていた少女が、恐る恐る瞼を開き、水瀬と視線を合わせる。
「わ、私?」
「あの黒い卵の中から落ちたんだよ」
「ごっ、ごめんなさい。私、こういうの、慣れてなくて」
「普通、慣れられるモノなの?」
立てる?水瀬は彼女を立たせながら、疑問を口にした。
「よくわかりません。死んでからずっと、“あの方”の下で眠っていたもので、死者の世界には不慣れなんです」
よっと。立ち上がった彼女は、水瀬を見つめる視線を下にずらした途端、凍り付いた。
「はぁ……」
変わった子だ。
水瀬は思った。
かなり天然入っているが、立ち振る舞いはしとやかで礼儀正しい。
まぁ。お嬢様なんだろうな。
でも、なんでこっちを見たまま凍り付いているんだろう。
「どうしたの?」
途端に顔が赤くなり、身体がわなわな震えている。
「あっ、あの―――」
近づこうとした途端、彼女は悲鳴を上げ、両手で顔を覆うと、その場にへたり込んだ。
「いっ、いやぁぁぁぁぁっっ!!」
「!?」今度は、耳を塞いだ水瀬が凍り付く番だった。
「あっ、あの―――」
「ち、近づかないで!」彼女は悲鳴を上げた。
「だっ、だけど」
「その前に、せめて前を隠して!!」
「えっ?」
水瀬は、自分の身体を見て思い出した。
「―――あっ」
この世界では、道具を精神に頼る。
道具の一つである服すら、精神に頼る。
つまり、作らなければならない。
水瀬は、それを忘れていたのだ。
「あっ。ごっ、ごめんなさい」
「……」
赤面する顔を隠すようにして、指の間からじっくり見続ける少女の前で、水瀬は服を作り上げた。
「も、もう、大丈夫だよ?」
「……」恐る恐る顔を上げた少女が、涙目でこっちを見ている。
よっぽどショックだったようだ。
「ひっ、ヒドイです……ぐすっ」
「ご、ごめんなさい」
「もっ、もう、お嫁に行けません……」
「だって君、死んでいるじゃん」
「―――あっ。そうでした」
疲れる。
水瀬はどっと疲れを感じて、その場にへたり込んだ。
何なんだこの子は。
この場を理解しないマイペースさは、まるで―――
水瀬は、もう一度、目の前の子をまじまじと見た。
長いさらさらの髪。
まだあどけなさを残す顔。
なにより、そのすっとぼけてるとしか思えない態度。
間違いない。
これは、お嬢様特有のボケキャラだ。
「……君、名前は?」
「あっ。申し遅れました。私、北上真由と申します」礼儀正しい挨拶と共に、その名が出た。
―――やっぱり。
日菜子の話から、どんなおどろおどろしいキャラが出てくるかと思っていたら、こんなボケキャラのご登場だ。
水瀬は、ため息混じりに答えた。
「水瀬悠菜です。お話は聞いています」
「まぁ?私の?」
「ええ。毎晩毎晩、日菜子殿下の心に現れるって」
「―――あっ」
少女は、バツが悪いという顔で俯いてしまった。
「どうして、こんなことするんですか?」
「……」
「日菜子殿下は、あなたを失ったことを、心から悔やまれています。友達だったんでしょう?それで何で?」
「―――命じられたのです」ポツリと、そう言った。
「命じられた?誰に?」
「自殺した私の魂を捉えた方です」
「だから、誰?」
「……」
「教えて?現実世界に存在するなら、それを倒すことで君の魂を解放することだって出来るんだよ?」
「それが……」真由は申し訳ないという顔で水瀬に答えた。
「私も、わからないんです」
「はぁっ!?」
―――アホか、この娘。
いや。ボケキャラとしては、自分も一角の人物として、明光で揺るぎなき立場を持つ。
だが、これほど酷くないという自負がある。
……他人がどう思っているかは知らないけど。
「わからない?」
「はい」
「何年も捕まっていて?」
「はい。でも、そんなにひどいことされません」少女は、まるで弁護するように答えた。
「お昼まで眠っていても怒られませんし、美味しいご飯だしてくださいますし。綺麗なお洋服に綺麗なお部屋も。自由に本を読ませていただいていますし」
「……」
―――やっぱり、アホだ。
―――本当なら関わりたくないんだけど……
水瀬は、普段、自分に対して周囲が思っていることを感じながら話を続けた。
「それってさ?死んでいれば、問題ないんじゃないの?」
「それでも、せっかく死んでいるんですから。楽しまないと」
「前向きなのか、単なるバカなのかわかんなくなる言葉だね」
「ムッ……人のこと、バカっていっちゃいけません!」彼女は初めて怒りの顔になった。
「人のこと、バカっていうと、自分までバカになります!だから、ダメです!」
元来、年上に弱い水瀬だ。
このテのお姉さんタイプから叱られて反論することは、マインドコントロールで禁止されたように、出来はしない。
「はっ。はい……すみません」
立場が一瞬だけ入れ替わった。
「よろしい。それで?あなたは?」
「ぼ、僕、日菜子殿下が、毎晩毎晩、あなたが現れて困っているので、なんとかそれを止めさせたいと思って」
「……そうですか。すみませんでした」
「もう、止めてもらえませんか?あなたは、日菜子殿下が、そんなに嫌いだったんですか?」
「まさか!」驚いたように真由が答えた。
「そんなことはありません!日菜子は、大切なお友達です!」
「じゃ、どうして?」
「だから、命じられたのです」
「何を?」
「これを、日菜子の心の中に投じてこいって」
真由がワンピースのポケットから取り出したのは、小さな黒い種だ。
「何これ」
「“悪夢の種”だそうです」
「種?」
「はい。心の中に投じると、種がはじけて、見たくない悪夢を見るんだそうです」
「その目的は?」
「―――日菜子の心を傷つけ、廃位させるためです」
「廃位?」
「はい。日菜子が皇族では一番、『統べる力』が強いですよね?その日菜子が心の病で皇位を継げなければ、皇統は大変なことになりますよね?」
「そういう勢力の人なの?」
「よくわかりません。ただ、はっきり言えることは、私はその命令に逆らえないということだけです」
「友達として、よくそんなこと出来るね」
そういう水瀬の言葉と態度は、侮蔑のそれだった。
「で、でも……しかたありません」しょげた顔の真由は呟くように答えた。
「拒むと、とても痛いお仕置きをされます。日菜子が苦しむのはわかります。でも、日菜子の心は、この種を投じている間だけ、苦しむだけでしょう?限られた間だけって、そう聞いてます。だから」
「精神が苦しむってことは、そのまま肉体にも影響が出るって事だよ?」
「―――えっ?」驚いた目が、まっすぐに水瀬を見つめた。
「すでに殿下は衰弱し始めている。当然でしょう?眠れないんだから。このままなら、殿下は君の仲間入りだよ?」
「そっ、そんな!」
「そういうことなの!甘い言葉にダマされたっていうか、そそのかされたってことだよ!?」
「で、でも私!」
「―――とにかく、せめて君をここに来るように命じた相手が誰なのか教えて。せめて特徴だけでもいい」
「……あっ。そうだっ!!」
何がうれしいんだろう。真由は、ポンッと手を叩くと、先ほど種を出したのと反対側のポケットから何かを取り出した。
「オモチャのラッパ?」
「はい。何かあったら、これを吹けっていわれています」
「ちっ、ちょっと?」
つまり――水瀬の顔が青くなったが、真由は全く、それに気づかない。
「論より証拠―――ご自分の目でお確かめになられるのが一番ですよ?」
すうっ
真由は息を吸い込むと、ラッパに口を付けた。
「まっ、待って!こっちの準備が!!」
水瀬の悲鳴は、ラッパの音にかき消された。
パパパパパパパーパパパパパパパー!!
何故か突撃ラッパが空間中に鳴り響いた。
「なぜに突撃ラッパ!?」
「あっ、これって突撃ラッパっていうんですか?」
さすがに水瀬が突っ込もうとした時だ。
空間のゆがみから飛び出してきたのは、巨大な猫だった。
その大きさたるや半端ではない。
全長100メートルでは効かないだろう。
しかも、尻尾が二本ある。
「いくら精神世界でも、これは反則!」水瀬が悲鳴に近い声を上げる横で、
「まぁ。大きくなっちゃった」真由はきょとんとした顔で目の前の怪物を見るだけ。
猫は一鳴きした後、前脚で襲いかかってきた。
「ええいっ!!」
水瀬は真由を抱えて、横っ飛びに逃げた。
「み、水瀬さん!?」
「逃げます!」
「どこ掴んでいるんですか!?」
「―――へっ?」
「胸を掴まないでくださいっ!」
そこを尻尾の一撃が襲う。
「もうちょっと我慢して!」
「いやぁっ!離してぇ!」恥ずかしさのあまり暴れる真由。
「暴れないで!好きで掴んでるんじゃないんだから!」
「それって、私の胸が小さいってことですか!?」
真由が半泣きになりながら水瀬に食って掛かった。
「私の胸には価値がないってことですか!?」
「そうじゃなくて!」
猫の牙をかわしながら、水瀬は真由に抗議した。
「日菜子より圧倒的にあるんです!死ぬ前まで中等部で一番だったんですよ!?それを!」
「日菜子殿下がぺったんこの絶壁だってことはわかっています!そんなのと比べていいのは、小学生以下だけです!」
「まぁ、そうですね」
飛んで逃げ回った水瀬は、Gを利用してようやく真由の胸から腰へと手をずらした。
そして、水瀬の反撃が始まった。
精神世界の戦いの優越を決めるのは、あくまで精神力だ。
元来、魔力は精神力が大きく優越を左右する世界。
魔法騎士である水瀬もまた、圧倒的な精神力を誇る存在だ。
水瀬は、その莫大な精神力に物を言わせて、いくつもの光源をつくりあげた。
「えっ?えっ?」事態が把握出来ず、きょろきょろと辺りを見回す真由。
その目の前で、猫に向かって光源からソー○レイ並の光の帯が発射された。
「きゃっ!?」
ニギャァァァァァァッ!!
その直撃を受けた猫は、地面に倒れると、そのまま空間のゆがみに向かって走り出した。
「逃げたね」
水瀬は、地面に真由を降ろして、真由を諭した。
「いい?君のご主人に伝えて。これに懲りたら、バカなマネするな。さっさとこの娘も解放しろ。さもなければ、三味線にしてやるって」
「それ、動物虐待……」
「いいっ!?」水瀬は、真由の両肩を掴むと、ありったけの気迫で真由に迫った。
「はっ、はい……伝えます」
「じゃ、行って。そろそろ、殿下も目覚めるから」
「はい」
真由は、地面を蹴って宙に舞った。
「あっ。水瀬さん」
「何?」
「お礼に一つ、教えてあげますね?」
いたずらっぽく笑う真由が、水瀬に告げた。
「あのですね?―――」
白銀寮 春菜の部屋
「きゃっ!」
栗須の目の前で、水瀬が突然、顔をあげた。
「ゆ、悠理君?」
「……なんとか、敵は撃退しました」
「そっ。そう!よかった!」
「進入路の波長に合わせた防御霊符を作ります。それで防げます」
「それで、殿下は助かるのね?」
「ええ。―――それにしても栗須さん」
「何?」
「あの、真由って人、とんでもないキャラだったんですね」
「そんなこと、ないですよ?」栗須はきょとんとした顔で水瀬に答えた。
「悠理君に比べれば、可愛いものですよ?」
五分後
「―――んっ」
どよんと雲を背負う水瀬の前で、日菜子が目を覚ました。
「あっ。殿下?」
「殿下、お目覚めですか?」
「……」
じとっ。
何故か、視界に水瀬を見つけた日菜子の目が、そんな音を立てた。
「で、殿下?」その視線に、思わず逃げ腰になる水瀬。
「―――栗須」その声は座りきっていた。
「はっ、はい?」
「饗庭中将に連絡。水瀬悠理を階級剥奪の上、銃殺」
「で、殿下!?」
「どうなさったというのですか!?せっ、せっかく悠理君が一生懸命、殿下をお守りしていたのに!」
「―――そのお守りする任にある者が、主君の目の前であんな……あんな汚らしいモノをブラブラさせて、あまつさえ、それを真由に見せつけ!嫌がる真由の胸を鷲掴みにしたあげく、私の―――私の秘密を真由から聞いたというのですか!?」
「ゆ、夢です夢っ!」
「あんなのは、悪夢というのです!」
日菜子は、その力で水瀬を吹き飛ばし、壁に押しつけながら怒鳴った。
「あんな恥ずかしい光景を、夢に見させるだけで万死に値しますっ!栗須っ!連絡をっ!―――さもなければ手打ちにしますっ!刀を出しなさいっ!」
「殿下ぁ!お慈悲をぉっ!」




